本日の徹子の部屋ゲストは左時枝さん

2002年11月7日

黒柳「左時枝さん今日のお客様です。よくいらしてくださいました

左時枝≪こんにちは

「(ネックレスを指して)すごいきれいだなと思ったらお姉様の形見なんですって

≪そうなんです。今日は姉の命日にあたります。

「そうですってね

≪あの一緒に来てという感じで。身につけてきました

「これは中国のものですかね?

≪これはヒスイですね。姉は身体にとても気をつけていたんですよ。健康で健康でヒスイを身につけているといいということでつけていたみたいです。

「そんなにたくさんあるんだけどもよくお似合いです

≪こんなにたくさんあると変だなと思って1つずつをはずしてみるとなんかないと寂しいんです。つけると姉ぽいという感じがして(笑)

「すごくすてきだと思います。それにしても左時枝さんですけども皆さん28のお嬢さんのお母さんに見えますか、この方自身が28といってもそうかなと思う感じで

≪また(笑)

「この前あなたはお嬢様のお話しをしてくださって本当に私忘れられないですけども暗やみで何とお嬢さんが男の人と話をしているのあなた見ちゃった。

≪あのちょうど高校3年生のときですね夜な夜な遊び歩いているように思いましてそれで公園で見つけたんですよ。結構2メートル位の高いところに男の子と女の子が足をブランブランさせながら座ってしゃべっているんですよ。私必死になって娘の名前がマユというんです。「マユ何してるの!」って叫んで娘がその台の上に仁王立ちに立って人生を語って何が悪いって(笑)っていうんですよ。人生語れるんだって、そういう時だからこそ語りたかったんでしょう。

「大人はも暗やみで男の子と女の子がなんかやっているとすぐ妄想でそう思っちゃう

≪悪いことお考えちゃうんですけどもね子供にしてみれば本当にこれからどうやって生きていこうと語りあってたのかもしれない(笑い)

「そうねえかわいいと思うのよ。人生かたって何が悪いって言われてそうだって。それ以来あまりおっしゃらなくなったんですって。

≪そうですねそれ以来この子はこの子の人生だと、私の手の内に入っているものではないんだと。やっと思いましたね。

「そのお嬢様もそのお話しでびっくりして人生かたって何が悪いと思っていたんですけども、もう28歳

≪そうですねぇもうレコード会社のフォーライフというレコード会社のプロモーターをやっていまして、それであのやっと仕事という仕事に入ったらも今では1番自分が仕事をしている忙しくて忙しくてっていっていますよ(笑)

「そうですかそこで語った人生がよかったんじゃないんですか(笑)きっとね。でも本当にそういうことであの1人暮らしかなと思ったらそうではなくてあなたは

≪はい、ちょうど前に私が出演したときに再婚をしましたと話をしたので何か新聞にまででちゃって恥ずかしい。

「でもいいじゃありませんか

≪かれこれ6年、7年それくらいなっちゃいまして

「人生を語る相手がおできになって

≪(笑)

「このご主人がねぇとってもね美術デザイナーというお仕事をしてらっしゃる方なんですけども。舞台とか映画とかコマーシャルなどの美術を手がけていらっしゃる方。今そこに出てかしまいますけども市田喜一さんとおっしゃる方でとてもこの方は、これは絵はあなたの絵なんですけども

≪そうですね

「この絵をかくことも彼が

≪この写真は2年前の2000年にあの私の故郷の富山県の旭町というところでふるさと美術館という美術館があるんです。そこで展覧会をやってみないといわれてそれで町長さんから言われまして私の絵と主人の彫刻と一緒に2人であのすごくいい美術館だったもので温かい雰囲気の中で2カ月もやったんですよ。

「そんなに長く。またご主人の作品というものがまあ私びっくりした、昔は東宝撮影所で映画のバックデザインとかそれから舞台用の彫刻などをなさった方とうかがっていますけどもこの鳥(写真)皆さん見ていただけます。それであのすごいのは材料なんですけども

≪そうなんです全部バイクのマフラーですね。昔マフラーとして使われていたものが

「言ってみれば廃品

≪廃品ですね。

「これはもとはバイクかもとかというんですって

≪それもありますね。これはドジョウを加えていますけども鉄屑ですね。それから目はナット

「ボルトとか。とてもかわいいので形態がねぇ

≪ほとんど手を加えないでそのカラスだとか鳥だとか

「この足なんかすごくかわいいのね

≪今にもガタガタ動き出しそうな感じが

「こんなものが廃品でできるなんて。廃品で作っている方も多いんですけどこんなかわいい形のものって。そのご主人がですねまあご主人は元々作品をお作りになったりする芸術家でいらっしゃるんですけどもあなたが何かをするに当たっても平凡なものお作りになると怒りになるんですって

≪いやあの怒ったりはしないんですけども。なんか花の絵を描くということになると小さなじゃなくてまず描き始めるのに20号ぐらいのを持ってきて、このキャンパスに書いたらとか。それからちょっと書くともっと大きく書けば、もっと大きく書けばとか

「これなんか随分大きいですものね。

≪これはバラで20号ですね。いやもっと大きくて50号

「随分大きいですよね。

≪バラは年中はあるんで1番書きやすいんです。

「前あなた絵を描いてらしたの?

≪あまり書いてないです(笑)

「とてもお上手な私これで好きなんですけどもひまわりを後ろ側からお書きになったんですね。これとってもね

≪ゴッホのひまわりみたいに書きたいと思ってひまわりを手にしたんですね。正面から書くとつまらないんですねひまわり自身が。それでくるくると回していたら後ろが面白くていろんな小さなヒマワリもあれば大きいひまわりもある。大きいひまわりはもの凄いですね形が。痛くて。

「そうそうトゲトゲしているんですけどもね。ゴツゴツしている感じでその感じがとってもよく出ているんですけども、ですからそういうふうに叱咤激励してくださる方がそばにいらっしゃるので。そういうふうにしてあなたが熱心にやってらっしゃるときにご飯はどうなったとか何もおっしゃらないですって。

≪言わないですね(笑)

「いいわねえ

≪本当に珍しい人で。何かやっとちょっと3日間か4日間立つとなにか他にないかなぐらいにしか言わない(笑)。

「あらそういう感じなのおこるなんてことはなくてあなたがあの食べるものが遅くなると

≪私もちょっと口答えなんかをしてけんかをしたようなつもりになったことがあるんですね。でもほとんどけんかをしたということがわからないという人なんです。1度もけんかをしたことがないと言ったりして(笑)

「いいと思います無口でシャイでいらっしゃるんですけども、それでよくこの方のことを理解していらして、でもなるべく個性的なものがいいと。それであなたがこのところバックを作るの。すごい数なんですよ。みなさんこれバックねあんまりたくさん作っていらっしゃるのでもう商売にしたらという方もいらっしゃるんですけども。ちょっと商売するにしては手がかかりすぎているんですって

≪いや商売というのはよくわからないんですけどもただそれぞれが1つひとつの面白い思い出のある生地だったりとか、

「ちょっとこれいいですか

≪これですか

「お手元のやつを移していただいていいですか

≪これは母の夏の帯だったんですね。それであの1杯ツバメが飛んでいる帯だったんですね。で母が亡くなったときにそのツバメを1羽だったり2羽だったりしたんでそれをみんな兄弟に袋にして作って送ってあげたんですよ。何も言ってこないからあれどうだったって言ったら”うんよかった”って軽くいわれたんであれ私が作ったんだけどもウソって言われて。私が作るとは思わなかったみたい。

「そうかそうかあそこにもたくさん持ってきてくださった所の1番上にあります。こんなふうに2羽が入っているのもあるんですね。それで兄弟8人?

≪8人です。

「8人がお母様の帯を共有できる。これをキレだけもらってもいいですけどもやっぱりこういう形になってみればで何かに使えるということで。そしてこの方は時枝さんはいろんなことお考えになってお姉様の南米からの記念のお土産。

≪あのねぇ南米のちょうどアンデスの花嫁の撮影に行って子供のためのミヨちゃんのための洋服が何枚かあったんです。そして何故か私のところにその洋服ががあっさりこうビニール袋にあって何十年も引っ越しのたびにそれを持ち歩いていたんですよ。こんなの持っていたってしょうがないなと思ってそしてバーと袋にしちゃったんです

「あなた手際がいいわね。

≪手際は考えるんです。

「あらやっぱりでも上手

≪ほとんどポケットがあってで必ずここに名前を入れるネーミングを

「これは?

≪tokie hidari。

「ちゃんと入れてあるので。これも可愛いんですけどもこれは

≪これはですね主人があちこち海外に行ってあの海空をいつもおみやげに持って帰ってくるんです

「あらやさしいわね。

≪それで瓶詰というかビンに入っていてこれ何かにならないかなと思ってこう作り方がまず3枚のものに入っているんですけども1番上の薄いネットみたいなところにまずこう1つずつ

「これでネットについているの。

≪このネットにまず1校ずつ入れてをここの段を閉じるんです。そしてまた入れて。

「だから中で動くんだ

≪動くんです。だからちょっと落ちてきちゃって

「私ねぇこういうものはどうしてくっつけたのかなと思ったらくっつけたんじゃないのね。そしてこの手なんですけどもまたすてきなことでご主人が

≪これはですね貝殻なんでやっぱりとってがこういうふうな作りものじゃなくて流木がいいだろうということになったんですね。で流木をとうまくこういう形のものがないんでこの四角い木の中から流木の形になるようなものを作って色をつけて流木というものを持って帰ってきてくれて

「やさしいご主人。そういうふうな芸術家の方が近くにいらっしゃっていいですよね。でせっかく貝殻。しかもご主人のお土産の貝殻をこんなふうにバックにすることができる。それからそこの日本の生地をたくさん使ったものがあるんですけども

≪そうですねこれはですねあのちょうど大阪にロケの撮影に行っていて長い2カ月、3カ月いっていたんですよ。でわかると思うんですけどもこの面がひとつなんです、でこの面がひとつで4つになっているんです。裏は裏で別なんです

「これは小さなキレを手縫いでつけてらっしゃるの

≪手縫いで、パッチワークとはまた違うんです。

「上から縫いかされた

≪でここにうさぎさんがいたりして。

「かわいいわね

≪これは昔の羽の羽織に使っていたなとか、これは友達の着物の1部だとか。洋物が入っていたりとか和物が入っていたりとか。

「このひものつくり方なんかは考えるんですって。それにしてもあなたお上手だと思うあなた向いているのよ。

≪やっぱりねぇ舞台や映画をやっていてたくさんの共同の中に入るとたった1人でなんかをやりたいというふうに思いません?

「私も思ってあの本番前にこういうのをやっていて沢村貞子さんにすごいしかられたの私たち。

≪(笑)

「そんなショボショボした目になってね画面に出てどうするって言われて。ひところ私たちは刺しゅうがはやっちゃってこういうふうになっているものにひっかけていくっ毛糸のやつを下に絵を描いて。あるでしょうあるでしょう。あれなんですけどもみんなはやちゃって若い季節の時に女の子はみんなやっていたの。そしたら沢村貞子さんにセリフも覚えた人だったらね目がショボショボしているのに女優がそんなことやってどうするとか言われて。家にかえってやりなさい家にかえってやりなさいと言われて。でもこういう趣味ねあんなにたくさんねずいぶんたくさんですものね。

≪はい。

「楽しいでしょうね

≪まだ家にも山のようにあるんです。

「これはそれぞれが旦那様がいいねとおっしゃってくださった。

≪そうですねちょっと普通のよく売っているような形のものを作って私は得意になってそれでつまらないと。きれいに出来上がったものはつまらない。

「まあそういうこともやってらっしゃるんですけどもちょっとお姉様のこともちょっとうかがいしたいと思いますちょっとコマーシャル

≪はい

黒柳「きょうはたまたま左幸子さんの命日。1年目そういうことでもあってそのお話しなんですけども私知らなかったんですけども胃がんの手術をなさってもすごい元気になったのっておっしゃってこちらにも出てくださったんですけどもその後何事もなく

左時枝≪そうですね。姉はとても体に気をつける人だったんですね。何かいい薬があるだとか食べ物があるというとあちこちから取り寄せてというぐらい身体に気をつけて。

「ですからおととし胃がんとは関係ないだろうと

≪突発的に出てきたのががんだったんですね。

「おととしに肺がんの手術をなさったんですけども、でもその後もテレビに出てらっしゃいましたね

≪出ていました。もう私は絶対になくなってしまうなんてことは考えていなかったぐらい元気でした。

「たくさん女の人が出てきてみんなでもってバンバン言い合うような番組、ああいうのも肺ガンの後も出ていらした

≪それでただやっぱりどんな仕事であろうと私はちゃんとした仕事をしているんだという気持ちをしていましたから、いろんな方の相談ごとでも本当に親身になってあの中にいてても親身になって話をして、そんなにならなくてもいいじゃないというぐらいでもそして自分が女優であるということどういうふうに映っているということもすごく気にしていました。

「まぁ17歳あなたよりも年上でいらっしゃるんですけどもずいぶん兄弟としては17歳というと離れている兄弟ではありますね。

≪その間に6人いるわけですから。あの確かに

「1番上と1番下だった。でも本当に同じ道をあなたもお歩きになっていらっしゃるし映画全盛の時の女優さんなんで左祥子さんは。何か映画全盛の時の女優さんという感じが。あなた最初はアレだったのねお姉様の幸子さんの小さいときの役を

≪少女時代をやるためにこの荷車の歌というので富山県から呼び出されたんです突然。

「そうですってね。その役でお出になった。17というとちょうど年もよくてね。で(写真)真ん中が幸子さんで右側が

≪3番目の姉セイコ

「あの羽仁さんと結婚なさった方とは違うかたで

≪違います。私もすぐ間違われるんです。

「この方は違うんですって申し上げた

≪私のすぐ上の姉が結婚したんです。

「そうなんですねですからきょうのお客様は羽仁進さんの奥さんではないしいまの写真の方もそうではないんですけどもとにかくそういうふうだったんだけどもお姉様は絶対自分でも元気でいくとおっしゃってらしたんですけども去年の8月に入院なさってその時あなたがお見舞いにいらっしゃってこれからロケ行くって言ったら

≪そうなんです。あの姉が私が仕事をバンバンするといったら姉は喜んでもいるんですけどもなぜか後例えば私が姉がバンバン仕事をしている時ってあの同じ女優ってうらやましいじゃないですか。でもしかしたらあでも私のことをうらやましかったりするんじゃないかという気持ちもあって、ちょっと心を抑えたりなんかして。でも2カ月の間というのはかなり微妙な時期だったのであのお姉さん私2カ月仕事にいかなくちゃいけないから

「ロケで2カ月も!

≪はい。2カ月といったときに姉はこれはいい仕事大きな仕事ねってピンときたんですよね。で誰監督は?っていうから黒石さんよって言ったらそれは素晴らしいじゃないあなた頑張ってきなさいよ。その時にひとこと言ったのがあなたね命がけでやっていきなさいよってこういったんですよ

「左さんらしいわねすごく(涙)。

≪命がけでやると言ったって何をこの人いうんだろうオーバーな人だなって。ウンわかったわってさりげなくいったんですよね、それで途中また東京に帰ってきたもんですからまた病院に行きましたらでお姉さんちょうど帰ってきたはよって言ったらあなた命がけでやってきた?というから”うんなんとかねって”ごまかしたんですよね。そしてちょうど2カ月が終わって9月になってあのまた終わったはって言ったら、元気だったんでね。でそしたらその時にまたもう一押しあなた命がけでやってきた?っていうの。何でお姉さんそんなオーバーじゃないって言ったら。あなたにはわからないわねと言ったんです。え!何でこんなことを言うんだろう。でそれからあまりにそのことを考えないでいたんですけどもそれから間11月7日という日がやってきてなくなってしまってそれでしばらくしてあの言葉何で私にいったんだろう。もしかしたら人生ってお姉さんにとっては映画1本1本というのはあの人にとってすべて、人生だったんだって。2時間某その2カ月の間に1人の役者を演じるその中にすべての人生を埋め込む仕事を彼女はやっていたんだなって。それを大作、何本も何本も何本もその人生のすべて投げ出してそして終わるときに自分の人生が終わるときに自分の人生が71年間というのはこれがすべて。それをなんかなんていうのかな映画に出るということは彼女にとって人生なんだ。だから私にもひとつの作品をやるときに人生全て打ち込んでいいんだって思う気持ちでやりなさい。何かすごい財産をねって、ものすごく大きな財産をもらったような(涙)

黒柳「左幸子さんは映画全盛の時代と言いながらその中でも特に光り輝く素晴らしい足跡を残しになった方なんですけども。ちょっと幸子さんが最後に徹子の部屋に出演になったときのちょうど胃がんの手術から7年たってその間中本格的な仕事できなくてこれから本当に本格的な仕事に戻るのよっていう時の非常に前向きなとき出ていただいたそのVTRをちょっとご覧いただいてちょっとつらいかもしれないですけども

左時枝≪はい

「ちょっと見ていただいて左幸子さんです。

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黒柳

左幸子≪昔こういうセリフを言っているんですよ。仏壇に向かってねお父さんあなた死んでしまって安定したけどもほらまだこれから一生懸命がんばんないといけないから。というセリフがあったの突然思い出したのね。安定というセリフの中にあるその内容がその時はそれなりに理解したつもりなんですけども本当にわかっていなかったと思うのね。安定というのはそれは確かに安定ですよね。

「死んだ

≪ことでしょうか。もう無ですよね動かないことですよね。私はある意味では安定したい安定したいという気持ちがある幸せになりたいということでしょうが。その安定の意味がねぇ私とても思い出してで安定してはいけないやっぱり動いて何かをやらなくてはいけない。そういう仕事を自分で選んで今日まできた以上は私は俳優ですから俳優としての立場でで何かをやっていきたいなと思います。ただある年代になってからおばあちゃん役というようなおざなりな役ではなくって引きずってきた人間の魂というものをどこまでやれるかお互いにで責任があると思うのね。あんまりそういうのを要求しないといってふてくさったらこれは負けですよね何かの形ででやっていかないと。どんな小さな小さな小さな役でもそれが私が生きているのようと存在をねぇしっかりやれるには健康であることよねぇ(笑)

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「懐かしいでしょう。いつもあんなふうでしたよね。

≪姉はねぇとてもで厳しいんです。本当に厳しい。元気な時はねぇあまりにも厳しすぎてで近寄るのも嫌なぐらい(笑)厳しかった。でもねぇあんなにねぇ優しいね兄弟思いというのかね本当にそこまでしなくてもいいわよと思うぐらい兄弟のことをねぇ思ってくれる人でした。

「でもそうなるとあまり詳しくはうかがわないけどもご自分の妹さんとご主人であった羽仁進さんが結局結婚することになって離婚することになったじゃないあのときはつらかったでしょうねえきっと

≪そうですねもつらいといっても結局自分で決断せざるをえないというだからそのとき姉は若かったんだなっていう気がしますね。要するに相手の気持ちも分かる、分かってあげなかったらそういう立場をとらなかったんじゃないかなって

「うんまた話が違うんですけども去年はあなたお母様もおなくしになったの。

≪はい。1月に母が亡くなってそれで姉が一生懸命になってお葬式も一緒になって

「その時はとてもお元気で何か取り仕切ってやってらした

≪ええでも手術の後ですからねすごい痛いんですね。肺の手術のあとってだから

「手術してすぐですものね。

≪みんなを本当にこれからちゃんとやっていかなくちゃいけないのよって。うん

黒柳「何か変わったと思ったらあなた4キロやせになった。

左時枝≪そうなんです。実はワラビの子ってオンチさんの映画で20年間山の中に入っているという女をやっている。そのためにやせたのと今バファローの月という芝居をやっておりましてちょうど終わったところなんですけども。

「これから大阪でおやりになる。明日から。

≪大阪京都全国回ります。

「加藤健一さんとかご一緒になって

≪そのためにすごい汗。

「本当にこれで喜劇ですよね私ブロードウェーで見ましたけども

≪はい笑いぱなしですねお客様は。

「あらそうよかったわねそれは。いろんな所がセットがどんどん変わっていくようなであの。バファローの月という加藤健一さん。あの方も次々なさいますねいろいろと。でもお姉様はいつもあなたと一緒にいてくださると思えばいいんじゃない。後押ししていただいて。ありがとうございました

≪ありがとうございました

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