2002年3月4日
黒柳「私はこういうものを受け取りました。”1月6日夜永昌子(永 六輔さんの奥様)が亡くなりました。胃がん。5月に発病入退院を繰り返してして最後の2ヶ月間は在宅医療スタッフの協力のもと自宅のソファーで安らかに。最悪の病状の中最善のみとり方が出来たと家族はホッとしています。泣いたり笑ったりした2ヶ月でした。その昌子の意思で家族だけの葬儀を済ませることにしました。この間永家にやさしい心使いを下さった皆さんに心からの感謝をこめてお伝えします。 永六輔・ちえ・まり”。お嬢さん2人ですね。これをいただいたんですがそこのところに永さんの直筆で”三越ホールの時昌子に電話をしてくれてありがとう。どれだけ助かったか”ということが書いてあったんです」
永≪末期のガンと言われて後数ヶ月ということで泣いたりして大変だったんです。でとにかく笑っていようと、笑いの多い家にしよう。暗い話は止めよう。映画を見れば映画の話をする。とにかく笑わせる。昌子さんていう人はよく笑う人なんです。≫
「ケラケラって良く笑う人で」
≪その笑うことについてあなたがですね三越ホールで僕に回転寿司を食べに行こうと言いました≫
「三越ホールに二人が出たんですね。あそこでコウリャンズケを食べたんですね。食べていて回転寿司がこの中(三越ホール)に出来ましたっていうから行こうっていってたら永さんがそのこと昌子に(携帯電話で)言ってくれないって私は全然知らなかったから永さんと回転寿司を食べに行くってグズグズ言ってるんですけどっていったら、前から言われてたのね赤ちゃん見にきてって孫を見にきてって言われてたのねで”ごめんなさいね赤ちゃん見にいけなくて”って言ったら”あんたもう子供になったわよ”ってケラケラ笑って言ってたから私は全然病気のことを知らなかったから回転寿司食べますからといってそのままお別れしました」
≪で僕が回転寿司から帰ってきてどういう風に報告したかが問題なんです。すみませんがあなたが永昌子さんをやっていただけますか”ただいま”って帰ってきますから。チャック(黒柳さんのこと)と回転寿司に行ってきた≫
永昌子さん役の黒柳「ふうーーん」
≪チャックが一人で行くのが恥ずかしいというから行ってきた。一人でというよりチャックとご飯を食べに行くのが恥ずかしいと言ってやった。後で文句があったらいってください。2人だけで行くのが恥ずかしいからもう2人足して4人で行った。行ったら回転寿司結構混んでてなかなか席が空かない。なかなか4人並んで空かない。黒柳さんも僕もそういうの嫌いなほうじゃないから”お二人様あちらのほうへ”、”お一人様はこちらへ”と我々が整理をしてたんです。そしたら向うも気がついて4人様ですね何とかしますからって詰めてもらって席が空いたんですね(黒柳さん、永さん、後の2人の順に座る)でも回転寿司って席が狭いじゃないですかチャックの横におじさんが座っててチャックの目の前に(おじさんが食べた後の)お皿が積んであったんですね。≫
黒柳(役を外れて戻る)「(笑)」
≪それをチャックが”まあかわいいお皿!!はい永さん、はい○○さん”てみんなに配ったんです≫
「(黒柳・会場笑)」
≪皿がこっちに来ちゃっていいのかなと思ってたらおじさんが”すみませんそれ私のお皿なんですけど、すみませんそれ私のお皿なんですけど”っていったらチャックが僕に”変なおじさん”って言うから”あんたが変なおばさんなんだよ”って言ってるうちにおじさんが”私のお皿なんですから”、チャックが”あなたのお皿なんですか?お店のお皿じゃないんですか?”、おじさんが”お店のお皿なんですけど私のお皿なんです”(笑)≫
「三越のお皿じゃないんですかっていったんですけどねえ」
≪でもあなたが”変なおじさん、変なおじさん”って言って大変だったってお話をしたの≫
「みんなに回すまでは行かなかったけどこのお皿で取るんだなって思って取ったら”止めて下さい”っていうから家から持ってきたのかなと思って(永さん笑)変だなと思ってまあいいやって返したんです」
≪あなたは目の前を動いてくるお寿司を取り皿の要領でこっちへ取るものかと思ったんだよな。どの回転寿司でもそうなんだけど円陣を組んでるからどの客からも見えてみんなが集中して見てるからもうチャックとご飯を食べに行くのはいやだって≫
「昌子さんは笑ったの?」
≪笑ったの。僕は笑って欲しかったの。家の中がいつでも笑っているようにね。本当に笑っていることが好きでねお葬式の写真も笑っている写真を変に気取っているより≫
「彼女は自分自身でどのくらいかっていうのも」
≪分かってましたね。それで僕が前に描いたあの人の笑っている似顔絵があるんです。あれを葬式のときに使って欲しいというからもって来ました≫
「新玉美千代さんて言われてた人ですから。これにしようとしたんですが娘たちが」
≪美しい写真のほうがいいって≫
「昌子さんはこれがいいっていってたんでしょ」
≪そうですね好きで鏡台の横に貼ってました≫
「あなたとねえ金沢でばったり会ってねえお食事をすることになってお店に行ったら突然永さんがすみませんって言って電話を借りて”今からチャックとご飯を食べるから”って昌子さんにいってんのそれであなたそんなにしょっちゅう電話してんのって放浪したら一切連絡しない人だと思ってたから」
≪家にいるのが大好きだったんですね官僚の娘っていうことと次から次へ引っ越してたでしょ北京にいて引き上げてくる残留孤児の世代ですから自分の家にいるのが大好きでチャックの芝居へ行くのも芝居そのものは楽しく行くんだけどまっすぐ家に帰る≫
「そのとき電話してあとで車に乗ってからも電話してたからそんなにしょっちゅう電話しているの?って」
≪大体実況中継してましたね≫
「永さんがわかんないことがあると字引を引くよりも奥さんに電話したほうが早かった」
≪はい。知らない音楽でもねえ聞けば見事に帰ってくるっていう人だった。≫
「あれほど永さんのことを理解している人はいなかったでしょうね」
≪あの電話だけじゃなくて毎日はがき書いてたんですよ≫
「あなたが」
≪はいどこからでも。いまでもやっているんですよ≫
「亡くなったあとでも」
≪今電話しても出てくれないけどはがきは書き続けられる≫
「私は今もショックが残っているんですけど」
≪我々の付き合いって昌子くんもそうだったけど自動車の免許も一緒に取って≫
「あの方(昌子さん)面白い方でねあんなにきれいでかわいい方なのに自動車の免許取るときに永さん乗せてガソリンスタンドに行ってそこのお兄さんが”すみません前を開けてください”って言ったら”はい”っ言って自分の服を脱ごうとしたら向うが驚いて”イヤイヤ!ガソリン入れるんで前のボンネットを開けてください”ってそういう方でそれが大げさじゃなくて素敵だったの。それにわたし良く思い出すのは朝の4,5時に中村八大さんだの渥美清さんだのと一緒に行ってお茶を出せだのなんだのって行ってたじゃないでも嫌な顔一つせずだしてくれて。本当にきれいで」
≪今日はのろけさせてもらいますけど本当にきれいだった。暖かかった≫
「あなたがあごが外れて夜中にあごが外れてどうしようもなかったときに」
≪どうするあの話する。つまりあの頃は忙しくて寝てないその時に目を覚まさせようと両手でほっぺたを叩くじゃないですか。書いてて目を覚まさせようと片っ方の手で叩いたらそのままあごが外れちゃってマッチ(昌子さん)にそのまま起こしたら驚くから新聞に”あごが外れた。病院に連れて行ってくれ”って書いて寝てるところまで行って起こして見せてでもご婦人だからいきなり外に行くわけにはいかないじゃないですかだから”一人で行く”って書いて外に出てタクシーを止めて乗りました。”あーーーーー(あごが外れて声が出ない)”って言ってるんだけど行き先がわからない。また急いで飛んで帰ってきてマッチを呼んで≫
「奥様と一緒にいったのね」
≪行って夜中ですから先生がボーとしたまま起きてきてあごをはめてくれたんですよ。で先生がマッチに僕の顔を両手で抑えてくださいって言って昌子が僕の顔(永さんのほっぺたを両手ではさむ)を抑えたんですよ。そしたら先生が僕の顔を見て”ああ、永さんですね”って≫
「そういうふうにですね昌子さんは驚きもせず永さんが他の人にその話をするのを笑って聞いてたんですがさっき永さんからの亡くなった時のお知らせをいただいてまたその後いただいたんですが故 永昌子にいただいた御厚志は彼女自身が最後まで感謝し家族も感動した訪問診療の医師を通じて訪問医療医師会にその半分を、残りの半分は彼女の旧友黒柳徹子さんを通じて難民キャンプの子供たちに昌子を通じての皆様へのボランティアをご報告します。おとといアフガニスタンから帰ってきたんですけど今アフガニスタン零下20度近くになってます。難民キャンプの子供たちの毛布や手袋にさせていただきましたので」
≪でもあの人が家でいてくれたから僕が外でボランティアに飛び回っていられたということがありますね。飛び回るということについて訪問介護について言いますと遠藤周作さんが晩年とても辛い亡くなり方をしましたでしょ。心温かい医療っていうのはないのかということを訴えてその考え方に賛同した看護婦さんが介助ナースというのを始めたんです。いわゆる看護婦さんて大変な労働をしているじゃないですか私たちは介護の職人です職人としての支払いをしてくださいっていうグループなんですよ。本当に見事で昌子さんはクラッシックが大好きでそうするとクラッシックの話が合う人が来るんです。そこまで気を使ってくるんです≫
「いやだったら嫌と言ってくださいって」
≪それから娘も2人いますから変わりばんこに付くプログラムを組んでいったんですけど大変だったんですよそうすると家族も全部見てくださる。病院ではそれはないですよお見舞いに行った人を見てはくれないでしょ。だから遠藤周作さんは作品もそうですけど日本の医療を良くしていく事にこれだけあの方の仕事は役に立っているんだということを実感しましたね≫
「訪問医療っていうのはどの町にもあるんですって」
≪小さな町医者ががんばってるんですよ小さな町に行けば行くほどがんばってんの。で東京という町でそれが出来るのだろうかって思ったら出来たんですねそれが遠藤さんのお陰なんです≫
「沢村貞子さんも亡くなるまでは私ついてましたけどお母さんは病院では死なないって自宅で死にたいって言ったので私やマネージャーさんやみんなで介護してたんですけど一回お医者さんが来てよく分かってらっしゃる方が来てくださって」
≪結婚した当初に沢村さんに結婚した女房ですと言ったのそしたら沢村さんがあなた(六輔さんを)ちょっと向うへいってらっしゃいっていってちょこちょこと女房と2人だけで話をして戻ってきたんですよ。何言われたのって聞いたら”女房って者はじゅばんのえりですよ。出すぎちゃおかしい。出なくてもおかしい。覚えといてね”これを昌子さんは最後まで覚えてましたね≫
~CM~
「永さんが亡くなられるときの句をお読みになって”看取られるはずを看取って寒椿(かんつばき)”」
≪本当に看取ってもらえるかなと思ったら看取る羽目になってしまった。それから”今年から男やもめの日向(ひなた)ぼこ”。これ初めて知りましたけどやもめというのは女性のための言葉なんですね。男はやもおっていうんです。やもおという言い方が一般的ではなくてやもめ≫
「ああそうなんですか」
≪”妻逝きて半身そがれた空っ風”。なんか寒そうでしょ。あの昌子さんもそうだったんだけど今とても気がかりなんだけどテレビ見てるとガンという言葉が飛び込んできたりガンと戦っている方、ガンで亡くなった方とかが一杯出てくるじゃないですか。そのガンと戦ってる方にとってはズキーンとくるかっていうのが良く分かるんですね。そこで昌子さんが面白いことを言ったんですよ”私はガンで死ぬんじゃないのよ。ガンで死ぬ人は誰もいない。みんな寿命で死ぬのよね”ってとっても名ゼリフだと思うんですよ≫
「あなたが大抵心不全で死んだとか新聞に出るよねって言ったら”いや私の場合は胃がんで死んだ”って言っててあなたが先ほどお書きになったものを読んで知ったんですけど」
≪寿命。そう思いましょうよ。僕があなたを慰めている風でおかしいですけど≫
「あんなに素敵な女性は滅多にいるもんじゃなかったのでね不思議なんですけど永さんの奥さんがいらっしゃる限り私たちは安全だと思ってたので(涙。顔を覆う黒柳さん)」
≪はははははは(黒柳さんの手をたたいて慰める永さん)≫