2002年8月14日
黒柳「忌野清志郎さんです(※競輪選手のような服装をしているので)競輪の選手ではいらっしゃいませんけどもお内からいらっしゃる時はこの格好でいらっしゃって」
忌野≪ではまた会話よう半ズボンを。≫
※自転車のウェアの上に半ズボンをはく
「どうぞどうぞおはき下さいお客様に失礼になっちゃいけないというんで。簡単でいいですよねポケットの所に入れておけばいいんですから。でもずいぶん健康なご生活ですよね。」
※忌野さんはどこに行くのにも自動車ではいかずに自転車で行く生活をされている
≪ああええ≫
「今日は色々なお話をしていただくんですけども頭はくしゃくしゃでいいnですかね」
≪くしゃくしゃなほどいいんです≫
「今日は終戦特集をお送りしているんでこんなお若い方がどうしてってお思いかもしれませんけども、この前出ていただいた時に終わりのほうでお母様がじつは2人いらっしゃったということからあのお産みになったお母さんのお話から戦争の話になってそこで終ったのでぜひ終戦特集の時においでくださいということでおいでただきましてちょっと繰り返していただくのも何なんですがちょっとお父様が、あなたがお父様と思ってらしたかたが亡くなった。それは割りと17年ぐらい前の話ですかね」
≪ええ、そうですね。88年ですね≫
「14年前ですね」
≪そうですかね。父がなくなって≫
「お母様はすでに亡くなって」
≪その2年前ぐらいに亡くなっていたんですけども。父がなくなって初七日が住んだ頃に親戚の叔母さんが荷物をたくさん持ってきてくれてその中に僕の本当の母の形見というんでそしょうか、その類のを初めて見たんですけども≫
「おまえには本当の母親がいたんだよと。ビックリなすったでしょ」
≪写真とかも初めて見たんですけども≫
「あなたをお産みになったお母様の」
≪ビックリしましたね≫
「あなたが小さいときにお亡くなりになったんでしょ。実母の方は」
≪そうです。3歳のときに≫
「何となくは薄々は感じていたんだけども育ててくれたかたが2人ともお優しい方だったんでいいかっておもって詮索はしなかったんですって」
≪そうですね≫
「そのままでいくと思ったら親戚が本当のお母さんはこの方だと。でもお母様として育ててくださった方は本当のお母さんの妹さん?」
≪ええとお姉さんですね。叔母さんですね。≫
「お姉さまの夫婦のところで育てられて本当の実両親だと思って。でもさっきの写真(※実のお母さんの写真が登場した)をはいけんするとあなたそっくりですものね。じぶんでもそう思います?」
≪はい≫
「それで写真をみせてくださる。坊ちゃんに似てますね、道の真ん中で洋服をたたんでいて車に引かれた。可愛いんだけども道の真ん中で丁寧に洋服をたたんでいたんですね。そしたらそこにまさか自動車が来ると思わないし、自動車の方も洋服をたたんでいる子供がいるとは思わなかったんで。そこで大変な事故になって、でもよくなってよかったですね。そしてそのなかに写真なんかと一緒に遺品があった」
≪はいこれ持ってきたんですけども≫
「これがお母様の遺品でずいぶん親戚の方が長く持っていてくださったんですね。しかも始めて分かった事なんですけどもお母様が亡くなったのは今から48年ぐらい前のことだそうですけどもテレビが世の中に始まったぐらいのことなんですけども。その実はお産みになったお母様があなたのお父様になる方と会う前に結婚してらした」
≪そうなんですね≫
「しかもその男の方が戦死なさった」
≪そうですね。最初に結婚した人がレイテ島のほうで戦死なさったそうです。≫
「その辺のところまでこの前にうかがったんですね。あなたのような若い人が戦争と関わりあうような事があとでわかったというのはね。ちょっとよろしいですか拝見して。これはあなたをお産みになったお母様がキチッとスクラップにしてらした」
※前の旦那さんの写真や旦那さんからの手紙などを忌野さんの生みのお母さんが張ったアルバムを持ってこられた
≪そうですね≫
「あのまあ一番最初にこれがあなたとは血のつながりはないけどもあなたのお父様と結婚する前に結婚されていた方がこの方です。まわりにお母様が色々お書きになってるんですけども”かえらざる人とは知れどわが心なお待ちわびぬ夢のまにわに”、”夢ならであえがたき君が面影の常に優しき瞳したもう”。こういうお歌が書いてあってずっとずーと待ってらしたっていうのが出てますよね。これをご覧になった時にどういう感じがしました?」
≪ううん、ちょうどこれが自分の手元に来る時に反戦と反核のレコードを作っていたんですよ。カバーズという。それであの全然知らないで作っていたんですけどもそしたらこういうのが出てきたんでねすごい遺伝子が組み込まれてるのかなって思いましたね≫
「お母様の戦争がいやだっていうものが遺伝子に組み込まれたんだと思います。で本当にお母様というのはこれは戦死したご主人の若い頃の写真でしょうね。整理してきれいにしてらして。技術者の方だったんですってねこの亡くなられた旦那様は?」
≪ああそうですね≫
「23歳で出征なさったそうです。最初は満州の方にいらっしゃってそれからは南方の方へいらっしゃるんでっすけども。”出征の君が心の面影を今日も祈りてそっと微笑む”。まあそういう時もあったんですね。ご主人が23歳で出征されたんであなたのお母様はもっとお若かったかもしれませんよね。それで南方の方へいらっしゃいましてね。それでですねこれはちょっとたまんないんですけども召集がきたときにいろいろなかたからがんばってくるようにというのがあって、これからご紹介したいと思いますのは全部ここから戦地からのご主人の手紙を全部スクラップされてるんですよね。あの第一シンというのを読ませていただきたいと思います。この第一シンというのはまだ国内から戦地にまだ行ってないときだったんですね。”先日はお見送りありがとう。元気でやっていますからご安心ください。来月3日に面会が許されるようですから時間は午前8時から午後5時までみんなで力をあわせてしかっりおねがいします”って書いてあって”近所の人にはいちいちお礼状など差し上げられませんからよろしくお願いします”とあって、そしてめせられていったとスクラップブックには書いてあるんですけども。ところがこれは大きい字だったんですけども戦地にいくと書く事tが段々増えてきたのでものすごい小さい字になっていくんですね。全部お読みになりました?」
≪はい≫
「読めない字もあったでしょう。段々検閲も入っているんですね。でもお母様は着かないのもあったと思うんですけども全部スクラップされていたんですね。kマーシャルをはさみまして14シンというのを読ませていただこうと思います」
≪≫
黒柳「第14シンを読ませていただきます昭和19年です9月26日です。”夜遅くまで演習があった日1度に4通もの便りをもらって実にうれしかった。一同に羨ましがられて得意だった。妻帯者が圧倒的に多かったので独身者が口惜しがるのは気の毒なほどだった。日記を送ってくれた思い付きははなはだ結構である。今後も続けて欲しい。心配していた体の様子何事もない様子大いに安心したが普段胃腸が悪いらしいからよく注意してくれ。必ずしも体が悪いから働くものがいないからというような悲壮な考えや遠慮をしないでどしどし休んだ方がいいと思う。フィリピンから金が遅れるらしいから手続きをして送るようにしておく。もし遅れたら英和辞典コンサイスを1冊おくってくれ”ということで。こうやってみるとお手紙の中に奥様を気遣ってる体を気遣ってるということはあなたが3歳の時になくなったということは体がお丈夫じゃなかったんですかね?」
忌野≪なんかねあの・・・すごい丈夫だったらしいんですよ。親戚のおじさんに聞くと≫
「あなたを見てると丈夫そうに思いますけども」
≪すごい丈夫で働き者だったらしいですよ。すごい派手な着物とかが好きで。そういう丈夫な人に限ってこう病気になると早いらしいですね≫
「それで第22シンというのですけども。これは私が思うには検閲がこのころあったと思うんですね。だからお母さんという風に書いていてじつはそれは奥様に書いたんだと思うんですよ。お母さんとかけばいいんだけども当時は妻にこんな事書いたりするとね軟弱だって言われたりするんじゃないかなっと私は推察するんですけどもね。”お母さん私は今西の方を向いております。黄昏は深いジャングルの方に迫ってきました。だいぶ暗くなってきました。私の向いてる方だけ深紅にもえております。一面の青さの中でそこだけ明るくそこだけにおっております。その明るい方を向いておりますお母さんあなたの方を向いております。太陽もあなたのようです。気高く美しく愛情に満ちた夕焼けの太陽です。雲を染め海を染め森を染め山を染め私の心を染めて輝きわたる希望の色です。その色に磨かれて私はちかいたちます。あなたと一緒に毎日戦うのです。あなたの光に磨かれて強く戦い続けております。先ほどまで敵機はたけくまっておりました。砲弾はジャングルを揺さぶり続けておりました。今はすっかりしずかになっております。今日の戦争の苦しさも明日の爆撃の激しさもこの先の前にはものの数ではありません。この光をみつめております。あなたの方を見つめております。あなたの顔を見つめております。これは過日新聞に載っていた黄昏という詩ですが大変気持ちが私と同じように思えたので抜き書きしてお送りしました。何回も何回もよんでください。東京空襲の報を聞きましたがどうでした家のものには被害はありませんでしたか?こっちは雨もなくなりましたので実に暑さが厳しく感じられます。嘘みたいな話でしょう”日本では12月ですからね。”とうぶん便りは出せないと思います。皆々様によろしく”ですからとってもこの詩がよかったということでお母さんとなってるからね奥様にそういう詩を送っても大丈夫だと思ったと思うんだけども何回も何回も読んでくださいというところがねきっと心を伝えようとなすったんでしょうね。でもこういうことを全然ご存じなかった忌野さんが反戦反核をずっとやってらっしゃったのはDNAの中に組み込まれてたんじゃないかっておっしゃったんですけどもそうかもしれませんよね」
≪そうですね≫
「でもそれは新聞に載っていた誰かの”黄昏”という詩だったそうですけども同じ気持ちでジャングルにいらしたから南方のね。」
≪≫
黒柳「今の黄昏という愛情一杯のハガキを奥様が受け取ってらした時は後で分かったんですけども戦死してらしたんですね。届いた時はまだいきていると思ってらしたようなんですけども。その戦死の公報というのもお母様は張ってらして、でも私は戦死の公報ってこんなに簡単なものだとは思わなかったんですよね。1枚のこんなペラっとした紙ですよ。死亡告知書って書いてありますよ。しかも昭和23年にきてますから戦争が終って3年経ってからですよね。毎日毎日きっと待ってらしたんだと思うんですよね。あのお友達の生きて帰ってらしたかたがご主人の戦死を知ってねずいぶんみんなね慰めのいいお手紙を下さってるんですよね。君の旦那さんは優しくて責任感があっていい人だったってねかえってらした方から手紙をくださってるんですけども、一番最後なんですけどもこれが最後になってるんですけども23年9月4日夫の遺骨帰還のほうを聞くって書いてありますね。それで終ってるからお母様はあとは何もする気にはならなかったんですかね。まだ紙が残ってるのにね。20か21かそれぐらいですかね。でもあなたよりもずっとお若いお母さんだからふしぎでしょう。」
忌野≪≫
黒柳「まああなたが戦争反対とかねずっと平和でなくっちゃと音楽を通して戦い続けているのをあなたを産んだお母様がどかで見ててくださったらよかったと思ってくださるんじゃないかしらね」
忌野≪そっすね≫
「あなたは沖縄にこないだいらしてコンサートなすったでしょ。あれは沖縄戦が終った日?」
≪そうですね慰霊の日っていう≫
「あなたは阪神大震災のときになにかすごい被害が大きかったところにいたんですって?」
≪そうですね大阪にいたんですけどもホテル中水浸しになってたいへんだったんですよ。次の日に帰れなくなってコンサートも中止になって≫
「どこでコンサートを」
≪大阪で厚生年金だったかな。≫
「それで結局はあなた自身の被害はなかったの?」
≪ええ僕はなっかったんですけどもホテル中天井の水道管が割れちゃったらしくて水浸しなんですよ。≫
「地震で割れちゃったんですかね。今週は終戦特集をお送りしているんですけども忌野さんのようなわかい影響力をもってる方がやはりこういう体験をもって伝えていかあければと。いいよもうそんなにっていう事はないんで」
≪戦争を止めようとか平和運動とかあるのに全然変わんないですよね。かならず政治化が軍隊もとうとか≫
「あなたは特に有事法制のことを」
≪そんな事言い出すしね。何十年も経てば人間って進歩するのかと思ってたら全然そんな事ないですよね≫
「普通25年経つと戦争があるっていわれてるのに日本は57年間戦争がなかったということはじぶん幸せな事だと思うんですよね。」
≪そうすよね≫
「外の国では静かになるとまた始まってね結局若いお母さんとか子供たちが被害受けるので。ご自分は関心を持ってらしてだけどご自分の体験はないわけですよね?」
※忌野さんに戦争体験はあるかという質問
≪まったくないです≫
「あなたは何年生まれですか?」
≪昭和26年です≫
「ああそうか。そうするとお母様は手紙の中にもあるそうなんですけどももしものことがあればずっと1人でいようとか思わないでお友達の中にも何とか生きていくようにと、後をおったりしないようにというお手紙があって自分の幸せを見つけるようにというようなお手紙もずいぶんあったようなのでそれで決心なさったんじゃないですかねあなたのお父様と結婚されて。」
≪そ、そうだとおもいますね。≫
「ありがとうございます」
≪ありがとうございます≫