本日の徹子の部屋ゲストは川原亜矢子さん

2001年10月26日

黒柳『やっぱりパリコレのショーのモデルをなさった方は少ないと思うんですけどね。お背えは何センチ?』

川原「実寸は176.6センチです」

『ヒールを履くとね』

「180~190あります」

『190!!。1シーズンに35ぐらいあるんですってパリコレって』

「大体35から40ぐらいのショーがあるんですけど10日間の間に全てが」

『ええ10日間の間に。そのうち15ぐらいにおでになったって』

「そうですね一番多いときに16メゾンのショーにでました」

『今女優さんとしてご活躍でつい先ごろですが大河ドラマ”時宗”におでになったって』

「あの宰子という京都からきたお姫様の役で親王という王様に嫁いでくるんですがすぐに浮気をしちゃうんですけど。不倫をしちゃってすぐに国に返されるという役なんですけど」

『いかがでした衣装やなんか大変だったんじゃないですか?』

「大変でした。カツラも髪の毛の長さが2メートルくらいになって床山のかたが作ってくだすったんですけどこんなに長いかなっていいながら作ってくだすったんですけどはめるとピッタリでオオーって感じで」

『そんなに長いの作ったこと無いって。でも昔はそんなに長かったんですかね』

「そうですね。時代劇に出ることが夢の一つだったんですけどでることができてうれしかったんですがこんなに背の高いお姫様っていたのかなっていたのかな?って私も思ってました」

『背が高いから鴨居っていうのかしらわからないけどすだれとかにぶつからなかった』

「お姫様の役なのでずっと座ってるシーンで大丈夫だったんですが立ちシーンになるときつかったかもしれませんねえ」

『そうですか。もうちょっと前に女優になってすぐに”キッチン”の主役をなさったのがこの川原亜矢子さんで”キッチン”で新人賞を7つ』

「そうですね。12年前の話になるんですが」

『そんなに。吉本バナナさんですが18歳ぐらい』

「高校3年生の夏に撮ったんですけど映画のオーディションのお話をいただく1週間ぐらい前に前髪をカットしてしまいました気が付くと生え際に前髪がきてしまってたんですね」

『それがかわいかったんだと思うんですけど女優さんとしてはすばらしい出発だったんですどこのあとパリに行かれてモデルになる。女優を続けていこうとは思いにならなくて』

「16歳の時から大阪出身なんですけど東京にきてまして」

『大阪。大阪弁出ませんねえ』

「当時は一生懸命直しました。それから高校3年生の時に”キッチン”に出た後他の役をすると思うととても怖くて自分は何をしたいのかわからなくてでも周りは進路をきめてあっせてる所にパリコレの出演依頼を日本人のデザイナーの方から頂きましてパリコレにでたのがきっかけできっとパリにすんでモデルをすることで自信がつくんじゃないかと思いまして」

『一人でいかれてビックリしたんですけど。そのころは言葉もできなかったんでしょ』

「中学・高校とちゃんと勉強しなかったものですから”ハロー”というのも恥ずかしくてとても困りました」

『写真で出られた方はいるとおもうんですけどショーにでられたかたは少ないと思うんですけど女優さんをやられる方の中ではね、それでモデルの方って大きな写真を持って歩いていますよね』

「宣ざい写真集といって仕事を取るために必要なんですけどそれもちゃんと作ってなかったですしそれも自分で作らなきゃいけなかったんですけどそれを作ったり言葉の勉強したりしましたし、20歳になった年にパリに住み始めたんですけどすぐに事務所にははいれたんですけど言葉が通じないので駄目だということでモデル事務所とコンタクトがとれませんでした」

『売り込みにいかれるときにセクシーにしてくれとかほとんど女優の仕事にひとしいこととかも言われるんですって』

「モデルのお仕事は服を見せることがお仕事なんですけどそれにあわせていろいろな女性像が見えるような写真集を持っていかなくてはいけないんですけど最初の頃はちゃんとした写真がありませんでしたのですぐにブックをポンと閉じられてしまうんですよ。そういうのが一年ちょっとありました」

『そのときから背丈はこれぐらいありました』

「ありました」

『みなさん180センチって言いますよね』

「アパートの廊下に大きな鏡がありましたのでそこでウオーキングの練習をしていますと近所の人が夜中に練習するものですから幽霊がでるって話になってたみたいで、それであるとき上の階の人が私が練習しているのを発見してあの子だったのね幽霊が出るって話題になってたのよって。そういった練習をして歩けるようになったんですけど」

『それから”ありがとう”って写真集を閉じられるのが一年ぐらい続いたんですけどそれからだんだんみなさんショーに使ってくれるようになった』

「ある雑誌がきっかけだったんですけどフランスの”ヴォーグ”っていう雑誌に載った私の写真をカルラガ・フェルドさんの目にとまりまして彼女はどういう子だということでキャステイングされましてそこからですね沢山のショーの出演依頼を受けたのは」

『身長とかが重要になるんでしょ?』

「いまは以前ほど厳しくはないんですけど165から180センチぐらいで私の身長が平均ぐらいで」

『それから10日間の間に15,6のショーに出てお忙しかったでしょ』

「ドライバーをつけることが出来たんですけどお金をセーブしたい方がかってましたので地下鉄とバスで全部行動してましたらショーの前に衣装合わせが必ず2回ありますのでそれでてんてこ舞いになって過呼吸症になってしまったこともありました。息を沢山すいすぎて呼吸が出来なくなるんですよ。ショーが始まる前になったものですから私のせいでショーが止まってしまって。他のモデルさんがお砂糖を口に入れなさいっていうのが聞こえまして糖分を口にいれると落ち着くんですけどとても怖い経験でした」

『他のモデルさんも経験あるんでしょうね。それからまあうらやましいなんていうブランドにもすべて出てられますよね』

『それでいつも靴が問題だったんですって?』

「この身長なのに23.5センチしかないんですね。ですからショーの靴は24.5~25なんですね。ハイヒールだと足がつく面積があまりないので杖をついてるみたいでターンとかは難しかったですね」

『25何ていう靴が当たっちゃうと靴も洋服に合わせて作ってあるんでねえ。あるとき靴が脱げたんですって』

「足元が見えない服で助かったにもあるんですが歩いてたら靴が脱げてしまってポーズを作ってごまかしてたんですがドレスの中で靴をさがすんですね、見つからないものですからポーズをすごく長くとってたことがあります。でもラッキーに見つかって何も無かった顔をして」

『私いつも思うんですけどそんなに何回も練習しないのにあっちからでたりこっちから入ったりとか良く分かるなって』

「大体が口頭説明でぶっつけ本番でやります。」

『でも入る所を間違えるとぶつかちゃったり』

「あります。”どこに突っ立てるの!!”って怒られました」

『よく意地悪な人がいるって聞きますけどそうですか』

「わたしはあまり無いんですけど表立った意地悪ですね」

『どんな』

「ショーの道をとうせんぼしちゃって通れなくするとか。気の弱いモデルさんは変なポーズになっちゃうんですね。わたしもそうだったんですけどだんだん慣れてきますと根性がついてきて肩でポンと押すようになりました。」

『20才のときにだれもお知り合いもいないパリにいってホームシックにならなかったですね』

「最初日本人のカメラマンさんにアパートなんかの世話をしていただいたんですけど迷惑を掛けられないのであまり愚痴を言わないようにしてました」

『でも何年いましたの』

「合計7年いました。あっという間でした」

(川原さんの飼っている犬が登場)

『犬をほしいとお思いになったのはお母様がお亡くなりになったんですって』

「ちょうど日本に帰国しようと思ってた頃25の終わりごろだったんですけど不慮の事故で母がなくなりまして日本に居ましたのでお葬式にはかけつけたんですけど」

『それはかなしいことですね』

「食事がなかなかできなくなりまして、母がしんだことを認めたくないんですね。それを認めなくてはいけないと思ったときに心を救ってくれる存在がほしくて念願の小さい頃からの夢でした犬を飼うということをしようと思いまして」

『パリにもどってモデルをお続けになる』

「そのころは半年ぐらい学校に通ってまして(犬が通ってた)、最初彼女(犬)とどう接していいかわからなくて半年学校にいれたんですけど」

『ますますご活躍をね。本当にありがとうございました』

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