本日の徹子の部屋ゲストは園佳也子さん

2002年2月12日

黒柳「それにしてもいつも働き者の役が多いじゃないですか」

≪本当に働き者ですよ。タッタタッタ掃除はするしねでもなかなか部屋はきれいにならないんですよ≫

「でも古くは細腕繁盛記で意地悪というわけではないですけど」

≪しっかりものですね≫

「そうです仲居さんの役で。あれ以来そういう役が続いてますかね」

≪ドラマっておそろしいですねヒットというわけではないですけど皆さんに広まるとその役が私の全性格になるんですよ。だからあの人は意地悪と決められちゃう。でも私かまわないですけどねえそう思われても≫

「今は分からないけど”よういじめたはるなあ”みたいな」

≪そういう風には言われたことないんですけど”もっといじめて”とか。フフフフフ≫

「ええもっといじめてって」

≪おもしろいんですって≫

「自分でできないことが面白いのかもしれませんねえ。前にお話があったんですけど大阪のBKっていうかNHKの放送劇団に入ってたらちょうど私と同期ぐらいだったかもしれないんですよね」

≪黒柳さんのほうがちょっとお早いかもしれませんけど≫

「でもお入りにはならなかったですよね」

≪入れなかったんです。2度落ちたんです。それで人生変わったんです。人柄も変わったんで≫

「なんでなんで」

≪自分に自信があるのにすべるっていうのは大変な自信喪失ですよね。今まではあなたが1番って言われてたのに≫

「それまでも芝居をやってたんですね」

≪ええやってました≫

「私の場合は全然違って絵本を読めるお母さんになろうと思っていったんですね。向うはテレビ女優第一号という気持ちで取ってたんですけど私はお母さんになるんだからという気持ちだったんです。」

≪ついお子さんは出来ませんでしたね。お互いですね≫

「あなたもねえ。あなたはご結婚なさらなかったんですか」

≪なさらなかったんです(笑)。徹子さんが結婚してたらどんなに大きな結婚式だったでしょうね≫

「希望は捨ててませんよ(会場笑)」

≪式は入りませんけど伴侶は欲しいかなって≫

「年上の人がいいなって思ったら結婚するなり面倒見るって言う形になりますね(笑)。」

≪下がいいですね≫

「やっぱりお母様のことなんですけど私の母もまだ健在なんですけどあなたもお母様はお亡くなりになったそうですけどずいぶんご高齢だったんですね」

≪90歳を過ぎてなくなりました。平成6年になくなりました。≫

「いつ頃から病院入ったりなさったの」

≪私が東京に行って一番ピークの時でねそのときに電話がかかって来るんですよ。おばから一緒に住んでましたから。≫

「お母様の妹さん」

≪ええそれで”姉ちゃんがあかんの。おしっこするの”っていうんですよ。である日帰ったら想像と違って家の中からすごい匂いがするんですよ。家の中に入ったら新聞紙が引いてあるんですよ。何これってきいたら姉ちゃんがおしっこするのって。≫

「おばさまっていくつですか」

≪5つ違いですかね。≫

「90の方の面倒を85の方が見るということになるんですから。」

≪私なんかねそんなに大変なことじゃないと思ってたんですよ。≫

「その時何歳ぐらいですか」

≪80ぐらいになってましたか。それを全部面倒見てくれたのがおばなんですよ。それでおばに本当に申し訳ないと思いました≫

「姉妹で面倒見るって言うのも大変ですよね。食べるものはどうだったんですか」

≪おばはね料理の天才で楽屋にもおなべにいっぱい料理を作って”みなさん食べなさい”という風に持ってきたこともあります。≫

「おいしいの」

≪おいしいの。シチューにミートボルとか洋風の物が多くて。≫

「楽屋にもいいかもしれませんねえ」

≪ですけど段々と下火になってきまして≫

「おばさまも」

≪ええ。ある日10人分くらいのお客様のお皿が出てまして黒焦げのてんぷらがあって”なにこれ”って聞いたら”今日はあなたのお客様が来るって言うから”って。でも私とマネージャーだけなんですけど。もてなしてるつもりなんですね≫

「おばさまが」

≪ええ。あ!これはきたなと思いまして母の面倒を見るのはしんどそうなんで聞いたら”お姉ちゃん嫌い”と言い出しましてね一緒に居たくないと言いまして私が帰るべきだと思うんですよでも心の中心は仕事のほうにすがり付いてるわけですから≫

「芸術座におでになったりずいぶんやってましたからね」

≪仕事に未練がありましたから何とかして考えた末ですよ2人とも入院させなきゃいけないと思って≫

「病院に入ることになったらおば様はおねえちゃんと一緒のような病院には入らないとおっしゃった」

≪まず2人を入院というよりも母をまず入院させておばを解放させて自由にさせてあげたほうがいいのかなっと思いまして。それで母を病院へ≫

「お母様は嫌だとわ言わなかったの」

≪病気じゃないのに何で入るのって言うんですよ。そうですよね年取っただけなんですよね。それなのに病院に追いやるって言うのが本当に心が居たたまれなかったですよ≫

「そうですね」

≪それと母は女学生時代に足のくるぶしまで髪の毛があったくらい髪の毛のきれいな人だったんですよ。本当にいい髪の毛で階段を下りるときはこうして持って歩いたのよって話してましたけどねえ。それがねえ先生がねえ切れって言うんですよ。寝たり起きたりで髪の毛がもつれますから。それを切らすのが大変だったですね≫

「誇りにしてるものですからねえいつも笑ってらっしゃる園佳也子さんでもこういうことがあったってみなさんにお伝えしたかったんで話してもらっているんですけどちょっとコマーシャルを」

~CM~

「それで病院に」

≪ええ”あなたの妹がねえしんどいの。これ以上力出せないの。それにはあなたが病院に行ってくれるほうが一番いいのよ”って言ったら”うん”といいましたね。それで髪の毛を散髪して新しいちゃんちゃんこを着た時に”ああこの人はもうこの家に戻ってこないのね”とそれを思うと涙が出まして帰ってきて欲しいけどこの状態では帰ってこないだろうと思って外にも送りに出られなかったですね。それでいってらっしゃいと中から声をかけたんですけど。それで部屋を掃除して母の残したものを洗濯したんですけど私はなんて親不孝なんだろうって本当に悲しかったです(涙で)≫

「この仕事っていうのも看病するからって間を空けちゃうと次の仕事がくるか分からないっていう仕事じゃないですか。それにお母様を病院に入れるために働かなきゃいけないというのもあったし。娘さんに世話をして欲しかったって思うかもしれませんけどお母さんにしたら他人に世話してもらったほうが良かったって思うかもしれません」

≪そうですねさっぱりしてて良かったかもしれませんけど≫

「それで病院にはいかれたの」

≪たまに帰りまして駅から病院に直行するんですけど”どう”って言って。そしたら”園ちゃん助けて”って言ってるんですよ。私がいるかも知らないで。手と足をベットにくくりつけてあるんですよ。そのころ老人問題が起こった走りの頃で付き添いの方1人が5人くらいの患者をもってらっしゃるんですよ。危ないから≫

「徘徊とかするから」

≪でも私は見てられなくて担当のお医者様のところへ行ってあれだけ早めてくださいと言ってここからだそうと。そういうときに朝日新聞のAERAで老人問題を扱ってらっしゃる方と対談することになったんですよ対談は自分のこととは違うことを話したんですけどこのひとはこういう考えをもっているんだと思って番組が終わってから電話をしたんですよ。どこに入れたらいいかってきいたらこことここがいいと。そこは北欧で勉強されていたお医者様がいるところで四日市の病院まで行きました。そして全部拝見して、先生にもお会いして話させていただきました≫

「ちょっとコマーシャルを」

~CM~

「あなたを女でひとつで育てたお母さんがそうなってしまうと悲しい気持ちになるでしょうね」

≪昔の母と現代の母を比べてしまうんですよね≫

「で四日市の病院で」

≪そこはねえデンマークの病院で研修されてきた先生なのでお年寄りに扱い方が上手で看護婦さんまで行き届いてるんですね。おしっこ漏らしても”誰がおしっこもらした”なんていわないで”誰が水をこぼしたんでしょうね”っていって恥をかかさない。目上の人だから恥をかかしちゃいけないというのをモットーに。≫

「そこにいってお母様は良くなりました?」

≪コロッと良くなりました。急に生き生きと笑顔が戻りました。それで私もねえお見舞いに行くのが旅行に行くみたいに”ああ母に会いに行くんだ”って前の日に寝られないという時もありました。でも老人ですから肺炎にかかって最後は肺炎で亡くなったんですけど。≫

「そのときが93歳ぐらい」

≪そうです≫

「ずいぶん療養生活が長かったんですね」

≪私もずいぶん泊まらせて頂きました。スペアベットに寝たり。あいた部屋に寝たり≫

「でもよかったですね」

≪幸せだったと思います。母と一緒にいれたことが。お仕事はめちゃくちゃでしたけど≫

「でもいつも明るいあなたがそういうことで苦労をされていて皆さんは知らないですけど大変だったと思います」

≪でも大方の方がそういう経験をしてると思います≫

「傷つけないように」

≪大切なことだと思います≫

「でもそういうことがあったんですけど今は1人になって」

≪ひたすら若い子をまってるという≫

「なにかあなたは”がめついやつ”を九州を回る」

≪今度の春に”がめついやつ”をやります≫

「ご成功を祈ってます」

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