2002年8月12日
黒柳「今日のお客様は漫画家でいらっしゃいますがちばてつやさん。有名なのはあしたのジョーで。それとこないだシジ褒賞をお受けになったそうで。この明日のジョーなんですが昭和42年の12月から5年5ヶ月少年マガジンで連載されたそうですけどもずいぶん長いことでしたね」
ちば≪長さでいうとそんなに・・・僕ははじめると長いんですがまあその当時は5年間連載するというのはね。また週刊誌で5年間連載するというのは長かったですね。≫
「お読みにならない方も絵をご覧になればこれかとお思いになって、明日に向かって歩いていく若者の感じがします。とっても有名なんですね力石徹さん。さんっていうのも変なんですが。この人が途中で死ぬっていうことになって殺さないでくれっていう嘆願書がすごい来たそうで」
≪ちょうど漫画で人気が出てきてテレビでアニメーションでやるという話が起きてたものですからジョーと同じぐらいの人気があるキャラクターがいなくなると困るんじゃないかと(笑)。生きて元気でずっとライバルとしているという風に描いた方がいいんじゃないかという意見があってそこでね話し合いがあったんですけどね≫
「ちばさんとしてはどうしても」
≪そうですね非常にシリアスな漫画でね深刻な減量とか描いてきてますから、そのあとも熾烈な戦いを描いてきていますからねまた生き返ってくると嘘をかいてるんじゃないかと。まあ僕も若かったからね。ズーと入り込んでましたから意固地になって≫
「まあご自分が貫きたいというねお思いになったから人気も出たんだと思うんですけども、なんと行っても驚きましたのはこの力石徹という人の33回忌というのがあったそうなんですけども、300人もファンがあつまって」
≪33年前に出版社の講堂でやったんです。同じ講堂がまだ残ってたんで33回忌を≫
「この死んだときはみんなもとても悲しんだんですが寺山修二さんが発起人になってお葬式をなさってそこに800人もきたんですって」
≪そうですね。平日だったんですけども子供もきてまして大人も大学生も来てたんでみんな学校とか会社を休んで来てたんだなってあとで分かりました≫
「漫画の主人公のライバルということだったんだけども本当に燃え尽きた人だったんだけどもその力石徹さんの33回忌だったんですけども。その中で明日のジョーは何度倒されても立ち上がるというそれはちばてつやさんも人生引揚とかあってこれからその話も伺うんですけども、やはりそういう人生であってほしいという願いが」
≪そうですね生き様というか何の世界であってもそうですけども必死に命がけで生きるという生き方がその頃は感動していましたから、そういう思いでかけたというか≫
「投げ出さないと。すごく有名になったちばてつやさんなんですけどもお若い頃に少女雑誌に少女の絵を描いてらした。古いんですけども持ってきていただいたんです。これは付録の表紙なんですって?」
≪昔”少女”クラブっていう雑誌がありました。それの別冊で≫
「お書きになっていてもあわないなって」
≪そうですね僕は男ばっかりの兄弟でね身近に女の子がいなかったもんだから女の子がどういうもんを読んだら喜ぶのか分からなくて非常に苦労して描きましたね≫
「でもずいぶん昔でしょうからね。その後野球ですとかお相撲ですかそれからボクシングとかをお書きになってそれからは2度と少女雑誌にはお書きにならなかった?」
≪いやあやっぱりあの女性の漫画家って言うのは昔はあんまりいなかったんです。でもどんどん出てきまして自分たちのね女性の世界をよく知ってますからそういう人たちが出てきて僕たちが入る隙がなくなってしまったというか≫
「そうなんですか。でもいかにこの明日のジョーや巨人の星の星ヒュウマが人気が高いっていうか今年からまた隔週で発売が始まったんですって」
≪雑誌でジョーandヒュウマっていう≫
「この2人にまつわる事とか。新しく原稿を書いてるわけじゃない?」
≪原稿はそのまんまあるいはちょっと書き直したところはありますがほとんど再録ですね≫
「それにしても間にいろいろなものが入っていて、2大ヒーローですかね。たしかにボクシングと野球ということですからね」
≪当時の少年マガジンに一緒にのってたんですよ。それで一緒に人気を競っていたという時期だったのでまあそれも30何年前ですよね≫
「そうですね昭和42年ごろですから。これから引き揚げの話に移りますがもう1回明日のジョーの絵をもう一回・・・明日のジョーのモデルでもないけどもこういう少年かなんかどっかでごらんになったんですか?」
≪あの描いていくうちにどんどん形が出来たんで最初はねえ国松って書いてたキャラクターがあったんですけどもそれがちょっとお兄さんになっただけでしたね。だんだん成長してジョーらしくなっていった≫
「でもボクシングのところにおかよいになったんですか?」
≪まあ取材は随分しました≫
「そうでしょうね格好はずいぶんボクシングの格好に」
≪なってますか(笑)≫
「あまりくわしくないんですけども。でもまあ明日のジョーのようでなければちばてつやさんも生きてこれなかった人生ではないのかと思います。今週は戦争が終って57年ということで今週は戦争を忘れないように繰り返さないようにそしてもういいといいう方もいらっしゃるかもしれないんですけども若い方にも知っていただきたくてそういう思いで放送しているんでぜひ見ていただきたいんですけども、お生まれになったのは日本?」
≪築地で生まれました。それで1歳の時に大陸のほうへ連れて行かれたんですね≫
「昔は大陸といっていまして満州、瀋陽奉天へいかれて」
≪終戦の時は≫
「お父様は印刷会社に」
≪凸版印刷の子会社だと思うんですが新大陸印刷という昔の奉天に大きな印刷工場がありましてそこではたらいていました≫
「私今大陸っていうんで思い出したんですけども”のらくろ”っていう漫画がありましたね。学校で俳句を作らされましてね”のらくろは兵隊辞めて大陸に行く”というのを作ったんですよね。昔は今の中国東北部を大陸と言っていたんですね。ただそれを小沢昭一さんがね季語が入ってないって言うんですよね」
≪ハハハ(笑)≫
「そいで私長いことあれが猫だと思ってたんですよね。でノラクロは猫だから季語じゃないかっておもってたんですけどもあれは犬だったんですね」
≪犬ですね(笑)≫
「まあとにかく(満州の印刷会社の)社宅にお住まいで、ずいぶん男のお子さんのおおいお家で」
≪ええ男ばっかし4人兄弟で≫
「ご長男なんですねちばてつやさんは」
≪そうです≫
「戦争が終ったときは6歳でいらした。それで戦争が終ってそしたら次々大変なことが起こってきて」
≪ええ、当時我々日本人は今まで守ってもらってたと思っていた兵隊さんがいなくなったわけですからほとんど。そこへ今まで虐げられてきた中国の人が怒ってますよね。なんで日本人が中国にいるんだって。そこへロシアが攻めてきて大陸にいた日本人が路頭に迷ってあっちへ逃げこっちへ逃げっていう時代が始まるわけですよね≫
「お宅も夜のうちに逃げ出して略奪とかが始まって、そこで赤ちゃんだったお子さんもいるんで安全な場所って言うんで」
≪ええ≫
「工場の物置とか学校の講堂の隅とかに逃れ逃れて」
≪逃げ回ってましたね。で昼間は動けませんから≫
「同じ印刷会社のみなさんと。」
≪グループをつくってね≫
「40人か50人で行動されていたんですけども、そうこうしているうちにちばさんの履いている靴から釘が出て」
≪ええ、普段はいてる靴を履かせてもらえればよかったんだけども2度と家には帰れないという思いがあるんでしょうね親は一番いいのを着せるんですね。出来るだけたくさん。オーバーまで着させられてそれでリュックをしょわせられて。いい靴を履かせてくれたんですね、でもその靴が不良品で途中から釘が出てくるんですね。歩くたびにズブズブって刺さるもんで痛くてね。それでグループから遅れてしまったんですね≫
「ちばさんの一家はグループから遅れてしまったんですね」
≪靴なんかをなおしている間にはぐれてしまったんですね。≫
「そしてはぐれた時に中国人の」
≪父親の友人でジョシュウセンという同僚ですね≫
「印刷会社の同僚のジョさんという方がいらして」
≪ばったりその会えたんですね。我々は中国人だから何かされるかなと思っておびえて道の側に隠れようとしたんだけども「ちばさんじゃないか!!」って言ってくれたんですね。それで「日本人がこんなところにいたら危ないよ」っていわれて「こっちへ着なさいよ」って言われて自分の家だと思うんですけども物置の中2階になっているところがあってそこへ連れて行ってくれたんですね≫
「でも当時は日本人をかくまうというのはジョさんにとっても命がけだと思いますね。」
≪そうですね≫
「アンネフランクじゃないけどもその中2階で走ったりしないでジーとしてないといけないんだけども、下で子供の声がするとちばさんはどうしてものぞきたくなって」
≪そうですね遊びたい盛りでしたから。だから窓からのぞいたりすると母親に怒られたりして「あんたここに日本人がいると分かったらジョさんがひどい目に会うんだよ」って。≫
「ただその時に逃げる時に持ってらしたのが漫画の本?童話の本?」
≪童話の本ですね。イソップ物語かアンデルセンかはっきりおぼえてないんですけども。≫
「まあお小さいから。でもそれしかないので毎日それをめくって、紙切れに絵を書いたりして」
≪ええ、あの退屈しのぎにね。本は読み飽きたんですね何度も何度も擦り切れるぐらいに。その本の字の部分を絵にしてたんですね。弟たちがそれを見てすごく喜んで、あの続きを見せてくれ続きを見せてくれと。「次どうなるの?」って≫
「そうするとみんなシーンとしててお母様もありがたいので絵を描いてやってって。それが絵を描くようになった(漫画家になるきっかけ)」
≪僕の一番漫画家になる核になる部分だと思いますけども≫
黒柳「そのうちどんどんソ連の兵隊が入ってきて子供心にも周りの人たちが死んでいくのがわかって」
ちば≪そうですね。ほとんど飢えとさぶさですね。1冬の間に。食料もありませんし着の身着のままですし。最初はありったけのお米を持って出てるんですけども行き着くところがないものですから食べ尽くしてしまって、中国人のところに行って着てるものを持っていて変えてもらうんですけどもそれもなくなって裸に近い状態ですよね。≫
「そういう時に子供を売ってほしいという人が随分いて」
※中国人の中に日本人の子供を引き取りたい、欲しいという人がいた
≪そうですね。まあ中国人が日本人の子供を欲しがったというのもあったと思いますけども、日本人の中にも自分の子供がやせてあばらが出てきてっていう状態ですからこうやって死なせるよりも中国人に預ければなんとか育ててくれるんじゃないかという意識がありますから≫
「私なんかが”のらくろは兵隊辞めて大陸に行く”って読んだぐらいですからすぐに行かれるってみんな思ったとも思うんですね。すぐに戻って引き取りにきますからちょっと預かっていてくださいという気持ちも強かったと思うんですね。ただお宅も4人もお子さんがいたからそういう話もずいぶんあったでしょうけども」
≪2番目の弟はね長男はともかく1人ぐらいいいだろうっていう話は側で僕は聞いてましたね。母親は頑として渡さないで全部私の子なんだからと言ってがんばりましたね。≫
「でもジョさんのところにはそう長く入られないので南へ南へという風に歩いてとにか日本に帰る船が出るところまで歩いていらしたんですよね。」
≪そうですね。≫
「でも歩ける子は2人しかいなくて、後の子は」
≪あとは母親が抱いてますね、もう1人は2歳か3歳にならないくらいですから父親が肩車みたいな形で連れて行きました≫
「それで(日本への)船に乗るところまでいったんですがお父様が使役に使われるということで毎日」
≪労働力が欲しかったんでしょうね、戦争で橋が壊れたり道路が壊れたりして日本人の働ける男はかり出されるわけですよね。しばらく帰ってこないんですよね。多分食べ物がひどかったんだと思うんですね帰ってきても顔が分からないんですね。≫
「そう」
≪どこのおじさんかとおもったら父親だったって言う。顔はやつれてひげは伸びて。そういうことが何度かありましたね。よく戻ってこれて一緒に日本に帰れたなって≫
「1年後に博多にお付になったそうです。6人無事で。なかなかそういう家族も少なかったと思いますね」
≪僕らがいたところが奉天といって東北地方なんですけどもまだ南に近い方だったんです。ですから体力が持ったまんまホウトウって言う島まで帰れたんですけどももっと北の方の人は下に降りてくるまでに飢えと寒さで亡くなってますから、およそ20万人ぐらいは亡くなってるんじゃないかと一冬の間に≫
黒柳「それで漫画化におなりになったんですけども、漫画家の中にはびっくりするほどの中国からの引き揚げの人がいて」
ちば≪あとでだんだん分かってきてあの人も引揚らしいよ、この人も引揚らしいよって。赤塚富士夫さんもそうだしモリタケンジさんとか釣り馬鹿のキタミケンイチさんとかタカイケンイチロウさんだとかずいぶんたくさんいらっしゃいます≫
「赤塚富士夫さんの話はお父さんが特攻でおかあさんがいつどんな事があるかわからないのでお母様が窓のところにピストルをおいてらしたと言う。まあとにかく漫画家におなりになってみなさんと中国に行くという事になったものですからお父様とお母さんと兄弟も4人で国交が回復してすぐだったんですけどもジョさんに会いたいと、お礼が言いたいと」
≪ジョさんに一冬助けていただいたんで我々がいるんだからということでそれもあってすぐに飛んでいきましたね。いろいろな新聞社や放送局にお願いしてはたらいていた印刷会社にいっていろいろ調べたんですがジョさんの消息は分からなかったですね≫
「それで数年たってNHKの”わが心のたび”というのでもう一度いらっしゃってみて」
≪その時に帰る間際になって見つかったんですが、やはりジョさんは日本人と付き合ってた日本人の通訳をしてたということで文化革命で糾弾されるということを恐れて地方へ隠れていたんですね。それで僕らも見つけられなかったんですね。だけどジョさんも身を隠してたんですけども捕まってしまって、こういうビラを首からかけて≫
※罪状が書かれた紙を首から吊り下げられて街をあるかさせられる
「街を歩きまわさせられて」
≪石をぶつけられたり、なんか罵声をぶつけられたりひどい目にあったそうですね。ぼくはそのジョさんと生きて会えなかったんですがその家族の話だと首にハリガネで(紙を)つるすそうですよ。そうすると1センチぐらい食い込んでしまってその痕がなくなるまで消えなかったという話を聞いて本当に胸が痛くなりました≫
「まああの時は色々な理由で日本人と親しく日本語が出来るそういう風なことでそういう風なことになったと思います。でもご家族とか娘さんとかとあえてもし日本で勉強したい人がいたらいらっしゃいとおっしゃった」
≪まあそうですね。どう返していいかねその恩がね。いろいろかんがえたんですけどもそういう形でどうでしょうかと言ったら1人お嬢さんがきて≫
「孫娘にあたる方が来て少しは日本で勉強が出来たんで少しは恩返しが出来たかなっていう事なんですけども、これからお書きになりたいことは引揚の事とかを漫画に出来たらと思ってらっしゃるんですって?」
≪戦後57年でどんどん忘れられて戦争の体験を持っている人が少ないんですね。でこれは戦争の話は忘れちゃいけないなっていうのがあるんで引き揚げの漫画家たちはどっかで、我々は漫画家ですから漫画の形で残していこうと、体験記を書こうと。≫
「みなさんいろいろなキャラクターももってるんですからそういうことで子供たちの興味を引いていただいて書いていただくのもいいかもしれませんよね」
≪≫
黒柳「いろんなもののデザインもしてらっしゃるんです。もしかしたらご存知がない方もいらっしゃるんで西多摩霊園に満州地蔵という」
ちば≪はい。これは中国から引き揚げてくる時に子供たちがたくさん死んでるんですね。飢えと寒さで。お墓も何も立てられずにその辺のお墓だとか道端に捨ててくるしかなかったそういう霊を慰めようということを音頭をとっていろいろ運動している方がいらしてその方の依頼で僕がデザインしてお地蔵さんを作ったんです≫
「それから浅草の浅草寺に満州母子地蔵というのもある。」
≪引揚の時に子供だけじゃなくて体の弱い人、母親とか老人とかそういう体の弱い人から亡くなっていったそういう霊を慰めたいということで音頭を取ってくれた人から≫
「そうですか。そういうものをデザインされました。それから奉天に918記念館というのがあるそうです。これは柳城湖事件という満州事変の発端となった」
≪そうですね≫
「ロコウキョウとはちがってロコウキョウは昭和12年なんだそうです。」
≪918をわすれるなということで作った建物で。≫
「そこに中国の養父母に感謝という像のデザインもされております。ありがとうございました」