2002年6月26日
黒柳「矢崎滋さんです。まあなんと17年ぶりにいらしてくださって。ところがですねこの方は阪神タイガ-スのものすごいファン。その秋に優勝したんですってねえ」
※阪神タイガースは17年前の1985年に優勝した
矢崎≪そうです。この番組に出させていただいたときはまだ優勝が決まってなくてその後優勝が決まって、今年17年ぶりに徹子の部屋に出させていただいて今年も優勝します。阪神ファンのみなさん≫
「阪神がお成績がいいそうで。ねえこんな事ってねえ。優勝したも同然ですかねえ」
≪もう≫
「ジンクスだと。まあこの方はいろんな経験をされていて劇団四季でミュージカルをされていたというのは信じられない思いもするんですが、あなたがおでになっていた”ブラック・コメディー”偶然ながら拝見したんです。おもしろいでしたね。あれは中国の京劇からヒントを得て」
≪ヒントを得てピーター・シェーファーが作った戯曲だそうです≫
「ピーター・シェファーの”レディスとラベジ”というこの前面白い観光ガイドのやつをやったんですけどもあれはその話をして悪いんですけどもどうして面白いかというと停電になって暗闇という時は私達(観客)は見えるんですよね。あなた方(役者)は明るいところで暗闇の演技をしてるのね」
≪そうです。ですから最初真っ暗の中から始まってパーと明るくなった時に「停電だっ!!」ていう風になるんですよ。≫
「私達(観客)は見えてるんですけどもこの方たち(舞台上の役者さん)は手探りでこうやったりして。そいであの点いた時に真っ暗闇になって何も突き当たらないようにしなければならない大変な舞台で。それはともかくとして渥見清さんがあなたのものをよくご覧になったんですって?」
※渥見清=映画「男はつらいよ」シリーズでおなじみの寅さん
≪渥見さんのこと大好きでものすごい尊敬してるし少しでも渥見さんの真似をしたいと思ってるんですけども”夢で会いましょう”からもちろん見てますし≫
「どうも、どうも」
≪それで自分の出てる井上ひさしさんの舞台とか渥見さんが見にきてるって楽屋にはけっこう関係者の方から伝わりますよね。渥見さんが同じ芝居を3回見にきてるってずいぶん聞いてたんです。でも渥見さんとは面識がなくて。≫
「お知り合いじゃなかった」
≪赤坂の本屋さんでポンっと肩を叩かれて振り返ると渥見さんで。ずいぶん前の話ですよ。「あんた腕上げたね」って言ってくれたんですよ(会場笑)。今も鳥肌立っちゃいましたけどもその言葉がいまだに励みで≫
「ずっと見てるって。あなたをずっと見ててくれてたわけですよね。まああれほど芝居を見てる人っていませんでしたけどねえ」
≪評判でしたね≫
「腕上げたねって」
≪自分はこんなキャラクターですけども職人と思ってる部分もあるんで腕上げたねっていう言葉はどんなにうれしいか≫
「言葉を選ぶ時の渥見さんのセンスはちょっと違うんですよね。適切でありとっても個性的である。よかったですね」
≪もう”ありがとうございます”も言えないうちにさっと立ち去っていかれて。寅さんそのままで≫
「わたしなんかも良く一緒に芝居を見にいってたし寅さんも大概一緒に見にいってたんですよね。新宿の映画館に」
≪ああそうですか。一緒に行こうよって。元々は試写とかでみたんだけどもお客様の反応が見たいから≫
「私の反応とかね。みんなが笑うと「おかしいかね。ここでね」とかいろいろ私も楽しい思いをさせてもらいました。話は違うけども森光子さんとあなたが共演なさってとても面白い話があるとか」
≪森光子さんと”質屋の女房”で森さんが質屋の女房、私が質屋で私が亭主役で3つぐらい上の役なんですけども森光子さんの亭主役をやらせてもらえるのはもうこの先無いだろうと思ってバクバクドキドキしながらも引き受けて、やらせてもらうことにして本当に良かったです。少し役者として良くなったかなって思ってるぐらい良かったです。毎日がライブだってことを身をもって見せてくださってやぱり芝居は生き物ですよね。森さんは教えてくれないんです「森さん、あそこ僕やりすぎですかね?」って聞くと「う~ん、いいんじゃない」。「あそこ僕押さえすぎですかね?」「う~ん、いいんじゃない」。「ぼくちょっと変えすぎですよね?」「う~ん、いいんじゃない」。「僕変えなさすぎじゃないですか?」「う~ん、いいんじゃない」。「森さんなんでもいいんですか?」「そうなんでもいいの」≫
「(笑)」
≪本人もそうだけども役によって調子が悪い日もあるわけだしセキが出る日もあるわけだしそれを毎日やっているから良いんで一字一句何から何まで同じようにできるわけが無いということをおっしゃってて、でもできるだけ毎日同じようになるように努めますよねえ?≫
「ええ」
≪森さんがたまにはつまずいたりする時があるんですよね。日本の宝ですし大丈夫かなって思ってすごい勢いで助けに行ったりしちゃうんですよ。そいで袖に帰ってから「矢崎さんあんなに慌てなくていいのに」って言うんですよ。それは僕に他に女の人ができてて森さんとまずい関係のシーンだったりで役的には落ち着いて「ああ、大丈夫かい?」ってゆえばいいんですよ。役では≫
※亭主(矢崎さん)に愛人が居て女房(森光子さん)ときまずいシーンなので女房がこけても落ち着いていればいいのに慌てて助けに行ってしまった
「何もハッとして行かなくてもねえ」
≪役(の亭主)じゃなくて矢崎が心配して森さんを助けにいってしまうんですね。で役でやりなさいということだったんですねあとで考えると≫
「あなたは人が良くて急に」
≪でも心配になりますよ。≫
「でもそういうところは森さんは大丈夫なんだからご自分はねえそういうところで気を使ってもらって何だからっていうのがあったんでしょうね(笑)」
≪最初は森さんが失礼よって怒ったのかも知れないと思ったんですがそうじゃなくて役でということだったんですよ。ノロノロと助けに行けばいいのにすっ飛んでいってしまって。役を離れて≫
「そりゃあ森さんは周りの事を見てらしてね一緒に舞台に出たときにはねえトキタカズオ先生の”シュクズ”というのをやった時にねえ2人とも芸者でねえ森さんの好きな人が今日結婚しちゃうときで雪がバーと降って来て最後コセキユウジ先生の音楽がバーと鳴って森さんが「バカヤロウ」って言って私も「バカヤロー」って言って泣くところがあったんですよ。」
≪はい≫
「森さんは涙が遠心分離機みたいにブワーンっと出るんですよ。私もいってるんだけども涙も出るけども鼻も出るって感じで。幕が下りたら「徹子ちゃんくしが落ちましたよ」って。まあさっきの涙はどうしたのっていうぐらい(会場笑)ちゃんとこれはこれそれはそれってビックリしました。私はくしも落ちたのも気付かずにバカヤロウって言ってたのに」
≪夢中だったんですね。「私自分で恐くなる時がある。バーと泣きながらね今日のお食事の事とか考えてる事があるのよ」っておっしゃるんですよ。だから本当に天才的にすごい方だなって≫
「どうしても私達は涙がでると鼻がでるんですね。」
≪僕もです≫
「でも森さんは涙だけで鼻は出ないんですよね。」
≪女優さんで上手な人はカメラがこっち(左)からくる時は涙がこっち(左)からしか出ないっていいますよね。自分もわりと気の弱い役が多かったものですから。30代は気の弱い係長で食べてましたから(笑)カメラが左からきてるのに右からしか涙が出なくてツキが無いというのもあるのかなって思ってましたけどねえ。ましてお客様サイド、カメラサイドから涙が出る方が効果的ではありますよね≫
「でもこれはぜんぜん違うんですけどもキャメロットというミュージカルを見てましたときに(役の中で)女優さんが旦那に不実を働いてだんなは国王なんですけども尼寺に行きますと。朝の暗い朝靄の中でさようなら、もう会わないと思いますって言った時にね鼻水が出てるんですよ。普通日本だったらあれはNGにすると思うんですよ。でもそれがものすごい実感があったんですよね。鼻がたれても人に与えるものはあるなって思いましたね。普通はOKにしないのにね英国ではOKにするんだなって。」
≪それで感動すればいいんですよね≫
「本当に申し訳ないっていう感じが出ましたんでね。2枚目の女優で鼻をたらしているのは初めてみたなって思いましたけどもとってもいいシーンで忘れられないですね」
≪それは女優さんがもう1回撮ってって言って監督がいいっていう議論があったかもしれないですよね。≫
「鼻をたらしてもいいんじゃないのっていう人だと思いますよ。涙が出れば鼻が出るんだからって。」
≪上手くふければいいんですけどね特に鼻だけ出た時が困る(笑)。≫
「涙はでないけども鼻だけっていうのがね」
≪結構悲しい顔をしているんですけども、滑稽にしか見えないんですよね(会場笑)≫
「鼻も上手にふければいいんだけどもズルッてこういう風になっちゃったりとかねえ」
≪こうでもなった日には困ったものです(会場笑)≫
「案外遠くのほうでも判ったりするんですよね。舞台はね」
≪前のほうのお客さんは笑ってたりしますよね≫
黒柳「矢崎滋さんが越路吹雪さんの付き人をやってらしたのはどの時代?」
矢崎≪正確な言い方ではないですが私は劇団四季だったので四季は越路さんと組んで≫
「日生劇場の」
≪越路さんとお稽古やってる内にとても可愛がってくれてセリフ覚えとかつまりお家にいってセリフの相手役ですよね。それとマージャンの相手とかそれと男では僕と米田さんていう運転手さん。別に名前を言うことはないんですけども(笑)越路さんの下着姿までの着替えを手伝っていたのは。もちろん内藤ツネミ先生がいらしていろんなことを舞台上だけではなくていろんなことを面倒見るんですけども≫
「でもだんなさんのことご主人の事大事にしてましたよねえ」
≪僕と越路さんがセリフの稽古をしているときに内藤先生が部屋に入ってくると「おおおお、ごめんごめん」って僕に気を使ってくれるような。(越路さんは)すごく大胆にバーとやられるんですけどもご自分のことをねずみっておっしゃってて、その頃は(矢崎さんは)私は20代前半だから舞台の恐さなんて何もわからなくてここんとこ恐いをとおりこしたんですけども(越路さんは)すごく恐がってらして≫
「あの越路さんの恐がりはすごいんですよねえ。何回もご一緒しましたから。写るんですよあれが」
≪ひどい時は楽屋に閉じこもってカギをかけて「今日は昨日よりもうまくできっこない」と言い張るんです。そんなことない、そんなことないとみんなで言い張って、とにかく袖までとにかく引っ張ってきて内藤先生や米田さんと「できない。できない」と言ってるのを後ろからポーンと押して舞台に出ると「あーなーたーの~♪」って越路さんは(どうどうと歌いだす)≫
※越路吹雪さんは舞台に出るまではすごく恐がっている。しかしいったん舞台に押し出されるといきなり堂々として歌いだす
「越路さんは出るまでなのって。出ちゃえばいって」
≪袖から1歩でると人が変わる。最初はどっちが本当の越路さんだろうって思ってたんですけども、そうじゃないんですよね恐くて出られないのも越路さんだし出て堂々とするのも越路さんだと。30~40代ごろで自分もそういうことが判るようになりました。≫
「やるだけやったんだからあとは仕方がないなっていうねえ。越路さんはどんなに(稽古)してもね出るまでが大変」
≪(黒柳さんが)知ってる中で1番恐がりでした?越路さん≫
「あんまり見せない人が多いですね。わたしなんかも「どうしよ、どうしよ」って言ったりしませんけどもあの方(越路さん)は「ああどうしよ$#%&@あ~」って言って岩谷さんが背中に”人”ってかくのか”寅”って書いて(ステージに)押し出さないとダメなんだってね。そのまえにも栄養の注射打たないとダメなんだろうかとか言って大変なの。でもその間に冗談言ったりしてるんですけどね」
≪冗談言ってるかと思うとしたダメだとかなっちゃうんですね≫
「でも「面白い方でしたね。大好きだった。”メグ”っていうミュージカルを初め大阪でやったんですね梅田コマ劇場で。そこに私は出てたんですよ。それですごいいいオーバーなんかね「ああ、これ欲しい?」って言って下さるの。ただし私がそれに素敵なブローチやスカーフなんかしてくると「それ!私がこないだ上げたやつ?」ってなって悪いけども返してってなるんですよ。ですから越路さんの前ではいただいたものは着ないようにしてたんですけども(会場笑)。(越路さんが)亡くなると内藤ツネミさんが取られたやつって覚えてる?って。家にきてもういなくなったから好きなものは持って帰ってっておっしゃったんですよ。その時に行ってたくさんいただいちゃえばいいのにねえ。どうせいらないって言ってらしたんですから。靴1足とかいただいたんですけどもそれ以上はいただけなかったんですけどもね。面白い方でしたね。でもそういう方とご一緒できて良かったですね」
≪僕は運がいいですね。身近にいられた事が≫
「現在では森光子さんのご主人(役)とかねえ」
≪最高の名誉ですからね≫
黒柳「いつぞや文学座の角野卓三さんがお見えになったときに」
矢崎≪見てました。よく卓ちゃんと間違えられるんで彼が居直ったのか髪の毛をバチッと(7・3分けに)やるようになったんで割と間違えられなくなったんですけども。役柄が近い世界なんですね≫
「年齢も同じぐらいかしら?」
≪ええ僕が1個上ぐらいですから。あの人は学習院(大学)≫
「あなたは東大でしたよねえ」
≪そうです。≫
「みなさんこの方東大。でも中退」
≪そうです(会場笑)。確か学習院の人でしょって僕が言われたり。お互い卓ちゃんと約束になっていて「そうです」と言うようになってるんですけども。(髪の毛を触って)僕の方がごまかそうとする気配が強いですね。≫
「この方が昔の写真が写ってるのを見てああいうのがいいなって」
※角野卓三さんが「徹子の部屋」に出演された時に放送中に過去の出演時の写真が登場した
≪卓ちゃんが昔の写真とか出てるのはいいなって。僕は17年ですからね≫
※角野さんに比べて矢崎さんは17年前に1回出演したきりだった
「そういことなのであなたの17年目のVTRをご用意しましたので動いてるのもご覧になりたいと思って」
≪ぜひ≫
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黒柳「お父様はずいぶんイプセンとかアンデルセンとか北欧のものをずいぶん翻訳されたりして紹介なさったのねえ。クォーレというのはイタリアの話ですよね?」
矢崎≪そうです。≫
「(矢崎さんのお父さんは)ずいぶんたくさん子供の本を翻訳されてるから。私は小さい時本をたくさん読んでいるんですけども小さい時に読んだ本はお父さんの翻訳された本がずいぶん多いようで」
≪読んでくださってうれしいです≫
「ええ、特にクォーレはねえ好きでね何回も繰り返し読んだんですね。お父様は矢崎ゲンクロウさんといってほとんど源九朗義経のあの源九朗?」
≪はい、あの義経の源九朗です≫
「俳優の道をお進みになったということで、それから劇団四季にお入りになったり井上ひさしさんのものにおでになったりしたんだけども学校をお辞めになたことはどうかわからないけどもお父様は芝居がお好きだったんじゃない?」
≪ええ、好きでした。イプセンとかストロベリとか芝居も訳してますから。≫
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≪髪の毛いっぱいありますね(笑)≫
「でもねえあの時30代そこそこって感じでしたよ。」
≪17年前ですから37ぐらいだったと思いますよ。≫
「でも多分あどけなさが残ってるんですよ。今大人になったから違う感じがしますけども、今見てどうですか?」
≪いやあ何言ってたか気恥ずかしさで記憶には無いですけども≫
「口開いてますねえ」※写真は矢崎さんの口が開いている写真
≪これは1時間中口が開いていたわけじゃなくて(会場笑)≫
「写真撮った人がああいうところを撮ったからね。いつも開いてるわけじゃないと思いますよ。お父様が私が紹介してた通り翻訳家でいらっしゃってグリムとかアンデルセンとかをお訳しになっていて」
≪もう黒柳さんが読んでくださってるってずいぶんおっしゃってくださったんで≫
「そう。クォーレというのはイタリアの学校の事を書いた本でどういうわけか父が私が寝る時に枕もとで読んでくれたんですよ。それで印象が強かったんでね。昔の(VTR)をみて卓ちゃんいいなっておっしゃってましたけどもどうですか?」
≪自分だけで見たかったなあて言うのが(会場笑)≫
「17年前だとお家にビデオが在ったかどうかわわかりませんからねえ。」
≪判らないですねえ≫
黒柳「」
矢崎≪ぼくねえ”若い季節”とか”夢で会いましょう”とかの頃一杯見てて黒柳さんが本当は動かなくてはいけないのにずっと壁のところから全然動かなかったというのをご本人から聞いたのか噂かしらないですけどもズーット動かないでいたって≫
「あれは若い時代のNHKの生放送の時に日比谷公会堂で男の友達を待ってるっていう時に後ろの壁が私のとこによっかかって来ちゃったんですね。そいでどうしようと思ってこうする(前にかがむと)とワーときて(壁が倒れてきて)戻るとウァーとなるの(会場笑)。誰も気がつかないので、そのうちに恋人が来ちゃったんですよ。「さあ行こう!」って言うんですけども私がいったらば(壁が)倒れますからNHKの名誉が肩にかかっちゃってるんですよ(会場笑)」
≪かかっちゃたんですね≫
「さあ行こうといわれても私は行かれないんで。さあ行こうよって男の人が行ってもへばりついてたら段々彼の目の中にどうしたんだこの人わっていう不安が出てきて、どうしようかなって思いましたけどもね。そのうちみんあが押さえてくれましたけどもね」
≪それをみんながわかんなかったみたいなんですよね、黒柳さんはそれを救おうと思って≫
「それでねうちに帰ってすぐに寝るんでねスカートの下にパジャマを着てたんです。パジャマがダラダラ出てきてやだなって思いましたけどもね(笑)あの頃は生でしたからね」
≪そういうおかしな軽演劇というものを目指して東京芝居倶楽部というのをやっていて近況報告なんですけども≫
「いいですよ」
≪8月10日から12日東京芝居倶楽部をうちの稽古場でやって初めての大阪公演を8月15日から17日にやります≫
「あなたのやってらっしゃる」
≪小さい劇団です。軽演劇というのをこのごろわかってもらえなくて「難しい劇?」とかいうんです。敬遠される劇とかいうんです≫
「ハハハ(笑)」
≪エノケンさんたちが作ったものすごくいい言葉なんですよね≫
「また頻繁にいらしてください」