2002年11月18日
狩人:兄、加藤久仁彦。弟、加藤高道
黒柳「さて今年デビュー25周年ということでおめでとうございます。ご兄弟で本当にお美しいデュエットを聞かせて下さる狩人のお二人なんですが、いつもお兄さんと弟さんというのばっかりなのでお兄様だってお名前が終わりなんですからちゃんとご紹介しようと思います。お兄様でいらっしゃる加藤久仁彦。さん
久仁彦;はいよろしくお願いいたします。
「弟さんは加藤高道さんとおっしゃります。
高道@よろしくお願いいたします
「お名前はあるんですけども今までは狩人さんというふうに。それであれですよね弟さんの方は物まねなんかをしたりして面白いこと
@はいあの5年ぐらい前からソロでちょっと出させていただいて。
「そうなんですけどもお兄様は物まねなんかをしないでやっぱりちゃんとしたコンサートをやろうと
;どっちかというとそういうタイプですかね。
@もともと好きなんですけどねえ兄貴もね。
「おできになるの?
@もちろんできるんですけども
;こっちが器用なんですよ。そういった面ではねぇ
「性格が違うといえば違うんで弟さんは物まねなんかが好きでひとりで外で隠れてじゃないけども(笑)お一人でソロコンサートの時は物まねなんかをして。お兄様と一緒の時はダイエット
@わりとそうですねハーモニーを中心のきれいに聞かせる
「でもお兄さんもやってやれないことはないというものまねなんだそうですけども。でもなんといってもお2人がデビューなさったときは16歳と19歳。お兄様が19歳弟さんが16歳。3歳違い。大ヒットがデビュー曲で。これがすごいですよねデビュー曲が大ヒット。
;そうですね
「あずさ2号
;まだ10代でああいう大人の曲というかまあ今でいえばなかなかないという。
「あずさ2号
@はい
「あずさ2号というものが新宿から出る。中央線中央本線松本まで行く。
;はい
@当時はちゃんとそうだったんですね。朝8時に出ていたんですけども。発売当時はですね。
「今は?
;ダイヤ改正で変わっちゃったんです。
「今はスーパーあずさというのがあるんですよね。いずれにしてもこうを揺れてあんまりお弁当なんかも前は売りに来ないような。
@そうですねぇ。
「前はコーヒーも売りにこないような。私も乗ったときは何も食べないまま松本まで行った(笑)そのあずさ2号、あずさ2号の悪口を言っているわけじゃありませんがそれでで大ヒットでそれで次がコスモス街道。これもよかったんですよねぇ
;ぇあってそうですねとりあえずベスト10に入って
「それで3曲目の若き旅人。これもベストテンでお会いしたんですけども。
@そうですね。
「あずさ2号の時はまだベストテンがなかったんですね。
;そうですね
「1977年ですね全日本歌謡音楽祭というのがありましてその時に新人賞おとりになってテレビ朝日がその時は回り持ちだったんですね。あるときで。その時のお歌いになったVTRがあったんですよ。
;そうですか
~VTR~
「16と19であれだけうまいんですからハモって
;@いいえいいえ
「いやいやいやいや。あれですよね弟さんはメロディーの方を歌っていらっしゃったけどもお兄さんがちょっとハモっているところなんかがあったりしてね。何かは弟さんがお思いになるにはお兄さんは天性のハモることがお上手なんですって?
@そうですね当時はほとんど兄貴が全部ハモっていてもうデビューしできたきっかけもですね兄貴がパッとハモれてそのおかげでデビューできたんですけどもね。
「だけど16歳と19歳でまあこれで新人賞おとりになったんですけどもまあなんとあれからずっと2人で歌がうまい2人ということになったんですね。そして見たところも清く正しくまじめそうとでいう感じおありになってたんですけども。それでちょっと突然なんですけども(笑)弟さんは北島三郎さん、チャゲ&ASKA、細川たかしさん野口五郎さんもんたよしのりさん菅原陽一さん河村隆一さんとそういう方々の物まねができるそうなんですけども。
@ええ
「ちょっと今北島三郎さんやってくださいといきなりいってもいいですか?
@~物まね中。~
「鼻の穴が大きい感じがしますね。細川たかしさん
@~物まね中~
「菅原要一さんは
@~物まね中~こんな感じですかね。
「なるほど(笑)いいですか野口五郎さん。
@~物まね中~こんな感じですねぇ
「(笑)ずいぶん顔が菅原よういちさんから野口さんになるときすごかったですね。それじゃついでですからもんたよしのりさんも
@~物まね中~
「似てる似てる。じゃ河村隆一さん
@~物まね中~
「でもお上手ですよねぇ。いろんな声が出るのがやっぱりきれいな声もお出になるしああいうねえいろんな声も。
@僕も物まねはやっていてですね割とワンコーラス高いのから低いのまでいろいろありますんで全部似るというのはなかなか難しいと思います。だからこうちょこちょことやっていくのが1番楽しいかなというのが
「それで何曲も歌われると疲れるかも。でも間にお兄様が合いの手をお入れになるのがほとんど漫才形式に入るんですね。
;漫才形式(笑)そうですね気分のいいときは。気分によって
@(笑)
「気分なんですってね。
@先ほどVTRがありましたけどもあの時は相当気分が悪かったんですよ。
「あれは本当は振りがついていたんですって?
@僕がちょっとよく見ていると申し訳ないように振りがあるんですけども本当はこういう振りがあって(ほんとうは大きく手を振る振りがあるのだが小さくしか手を振っていない)。何か気分を害したことがあったんですよね
;そうか人間味があるな兄貴は。
「でも本当はあの時振りがあったんだけども弟さんはお兄様を見ていてお兄様がしなければ俺もしないという感じでお兄様がなさらなかったのであの時は振りをしなかった
@そうですね
;ごめんな。
「ほとんど2人とも直立不動でしたものね。でも本当のことを言うとこちらの久仁彦さんですね。お兄様久仁彦さんのおやりになるとおりになんだって高道さんはやっていらっしゃった。
@そうです
「ご兄弟がお兄様いてお姉様がいてお兄様いて久仁彦さんがいて高道さんがいる。5人兄弟。わりと珍しいでしょうね。あの男が4人もいる女の子1人で5人兄弟。で1番上のお兄様がすごく年が大きかったんですって
@僕と20離れていましたね。
;15年生まれですから。昭和15年生まれ。
「そうですか。それで時々来てお小遣いをくださると
@正月にですねこれ本当の話なんですけども正月に初めて会ったですね。兄貴と。20も違うのでぼくらは愛知県にいたんですけども兄貴は東京に行ってたんです。
「お姉様たちも全部独立して
@そうです。で帰ってきたときにお年玉をくれたんですね。いいおじさんだなと思ったら兄貴だったんです。
「(笑)そうなんですってね。何て親切なおじさんだと。
@そしたら1番上の兄貴だということを聞きましてですね。まだ兄弟がいたということで。
「まあ仲のいいご兄弟何ですか。でも何しろお父様の体が弱かったのかしらね。
@そうですね。
「それでお母様がとにかく子供全部を育てるので大変だったそうですけども岡崎、愛知県の岡崎ですか。2人は小学生の時から新聞配達。お兄さんが新聞配達をすれば弟さんもする。で家計を助ける。ただあれですよねあなた方お坊ちゃんというイメージがあってそういうふうな小さいときから新聞配達をして家計を助けている感じはみんな持ってなかった。【写真】あらお可愛らしいですね。3つというとこんなにも離れて見えますね。
@あれ小さいのが僕ですね。
;普通わかる
「でもお兄さんがちょっと笑っている
;笑っていますけども口は開いていない。
「歯は見せないぞという。で本当にいいなと思うのはお二人の写真がとってもあるのね。どういうわけだか。お兄様たちは離れてらっしゃいましたからね。一緒に写す機会は少なかったのかもしれないですけども他にもあってね。見てこれかわいい~。お兄様は歯を見せていますね。
;でも前歯がない。
@ないじゃない(笑い)
「これかわいいね。何か2人で面白い顔をしたんだわね。でお二人はそれぞれ家庭を持ってらっしゃるから離れているのに人は今でも一緒に住んでいると思っている人がいるんだって?
@そうなんですね一緒にないと心配するんですね皆さん。あれ今日はお兄さん一緒じゃないの?とか。
「仲悪いのとか
@すぐに中悪いのって聞かれるんです
「けんかしたんですかって
@そうです
「ケンカもするときあるの?
;前はよくしましたよ。
@デビュー当時はしょっちゅう
「かなりした
;けっこうしましたね
@取っ組み合いを
「取っ組み合い。これから歌うのに取っ組み合いを(笑)
@他のタレントさんがいるときによくやってましたけどね。
「じゃあ仲が悪いってでちゃうわね。でもそれは音楽的なことが多かったんですか?けんかは
;いや、歌に関してはあ・うんの呼吸というか本当にもその前まではケンカしていてももステージはバッチリ。
@けんかした後の方がいいくらいですね。
;たまに振りおちしなかったりとかね。
「じゃあケンカしてることは全然違うことでけんかしているの?
@ええ
「それででちゃうと忘れちゃう。とにかく新聞配達はお兄ちゃんがやれば弟さんがやるということになったんですけどもその後お兄様が何かをすればすぐに弟さんがやると。生徒会長をお兄様がやれば学年は違うんだけども弟さんは
@僕が副会長です。
「(笑)副会長でちょっと下がるとこでね。2番目のお兄さんが歌が好きだったの?
;そうです。
「そんなことがあって影響があってお兄様の久仁彦さんがテレビ局のちびっ子をのど自慢に出て2等賞になった。そうすると弟さんはいつかおれも
@出てやろうと思って番組に出たんですけども僕も落ちましたねその時は。
「落ちたの。お兄さんは受かったのに。その時あなたは残念だった2位にもならなかった。そうですかそれは残念でしたね。そのときどんな気持ちしたのあなたは?
;悔しいですよ。すごい悔しいですよ。
「何で弟は。あらそうだったの。それでもう久仁彦さんが陸上をやれば弟さんは陸上。もうとにかく弟さんはお兄チャンがいいなと思ってずっと今日までやっていらしたそうですけども。取っ組み合いの大喧嘩をしたにしてもうたはバッチリというところがねすごいなと思うんですが。まだお話しが面白いですよこの2人はたっぷりありますちょっとコマーシャルです。
黒柳「まあそんなわけでお兄様が陸上をおやりになれば弟さんも陸上をやる。バンド作って文化祭でやればやる。とうとうお兄様がある日上京するぞ
高道@そうなんです。
「それは歌手になりたくて?
久仁彦;そうです。高校2年で中退して。中退といいますか僕に言わせると卒業ですか。卒業してとりあえず名古屋に行ってバンドボーイを半年やりましてで上京してバイトしながら歌の勉強をしていました
「でその時に10円玉を握り締めて公衆電話に行って
;そうですね。やっぱり母の声が聞きたくて切ない思いというか、帰りたい帰りたいということをいったんですけども頑張れと。言われてそうだったら何とか持ちこたえて。
「ええそうなんですってねお母様が1度で決めたことなんだからがんばんなさいとおっしゃって。全然帰ってこいとは言わなかったのででもあれがなければ今のあなたはないと(写真)お父様とお母様の写真ですね。きれいなお母様ですね。
@若いときですね。
「まあ下に子供が写ってるんですけどもその子供が小さいときですからね。そうなんでお母様が1度決めたら頑張りなさいとおっしゃったので帰らなかった。それがまあ今日あるんだろうと思うんですが、弟さんはそんなことはわかんないから
@そうですね。ただ兄貴が先に出て行ったんでこっちは心強いという感じで東京に出ていこうと。
「で歌手になろうと。
@でもその時に両親も一緒に出てきたんですよね。
「両親もちょっとでできて。じゃ随分よかった。ただこれがですねぇデュオといいますか、2人でハーモニーをきれいに歌ってらっしゃるんですけども2人で歌おうだなんて夢にも思わなかった
;最初はソロでお互いに。
「一人ひとり先生について習っていたんですけども一生懸命アルバイトをしてもレッスン料が1人20,000円。2人で40,000円。それでアパート代が20,000円。それでもう60,000円。どんなに働いてもお金が足りない。
;そうです
「そこでインスタントラーメンを食べるような生活だったんですけども先生にあなたが弟だけを教えてやってくださいとおっしゃったの
;そんなこといたっけ。
@いやいや聞きましたよ。僕はいいから弟だけをといった時にその先生がじゃあ君たち兄弟だから2人でレッスンをしたらレッスン料は半分にするから、40,000円を20,000円にすると。これはいい話だと思ってじゃ2人でやりますと。それで2人でやるようになったんですよ。
「2人で歌えば練習すれば半分にしてあげるからとレッスン料が。それで2人で。2人で歌うことになって考えてもみなかったけどもそれで声を出して一緒に歌うことになっちゃったんですか。
;ええ
@でも2人で練習はしてたんです。
「でもそこでオーディションなんかがあってお兄様がすごくハーモニーがうまいということがそこでわかったんですって
;レコード会社のオーディションを受けましてで当時の流行歌の7曲か6曲ぐらいのカラオケを出されてここで歌ってくれと。歌詞カードだけがあってそれでまぁ即興でとりあえずハモったんですね。
@今みたいにキーも変わらないですからそのタレントさんのキーですから女性は女性の歌で。
「そうか大変ですよね。カラオケってあれでしょう低くしたり高くできたりできますけどもその人が歌っている通りのカラオケで。
;でそれで即興でハモってそれがディレクターになんかいいなという感じで認められたというか。
「そのとき十倉秀一さんが
;あとでそのテープを偶然に何か聞いたらしくてそれで何かコレ面白いということで。
「あずさ2号が十倉さんの歌詞と作曲と両方で作ってくださった曲でデビュー。そして大ヒット。話が全然変わるんですけどもあのお兄様はすごく体を鍛えていらっしゃって何かあれなんですて筋肉がすごいとうかがっているんですけども
;いや大したことないです。レスラータイプとボクサータイプがあるんです。僕の場合はボクサータイプかなと
「私で今ねメーンウエストというハリウッドの女優さんをやっているんですけども。その女優さんはセクシーシンボルと言われた人なんですけどもあの筋肉がすごい人を見るとちょっと触らせていただいていいかしらといってすぐに触る人で、そのマチョな人がすごい好きだった。生涯好きだったんですけども。ちょっとどこかさわらしていただいていいかしら百
;いいですよ。たいしたことないんですけども。
「いやでも腕が。
;(胸の筋肉を動かす)
「すごい。胸がそういうふうに動かせるってすごいですよね。女の人がストリップやるときにブルブルてやるのとは全然違う。ちょっといいですかどこさわったら1番いい?おなかのところがすごいんですって。
;おなかも腹筋は1000回できますので。
「あら!すごいですね何かで。すごく堅いカチカチだもの。そうするとでメーンウエストは言うんですよこうやってさわってねあらこれ何でできてるのかしら?てもすごいですよね。ても全然お洋服を着てらっしゃると痩せぎすの方に見えますよね。
@そうなんですよさっきのデビュー当時を見ていただいたようにすごくやせていたんですよ。自分で悔しくてですねあの時48キロぐらいですから。
「だってちょっとごめんなさいしつこくて悪いんだけども筋肉が割れているといいますけども裸になると割れているでしょう。カチカチでですね。あなたはやってないの?
@僕も線がついてますシワですけども。
;うまいうまい(拍手)
「そうですか失礼いたしました。お兄様は体を鍛えていらっしゃるそうです。ずいぶんそれじゃジムへいってあれこれおやりになる
;最初はいっていたんですが自分で器具を買って
「そうですか自分でできるものですか。
;あとは空手の道場に行ってたまにやっています。
「それだけ筋肉を鍛えてあるとずいぶん歌うときもねこの腹筋のところですからね
;そうですねぇ腹筋は鍛えた方がいいみたいですけどもあまり上半身はダメみたいですね。あまり首を変に筋肉をつけると固くしちゃうとあまり声によくない
「首は硬くしないで腹筋はかたくするというのはなかなか難しいですよね。でもそういうので今のもすごいですよね。でも腕はすごいですけども腹筋に比べればね。だからうまくやってらっしゃるんだと思いますよね。
黒柳「狩人の2人はデビューして25周年だそうですけども。ずっとそうやって歌ってらしゃったんですけども8年くらい前にもうなくなっちゃった番組ですけども夜もヒッパレという番組であなた方が他の方の歌をお歌いになった。
久仁彦;はい
「それでもうすごいまた第二次狩人ブームができて若い女の人たち男の子もそうだけどもみんな若い人たちが特に応援してくれたんですって
高道@そうですねあのリアルタイムであずさ2号を知らない子たちから結構ファンレターをいただきましては嬉しかったですよねすごく
「他の人たちの曲を何でもお上手だから歌えると思うんですけど本当の歌手の歌を他の人が歌うという番組でしょうあれは
@そうです
「そうすると本当の歌手の人にだれに歌ってほしいですか?というと皆さんが狩人とおっしゃったんですってね。
@そういうのを聞きましてすごくうれしかったですよね。
「それは嬉しいですよね。狩人だったらきっとうまく歌ってくれるだろうってきっと本人たちは大事な曲を思いになるんですから。まだここで8年間ぐらいその爆発的な人気が出て今はライブとかそれを主に活動してらっしゃる
;そうですね。ソロでお互いに持ち味を出して。
「そういうのもいいだろうと。お兄様の方は今度初めてびっくりしたんですけどもオーディションというものを受けてご覧になったんですってね。
;そうなんです。ミュージカルってあんまり僕わからなくてまあ興味本位もあって後は自分を変えたいというような気持ちもあって劇団四季のマンマミーヤという新作のキャストのオーディションを自分で履歴書を書いて送ってそしたら何か最終審査まで行きまして
「別に狩人ということじゃなくて。本当に加藤久仁彦さんで
;そうですね。最終オーディションは本場のロンドンのスタッフが
「アバの名曲がたくさん出てくるものだそうです。
;ロンドンのスタッフが名前も経歴も全部伏せたままということで歌だけをとりあえず聞いてもらっていただいて、そしたら少しでも評価されたということで。
「でそれでまたその時にヒゲもちょうどはやしてらして、何かよくわからないんだけどもすごいかっこいいですよねハンサムですよね。今日ははやしていらっしゃらなくてもう剃っちゃたんですか?
;そうですね
「そうですねぇって軽くおっしゃりましたが、じゃあこの役をおやりになるときはまたはやす?
;いえ多分そっていると思います
「そうなんですか。
;これはたまたまこれしかなくて。
「でも生やす気は無いわけこういう風に?
;ちょっと日本人の女性からはちょっと不評というか
「そうなんですか。
;何か嫌いな人多いですよねヒゲって
「どうでしょうねやっぱり狩人のお二人はやっぱり
;そうなんですよイメージと先入観で
「清く正しく。ひげがあったら正しく、清くないというわけではないですけども、やっぱり昔の狩人でいてほしいというところがあるんですよね。でもよかったですねおめでとうございます、マンマミーヤだそうですけども
黒柳「でもお兄様がマンマミーヤに出てらっしゃる間弟さんは1人で物まねでも何でもできていいわねって言ったらば弟さんは今の話は初めてお聞きになったんですって?
高道@ああそうですね。でも嬉しいですよね。やっぱりいろんなことやってほしいですものね。
久仁彦;でもね弟が物まね番組に出たときも僕偶然ねテレビで「あれ!1人で出ている」。僕も偶然ですよそれぐらい面白いで自分で言うのもおかしいですけども
「そうですよね面白いですよね。じゃあたまには別々のソロ活動をしてそれで一緒の時にはハーモニーを聴かせて。まあハーモニーみんな好きですけどもゴスペラーズとかとってもハーモニーのもの皆さん今でなかなかできないから。
@そうですねぇ僕らデビューしてからハーモニーなんて全然世の中に浸透しなかった時代ですものね。
「そうですよね。デュークエイセスとかでああいう何人もの方のはありましたけども。2人でというのは考えてみれば2人の兄弟でデュオというのはないですよね日本で他には。ありましたっけ他には?
;ビリーバンバンさんとか
「ああそうか
;先輩がいらっしゃいますけども。
「でもハーモニーでしたっけ?
@はい。
「でもいずれにしてもこれからもその美しいハーモニーを聴かせていただきたいし、あのお2人は兄弟ですけどももう大人なんだから一緒に住んでいるわけじゃないんですから。
@そうなんですよそれだけ皆さん覚えておいて欲しいですね。
「それだけ覚えて、お兄様が加藤久仁彦さん弟さんが加藤高道さんということも覚えていただければということもおっしゃっていますけどもいずれにしてもまぁやっぱり狩人ということでヒゲを生やさないでというんですから。筋肉をますます鍛えて。本当にありがとうございました
;@ありがとうございました