2002年10月28日
黒柳「どうも。この間は歩みの箱という芸能界の人たちがやっているステージでご一緒でございました。本当にお元気でいらっしゃって。でも芸歴が芸歴はどのくらい?
石井≪歌手生活が58年目。
「ねぇやっぱりねぇお若い時からやってらっしゃるということもあるんですけども。パリに留学していらっしゃった時に夢だったオランピア劇場にお立ちになりましてですねシャンソンをフランスでお歌いになって
≪そうですねあの時はとても喜んで出演をOKしたくせにねだんだんだんだん恐くなっていやになってねなぜ引き受けてしまったんだろうフランス人なんかの前でシャンソンを2時間も歌うなんてね絶対に何を言われるかわからないって思って胸がドキドキしてねずいぶん後悔したんですよ。
「愛の讃歌もお歌いになったそうですから。まあお若いときでいらっしゃいますけども
≪いやそうでもないですよ。67ですよ
「でこのとき67、留学してらしたんだけども後に67ということは67というと今から10数年前。考えてみれば今のはそうなんですか
≪・・・オランピアなんかでないですよ向こうはずっと客席でずっと長いことを聞いていて
「オランピアなんて言ったらもうねぇ
≪イブモンタンとかリビアとかコンサートをいつも客席で聞いていて自分が上に上がるとは夢にも思っていなかったのが67であの実現したんです。
「ああそうか。じゃちょっといまの写真もう1回見せていただけますか。きれいなお洋服を着ていらしてですね赤い本当に印象的なお洋服なんだけどもとにかくあのイブニングドレスのさばきがものすごくお上手ななかなかこうはいかないんですけどもこの長いドレスなんですか下の方は。そうでもないのか床が赤いのか。
≪いやこれはねぇパッとやってこの下に黒い洋服のがあるんですよ。
「何か愛の賛歌を歌いになったらブラボーで大変だったそうですけども。それはもう本当にうれしくていらしたと思うんですけどもこれはどうも思うんですけども床が赤いじゅうたんを引いてあるのかしら。よくわからない私が目が悪いせいかなんだかよくわからないですけどもあれ全部が石井さんのスカートがと思ったんですけどもいうかが赤いみたいですね。ちょっともう1回見せて床が赤い印の下で。そんなんでね80歳なんてあっという間
≪そうですねパリ祭というコンサートを40歳のときに初めて今年で40回目だったから。80。いつの間にかですよ(笑)
「でもアレなんですってね弟さんのお嫁さんがこの前もう死んじゃったらいろんなものどうすんのかしら。いろんなものねお洋服もイブニングとかいっぱいあるしどうすんのかしらとおっしゃった一言でパッとおっしゃったんですって
≪へ
「弟さんのお嫁さんでしょ。なんか死んじゃったらどうするのかしらって言ったらあらまとめて捨てちゃえばいいんです。
≪それはその弟の息子がねぇ心配しなくていいですよも捨てるもんは既に捨ててありますからと(笑)言ったからちょっと安心したと。
「悪かったお嫁さんには失礼致しました。弟さんの息子さんがそうおっしゃったんですか。失礼いたしました。まとめてね
≪捨てれば大丈夫だから。やっぱりねぇ何かが増えますでしょうものって。だからね捨てるに捨てられないというものがいっぱいあるから何かで回りは周囲を見回して私ゴロっと死んじゃったらこの荷物一体だれがどうするのなんてね(笑)それが心配よ。
「そうですよね。私もアフリカに行くときなんかはねぇ本がいっぱいある部屋があるんですけどもそこをちょっと振り返ってどうするんだろ死んじゃったら、まあいいかと思って。
≪そういうこと思いますねでもあなたはまだずっと早いから。私なんか緊迫感を持って。このごろはそう思っていますよ。
「でも本当にだれでもそうですけどもいつ死んでもおかしくないなっていう感じはいつもあるそうですけども。でもだから一生懸命なんでもおやりになると思うんですけども。ずいぶんチャリティーコンサートもいっぱいにしていらして、あのは毎年やってらっしゃるUNCHRというんですけどもあの高等難民弁務官事務所のオガタ貞子先生は高等難民弁務官としていらしてたんですか
≪これはあのおととし出演していただいて会場からあいさつしていただいたんですけども永六輔さん、7年続けているんですけども毎年4月にね普段シャンソンを歌わない方にシャンソンを歌っていただくという会をやっています
「私1回出させていただいてあれがそうかしら。
≪はい
「そうですか。UNCHRの国連高等難民弁務官事務所のためのチャリティーコンサートなすってるんですね。だけどまあいろんなことやっていらっしゃって本当にたくさんいろんなことをやってらっしゃるんですけども若いシャンソン歌手の方もお育てになりましたけどもアメリカに留学なさっていたときにミステレビというふうになってですね。すごいですねミステレビ
≪いやそれはねぇ歌を歌っているんですよ。ミスじゃなかったんだけどもね1度結婚して別れてミスなんて言っちゃいけないんだけどもあのまあ何でもねぇやっぱり試したいという気持ちがすごくおう盛だったからそういうテレビで1曲歌を歌ってコンクールみたいなんであの出てでなさいと先生がそう言ってから出ていったら海水着、海水着(笑)と言っちゃいけないんですけども今はベージングスーツ何ていうんですか。水着
「海水着といったらみんな笑うんですけども水着ね
≪水着を着て歌えというからすごく困って
「それもすごいですね水着を着て歌え
≪全員水着なんですよ。
「アメリカね
≪ちょっと考えてねこういうことどうかなと思ったけども遠く離れているから父や母にも見つからないで済むと思ってね水着で歌ったこともあるんですよ。
「そうそれでもってでミステレビ第1次予選に優勝なすって。まあお綺麗でいらっしゃるんでね本当にもお体も
≪恥知らずっていう感じがしますけども(笑)
「いやアメリカ25州で行われて、でもこの後ですねどんどん進むとミスでもないしまあ昔でいえばバツ1だったんですか
≪そうそう
「それから2世でもないからといっておやめになったそうですけども。まあいい思い出でしょうねえきっと。
≪もういいですよねこれ(笑)
「いいじゃありませんかね(笑)でもそれにしてもいつも本当にお綺麗たなと思うんですけどもコンサートの前というとずいぶんいろいろ気をつけて普段からでしょうけども
≪やはりあのわざと大きなコンサートなんかの時はに向けてはやはりちょっと体調を整えの得るために運動も水泳とか歩くとかそれと同時にちょっとで少しに3キロはやせて絶食して出ます
「普段めん類がお好きなんでそういうのもちょっと止めたりなんかして
≪そうワインも好きですし。それから私は炭水化物が好きなんですよご飯とかうどんとかね。どんぶり物なんて大好きなの。そういうのもねなるべく控えてちょっとで少しは)よくして出るとか
「野菜とか
≪野菜をうんと食べさしていただいて
「びっくりしたんですけども1日に30分は必ずウオーキングをしてらっしゃる
≪必ずでもないですけどもできるだけ歩いています。40分ぐらい
「40分ぐらい家の回りを。
≪家の回りをちょっときれいなところ公園みたいなところがあるから
「時間を計って
≪いやはからないけどもだいたい40分コースだから
「ここを歩くと40分くらいという。それから寝る前に寝るとき体操を30分ぐらいなさる
≪それはします。運動というのは何ですか腹筋を強くするため足が舞台でヨタヨタするといやだから腹筋の練習とやっぱり足のつま先をよくもみほぐしてぐるぐるぐるぐるひとりでテレビを見ながらやっているわけですよ
「足首の運動とか
≪それは必ずしています
「でも30分というと長いように思いますけどね。
≪でもねテレビなんかを見てると30分なんかすぐにすぎちゃいますけどももっとしたくなって1時間ぐらいやっていることもある。
「ああそう。やはりお休みの前に。
≪はい
「じゃだいたいできるときは40分ぐらいお歩きになって、寝る前に30分。私このごろなんでもねそういうんでちょっとぐらいですけども年長の方が元気な方がいらっしゃったらどういうことをしてらっしゃるのかうかがってそのようにすればいいんだなと自分で思って
≪思ってるだけじゃだめよ
「私も寝るとき体操をやっているんですけどもね随分いろいろやっているんですけどもで5分とたたないうちに終わちゃうの。全部が
≪急いでいるのよあなた。いつも忙しいから急ぎがちなんじゃない
「でもジャイアント馬場さんから教わったヒンズースクワット50回やってそれがすぐに終わちゃうでしょうだから足首なんかをぐるぐるね
≪でもであなたの舞台を見ているとすごいバイタリティーですごくかけ出したりすごくいろんなことをも激しくやってらっしゃるからまた今度ねメーンウェストですね。
「メーンウエストという女優さんを今度私やるんですけどもメーンウエストという女優さんはセクシーシンボルと言われたアメリカの人なんですけども本人は私はセクシーシンボルと呼ばないでくださいセックスパーソナリティーとよんでくださいとあの時代に1910年ごろ言っていたんですけどもその人の映画を見ては女の人はいけなかったんですよね。日本じゃね
≪私ね子供のころの思い出でメーンウエストというとってもあのプットインしているんですよ。あのなぜかというとマリリン・モンローというとみんなんマリリン・モンローてさがんするけども、あのマリリン・モンローは見ちゃいけないという感覚はないのね。女の人に。ところがメーンウエストは見てはいけない人だったの。昔。私が本当に子供のころ小学校に上がるころ(写真)
「あらかわいい。
≪この姉がおばあちゃん子でしょっちゅうおばあちゃんの家に行っていたんですよ。あるとき母がこそこそこそって隣のおばさんと出ていって隠れてメーンウエストを見に行った。そしたらメーンウエストを見に行くということはちょっと恥ずかしいやってはいけない事みたいな。それで映画館におばさんと行ったらおばあちゃんに手を引かれたうちの姉がねぇおばあちゃんと一緒にメーンウエストを見てたってね顔が会っちゃってねっていびっくりした話があるんですけども。
「どうしてここに小さい子がいるのかしらと思ったらお姉さんで
≪おばあちゃんがすごくスポイルしちゃったからメーンウエストメーンウエストって。私は見てなくてすごく悔しかったの覚えているんですけどもね。だけどメーンウエストという写真を見たことがあるんだけども何かこうね姉御っていうのちょっとケンもあるというちょっと怖いみたいな
「あの一言でしたけども淀川先生がなんとおっしゃるかなと思って読んでみたらあのメーンウエストを姉御ね恐いね。(笑)を
≪同じねあなたがなさるでしょう今度
「もちろん胸やなんかすごいですからすごいメーキャップの特殊メークの方がエガワさんという方が全部やってくださるんですけどもでもそれだけじゃないのでこれだけ名前が残っているというのは。
≪だから私ねすごくってメーンウエストというとパッと思い出す姿がありますよ。
「体だけがいいんじゃなくて顔もそんなにきれいではなかったんですってね。
≪ちょっと怖いというかきつい顔をしていて。
「だけどあのねぇ性を開放して押し入れに入っていった性というものをみんなの前に出して恥ずかしいものじゃないんですといったすごい先駆者でもあるんですけども。黒人とかゲイの人たちとか言われるちょっと女装する人とかを全然差別することをしないで一緒の映画に出たり一緒の舞台に出たりしてとてもみんなそういう人たちがいまでもファンみたい。まあましてや黒人差別をしないなんてね。
≪日本ではねぇメーンウエストというと良家の子女は見てはいけないみたいなねうちの母なんか隠れてみたの。
「そうなのねそういう人だったんですけどもそういう人今度やるんですけども。そういうことはともかくとしていつも芝居を見に来ていただいて本当にうれしいと思っているんですけどもちょっとコマーシャルをはさみましていかに舞台で802お題の方がですねすーっと靴ですからね。ぞうりとか足袋じゃないんだから靴でハイヒールというかそういうのでいらっしゃってイブニングを着ていらしてきれいなVTRがあるのでちょっとご覧いただきたいと思いますちょっとコマーシャルです
≪
黒柳「イブニングなんてものはきなれてらっしゃるということが第一
石井≪いや私ね目をマンションて興味あるんですよ。私が歌を歌うとき自分の歌を歌にあった格好したいというので自分で一生懸命本なんかを見てそういう形を探してでそれを作ってもらってっていうふうにずっとしてきたからあのドレスを着るということを楽しみ。
「でそのヒラヒラヒラヒラしたものお召しになってのってすーっと出てらっしゃるときがそういうところがお客様もいいなとお思いになることだと思います。つい先ごろパリ祭をなさったんですね。ですから80歳におなりなんですかねぇ本当にそうとは思えませんが。NHKホールですがちょっとご覧いただきます本当にお綺麗なんです。~VTR~随分背が高く見えるので何センチぐらいおありなんですか
≪一応165センチと言われていたんだけども今はもう少し少なくなっているかも
「当時としては随分大きい人ですよね。
≪そうですよだから私あの電車の中に乗っていてパッと立ち上がるでかいとか男の人たちに言われて嫌な気がした。
「じゃ当時としては大女だわね。
≪だからねぇ小さい人がうらやましいといつも思っていた。
「でもまぁイブニングをお召しになるときなんかは。でも声をすごく大事にしていらっしゃってもあれですってねコンサートの前の日にはあ風邪をひいた人がそばにいたら
≪私はねハンドバッグの中にいろんなものを持っていますからすぐ紙のマスクを持っているからセキした人がいたら自分がマスクをしちゃう。
「劇場なんかでゴホンゴホンなんかしている人なんかがいたらすぐに出しちゃうんですってマスクを
≪マスクをしたりある時には帰ってしまう
「帰ってしまうあまりひどいと
≪うつりたくない。だから冷やすといけないからあののどに巻く物とかはショールとかレッグウォーマーとか
「ハンドバッグに入っているの
≪ホカロンとか。そういうものがみんな入っているの(笑)
「新幹線にお乗りになったときも冷房が効いていたりするとすぐにおはきになるんですって
≪はきます。それにねぇ今年の夏に風邪をひきましたけども年をとると長いんですよ。
「風の治るのが
≪なおりが。よくわかっているから私は自分をあまり年寄りとは思っていなかったんだけども。こんなに長いこと風邪をひいていていてって気をつけなくてはいけないなと今はうんと気を付けなくてはいけないことがあるのね。昔と同じだとつい思いたい去年できたんだからできるわってにあるときやってたんだから何をとかでつい疲れてしまう。
「じゃあも恐いのは風とか転ぶこととか
≪も転ばないようにといっても転んじゃうもの。まあわりと気をつけて歩いています(笑)
「なるほどででもそれだけ運動していらっしゃるとやはり水泳もしていらっしゃるんで水の中のウオーキングとかもしていらっしゃるんで
≪つかるような感じで
「でもそれだけしないと。まあ私たちもそうだと思うんですけどもどうしてもよたよたとしちゃうんですよね。
≪やはりで足がどんな方でも見ていると年をとってくると足腰が弱るというけれどもあのまず足に、いろんなところにきますよ目だとか耳とかいろんなところに来るけどもをを目立ってくるのはやはり足腰がしっかりしているということだから出来るだけ歩いたりとかを運動したり体操したりとか、歌を歌うためにやっています。
「なるほどでなんせご自分でおっしゃってるんだからいいんですけども80歳でいらっしゃいますから。そう思うと今の80の人は若いんだなと本当に思いますね。
≪そうですか。
「テレビをご覧になっている方もずいぶん安心なさると思います。
≪最近このごろ励ましおばさんとか言われて励まされますとかばっかり言われてね(笑)ちょっとどうかと思っていますけども
「でもやっぱりスタイルそのものもそうなんですけどもやっぱりその気持ちとかでおしゃべりなることとかでしゃべる強さとかそういう
≪私はねぇ80になったからってちょっとい直ったような気持ちがあるからもう何でも自分が思うことは言わしていただきますという気持ちを持っているので若い人なんかでもちょっと勘違いしている人がいるとあなたそれはいけませんなんていちいち言わずもがななことも言うんですよ。ですからそういう意味では自分がこれはちょっといけないなと思う人には融資それから自分自身もでそれを言えるだけのちゃんとした頭とか体を持っていたいと思っています。
「本当にで学ぶことが多いと思います。ちょっとコマーシャルです
≪
黒柳「パリにいらっしゃった時にいろんな有名な方と写真を写していらっしゃるんですけどもいいなと思うのがサルトルとボーヴォワルトと一緒に写ってらっしゃる写真があるでしょあれはお知り合いだったですか
石井≪あのねあの写真はねぇ日本で私サルトル氏とボーヴォワルトさんも日本でお会いしたんですよ。来日されたときにアサブキトミコという私の親戚のものとご案内してついて歩いていたんだけどもあのついて歩いているから自分は料理できないので自分の家でご飯を食べてもらいときに私に料理をしといてって私が案内してから連れていくからってあんたは料理番をして待っていていって。彼女の家に行って料理をしてそれでそのときに一緒にご飯を食べたときにボーヴォワルトさん
「サルトルさんかわいそうに
≪半分消えちゃったけども
「でもそれにしても
≪その隣が私の義理の兄のアサブキサンキチといってやっぱりフランス文学をやっていたからそういう関係で紹介してもらってボーヴォワルトさんてすごくお酒が強いの。ウイスキーなんかをパート飲んでね形もくずれずにねぇをしっかりと飲んじゃうの。私ねぇジャコメッティというねえ彫刻家とボーヴォワルトさんと友達だったしとても仲もよかったんだけどちょうどその時になくなったものだからボーヴォワルトさんと半分泣きながら飲んだの。
「ジャコメティのためにとか言ってね。あらそうすてきな方だったんですか。サルトルさんとボーヴォワルトさんはああいうときに話なんかをしているの
≪そうねえとてもなんていうのいい感じのカップルっていうんでしょうか。
「そうでしょうね私たちもそういう関係で知っているということがアレですけども。そうですか。いろんな方とお知り合いの方がたくさんいらっしゃるんですけども。でもこの石井好子の好子という名前なんですけどもこのお名前についてはずいぶんおかしいお話しがあって
≪そうですね私父がね禅をやっていましてね天竜寺の・・・名僧だった方と親しかったんですよ。で私の名前をそのセキセイセツ先生に頼んだのね。でその先生からお前は好子という名前に名付けられたんだよと先生の書いたものだよと持たしてきたから長い巻き物なんかにねすごい字で書いたものでこれははがきなんですよ。私ねぇ1銭5厘の切手で好子になりましたって言っているんですけども
「・・・ずいぶんいいお名前だということがあるんですけども。あれでしょう召集令状もこれできたから1銭5厘で。
≪そうですねハナモリ先生のご本もありますけども
「そうですよね。でもこれ1銭5厘で巻紙みたいなものだったらまだいいんだけども
≪いんだけどもはがきなんですよ
「よくとっておきになりましたね。大事なものだから
≪取っておきました。
「本当にきれいなものでご本名ということですよね。お父様は石井ミツジロウさんとおっしゃる元衆議院議長
≪はい
「運輸大臣もなさった。いろんなこともなさったんですけども。まあ大臣の娘が何でフランスに行って裸になってショーに出るかということで
≪裸になんて言わないでね裸踊りの中で歌っていたということで
「裸踊りの中で歌っていた(笑)
≪私なりませんから。
「石井さんが裸になったのではないですね。でもすごいわね裸踊りの中で歌っていた。
≪そこは間違ってほしくない(笑)
「でも365日出演の契約で出ていらっしゃったんですね。
≪365日歌ったからあの時のことを思えばねぇ今頃忙しいとか辛いとかなんとかいえた義理じゃないと思っていたんだけどもやっぱりあのころは若かったからこのごろは疲れますね。
黒柳「ここに来てますますお元気な石井好子さんは80歳で80人のオーケストラと歌うというすごいコンサートをなさるんですね
石井≪そうですねあの思いがけなくね80人のオーケストラと歌わせていただくことになって11月の4日にあの歌うことができてシャンソンを10曲を歌わせていただけるので今からとても緊張して勉強しています。
「なるほどシンフォニーの都響。演奏もあるし石井さんの歌もあるし愛の讃歌とかか枯れ葉とかいろいろお歌いにになるんですけども。11月4日この日は月曜日なんですけども休日なんですね。昭和女子大の人見記念講堂で午後2時から三軒茶屋にあるんですけども木原みち子さんが司会をなさるとかまあいろいろ趣向があってとにかく80歳で80人のオーケストラと歌うということですからあちらからのお話しだったので
≪はい
「それはなによりです
≪とても楽しみにしています。
「今からじゃアレでしょう衣装とかもお考えになって
≪衣装を考えたりやっぱりなんといっても体調を整えて
「でももうちょっとですよね
≪はい
「じゃご成功を祈っていますね。
≪ありがとうございます
「本当にいつも元気で私もそのように石井好子さんでした