本日の徹子の部屋ゲストは米原万里さん

2002年7月25日

黒柳「ロシア語の同時通訳でいらっしゃてエッセイストでいらっしゃってテレビのコメンテーターもなさいます米原万里さんです。私今すごく(米原さんの着ている)お洋服を褒めていてこれリボン刺繍で全部編んだものだと思ってたんですね。ところがこれは伸びる素材でできていてわたしはイッセイのプリーツのやつは知ってますけども」

米原≪同じ原理で作られてるとは思いますけどもね。私今ほとんど同時通訳はやってなくてあれは緊張するからほとんど太らないんですけどもいくら食べても。でも食べる量を減らさないで物書きになったらものすごい勢いで体重が増えていって着れる物はこれ1着だったんですよ≫

「胸も大きくていらっしゃるのね。限りなく伸びるんですってね」

≪そうですね。でもそのうちこのプリーツが見えなくなってね(笑)。≫

「さて米原さんはこの徹子の部屋に昔ロシアからソビエト時代ですけども素晴らしい人形劇が来た時に通訳で着ていただいたんですよね。すごいのはセリフを全部彼らはその国に行ったらばすぐに覚えてやるんですけどもその感じが「ボークタチハ、ニンギョーウナンダー」という感じで楽しかったんですけども。でどうしてロシア語がお出来になるのかと思ったら」

≪小学校3年の時に父の仕事の都合でチェコスロバキアのプラハというところに5年くらい滞在したんですね≫

「今思ったら一番言葉を覚えている年代ですよね」

≪吸収力がね≫

「私疎開してたからわかるんだけども弟も妹も赤ちゃんだったからわかんないんだけども弟も小さかったからベラベラだったのにしゃべった事すらおぼえてないんですよね。小さかったから。」

≪8歳以上じゃないと残らないと言いますよね言葉は。≫

「そうなんですか。東北弁を私は良く覚えてるんですけども。普通チェコにいらしたらチェコ語だと思うんですけども。」

≪チェコ語だと日本に帰ってきてから教科書とか先生とかほとんど見つからないじゃないですか。その後勉強を続けるためにはロシア語だったら勉強を続けられるだろうという事でロシア語学校に私と妹を通わせる事になって≫

「ソビエト学校で」

≪ソビエト学校で。当時のソ連邦の外務省が直接経営する学校で。先生も本国からやってきた先生で教科書もロシア語で授業も全部ロシア語で。私の親と同じ考えする人が多くてチェコにいる外国人は全部そのロシア語学校に入ってたんです。≫

「日本に帰ってらしてからは外国語大学のロシア語学科を卒業してその後東大の大学院でロシア語・ロシア文学をおとりになったっていうかたですから。ゴルバチョフさんやエリツィンさんなどの偉い方の通訳をなさる時は日本語である程度わかってないと通訳できない。当たり前ですけどね」

≪ある程度できないと成り立たないですね仕事としては。≫

「日本語がわかってないとできないという事ですよね」

≪成り立ちませんね≫

「ある研究会で日本しかわからないことをおっしゃっる方がいらっしゃって「ロシアは今大政奉還で」って」

≪経済感覚に関するソ連邦が崩壊してロシアになって経済改革に関するシンポジウムで日本の学者が「まあ大政奉還はなったけども廃藩置県はまだという状態ですなハハハ」って笑って私は同時通訳できずに何がハハハだって思って(笑)≫

「廃藩置県を説明するだなんて。日本の歴史をねえ」

≪難しいですよね≫

「そういう時はどうなさるんですか?」

≪権力は奪取したけども制度改革はまだだって。≫

「場合によっては「この方は今とても面白い事をおっしゃってるんですけども通訳できないのでお笑いください1・2・3」とおっしゃる時もあるんですって(笑)」

≪私はまだそれはやってませんけども。私の同僚はそれをやって切り抜けたりしてますね。「”毛沢東思想”中身を取ったら妄想(毛想)だ」なんていわれてもね訳できませんよね(笑)≫

「日本のダジャレをね」

≪これをロシア語にしろと言われてもわかりませんよね。≫

「それと英語で困るのはお米の話で「アメリカはなんと言っても米国ですから」といわれるとなんといったらいいのかって。そういうこともあるんですけども今度大宅ソウイチ賞をお取りになった本がとても面白いのは題名が第一可愛いですよね」

≪”嘘つきアーニャの真っ赤な真実”。≫

「そのソビエト学校でおあいになった特に3人のお友達をことを。女の子のね。それがすごく個性的でどうしてあんなに面白い子がそろったんでしょうね」

≪ええ。ただね私日本人で行ってつけられた形容詞が”謙虚だ”とか”ひかえめだ”とか付けられていっつもね謙虚なマリちゃんといわれてたんですね。(※写真が登場)後ろにいる子がリッツァ≫

「この子がおかしいのは算数が全然できない。この子があまりできないんで先生が鶏は・・あの鶏の話をしてください」

≪あの、授業なんかl嫌いだからおしゃべりしてるわけ。先生が応用問題をだして”集団農場でトラクターが2週間畑を耕しました。”そこでリッツァが先生の話を聞いてないと気が付いてやってくるんだけども「リッツァ今の問題答えないさい」。本当は違う応用問題なんだけども軌道修正して「集団農場で2週間トラクターが畑を耕した。2台のトラクターが畑を耕した。1台のトラクターは何週間畑を耕しましたか?」って尋ねるのね。(リッツァは)「あら!1週間に決まってるじゃない」ていうのね≫

「フフフ」

≪先生も困っちゃってもう一度何回も繰り返すんですけども≫

「2週間っていってるんですからね」

≪「(先生はリッツァに尋ねる)じゃあねリッツァここに鶏がいます。鶏は2キロぐらい。この鶏が二本足で立っています。この鶏に体重はいくつですか?」「(リッツァは)2キロです」「じゃあ鶏は1本足で立ちました。鶏の体重は?」「(リッツァ)1キロです」≫

「ハハハ」

≪教室中は笑の渦で先生もつい吹きだしてしまうんですけども≫

「であなたの体重は?って先生がまた尋ねて」

≪「44キロです」って。≫

「初めに言いたくないっていうのね」

≪そうそうそう(笑)。で先生はこれは応用問題だから嘘でもいいから言ってって「(リ)45キロ」。先生が46キロにしましょうって言ったら「いやです絶対45キロです」っていいはるんです。わかりました44キロにしましょう。今二本足でたってますね体重は何キロですか?「44キロです」。じゃあ片足で立って御覧なさい。今のあなたの体重は何キロですかって「22・・・44キロです」っていうのね(笑)。先生がリッツァ鶏は片足で立つと体重が半分になるのになぜあなたは片足でたっても体重が変わらないんですかっていったら「ひどい先生」って言って泣き出してしまって「鶏と私を一緒にするなんて許せない」って言って泣き出すのね≫

「おかしいわね。こういう子供を相手にしてるんで先生も大変だと思うんですけども主張が強いっていうかね。自分の算数ができないのを棚に上げてね。わたしもいろんな”長靴下のピッピ”とか童話とかたくさん読んでるんだけどもそういうの読んでるぐらい面白かったのね。日本ではそういうのは許さないとおもうんだけども外国では日常的に」

≪そうですね1クラス人数が少なかったので≫

「何人ぐらい?」

≪15~20人ぐらいで20人を超えると2つに分けるんですよ。生徒も1人1人の個性がわかったし先生もフィードバックというか教えた事がどう理解されたかわかりながら授業できたんで。私も40年以上前のことでもしっかり覚えてるんですよね≫

「読んでいて面白いんだけどもそのリッツァという子供はあまりに勉強ができないものだから先生があなたがギリシャのすごい」

≪そうそうそう(笑)。ギリシャの有名なユークリントスとかアルキメデスの末裔だと思いたくないっていったぐらい≫

黒柳「次にヤスミンカというユーゴスラビアの女の子。この子はすごく頭がいい」

米原≪信じられない事に私だと6ヶ月ぐらいかかるんですよロシア語できるようになるのに。ヨーロッパ系だと3~4ヶ月、同じスラブ系でも2~3ヶ月かかるんですよ。が来てすぐにペラペラなんですよ。○×テストとか選択式テストとか一切無くて全部口頭諮問か論文式なんですね。黒板の前に来て説明するんですけどもそれが論理的で面白くて聞きほれちゃうの。≫

「人間のどっかの機関が」

≪それでね生物の時間に、いや人体解剖学の時間に前の宿題を尋ねるのに「人体の機関の中である状態に置かれると6倍に膨張するものがあります。これはなんでしょう?」モスコースカヤっていうちょっと気取った女の子に尋ねたんですね。彼女は恥ずかしそうに身をよじってるものだから先生に指されちゃうのね。「いやです。私そんな恥ずかしい質問に答えられません」ていうのね。お爺様からもお母様からもそんなはしたない事を考えてはいけないといわれてるから絶対答えられませんっていうのね。≫

「まだはしたないかどうかわかりませんけどね(笑)彼女はそういったのね」

≪みんなクスクス笑い出して≫

「そういうところがみんなませてると思うんだけども」

≪みんな笑っていてでもヤスミンカだけはいつもクールでいるから彼女に当てるわけね。「さあヤスミンカそれはなんでしょう?」。それはあの暗いところからいきなり明るいところに置かれた瞳孔ですっていうのね。瞳ね。≫

「さっき恥ずかしそうにしてた女の子に」

≪はっきりしたのはあなたはちゃんと宿題をやってこなかったっていうこと。2つ目はとても厳格なお爺様のもとで育てられた割にはおつむの中はそれにふさわしくない事。3つ目にって言った瞬間に先生はくちごもっちゃうわけ。先に進もうとして他の子を当てようとするんだけどもみんなは気になっちゃって3つ目はなんですかって言って問い詰めるんです。先生はモジモジしちゃって。あの何とか先に進もうと思って眼球の構造を説明しだして角膜は第2レンズ、第1レンスにそうとうする目の機関はなんですかって?尋ねて。でも尋ねてもみんなは先生を見つめて≫

「さっき言おうとして止めたのはなんですかって?」

≪しょうがないからヤスミンカにまた尋ねて(ヤスミンカは)「水晶体です。それと先生が3つ目に言いたかったことですけども」って言ったの。(すると先生は)「3つ目はあなたがそう思っていてもきっとがっかりするでしょう」って(笑)。≫

「3つ目はあなたが考えたお爺様に言ったらば叱られるような事というのは実際その場面になったらばあなたはがっかりするでしょうって。先生は6倍には膨張しないかもしれないって(笑)。その女の子はちゃんとわかって小さいのにね」

≪13歳ですけどね。≫

「そう思っていてもがっかりするかもしれませんというところがすごいんですけども。そういう面白い事が一杯書いてあるんですけどもその子たちがその後どうなたかというのが書いてあるのが大宅ソウイチノンフィクション賞をお取りになったところだと思うんですね。その次のアーニャのことも伺うんですけどもちょっとコマーシャル」

≪はい≫

黒柳「さて嘘つきアーニャというのはルーマニア人だそうですけどもそのこは本当に嘘つきだったんですか?」

米原≪ええ呼吸するように嘘をつくんですよ。自分のついた嘘を自分でも信じてる節があって一度付いた嘘を本人も思い込んでるんで覆らないんですよ。≫

「何回聞いても同じことを言う」

≪さらに膨らんで物語になっちゃうんですね。≫

「ルーマニアの子なんだけども家の中はとっても良い暮らしだったんですって?」

≪言葉使いが共産主義イデオロギーそのものの言葉使いで、なのに昔貴族が使っていたようなお屋敷に住んでいて住み込みのお手伝いさんとかお抱えの運転手さんとかがいて、住み込みのお手伝いさんにいつも「同志」っていつも呼びかけるのね≫

「いい暮らしなんだけども「ありがとう同志」っていうのね。私”ニノチカ”っていう芝居をやったんで良く分かるんだけども、サンドウィッチでも「食べますか同志。カロリーが少ないですけども同志」ってなんでも同志って言うんですよ。その時おかしかったのが光ゲンジが見にきてて「あれ(同志っていうのは)暗号ですか?」っていったんですけども(笑)」

≪あのもううんざりするほど・・・いい子だったんだけどもうんざりするほど共産主義礼賛とルーマニアにたいする愛国心が強い子で≫

※礼賛=ありがたく思うこと。その偉大さをほめたたえること

「まあルーマニアではその後大変なことがあってチャウシェスク政権。その後分かったのは豪邸があったり不思議な生活でしたものね。まあそういう大変楽しいことがこの本に楽しい個性的な3人の女の子の話がたくさん書いてあるんですけどもそのこたちがどうなったのかもうバラバラになっちゃたんでねしばらくはお手紙でやりとりもしてたんですけどもバラバラになって、それで”わが心の旅”というテレビでテレビマンユニオンが作った時調べてほしいと頼んだら3人とも分かったんですね」

※チャウセスク=ルーマニアの共産主義政権時代の独裁者。政権崩壊時に銃殺される。

≪私全然期待してなかったら≫

「その算数が全然できなかった子が一念発起して」

※一念発起=転じて、それまでの考えを改めて熱心になること

≪チェコのプラハの一番いい大学でカレル大学の医学部に入って卒業して医者になってたんです≫

「そのままチェコに住んでたんですか?」

≪いえドイツのフランクフルトの近くで開業医をやっていました≫

「人間って一念発起するとどっかでね」

≪また一念発起するきっかけとなった事件もねあのもう大変なね≫

「それもご本に書いてあると。この米原さんがお書きになりたかったことはもちろん子供の面白い童話のようなお話だけどもやっぱりそこのところなんでしょお書きになりたかったところは?」

≪そうですね。私日本に帰ってきて共産主義の学校に通っていたらきっと規則がんじがらめで規正ばっかりで非常に固定観念で灰色のつまらないものを想像する。でも人間はそういう国家とかイデオロギーとかを越えてそれよりもはるかに豊かで面白くて複雑じゃないですか≫

「それぞれの方にお会いになったんですけどもユーゴスラビア人だったヤスミンカは旧ユーゴスラビアといったほうがいいんですけども大変なことになった。その後の3人です。コマーシャルです」

≪≫

黒柳「嘘つきアーニャはルーマニア人でそれだけの暮らしができるという事はチャウセスクに近い人だったんでしょうね」

米原≪そうでしょうね。≫

「彼女はどうなっていた?」

≪彼女は18歳の頃イギリスに留学してイギリス人と結婚して私と会ったときは私はルーマニア人としては10%以下だと。イギリス人になりきっていてロシア語も完全に忘れてしまっていましたし。≫

「ご両親はどうなったんですか?動乱の時には」

≪いえちゃんと生き残っていて超豪華なマンションに住んでました。チャウセスクが銃殺された後も≫

「どうなってるんでしょうね。わかんないですね。」

≪ガイドをしてくれた青年によると今の政権はチャウセスクを抜いたチャウセスク政権がそのまま残ってるって言ってました。≫

「じゃあチャウセスクが悪いと」

≪チャウセスク1人が悪いということにしてしまって急いで殺してしまったんでしょうね。≫

「中でも一番気の毒だったのはユーゴスラビア人だった頭のいい子のヤスミンカですよね。どうなったの?」

※ユーゴスラビア=その後ユーゴスラビアは内戦状態が続きクロアチア、ボスニア、新ユーゴスラビアなどに分裂。

≪絵描きになるといって私も絶対に絵描きになると思ってたんだけども≫

「どこに住んでたんですか?」

≪彼女はボスニア人と分かってボスニアのサラエボという一番戦争の激しいその時期に私は探していたんでもう生きてはいないともってたら会えました。ベオグラードに住んでいて≫

「家族とも会えなくてバラバラになって」

≪今は会えました。4年間血と親はボスニアに住んでいたものですからあえないでいましたね。地続きで行くと1時間でいけるところなのに電話もダメ郵便もだめで≫

「後は嘘つきアーニャの真っ赤な真実をどうぞ」

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