2002年6月6日
黒柳「今日のお客様は沖縄の伝統的な染色「紅型(びんがた)」の作者でいらっしゃいますが15代継承者城間栄順(しろま えいじゅん)さんです。このような型を残しになるのは大変なことだったそうですが。私が着させていただいてるこれですけども、これは普通の訪問着という」
城間≪はい、あの~30年近くになりますけども沖縄が日本に復帰したんです。紅型といえば踊り衣装とか氏族王族の衣装として庶民のものじゃなかったんです≫
「普通の人は着なかったんですか?」
≪まあそういうことで30年前に復帰しましてね。日本に復帰したんだから日本の着物の1部として紅型もやろうじゃないかという考えでね。もともとは古典があれなんですけどね。≫
「ちょっとみなさまいいでしょうか(※黒柳さん立ち上がる)この中にはずいぶんいろんな種類のお花が」
≪沖縄の場合は図柄を見ても分かるんですが季節がないというのが特徴というか。古典柄にあるものを訪問着にアレンジして≫
「ずいぶん大胆な模様ですよね。これはナシジという生地で」
≪はい。素材がね≫
「これは全部自然のものから?」
≪はい。≫
「この水色は沖縄独特のものだと思うんですけどもこれは何で?」
≪・・・なかなか言えないことなんですけどもね≫
「ああ!!秘密なんですか?」
≪いえ秘密と言ってもね元々は沖縄の琉球藍というところから色をとるんです。それで何回も重ねると紺になりますしね。≫
「これは沖縄独特の色で」
≪沖縄の海の色、空の色と言いますかそういうところから強烈に浮かんできたのが地色だと思います。≫
「美しい空と海という感じがします。(栄順さんの)お父様が大変な作者でいらしたんですけども今日のお客様は15代継承者と言う事で大変だったと思いますけども。次に黄色い地のものは高貴な方が?」
≪黄色い地の衣装は高貴な方のお召し物として、あとは踊りの方が付けるといわれてますけども。≫
※黄色地の衣装が登場
「これも振袖?」
≪振袖です≫
「よそ行きの振袖と言う事で。いまはどんどん黄色を使ってらっしゃるんです」
≪まあ戦後はですね日本の着物として振袖も訪問着もいろいろ作ってきました≫
「どういう模様なんですか?」
≪これはもともとの古典柄の大風呂敷があったんですよ。風呂敷を使うわけにはいかないのでこれを振袖にはめ込んで鶴亀のお祝いのとかをね。風呂敷にはたくさんの柄があるんですよ。1枚をはめ込むとそれで埋まりますからそれをイメージして≫
「紅型の風呂敷と言う事ですか?」
≪はい。風呂敷は使わないんですが昔はこういうのを使ったということで着物の柄に仕立てたんです≫
「それにしても大胆な柄で外国の方が見たらモダンだとお思いでしょうね。これはお祝いの時の振袖だそうです。また海が美しいと言う事で海もずいぶん模様になってるんですね」
※モダン=現代的であること。現代風であること
≪はい。≫
「次にご覧いただくのは海のもの?」
≪そうです。沖縄の海はサンゴ礁ありあと海藻が一杯ありますけども内なんか子供の頃から海が身近ですよね。海中メガネでのぞいてみるとさんご礁の世界、貝の世界、魚の世界がねのぞいたところに見えるって言う≫
「ああじゃあこの丸いのは水中眼鏡から見た海の中の」
≪マドエというんです。メガネでのぞいたらこういう世界があるって言う≫
「メガネでのぞいたところのこういう世界がまた別の世界でパッとこういう風に入っているのが模様になっていていいですね。かわいい。本当に沖縄でなくてはと言う感じがしますけどもそしてその中に紅型(ビンガタ)の形でお入れになっている」
≪だから青い魚でも赤くなって見たり色の調整をしながら紅型風に色を付けていく≫
「ただ紅型というのは紅(くれない)の型と書きますから赤と思いますけどもそうとは限らないんですよね?」
≪紅型というのは全ての色を紅(ビン)と言うんですよ。で色さしの事を紅さしんと言うんですね。≫
「でも海の模様とかメガネでのぞいたところが模様になるのは可愛いですね」
≪小さい頃から海しかないものですからさサンゴ礁をのぞいたり海が引いたり海藻の下には生き生きとしたいろんな世界があるという。≫
「面白いのは図案なんですけどもいろんなものが何でも図案になるという。ヤンバル船という船があったそうで」
≪ええ、20年前の幻の鳥と言われてますけどもヤンバル船というのは今みたいに飛行機が飛んできたり機械船が来たりはしないですから帆掛け舟の大きいのでね北部と那覇とのね陸路が無いものですからヤンバルから帆掛船で何十トンも砂糖とか農産物とかを運んできたのがこのヤンバル船なんですね≫
「あら~帆はこんな色してるんですか?」
≪こんな色ではないと思いますが。時代によってヤンバル船は無くなりますけどやはり昔は生活の糧として沖縄にはこういう船があったよと。図柄も残しておけば代々ね見て楽しめるし、また付けてもらえれば昔を思い出してこういう生活もあったという。≫
「それから帯もお持ちいただいたんですよ。この帯の模様は?」
≪いまではポイント柄と言ってタイコと前柄に仕立ててあるんですけども。テーブル珊瑚といってねもう同色みたいな感じでよく見なければ分からない魚もいればまた極端なあれもあります。≫
「テーブルのような珊瑚があってその上にお魚がいる。そのお魚が図案化されている。身近にあるそういうものが図案になるというのはすごいなって思うんですけども。」
≪紅型やって良かったと思うのはこういう身近なね海に潜ったりしますとね何かこういう風にしたいとかね発想がね≫
「なんだってあんな近いところにお魚がいるんでしょうね?」
≪魚の習性と思うんですけどね≫
「10mも行ってシュノーケルで潜ると人間は食べられるけどもお魚は食べられないウニっていうのがあるんですね。つぶしてやらないとお魚も食べられないのね。硬いものでつぶしてあげたんですね、そしたらみんな寄ってきてね。おまけに貝の中に入っているのも出たり入ったり出たり入ったりくんならいらっしゃいって言うんですけどもね。」
≪(魚はウニを)食えないというんですけどもね大きいカワハギとかはねウニを食いつぶすんですよ。そのあまりをね小さいスズメダイとかがですね群がるんですよ。≫
「さて15代継承者でいらっしゃるんですけどもお父様は14代ということでこのお父様が大活躍なさったわけなんですけどもコマーシャルを挟んでお父様の作品と紅型を残すのが大変かという話を聞かせていただきます。」
≪はい≫
黒柳「さてここにあるのはお父様がおそめになったお父様は城間栄喜さんとおっしゃるんですけども。これは踊りの?」
城間≪踊りの衣装です。≫
「桜とか松とかあやめとかいろんな模様が入ってますね。沖縄にはしだれ桜とか菊とかは昔からあった?」
≪しだれ桜というのは見た事は無いんですけども沖縄には昔絵師奉行というのがありまして本土にも江戸のぼりといって18回も江戸に行ったということですけどもお医者さんとかいろんな人と船団を組んで行って勉強に行ったと思うんですよ。その時に沖縄に無いようなね植物を取り入れたと思うんですよ。≫
「それから沖縄といえばバショ布とみなさん思いになると思いますけどもあのバショの?」
≪はい。イトバショというねえバナナの種類なんですけどもものすごく繊維のつよい種類があるんですよ。≫
「これを見ると地味かなと思うかも知れないんですがクローズアップしてみると面白いものが模様になってるんですね。お家がありまして」
≪オオギミ村という沖縄のちょうど北側になりますけどねキジョガワというところを中心にバショウの木を植えて3年もかかって糸にするっていうんですけども。≫
「そしてこのギザギザに見えるものが」
≪あの上下に棒を差し込んでねバショウの糸を突っ張ってるんですね。≫
「干して伸ばしているものが図案になっている」
≪こういうものを着物にしたいな図案にしたいなっていう親父の発想でしょうね。それと親父の気持ちとしては人が生き生きというねまあ本人は苦しいかもしれませんが何か息吹があるって言うね≫
「生活してるていうね。これはどういう模様なんでしょうか?」
≪これは古典柄にある模様なんですが。しだれ桜に横に霞がはいってますがのどかなっていう。これはね親父が今から30年前になりますか古典柄を綺麗にこういう風に柄合わせをしましてね本当にほれぼれするような図柄の構成といいますかね≫
「桜と菊が入ってますね」
≪沖縄の場合は桜だから春だとか秋だから菊とかじゃなくてごちゃ混ぜにして色で統一していくというね元もとの紅型の面白さなんですね≫
「その季節に着なければなんないと言うわけではなくいつでも着られる。紅型のすごいところは一目見て紅型と分かるところが特徴ですものね。沖縄は日本で唯一アメリカ軍がきて地上戦があったところと言われております。ほとんどのものは焼失してしまいました。お父様がどういう風にしてこれを残しになったかと言う。残念ながらお父様の栄喜さんはお亡くなりになったんですがお父様のお作りになったものの中ではお宝だと思います。それではちょっとコマーシャルを挟みましてそのお話をうかがわせていただこうと思います」
≪≫
黒柳「あれだけなにもかも焼失してしまった沖縄でなぜ・・・この紅型は型でお作りになるもの?」
城間≪はい≫
「お父様は戦争中物が全然なくなっちゃったものだから大阪に行けば布地も染料も手に入るという事で大阪にいらっしゃる時に向うの人にも教えてあげると言う事で50枚型をもっていらっしゃった?」
≪はい、そのときはうちなんかはちっちゃいから分かりませんけども、そういうことで行ったのはいいですけども戦争に巻き込まれて≫
「お父様は沖縄に帰って来れなくなった。アメリカの潜水艦とかがいますから。沖縄の方ではお母さんと栄順さんと・・・」
≪弟と妹ですね。≫
「疎開をしなければ行けないということで船に乗って疎開を九州のほうに」
≪はい≫
「その時に有名になったんですけども疎開しようとして子供たちの乗った船が」
≪対馬丸ですね。≫
「(対馬丸と)同時に出た船に」
≪同じ船ではないんですけども3隻同時に出たんですよ。交互にね。そのときにね対馬丸がね(アメリカノ潜水艦に沈められた)≫
※栄順さんの乗った船は無事九州に着いたが対馬丸は沈められてしまった
「お父様は大阪で徴兵されたりなんかして全然帰れなくなって。栄順さんは九州のどこにいらしたんですか?」
≪阿蘇です≫
「栄順さんとどなたと?」
≪弟ですね。≫
「お母さまと妹さんは」
≪沖縄ですね≫
「お亡くなりになったんですね」
≪弟ですね。3男坊の方が。≫
「沖縄ではたくさんの人数の方がなくなりましたから。そういうことがたくさんありましてお父様が沖縄にお帰りになりましたらばお父様はどんな事が合っても紅型を復興させたいと。その(大阪に)持っていった50枚の型が残ったというだけしか残らなかった」
≪そうですね≫
「型はシブガミというもので作るそうですが当時こういうものが無かったのでお父様はそちらにあります、これも拾ってきたんですって」
≪日本軍の壕の中から拾ってきた地図なんですよ。≫
「地図をお父様は拾ってきて」
≪秘密地図を拾ってきて。壕からね≫
「そしてジワショが無いので進駐軍のゴミ箱の中にあったシーツを拾ってらして(着物にして)そいsてこれが一番すごいんですけども今も使ってらっしゃるんですが」
≪筒ですね。鉄砲の先なんですよ。≫
「これが今でも案外使える」
≪これが重量感があってね≫
「それで赤い色がどうしても無かったので女の人が捨てた口紅とかを使ってお作りになったそうですけども。見事な作品で(城間栄喜さんのシーツで作った作品を指して)これができた時お父様はお喜びになったでしょう?」
≪本当は自分で踊り衣装を作って踊ったのは親父じゃないでしょうかね?(※踊るぐらいうれしかった)本人が喜んでね。おどっりよってましたよ≫
黒柳「終戦当時栄順さんはまだ小さかったんですけどもお父様についてこの紅型(ビンガタ)を勉強なさったんですが、やはり当時落ちていたメリケン粉の袋で最初にお刷りになったのがこれです。全部拾ってきたもので色をつけてそして「お父様は何とか昔の紅型を復興させようと。その時お父様はまだ31歳なんですよね。31歳ですごい方がいらしたんだろうと思うんですけども。この方の作品、お父様がお作りになったシーツの着物、このメリケン粉の袋で作った型も全部出ます展覧会がございますのでぜひみなさんご覧いただきたいと思います。6月12日から17日まで横浜の高島屋。19日から25日までは日本橋の高島屋。もちろん今日のお客様の作品もでますしお父様の大事な大事な復興させようという情熱のこもったものがたくさん出ますのでぜひご覧いただきたいと思っております。このシーツでできた時に踊りの衣装ですがお父様がきて踊ったっていうのは涙が出るような気がします。なにもかも無くなってしまった中から沖縄の方たちは伝統をこういう風にこんにち盛り上げたんだと思うとね涙が出ますけども、これから栄順さんもますます皆さんにお教えになってたくさんの作品を」
城間≪いやあファンがある限りがんばります≫
「そうですね、展覧会の方もご成功を祈ってます」