2002年6月20日
黒柳「どうもお久しぶりでした。りりぃさん10年ぶりのご出演です。17歳から1人でうたってらしてお1人で暮らしてたような感じの方で事実今も息子さんが・・・何歳になりましたか」
りりぃ≪17歳になりました≫
「この間ドラマで家族がみんなみてもいいという時間のドラマで性同一性障害のお母さんの役をやってら下でしょ。もちろん今いろんなニュースでも報道されていますけども」
≪私もあの番組をやる前にドキュメントで見たことがあるんですよ。チェンジしてちゃんと男として生きている人のドキュメントを見て今回テーマをもらった時にあまりビックリはしなかったんですね。でも問題をどう乗り越えていく親をどう演じればいいのかっていうところは悩みましたね≫
「ただ性同一性障害という病気・・・症状であるということがみんなに分かってきたことは良かったんじゃないでしょうかね」
≪1人1人の生き方を否定してもしょうがないからそこを認めてあげて私達とどう接触して生きていこうかということを考えていこうと思うから≫
「競艇の方はお名前もお顔も出してがんばってやってらっしゃるんですけどもああいう風に勇気のある方がいるとみんなね」
≪はい≫
「まあなんといっても息子さんが17歳でりりぃさんが初めてギターを持って1人立ちで、お母様はその時はもうお亡くなりになるぐらい?」
≪うん≫
「お母様は45歳でお亡くなりになるんですが本当に天涯孤独という感じだったんでしょうかね?」
≪気分ではありましたね≫
「それでお歌をうたいになって”私は泣いてます”。これが大ヒットで100万枚。でも28年前になるんですよね」
≪そうです≫
「あなたのハスキーな声と歌の内容が合ってね。」
≪なんでそれが受けたのか分からないんですけどね≫
「あの頃もあなたは笑ったりして笑い上戸だったりしたんですけども当時はあまり笑ったりしないみたいなことがあったんですって?」
≪そうじゃなくて笑うのが嫌だったんですね。笑ってくださいといわれるのが嫌だったんですね。でかたくなに笑わないようにしてたんですけどね。≫
「その時と同じ歳の息子さんが。また息子さんの名前が可愛いのね」
≪樹音(ジュオン)といいます。≫
「この方はプロのミュージシャンでいらっしゃってね。心配?」
≪いやあ歌はあまりよくは分からないんですけどね彼のギターに惚れてるもんですから私は。≫
「さて樹音君のお父さんもミュージシャンで」
≪そうです≫
「あなたはずっと息子さんと一緒に暮らしてたんですけども。あなたの息子さんの友人というのがあなたの家に居候して」
≪そうです。中学の時の同級生で昔埼玉だったもんでね今は東京に移ってきて活動しやすいようにしてたんですけども埼玉から東京でベースをやりたいという子供がうちに住んでましてがんばってます≫
「このあいだの母の日に2人があなたにごちそうを作ってくれたんですって?」
≪そうなんです天ぷらを作ってくれました≫
「かわいいわね。」
≪7時半に来いと言われましてそれまで外にいなきゃいけないんですよ(笑)≫
「でも楽しくてうれしかったでしょ?」
≪そうですね≫
「あなたは17歳の時にギターをもってといいましたが本当は16歳の時でしたかね弾き語りを始めたのは?」
≪そうですね中学の3年の時にギターを覚えまして、卒業してすぐに新宿に出て今の若者たちのように道路で歌ったりしてましたけどね≫
「お母様がお亡くなりになってしまって九州の福岡の方からあなたは出てらっしゃたんですけども、10年前に出演してくださった時の話ではお父様は米軍の方で朝鮮戦争で日本にいらした方だと思うという話だったんですけども。あまりはっきりしなかったんですってねえ。それでお兄様がいたことが分かった」
≪いや母が亡くなる前までは一緒にいたんですけどもそっから行方不明になって全然見つからなくなったんです≫
「ところがお兄様から突然ご病気で体が悪くて」
≪23年ぶりにね。勤めていた会社の方から電話があってもうちょっとで命が危ないのでという事で連絡を取ってくれたんですね。≫
「びっくりなさたでしょ」
≪でも不思議なものであまり違和感が無いというか。覚えてたしね。お互いが普通に普通に会えて。普通に生きてる間過ごせて≫
「でも17歳の時にいなくなったお兄様が23年ぶりというとあなたが41とかでお会いになる事ですからね。でも残念ですけどもお兄様は亡くなってしまいになって」
≪それで本当に天涯孤独になったなあと子供はいたんですけど私のかかわりのある人はいなくなったなあと思ってたんですけども兄の遺品を整理してたらある写真が出てきて内の父ではないかと思う写真が出てきて≫
「ちょとお見せいただいて良いですか?このかた(父親)が今のあなたと顔が似ているような気がして。裏に本当に薄いんだけども昭和25年の12月5日に写したって言うような事がエンピツで書いてあって。その男の方の名前もここんところに書いてあったのね。お母さんのことはお分かりになったわけよねいくらお若いお母さんでもねえ。それでテレビ局の方がこのお父様の事を調べてくださったんでしょう」
≪歳は分かりませんけどもこの(写真の)頃にはずいぶんいってらっしゃると思ってましたからもうなくなってるんじゃないかなっと思ってました≫
「あとで計算するとお母様が28歳ぐらいでお父様が39歳ぐらいの時にあなたが生まれて。それにしてもハンサムなお父様ですよね。」
≪うーん。でテレビ局の人に調べてもらって≫
「アメリカは割りと兵隊さんに行った人は調べられるんですよね」
≪それで見つかったというか生きてらして。でも新しいご家族の人たちと一緒で。シカゴまで会いに行きましたね内の樹音を連れて(笑)≫
「この写真からすると46年経って」
≪初めて≫
「でも向うがよく会うとおっしゃいましたね」
≪そうですねかなり悩んだみたいですけども会った時は親切にしてくれて≫
「コマーシャルをはさみましてシカゴにいるお父様の事を詳しく聞きます」
黒柳「でもまあ向うでよくお父様が会ってくださるとおっしゃったのとね、向うの奥さんが嫌がらないでね子供が会いに来てしかも孫まで会いに来るっていうのはねえ」
りりぃ≪2日しかあってないのにお母さんが、お母さんて呼んでって言ってくれて一緒にご飯を食べたりいろんな話をしたり≫
「お母さんて呼んでって。それは素晴らしい事でしたよね。(写真登場)ああこれあなたとお父様と。お父様によっかっかって写真を写したときしたはうれしかったでしょう」
≪ちょっと照れくさい気もしましたけどね≫
「その時に朝鮮戦争の人だと思うという話だったんだけども本当にそうだったんですか?」
≪そうですね。話し合いで2人で確認しあったんですけども、どうしても帰らなくてはいけなくなってお父さんが。いつか迎えにくるから待っててくれということで2年間ぐらいは音信があったそうなんですけども福岡に洪水があってその時に母からの音信がなくなったみたいなんですよ。だからお父さん自身はもう私と母親は洪水に飲まれてなくなったんじゃないかと≫
「昭和28年に西日本大水害というのがあって2000人の被害者が出たということがあったんですね。アメリカに伝わってお母さんの音信も途絶えてお母さんは亡くなったのかも知れないと」
≪母親の気持ちも分かるような気もして。洪水の被害にあってロマンスに浸ってられない私達も抱えて必死で生きていかなくてはならないあきらめたんじゃないかと思うのね≫
「帰ってきてくださいというよりも毎日毎日の事ですからね。そういうことでお父様は向うで家庭をお持ちになったということでね。」
≪私は私でお父さんは家庭があるから向うで暮らしていただいてその彼に会って一番うれしかったのは私の存在がはっきりして今までお父さんはと聞かれてうーんたぶんアメリカの人じゃないかと言ってたのが今は聞かれるとシカゴにいますってお答えができて≫
「アメリカの方なんですけども何系の方ですか?」
≪ギリシャ系の方で≫
「それお父様はいい方で何かあったらいいなさいよって」
≪いい思い出で。胸にしまって。やぱり日本人なんですね。申し訳ないような気がして私達も幸せにやっているので大丈夫だからっていって連絡はしてないんですよね。≫
「お父様も元気にやってらしゃるんですけども今89ぐらいになってらっしゃって。ここのお家でもお子さんはいらっしゃるんでしょ?」
≪娘さんが1人いて。異母姉妹になるんですよね。だから20歳ぐらい離れてたんでしょうか。もちろんアメリカ人同士の方の結婚ですからものすごいアメリカ人の顔をした妹なんですけどもなんかやぱり不思議な感じがしましたよね≫
「考えてみたらお父様はそんなに離れた歳の妹さんがいらっしゃるということはずいぶん結婚されてなかったんじゃないですかね」
≪うん≫
「あなたの事もあったしお兄様の事もあったしどうしてるんだろうって思ってらしたんでしょうね」
≪(うなずく)≫
黒柳「でも間がえてっますとお父様は50歳の時に結婚されたということはお父様の中に日本の家庭があったということがあったんですかね」
りりぃ≪そこらへんは私も聞かなかったんですけども(アメリカの)お母さんの手前もあって聞かなかったんですけどもそういう風には思ってくれてたでしょうねえ≫
「お兄様が45歳で亡くなってお母様も45歳で亡くなったということはずいぶん偶然なんだけどもそのことからお父様にあえてお母さんもきっと」
≪心配してたでしょうね≫
「これでああ良かったって思ってらっしゃるかもしれない。戦争の時にいろんなことがあってでもマダムバタフライっていって16歳の女の子がいつ帰ってくるのかしらって帰ってきたらピンカートっていう許婚を連れて帰ってきたんですからそれを思えば50まで結婚されなかったお父様っていうのはなにがあったかは知らないけれども私流に解釈すればなんとなくあなたたちの事を考えてたんですよね。でもまあ10年お会いしないうちに数年前にそういうことがあったそうですけどもこれではっきりしてよかったでしょう?」
≪やっぱりそこの解明ができたということが私の人生にとってはとっても良かった事じゃないかしら≫
「それにあなたがお父さんによっかっかって写真をとったり今のお母さんがお母さんて呼んでっていうようなそういうお父様がきっとあなたのお母様の事を愛してらしたという事がきっとそこでお分かりになったでしょう?」
≪愛し合ってはいたらしいですから≫
「戦争で(米兵が)日本に来て子供が生まれてそのまま捨ててアメリカに帰っちゃったというような人も多かったと思うんですね。つらい事で。」
≪全然幸せですよね私なんか。≫
「それで樹音君はもろもろのことは分かってたみたいですか?」
≪おじいちゃんに会えるって。彼も日本にはおじいちゃんはいないものですからすごい喜んで≫
「おじいちゃんは可愛がったでしょう。でも本当に良かったですね。」
≪≫
黒柳「さてりりぃさんは歌の上手い声のいい方でいらっしゃるんですがりりぃ&洋士という音楽活動をされている」
りりぃ≪ツインボーカルとしてボーカリスト同士で組んでるんですけども。≫
「これはどっちかが詩を作るとかどっちかが曲を作るとかはあるんですか?」
≪大体私が詩で、彼が曲を作ってます。大人のための大人が聞く音楽が最近少なくて私達はせっかく音楽をやっているんで私達が大人に音楽を提供しようということで≫
「りりぃさんはもちろんお1人で活動されているんですけども洋士さんという方もお1人で活動されているんだけどもお2人で活動される時はりりぃ&洋士でツインボーカルということでああいうふうなコンサートをされてCDは”誰も異邦人”ということで」
≪ツインボーカルで≫
「もちろん声の質も男と女ですから違うんですけども音楽感覚が似てるっていうところもあるんですか?」
≪それもそうなんですけども私達はライブ中心でとりあえずみんなに目の前で聞かせていこうということでその時にライブの表現の仕方が歌の表現の仕方がすごく似通ったところがあって。気持ちの表現なんですけども周りもそれで認めてくれてるしということで。それがどこまでできるかは分からないですけども歌はずーっと続けていかなくてはいけないので≫
「やれるところはやろうということで。でもあなたが出ると”私泣いてます”うを歌ってっていわれるでしょ?」
≪そうですね歌ってますよ。≫
「それで41歳の時にお父様の事が分かって神様のプレゼントみたいな」
≪後半は≫
「よかったですね。人生の後半ますます元気でがんばって」