本日の徹子の部屋ゲストは小林旭さん

2002年2月7日

黒柳「今度”さすらい”という本をお書きになったんですね。読ましていただいていろんなことを感じたんですけど本当のことを書いておこうとしたのにはわけがあるそうで」

小林≪昨今のテレビ事情の芸能界っていうんですかよく見させられますわね。普通のジャーナリストの方にスターさんはって聞かれるとまあ比べようが無いじゃないですか。お客さんにお金を持ってきてくださいと言ってた我々の時代のスターや看板とった責任感と学芸会の延長みたいに出てくる隣のアンちゃんたちと見てくれがよければあくる日にスターになってしまうテレビ界のスターと≫

「はっきりおっしゃる方なんですか小林さんは元々」

≪それでずいぶんにらまれたって言うか。≫

「そういうことで」

≪そんなものを多く見せられ始めたら30年の当時に責任を持っていらしたスターさん達がいずれ勝さんはこないだ亡くなられたけどいつかは誰かがあの時代のことを書かれるんじゃないかと思ってたんですよ。ところが勝さんにしても萬屋さんにしてもアレだけ面白い時代をしょってた人が何も書かずに世を去ってしまったと≫

「当事者が書いてないので残して欲しかったんですってねえ」

≪いわゆるお客様からお金をいただいて見せるという責任感を持ってた当時のプロとしての切磋琢磨というのはどんなんだったろと。それをどっかで言わなければなあと。。今の俳優さんですかスターさんですかプロ意識がなさすぎるという見てても学芸会の延長のような無責任な状態で一般の視聴者に物を見せていると思われちゃいけないんじゃないかという気がしてならなかったですね≫

「ずいぶん大変なときいきなりスターになったのかなと思ったら3年間以上の下積み。」

≪ニューフェイスという肩書きで会社に入りますよねきちっとした産業であるからお金が取れる俳優さんを育てようとするんですよ。入社してから半年の研修をする。3年間はどんなにいい役がつこうと給料は7千円と仕出し料って言うのが税込みで200円ですかこれを毎日もらっていくと合わせると当時の大卒の方と同じ月給になるという。それをやらされたわけですね≫

「時間的には大変でも」

≪それで楽屋に入るとエキストラをやらされながら僕とか二谷英明が同期ですけど。入ってすぐに役がついたほうなんですよでも役をもらってもねえ給料が増えるわけでもないし3年間は実習ということを兼ねて新人研修をしている間は会社の言いなりに動けと。≫

「どんなに個性が強い方でもその間は言うとおりにしてらっしゃる。日活でスターにおなりになられたんですけど最初は東映をお受けになられた」

≪たまたま親戚が東映の重役にいましたからね。その人の口利きでとにかく行ってみろよと言われていったら審査で隣に座られた方が立派な方で”ああ、こういう方が映画に出られる方だな”って思ってたらそれが高倉健さんだった。昭和29年ですね≫

「同じ時期にいらしゃったというわけであの方はお入りになったという。」

≪僕の右隣に立ってらしてすげえ背が高いし2枚目でかっこいいなと思ってたんですけどねえ≫

「それにしても歌手としてもヒット曲をだしてらっしゃるんですけど”昔の名前ででています”これがヒットしたことは小林さんにとっては良かったことだったんですってねえ」

≪それまでもヒット曲があったんですけどどこまでいっても映画の挿入かとかねえ主題曲とかでねその歌で一生懸命やらなければいけないという責任感が感じられなかったんですよ。で40年代を通過し始めた頃に映画が衰退して歌の世界がこう大きくなりましたよね。映画をやってたころと扱いが違ってましたその頃に北島にしてもすごい歌を歌ってましたよねヒット曲を飛ばす人はしっかりした歌い方をしなければいけないなっとそう思うと俺の中にはまったくねえなとちゃんとした歌を歌いたいなあという感触が自分の中にあったんですよ。それと生活環境が余計な仕事に手を出したためにゴルフ場が倒産して財布の中には千円のお金もないくらいにどん底におっこって明日からどうして暮らすかなと途方にくれてて女房子供に迷惑がかからないように弁護士先生の別宅に預けて自分は家の中にいたんですよ。そういうことで生活環境がイライラしてた時代だったんですよ。その時に星野先生が作られた≫

「星野哲郎さん。それこそ歌手として本気で歌った歌」

≪一生懸命歌ったんですよ≫

「それでも”昔の名前ででてます”で1日10ステージぐらい回ってしまいにはのどから血が出たので現金で最初にお金をもらいますって」

≪割とオイルショックのあととはいえ待ちの状態は流行ってましたよねだから大阪でも枚方だ今橋だって地方のキャバレーでも歌を歌えるキャバレーがあったんですよ。そうすると1区画でまとめて5件ぐらい仕事が出来たっていういい時代だったんですよ。5件ぐらいを2回りするんですよそうすると10ステージになりますよね。それで夜のショーが始まる前に10万円なら10万円をもらう。2回ステージなら20万円ですかね。そうすると20万円をもらうには1回目のステージが終わったときに貰っとかないと後やらないよっていう話ですよ。払ってくれないと困るから。だから全額頂戴という話ですよ。きちっと後の店を回って100万なら100万かせいで帰ってくると。≫

「それにしてもただならないお金なんですけどのどから血が出るまで歌うと数年のうちにお返しできた」

≪ええラッキーだとおもいます。カラオケのねえ第一興商の社長がデパートの1階のロビーっていうんですかカラオケの機械が出来たばっかりの頃で持ってって”昔名前・・・”が売れてることをいいことにデパートの有名店でただで歌って宣伝をしたという≫

「まあその間奥様のアオヤマキョウコさんも女優さんなんですけど本当に我慢してくだすったという事で本にも書いてありますけど巡り合ってよかったって。結婚してから32年ですか」

≪とっても辛抱強かったですよ。助けられましたね口も何にも言わずにやりたいことをやらせてくれた≫

「俳優で歌手なのになにもゴルフ場の経営をしなくても良かったのに」

≪ただ当時そういう職業にいるだけに何の保障もないじゃないですか。例えば顔に傷がついたら明日から俳優じゃなくなる、足が折れたら俳優じゃなくなる、声が出なくなれば歌手じゃなくなる。終わってしまったことを誰が保障するんだとすると生活権をちゃんと握っているという安堵感がないじゃないですか。それをやるためには浮き草稼業じゃだめだとちゃんと根っこを張って安堵感を持っていい仕事をしたいなという気持ちがあったんですよ。だから他の仕事で自分なりに何かを作って城を固めてのんびりと仕事をしたいなっというのがあったんですよ≫

「ちょっとコマーシャルを。このあと美空ひばりさんのことも聞きたいんで」

~CM~

「私は本の中で美空さんのことをたくさん書いてらっしゃるんですけど美空さんがたくさん歌の練習をされてたということを知らなかったんですよね。天才だからきたらすぐに歌えるんだよてみんな言ってたのね」

≪何かのうちに新曲が入ったときには知らず知らずに鼻歌めいた状態で口ずさんでましたよ。≫

「なにか1つにしても納得がいくまで練習してたって言う」

≪彼女の偉いところは仕事から帰ってきても僕に飯を食わそうと思うと本でも開いてね作るんですよ何時間かかっても9時になろうが10時になろうが待ってるんですよ。ただそういう本を読んで作るときは何人前ということを読まないで作るもんですから4人前の材料で作っちゃったこともありましたけど料理を作ってる時間帯にねん!とおもうと口ずさんでたりしてましたよ。≫

「小林さんがいらしゃらない時でも練習してらしたんでしょうね」

≪それから詩の感性ををつかむというのが天才的だったですね。映画の台本なんかもパッと見ただけで終わりですよ。いろいろ広げてねえ頭の中で広げているんでしょうね。言葉に関しての感性は天才的だと思いましたね≫

「彼女はできることなら奥さんになりたいと思った時期もずいぶんあったんですって」

≪まあ僕が一緒にいて同じ屋根の下にいたときはずいぶん感じたことがありましたね。一生懸命僕のために何かをしてくれてるということもありましたね。まあ結局はお袋さんや義理のお父さんのタオカさんがおっしゃる”天下のひばりや皆さんのとこに返したってくれや”と言われて納得したんですけど。≫

「そこで僕達の離婚は協議離婚ではなくて理解離婚ですと」

≪そういわざるを言えなかったと。≫

~CM~

「美空ひばりさんと初めてお会いなさったのは小林さんは児童劇団に入ってらして12歳ぐらいのときに放送劇にでてらして向うから歩いてらしてお付の方が10人ぐらいいて”わあ~すごいな”スターって大名行列みたいだってお思いになられたみたいですが2人ともスターにお成りになった時に月刊明星で対談があって」

≪そうですねえ集英社の明星が最初だったんですけどねえ人気スターベストテンというので彼女は上席だったんですねえNO.1が。で小林旭ていうのがたまたまNO.1になってそれでトップ対談というのを仕組まれて、初めての顔を見合わせてゆっくり話すという時でしたから僕は僕なりに緊張しましたよ。世間で言う大スターが話の相手ということでテレビを通してしか見てませんからガキの頃にちょこっとみてうわ~と思った人でしたからそんなこんなでどぎまぎしながら行ったら結構普通の人なんだなあと思って≫

「その時”恋人いるの”って」

≪うん、突然話とはまったく繋がらないのにそういう質問が飛んできたんですよでこっちも”いやいやいませんよ”と言っちゃたんですね。それからどうも狙いを絞られたみたいで≫

「”あなた私と親しくしましょうよ”って」

≪それから何回かトップ同士の対談が明星や何やに組まれて何回かあったんですね。そうしているうちに親しくなって一緒に食事をする時間も作って頂戴って言われて。それよりも撮影の連中に何も言わずに銀座なんかに飲みに行っているのにもかかわらず8時9時になるとその店に直接電話がかかってくるんですよ。≫

「どうやって調べて」

≪不思議でしょ。まあ・・その・・・≫

「情報網があった」

≪それで飲みに行ってたらそこの支配人や何かが小林さんお電話ですと。誰って言ったらいやわかりませんお電話ですと。電話に出てみたらいきなりね付き人の人がいるんですけど”若旦那”って言われたんですよ。日活じゃあマイドマイドとか旭とか言われてたけどそういう若旦那って呼ばれる世界にはなれてなかったですよ。それで”お嬢さんが1人じゃ食事がつまんないから一緒に食事をしたい”と言ってると。すぐに来て下さいと。初めはしょうがないと思っていってたんですけどこれが回を重ねすぎてしつこくなったんですね。≫

~CM~

「まあ美空ひばりさんはエリチエミさんも結婚して雪村いずみさんも結婚してそういう寂しさもあったんじゃないかっていわれてたんですけど離婚されてから世界中いろんなとこにいかれてたんですね。本に書かれてるんですけどこれは新潮社から出てるんですけどねえ。いろいろ話していただいたんですけど奥様によろしく」

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