本日の徹子の部屋ゲストはミハイル・ゴルバチョフさん

2001年11月23日

黒柳『みなさん語存知だと思いますけど東欧諸国を解散させる、ベルリンの壁の崩壊、つまり世界を大きく変えた方が今日のお客様です。あの今どういうお暮らしをされているのですか』

ゴルビー「そうですねこれは簡単な問題ですけど答えるのは難しいですね。ライザ(妻)がいない生活というのはつらいものです。人生を一緒に生きてきた彼女がいないということはつらいです。でも娘や孫娘が一緒に住んでくれてますから」

『お嬢様のイリーナさんは奥様に似てらっしゃいますね』

「はい似てます。私に似てなくて良かったと思います。ボランティアの慈善事業もしています。」

『ゴルバチョフさんの回想録を拝見していたら学生のときに演劇に興味をお持ちになって芝居で巡回されていたこともある』

「私もライサも演劇が好きでした学校にいたころから劇に出ていて面白かったです。いろいろな村を回って戦争が終わって直ぐの頃は着るものも無かったですが私たちは演劇で得たお金を無い人たちに上げてきました。政治には叶わないかもしれませんけどできるだけのことをしてきました」

『詩も大変お好きということですけど』

「そうですねロシアの詩人の」

『覚えてらっしゃる詩ってあります』

「もちろん覚えてます」

『覚えてらっしゃる詩を披露してくださいません』

「私の好きな詩でレールモントフの”帆”をいってっましょうか」

『お願いします』

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「”海原の蒼める霧にほのぼのと白帆がひとつ漂っている遠い国に何かをもとめるのだろうか故里に何かを棄てたのだろうか。波は荒れ、風はうそぶき、マストはたわみ、きしんでいる。ああ、彼は幸福を求めるのではない。また、幸福を避けるのでもない。その下にはまことに明るい瑠璃(るり)の潮。その上には、金色の陽が輝いている。されど 彼 反逆の子は嵐を願い。安らぎは嵐の中にありという。”」

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『(拍手)この詩がすきなのはどういうところなんですか』

「若いときからロマンチックなとこが好きでしたね」

『ありがとうございました。モスクワ大学にいらっしゃいましてそこで奥様になるライサさんにお会いになったんですけど』

「いやダンスパーティーで会ったんですよ」

『お上手ですか』

「いやそんなことはないですね。自慢できるほどではありませんが好きです。ライサも好きでした。」

『ライサさんにすぐにお会いになったんですけど他の女の人からもてたって事はありませんか』

「ええ彼女に私にも友達はいましたよ。学生でしたからね。でも一度彼女と別れてそれで彼女は2度と男性を信じないと」

『それは回想録に書いてないですね』

「そうかもしれません。でも彼女はもてたと言うことは確かです。わたしは勝ち抜いたのです。競争に」

『第二次世界大戦に突入したときゴルバチョフさんは10才、終戦の年には14歳でいらしたそうです。お父さんも兵隊にとられて戦争が終わったときには勉強する気もなかったそうです。お父様からのお手紙で家財を売り払ってもミハエルに服を着せ本を買って上げなさい。彼におは必ず勉強させてほしいというお手紙をお母様にお書きになったことが今日に繋がっていると思うのですけど』

「戦争の後15才から19才まで一度も休んだことはありませんでした。その後モスクワに入って勉強を始めるわけですけど」

『モスクワ大学での勉強が1番影響を受けたとおっしゃってますけど』

「本当にそう思います。モスクワとモスクワ大学。モスクワでの生活が田舎から出てきた私にとっては最初に出てきたときは汽車で出てきたんですけど本当にまったく新しい世界でした。生活がガラッと変わって頭が破裂しそうになりました。色んな情報が一気に入ってきたからです。」

『モスクワ大学を卒業になって奥様と故郷にお帰りになって中央にでるまで20年ぐらいいてその頃が今ご存知のゴルバチョフさんの元になったんじゃないかと思いますけど』

「そうです彼女は25歳で哲学を教えていました。それからいろいろな社会調査をしていました。私は政治ばっかしでしたけど全人生を政治にささげてしましました。これは第2の恋ですね」

『ですから奥様の家族には受けがよくなかったって』

「革命的に行動したんですね。ライサも私も結婚するまでするといわなかったんですね。結婚してから親のとこにいって徐々に関係を作っていたんですね。でもすべてうまくいきました。お母さんが私に最初に会った時のことを言っているのですがとても心配したそうです。でもとてもお母さんといい友達になりました。」

『向こうにしてみればうちの娘が分けも分からない人と結婚するということは心配したと思います』

「私も心配してたし彼女も私のことを心配してたし心配しあってたんですねえ。家に帰ってくると誰かが待っててくれると言うのは大変な幸せです」

『前に日本にいらしたときに奥様とランチをしたんですけど大変すばらしいひとでした』

「彼女は本当に日本が好きだったんです。日本の人も良くしてくれました。」

『この番組に出演された感想を聞かせていただきたいのですけど』

「こういった政治だけではなく人間の生活に関わったお話をさせていただくと言うことは非常にすばらしいことだと思いますし黒柳さんの進め方もすばらしいと思います。テレビというものはこういうふれあいというものを作り出していくとても大事なものだとおもいます。視聴者のみなさんも気に入ってくれると思います。日本の皆さんに幸せな日々をお祈りしたいと思います」

『ありがとうございます。まったく話が違うんですけど1989年からアフガニスタンから撤退を明言なさいましたよね。私は7月の末にアフガニスタンに行って状況をみてきたんですけど今の状況をどういう風に見てらっしゃいます』

「そうですねアフガンの国民にとって不幸ですね20年間も内戦が続いているんですから。そして外部からの私たちの侵入があってそういう決定がとられたんですけど。そして兵をあそこから故国に戻したわけですけど。そしてノーマルな生活に戻ったと思ったらまた悪くなってしまってたくさんの不幸が生まれて本当に心が痛みます」

『私が行きましたときには3年雨がふらないので食べ物が取れない状況でしたしねえ』

「本当にどうやって手助けをしたらいいのかと思うとアメリカとどうやって協力したらいいのかよりもどうやってあそこの人たちに手助けをしたらいいのかと。テロリストは罰しなくてはいけないのですが今はこの人たちを助けなくてはいけないのでしょうか」

『ゴルバチョフさんのお母様も大変すばらしい方だと伺ってますけどどういうことを教えてもらったと思います』

「そうですね農家の家庭であるように特にどうと言うことはありません。でも母から学んだことはお互い助け合って生きていくということを学びました。農家がやる毎日の労働をとおして私自身育ってきたと思います。よく働く人でしたし父のことも大変尊敬してます前線に出てファシストと戦って負傷して帰ってきて、あと40年間機械技師として働きました。とても賢いあたたかい人でした。母は歌が好きだったし私も好きですけど下手ですし歌いませんけど」

『でも本当にお元気で世界のためにこれからも働いていただきたいと思います。今日はおいでいただいてうれしかったです。スパシーバ』

「ありがとうございました」

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