本日の徹子の部屋ゲストは華原朋美さん

2002年7月24日

黒柳「華原朋美さんです。みなさんから”ともちゃん”と呼ばれている大変お上手な歌手の方です。乗馬がお得意で障害を越えるぐらいのかなりの得意でね。なんか日本で4番目ぐらいで上手かったんですって?」

華原≪国民体育大会で4位という成績を≫

「それはすごいですね。本当にお上手で(※写真登場/柵を飛び越えている写真)こんなの飛ぶの!!。」

≪これは国民体育大会の時の1ショットなんですけども。≫

「これ何歳ぐらいの時のでしょうね?」

≪高校3年生のときのなんで。≫

「そんなに(その時と歳は)離れてないですよね?」

≪そうですね・・・ありがとうございます(笑)≫

「みなさこの方が歌がお上手なのはご存知だと思いますがひちころお元気がないときもあったんですけども今は全快?」

≪はい大変ご迷惑をおかけしました。≫

「今はお元気でいらっしゃいます。あなたはなんといっても中山美穂さんのファン?」

≪好きです。この間結婚をされてすごくうれしくて。小さい頃に中山美穂さんがテレビに出てらっしゃいまして歌を歌ってらっしゃいまして、私もこの画面の中に入って綺麗なお化粧をしてもらって歌を歌ってそういうのがすごい夢でした≫

「やっぱり美穂さんがあの方は綺麗だし格好もいいし辻仁成さんという作家でもあり歌手でもある方とご結婚なさったんですけども。じゃあご結婚は喜ばしい事で?」

≪ものすごくうれしいです。≫

「すごく突然でみんなビックリしたんだけども美穂ちゃんにとっては辻さんと会ってね宝物を見つけたってね何かに書いてあったんですけども。辻さんはここにね何回もきて下さってね色々な話をしてくださってわたしも良かったなっておもっております。であなたは小さい時に音楽的環境といいいますかおじいさまが詩吟を」

≪私のおじいちゃんが詩吟の先生をやっていまして、私も何度かデビュー前にねおじいちゃんに歌っているところをね拝見させていただいたりとかいろいろさせていただいたんですけどもね。はい≫

「おなかの中から声を出してねすごくね」

≪もう80近いんですけども≫

「現在?」

≪はい。ものすごく元気で≫

「いまでも詩吟をやってらっしゃる」

≪はい。そうなんです。≫

「じゃあ大きな声で相手に伝わるようにやるのは小さい頃から見てらしたと。」

≪中山美穂さんの影響もありましたがおじいちゃんが詩吟の先生をやっているということでものすごく歌が好きだなとは思ってたんですが。≫

「でも人前で歌うのは嫌だったんですって?」

≪本当に恥ずかしがりやで。人前で歌うのが苦手で中学とか高校の時に音楽の授業の時に「じゃあ朋美さん歌ってください」と言われたときに「ちょっとおなかが痛くて」とかいて隠れてトイレにいったぐらいにそれぐらい恥ずかしがりやで今自分が歌手をやってるとはいまだに信じられないですね≫

「私も全然ダメで平らのとこでやってるのには良いんですけども1段高いところでやると全然ダメで、講堂の一番高いところで先生が「うさぎおいし♪~」でいいから歌って御覧なさいといわれたんですけども「うぅぅぅぅ」てその”う”はうなってる”う”じゃなくて「うさぎおいし♪~」の”う”なんですけどももういいやっていわれましたけども、出演料もらうようになってから急に歌えるようになりましたけどもね(笑)。」

≪そうですか(笑)≫

「あなたがお小さい時にとっても可愛い声で歌っているテープがありましてねその最後に「おなか痛くなっちゃう」っていってるのがあるんですが。あれは一緒に歌ってくださってるのはお爺様なのかしら?」

≪はい。私に内緒でテープを取っててくれたみたいで≫

~テープ再生~

「みんなに可愛がられてたっていう感じがすごくするんですけども。でもそうやっていらっしゃたんですけども高校1年生の時にカラオケにいらっしゃって」

≪そうですカラオケブームというかカラオケがすごく流行りだした時にあの友達に誘われましてみんなで行くようになりまして中山美穂さんの曲をうたわせてもらったり色々しているうちに私も歌手になりたいなって。夢が広がったっていうかそんな感じで≫

「その頃いろんなものを見てオーディションを受けにいって。それは歌のオーディション?」

≪歌のオーディションでもあったんですけども私はとにかく芸能人になりたくて毎日毎日オーディションを受けて毎日毎日落ちてました。≫

「ええ!全然知らなかったんですよ。華原朋美さんという方は可愛らしくてすっと出てらしたかたかと思ったら毎日毎日オーディションを受けに行って毎日毎日落ちてたんですって。そういう時は落ち込む方?どう」

≪落ち込む時もありましたけども自分の夢に向かって走っていきたいと思ってましたのでめげずに次のオーディションはなんだろうって。オーディションを受けていました≫

「あきらめない。あきらめないところがこの華原朋美さんの強いところで、あきらめないで自分の夢の歌手の方に向かっていくという。で、あなたの家は男の兄弟3人の中に」

≪あの私の兄弟は3人なんですけどもお兄ちゃん、お兄ちゃん、私、弟なんですね。ものすごく男子兄弟で育った中なので今もものすごく緊張してるんですけども男っぽいというかおてんばで≫

「でも女の子1人だったからとても可愛くお洋服をお母さんがしてくださったのかしら?」

≪私の母親がお洋服を作ってくれたりとか。キャンディキャンディがすごく好きで。すごく感謝しているんですがお洋服を作ってくれて、いつもバックの中にはお菓子が入っている。≫

※玩具の馬に乗っている写真が登場

「この乗馬は木馬ですけども」

≪乗るのが大好きでこのときも馬にものすごく憧れてまして≫

「じゃあこういうことで乗馬をやらせてみようかとお家もお思いになったのかしら?」

≪私の実家ではなくて別荘の方に遊びに行ったときに馬が走ってたんですね、その時に「あれに乗りたい」って言ったんですよ。でそっから始まって本格的にやるようになって高校3年生の時に国民体育大会で第4位に≫

「運動神経は・・・ダンスが余り得意じゃないと。運動神経がすごくよくてかけっこがすごく速くて高校生の時に男子の中に混じって一緒に走ってみろって先生が」

≪小学生の時に運動会の予行練習があって女の子同士はしっても飼ってしまうということが先生の方でわかっていたみたいで男の子と走ってと今日だけだからと言われて。で走ったらたまたま優勝≫

「そうなんですってすごいでしょ。女の子と走ってたんじゃこの子の進化はわからないと先生はお思いになって走ってご覧と言ったらそこで1等賞になったというぐらいですからね。でもそれは1番の子がちょっと転んだんですって?」

≪そうなんですよ(笑)男の子には絶対勝てないと思ってたんですけども前の日に前日に雨が降りまして少し水溜りがあったんですね。そこですべって≫

「男の子が。まあなんであれあなたは1等賞にお成りになったんですから。それにスポーツは次々いろんなものをおやりになるのね」

≪はいそうです。陸上と器械体操と水泳とバレエ≫

「バレエというのはバレーボールじゃなくて(※黒柳さん両手を広げて白鳥の湖のふりをされる)」

≪踊る方≫

「それとローラースケート?」

≪はい≫

「それとフィギュアスケート」

≪はいそれと家の前の道路でローラースケート。足の付いた・・・≫

「靴のところにローラーが付いた光源氏が履いているようなやつ。ずいぶんたくさんのスポーツをおやりになった。それなのにダンスができないというのはどういうことですかねえ。なんかあまり得意じゃないんですってねえ。コンサートでは踊りはあまり入んないんですってねえ」

≪努力不足です(笑)≫

「努力すれば何とかなる?でもファンの人は躍ってほしいと思うでしょうから」

≪がんばらさせていただきます≫

黒柳「それでは華原朋美さんの去年のツアーのところの一番ヒットしたところの」

華原≪I’m proudです≫

「それを歌ってらっしゃるところなんですけども見せていただきたいと思います。~VTR再生~でもあれですねこの歌がヒットしたというのを聞いてるとやっぱり歌詞、メロディーもいいですけども歌詞でみんなが共感するところもあるんじゃないですかね?」

≪そう思っていただければ幸いです≫

「私もそう思うわっていう所があなたの曲の中であるのかなって。そういうことあります歌ってらして?」

≪そうですね今までいろんなことがありまして皆様には本当にご迷惑をおかけしたと思ってるんですけども、こうしてコンサートができたりとかこうして元気でいられるのもファンのかたの皆様のお陰だとおもってます。あと私のスタッフのみなさんと。そういう意味では本当に本当にそういう意味では感謝の気持ちで一杯です(手を合わせて感謝)≫

「本当に今拝見しているとコマーシャルの間にあなたのところによってきてメイク直しをしてくださる方とあなたすごく仲良くしてらしてすごく大事なんですとおっしゃって」

≪そうなんですよ8年越しのティファニーっていうんですけども≫

「男の方なんですけども「ありがとうティファニー」ってこういう風にね。ティファニーっていう名前なんだっておもって。優しい感じでね。いろんなことがあってみんなどうなっちゃうんだろうと思ったかもしれないんだけどもそういう時にファンの方たちとスタッフの方たちが一緒にやろうと(※華原さん涙をふかれる)一生懸命ちから付けてくださったと思うんですけども」

≪はい。ここに生きてることがしんじられなくて≫

「そういう時もありましたか」

≪はいありました≫

「こんなに若いのに生きてるのが信じられないという事があるなんて考えられないですけどもいろんなことがありますよね。そういうことが歌を歌う方にはプラスになってねどこかでね大きなエネルギーになることもありますものね。」

≪本当にありがとうございました≫

「あなたずいぶん前と感じが変わりましたね。ご自分でもかわたっていう感じはあります?」

≪いろんなことがありましてファンの方々には感謝の気持ちとスタッフの方たちへの感謝の気持ちと≫

「ご家族もあったでしょうね」

≪家族も。そういう意味では私が自分ががんばらなくてはいけないなっていう気持ちになれたので。はい≫

「あなたがテレビで元気に歌ってらしゃるのを拝見して元気になったんだって良かったって」

≪ありがとうございます。≫

「それもあるんですけどもあなたは猿岩石と同じように何ヶ月だっけ?」

※猿岩石=お笑いタレント(芸人)のコンビ名。2人。テレビ番組の企画で香港からヒッチハイクでロンドンまで行くという企画に参加。見事達成

≪7ヶ月です≫

「こういう有名人の方が1人で、カメラを撮っている方がいるから本当に1人ではないけれどもなにも助けてはくれないわけでしょあの人たちは。」

≪そうですね。≫

「この方はアメリカに行ってとにかくレコーディングさせてくれっていうところまで。あなたの場合はアルバイトしながら最初にもらったお金はちょっとしかないんで7ヶ月。それでアメリカのレコード会社が大変な数で歌わせてもらうまでが大変で。話はついてないんでしょ」

※華原朋美さんは同番組の企画でアメリカに行き現地のレコード会社でレコーディングさせてもらうまで日本には帰れないという企画に参加した。見事達成

≪そうですね辞書を片手に少ないお金でいろいろな外人の方とお話をしなくてはいけない場所なので「なんとかです」とか聞かれた時に”ワン モアメン”とか言って辞書で調べたりして≫

黒柳「さて華原朋美さんは7ヶ月かかってロスでレコーディングをするまでっていうんですけどもお金もちょっとしかもらえなくてアルバイトしながら。どんなアルバイトを?」

華原≪アルバイト自体も生まれて初めてだったんですけどもカーウォッシュといいまして車を洗ったりとか掃除機をかけたりとか、後スタジオの掃除とかいろんなことをさせてもらいました≫

「レコード会社にいくんだけどもデモテープをもっていっても本当にけんもほろろなのよね」

≪そうですね。テープを少ないお金の中から買って≫

「日本から持っていくんじゃなくて」

≪突然何も知らずに行ってついた場所がアメリカの沙漠だったものですから≫

「おそろしいですねテレビ局も」

≪わたしも今まで反省しなくちゃいけないことがたくさんあったなって≫

「ずいぶんたくさん行きましたよねレコード会社にデモテープを持って」

≪もっていったんですけどもこれ以上ひつこくすると警察を呼ぶよとか≫

「テープなんて捨てちゃうわよって。毎日毎日どのくらいの人が持ってくるかわかんないんだからって。コネとか人を知ってるとかじゃないとダメなんですかねえ。で道端でプロデューサーみたいな人にマイクが付いてテープが付いてるんですか?」

※豆カラ=小型のカラオケ機のようなもの。手にもって歌える

≪豆カラというものでI bilieveという私の曲を歌ったところ英語じゃないから意味がわからないといわれたりして。≫

「それで英語で歌うようにしてそれにしても7ヶ月ですよみなさん。英語を勉強して、むこうのCDを買って吹き込んでわかってもらうようにして」

≪あとクラブでちょっと歌うようにさせてもらったりとかしたんですけども≫

「恐くなかった?」

≪う~ん恐かったですね。でも生きていくにはという気持ちでがんばりました≫

黒柳「それでクラブで歌ったら君は・・・」

華原≪お客さんを満足させる力も歌唱力も何も無いからといわれて明日からこなくていいと。その場でしゃがみこんで「なんで~」って泣きじゃくったんですけども≫

「だめでした?」

≪だめでした。きびしいですねアメリカは≫

「とにかくそういう風にやってらして最終的は向こうの方の曲をレコーディングするまでいったんだそうですけども。おめでとうございます」

≪ありがとうございます。皆さんのお陰で≫

「これからもツアーも始まるそうなんでみんなも待ってると思いますが」

≪はいみなさん遊びに来てください≫

「あなたのお母さんはとってもうれしいんですけども私の書いた”窓際のトットちゃん”をあなたに読んでくださったんですって?」

≪うちの母親がものすごくファンで私が生まれるという時に黒柳徹子さんのほんを読みまして私はこのように育ちました≫

「本当にお元気になってよかったです」

≪これからも応援しておりますのでがんばってください≫

「私も応援しておりますのでがんばってください」

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