2002年7月22日
黒柳「どうもしばらくでございました。秋元康さんですけども作曲では美空ひばりさんがお歌いになって大変有名になった”川の流れのように”もお作りになっておにゃん子もお作りになって、とんねるずもお作りになってっていう。ベストテンの構成もされたりなんでも新しい事の仕掛け人っていう方なんですがなんと結婚されて十何年目に・・・」
秋元≪13年目に≫
「ずいぶん若い方と結婚されてあなたも若いと思ってたんですけども結婚されて13年目に子供ができるんですねえ。ご自分でもビックリされたでしょう?」
≪そうですねえ前からほしかったんですけどもね。≫
「お嬢ちゃんで名前も可愛い名前で」
≪”せり”と申します。≫
「もこんなに大きいの?」
≪そうですね1歳4ヶ月です。≫
※写真登場
「あら!かわいい。お母様にでもありますかね」
≪せりは父親にと言ってるんですが≫
「生活が一変したんですって」
≪子供中心になりますし、どんなに遅く帰ってきても子供は早くに起きますからそれにつられておきますね≫
「どんあに明け方までお仕事してらしても赤ちゃんが起きると一緒に起きる?」
≪そうですね。娘の側からするとお父さん何してる人かわからないじゃないですか。夜中遅く帰ってきて昼まで寝てると。だからできるだけ起きるようにしてるんですけどもね≫
「でも13年間結婚されていてね若い間は2人だけのほうがいいっていわれてますけどもねずっと2人で生活されてきたところに赤ちゃんができて。彼女は育てるのは上手ですか?」
≪そうですね。待ち望んでましたからね。周りを見たり自分の母親を見たりして自分だったらこう育てたいというのがずーとあったみたいですね≫
「おにゃん子の横の連絡があったりしたら欲しいと思ってたかもしれないですね。ただ13年間2人だけですぐにご飯を食べにいけたところも子連れだと大変に?」
≪そうですね。まず気をつけますよね。僕が逆の立場だとせっかくプライベートでゆっくりしたいと思ってるところに子供が走ったりねワイワイしてると騒々しいいなと思うところがあると思うんですね。だから気を使っちゃうところがあると思うんですよ。ですからお店の方に聞いて子供がいますけども大丈夫ですかって聞いてから伺うようにしてますけどね≫
「2人だけのときは子供がいるとなんで子供ってこんなにうるさくするんだろうって思ったと思うんですけども自分が出来るとそういう部分の理解が違う?」
≪そうですね。ただまだ初心者ですからまだ気をつけてますね。もうちょっとすると子供っていうのはそういうもんで天真爛漫に走り回ってると思うようになるんでしょうね。≫
「でも今までは周りの方たちはあなたになるだけ子供の話をしないようにしてた気配が?」
※周りの友人は秋元さん夫妻に子供がいないので子供に関する話題をしないように気を使っていた
≪そうですね。みんな子供ができないということで気を使ってくださってたみたいで≫
「やっぱり13年子供がいないとできないと」
≪みなさんは思ってたみたいですね。あるいは子供は嫌いなんじゃないかと。ですから子供が生まれた途端に堰を切ったように子供の話をしてくれますよね≫
「へえじゃあビックリされるでしょ。本当に俳優さんでも考えられないくらいに自分の子供の写真を出して。とんねるずの石橋さんのところも同じぐらいの歳の子供が」
≪そうですね。やぱり石橋君なんかは先輩ですからすごい詳しいんですよ。すごい子煩悩ですし、あの初めて子供服を買いに行ったのも海外で石橋君が付いてきてくれまして子供服の買い方というのを教えてくれて。子供服というのは3ヶ月とか6ヶ月とかあるじゃないですか。でもそれをそのまま買ってもだめだというのが初めてわかったんですよ。つまり家の娘は3月5日生まれなんで例えば6ヶ月のサイズの物を買う時点でそれが夏なのか冬なのかで全然違うじゃないですか?≫
「過ぎ去ったシーズンのものじゃダメだと」
≪あったシーズンの物を買わないとだめで。なるほどと。アドバイスしてもらったりして≫
「石橋さんってあれだけお忙しくお仕事をされてるのにやっぱし子供の事をやってらっしゃるんですね」
≪子煩悩ですし、好奇心があって調べたり聞いたりして。≫
「とんねるずの石橋さんって仕事がお忙しくて子供に手をかけてるようには見えない方ですのにね。家庭の匂いのない方で。」
≪でもやっぱり石橋君にしても木梨君にしても子煩悩で空いてる時間はこどもと遊んだりしてますね。≫
「そうですか。こんな事聞いてあれなんですがとんねるずって仲が悪いっていうじゃない。とんねるずにもベズトテンが始まった頃来て頂いた事もありますけども、あの2人は仲が悪いといわれてますけどもこんなとこで聞いてあれなんですけども」
≪僕がとんねるずを作ったわけではなくて元々とんねるずっていうグループがあって僕がファンになってすごく面白いと思って一緒にやるようになったんですけども。コンビですからねあのこれまで続いているということはけして仲が悪いということではないですね。ただそれぞれやりたいことが大人になると変わってきますから、それぞれの活動もあって前よりも(活動の幅が)広がってきたんじゃないですかね。でもまあよく言う仲が悪いということはないですね≫
「私も拝見しててこれだけ長くやっていて息もあってるんだしもうお互いのこともわかってるんだし上手くやってるんだろうなって思ってたんですけどね。じゃあ分裂とかはしない?」
≪ないでしょうね≫
「でも長いですよねえ。じゃあ先にとんねるずがあってその後に(彼らの)ヒット曲や何かをお作りになった。あの2人歌を歌ってヒットした時代もありましたよね西麻布の歌とか。ああいうのを作詞されて。(秋元さんが)ベストテンの構成をされていたじゃない。わたしは構成作家だと思って毎週会ってたんですけどもあの時も作詞家としては」
≪時々書いてましたね≫
「この前も美空ひばりさんの”川の流れのように”をお書きになられた時のエピソードを伺ったんですけども。あの話も面白かったですねえ。初めて(秋元さんが美空さんに)お会いになった時になんておっしゃったんでしたっけ?」
≪「あなたの事は知ってるわよ」って一言だけ。すごい待ったんですけどね。生田スタジオで4、5時間まってひばりさんが時間ができるまでお待ちして「そろそ時間ができました」っていわれて控え室の方に行ったらば握手してくださって「あなたの事は知ってるわよ」って5秒で終ったんですけども(笑)。でもそれが普通だとこんなに待ってこれしかお話できないのかって思うじゃないですか?それがまたね王者の貫禄といいますか、女王棚という感じがしてすごいうれしかったですね≫
「またおうたいになってよかったという」
≪そうですね。あれだけのいろんな人生の痛みとか苦しみをしょってる方でしたからああいう”川の流れのように”のような細かいことを言っていない色のついていない詩だと思うんですよね。それをひばりさんが見事に色を付けてくださって≫
「秋元さんにとってもうれしかったと思いますけどもひばりさんにとっても自分のしょってらっしゃる人生を歌いこめるという意味では」
≪そうですね。歌というのは歌がうまいというだけでは伝わらない何かがあるんですね。+αその人の持っている味みたいなものが。ひばりさんの場合は歌がうまいプラス味を持っている方で素晴らしい方でしたね≫
「小林旭さんと結婚されていた時にものすごく練習されていたんですってね。天才で1回聞いただけで覚えちゃってすぐに歌える方だと実際そういうところもあると思うんですが、家でこういうところができないって何回も何回も繰り返し勉強してらしたって」
≪ああそうですね。僕もレコーディング2週間ぐらい前に詩と曲をくださいといわれましてですね。あれだけ歌の上手い方が練習してくるわけですからもう完璧ですよね。まあぞれぞれの川がありますからひばりさんの川があってそれをまた多分聞いてくださった皆さんは自分の人生・川を思いながら聞いてくださってると思いますけどね≫
「本当にたくさん作詞をされてますけどもあれはとても上手くいった詩だなと思いますよね。でもずいぶんたくさんヒット曲はお持ちでしょ?」
≪そうですねヒット曲は色々ありますけども、僕は流行歌書きですからその時々の時代と共に消えていくんですね。でも唯一スタンダードナンバーになったのは川の流れのようにだと思うんですね≫
「人が集まって気持ちをこめて歌う時にあの歌を歌うじゃない?それから歌手の方も歌ったりするけどもその時にぴたりと来るんですよねあの歌が」
≪そうですね。≫
「やっぱり美空ひばりさんが最初に歌われたからということもあると思うんだけども作詞家としてはちょうど20年におなりだそうですけどもちょうどいい」
≪そうですね≫
「今も作詞をされている?」
≪そうですね。詩の仕事が多いですね≫
「注文が多いですか。そういう時は考えるの?歌手によってそのときその時いろいろあるでしょ?」
≪そうですね。歌手の人がこの人は何を歌ったらいいだろうということを考えますね。ですから僕の場合は詩人ではなくて流行歌書きなんですね。ですから時代の中で何を見るかと。例えばあるとき喫茶店に行ったらばそこにいた若い女の子たちがみんな携帯電話を窓際に立ててるんですよ。これはなんかおかしいなと。携帯電話というのは待ってなくても向うからかかってくると。自分が主じゃないですか。なのに携帯電話に縛られてるような感じがしてこれはおもしろいなと。今の子達のこういう歌をできないかなと思って作ったのが”着信の奴隷”≫
※何をしている時でも電話(メール)がこないかと待ってしまっている。主のはずが受身になってしまっている
「着信の奴隷(笑)」
≪着信をずっと待ち続けている奴隷のようになっちゃったみたいな。そういう歌ぼ作り方をしますよね≫
「なるほどね。メールの”you’ve got mail(メールが来ましたよ)”というのを聞くというのは昔ラブレターだったりなんなり自分の家に来てないかしらと言うのと”you’ve got mail”いうのと同じなんだけどもやっぱしポストに歩いていってのぞくのと機械が無機質に”you’ve got mail”というのとは違うかもしれないし考えてみるとおかしいですね」
※you’ve got mail=新着メールが届いた時にユウ ガット メイルと音声で知らせてくれる。同タイトルのメグ・ライアンとトム・ハンクス出演の映画もある。
≪よく言われるんですが何も変わってないですね。≫
「そうなんですよね」
≪手紙がFAXになったり携帯電話になったりメールになったりしてるわけで。でも人の気持ちを待つということは同じですものね。≫
「それは何千年たっても同じじゃないですかねえ。ちょっとコマーシャルです」
≪≫
黒柳「お子さんができると自分でも違ってきたなって思ってらしゃるんですけども恋愛相談なんかも受けてらっしゃるんでしょ?」
秋元≪はい≫
「独身の時と父親になってからとではずいぶん」
≪変わりますね。ああいう親父にはなりたくないなと思った親父に限りなくなってますね。≫
「なんか(相談で)あるお嬢さんが付き合ってる男性の事を父が気に入らないと、それでお父さんが付き合ってる人のことを殴ってしまったんですけどもどうしたらいいんでしょうとか来たら」
≪そういうのはまず第一行目は娘の幸せを望まない父親はいませんとそっから入りますからね。1発や2発殴られたからあきらめてしまうような恋でしたら所詮ダメですし父親を説得できないような男ではダメだと≫
「完全にあなたの立場になってるのね(笑)」
≪最近はそういう娘が嫁ぐとかドラマとか見ると涙が出てくるんですね。もうすでに≫
「1歳4ヶ月で。」
≪そういうところがダメですね。昔知り合いとかで正月に娘とか息子とかの写真を一緒に送ってくる人がいるじゃないですか。いらないと。それは。あなたの都合でしょうとかおもってたんですけども今年やろうかなと≫
「面白いですよね。そのかわりようがねえ(笑)。でもそうなるんですねえお父さんになるとねえ」
≪やっぱりなんか取り付かれたようになりますね。携帯でも普通のとこじゃ恥ずかしいんでバッテリーを外したところに娘の写真を貼ってありますね。かばんの中にも娘の写真が。そういうのは生活感があってやだなあって、僕らは夢を売る仕事をしてますからとおもってたんですけども≫
「(娘さんの)性格はどう?」
≪性格はきついですねえ。好き嫌いがはっきりしてるんですよ。僕は上さんはかなり心配してるんですねわがままに育つんじゃないかと。でも僕はとことんわがままでいいと。好き嫌いがはっきりしていて中々男が寄りつかないねもてあます感じがいいかなって≫
「男の人がもてあます感じ」
≪あきれちゃった感じがいいかなって。なんかパパだけが唯一の理解者みたいな立場をとりたいなと≫
「ハハハハハハハハハ(笑)」
≪≫
黒柳「あの奥様をほしいと相手のお父様の所の言いに行かれた時の気持ちが今ははっきりわかるんですって?」
秋元≪わかりますねその時に妻の父に言われたんですけども子供って言うのは天からの授かりものっていますけども預かり物ですねと。私は娘を預かっただけですからどうぞと言われたんですよ。その時は深いなと思ったんですけどもだから僕も娘を預かってるだけなんですけども≫
「全然そう思いたくはないんでしょ?」
≪思いたくはないですね。≫
「でも(秋元さんの実のお父さん)お父様がお亡くなりになってもし生きてらしたら(孫娘を)見せたかったなあって」
≪ああ喜んだでしょうね。家は弟と2人なんで女の子が欲しかったんで。弟との間に女の子がいたんですけども赤ちゃんの時に死んじゃったんで。だから女の子ということに憧れがあって≫
「お父様はお若くて(亡くなられた)」
≪63歳。≫
「秋元さんは若い人に会うと親孝行しなさいっていっちゃうんですって?」
≪そうですねおじさんだと思うんですけどもね。でも歳をとらないとわかんないことがあって、親というのはずーと一緒にいるような気がするんですね。父がたまには酒でも飲みに行こうとか言った時に忙しいからということでそんなに急がなくてもいつでも会えるじゃないかというのがあったんですけども63歳という若さで逝ってしまうともっと話しとけばよかったなってとかもっと聞いとけばよかったなと思うところがあって≫
「そうですよね何とかしたい時に親は無しとかいいますけども本当にそうなんですよね。本当にちょっと顔を見せるだけでもご飯を食べるだけでも親ってうれしいんですよね。でも親になるとそれが十分にわかると思いますけどもね」
≪わかりますね。≫
「でもお父様が定年にお成りになって60歳ですか、それから別のお仕事がお出来になったのに秋元さんがご自分の会社の」
≪僕は楽をさせるということが高度経済成長期に猛烈サラリーマンとして働いてきた時にもういいじゃないですか。会社を辞めてその後は僕が秋元康事務所という個人の事務所があるんでそこの会長職にでもなってそれで時々にでも相談に乗ってもらえればいいよということで強引に辞めさせて後は余生を楽しんでもらいたいなあと思ったんですね≫
「それは息子の気持ちですよね。その後はコマーシャルを挟んで」
≪≫
黒柳「そうお思いになったんですけども後で」
秋元≪まあ、それである日父が会社の方に来て(父親の)席を用意しておかなかったんですね。席がいるほど体力があると思わなかったので机が無かったんですね。それをすごくがっかりしましてね。本気で何か息子の役に立ちたいと思ってたらしいんですよ。わかったのは息子の立場からすると軽々と余生を楽しみなさいとか言いますけども、余生という言葉はすごく失礼だなと。生が余るということは無いわけですすよね。本人はいつまでも現役でやりたかったわけでそれがいまだに心に残ってますね。後悔ですね≫
「せめて机とイスがあればお父様はそこで何かをなさろうと思ったのにねえ。それが無かったのが寂しかったとお母様におっしゃった。後でお分かりになった。それでみんあに親孝行を薦めている」
≪はい。とにかく話たい事聞きたい事をしなさいと≫
「それでもあれですねえ秋元さんはトレンディーの先駆者みたいな事をやってらしたんですけどもお父様のことがあったりお子様がいたりでそれがあっていいんじゃないですかね」
≪そうですね≫
「複雑な人生でね。どうも」