本日の徹子の部屋ゲストは桂米朝さん

2002年4月19日

黒柳「本当にしばらくでございました。桂米朝さんですけど。人間国宝で重要無形文化財保持者ということですね」

米朝≪難しい話で≫

「で近藤正臣さんのことで」

≪去年ねえお寺で聞いたんです。清水寺参ったことありますかあの中に6つかなあ~茶店があります。全部近藤家の経営なんです≫

「あの方そういうこと言わない方ですから。でもお母様が京都でお店をされてますけど。」

≪話は幕末にさかのぼるんですけど西郷隆盛と一緒に海に飛び込んだ坊さんがいるんです。西郷さんは地誌も若かったし助かったけど坊さんは年もとってたし死んでしまった。あの人は勤皇の志士で京都や大阪で薩摩や長州の連絡係みたいなことをやってたらしい≫

「そのお坊さんが」

≪托鉢している格好でどこに入っていても怪しまれないのでね。新撰組や京都の所司代に追われると今日との清水さん(清水寺)に逃げ込んでいたらしい。で近藤さんのひいじいさんぐらいになるのかな、それが寺男のようなことをやっていて物置に(そのお坊さんを)かくまっていたんです。≫

「へええええ」

≪世話をしていたんですけどとうとう見つかってねえ(お坊さんは)逃げたんですよ30石舟に乗って逃げた。次の日に(幕府に)踏み込まれたんですけどお寺は(そのお坊さんのことは)知らんと。そんなんやったらあの男(寺男・近藤さんのひいじいさん)に聞いてくれということで(寺男は)散々に拷問にかけられてね。でも知らぬ存ぜぬでね旅のお坊さんやから親切に泊めてあげただけでねそんなことは知りません。でも拷問が苦しくてしゃべりそうになったんで舌を噛み切って死んだんです。≫

「ほおおお」

≪(寺男が死んだことによって)それでお寺に罪は及ばなかった。あの男が勝手にやったことで寺は何も知りませんということで清水さんは助かった。それで明治になってからその恩に報いるということで寺の周りの茶店の権利を(寺男の)遺族に与えると。何軒かあるけど全部”近藤某”。近ちゃんの従兄弟であったりお兄さんであったり叔母さんであったりする。≫

「そうなんですか」

≪そのうちの一軒大きな店には”舌きり茶屋”という大きな看板が掛かっている。≫

「本当なんですね」

≪それを噂に聞いたから彼に聞くと「そうなんですよ」と。ですから先祖は罪を引き受けてすごい自殺をしたということで。あんましこういうことは言いたくは無いですけど隠すことでもないですからこの前そんな話をしたんですよ≫

「近藤さんはそういうことを言わない方なので。でもあの方の血の中には潔いところがある」

≪さわやかな2枚目でしたけどねえ≫

「”でした”て過去形ですが(笑)」

≪京都のお寺らしいですね。幕末にそういう事件があったんですね。この話はあんまし知られてないんですけどすごい話であるということでここでしゃべらせてもらいました。≫

「うかがっていると1つの話のようにして聞いてたんですけど。でも近藤正臣さんがやってらしたお店のこともよくご存知だったんですね」

≪木屋町の三条上がったところにあったんですけどねえ小さいお店でねえお客が満員で私2度行ったんですけど2度ともお客になれなかったんです。落語会がすきでね学生の頃から来てました≫

「お母さんが?」

≪いや本人が。いやあ小さいお店だったけどよく流行ってましたよ≫

「お母様のことはよく聞いてましたけど切符のいいお母様ということで。でも戻るんですけど落語の話に。落語家生活55年でいらっしゃって桂ヨネダンジさんのところに入門なさって戦争が終わってすぐですよね」

≪あの頃はスーツに兵隊靴を履いてねでも大阪は一面焼け野原やから平気なんですよ。でも京都は焼けてないでしょ。京の着倒れでみんな戦争前みたいな格好している。ああ!!これだけ違うんかなと思った≫

「あんなに近いのにね。でも落語家になろうと思っても東京は大盛況で寄席も大繁盛でも大阪は大変」

≪本当に寂しいものでしたな。そこへ看板の方は次々亡くなっていきますから。もう滅んだなんて何べんも言われました。≫

「歳をとった方と若い方の間の方がいなかったり。でも今はすごいんですね関西の方の落語は?」

≪人も増えて人気のあるものも出てきて私は隠居さんみたいなものですけど≫

「今(関西の落語家さんが)200人いるんですよね?」

≪200人近くいます≫

「米朝さんのとこにも50人ぐらいいる」

≪孫弟子、ひ孫弟子までいます。≫

「名前を覚えになるのは大変でしょうね?」

≪名前は覚えてるんですけど顔と一致しないんですよ(笑)。ひ孫弟子なんかは私の弟子の弟子の弟子ですから顔はよくしっているし名前も知っているんですけどどっちがどっちやったかなって(黒柳笑)≫

「人間国宝になったのは助成金が出るので助成金は弟子のためにはとてもいいと」

≪寄席が無いでしょ。そうすると若い連中がしゃべる場所が無いんで小さい勉強会なんかをやってる。でもそれがみな赤字なんですね。会場代ぐらいは出ても自分らの出演料は出ないんでそれに足してやってる。そうするとみんなやりだしてね去年なんか足が出ました(お金が足りなくなって自分の財布からも出した)。≫

「やっぱり人の前でやってみないとわかんないことがある」

≪何十ぺん家の中でしゃべっていてもお客さんの前でしゃべるほうがずーーとプラスになります。たとえ受けなくても。そういうもんです≫

「落語家の方がここで受けると思っていても受けない時ってあるものなんですか?」

≪あるなんていうものじゃないですよ初めのほうはね≫

「その時はどういう感じなんですか?」

≪前の会場では受けたけどここでは受けないとなると会場にもよりますがどこが悪かったのかなと悩んだりしますけどねえ。当たり前や無いか駆け出しがそう受けるもんやない≫

「笑わせるのは難しいということですか」

≪黒柳さんも女優としてですよはじめての会場、初めての土地に行った時は緊張しませんか?」

「今舞台で九州移動しているんですが舞台終ったらすぐに移動してとかここで1日やったら移動してとかあるんですけど初めてのところはどうなんだろうって劇場の大きさとかねえ」

≪私でも緊張しますね≫

「でも東京にいらして長い話をされたのはいつごろでしょうか?」

≪こっち(東京)で独演会をやらせてもらったのは昭和41年でしたと思うんですけど。こっちも40ぐらいで若かたし長いもの(長い話)を3つ並べてね≫

「1つのものが本当に長いんですってねえ」

≪ああ地獄八景というのは特に長いんですよ。あれは1時間20分ぐらいあるんですよ。あと2つぐらい長いものを出してね。独演会と称して昔は4席ぐらいやったんですよ。その中には短いものもあるんですけどなんと言っても200人ぐらいの昔の寄席でしょう軽い調子でやってもやれるんです。ところがねえ1000以上になるとね体力というか気力がだめになったんでそれで私は大きいところでやるのは止めようと去年宣言したんですよ≫

「でもこの間大阪でNHKの新しくできたホールで」

≪あれは1400ですよ。うわーーと思て。ここでやるのかって。でもあの日はお客も良かったし顔ぶれも良かったし良かったんやけど。その前にも大阪のサンケイホールとか京都の南座でやってたんですけど、4月の29日に東京の歌舞伎座で大きいところでやってくれと言われて≫

「最後とお決めになったんですか?」

≪最後です。まあ5人も6人も並んでやる時は私の調子が悪くても変わりはきくんですけど独演会というと責任者ですからな病気にもなられへん。≫

「での喜寿の記念としてさっきもおっしゃられたように歌舞伎座でやられるんですけど。喜寿っていったら77でいらしゃるんですか」

≪去年は数えでも77でして。もう満まで待ってたら死ぬって言われましてねそら可能性はあると思いましてね去年やったんですよ。で東京でもということで≫

「まだお若い76ですもの」

≪80過ぎたみたいにいいはんな(会場笑)≫

「でもこれが最後と思ってやるのも必要なことなんじゃないですかね」

≪やっぱりねこのごろは本を読むのにも気力体力がいるということ。ちょっとした本でももう読めない≫

黒柳「まあ噺家さんには御茶屋さんで遊ぶということは非常にプラスになることだそうですが」

米朝≪仲居さんという人がいてお客さんにお茶やお酒をもって来る仕事なんですがこれが中々大変な仕事で気遣いというものは。むかいしゃ金が無かった時代でも楽にあそばしてもらえたのは三高とか京大とかの学生は将来いいお客さんになる可能性があるので割りと安く、またこうやったら安くなるということも教えてくれるんです。わたしもなじみになったらおばあさんばっかし≫

「(笑)芸子さんが」

≪小松左京がよく言いました芸子の年齢をたすと200超すと(会場笑)。≫

「小松左京さんは米朝さんおおっかけみたいなことをやってらしたそうで」

≪ええおかしな人で。それで私とお婆さんを残して舞妓さんはみんな出て行くんですね12時過ぎると値段が高くなる。安い間だけいてくれる≫

「こっちに負担が掛からないようにしてくれる」

≪だんだん馴染みになってくると一番安い遊び方でね付きだしなんかは出ますねそれ以外に鍋焼きうどんをこしらえるんです。火鉢があってそこに乗せて置くといつまでもあったかい。上に乗ってるもので一杯のんでお腹が減ったらうどんを食べる。≫

「じゃあお料理なんか頼まない?」

≪頼まない。これが一番安い(遊び方)お茶屋は儲かりませんけどなあ。それが私がそこそこ稼ぐようになると12時まわってもなかなか返りませんわな。(お金が)取れるようになったからってなもんで。冷房装置が無い自分先斗町の方では”床”というものがあった。今の芸子は床は喜びませんねクーラーの方が涼しいから≫

「それでおばあさん芸者のかたは何か面白い話しをしてくださった?」

≪昔の仕来たりとかねこういう遊びをした人がいるとかね。若い頃は綺麗やったやろうなって思うし。綺麗な字を書くみんな≫

「お箸にちゃんとお名前が書いてあるんですって」

≪あれで驚いたのは突然行っても”米朝旦那様”って書いた箸がおいてある。墨が濡れてたら来てから書いたって分かるんですけど濡れてないからちょっとうれしいんです。来るかもしれんという人のはみんな書いてある。≫

「サービスってそんなものなんでしょうね」

≪ですから10円の電話(電話をかけたときも10円請求する)とかはちゃんと書いてあるんですけど靴を磨いてくれてあったり、夏なんかに行くと「シャツ脱ぎなはれ」とかいって浴衣なんかを着てそのシャツはちゃんと乾いてるんですよ。金の掛からない気遣いというかね≫

「でも電話代10円はちゃんととるんだ」

≪それはとります。≫

「いつ来るかも知れない人の名前も書いておくとお客様は何十倍もうれしい」

≪俺はここの店ではちょっといい感じの客かいなという気になるんですよ≫

黒柳「京都の商売のしかたは上手なんですね。習わないといけません。本当にお話を伺っていると相手の方の気持ちを良くするということに関しては(京都の方は)本当にお上手なんですね」

米朝≪そうですね(黒柳さんも)体験はおありでしょう≫

「そうですねNHKにホテルがまだ無かったんですよ。で1回御茶屋さんに泊まったことがあったんですよ。そこの仲居さんがどうしてこんなに気が利くのかというぐらいで。朝お風呂に入りませんかというので入ったんですよ。出る時になったらじゃあこれって(バスタオルが)でてきて、お部屋もスッときれいになってて私が何か欲しいものがあるとサッと出てきてね私は穴から見てるんじゃないかと思ったぐらいの。私は一生忘れられないと思いましたね」

≪仲居の修行を本格的にした方は減ったでしょうかね。≫

「「お風呂入りませんか?」とか「」ご飯はどうですか?」とか言うんじゃなくて「お風呂沸いとりますけど」っていう感じで本当に気持ちのいいものでしたね」

≪うれしくなってねなんかご祝儀置かないとしょうがないようになるでしょ≫

「そうなんですけどでもお若い時になりたかったものが実は野球の監督とオーケストラの指揮者とお風呂屋の番台にすわりたかった」

≪いやいやこれはねなりたいというのじゃなくて男がよく冗談で言ったんですね。男の3大願望はまず野球の監督というのはね「ピッチャー変えろ!!」とか「代打!」と偉そうに言えるのはちょっと(他の職業には)無いわな。風呂屋の番台というのはまあ女湯が見られるということなんだろうけど(黒柳笑)。オーケストラの指揮者というのは何十人をね≫

「その中でもオーケストラの指揮者はおやりになったことがある」

≪やらせてもらったんですよ。大フィルがヨーロッパに行く時にねオイルショックの時で急に助成金が出なくなってね金集めをしなくてはいけなくなってある人が思いついて「(米朝さんに指揮棒を)振ってみなはるか」って。それでワーと人集めをして≫

「朝比奈隆さんが振ってたところですよね。」

≪でこれだけ(基本的な振り方。1パターン)を教わったの≫

「カルメンの序曲を」

≪アンコール曲を用意しなくてはならんということで≫

「大変。でも面白かったですか?」

≪それはもう。でもそれだけでは申し訳ないんで20分ばっかしおしゃべりをしましてこれがドッと受けましたけどなあ。横で聞いてる団員のみなさんも噴出してました≫

「それは良かった。その後オーケストラの皆さんはヨーロッパのほうに行かれたそうですね」

≪ええそれで行けたんですよ。≫

黒柳「まだこれで終わりにするとは言わずに続けていただきたいんですが77歳になられた記念に歌舞伎座で「桂米朝の会」を歌舞伎座で4月29日にこれは祝日ですね午後の3時に」

米朝≪”百年目(会で話される話の題名)”というこれは長い話ですけどね。難しくて≫

「これはお若い時に師匠がやってられるのを見ていいなと思った」

≪これはねああいう大きいところでどうなるかということで≫

「それともう一つ」

≪”一文笛”というのはわたしが作った自作の話で40年前に作った話なんですが≫

「それとご一緒に桂吉朝さんというお弟子さんですけど。それと桂ざこばさん。吉朝さんはとても」

≪ええこのごろぐんぐんと出してきましたね≫

「米朝さんはこれで最後になさるということなので」

≪小さいところではまたやりますけど大きいところでは(最後です)≫

「まあ、またおやりになると思うんですけど。ありがとうございました」

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