2002年10月22日
黒柳「よくいらしてくださいました。今日のお客様は王敏さんとおっしゃります。そして現在東京の聖徳大学の教授でいらっしゃいましては日中の比較研究ですとか文化論などいろいろ教えてらっしゃるんですけども何といってもすごいのは日本人にもいない宮沢賢治の研究で博士号を取りになった方でもいらっしゃいます。そういう方なんですけども今日はいろいろお話し楽しみにしております。
王敏≪よろしくお願いいたします
「日本の方とご結婚されても日本語はもちろんおできになるんですけどもきょうはすてきな中国服でいらして下さって
≪そうですね。これは中国ではスーツの感覚できています。フォーマルの場もきますし例えば講演会とか黒柳さんのような方にお目にかかるときお出かけの時とかに来ています
「であのちょっとお出しネックレスだとばっかり思っていたんですけどもあれはネックレスではなくて金色の襟にもう付いているんですねそういう形で。
≪そうですね。
「でそれとあとそで口も気になっていてまぁベルベットのような生地でできているんですね。まあ文化大革命の時にずいぶんいろんなものがなくなっちゃって皆さんおっしゃってしばらく人民服でいらっしゃったでしょ。だからあまりいろんなものがないと皆さんおっしゃっていましたけどもだんだんこのごろは出てきたですよねそういうものが
≪今は本当にさまざまなものが皆さんが来ていますので、おそらく街を歩いてみますと日本と全く同じように思われると思います。
「でもそういうような中国服を着ている方は少ないですか
≪いいえ多くなってきています
「多くなってきていますかそうですか。いつか私上海にお呼ばれをして窓際のトットちゃんのシンフォニーというのがあちらのオーケストラが演奏するのでぜひ来てくださいということでちょっとうかがったんですね。そのとき私中国服を着ていったんですね。そしたら私しか着てなくて(笑)そのときちょっとで恥ずかしかったんですけどもちょっとの間にものすごく変わったんですね中国は
≪変わりました以前はですねこの中国服はブルジョア的なものとされていまして恐らく10年、20年前の時代にはこれを着ていると批判されたりすると思います。
「今から20年前。
≪あのときは文化大革命の時でしたので。
「そのちょっと後で終わったんですよね文化大革命が。ですから十四、五年前に私はいったんですからほとんどまだ皆さん人民服でしたね。
≪また文革の後遺症が残りましたしこのチャイナドレスを作る人間も少なくなっていましたし
「ただものすごくホテルのボーイさんが私とてもユーモアがあるなと思ったんですけども私中国服を着てそしてホテルの出口を出ようと思ったらそこのボーイさんが日本語で「私は中国人です」と私におっしゃったんですよ。私が中国人みたいに中国服を着ているんだけども本当は日本人だとわかっていますよという感じだったんですね。私は中国人ですよとか言ってねもとっても大笑いしたんですけどもみんなで。とても面白いユーモアだなと思って。
≪私も20年前に初めて日本に来たときに日本のお店のその、日本のお店で働く女性たちはチャイナドレスを制服のようにきていました。
「中華料理屋さんなんかでは
≪うん。それを見て驚きました。しばらくチャイナドレス見たこともないし出会う場もないんですよ。かえって日本という外国でそれを見ることができて驚きましたし非常に喜びました。
「そうですか。さて日中比較研究ということもされていておやつの比較というのももちろんやってらっしゃるんですね。だがもんですから中国の本当の普通の家のおやつをお持ちいただいたんですけどもこれがまあびっくりしたんですけども体によさそうなもんだなと思っていま日本のお母さんは子供におやつを作らないように思うんですけども。まずこちらの白いものが入っているこちらのから教えていただけますか。これは何と何が入っているんですか?
≪これはですね白いキクラゲとそれからハスの実が入っています。それで両方とも肺と腎臓のお掃除をしてきれいにしてくれますので。ですから体力向上には非常にいいものとして中国人はよく食べています。
「ああそうかあちらの方は何でも召し上がるときに薬膳といって何でも必ず体にいいものを召し上がるということって本当にそうなんですね。
≪そうです。理性的に食べるという意味の感覚がありますので見た目できれいでありはおいしいかどうかで判断せずにまず体にいいかどうかをそれを優先に判断をしてそれでたとえおいしくなくても無理をして食べます。
「なるほど子供のおやつには体にいいからということで。これは全部日本で手にはいるそうでを日も缶詰になったのもあるそうですけども白キクラゲもハスの実も全部中国のものを売っている材料やさんで帰るんだそうです。あの王敏さんはお子さんがいらっしゃるでしょ?
≪おります
「息子さんがいらっしゃって息子さんにも
≪時々作って食べさせます。
「ちょっと私いただいてみてよろしいですか。
≪ぜひぜひ
「皆さんどんなもんだろうと思いだと思うんで。でスープのようなものの中に入っているんですね。白いキクラゲはこれすごい上等のようなものに思いますけどもそんな高いものじゃないですかね。
≪あのかえってですね日本で買うと安く感じをいたします。日本では上等のような栄養剤のとして置いておりますので普通のものよりは高そうなものと思われます
「でもそういう風のではないですか。普通の人が食べるものなんですか
≪だんだん食べるようになりました。以前はやはりこれは高いと言われまして一般的にはなっていないですね。日常的にはなっていないですね。今後皆さんの生活レベルがアップされましたのでみんな食べるようになってきました
「ハスの実。日本ではこれはあまり食べるアレがあまりないですけどもあの私中国料理に入っている時に銀杏かだと思ったんですがでも食べてみると銀杏とも食べてみるとちょっと違うような。ちょっといただいていますねいま2つのっているんですけども
≪これはですね精神を安定させるそしてあと安眠にも効くものとしてよく食べますね。
「じゃあ寝るときになんかいいんですかしら。寝る前に
≪寝る前の方がいいですね。
「おいしいですちょっと甘い味がついていて
≪氷砂糖が入っていますから
「氷砂糖が入ってるんですか
≪氷砂糖は身体をやわらげる作用を持っています。ですから中華料理特に薬膳料理デザートなどに氷砂糖をよく使います。
「じゃ普通の粉のお砂糖を使わないで氷砂糖を使うんですか
≪はい。
「とかして
≪とかして
「このハスはとても歯ごたえがあってハスの実はとてもおいしいです。そしてキクラゲはもちろん美味しいですけども。それから次に3種類持ってきていただいているんですけどもあちらですけどもあれは何おまめの中に入っているんですか。
≪はいヨクトウといいましてあずきの仲間なんですけども、小豆は中国人から見れば冬に食べて体にいいと思われてこの緑のリョクトウの部分は夏にいい豆とされています。なぜかといいますとこの緑のリョクトウの方は体の中にあまっている熱を外に引き出す採用を持っていますのでですから夏のインリョウとして最適とされています。
「じゃこれはスープとしても
≪飲みます。でおかゆと一緒に作ることもありますので中国人はよく食べます。
「ほとんど小豆の感じですね味は
≪小豆と兄弟ですね。まあ兄弟は他人の始まりですから
「(笑)
≪ですからこのアズキの方は冬用として活躍します。で緑の方は夏をつかさどります。
「そうすると小豆というのは体に熱を取り込むというものがあるんでしょうか
≪ありますね。で冬にはですね例えばこの小豆を食べますと体にエネルギーをパワーを与えてくれるというような考え方は中国の古来から思っています。
「とにかく穀物というのは体にすごくいいというのは知っていたんですけども本当にこれはおいしいですね。やっぱりこれもあまりですよでも小豆ほどはおしるこほどは甘くはないけどもちょっとお豆の味がしてちょっとアズキに似ていておいしいですね。
≪でこれも氷砂糖が入っていますので
「こういうものをお母さんは子供に作っていてトット待っている。そしてこれは
≪これは八宝粥といいます。日本では八宝菜という中華料理がありますが
「ありますありますいろんなものが入っているお野菜の
≪そうです。中国では八宝粥といいまして8種類の穀物それから木の実が入っています。これをあのゆでて食べるわけです。これも体力向上に効く食べ物としてどの家庭でも作って食べます。
「まぁピーナツそれからもち米それから平らなお豆があるんですって平豆。というのがこれですね。
≪小麦。麦ですね。
「麦が入っている
≪麦とクルミとそれからユリネとナツメとまあいろいろ
「リュウガンというものも入っているですか
≪入っていますね。でその地域のとれるものによって地域によって違うと思いますけども、とにかく8種類入ればそれで八宝粥と呼びます。
「すごくおいしいですねこれこれも氷砂糖ですか
≪氷砂糖ですね。氷砂糖は中国では漢方薬の1種ととらえています。ですから体にいいものであればほとんど氷砂糖を使っています。
「すごい。おいしいですねこれで。ええっとピーナッツともち米とあとは・・・
≪クルミとユリネとナツメと。日本ではあまり見当たらないものなんですけどもドライフルーツの1種ですね
「そういうものを入れて日本ではおかゆのようなもの。
≪そうです
「も穀類を1日何百グラムと食べればいいとよくいいますけどもこれ食べたらずいぶん体に良さそうですね
≪そうですねぇ疲れるときとかですね
「私だけいただいて失礼ですけどもよろしいですか飯上がらなくて先生は?
≪ああどうぞどうぞ黒柳さんは美食家と聞いてますので。で中国では美食家というのはですね文化水準が高くてそれから教養のある人の代名詞として使われていますね。
「美食家と
≪そうなんですというのは食は文化というような概念を中国人は思っていますので。ですから食通というのは男性も非常に多いんです。日本人がよく知っている李白とか杜甫とかその古来の大詩人それから毛沢東も含めて鄧小平も含めてみんなを美食家なんですよ。
「そうなんですか美食というのは悪いことではないですか。
≪いいえもう最高の褒め言葉です。
「そうなんですかどれもこれもおいしくてしかも体に良さそうでなんて中国の子供たちは体に良さそうなものを食べているんだろう日本の子供たちはもっと違うものをファーストフードみたいなものとかなんか買ってきて食べると思うんですけどもこういうものお母さんが家で煮て待っていてくれるというのはいいですよね。
≪そうですね私も子供の時は学校が終わったら急いで家に帰りたくなったのはこういうものを待っていてくれるからと思っているからなんですよ。
「でも日本も昔はで親が小豆を見てどっかでお豆を煮て待っていてくれたかもしれませんけどもここしばらくはおやつっていうとだいたい外で買ってきたものだいたい食べさせるという傾向があるように思います。
≪そうですね。コンビニだのみというようなケースが多くありますね。多くなってきているようですよ。
「でもアレですね中国は五千年の歴史、4,000年の歴史または3,000年の歴史といろんなものに(笑)って違うんですけどもだいたい先生は何千年と思ってらっしゃるんですか?
≪そうですね五千年といってもいいと思いますけどもでも実際にはそれよりずっと例えば7,000年前の文物も出てきましたのでですねもしその時からも文化があるというようなとらえ方をすれば7,000年とも言えるかもしれませんしとらえ方によって違うと思いますね。
「でさっき中国はおいしいものを食べる方は美食といってとても文化人といわれるそうですけども中国で美しい人というのはとてもやっぱり日本とはちょっと違うなと思うんですが中国で美しい人って女の人の条件は
≪そうですね美しいというのは褒め言葉としてはまず教養があって品格があってで気品があってでそれから次に最後にはおそらく顔が美しいきれいに形の方を条件としてとられそして表現するのはさまざまなつまり内面の条件の後に次ぐ最後の条件として出す習慣がありますのでつまりその形よりも内面的なものそれから教養的な部分ですね
「本当にそうなんですか
≪本当はそうなんです。だから私最初20年前に日本に来たときに美しい美人ですね褒められるときはちょっと私がどこか足りないところがあるんじゃないか(笑)と自分は思っていたんですよ。で私の育ててくれた文化背景には美しいという言葉だけで女性をほめることはあまりしないんですよ。それは失礼なんですよ。というのは形だけの美しさに焦点を絞って言葉に出すと捉えてしまいますので少し悲しくなるんですね。
「ああそうやっぱりその中には教養があるとかずいぶんお勉強をしてらっしゃるんですねとかそういうようなことの方がよっぽどうれしい。
≪うれしいですね。
「日本はやっぱり見たところ瞬間的にみたところそれから若いというのがいいというのが何となくなっているんですけども、年齢についても中国ではずいぶん違うようでございますけどもやっぱり皆さん教養。じゃ本当に人あの顔はそんなにももしかして綺麗じゃなくても教養があって本当に深みのある優しくてそれでどこか愛きょうがあるそういう人あの人は美しい人という風に言われる
≪言われますねむしろそういう人が本当の美人と言われていますね
「まぁクレオパトラがそうだったといわれていますね。顔よりもむしろ教養だったといわれていますね。8カ国語だとか何カ国語がしゃべれてよくいいますけどももしそうなのかもしれないですね。
≪そうですね楊貴妃なんかはね美しい人といわれていますけどもでも音楽に非常に通じています。ご自分で作詞作曲それから踊りやるんですね。その教養の部分がなければ楊貴妃以上の美女たくさんいるはずと思います。
「ちょっとコマーシャルです楽しいです。
≪
黒柳「なるほど中国ではただきれいですねだけはおしゃれないようです
王敏≪普段はですね。やはり気品とか教養とか中身とか性格とかそれを最初に褒めて最後にはそれに顔もお綺麗ですというようなことをいいます。
「とても力強い感じがいたしますけどもそれから年齢ですけども日本は何でも若い人がいいというふうな風潮がちょっとあるんですけどもあの10代の人を中国では
≪中国ではですねやはり女性として1番成熟して魅力を出せる年齢としては20代の後半から40代あたりだと思われています
「やはり10代というのは少女
≪少女といいます。もちろん少女はすがすがしくて純粋な感じを与えますけどもでもまだ魅力というところが残りますのでそれは1人前の女性としてはまだ認められない。
「未熟であると。20代は
≪20代はねぇ中国では男性も女性も青年といいます。それも発展していく可能性のある年齢層とされています。
「それで30代ぐらいになりますと
≪それは少婦(しょうふ)といます。少ないに婦人の婦といいます。この年齢層になると1番魅力的な女性として成熟してでは色気も出てきて男性にとって1番の魅力を感じる年齢そうだといわれています。
「30代が。でもまだ婦人にはなっていないんですね。少しの婦人ですから。
≪婦人はですね40代からはいってから婦人といわれています。婦人は長くて50代も婦人といいますし60歳になれば老婦人と呼ばれるようになります
「老婦人
≪老がつくとですね別にあの年齢がつまり年をとっているからそんなわけじゃなくて儒教の教えでは年上の人、それから年齢の高い人を尊敬するような伝統がありますので老婦人というのは尊敬すべき経験豊かな女性としてのいい方であります。
「そうすると日本ではくそばばあなんてちょっといいますけども、そういう言葉は中国にはない?
≪ああその言葉はあるんだけども本当にくそばばあであればそうは言いますけれども(笑)
「本当のくそばばあには言うけれども(笑)
≪普通はいいませんね。
「なるほど。老婦人。
≪それは敬意を込めて言うときのいい方です。
「それはそうでしょうねいろんなモノを身につけて。だからやっぱり教養とかそういうものがないとちゃんとした老婦人としては認めてもらうとには難しいということですね。
≪難しいですね。あの友人の中国の男性に聞いたことがあるんですけどもあなたたちにとって魅力的な女性はどんな年年齢層の女性でしょうか?とで不特定多数の人に聞いていたんですけども彼らの答えはひとつなんですよ。で中身があって人格としての魅力を感じられまあもちろん清潔感があって、センスのいい女性。年齢とは限りません。たとえ真っ白な髪の毛をしていてもそれが私たちにとって魅力的な女性と思いますとこう答えてくれました。
「やっぱり私たちはその通りに努力をしたり当然ですけども自分で一生懸命やるということが大切で自分を磨いていけばあの中国の方にはそういっていただけるということですよね。
≪黒柳さんは中国人にとっては1番魅力的な存在だと思います。
「(笑)
≪気品があって愛きょうがありますでしょう
「恥ずかしい
≪いくら気品があっても愛きょうがなければそれはなかなか男性から見ても女性から見ても親しみというふうなようなものは感じられませんのでそれこそ黒柳さんは両方を持ち合わせていらっしゃいますのでモデルだと思います
「恐れ入ります本当にほめていただいて。ちょっとコマーシャルに行きます
≪
黒柳「さて日本人にもいない宮沢賢治の研究で博士号を取りになったと犬いうふうに先程ご紹介したんですけどもそれはお茶の水大学
王敏(わんみん)≪お茶の水女子大です。
「お茶の水女子大からの博士号だそうですけども。面白いですねたくさんとっても本をお書きになっていてなんと130冊ぐらい
≪まあ(笑)数があって質がないもので。
「いえいえ本当にたくさんの本を書いてらっしゃるんですけども宮沢賢治も確かに中国のことをとらえていたものも中にはありますよね
≪ありますたとえば西遊記、それから唐詩選。宮沢賢治が自分の作品の中に全然その唐詩選、西遊記の栄養をとったような跡を出さずにすべてそれを自分のものとして消化してそれを文学作品として表現していらっしゃるものですからそれにひかれました。
「何か中国にいらっしゃる時にあと9日本人の先生がいらっしゃって宮沢賢治についての
≪はいそうですでそれは日中国交が復興してからを日本政府に派遣された第1期生としての日本語教員なんですが。イシガワイッセイといいます
「?
≪イシガワイッセイといます。イシガワ先生がそのとき私が大学院生でした。宮沢賢治のことをご自分でガリ版を刷ってそしてまだ自動的な印刷機がなくて手ですってプリントを配りました。それは雨にも負けず
「雨にも負けず。でこれは中国語に翻訳をなさってらっしゃるそうなんで初めのところだけでいいんですけども雨にも負けず風にも負けずて皆さんご存じですよね宮沢賢治の。あそこを少しだけでいいんですけども中国でお訳しになったらどんなふうになるのかちょっといっていただいていいですか
≪はい。~中国語で朗読~っていつも静かに笑っているのところまで。1回省略させていただきます
「いつも静かに笑っている。今うかがっていて胸がいっぱいになったんですけども宮沢賢治は日本語で書いているんですけどもあの今初めて中国語でうかがったんですけども今のうかがっていると宮沢賢治はもしかしたら中国語でもしあの人はかけたらばあの内容は中国語でかきたかったんじゃないだろうかと思うような響きがあってそしてあの雨にも負けずということを言っている人は今のような穏やかなような感じでいっているのを宮沢賢治はここに書きたかったんじゃないかと思ったんですね。私びっくりして涙が出たんですけども。本当にきれいな言葉だし中国語ってね
≪宮沢賢二は自分の作品をおそらく地球上の子供やそれからすべての人たちに読んでほしいという思いがあったと思います。ですから必死にエスペラント語を学んでヌーにでそれで作品を描きたかったんです。でせめてですね中国という国だけで私が訳すことができればその願いの1部をお届けしたいと思っていました
黒柳「なんかもう時間がなくなってきたんで王敏先生にはまたおいでいただくということにしてあの中国との関係は日中国交回復して30年だそうですけども私はパンダを研究していましたんで長いこと
王敏≪ああそうですか
「だもんですからとても中国は親しい国と思ってましたけどもやはり今日本の方にメッセージといったらどういうことが
≪そうですねもっと日本の伝統文化を大切にしてそして日本文化を自信をもって世界各国とくにアジア諸国に発信してほしいと思っています。
「そうですか。ちょうど文化大革命が終わったと同時にトットちゃんが中国で翻訳されて
≪そうですその時にはトットちゃんの本は中国人にとって世界に向けてひとつの窓が開いてくれたような存在でした。私たちが必死に読みました。文革ですべての文化、外国の翻訳作品禁止されていた時代でしたのでその中でトットちゃんが突然現れたものですから・・・(終了)