2002年5月24日
黒柳「よくいらして下さいました。嘉島典俊ってどなたかなってお思いの方もいらしゃると思いますがあの”チビ玉”って申し上げれば「ああ!!あの」女形をやっていた小さい子がこんなに大きくなったのかってお思いになるかと思いますけども。女形が可愛くて玉三郎さんみたいということで”チビ玉”と呼ばれていらっしゃったんですけども。小さいのに色気があるようでね。それにしてもあなたはいろいろな今の女の子を、ヤンキー座りしている女の子からずいぶん研究してるんですって?」
嘉島≪そうですね。女形を演じる役者さんは大勢いらっしゃるんですけどもやはり少し違う形と言うか僕がやる以上は何か人と違う事をしたいなっと言うことがありまして渋谷の町では(女の子が)あぐらをかいてたりいろんな光景を目にしたりするんですけども、それを見てるとどんなに男っぽくても中身は女性。僕達男がそれを演じると男になってしまう。かわいらしさ。綺麗はもちろんなんですが可愛い女性を演じられたらいいなっと≫
「チビ玉をやってらしゃる頃からお顔が変わってらっしゃらなくて小さくて本当にいい按配ですね。いい按配って(笑)。本当に月日が経つのは早くてこの前こちらに来て頂いた時は17歳。」
≪12年前です≫
「もうじき30(歳)で。全然そんな風(もうすぐ30歳)には見えないですよね。もっと若く見られるでしょ21,2とか」
≪そういう風に言われます≫
「でも男役も青年役もやってらっしゃるんですけどもなんと言ってもね。あなたは(転校を)小学校が41回なんですけども中学校は23回。お芝居の関係なんですけども、その度にお母様が転校届をねえ」
≪大変だったと思いますけどもこの年になって29なんですけどもやっと親の苦労がわかりますね。その頃は子供ですから眠いとか遊びたいとかそういう時期ですから。(転校によって)友達が変わるというのも嫌でしたし授業についていけないというのもありましたし。あの転入して1時間授業が終ると(クラスのみんなと)仲良くはなるんですけどもそこは子供なんで。親は大変だったんじゃないかなって≫
「ちゃんと転校・転出をお母様がいちいちちゃんとおやりになったからそれだけの数転校した。そうでなければここんところはまあいいかって旅回りをやってらっしゃるわけですから。お母さんも旅回りの女優さんで」
≪そうです≫
「小学校は行くんだよと言う事で41回も転校して中学も23回転校してとにかく学校はちゃんと行きなさいって。そういうことでいじめられたりもあったんですけどもあなたが学校に行っていろいろお話をされる時に自分の姿でこうなるんだってビデオを作ってらっしゃる。みんなびっくりするでしょ」
※嘉島さんは学校で講演もされている。嘉島さんが女形になるまでの化粧の仕方、舞台での姿などをビデオで学生に見せる
※講演=人前で話すこと
≪そこからみんな目がキラキラとしてきますね。≫
「お話だけだと子供たちは何の事かわかんないですからね」
~VTR再生~
「フフフ(笑)可愛い。自然な女の子のしぐさが難しい?」
≪やはり形と言うのがあってこういう風にしなさいと言われる中で自分で工夫をする分には楽なんですけども、何もない雰囲気を出すって言うのが自然なんですけども男でも女でも一番悩みますね≫
「それでいて魅力がないとねー」
≪そうですね。やはり華やかさであり綺麗でないと≫
「でもお客様がワーって言ってくださると面白いなって。」
≪自分が悩んでて歓声とか拍手がたよりなんで声援をもらったとかやったとか思いますね。少し(拍手や声援)が外れると「違うな」って日に日に改善していくんですけども。いつも葛藤ですね≫
※葛藤=2つ以上の対立する欲求が同時に働いて、そのいずれを選ぶか迷う状態
「何十回も転校してお友達はできるんだけどもすぐにお友達と別れなければいけないって。それで俳優やってるからって(学校で)いじめられたりとかも?」
≪ちょうどいじめられたりとかも中学に入ってからなんですけども。スポーツは野球は知ってたんですけどもバレーやバスケのルールがわからなくて(いじめっ子が)「お前はそんな女形をやってるからスポーツもできないんだろう」って。僕は言う言葉もななったんで(嘉島さんが)「口惜しかったら僕と同じようにこの仕事(俳優業)をやってみろ」と。僕はこれで食べていくんだからと。その頃には決意があったんで。そういうことを言うしかできなかったなあっと≫
「でもそういう話を中学生になさったりすると」
※嘉島さんは中学校などに行き講演をされている
≪しますね。僕はいじめる方もいじめられる方も両方やってるんで今やってる人は相手の立場に立ってみて考えてみてくださいと。どちらが気持ちいいか。けしてどちらも気持ちよくはないと。けんかはしても良いけども友達と親と先生を大事にして自分の夢に向かって進んでいって欲しいと偉そうに話してるんですけども(笑)≫
「ビデオなんかを見せたりね。みんな分かるんでしょうね」
≪そうですね。こう裏方さんの映像なんかもあるんですけどもやっぱり最初は華やかな芸能界に入りたいとか夢があるんですけども(裏方さんの姿を)見ると”人を支える仕事につきたいと思います”という言葉をもらえるんで良かったなあって≫
「みんなでやらなければいけないんだって」
≪やはり1人では何もできないじゃないですか。支えてくれる人がいて僕がスポットを浴びる時には(スポットを)当ててくれる人がいる。綺麗にみせてくれる人がいる。こういう人たちが”勝手にやれよと”行ってしまえば輪が欠けてしまうと。そういう大事さを一番話しますよね≫
「あなたのお母様は女優でお父様はジャズを」
≪はい≫
「ジャズドラマーでいらしたんですけども、まあ(嘉島さんは)楽屋で育った赤ちゃんだったんですけどもあなたはずっと楽屋で泣いてるんですって?」
≪なんか始まる前から終るまでずっと泣いてたみたいですね≫
「みんなも忙しいからかかわってあげられないからお母様が花道のところに出て行ってもあなたの(泣き)声が聞こえるんですってねえ?」
≪やっぱり(泣き声を)遮断してやってたっていう話は聞きました≫
「でもすごいのでお母様は一時女優を辞めて」
≪辞めまして≫
「であなたは普通の幼稚園に行って」
≪はい小学校の1学期までは普通の生活を≫
「(お母さんは)保険の外向をやったり」
≪セールスを≫
「とにかく(舞台が)終ってお母さんが抱くまで泣き止まない子で。やっぱり誰かにかまってもらいたかったんでしょうね」
≪だと思うんですけどもね。親が抱いてもいいし他の人が抱いてもいいんですけどもね。学芸会とかもあったんですけども学芸会に立つことすら苦手だった。人前で何かするというのは考えられなかったですね≫
「そうなんですってね。チビ玉さんですからね小さい時から「やるやる」って言ってると思ったらあなたは(舞台に出ることが)嫌だったんですってね」
≪時代劇は好きだったんですが時代的には”銭形平次”とかチャンバラものは好きだったのでできればやってみようかなっていうのはありましたけども≫
「でもあなたが女形になるとは誰も考えてなかったでしょ。もし舞台に出るとしても男の子の役で出ると。どなたのイメージの中にもあのかわいいチビ玉になるとは考えてなかった時ですよね。そこまででなんでチビ玉になっていったかっていうのをね。ちょっとコマーシャルに」
≪はい≫
黒柳「あのチビ玉さんが嘉島典俊さんだってみなさんまだ引っ付かないと思うんですけどもまだできた(改名した)ばっかしで2年目?」
嘉島≪2年目になりました≫
「桜光洋(みつひろ)さんとおっしゃってその次が白龍(はくりゅう)光洋でこのころにチビ玉と言われてたんですね。」
≪そうですね。≫
「片桐・・・」
≪平成元年に片桐光洋と改名いたしました。≫
「それがわりと長かったんですね」
≪そうですね12年間使わせていただきました≫
「それにしても全部同じ”光洋”だったのでみんな”みっちゃん”って呼んでたんだけども今度は”のりちゃん(嘉島典俊なので)”になって。実は初めから女の子(女形)ができたわけじゃありませんで銭形平次なんかを見てチャンバラやるならいいということで一応お母さんも女優に戻れるので保険の外光なんかをお辞めになってあなたも劇団に入ったのですがあなたが男の子をやってたときはみんなからずいぶんあれだったんですってねえ」
≪セリフ覚えが悪いんでまず干されて何やってもダメだったんですよ。ただ与えられたのは踊りだけ、昔はレコードが3、4分だったのでその時間は自分の舞台だということで(舞台に)出るまでは怒られてるんですけども出たら自分の世界なんで出てるときは自分の時間だと。戻ってきたらまた怒られるんですけども。≫
「ああいう旅回りの俳優さんたちは甘やかさないんですってねえ」
≪各先輩に尊敬のまなざしがありましたので(嘉島さんが)化粧するのに時間がかかってると何でそんなに時間がかかるんだと役者は顔じゃないんだと。これだよこれ(腕を叩く)と。腕をどうするのかなと思いましたけども≫
「わかりませんよね。腕に力を入れるのかなって」
≪技術と言っていいのか知りませんが実力をつけてからだよという意味で。もし暇があったら(舞台の)袖にいってお芝居を見なさいと。言われてることは全部わかるので見てると袖といっても狭いので「じゃまだ」と≫
「お前なんでそこで見てるんだと。」
≪で次は花道だとあんまし使わないんで見てると。≫
「それで容赦しない。大人と同じように扱ってそれでダメな子だ。芸はうまくなんない、セリフは覚えないというのがあって今のようなチビ玉にすぐになったわけではないというのがねみなさんびっくりすると思うんですが」
≪小学5年生まではそういう時代を送りまして≫
「ずいぶん傷付いちゃいますよね」
≪というかゆってもダメやっても怒られるんだからというのを全部自分の中に入れてとにかく「ハイハイ」と。ただ踊る時だけ踊った時だけは誰にも言われないんでそれを口惜しかったら舞台にぶつけるという≫
「でも(女形ではなく)男で踊ってですよね」
≪その内目がいいとか言われて流し目してるとか。自分ではそういうつもりはなかったんですが。それからですね色気を出すのに女形を勉強した方が男をやってる時でも立ってる時に色気を感じないと役者はダメだからということでやってみなさいと言う事で女形を≫
「でもやっぱり白く・・・」
≪塗るのが嫌だったんです。落とすのが面倒くさくて。それでやったらたまたまチビ玉って言われて。≫
「バーと人気が出てそしたらみなさん怒らなくなったの?」
≪コロッと手のひらを返すように(黒柳笑)それこそ光洋坊ちゃんとか。何か気持ち悪いなと(笑)。でも周りがそうなると天狗にさせちゃいけないということで親が怒ってくれるわけですよね。≫
「大体どこの一座でもそこんところ(座長)の坊ちゃんが女形をやったりする。あなたのお母さんは座長じゃないから」
≪平座員ですね≫
「平座員の子供がいきなりスターになるのは割と少なくて、でもまあ人気が先行して」
≪そうですね先行しちゃってやりたくないということではなくて何がなんだか分からなくなった1年間だったんですよ。これはまいったなあと。化粧の勉強もしなくてはいけないし≫
「初めは自分でやるとムラムラでしょ」
≪それは通り過ぎて今まで眉毛とかを書くのは男の化粧で勉強してたんでそれを女に。男の人が化粧をすると少しシャープ気味になるんできつい顔になるんですね。やっぱり愛嬌のある顔、かわいいという顔を作る事をテーマにしてたんで中学を卒業するまでは女形に対するコンプレックスというかプレッシャーというのはありましたね≫
「かわいいチビ玉チビ玉と言っていたときは5,6歳に見えたんだけどもあの時は11歳ぐらいにはなってたんですよね。私あの頃6、7歳だと思ってたんですね。でもまあ11歳と言ったら小さいですよね小学生ですから」
≪そうですね≫
「あなたの妹さんは妹さんで女形をやって”首振りスター”と言われて妹さんは女の子だから女形をやるんだけどもこれ兄妹2人で出てるんでまた人気が大変ですよ。いくつ違うの?」
≪4っつですかね≫
「”首振り”って決まった時にずっと首を振ってるんですって。それが可愛いんですってねえ。でも11歳になってチビ玉と言われるまではずいぶんの苦労があったというのがわかりますよね」
≪苦労と言うか当たり前のことを言われてるんですけどもね≫
「三味線はいつからやってらっしゃるの?」
≪中学卒業してからですね。僕は高校は行かなかったので親が同級生が高校に行ってる間にお前は何も勉強しないというのはないだろうと。行きたくないからっと言って高校には行かないのか。何は稽古事でも自分で探してやりなさいと言われて三味線やろうかなというのがきっかけです≫
「今吉田兄弟を初め津軽三味線は人気なんですけども津軽三味線をお選びになったのね。コマーシャルを挟みまして弾いて頂きますので」
≪はい≫
黒柳「それではチビ玉さん高校にいらっしゃる代わりに勉強すると言う事で津軽三味線をおやりになられました。ちょっと聞かせていただいていいですか」
嘉島≪はい。≫~演奏開始~
「まあどうもありがとうございました(拍手)。でも津軽三味線というのも力がいると思いますけどもあなたはドラムもやってらっしゃる」
≪はいドラムやってたんで(三味線を)叩くのに最初1,2年かかるんですけども。ですからパンチ力はあったみたいですね。≫
「私も三味線やったことあるんですけもバチに手を広げるのがなかなかできないんですよね。それと三味線が固定されないでズルズルとずれちゃうんですよね。」
≪津軽の場合は抱え込むんで≫
「でもあなたは(小・中)学校行きながら舞台もやるわけですから大変ですよね」
≪そうですね毎日大衆演劇は日替わりで出し物がありましたのでその稽古をしながら学校に行く。で稽古してもらうんですが夜中の2,3時ごろまで稽古帳付けてそれで学校に行くんですけどもそこで稽古帳を見てると先生が「お前はないろいろあると思うんだけども勉強も大事だが今日はセリフを覚えろ」とか言ってくれて先生にも恵まれました≫
黒柳「さて明日から舞台が始まる」
嘉島≪はい。≫
「亀有のリリオンホールというところで明日明後日と。それから全国を回りになる。”残菊物語”。嘉島典俊さんが現在のお名前なんでお間違えないように。この名前自分で考えたんですって?」
≪そうなんです。≫
「いろいろ考えて字引も開いて”喜びを加える”というのが嘉島(かしま)の嘉(か)なんで。ご成功を祈ってます。お父様とお母様はお元気で?」
≪はい元気です≫
「妹さんもがんばって。それじゃ」