本日の徹子の部屋ゲストは向田和子さん

2002年8月22日

黒柳「本当にいつまでも人気の作家向田さん、亡くなってもう21年。今日は命日でございます。妹さんの向田和子さんにおいでいただきました。こんど向田邦子の恋文という本をお出しになりました。これは私達も知らなかったことなので大変ショッキングな内容なんですけどもこれが向田さんがお書きになったものの中では最後になるだろうといわれてるものなんですけども。和子さんは”ままや”という赤坂にあった向田さんごのみのお食事どころをずっとやってらっしゃいまして向田さんはご自分のことを黒幕と」

向田≪ポン引きと言っておりました≫

「みんなに来てよ来てよって」

≪そうです。わたしはこんなあれですからすぐにつぶれると思ってたらしくて周りにもそう思われてたんで必死でした。≫

「それからパートホステスといってお店にも時々いらして。」

≪ホステスはちょっと≫

「でも本当に向田さんごのみの、向田さんはお料理がお上手だったんで向田さんが好きなものみたいなものもずいぶんありましたよね。」

≪あまり商品にならなかったものもあるんですけども(笑)≫

「でも私があまりにも食べるのが早いんで和子さんはビックリしたんですって?」

≪お見事。それに持っていくとパット綺麗に召し上がるのでそれでナンバーワンという感じが(笑)≫

「そうでしたか(笑)。」

≪20年の間ですばらしいお客様でした≫

「で向田さんが長女、その下に弟さんのヤスオさんがいて徹子の部屋にもおいでいただいたんですけどもそれからその下にもお姉さまがいらしてそして和子さん。なんでも長女の向田邦子さんと和子さんはちょうどサンドウィッチのパンの」

≪そうですね内容はよくわかりませんけどもパンがよければサンドウィッチは上手かろうと思っておりますので。≫

「これはめずらしい写真ですね三人姉妹で。これはどこんちの猫ですか」

≪これは内の猫です。ビルっていうんです。≫

「向田さんは猫がお好きで向田さんの猫は有名でしたけれどもあれは珍しい日本ではそうはいないってねえ」

≪そうですねえ≫

「エジプトだかどこどこの」

≪なかなかいい猫でしたよ。でもうちのダ猫も頭がよかったんですよ。≫

「ここにもおいでくださって向田さんの弟さんのヤスオさん。あなたのお兄様にあたる方ですけども向田さんがお亡くなりになったときに台湾にいて大変だったって話をされたんですけども(ヤスオさんが)お亡くなりになったんですってね。知らなかった」

≪そうですね。うちは早死にの家系らしいですよ≫

「そうでしょうか。お父様は何歳で?」

≪64歳。うちの兄が父の歳を越したって言って65歳で亡くなっちゃたんですよ。≫

「向田さんは事故ですけども50・・・」

≪51歳と9ヶ月≫

「そうですね。それから21年も経ってしまったんですね。去年(向田邦子さんが亡くなられて)ちょうど20年という時に東京会館というところでパーティーを。これで1つの区切りですというような感じがあったんですけども」

≪こんなに長く続くって私達は予想もしてなくて1年1年大切にっていう感じきちゃったわけですね。で20年間なんでこんなにって思ったときに姉が残してくださった仕事仲間の方たちですか、そういう方たちの力がすごく大きかったのでそういう意味で区切りといたしまして母も生きておりましたのでありがとうございますと。その気持ちが強かったんですね≫

「向田さんが亡くなってから毎年毎年向田さんの物がドラマになったり、私も朗読させていただきましたけども作品が朗読されたりとかその他向田さんのものが続々と本も出るしこの20年間みんなが忘れる事はなかった。人気が高い方でいらっしゃるので。それでお礼という意味でなさったのが去年の20年だたのね。でお母様が今でもお元気で94歳におなりになったんですって。でもお母様にしては娘と息子が先にっていうのは辛い事だと思いますね。で和子さんは今でも悔いが残ってるというか向田さんが台湾から亡くなる前の日にお電話があって」

≪そうなんです。電話がありまして旅先から電話があったことは1度もないんです。それがただ1回だけでしたね。それに忙しいしせっかちですから私が電話をすると「用件は!!」ってこういう感じです。≫

「用件は!!って」

≪「なに?」ってすごい恐い。電話する時はこれとこれとこれって全部準備しとかないと。そういうつもりで電話してましたんでゆっくりで≫

「台湾から電話があったときは」

≪はい。ゆっくりでゆっくりでなんでこんなにゆっくりなんだろうって思いましたね。≫

「それでお母様にかわってお母様もゆっくりお話されたんですよね」

≪そうですね。旅先からの電話がかかったことはないし私は台湾だという事もあったので近い事は近いんですけども(邦子さんが)忙しいと思ったのでそんなにしゃべっちゃいけないと思って。ですけども今日食べたものがおいしかった事から何から何までいうんで、それで今度一緒に行きましょう見たいなことを言われたんで私も今までの人生姉にずっとお世話になりっぱなしだったものですからこれくらいご馳走したほうがいいと思って台湾は私がご招待しますって。そしたらとてもうれしそうに「ありがとう」っていいましたね。それで機嫌いいのかなって思って母に代わるっていったら「そう」って。母もそういう風に仕込まれてます(用件だけを手短に言う電話に)ので早く用件だけを言わなければと思ってしゃべるよりも向うがしゃべるのを聞いてるようでしたね。≫

「なんかとっても電話を切りたくないようだったって。」

≪らしいですね。私もそう思ったんですけども母もそう思ったみたいで「いつもの邦子じゃないみたいだね」っていうようなことをちょっとその時に言ったんですね。気になったんですけどもまあそれはそれとして事故が起こって忘れてたんですけどもはっと思い出して母があんな事を言ったなって思い出しましたし、いつもの邦子のしゃべり方じゃなかったので「どうしたの?どうしたの?」ってたったそれだけの事を姉に質問すればよかったなって。そうすればあの人違う方向にいってたのをあ!私なんでだろうかってなんか違う方向に引きずりこめたのかなって≫

*電話で「どうしたの?」と問いかけていれば事故にあわずに済んだかもしれないと和子さんは思っている

「そうしてたら事故のあった方角の飛行機に乗らなかったかもしれない。」

≪理屈じゃなくて本能的な方だったんですね。割とそういうことを察知する人だったと思うんですね。好かれていて直木賞とかいただいて変なところが昔かたぎの人だったんですよ。私そんな人じゃないと思ってたんですけどもいろんなものを片付けていて、この人は一線で仕事している人と違う反面とでも昔かたぎの人だったんだなって片付けながらとても思ったんですね≫

「みんなが向田さんを好きなのはみんながもってない昔かたぎのところを持ってらっしゃたのが向田さんを好きなところだと思いますね。作品の中にね」

≪私は生きてる時は作品をじっくり読むこともなく、テレビドラマは見たんですけども読みなさいといわれたものはざっと読んで面白かったなってすごくミーハー的なことしか言わなかったし私にそれを求めたわけではなかったように思うし、ただ読んで欲しかったのは言われましたんですけども。ですけどやぱしなんなんでしょうね姉妹として仕事をしている時の仕事って言うのはとてもあいまいにその人の仕事を見てるものだなっていうことを亡くなって日が経つにしたがって思いました≫

「9つ上でいらして向田さんが。とても大きい存在で小さい頃から。一目を置いていらしたんですけどもあなたが小さいときからでも向田さんが仕事をする前からでも本当にチャンチャンチャンチャンお家の中でも仕切ってやる方だったんですって?」

≪そうですね。≫

「今おっしゃるように仕切ってっていうとお母様を押しのけてってみたいだけどもそうじゃなくて」

≪そうじゃなくて≫

「でも戦争中は防空頭巾なんかをしっかり縫ってくれたとか、配給中の食べ物をどっかからもらってくるとか」

≪そういう才能がむちゃくちゃありました≫

黒柳「向田邦子さんと大喧嘩なすったのはちょうど乳がん」

向田≪乳がんで退院はしたんですけどもちょうどその時に肝炎もかかってたんですね。でそれは私にはいわないで自分で処理してたんですけどもずっと遠ざけてたんですね。ずっと生活を見られていると察しられちゃうというんでしょうか。遠ざけていて来ても玄関払いをくっちゃってたんです。≫

「和子さんが」

≪それでこれはいつもの姉と違うんでそれが3ヶ月4ヶ月と私の中でたまこりこんでたんで、なんでもない電話が姉からかかってきた時にちょっと癪にさわったんで何か隠してないって、お姉ちゃん何か隠してるでしょうって私がそういったんですよ。そしたらものすごく怒って「隠し事のない人間っていないよ。隠して何が悪いの!!」ってものすごく怒ったんですよ。そんあに怒られた事もないんですね。それから私自分でも不思議なんだけどもなんかおかしいよって食い下がって泣き始めちゃったんですよ。私が。そしたら向うが私がいい年して泣き始めたもんだからちょっと困っちゃたんじゃないんですか、折り返し電話がかかってきてそこがうまいところなんだけども今日仕事キャンセルしたからちょっと出てこない食事ご馳走するからって。それでご馳走してもらってその時に最期の最後になって「私はあなたにもう隠せないな」てポロッと言って肝硬変になったらもう3ヶ月ぐらいかもしれないぐらい悪いと。≫

「そう」

≪そして右手が使えないと≫

「乳がんの手術なすったから」

≪はい。あなたが来ると妹が来ると必ずおいしいオレンジがあるわよとかこれもって帰ってって必ず言ったんですけどもそういうことが出来なくなってとても辛くなったんでしょうね。全然よせつけなくなったんですね。あなたがきたときにメロンがあったの覚えてないって言われたんですね。メロンは(机において手を使わずに)ポコッと切ればいいでしょうって言われて私はその時だけは絶句しましたね。≫

「”父の詫び状”っていうのは実は左手で書いたんですって」

≪書いたってそういう風に言いましたね。それはそれなりに人間ってのはすごいっていいましたね。手をつかえないならつかえないなりにね工夫をするから人間って捨てたもんじゃないよって言って最期笑ってました≫

「でも肝硬変にはならなかったんですね」

≪ならなくて、それで解放に向かったんですけども実はとても悪かったんですね。≫

「そういう事は絶対に隠す乳がんの事も誰も知らなかったんですからね。」

≪あまり知られたくない。知られることが嫌だっていう風ではなかったんですけどもなんかそこで遠慮されたりするのがあまり好きではなかったんじゃないでしょうか≫

「そういうこともあると思います。それが1つの向田さんの性格の1つだとおもうんですが。そこで今度”向田邦子の恋文”という本をお出しになった。向田さんがなくなってから実は付き合ってらっしゃった男の方がいらしゃったって。向田さんの恋愛に付いては私達は聞いた事もないしもちろんおっしゃる方でもなくてこれは本当に秘められたことなんですけどもそれを本になさいましたしNHKでもドキュメンタリーにもなりましたね。妻子ある方と付きあってらしたと言うお手紙や日記がご本の中に載ってるんですけどもその話をしてもらいます」

≪はい≫

黒柳「あの向田さんの恋文が出てきたっていうお話なんですけども、とにかく遺品の中に」

向田≪そうですね。あのまったく人目のつかないところにポッと置いてあったんです。それはそうじゃないのって私の姉があなたが持ってなさいと言われて、でわたしがずっと持っていて1回ぐらいパラッと見たけどもああこうかっていう感じだったんです。ですけどもあまりにもプライベートすぎますんで本人がそういうことを語ってないものですから私どもとしても語る気もなくずっと持ち続けてました。でも兄も亡くなり、こんなに向田邦子の作品が読まれ続けるのはなんでだろうなっていうのが私の中で疑問があって、それとこのもの(邦子さんのラブレター)を私1人の中で握りつぶしていいものかって疑問になってきたんですね。(亡くなられてから)17年そのくらいになって。ずっと迷い続けていました。それでNHKの番組を機にちょっとご相談してみようかなって≫

「NHKが番組を作って分からなかった事も分かってきたんですけどもとにかくNさんという男の方が記録映画のカメラマン。それで向田さんは映画雑誌のお仕事をしてらした時かしら?」

≪映画雑誌ではなくて最初に勤めた会社がとてもユニークな会社でそこにいらした方のお1人かと私は思います。≫

「13歳年上で妻子があった方でその方とのお手紙のやり取りなんですけども昭和38年から39年にかけて。そんなにたくさんはないんだけどもこれは明らかに・・・何ていうんでしょうかね向田さんらしい手紙。食べ物の事とか一杯書いてあるんですけども。ただその男の方はご自分のお母さんの家の離れにその時は住んでらして、その2年前に脳溢血(のういっけつ)かなんかで足が悪くなって」

≪具合が悪くなったようで≫

「それで妻子とは離れていた」

≪それはだいぶ前に妻子とは別れちゃってたんです。≫

「それでNさんからのお手紙が5通、電報が1通。いや違う向田さんから出したお手紙が5通それから電報が1通。相手にお電話がなかったのね。今日は行かれない。あえないていうのが1通。それから向うからお手紙が3通と向うは日記にずっと書いてたんですね。手帳が2冊とそれだけ残ってたんですね。そのNさんの日記は途中で終ってるんですけどもご自分で命を絶ったと」

≪そうなんです。わたしはまったく事情は分からなかったのですけども≫

「私はものすごく不思議な事がねこのことで氷解したのはね、なぜ向田さんの若い頃の写真がなぜこんなに専門家が撮った写真がなぜこんなに手元にあるのだろうってわたしは長年不思議だったんですね。たくさん写真をとてもらうんですけども「くださいね」っていわないと絶対相手の人に言わないと相手の人はくれないんですね。雑誌社には一杯あっても手元にはないんですね。私も何にも持ってないんですね。それなのに向田さんはとっても良い写真があるの。どうしてこんなに専門家が撮った向田さんの写真があるんだろうって私不思議だったの。こんなきれいな向田さんをとってらしたかたがいたんだなって。専門家の方と向田さんがお付き合いしてらしたんだなって。でも向田さんはその方のところにしょっちゅういって楽しい時をすごしてらしたということがねその手紙で分かるのね」

≪胸が痛くなりますね≫

「胸が痛くなりますね。それでその中にどかへ2人で旅行した写真みたいなのね」

≪私は姉が生きてる時にこの写真を1枚も見たことないと思います。≫

「この写真も何てことないと思うんですよ。でも手前にお湯飲みの茶碗が2つあってフォークが2つあって明らかに2人で来たって」

≪旅行に行った時の。付き合ってたのがカメラマンだったっていうのは小さいときからおぼろげには分かってたんですけども写真は見たことはなかったんですね。まさか姉妹の写真をいちいちみせませんよね。でもいろんなことを整理していた時になんだろうこれはっと思って見てるうちに気が付きましたね≫

「でも素晴らしい方とあって、その方が向田さんの才能を見つけていて書くことも、森重さんの「重役・・・」とか「7人の孫」もそろそろ始まる頃で、それを足が悪いからそれを1人でずっと見ていてそれの感想とかを日記に書いてらっしゃるのね。向田さんを作家として育てたところがそのNさんにおありになったんですね」

≪はい。≫

「それで私は思ったんだけどもその方が自分で命を断って亡くなったときも向田さんはどうなってただろうってそれは全く分からないじゃないですか。ただそれを知って向田さんの作品を読むと向田さんのものの中に常に不思議なこう孤独感のような」

≪そう、それをね考えないで作品を読んでたんですけども気が突き出して読むと全然違ったものが姉妹でも感じられますね≫

「寺内貫太郎とかも書いてらっしゃたし本当に喜劇的なものもお上手だったし、おっしゃることも喜劇的だったし面白い事も一杯あったんですけどもなんか不思議な影があったものはやっぱし若い頃の向田さんが33、34の頃の話なんですけどもそれから恋愛物は全然なくてね周りにもなかったんだけどもかつて向田さんにはそういうことがあったんだなって。でそれを今度向田邦子の恋文という本にお書きになったんですけども読んでいて・・・まあ辛いですよね男の人のほうの日記もね」

≪そうですねあれは踏み込むのにとても大変でした。≫

「そうでしょうね」

≪いいのかな、いいのかなって本当に思いました。ですから本当に書きづらかったです≫

「だけどこれをよむと向田さんの過去にこういうことがあってよかったなって思いますしね」

≪そう思っていただければ≫

「私はそう思いましたよ」

≪やっぱりいろいろな事があって物がかけるんだなってわかっていただければこんないいことはないかなって私は思います≫

黒柳「でも本当に男の人は向田さんを思っていて、向田さんはそして向田さんもその人のことを大事にしていて、シチューを作っていて。本当に急がし最中でどんなに時間がなくても走ってその人のところに行ったっていう感じがとってもそれに現れていてね。私は多分その方が自分で命を断った時、私の感じ何ですけどもそれを(遺体を)向田さんは自分で見つけたんじゃないかなって。」

向田≪たぶんそうだと思います。そうであることが姉にとってはよかったと思います。≫

「そうですね」

≪私はそう思ってます。それが姉の生き方だったと思います。≫

「向田邦子の恋文をお書きになりましてありがとうございます」

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