2002年8月29日
黒柳「今日は夫婦漫才の第一人者でいらっしゃいます宮川大助さんと花子さんにおいでいただきました。」
大助≪あの最初は夫婦漫才といわれるとすごく抵抗があったんですけども今はないんですよね。師匠に止められたのは夫婦漫才だけはするなよと止められた事があるんです≫
「ああそうなんですか。どうしてですか?」
≪子供がほったらかしになって出るから夫婦漫才だけはするなよと≫
「そうかそうか子供を置いてでないといけないから。」
≪でも今は夫婦漫才といわれるとHOTなものを感じてうれしいですね。≫
「でも蝶々さんと京唄子さんが夫婦漫才だったんだけどもお2人とも残念ながら途中で分かれたりなすったじゃないですか。でも仕事は続けたりされたじゃないですか。でもずっと仲良く」
≪仲良くっていうか山も谷も台風もありますよ。≫
「でも別れてないんですから」
花子『先輩がたからいわれました唄子師匠から私達が間違った事は別れた事よ。それだけはやめてねって。悪い見本だと思ってって。師匠ありがとうございましたって。』
「京唄子さんの話で胸が一杯になるのは京唄子さんと別れた後元の旦那さんが若い人と結婚して漫才は楽しくやってるんだけどもこの漫才が終ればこの男は帰るんやな女のとこにいくんやなと思うと本当に口惜しくなって顔は笑っているんだけども後ろのところでつねったり踏んだりいろんなことをしたんだって。」
≪その気持ちは何となく分かりますね≫
『結婚した時にでもありまうs。家でケンカして舞台に出るでしょ。なんでこんな憎たらしい人のためにわらわさなあかんのかなと思うときもあります。』
≪それは愛やないか≫
「でもあなたたちのところではねえ・・・・」
≪すみませんねえつまらないこと言って(笑)≫
「特に花子さんこの間病気なすったじゃない。最初は簡単なポリープだっていって今(手術)やんなくてもいやさきでもいいやって思ったけどもご主人はね」
≪その場で聞きました。僕もあの時は調子悪くて検査してでもスケジュールは忙しくて頭もパンク、体もパンク、精神状態もパンクそんな状態だったんですよ。3ヶ月入院しない際と言われてる状況の中で嫁ハンの体の中にポリープが出来てるって聞いてひっくり返りましたね。≫
「実はガンですという状況だったんだけども奥様にはおっしゃらないでポリープなら先でいいじゃにあのって思ってたんだけどもご主人はいますぐに切らないといけないって。なんかハワイに連れて行ってあげるからって」
『そうなんですよ。』
≪そのハワイもね番組でさいころ投げてもらったやつがあったんですよ(笑)ただハワイにいけるに日にちが取れなくてあたったと言うだけだったんですよ。実際には切って元気になってから行こうやというエサはばらまいたんです。≫
「で5年経って再発しなくなってからご主人が実はあの時はそうだったんだって。」
『びっくりしまいsたね。周りのものがすごいびっくりしました。ガン告知って週刊誌に載ったんですよ「え!再発」っていわはったんですよ。みなさんご存知だったんですかって。あの喋りばっかりの吉本興行で』
「みなさんご存知だったの?」
『そうです。みなさんチャックしてくれてたんです。』
≪吉本興業って秘密はないですよね。ここだけの話やでっていったらここだけで300人いたりね。なんで知ってたんかなと思ってたらみんな僕がしゃべってたんですね。≫
『だから大助君に教えてもらうまでの5年間は暴れたり色々してたんですよ。いろんな病気ね何回も入退院繰り返してたりしたんですよ。だから自分の病気はなんなんだ。治らないんじゃないかって暴れた時があったり、彼と離婚届をはい』
「そうなんですってね。お酒を飲んだりやけっぱちになったりそういう時期があったんだけどもこちらのご親切がわかって離婚しないで」
『ありがたかったですね。去年25周年を迎えさしていただいたんですよ』
「まあ銀婚式」
『でも銀婚式迎えた時に「やったー」と思いました。夫婦のUターンのとこを迎えたんやなって。去年の4月9日、死(4)ぬまで苦(9)しむ。この日を待ってたんやなって』
「死ぬまで苦しむ。4月9日だから」
≪死ぬまで苦しむって自分が苦しんでるみたいやん。今日までもってんのは俺の忍耐と努力やで≫
『本当に今年で1年経ちまして今年から50年までなにをしようかなとすごく迷いました。』
「これからビシビシ仕事をしていくのがいいのか、ちょっと落ち着く生活をするのがいいのか」
≪その辺は分かれてますね。僕は嫁はんと稽古しすぎたりというのがあったんで追い込むところまで追い込んだんでもうボチボチいこうやと。ところが逆にそれがやる気を出してるみたいで自分でイベントとかを企画してやるようになってますね。だから僕は嫁はんのいいなりですわ≫
『1996年にこどもがカナダにいってしまったんですよ』
「お勉強で」
『その時に漫才する必要ないなと思ったんですよ。』
「あなたは本当は奥さんになって勝ていい入りたい方だったんですってね。」
『彼が漫才しようという事を行って「ええ!!この人なに考えてるの」ってずっと思っていて結局子供がカナダに行くまではずっと思ってたんですよ。1996年の2月に子供がカナダに行く時にじゃあお母さんも(カナダに)連れてってと。あなたのためにしてきたんだからもうする必要もないからカナダに連れてってっていうときに子供が一言「どうしてお母さんは子供のため子供のためっていうの。どうして自分のために生きないの」っていわれたんですよ。その時悩んだんですよ。自分は子供のためにしてきたのにどうしてそういう事言うのってずっと考えた時に子供は自分よりも大人になってたんやなと思って、逆に自分の為に女として社会人として先輩として人生のもっともっと生きなあかんなと思ってから変わってしまったんですよ』
「漫才の稽古で追い込みすぎたから奥さんが病気になったんじゃないかと自分のせいじゃないかと思ってらしたんですけどもお気の毒にも思ってらしたんですけども奥さんのほうはそんなにギリギリやんなくても楽しくやれればいいやんって思ってらしたんですけどもここまできたんだからご主人はもう追い込みたくないと」
≪もう追い込みたくないですね≫
「静かな生活に入ろうと思ったときに突然あなたが子離れしてさあやらなきゃって言う風になってるから今は奥様の言いなりになってるんですって」
≪もう嫁はんの言いなりですね。嫁はんからみたら1番いい亭主じゃないですか。≫
「でも漫才を拝見しているといつも奥さんのほうがはっきりしていてなんかもたもたしている旦那さんをビシビシってやってらっしゃるんだけども、でもご主人が台本も核はいろんなことも決めてらして。奥様は汗を拭いたりあなた歯を磨いてないじゃないのっていろいろさっきも見てたんですけども」
≪あれはねえ人前だけですよ。≫
「そうなの。このお洋服もね私が選んであげたのとか言ったら金は僕が払ってるんですとか言ったり会話がしょっちゅう漫才のようでしたけども。可愛いお洋服着てらっしゃいますね自分できめてらっしゃるんでしょ」
『そうですね自分では先に先取りしていったらいいかなと思って。アメリカのおばあちゃんってこんな感じで。先におばあちゃんになっとこうかなって。』
≪自分の服は自分で買うんですよ。僕の服は全部リースなんですよ。僕のは全部借りもんであれ着てくださあい、これきてくださいって≫
『汚さんとってよ』
≪自分のは全部自分ですよ≫
「お家に置いてあんのね。でも女の人って出かける時にはちゃんとして出て行かないと」
『そうなんですよ。楽しみなんですよ。とりあえず私達の年代になってくると出かけるチャンスを与えてもらえる事、どっか公式のところにでることが楽しみなんですよ。』
「なるほどね。結婚して25年を迎えて今年で26年、コンビを組んで23年。だから最初は赤ちゃんを産んでお家で主婦をやってたんですけどもある日ご主人がコンビくまへんってお家でおっしゃったの」
≪お互いが漫才の経験がありまして僕は大助・小助というコンビで松竹芸能でやってまして、(花子さんは)吉本の方で新撰組、ちゃんばらトリオだったんでちゃんばらトリオさんの弟子だったんですよ。新撰組ってここい誠って書くじゃないですか。それで男女コンビでやってたんですよ。同級生で。自分の誠はシンジツの琴とかいてポロロンポロロンの琴と書いて長い間「まこちゃん、まこちゃん」と呼んでたんですけども。だから経験があったんですよ。小学校の時から落語やったり漫談やったり≫
『小さいときから芸能界好きやったんですよ。』
≪だから素人嵐見たいにね。賞金嵐みたいにね≫
『でもね結婚して彼が家庭に入ってくれといったんですよ。その人がまた漫才しようってどういうことよって。自分でしなさいということなんですね。』
≪だから嫁はんを家庭に入れて自分は大助・小助でやったんですけども3年ほどやったんですけども自分がいかに下手かっていうことが分かったんですね。本当に下手だったんですね≫
『そうそうそう今でもこれですからね』
≪もう一遍組み立てなおそうかなと思ってコンビを解散した後に嫁はんとやってみようかなと。その時ずいぶん戦いがありましたよ≫
「でもよくその時に奥さんとやろうなんて考えましたね。」
『私ねえなんで私とやりだしたんかいまだに知らないんですよ。今日はちょっと教えて』
「どこかで漫才の才能をみてらしたんじゃないですかね」
『どうして私を選んだの。よく言うてくれはりましたわ』
≪いやあねえ実は色々探したんですけども誰も見当たらなかったんですよね。行き着くところが読めはんだったんですね。嫁はんを今のような形でしゃべらすつもりは全然なかったんですよね。自分がしゃべって嫁はんがちょこちょこしゃべってくれたらいいなと思ってたんですよ。≫
『かれはね実は2年間ずっと休んでたんやけども台本を書きためてたんですよ。ストックしていてかけたら私にちょっと読んでくれへんかって私がその台本を読み合わせしてた事は確かなんですよ。多分それがこうじてこれを舞台にかけたくなったと思うんですよ。』
≪その時はお互いが素人に近い状態でこちらの方も笑いを取ってないですし、僕自身も笑いを取ってないですし本当に駆け出しが2人一緒になってやった状態だったんですね。だから自分たちの漫才のスタイルと言うのはある番組にいった時にそこで打ち上げがあった時にそこのプロデューサーとか構成作家の人たちが大ちゃんパターンが違うんじゃないかなと。花ちゃんにしゃべらしてあんたが後で着いていったらいいんやと。そういうパターンをアドバイスされたんですね。その時に”いとしこいし”師匠とか先輩がおられて「師匠そう思いますか」って聞いたら「うんその方が正解だと思う」と。それで翌日から変えたんですよ≫
「ちょっとそこまででいいですかコマーシャルいって。翌日からかえたというところから」
≪≫
『』
黒柳「その2人が逆だったんです」
大助≪そうですねえ。そのアドバイスを受けた翌日から変えようじゃないかと言う事で変えて僕の師匠が宮川左近師匠やったんですよ。相談にいったんですよそしたら前からアイデアを持ってはって花子が口が達者ならあなたは日本一口がもとらない足らないしゃべりが下手な日本一下手な漫才師を目指せとこうアドバイスをうけたんですよ。僕それが結構気に入ったんですよ。ええ!日本一下手くそ。その時に口が達者なと言うのだったら黒柳さんっていうのがピンとあったんですよ。≫
「ええどうして(笑)」
≪本当によくこないにしゃべれるもんやなと≫
花子『いまだに感心しますわ。』
≪じゃあうちの女房が黒柳さんのようにしゃべれるかと言うとそこまではしゃべれてないですよ。じゃあ黒柳さんのようにはなこさんよくしゃべりますねと見せるように僕がたどたどしくしゃべってると対比として見えるんですよね。嫁はんが50点しかなくても僕がー50点やったら差が100点差にみえるんですよ。そういう事を考えてアワワというパターンが生まれたんですよ≫
「元々ペラペラとおしゃべりになってた方がある日突然アワワアワワになったらね」
≪僕がしゃべってるころの方が嫁はんよりもようしゃべってたんですよ。早口言葉なんか言わしたらね≫
『私普段のんびりなんですよ。普段あったらよく言われるんですよのんびりしてるねって。』
≪それで今度はそういうパターンが生まれて今度はかかあ天下みたいなパターンになって最初は夫婦漫才という事は隠してたんですよ。でも紳助竜助さんとかがわあと≫
『漫才ブームが来た時やったんですよ。』
≪そういうのもあって夫婦でやってるのもいいづらくて隠していた時にこの人たちは夫婦なんだっていうことを局側から暴露されたわけなんですよ。何をすんねんなとおもたんですけどもよしということで翌日から夫婦漫才にかえたんですよ。だから変わり目が一瞬にして変えてしまうんですよね。≫
「そうすると夫婦になるとお互いのことが言えますものね」
『漫才でパパパパパとしゃべらせてもらってる事が普通の主婦に「いやあおもしろいわあ。内の主人もそうですよ。こないだも」と言われて段々快感になってきて面白いなと旦那の事を馬鹿にしたりこき下ろしたりするのは』
「でも今までしゃべってた人が「うあわわ、うあわわ」になるとストレスはたまりませんでしたか?」
≪ストレスというかねえ・・・だんだんカカア天下の漫才になっていくと私生活までカカア天下になっていくんですよ。お前それは舞台の上やってていうと「何をいうてんの私生活からそうしないと舞台の上ではでてけえへん。私生活であなたあなたと言うとって舞台の上であんた!!とは言われへん」というわけですよね≫
『言われへん。言われへん』
≪下も上も一緒にせなあかんと。ところがですね僕は女の風下に立つのが無茶苦茶いややったんですよ。俺は絶対に風下には立ったんと思ってたのがコンビ結成してものの2年も経たんうちに風下で、いまやはるか向うの峠の向うにおるみたいです。いまや内の娘にまで風下に立ってますね。だめですねえ≫
『でもねだんだん漫才になってきた頃にインタビューに来てくださった方がキャリアウーマンとかキャリアでバンときましたって言うのに私は最初の頃は「いや、私はうちの主人が漫才しよいうから漫才しました」その一言しかなかったんですよ。彼がいうようにやってただけだから。でもこれはいけないなという風になったんですよ。せっかく向うが言うてくれはんのに自分も言葉を返さないといけないとなってだんだん言葉が変わってきましたね。これはいけない甘えていてはいけないと』
≪実質的には子供がカナダに飛んだ自分の家庭からいなくなった夫婦も漫才も1番苦しい時期だったんです。ハードで自分たちの体の変調期でもあったんですね。精神的にも肉体的にも夫婦的にも苦しい時でそこにエアポケットがポカーンと空いて子供がお母さん自分の為に生きる事を探されたらとメッセージを残されて、お互いが夫婦をもう1回見つめなおす機会を子供がいなくなる事によって分かったんです。ベットの上でコソッといいよったですからね「これから何を目標に生きよう」というのがあったんですよ。嫁はんにとっての漫才というのは僕らが言う男の生涯をかけてとかそういう概念が全然ない。主婦がパートでやってる感覚でやってる≫
『時間給いいなっておもってね』
≪あの空間がねご飯食べてても会話がないんですよ。ポカーンとテーブルに穴があいてるんですよ。あの穴が夫婦のテーマだったんで今でも穴を一生懸命埋め合わせしている時に今度は逆に子供が帰ってきたために花を飾りだしたとか部屋を飾りたしたみたいな。それが漫才でやる気を出したというよりは家庭の中の作りをもう一度はじめたというのが正直なところなんでしょうね女房の。≫
黒柳「そういうお2人の事がよくわかったんですけども突然なんですけどもお2人の間のお嬢さんがサユミさんとおっしゃるんですね。それで横山やすしさんの次女のヒカリちゃんが2人がコンビになって2年くらい漫才をやっている。ちょうどよかったんでお嬢様方にきていただいてるんですね。ちょっとお嬢様方こっちへお入りになりません。水色の方がサユミちゃん。それであちらがヒカリちゃんです。このお2人は”さゆみひかり”という名前で漫才をやってらっしゃる。あなたは自分の娘がそばで漫才をやってたりするのは」
大助≪いやあ最近はなれましたけども最初はレンガで頭をどつかれてるような≫
花子『私は好きなんですよ。私が漫才しいよしいよっていったんですよ。けっこy区いやでいやで来た私が娘たちに漫才をすすめたんですよ。』
「お嬢さんのひかりさんは最初は女優さんになりたいと思ってきたんですって」
ひかり【はい。】
『私が最初女優でってきたときに何言うてんのあなたのお父さんはやすしきよしって日本一の漫才師でマイクの前に立って最期だったんよ。同じ芸能界に戻るんやったらお父さんが残したマイク、センターマイクに戻っといで、それが親の意思とちゃうかって』
≪まあこれは理屈でいうと女優には向かんという一言やったんですよ。≫
「さゆみさんはカナダに行ってお勉強されてたんですけどもよく漫才やるっていう気持ちになりましたね。」
さゆみ【いやなんか知らん間になってたっていうか(笑)】
≪これはねえ嫁はんとひかりと2人で陰謀してカナダまで説得しに行ったんですよ。子供が一言言うたんは迷惑やっていうたんですよ。≫
ひかり【でも賞金が欲しいために、それが終れば全然しないつもりやったんですよ。】
『なにか新人コンテストで素人でも参加できるやつがあったんですよ。それにでたら偶々優勝してしまって会社の方からそのままプロにさせますかって言われた時にいやそれは私の人生やないから決めるのは彼女たちの人生やから決めるのは彼女たちって』
さゆみ【それでなりませんって言ってたんですけども勝手に仕事が入っていてありがたい事なんですけどもその時はカナダにいてて旅費などもかかるので大変やなって】
「それでお帰りになってきてなることになった。あのやすしさんは私知らなかったんですけども徹子の部屋に来てくださった時にとっても喜んでくださったんですってね」
【そうです。その時は私はまだ小さかったんですけども母が昨日教えてくれたんですけどもお父さんは「俺は徹子の部屋に出してもらえるんや」って感極まってすごい喜んで】
「私もそれを聞いて涙が出るほど驚いて横山やすしさんてでてやるわって言う感じのひとで夢にもでてこない」
ひかり【すごい番組に出してもろて夢ちゃうかって。】
『昨日お母さんから電話があってね「いやあ内のひかりがありがとうございます」って。お父さん徹子の部屋でれたら死んでもいいっていいっていうて死んでしまはったんです(笑)。』
さゆみ【あかんがな、あかんがな】
「まあそんな風におっしゃってくださって冗談みたいですけどもちょっとコマーシャル挟んで短いのでもいいですけども漫才やってもらおうと思います。」
黒柳「どうぞそいじゃあ」
~”さゆみひかり”さんの漫才~
黒柳「だけどああいう風にお父様の事をおっしゃっても芸の上の事だからへいきなんでしょうかねえ」
ひかり【もうなれました。】
「でも最期のお父様の事を見てらしたときは辛かったでしょうね?」
ひかり【そうですね。仕事やめてから8年くらい経ってなくなったんですけども、私は家にいてる父しかほとんど記憶にないんで】
「ああそうか。」
ひかり【小学校2年の時から仕事をやめてたんで】
「あらそう。全盛のみんながワーと笑う時よりも1人で寂しくお酒なんかを飲んでるお父様のことしかみてないっていう。お父様すごかったってみんなおっしゃるでしょ?」
ひかり【最近ビデオとかを見たりするんでそれではじめて漫才を見たっていう感じ。】
「リアルタイムで見てないっていうのがね。お嬢さんはお父さんやお母さんが2人でやってらっしゃるところをねさゆみさんは見られるんですから。そういう点ではね。でもお父様がきっと守ってくださいますよ。でもよく2人とも口がどんどんどんどん開きますよね(笑)。」
≪口が回らんの僕だけですかね。≫
『いいじゃないですか』
「またよろしくお願いします。お元気で。花子さんもお元気で」
『はいもうがんばります』