本日の徹子の部屋ゲストは結城座さん

2002年9月12日

黒柳「よくいらしてくださいました。糸操り人形劇団結城座の皆さんにきょうはお越しいただきました。あのこちら竹本素京さんお母様でいらっしゃいます。肝っ玉かあさんとご紹介します。10年前においでいただきまして義太夫それですごいのはやってらっしゃるときは一人で。」

竹本素京≪はい≫

「やっていらっしゃる時は三味線と両方を。3歳の時からやってらっしゃるので芸歴は85年という息子さんが12代目の結城孫三郎さんです。中学生ぐらいの時にお会いしました?」

結城孫三郎(そうですねぇ)

「ずっと小さいときから4歳からやってらっしゃる」

(そうです)

「芸歴が55年ということです。結城孫三郎というと聞いたことあるなってお思いなるかもしれませんがなんと言っても糸操りという本当にややこしいものをお使いになる劇団の皆さんで私も大好きで昔から拝見させていただいてるんですけども。お母様は10年前に来ていただいて女義太夫といいますか娘義太夫といいますか大変な全盛の時代もあってそしてこの結城座というのはすごいんですね。徳川家光の」

(そうなんです。ですから360年間ぐらいですかやっているものですから。)

「初代結城孫三郎が初めてはじめた糸操りというのは徳川家光の時代というのですから、そこにお人形を持ってきていただいたのですがそこにある人形でですらもう何十年もたっている」

(これは新しい方なんですが50年くらいですね。)

「糸操り人形というのはこういうふうにしているとプラプラとしてますが、あやつりますと命あるがごとく動くというものですがこれなんかある糸少ない方ですねえ」

(少ないほうですね。もう十八九本ですから多いものになりますと50本ぐらい使ったという人もいるぐらいですから。)

「隣の人だ使ったりもするんですか?」

(使ったりもしますか基本的には1人です)

「どうして糸がこんがらがらないでできるのかと思いますけども、重要文化財に指定されていらっしゃいます。外国でもたくさん公演されています国際演劇祭で特別賞をお取りになったりして外国でたくさん子供にも見せてらっしゃいますし。いろんな面白い人形がありますので。これは今年の4月にフランスで向こうの女優さんが一緒に出て」

(あの、私どもは6人ぐらいで行ったんですけどもその他は全員フランスのスタッフと役者さんで。)

「これは髪の毛なんかをちょっと変えて」

(はい向こうのデザイナーにデザインしてくれて。これははじめ丸坊主のお人形なんですよ。それがずっとどんどん着飾っていくという設定が最終的に頭の上に赤い花魁のカツラがのかるという。自動的に糸でのかっていくってという)

「面白いですね。つるつるの上に糸でもってパッシャとその花魁の大きなカツラが、顔にちょうどじゃなければねぇ。」

(そうなんですよ。どんどん脱いでいったり取れて行ったりするのは楽なんですよ。着せていくのが難しいんですよ)

「それは大変ですよね。着せていく嫌ですねぇハハハ。糸操りで着せていくというのは難しい」

(今までやったことなかったんです。)

「まあ大変なことだと思います向こうの女優さんと一緒におやりになって「屏風」というものだそうですけども。なんといってももほんとに義太夫の方は長生きとうかがっていますがやっぱり」

≪いやそんなことはありませんよ≫

「そうですか。」

≪いやでも昔はねぇ義太夫が寄席に出るでしょう60前には引退ですねぇ。ですからあんまり年寄りはいないですね。だから娘義太夫になったんですね。≫

「このときは娘の時におかわいらしいですね。これほんとに娘義太夫って感じですね」

≪14歳。≫

「当時っていうのは頭っていうのは特別舞台に出るからあの頭じゃなくて普段からあの頭にされてるんですね」

≪みんなねぇ15になって初めて15島田をゆうの。≫

「これあれですよ皆さん舞台にお出になるからはああいう頭じゃないんですよ。まあホントに時代て変われば変わるもんでいまは紫にされてますけども。ねぇああの頭は普段からああいう頭にされていた」

≪そうです。≫

「私の母ぐらいの時代にはみんな着物を着ていましたね。ああいう頭の人も確かにいたと思いますね。」

≪箱まくらですものね。頭壊すと大変ですからね≫

「ご主人さまは10代目の結城孫三郎で。つい先ごろまで舞台に立っていらっしゃったんですね」

(そうですねぇ90まで舞台に立っていましたからね。90で亡くなる直前までたっていました。)

「まあ。すごいですね」

≪これは徳川よしかつの名古屋の殿様がお使いになったもの。≫

「なるほどきょうのお孫三郎さんのお兄さまが11代目で。今の12代目の孫三郎さんがきょうのお客様なんですけども、お父様が10代目でいらっしゃったんですけども隠居の名前で息子さんにお譲りになって雪斉さんと。でもアレですよね90歳っていうんですから足元がねぇ」

(これはねぇ恐いですよ。まず人形使いというのは腰と足をやれますからね。ですからまあ舞台に立つのも大変でした。でも最後まで舞台をやりたいやりたいというものですからそれは親孝行のためにも舞台をやってもらいたいと思いまして)

「を小さいときから中学生の時かご存じ挙げていると申しましたが、中学生ぐらいのときからお父様とやってらっしゃいましたのでねぇ。やっぱりあの非常に写真を見てもわかると思うんですが不安定な。見てくださいこれお父様とやってらっしゃるところですけどもあの中学生ぐらいだと思うんですけども高いところからやる場合は強いですよね。何て言うんですか足場のところ?」

(足場っていうんです)

「そんなに広くないんですよね。これは3種類あるそうですねぇ、」

(そうですじかに立ってやるのと、これが足場でやるのと、その後につい立みたいなものを建ててそれのちょっと高めの舞台を足場作りましてこれをもうひと工夫のありましてそれからあの今のフランスのお芝居でも使うような役者さんと一緒の舞台でもって立ったままやる)

「お顔とか体が見えていてお人形お使いになるという。見せていただくのはそれでなんという?」

(平舞台といいまして)

「ああいう立っただけでも目がくらむようなところで90歳でおやりになってしかも前かがみになりますからねそれは心配でしたでしょう?」

(それはねぇ・・・・・)

「命綱なんで付けてないでしょう?」

(全然全然つけてないです。後ろに劇団の人間が押さえるんですよ。そうなんです)

「でも考えたら命綱みたいなものをつけておいた方がいいかもしれないですね」

(そうですねを。でもやりにくいんですよ腰が切れないと人形遣いってやりにくいんです。)

「でもお父様すごいですよね90歳であそこまで上がるだけでも」

≪あげるのも大変(笑)≫

「でもそれにしてもそこで90歳までおやりになったんですからお父様はすごいんですけども、竹本素京さんは始まった全部1人やられるんです?」

≪ふ≫

「文楽の方は変わったり」

(変わったりなんかしますし。)

「お1人で何時間もなさるの」

≪まあねぇ昔は私は太夫だから三味線弾きというのがいましたからね、でもだんだんいなくなったでしょう。だから三味線を自分で弾くことにして≫

「それに気が合う人がなかなかいないから自分の方が気が合うからってを1人で。でも自分で引きながら義太夫するってすごいですね」

≪自分ではちっともすごく無いって思ってます≫

「息子さんから見ると凄いと思うでしょうね」

(やっぱりスタミナが大正の人って怖いぐらいスタミナがありますね。毎日やらないと気がすまない)

「そうなんですってね365日毎日練習して。きょうみせていただくのは大変なアレですよねお話しで」

(ハイ。近松さんの書いたものなんですけども実はうち初めてなんですよ。)

「そうなんですか!。」

(近松物って関西の人じゃないとい表現できないと思ってなるべく手をつけないようにしてたんですね)

「ずいぶんいろんなものをやってらっしゃるのにね。特にこれは踏ん切りというものがあってチュウベイという人がいて」

(ちゅうべいとウメガワがその)

「飛脚なんですねお手紙を届ける」

(ちゅうべいがお店のお金の封を機行っちゃったものですから追いかけられて、そのために死ぬつもりでウメガワと逃亡するんですけどもお父さん、本当のお父さんのいる猪口村にチュウベイがウメガワをつれていくというものです)

「ウメガワという人はもともと遊女なものですからその人を見受けしたいと思ってもお金がないからそれでお店の金に手をつけてそこで踏ん切りをしてしまうという。大変長い話なんですかその井ノ口村のところやっていただくということで。弟さんがいらっしゃってイッシさんといって。イッシさんは3代目?」

(そうです)

「お母様と一緒に3人で見せていただきますのでコマーシャルをはさんで皆さん十分にお楽しみいただきたいと思います。」

~劇中~

黒柳「本当にありがとうございました。お母様もそれから結城孫三郎さん結城一糸さんも。いや今あの拝見してて思ったんですが大変なのはあそこに立っている方何をする方なのかなと思っていたら雪を降らする方だったんですね。足元のところに行きがあるので(人形が)歩きにくいというのを表現しなくちゃならないのでまた難しいですよね」

孫三郎(おやじがあんなことうるさかったものですから雪の中をのお前何里歩いてきたんだとか。)

「人目を忍ぶのも大変なんですけどもその歩いてきた行きをつめたいだろうってあれする、そして歩き方も雪の中を歩いているっていうのを表現するっていうのもなかなか大変だなと思って。今のは平舞台でおやりになったんですけどもずいぶん腰をかがめてやってらっしゃるので弟さんは特に背が高いので大変じゃないですかい?」

一糸『腰をやれますね。』

「でも腰をやられると言いますけどもずいぶんかがめますね」

(腰をかがめて感情移入しないという感じですから(笑)。)

「お1人で全部やられるので足がプランプランしちゃうと困りますね」

(そうなんですよ困るんですよね。とりあえず腰を落として人形の安定性を図らないと)

「でも次はあまり腰を落として糸がユルユルなっちゃうと困りますからね。」

(ですから腰とひざとひじと手首と肩がばねになってやんないと)

「じゃあちょっと一糸さんちょっとやってもらえますか?うーん」

『これはいつもこういう状態でひじを張ってないとだめなんですね。これでまた座ったり、』

「なんだかすごいですねでも糸は見ないでもやれる?」

『はい手の糸と足の糸と全部場所が決まってまして』

「ちょっと泣いたりとかていただけます?」

『ちょっと袖を持って』

「一糸さんは何歳からおやりになったんですか?」

『僕は初舞台は4歳です』

「何年やても難しい。大変だと思いますよね。その上の棒は?」

『たたらといいまして足を動かすときに右足と左足を一歩ずつやっていくと遅くなるものでこれがシーソーみたいになってまして右足同左足が交互に動くようになっています。ですからこれを使うとこううまい状態に。』

「どうもありがとうございました。それで孫三郎さんの前にあるやつは?」

(これは昔からあるガブという手法なんですけどもあの一瞬に顔が変わるという)

「あら!恐い。」

(男で変わるというのはないんですけどもだいたい女が変わりますね。)

「それはいまは手で持ってらっしゃいますけども本当は上から操って」

(そうです。糸が切れたり間違ってたりすることもありますからね。)

「男にこういうのがないというのが面白いですね(笑)ちょっとコマーシャルです」

≪≫

黒柳「あの結城座の公演がありまして皆さんどうぞ、9月19日から23日までさっきの傾城恋飛脚という本当に悲しいお話しで涙なしには見られないというお話しなんですけども池袋の芸術劇場の小ホールで大体1時間半ぐらいなものだそうですけども。これは上から?」

孫三郎(上からといまの平場です。)

「その間中お母様を1人で?」

≪はい≫

「お1人で、88歳。これはお母様の記念のものじゃないんですか?」

≪米寿の≫

「米寿の記念日で、じゃあお母様にはがんばっていただかないと。妹さんもおやりになる」

(はい、そうです。)

「皆さんご覧ください。日本に唯一の糸あやつりの劇団なので絶やさないためにも皆さんに見ていただかないといけないのでよろしくお願いいたします。外国でものすごくたくさんになっていらっしゃるのでさっきはパリの写真がございましたけども」

(今年もパリとオーストリア。これはねぇ)

「ザルツブルクの演劇祭。あそこすごいですもんでよかったですねお客様が。ザルツブルクは演劇祭目当てでお客さんもいらっしゃいますし音楽祭もありますし。今のは子供がいっぱい」

(東南アジアか中近東ですね。)

「大変でしょう子供があんなとこにきちゃってね」

(お子さんたちにもいろいろ使わせてみたりして)

「でも面白いですねぇ。子供は動かしている人を見るんじゃなくてお人形ばかりを見てね。もう1回先の写真を見せてもらえませんかみんなが人形ちゃんと見てるんですね。やはり動くのが不思議なんでしょうね。先程も言いましたが徳川3代家光の時代から続いている結城座ですものね。でお父様は小さいころからみんなに教えてきてこれからどういう劇団にしたいと思われていますか?」

(そうですねなるべくこれから現代に密着しているお芝居をどんどんやりたいですね)

「外国に住みたいぐらいですってね。」

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