2002年6月27日
黒柳「松竹の大スターで、もちろんテレビでもご活躍なんですけども現在朝のテレビ小説でグランマーの役をやってらしゃる津島恵子さん今日のお客さんです。よく声もお変わりなくっておっしゃる方がいらっしゃるんですって?」
津島≪ええ、声が変わらないって言う方が多いですね≫
「そうすると他はどうなのって?」
≪ハハハ≫
「本当に津島さんのことを自然体の方だって。みんながあんな風に自然体でできるものかって言ってるみたいなのね」
≪モットーですから。自然な芝居をしたいっていうのが私の素ですから≫
「スターでいらしゃった時から」
≪その時はそこまで考えてないと思います。でもある年齢になってからは自然に自然にっていうのが≫
「だから本当に自然にやってらっしゃるように、また津島さんの人間がああであろうって見えてくるねとんでもいいじゃないかって。おばあさんの役をやってらっしゃるんですけどね」
≪おばあさんですからねお母さんの役ならいいんですけどね(笑)≫
「でも実際お孫さんがいらっしゃるんでしょう?」
≪孫が1人おります。あの~子供がすごく好きなんでね自分の子供も少なかったし孫も少なくて寂しいんですけどね、孫がやっと中学1年生になったんですね。孫が10歳になるまではずっと生きてようと思ったんですね。そんな若いときにできた孫じゃなかったんでね。(孫が)小さい時に亡くなってしまうと何にも(おばあさん・津島さんの)記憶が無いというのは寂しいなっと思ってね。10歳まで生きると何か覚えてくれてると思ってねがんばってたんですけどね。10歳過ぎるとねガタガタガタってね(笑)≫
「もう12歳でね。お坊ちゃんでね。」
≪いや≫
「息子さんの子供が12歳でおじょうちゃん。10歳少し前からテニスをお始めになってご主人もテニスをおやりになるんですけどもそのおお孫さんの12歳ともやるんですって?」
≪その子はやんないの。やってたのは息子が12歳の時に息子が始める時に主人が1人でやってもどうにもならないですから、1人でレッスンをやっても面白くないんで一緒に始めたんです。それで3人で始めました≫
「本当にみなさんおいくつとは申しませんけども」
≪いいですよ≫
「お元気でらっしゃる(笑)。体型が全然変わんなくて昔バレエダンサーだったじゃない。それもあるのかしら?」
≪それはねえ残念ながら家系なんです。母もやせっぽっちでしたし父もやせっぽちでしたし太れないんです。太りたくてしょうがないんですけどもどうしたら太れるんですかって≫
「それは羨ましい事ですよねえ。」
≪やせてるっていうのも苦労ですよ。≫
「でも若々しいじゃないですかテニスの格好を拝見してもね。それであのトットちゃんの私の学校の先輩に当たるんですよ。この方は。しかも自由が丘学園っていうのがもともとの名前だったのね。”自由が丘学園前”というのが今の自由が丘の駅の名前だったのよね。自由が丘という駅名は津島さんの通ってらした自由が丘学園の名前に由来するっていう。それでその学校の校長先生が急にお亡くなりになったのよね」
≪そうそう。自由が丘学園の最後の生徒でね、トモエ学園
「私はね」
≪徹ちゃんはトモエ学園でしょ。トモエ学園の1回目の卒業生になるわけ。5年まで自由が丘学園に行っていて1年だけトットちゃんの学校に行っていて≫
「そのころから電車の校舎だったんですか?少しは教室があったんですか」
≪教室はありました≫
「でも小林先生になってからは電車が教室になって。いずれにしましてもピーコックというのがありましてここに自由が丘学園というものがありその名前が駅の名前に由来するっていうのが書いてあってそれで私のトモエ学園もそこにあったって書いてあって、その除幕式に」
≪行きましたね≫
「それでびっくりしたんですけどもあの谷ももこさんがいらして。バレイのすごい方なんですけども。あんなにちょっとしか人数がいない学校で谷ももこさんがおでになって映画で津島さんがおでになって私がテレビででて各ジャンルででてねえノーベル賞を貰った方もいたんですけどもその3人でひっぱたのねえ。こんななってねえ。私の向うに酔っ払いのおじさんがいたの。おじさんも生徒って言ったら「違う」っていったの。だったら止めてって言ったんだけども「俺も引く~」とか言ってたらみんなが「昔と同じねえ。いつまでもしゃべってて」って。みなさん通ってくださいここに自由が丘学園があったってあるんで。まあそういうところで教育を受けた方でいらっしゃいますので自然にという感じが」
≪徹ちゃんとは年代が離れていて一緒のときはほんのちょっとしかだったんですけども私には妹がいましたでしょ≫
「そう」
≪1級上で≫
「そうなのでも人数が少なくなってたから私達と同級になってたりもしたのね。私のクラスは7人くらいしかいなくてチュリちゃんのクラスも3人ぐらいだったんじゃない?」
≪私のクラスも4人だもの。≫
「少なかったから個性が先生にもよく判ったんですけども。今朝の連続テレビ小説をやってらっしゃるんですけども小澤征爾さんの息子さんのね小澤ユキちゃんがねとっても良いなって」
≪とてもいいです。葛城先生。みんな葛城先生・・・・って言ってますけどねえ。今割りに差し支えあるといけないけどもナヨナヨした男性が多いじゃない。とても小沢君はいいなって思ってね≫
「それでいて自然と女の子とも話ができるっていう感じでねえ。」
≪小澤征爾さんセットに見えましたよ。≫
「心配なのねえ」
≪息子がいると嫌がるからいないときに見えられましたよ。≫
「ボストン育ちだ親が小澤征爾だってなくてあの役をやってるんですからねえ。話は全然違うんですけどもここに14年前に津島さんに出ていただいた時にね唇の上のここのところをあげてないとね歳を取ってみられるから上げてないとダメなのねっておっしゃったのね。このごろどうですか?あげてらっしゃいますか」
≪もうだめですね。あげてても間に合わない。やっぱり年齢制限があるの(笑)≫
「あげてないとダメだなって思いながらも上がんないなって思ってたんですけどもね。やめたんですか?」
≪止めはしないけども駄目ですねえ(笑)≫
「それともっと忘れられないのは私に「結婚っていいものよ~」ってつくづくおっしゃったのね。覚えてらっしゃらない?」
≪あなたのこのお部屋で?≫
「いやどっかで他のところでお会いした時ですかね「結婚っていいものよ~」ってだからね旦那様がいいんだろうなって思ったのよ。旦那様も存じ上げておりますけども」
≪なんとお返事したら言いのか(笑)≫
「でも本当にそう思ってらっしゃるでしょ?」
≪やっぱり1人でのんびりとしてるのもいいけどもね。さびしい?って聞いちゃいけない≫
※黒柳さんが独身で寂しくないですかと聞かれた
「私はさびしくはないけども誰かはいたほうがいいと思います。だからね今でも油断しないで(結婚相手を)見つけようとは思ってますけどもね。」
≪応援します。小沢さんはちょっと若すぎるからね≫
「でも津島さんが結婚っていいものよって本当に陰り無く、世の中にそんなに上手くいってる夫婦ばっかしとは思わなかったのねそれなのに結婚っていいものよっておっしゃったんでねああ津島さんてそうなんだって。離婚する人だって多いし不満だけども経済力がないしとか不満だけども一緒にいる人もずいぶんいるのにね「結婚っていいものよ」って言えるっていうのがね本当にいいなって」
≪まあ忘れてましたから≫
「そのことをおっしゃたことを。でも沢村貞子さんが仕事の何十%は・・」
≪沢村さんには本当にいろいろな事を教えてもらって結婚する時もとても喜んでくださって。あんましがんばっちゃだめよ。70%の力でやんなさい。家の仕事も70%なのよって。両方やったって140なんだからって。そこを良く考えてご主人を大事にするのよって。≫
「一生それを通した方ですからね。」
≪いろいろお食事を書いたり今も続けています。≫
「やってらっしゃるの献立。去年の今日は何を食べたのかしらって。やってらっしゃるの?」
≪うん。やってます。癖になっちゃたのね何かかかないと不安≫
「今でもご飯は作ってらっしゃるの?」
≪作ってます。≫
「ご主人と一緒にケア付きのホームにいらしたって本当なの?」
≪ええ、部屋つきのマンションね。お食事は食道でもできますけどもなんか自分で作った方が好きで≫
「そういう所にいこうというのはあれなんでしょうか、中にお医者様とかもいらっしゃるの?」
≪付いてくれてますから≫
「そういう人がいてくれたほうがいいっていうのが安心な事があったんですか?」
≪50年代ですかね主人の両親、私の両親ずーと長くいたお手伝いさん、妹も亡くなりましたし毎年毎年大変だったんですね。やっぱりそれを面倒見ることがいかに大変かっていう事と亡くなった後でもまだ足りなかったなっていう後悔はありますけども、息子が1人子ですしまたお嫁さんも1人娘ですしこれはこういうことをさせちゃいけないと。面倒はかけさせたくないというのが基本的に染み付いていましてね孫が大きくなった時に行きました≫
「そうなんですか。ご主人もとってもお元気な方でして写真はとっても嫌がる方なんでとてもハンサムなかたなんですけども遠くの方でぼんやり見えてるんならいいって言うんで写真を持てきてくださったんですけども(会場笑)」
※帆船のデッキで津島さん夫妻が写る写真が登場。遠くからのショットで顔は良く見えない
≪ハハハ。若い頃と違って太っちゃってね≫
「でもすごい素敵な方でね温和で私大好きなんだけども」
≪去年帆船に乗ったんです。≫
「この帆船の話はあとで伺いたいと思うんだけども、そういうケア付きのホームに今から入っちゃおうって。ご主人も元気なのにねやっぱり介護とかいろんなことがあるからって決心するのはすごいなって思ってね」
≪あのお嫁さんなんかは嫁なんかは2世帯住宅にしましょうって言ってましたけどねやっぱりそれでも大変だと思うの、若い人は。≫
「だから離れて」
≪離れてたって何分のとこですから≫
「でも今の帆船がすごくいいんだけども。私も何て素敵だろうと思ったんですけどもね。これも相手がいないと1人では詰まんないものですけども」
≪ハハハ(笑)≫
「ちょっとコマーシャルです」
≪≫
黒柳「それではお聞きしましょう。帆船の話(笑)羨ましい話ですが」
津島≪あのね毎年必ず1回か2回ヨーロッパ行ったりアメリカ行ったりしてるんですけども去年帆船の乗らないかって話がきて、くたびれてきたから歩かない方がいいじゃないかって。帆船てのはあこがれじゃない≫
「ええ。何人ぐらい乗れるんですか帆船って。お客様は?」
≪これは300人ぐらいじゃないかな≫
「ええ!!300人も寝るとこがあんの」
≪それで私達だけでした日本のお客様は。≫
「これはどっかまで飛行機で行くの」
≪ローマまで飛行機で行って、ローマから(帆船に)乗ってベニスまで≫
「それもローマからベニスまで10日間?」
≪10日間≫
「きれいでしょ~」
≪とっても綺麗。ちょっとはまり込んでてまた行きたいんですけども≫
「10日間かけてローマからベニスまでいらっしゃって。途中でどっかに寄ったりするんですか?」
≪着くとそこをみんな見物するわけです≫
「それでベニスに降りてふ~ん。」
≪私ねえ徹ちゃんのお仕事をしている話が聞きたいのね≫
「え!突然」
≪ナオコの部屋じゃなくて・・・≫
「ご本名がナオコでね」
≪恵子の部屋でね。いつも毎年(黒柳さんの)お芝居を見にいくんですけどねなんであんなにセリフが覚えられるの?≫
「私ねえセリフ覚えんの思ったよりも・・・え!!なんです?これ全部」
※ここで津島さんが黒柳さんの舞台のパンフレットをいくつか取り出す
≪最近の分だけねえ≫
「ああ、これ去年のホームレスやったときのね。これ(※レティスとラベジ)は一昨年の。タカハタさんがおやりになったんですけどもね本当は山岡久のさんがやるはずだったんだけども亡くなっちゃたんで再演だったんです。」
≪どうしてあんなにね≫
「セリフですか。稽古もしますしねえ。1ヵ月半ぐらい。それにしてもねえ私も感心するんですがけっこうねえ。それと舞台の上で(セリフを)忘れるっていう事がね無くて。今のところはね。」
≪テレビでもあるわよフッと≫
「ありますけどね。それは1瞬間思う事はありますけども続けて言うように頭の中で連結させているらしくて忘れた事ないの。今まではね。わたしはねきちんとセリフを言ってるんだけども口からでまかせを言ってるんでしょうってよく言われるんですけども。ここで人が(セリフが)出なかったらどうしようと、この時までに出なかったら話はどこまで進んでるかとかね、もしこの大きな間の時に相手がセリフを言わなかったらどこまで話が進んでるかとか人のことまで考えて割りと用心深いの」
≪すごいですねえ。私には今はとっても駄目だわ≫
「でもその人物をやる前にその人物に付いて研究をずいぶんしてんの。みなさんが思うよりも。だから私にとって稽古に入ってセリフを覚えんのは私にとっては氷山の一角というか下の勉強を結構してんのでそんな大変では。今までのところはねこれからは判りませんよ」
≪そんなにやってお芝居をやってらっしゃるってご存じない方がいらっしゃる≫
※世間の人は黒柳さんがお芝居をやってることを知らない
「そうそう知らない方もたくさんいます。芝居してるって言ってないのでね」
≪知らない方もたくさんいると思って。素敵な芝居をやってらしゃいますので見にきてください≫
「どうも先輩ありがとうございます。今年の秋もやります。今までセゾンって言ってたんですけどもル・テアトル銀座って名前が変わりましてあそこで毎年ね。今年は11月ですけども面白い脚本を探し出してきてタカシマヒサヤさんていう方が演出でねメーンウェストっていう女優さんねえあんまし日本では知らないんですけどねやりますんで。」
≪楽しみにしています≫
「ありがとうございます宣伝してもらってやっぱり先輩は持つべきものですね。ちょっとコマーシャルです」
≪≫
黒柳「津島さんはとっても良い方で私が毎年芝居をやるのを見てくださって好きでいてくださるんですけども私が芝居やってるやってるって言ってないのでぜひみんなに伝えたいのという事でお優しい方でありがとうございました。あの朝のテレビ小説の中でものすごい昔の好きだった人に何十年ぶりにお会いなさったりしてるじゃない」
津島≪ええ、内藤たけとしさん≫
「50・・・」
≪58年ぶり≫
「58年ぶりに昔好きだった人に。ご主人はすでに亡くなっていて大滝さんはナレーションで出てらっしゃるんですけども、そういうことから今東京新聞で連載されている渡辺淳一さんのと内容がほとんど同じ感じで」
※渡辺淳一=小説「失楽園」も同氏の著書
≪中年以降の老人ホームに入った方の恋物語みたいなね。恋物語というかなんだか。≫
「79歳の男性でとてもその人が素敵なんで70歳ぐらいに女性の鞘当があって・・・私もちょっと読んで。それをとっても楽しみに読んでらっしゃるって?」
≪私は渡辺淳一さんという方を存じ上げていませんけども割り方ドキっとした小説が多いじゃない≫
「ええ」
≪やっぱり時代を良く見てらっしゃるなっていうのを感じてるんですよ。≫
「今の朝のテレビ小説でもね旦那さんが亡くなってねいくつの役かわからないですけどもね70幾つかの役をやってらっしゃるんでしょう。それで58年ぶりに会った昔の好きな人のことをね。そういう所に目をつけてらしゃる渡辺さんがね・・・・今厚生省の調べなんですけども10年前に比べて女性の歳を取ってから結婚する人が3倍に増えてるそうです。それで男の歳をとってる人でも結婚する人が2倍に。前は男性が多かったんですけども今は女性がものすごく増えてるんですって。だから日本も変わってきてるんだと思うのね。これは婚姻届を出した人の数ですから。ちなみおに男は1990年ですと1368人、女が417人だったんですって。それで2000年に男は2977人だけど女性は1166人でシルバーラブというそうなんですけども。だから渡辺淳一さんの小説のテーマの作り方がねいいと思ってらっしゃる」
≪ええ≫
黒柳「本当に津島さんは昔大スターでいらっしゃって私が聞いたのはポスターで美空ひばりさんとおでになる時に津島さんを先にするか美空さんを先にするかで大変だったって」
津島≪それはおかしな話でひばりちゃんと私が出た時は一緒に”悲しき口笛”ていうのに出たんですねその後は1本ぐらいあるのかな≫
「その時かなとにかくねどっちを先にするかって言うぐらいのスターでいらっしゃる。」
≪それはちょっとオーバー≫
「オーバーだそうですけども。それぐらいのスターでいらっしゃたんですが。これから申し上げる事は宣伝でも何でもないんですけどもテレビ朝日でやっている私も知らなかったんですけども担当の坂本さんっていうお姉ちゃんも知らなかったんですが何ていうんでしたっけ?」
≪びっくりしちゃて。”むたけじかん”≫
「15年やってらしゃるんですって。小林圭樹さんと。今日いらしていたお客さんはみなさん見てらして面白いとおっしゃったんでね」
≪どうしてテレビ朝日ていうのはバラバラなんですか(笑)≫
「これから見るようにしましょう。年に何回っていう」
≪今もやってます≫
「いろいろありがとうございます」