2002年10月14日
黒柳「よくいらしてくださいました照英さんです
照英≪照英でございます
「最近街を歩いていると照英だ照英だってみんなが言うですって
≪最近だいぶ皆様に見ていただけるようになって緊張するんですよね。だからドキドキしてしまって
「そういう風に言われると
≪はい。いやなんかほんとはうれしいが叫びなんですけども緊張してしまってなんでみんなそんなこと自分のことをみているのそういうって気持ちが最近出てくるんですよね。
「もともとやり投げの選手でいらしたんですよね。
≪はい
「すごいんですよやり投げの選手でいらしてすごい記録も出してらっしゃる方なんですけどもものすごく遠くまで飛ばした記録がおありなんですよね。
≪そうですね23歳まで。そうなん
「ですから23歳までやってらしたんですか。
≪はい大学卒業して1年目までオリンピックを目指しつつあのもっとその当時はですねがっちり筋肉もりもりみたいな人間だったんですけども。そうなん
「ですってねぇちょっとやり投げをしてらっしゃるころのお写真がありますので。すごいんですねやり投げってこの左側。これはこれから投げる瞬間
≪そうなんですよ。これは自分が1番調子が良くて全盛期ですね。22歳ぐらいのときですね。日本のちょうど選手権とかに出てトップを争う時ですね70
「77メートル74センチこれはすごい記録なんでしょう
。
≪その当時日本で3番もしくは2番ぐらいの
「オリンピックに出られるぐらいの
≪はい標準記録にもうちょっとだったんですけども、そのとき22歳で4年後がシドニーオリンピックだったんですよ。それで後大学卒業して4年間本腰を入れて力を入れていけばオリンピックにいけるんじゃないかなって。
「すごいですね高橋さんって書いてあるんですよね高橋照英というのがご本名なんでね。をってこれはすごい天をあおいで口を開けていらっしゃいますけどもこれからやる瞬間
≪投げる瞬間ですよ。鍛えあげて今から体重も15キロぐらい大きかったんですけども本当にすべて抜かりなく鍛えたからできたという記録なんですけどもね
「その写真を見てやり投げがどういうものか皆さんお別れになったと思うんですけどもあのやりの長さですねこうやって写真を拝見しているとそんなに長いという感じはないかもしれないんですけどもすごいんですよね。じゃ言って長さどのくらいでしたっけ?
≪えーとですねっ2メートル64、65
「2メートル65センチのものを
≪71メートルまで投げる。これはねぇ技術のレベルの高さというので
「そうですよね100メートルと行ったらものすごい先ですもんね。そこのもうちょっと手前ぐらいまであんな物を投げるわけですから。あんなものと言ったら失礼ですけどもああいうもの
≪あんなものというのはですねえ(笑)黒柳さん今日はですね足の下にですね持ってきてるんですよ。あんなものというんですかは見た感じはステンレス製で物干し場をみたいに見えるんですけども
「重さはそんなにはないんですか
≪重さは800グラム。結構軽いんですけども野球のボールを2個ぐらい持ったぐらいの。
「なるほどで考えてみたら1キロないというぐらいの。でも逆にだからこそ難しいともいえますよね。重ければ遠くまで行くかもしれないですものね。これはもっとすごいのは競技場まで自分で家から持っていかなければならない。マイやりを
≪(笑)そうなんですよ。
「恐れ入りますけどもそこのところですねぇ電車に乗るときにどうやって乗るのかちょっとやっていただけます。
≪あのですねまずこれを
「だいたい改札口を通してくれるんですかそれは
≪だいたいはどうしてくれるんですけども邪魔じゃないですか基本的に持っていて。こうやって立てて歩いていれば全然いいんですけども横にこうする状態になるとみんな邪魔じゃないですか。電車のドアが開くじゃないですか、だれよりも先に1番前に並んで置いて開いた瞬間に朝のラッシュの時に、すいません、いす座る上に物を置くところがあるじゃないですか。
「網棚
≪網棚とかに、すいませんあいあい誰かの頭を今とこずいちゃったりして。これでしまって
「そうか入り口からやらなければ入り口は入れないですもんね。その高さはね
≪するするするとを入れるのは僕のこの年代だったナンバーワンといえますね。
「なるほどどんなに込んでいても1番前に並んでドアが開いたがってすぐ今の格好で網棚の上に乗せることが。後ろの人はあなたがそれをやっている間はのれないわけですよね。ちなみに投げるときはどういう格好で投げるですか
≪いまの写真にもあったように本当に踏ん張ってここのグリップが結構つるつるしているんですよだからタコ糸みたいなのがぐっと巻いてある状態でそこに2本指をかけておもいっきりにかけって目の横に自分が目指す方向にピタッとくっつけてウガーといったら今みたいな状態で投げる。結構簡単そうに棒を投げるんでしょうという感覚なんですけども
「いやいやいやだいたい見てる人の方向に棒が飛んでいったら大変ですものねこんなものが。自分で競技場まで持っていくのが大変だと思います。
≪だからこれはねぇいまは自然に持っていましたけども6年ぶりぐらいに握っているんですよね、
「じゃあ今も昔と同じように自然にもてちゃう
≪ですね
「2メートル65センチあるというんですからね(笑)をお似合いですけどもで可愛いい
≪今も話を忘れて夢中になっちゃうぐらいやりを愛していましたね
「恐れ入りましたこれからモデルにおなりになるんですけどもすごいんですけども、じゃあそこのところに置いていただいて。もうちょっとこっちにお座りなって
≪じゃ今度は下に入れさせていただきます。
「ほんとだはこれがすごいんだこれを投げていた方なんですけども。すごいいい日本で2番目3番目という成績を出していた方でやり投げの名手というのがこの方。ご本人が84センチ、もっと伸びたかったんですって背が
≪もっと伸びた方ですね昔モデルの仕事をやっていたんですけどもまぁそのモデルをやっていたときいってモデルさんって背が大きいというイメージがあるじゃないですか。実際に本当に大きいモデルさんて187センチとか188センチぐらいありましてその中で自分が834しかなかったのでたった3センチってこれぐらいなのに実際洋服を着て立ったりすると全然を背の高さが違うとあからさまにわかってしまって
「でもやり投げの時にはこれ以上背が伸びなくてもよかったんですか。
≪そうですね大きければ大きいほどよかったんですけどもさほどその分はあと筋肉とスピードとかでカバーをしていけばいいんじゃないかという考えを思っていたんですけどもを
「あれは走るんですか槍を持って?
≪走るんですよ。走っていって横を向いて
「しかもその瞬間に目のここのところにくっつけて
≪固定させたまま
「固定刺さったまま走るのあら大変ね
≪ちょっと金ちゃん走りみたいな感じで
「すごいですねでも気をつけないとここのところこすって皮が目くれないとも手もんでもないですよね
≪そうですよね(笑)たまにですれてしまう時もありますけどもね。結構鋭利なもんでね
「とにかくそういうのをやってらしたんですけどもモデルになっちゃう。でもあなたはモデルになれるかなれないかわかんないけどもそのとき付き合っていた女の子が無理よていったんですってね
≪つらい話がきましたね。そのとき23歳ですね。ちょうど陸上競技をこれから続けていこうかやめようかと迷っていたときにその前にいろいろ気を、陸上というのはノンプロの世界なので普通の企業に入って社員としてやりつつ趣味でやっているみたいな状況なんですよ。
「プロがないからね
≪それが陸上競技の状況ですから。本当にこのままやっていてもね果たして自分はやり投げの世界で
「東海大学に行ってらして
≪はい。ナンバーワンになれるのかなっていうのが自分の中ですごく葛藤しまして葛藤があってその時ちょうど何かもっとね日の目に開かれるというか自分がもっとやりがいがあってなんか上につきすすめるような仕事てないから、もっとやりがいのある生き方てできないかなと思ったときに
「やり投げよりもやりがいがあるってね(笑)
≪(笑)
「くだらない駄洒落をちょっといっちゃったりしたんですけどもね。(笑)
≪それでちょうどその時におつきあいをしていた女性がいましてその女性がくよくよ悩んでいるんだったら考えたらいいんじゃないのっていろいろ話をしているときにファッション雑誌をぱっと見ていてそしたらいやオレこういうモデルとかになりてえなだとかちょっと言ったら「辞めなさいよそんなの絶対無理よ」とか言われて。言ったなとか思ってええ
そこでちょっと魂が揺さぶられまして、こんなこと言われたらこの世界でナンバーワンになってやるみたいな案外単純な動機なんですけども。この世界でまた自分を1から知らない場所で自分をつくり上げていこうと
「やり投げは身体も筋肉もをつけてすごくなったんだから、で反対されるとなをムラムラとするのですがそこでついて筋肉を落とさなければいけない。首なんかすごくふとかったんですって
≪(笑)本当に昔今から15キロぐらい本当に大きくて今は74キロぐらいなんですけども、昔は90キロ近くありましてであのその時にそのままのもりもりとした体のまま大学の方でやり投げをやめて東京にアルバイトして1,000,000円を食べてよしこの1,000,000円で家を探していろんな事務所・モデルのエージェントさがそうと思って出ていた時にまあいろいろ10何社ぐらいかを飛び込んでいって俺モデルできないでしょうかといいまして、そしたらある外国人が向こうからある外人が向こうからコレクションのために東京コレクションというのために来たときに在籍させる外人のプロダクションがあったんですよ。日本人のプロダクションに行ったらばお前はでかすぎてだめだと、モデルはそんなにゴツゴツとしていたらできないと言われたんだけども外人の事務所に行ったら、日本を相手にしてではなくて外人とね何か勝負したらできるかもしれないだけど部分部分がで例えば首だったり方だったり腰だったりそこの筋肉をそぎ落としていかないとやっぱり一流とは言えないよと。言われてさあ何から始めようかと。まあトレーニングをしたいと食事制限をしたり
「まあ食事制限も大変だったそうですけどもね。ずいぶん頑張って
≪まあ本当はこんなことテレビでいうことじゃないと思うんですけどもあのその当時今もお金はないですけどもその当時なんか家賃を払うだけで大変なぐらいで稼ぐのが大変で、だからも買い物に行っても買いたい物が買えない…だからこそ思いついたのがをもやしとお豆腐も面でも絹ごしでもなんでもいいんですけどもそれを買ってきてただ湯がいて良く飲み屋さんに行くとお通しに出てくるみたいな、おひたしってあるじゃないですかモヤシのおひたしとか。普通に豆腐なったら冷ややっこ体のあんな状態を半年間
「しかも朝1番で行くと昨日母日の売れ残りみたいなのがあって安くなっているんですよね。
≪(笑)そうなんですよ
「私夜に安くなっているのかと思ったら朝1番に行くと安いのがあるんですね
≪そうなんですよまた特売で日曜日とかの時はスーパーに飛び込んでいってよしモヤシが安いのはこの日だって言って当時僕が買ったときは20円とかで安くていまどれくらいなのかわかんないですけどもたまにセールとかで前の日の売れ残りを出していて5円とか、2袋5円とかで、そういう状況なんですよね
「ただ腐りやすいんですよねモヤシは気をつけないと
≪結構しなしな。私となってくるですよねシャキシャキ感がなくなってくるんですよね。でもそれでこそゆがいてまた水分を復活させてパリパリで食べているのがね結構生きがいだったんですよね。それで
「ずいぶん20キロぐらいそれで減らした。
≪減らしをましたね15キロ。
「15キロ。すごいですよ皆さん首がねぇ首が46センチあったそうなんです今はずいぶんおへりになったそうですけども。ちょっと皆さんコマーシャルをはさみましてですね46センチの首というのはどのくらいの首なのかというのをちょっとひもで測ってみたいと思いますんでちょっとコマーシャルです。
≪はい(笑)
黒柳「今はドラマとかで本当にご活躍の照英さんなんですけどもとにかくやりなげそしてモデルになるときの筋肉を落とすその大変なのは首ってやり投げには必要な特別な筋肉があるんですねぇ
照英≪あれは首の回りに僧坊筋というのがあるんですけども
「お坊さんみたいな字を書くのね
≪そうです。ここにボコと筋肉がついてくるんですよ。投げる競技をやっているとどうしてもここに筋肉が必要になってくるんですよそれと同じに首までぐっと太くなってくるんですよ。
「よくお顔が小さくならなくてよかったですね
≪ありがとうございます(笑)
「皆さん46センチの首がどういうものか今はすごくおやせになったんですけどもちょっとひもでやってみます。これが46センチの長さなんですけどもだいたいでこの方の首がどんなに大きかったというのがこれクビですよ。こんなに大きなくびだったわけですからこれじゃちょっとモデルは無理だったかもしれませんね。ワイシャツでも何でもちょっと入らないかも。こんなに大きいんですから。ですからおかしいでしょう
≪ネックレスみたいですね(笑)
「あなたずいぶんこれよりもお痩せになりましたか。
≪なりましたねその当時46センチ今が40。
「ちょっとやってみます。やってみますって(笑)
≪僕の昔の筋肉ですよ。
「でもずいぶん。減った減った減った減りましたね。
≪6センチぐらい減るんですよね
「でもそれでもモデルにおなりになったころはなんかなんか後ろにワイシャツの後ろなんか切って首を突っ込んだりしてないとだめなぐらいだったんですってね
≪(笑)そうです。昔ファッション誌、さっきもお話しをしましたけども彼女にできないよって言われたそのファッション雑誌そのファッション雑誌に巡り合うことができまして初めて1作目に出ようとしたときにスタイリストさんがワイシャツを持ってきてくれてネクタイを締めなくてはいけないから第一ボタンをしめてくれと。だいたいスタイリストさんが持ってきてくれるのはネックで首回りが41とか40とかのを持ってきてくれるんですよ。すいません閉まらないですけどといって
「息が止まっちゃう
≪本当に肉がキュキュとあふれちゃうみたいな感じでみんなそしたらこれじゃあねぇ見せられないから後ろをカットするから、いや髪の毛をカットするんですかみたいな、違う違うワイシャツのね後ろをねぇチョキンと切って緩くしようとで後ろを切ってもらって緩くなったときに「楽になった」って喜んでいる自分がそれじゃだめだめみたいなぁ。
「そんなにふとかったんですよね。それからだんだんきれいにおなりになって雑誌に当時の肉体美を見せてらっしゃる雑誌があってお洋服を着てらっしゃるんじゃなくて。それよりも先にこの方がファッションショーにお出になっているVTRがあるからこれはどっかアレでしょう外国のすごくいいブランドのものにあなたがモデルとしてお出になっている改造した後のだからこれは無理ようといった女の子に見せたかったでしょう。
≪そうですねぇやっぱり作りあげてマネキンのようにモデルさんて言葉がいらないからとにかく体を作ること、お店にあるショーウインドーのマネキンの体を目指したっていう
「そうか男の人の。じゃこれを見てみろ、俺はここまで自分で作ったというVTRですモデルにおなりになってすごくいいショーに出てらっしゃるんですよ。~VTR~そうですかものすごく一生懸命頑張った時のあの写真です。そして体も元のようにすごいのじゃないけどもいいからだということでこれターザンという雑誌にあなたが映ってらっしゃる写真なんですけども。きれいでしょ皆さんよくここまで落としましたね。本当に
≪何かこれで面白くてで、モデルってスーツとかを着こなすのに胸と肩だけは絶対に落としちゃダメだと。それで肩でスーツは着こなすものだと教えられていたので肩と胸だけをつけたまま腰をそぎ落としたみたいな。
「すごいですねだからいい格好なんですよ。これものすごくなんかで。そぎ落としてで本当に。だけどスーツを着ているとわかんないというのも脱ぐとこうと。これなかなか良い写真なので無理にお願いしてですねこの写真を出させてくださいということでお願いして本当にすてきな。これからだんだんドラマやなんかにお出になるようになっていくんですけども。とにかく自分でやってみたというのがご自分でもよかったとお思いになりますか?
≪この仕事を。すごい正解だと思います。自分がそれを見つけるまでは試行錯誤しましたけどもそのやると目的が見つかってからは進むものはただひとつ、モデルとしてもトップに立つ。皆さんに見てもらって自分をもっと輝かす。目的ができてきて俳優という部分に少しずつ少しずつ巡り合わせてもらってやっぱり常に何か自分に求められる、求めてもらえているというのはこんなに幸せなことなんだと最近つくづくね何かニヤニヤしちゃうんですけどね。ああこんなに自分を輝かせるものに進めたというのがねありがたいことだなって
「あなたの性格もあると思うんだけども初めにそんなのは無理よっていった女の子がいたということかね
≪本当にありがたい
「なれると思うよって言われたらそうかなってならなかったかもしれないし。
≪そうですよねその時にこれはやり投げで生きていくといったかもしれないし。でもやっぱりそこでターニングポイントで人との出会いがあってコミュニケーションをとることによって必ず何かが生まれてくるというのは今も変わらず常にその気持ちというのは持ち続けていますねやっぱり。はい忘れちゃいけない
「そうですね。
≪大切な気持ちですねやっぱり
黒柳「お父様は銀行員でいらっしゃってあなたがそのモデルになったりなんかするとなんか水商売はやめろっておっしゃったんですって。
照英≪最初の一言がドカンでしたね。こういう不安定と言ったらあれなんですけどもまぁ保証がない仕事というんですかね自分が頑張らなければ稼げないという。父はしっかりとサラリーマンになって安定した収入があってという生き方をしてきた人だったので自分みたいなこういうフラフラしてるみたいな職業についたときにそんなんで食べると思っているのか!甘ったれなと一言怒られましたね。普段はあんまりしゃべれないですけども
「お父様はそんな方なんですか。それである日広告の仕事がきまして、これは鹿島建設の鹿島が立てたスポーツアリーナ
≪はい長野にあるスポーツアリーナの広告だったんですけども。
「それは大変だったらしいですね取るときに。下はスケート場みたいになっているんですか。
≪はい。スケートリンクになっていてそこで自分もスケートの格好してポンて立っている写真があるんですけども
「ちょっとご覧くださいこれが皆さんね、どこにいるんだって
≪あの真ん中に
「真ん中に点のような
≪あの米粒のようなアレですか。一生懸命体を作り込んでメークもバッチリして出た作品がこれですよ。最初の。
「新聞広告だったんですってね
≪でまぁ父親とかにも初めて出るんだ出るんだ見てねってみたらお前どこに出てるんだって電話がかかってきて。やっぱりこのこれがある意味僕のスタートだったりしてたのでそれに出てまだ認めてはくれなかったですけども徐々に徐々に俳優としてテレビにもモデルとしてもトップに立ったときにうん今はすごく
「でもアレですよねあの時にあなたを起用して鹿島のあのポスターというか広告をお作りになった方はあの照英さんがこれだっていま驚いてらっしゃるでしょうね
≪ありがたいですよねそういうふうに感じてもらえれば(笑)
「面白いですよね。ほとんど見えないという感じなんですから。でもそれでもまぁめげないで豆粒大の人間でもいいじゃないかというんで。
≪どんな仕事でもこういう顔が分からなくてちっちゃな米粒でも気持ちは絶対に今でも変わっていないという小さなことから徐々に徐々に一歩一歩進んでいくことが
「でもお母様という方は豆粒大でもあのを励ましてくださったんですって
≪父とは正反対でしたね。陰で支えてもらったというかそういう仕事でも大切にしなさいと。少ない小さな仕事顔が写らなくてもいい
「なんかパンツの仕事で顔が全然映らないというのもあったんですって(笑)
≪腹筋だけですね。筋肉が生きがいみたいな。ボコボコとなっていて俺は楽しみと見に行ったら腹しか写ってなくてだれでもいいジャンて。でも俺の作品なんだ俺のハラなんだという一つ一つやっていく、やはり生きざまですよね
「それから間筋肉を競うテレビの番組なんかにお出になって、すごく照英さんは有名になって歩いていると照英照英と呼ばれるようになったんですけどもそれからだんだん俳優さんとしても。あれですよねこの局でやったあの樋口可奈子さんがお母さんをやった最後の家族。あの時樋口可南子さんの恋人役をやったのはあなたなんでしょう。
≪そうなんです。
「ねあの引きこもりの
≪そうなんですよ・・・さん原作の本でやらしてもらってそれが初めての連続ドラマだったんですけども。やはりいろんなその大女優さんだったのでいろんな意味で目から演技を引き込んでもらったりとか気持ちをいただいたりとか照英さん緊張するからリラックスしていいのようていってくれる、言葉の駆け引きとかハーこうやってみんな大きくなっていくんだろうなぁって何かこれで俺も学べるんだろうなっていう作品が最後の家族でしたね。
「ただあなたはモデルの出身にもかかわらず今やってらっしゃる朝のテレビ小説でも漁師さん
≪はい
「それからその他いろいろあの(笑)都会的な役ではない人が多い。大工さんとか。ああの時もそうでしたね樋口可南子さんの恋人役の時も
≪大工だったんですよ
「それからそういうことに関してのお考えもあるのですかちょっとコマーシャルをはさみましていただいて
≪はい
「コマーシャルです
≪
黒柳「まあその最後の家族の樋口可奈子さんの恋人役のときは大工さん。今のテレビ小説の時も漁師さん。おんなじモデルさんで俳優になった
照英≪中村俊介さんも一緒にモデルとかそういう世代でやってきて彼は2枚目の方向に進んでいますけども
「都会的な役が多いんですってね
≪僕はどっちかというと男くさくて土くさくてなんか僕とつとした役が多くてですね
「そして今日も本当はひげを剃って行きたかったんですけども漁師さんはいつもひげをはやしてそうでないとねやはり良知さんの感じがしませんものね
≪いつでもこうバット無造作に生えていても男としてね男くさくて出していてもこういう俳優がいてもいいんじゃないかと。だから存在感があって
「都会的でなくてもいいんじゃないかと
≪何かを感じてもらえれば1番いいなとすごく思いますね
「まぁモデル出身であっても泥臭い人間がいてもいいじゃないかと自分で。お父様は今どうですかあなたをご覧になって。
≪今はだいぶ認めてくれてますねぇ。やはり今回も徹子の部屋に出るんだっていったら、そうかそれはすごいことだって涙がウルウルとくるぐらい
「本当に
≪父親にこうやって言われたのが
「うれしいな、本当によかったです
≪ありがとうございます
「これから豆粒大でも励ましてくださったお母様もいらっしゃることだしお姉様がいらっしゃるんですってね。あなたででもまあそうやって愛されて育った息子さんなんでこれからもずっとねこの中で頑張ってやっていかれるんだと思いますけどもあのそれにしてもすぐに筋肉見せてって人にすぐ言われない?
≪言われますね(笑)触られますね
「そうでしょうねちょっと触らせてってね
≪(笑)
「ありがとうございました照英さんでした
≪ありがとうございました