2002年7月26日
黒柳「あのここへ座る位置とか全部ご主人が決めるのね」
松岡≪そうです。≫
「でもその決め方があなたが決められないから決めてくださるみたいなところがあるのね。」
≪どうでもいいですていったら「どうでもいいのはだめ」こうしなさいこうしなさいって。≫
「今日のお洋服もこの緑色がいいっていうのもご主人がおきめになった」
≪そうです。いつも一緒に出かける時や一緒の仕事の時とかは2,3点みせてどれがいいって。≫
「ご主人は自分でこれがいいって決めるの?」
≪大体は自分で決めるんですね。≫
「でも買い物に行くと1人では決まらないんですって?」
≪買い物は1人ではいけないですね。というのはお店の人に「これお似合いですね」といわれれば嫌といえないんですね。人がいいというかケチというか高いものにすごく躊躇して。≫
「2万円とか」
≪2万円とか3万円のセーターでこんなに贅沢なセーターを買っていいだろうかって。買えばいいんじゃないていっても「いや」って決断力が。例えば徹子さんにこの5万円のもの素敵だからあげようということには全然躊躇しないんですよ。自分のものに関してはちょっと躊躇して。≫
「それであなたのお洋服はこれがいいというのはご主人がお決めになる」
≪そうなんです≫
「(谷さんのブレスレッドをさして)素敵なブレスレットをしてらっしゃいますが。薄緑色の」
谷『はい』
「それはお洋服にあわして?」
『いえ、これは血の流れを良くするというトルマリンの。』
※両手にブレスレッドをはめている
「向こう側のは?」
『これは香港にロケに行ったときにコーディネーターをしてくれた70いくつの向こうの方がヒスイは邪気を払ってくれたりして色々いいって。結構そういうことは気にします』
≪結構お年寄りに言う事は聞くんですよ≫
「でもあなた(松岡)だって明治生まれのご両親でそういう生活がいいって。このお2人は仲がいいんですけども結婚を発表される時は谷さんのお誕生日?」
『9月9日です』
「で入籍したのはあなた(松岡)のお誕生日」
『きっこさんのお誕生日ですね。2月11日』
「結婚式はやってらっしゃらないの?」
≪2度目なんですね(※谷隼人さんは2度目の結婚だった)。ですごく思いやりがある人手周りの方が結婚してないのに派手な結婚式をやるのは良くないからやめようと。でも将来子供ができた時にうちのお母さんの結婚式の時の写真は無いのって言われたら困るからタキシードで写真だけは撮ったんです≫
「そうなんです。これはお勧めしたいって思ってらっしゃる事なんですけどもホテルニューオータニにお泊りになった結婚した日にそこで写真を撮って以来毎年21年間(写真を撮り続けている)。これは仲がよくなくてはできませんよ。その時によって何着ようかって」
≪そうですね主人の母が亡くなった時には真っ黒い格好をしたりとか≫
『7年前に亡くしたときは黒を着てると思います。』
≪で2,3枚だとたいしたことないんですけども20枚以上だと歴史を感じて。≫
「全然お変わりないですものね。」
≪この写真を最初の撮ってくださった菅原先生という方はもうお亡くなりになったんですが。最初撮った時には主人がケンカして、うるさいんですよホテルのお写真というのは指がこうなってとか。≫
『撮る時に指がどうとか首がどうとかうるさいんですよ。僕は慣れてるんだと、この仕事でなれてるからいいって言ったんですよ。でも出来上がった写真を見たときに1年に1回くらい自分を見つめ直すというかこうなってみるのもいいなっていうのが大体のスタートなんですよ。』
「どうしても自分だといつも同じになっちゃうし、自然な形というのがあるんでしょうけどもあちらの方が見た夫婦の自然な形というのがあってね」
≪それで意気投合して。≫
『その先生がなくなられて、その後息子さんにずっとやっていただいてその後も弟子の方にやっていただいて21年やっています。』
「写真をみてると夫婦の歴史というのもあるんでしょうけども、皆さんにおすすめしたいというのは写真を撮りつづけて21枚もあるとこれでご主人が浮気なんかしてもこれがあれば別にいいっていう強いあれになるんですって?」
≪そうそうそう。21年の歴史がありますから例え浮気の1つや2つしてもこの歴史のが2人に中にある限りそんなことは軽い軽いってドーンと構えられますね≫
「ただの写真ぐらいと思ってしまいますけれどもそんな力になるというのはね。」
『あまり大きなことは言えませんけども』
「そうねえ前にそんな事がありましたね。」
≪それで写真を撮った晩には毎年ホテルニューオータニに泊まっていたんですけども阪神大震災があって私の友達と主人の友達も関西にいてお亡くなりになった方はいらっしゃらなかったんですけどもかなりの被害があった方がいらっしゃたのであれが1月で私達は(結婚記念日は)2月でしょ。こんなことでうわついていてもって≫
『浮かれてる事はやめようということで』
≪寄付でもできたらということでそれ以来止めてしまったんです。だから継続って大変なことで止めちゃう事は簡単なんですね≫
『写真は継続してるんですけどもね』
「こういう風に夫婦の歴史が刻まれてるっていうことはね。最初の1、2回が抜けちゃってるとダメなんですよね」
≪そう1回も抜けないで撮ってもらえるという事はありがたいですね≫
『徹子さんねえどっかの年で仕事の都合で朝4時ごろ(ホテル)を抜け出た事があるんですよ。そしたらホテルの人がビックリしてたもんな。花束抱えながら出て行ったもんだからケンカしたんじゃないかって。ニューオータニでな。』
「でもやっぱり芸能界でいろいろなことがあっても仲良くおしどり夫婦で仲良くしてらしゃる方がこういうものを大切にしてらして毎年そろそろねっていってるのは本当にいいですね。」
≪写真撮った次の日に「これからまた1年間よろしくお願いします」って2人で挨拶するんですよ。≫
『なんとなく12月31日の24:00になったら東の空を向いて私が「今年1年いい年でありますように」と祈って向き直りましてきっこさんときっこさんのお母さんと同居してるものですから「今年1年よろしく」とあいさつするんですよ。そういうことしないといやなんですよ』
「親しき仲にも礼儀ありっていいますけどもそういうことって必要なのかもしれませんねえ。でもちょっとしたことが男性だからありまして、きっこさんの対応が良くてうまく何事も無くすっすとねえ」
『すいません』
「(笑)。そういうことがありまして写真を思い出したものですからねえ。」
≪その節は心配していただいてありがとうございます≫
「よく芸能人の何とかって出かける時にうつるじゃない。仲が良くていいなって思うしね。ただお子さんがいらっしゃらないのがね。2人とも子供はほしいと思ってらしたの?」
≪最初は男の子で犬年の子がほしいって。≫
「なんで犬年がいいっていったの?」
『自分が犬年なもんで。』
「決めちゃうとねダメなんですよね逆にね」
『武道をやらしたかったんですね。少林寺とかをやらして礼儀をきちんとできる子にしたかったんですね。』
「じゃあ変わりに若い子を育てたいっていうお気持ちはあるんじゃない?」
『ありますあります。今はそれが夢です』
≪(谷さんを指して)若い方が好き。年下の人を集めてご飯を食べに行ったり≫
「お兄さんみたいにね。やっぱりそういう人たちに自分の思ってる思いを、ちゃんとした日本の人になってもらいたいっていうね。別に日本の人でなくてもいいんだけどもちゃんとした人になってほしいと」
『礼儀だったりね、先輩に対する思いやり親に対する感謝それだけは絶対に忘れたくないなって。』
「亭主関白っていう風にねみんなが」
『っていわれるんですよ。僕は九州だからすぐに言われちゃうんですよ』
「といわれると思うんですけども2人そろったところで聞きたいと思います。」
~CM~
黒柳「谷さんは九州の方だし、座り方からして日本男児みたいな座り方なんですけども。で亭主関白だって思われてるんですけども実際はどうなんですか?」
松岡≪本人は違うって言うんですけども自分ほどやりやすい夫はいないっていうんですけども実際はえばってますよね≫
「でもあなたはえばっていても構わないって。」
≪うん。その無理してやってないことだから。≫
「うん。その無理はさせないって言うのがご主人の考え方なんですよね」
谷『黒柳さんに言いたいんですけども最初に2人で取り決め事をしたんですよ。例えば結婚する時に僕達はドラマや何かをやってましたので結婚するわけだから家のこともしてもらわなければならない。本当は家庭に入ってもらいたいんだけどもきっこさんは11PMやなんかでがんばっているからそれは伸ばしてもらいたい。ドラマのほうは撮影が毎日になってもまずいからそっちはやめてバラエティとかそっちの方にいって。かといって生半可にできるっていってるわけじゃないんですよ。だけどもそうしてくれといいました。分かったといいました。きっこさんのお母さんと同居です。料理は何もできませんでした。』
「こちらは子役さんからやってらっしゃるから」
『料理を最初に作った時に作り始めたのが5時半か6時くらいで本当に夕食ができたのが11時ぐらいですよ(会場笑)。』
「何ができたんですか?」
『ハンバーグ。大変だったんですよ。味噌汁を作るのにもねえ』
≪ご飯も炊いたこと無い。≫
「子役をやってらしたからね。見よう見まねっていうけどもお母様の作ってるのも見てる間も無いわけでしょ。」
『まずい時はちゃんと言って覚えてもらいたかったんですよ』
「でもあれね何時間もかけて作ってこれまずいだろうって(笑)」
『まずいのも知らないといけないから』
≪最初はショックでしたから。時間をかけて作ったの。どこがまずいか言ってみてっていったってわかんないって≫
『わかんないと次にいけないでしょ。』
≪わかんないということは舌が良くできてないからもっと勉強しなさいって。≫
「できないのはいいんだと、できないならできないといいなさいと」
『料理できないならできないといってください。できないならお手伝いさんでも雇えばいいんだから。でもできるといったんですよ。やりますというのは僕に対する約束なんですよ。できないならできないといってくれればいいんですよ』
「楽は楽なのね考えてみると」
≪できないっていっとけば良かった。≫
「できないって言っとけばねえ」
『言っちゃえばねえって(笑)』
≪無理してやりますって言ったわけ。ご飯も作ります、家の中のこともやりますって全部言っちゃったものですからやるといったものはやりなさいと。他所様から見ると羨ましい旦那様だと思うんですよ。例えば朝起きる時にビタミンCのジュースを持て行って起こして体を拭いて下着を捧げもって・・・≫
『いや自分ではけますよ。』
「あらそうやってもらってるの?」
『いやいや徹子さんはけますよ自分で。』
「そういう風に決めたの?」
『(松岡さんを指して)決めたんです』
「朝起きる時にジュースを持ってって下着も持っていって」
≪最初出来ないって自分で起きてって自分で仕度してっていっちゃえば良かったのに。≫
「そういっとけば」
『やりますよ。』
「はかしてもらってるわけ?」
≪はかせてって手で持ってるだけで足を入れるんですけども。≫
「寝ながら履いたりするわけじゃないのね」
『寝ながら履いたりするわけじゃありません。(笑)』
≪あとお風呂から出たらからだをタオルで拭くとか今だにやってるんですよ。そういうのを他所のだんなさんが聞くと「ええ!!奥さんがそんな事までやってくれてんの。うらやましい。」っていうけども最初にお風呂から上がった時に体を拭くのはできますって「はい、できます」っていっちゃったものだからずっとそれが続くわけですね≫
「私はそれはできないのっていっちゃえば」
『いいですよ。今でもできないといえばそれはしょうがないと思いますよ。』
「だから50過ぎたらスポーツやってくれってきっこさんに言って、やるって言ってやるっていったならやってくれって。」
『僕は昔アクション物をやっていてジムにいってやってたから。嫌がってたんですよ。でも50を過ぎて60の時に素敵な松岡きっこにしたいと思いまして話をして納得してやると言ったんでやるところも見てきましてオープニングも見てきまして古いところだと古い人にいじめられてもいけないから新しくできたところに行かせて3日、3ヶ月、3年続いたら人に自慢してって言って5年目ですよ。』
「ああそれじゃあいいじゃありませんか」
『5年続いたんでみんなに言ってもいいんじゃないかって。』
≪私運動大嫌いだったんですよ。走ったり飛んだり≫
「それが今は?」
≪今は楽しくてしょうがない≫
「全部ご主人が探してきてくれてさあおやんなさいって、やるといったんならやめないでやってって。それはずいぶんいいなって思いますけどもねえ。」
≪手がかかる割には優しいですね≫
「それとやるといっちゃたんだから手がかかるといってもあなたはやんないわけにはいかないのね。」
≪簡単に言うとお風呂にはいてる間にお風呂の足拭きマットをセットしたりするんですよ。でもときどきセットするのを忘れちゃう事があるじゃないですか、そういう時は自分でセットすればいいのに「おおい!!!」って呼んでマットが出てないと怒るんですよ。できない事はやるといちゃダメだって。≫
『できないといってくれれば自分でマットをセットするし・・・』
「でもそんな事ぐらい自分でだしてもいいって普通は思いますよね。」
≪私がおくまでは呼ぶわけ。やるといたからには完璧に出しなさいって。≫
「難しい。私じゃだめかもしんない(笑)」
≪ううん。けんかあまりしないですけどもケンカしたときにベットの側で正座して私が「申し訳ありません。私が言い過ぎました」って言わないと許してくれないんです≫
「それでもういいんですか?」
≪次の日はケロっとしている≫
「いいわねえ。いとこはすごくいいんだけども、忘れたり手を抜かなければすごくいいのね」
≪そうですね。まあ簡単といえば・・まあそんなことは無いですけども。≫
「ちょっとわかったようなきがします」
~CM~
黒柳「面白い事があります。奥様方が主婦の方が何人かこちら(番組観覧者)にいらっしゃるんですけども、どなたもご主人が谷さんのような人はいらっしゃらないとおっしゃったんでめずらしいご主人かもしれないんですけども逆にあなたのお母様がご病気になったらびっくりするほどこの方」
松岡≪もーね病院中の方が本当にやさしいお婿さんですねって言って≫
谷『でもそういう気はないんですよそういう気はなくても』
≪私が仕事でいかれない時は病院に行って≫
「それは谷さんによるとチームだから。3人で暮らしているチームだから」
『チームでお母さんが病気してるわけだしこの人は仕事でいけないわけで、僕はあいてれば行くと。この人があいてれば行くと』
≪母は主人が病院に来てもお花の水を変えてくれるわけでもないし何にもしないからただ一緒にテレビを見て「ジャイアンツ調子いいですね」って。母が私に谷さんにこなくていいって言ってよって(会場笑)≫
『ひどいでしょ』
≪なんでって言ったら「きてもらってもそのうちにしゃべる事もあんましなくなってくるし、どうしていいか分からなくて2人でう~んてテレビを見てるから」って。こなくていいって言ってますよっていっても「やっぱし行かなくちゃいけない」って≫
『何かあたっときにあれですからね』
≪私より優しいですよね≫
「なかなか行ってくださいませんよ。奥さんの病院に毎日なんて」
『いや自分のね母を亡くしてからきっこさんのお母さんを自分の母だと思ってますよ。』
≪母が退院した後もセキなんかすると「お母さん大丈夫ですか?」って。言い方は男の人ですからやんわりはしてませんけども気をつけてくださいって。≫
「お母さんも十分お分かりで谷さんの性格を?」
≪そう思いますね。≫
黒柳「まあとってもいいコンビネーションのご夫婦だとわかったんですけども、あのタイガーウッズがどうしたんですか?」
谷『ええ、このウッズがまた全米オープンを優勝しました。100年に1人の男です。私93年ぐらいからいいって応援してたんです。それでたまたまきっこさんのお母さんのお誕生日に犬を買ってプレゼントしました。95年度に。タイガーウッズ谷とつけました。お母さんが虎みたいでやだって。阪神タイガースみたいで私は巨人ファンだっていうんです。いえそうとは違うんです。このこは素敵になる子だから96年にプロに転向しまして97年にマスターズチャンピオンです。』
「それで無名の時のタイガーウッズのサインをいただいて」
松岡≪子供ができなかったから≫
「お子さんの代わり」
『一番好きです』
「でもみなが才能を認めてなかったタイガーウッズを認めたのもすごかったし、だからきっこさんのいいところが分かったんだと思うんですけども。今話を聞いてると亭主関白というのではないと思うの。本当にやさしくていい人なのね。できない事はできないっていいなさいそしたらやれっていわないんだから。お天気屋さんじゃ無いところが一番いいじゃないですか」
『ありがとうございます』
≪ありがとうございます≫