本日の徹子の部屋ゲストは笑福亭小松さん

2002年11月21日

黒柳「関西の落語家でいらっしゃいます笑福亭小松さんまあよくいらしてくださいました。しかもお元気そうでピカピカお顔がしていらして

笑福亭≪ありがとうございます

「まぁ本当に私うれしいと思っております。お元気で。まあそれにしてもいきなりですけどもさっきも申し上げましたように39歳のときにがんの告知を受けてまあ40歳のときに手術なんですけども、普通だとこのごろがんもね随分皆さんねそれほどではなく手術して元気な方いらっしゃるんですが。あなたの場合はものすごいんですねなんだか

≪進行性のね末期に近い胃がんやったとかで。5年生存率が15%といわれましてね。どういう意味ですかといったらあなたの同じ病気の人で5年先生きられる人が15人、85人までが死ぬんですと言われた時のあのショックといったらなかったですね

「実際に手術をなさった後

≪した後ですね

「そうでしょうね、ご家族の方は手術のころなにかあと半年、余命半年。余命半年ですよ皆さん。ご家族はどんなにねえをつらい思いをなさったかって。今40?

≪45歳なりました

「ですから今おっしゃったように5年後生きている人は15%と言われたんですがそれから進行性で手術をしてみたらまあ随分たくさんおとりになったんですね。

≪胃と脾臓とすい臓の半分。それからリンパをきれいに掃除した体でつまりどうなってるんですかといったら食道と腸を直結しているらしいんですよ。

「じゃものをめし上がるときは少しずつしか召し上がれない?

≪はい、小鳥のように少しずつ。ひよこの気持ちがようわかります

「それで少し話がこれが大変なお話しでつまりこの方がそれ以後どうやって生きてらしたかということがとても重大なんですね。今お悩みの方も心配の方もたくさんいらっしゃるでしょう。ですがこの方のように15%の確率で5年後生きてないだろうと言われた方がこうやって元気なんでどんなことをなさったのかをこれから伺います。とにかく手術をなさいました、大変な手術ですよね。それはもう大変だと思いますが

≪9時間に及ぶ手術でしたからね

「そんなだったんですか。

≪私は知らなかったですけども。

「でお子さんがまだお小さいですよね?

≪はい当時子供が3年生と2年生でしたんで

「奥さんを大変だったと思います。でももともとはアレですよね笑福亭とおっしゃるんですから松鶴

≪松鶴

「師匠の

≪あの北向きの鬼瓦みたいな顔をした

「(笑)

≪恐い師匠でしたね。

「すてきな方でこちらにもおいでいただきました。”あああでちゃんでちゃんで”という方で。それで鶴瓶さんが兄弟子。

≪兄弟子2カ月早いんです。

「でご活躍はとても早かったんですがとにかくまあ飲む打つ買うと言ったらなんですが

≪もう放蕩三昧で明け暮れておりまして。

「女の方のアパートの鍵なんかジャラジャラいくつも。

≪7つぐらい持っていってどこ泊まろうかなと言って。そのとき私はねぇ芸人というあこがれ、初代桂春ダンジが酒を飲んで踊りくらわす。

「女房も泣かす~♪。という方ですよねえあの方ですよね。

≪そうです。あれが芸人やと思てね。それが芸人の美学やと心がけておりまして、もう女子、酒、ばくち

「競艇

≪競艇。やってやってやり尽くせと。そういう勢い、パワーをそっちに向けていたのが

「それがずいぶん長いんですよね。割とそれが10代からお仕事をはじめになりまして

≪そうです。15歳で弟子入りして初めてラジオに出たのが18歳、それからずっと行きかけたんですけどもね

「だから20年近くというものがこの若さで39までの間に20年ぐらい飲めや歌えの大騒ぎ。やってらしたんですけども(笑)まあ借金はあるは何はあるはってその最中のがん告知だった。もちろんお仕事はもちろんしてらしたんですけども。まあそうやってハルダンジのように

≪そうだけど私あのとき思いましたね告知された時、兄からね。お前はがんやといわれて。私本名は夏川鴈治郎というんですよ。

「そうなんですか

≪名は体を表すなと思いましたけどもね。

「でもお前はがんやと言われた時にそうだよ俺はがんだよ。俺は鴈治郎だ。

≪よう聞けとアホと。涙を目に食べながらお前は病気のがんやねん。嘘やろう!と言ったらばか野郎と冗談でこんなことが言えるか、実の弟に。末期に近いがんやねん。と言われた。

「そんなにはっきりおっしゃった?

≪はっきり言いました。兄はもっときついこといました。心配するなと私が泣いていましたらね、泣くなとお前の流す涙の30倍50倍の涙を流したうえで俺は告げておる。お前は子供に未練があるやろうけどもお前の子供は俺がちゃんと育ててやると。よしんば悪く転んであの世に行っても2年前に死んだ父親お父さんが待ってくれてはるし、お前の好きやったって松鶴師匠も待ってくれてはる。うまいこと転んだらこちらはに嫁も子供もおると。どっちに転んでもそう悪い話やない。往生せえとこう言われまして。

「あなたのお兄さんも落語家になったような方ですよね。

≪ほんまですねぇ。しかし往生せえといわれても死がもうそこまで来ているのかなと思ったらやっぱり涙が。

「そうですよね30代でいらっしゃるんですから。ちょっといくらなんでも

≪ちょっとつらいものがありました。

「ちょっとそれはつらいなと。

≪はい

「でもそれだけのさっきも伺ったような大変な手術をなされまして、それでまぁ一応退院なされましたときにいろいろお考えになったと

≪はい。あの好きな俳句が好きでしたので救われましたね俳句に。信州の小林一茶。やせガエル負けるないっさこれにあり。あの句には泣かされましたね。時代は違っても小林一茶が私にエールを送ってくれているような気持ちになってそれから種田山頭火、捨て切れない荷物の重さ前後ろ。私には自分の命よりも大切な宝、前後ろに重みがありますんでこいつらのためにいきたいなと思いましたね。天に祈りました。

「その時本当にやっぱり生きていることが必要だということを放蕩の時はお考えにもならなかったことでしょうね。

≪そうですね。胃なんか特にそうです。愚かなもんですねあるときにはある時のありがたみがわからなくて、なくしてしまったらウワー大切なもんやっただと思い知りました。

「でもさっきおっしゃったようにとにかく脾臓、胃をおとりになってすい臓も半分をおとりになったお体で。それでよし今度歩いてみようと。

≪そうなんです。よしどこまで力、気力で行けるものかと。山頭火が放浪したように私も何か日めくりのカレンダーではある今日やけどもこの時間を大切にしようと。生きている時間、そして列島の旅に出るんですね。鹿児島から北海道まで目指して歩くんですけどもやっぱり大事なものは旅日記でした。というのはお父ちゃんはがんにはなったけども最後ぐらいアッパレに死ぬぞという日記を克明に描いた。書いた旅日記それを子供に贈る旅日記と思いながら、また好きな俳句を読みながら。自作でこの道のどこまでいけるたびのガン。いろんな句を作りました

「その時なんかお金ももちろんたくさんそんなにあるわけでもないので。その前に蓄えがあるわけではないので、生活保護を受けるような。

≪そうです。生活保護を受けるあの時あの福祉の方がこられた時に生意気なこと言うてしまいまして。1回目はイヤ結構ですとお気持ちだけ拝受しますが私はまだまだお国の世話にはなりとうないからと1回にお断りしたんですが。兄がその所帯が曲がりそうな大事なお金で薬を買ってくれて運んできてくれる。その兄の気持ちがうれしくてよし潔く男らしくを国にお世話になろうと思ってでまあ2年近く生活保護を受けてその尊いお金でありましたけどもそのお金があったがゆえに気楽な列島の旅ができました。でも命をかけられたのもやっぱり家でその生活保護の尊いお金で生活してくれている。そんな思いで命をかけられましたね。

「そうですね。全工程3,000キロだったそうですけども。鹿児島から札幌までお歩きになって。そのとにかくお友達がカンパも集めて下さってお金を持ってたんだけども途中で取られたりなんかしてひどい目にあったりなんかして

≪ドライブインですってんてんになってしまいまして。

「そうしているときに岡山でなんとこれがやっぱり人生の本当に素晴らしい出会いだと思うんですけども。

≪本当にねぇこの扇子にも書いておりますが一期一会。私はうれしい人と出会いました。伊丹ジンロウ先生と申しまして生きがい療法というものを提唱されておりまして

「こちらにもいらして笑ってガンを直そうというそういう先生にお会いになった。先生本当にありがとうございましたその節は。NK細胞というナチュラルキラー細胞という人間が笑ったりなんかするとピュピュ頭のところなんかからねそういう細胞が出て免疫を高めるという

≪悪い細胞をみんなやっつけてくれるそうですね。

「末期のがんやなんかの方にはモンブランにお連れになって山に、それで登頂させたというとても面白い考えをお持ちの先生にお会いになった。

≪はい。

「これがやっぱりね。

≪だいたい普通のドクターは私が列島の旅に出ると行ったら自殺行為やと、やめなさいと。そんなことやったら確実にダンピング症候群が起きてきて

「ダンピング症候群とは?

≪低血糖になりまして気を失うようなことがあるんですね。手が小刻みに震えだしたり、甘いものを飲んだら治るんですけども1回旅の途中で鈴鹿で死にかけましたけども。あれ起こしてもらわなかったら死んでいたかも分かりませんね。

「とにかく甘いものやなんかをすぐに召し上がればいいですね。

≪そうですそうです。

「あのよく糖尿病の方で

≪もう逆ですね。でも

「でもその先生にお会いになったらその先生が落語をやってみないかと。

≪はい。そら先生無理ですと。笑いというのは皆さんの幸せの上に成り立つものですからと言いましたら先生がおっしゃるにはほど健康な人ががん患者にガンを笑いにしたら失礼かもしれないけども、がん患者からガン患者にメッセージとしてしゃべるんだからをそこに笑いが生じようがいいことですよと言われて。

「先生のところのがん患者に落語をやってほしいと。

≪はい。でその病院でやらしていただきましたらなんとまぁ皆さんが喜んでくれはりましてね。ドーという客席と私と一体となるあんな境地になったのは初めてでしたね。

「【写真】こんなふうにちゃんとしつらえてくださいましたね。伊丹先生が。

≪泣き笑いはほんまに近くにあるなと思いました。

「その時ずいぶん生きがいを感じになった

≪生きがいを感じましたで。なんか一体となるような言葉を発しましたがあの時は自分に言うて聞かせるつもりでした。生き方が死に方ですと。死んでいる場合やおまへんでと。でコトリと心臓が止まるまでは生きて生きていききりましょう。同病相励まし合って相暴れるものじゃなくて相励まし合って生きていきましょう。体は病になろうとも心に笑顔気持ちに健康がんで死ぬのはけったくそ悪い。天寿をまっとうしたと思って私にましょう。

「それは伊丹先生のお考えもそうですよね。どんな小さな目的でもどんなに自分が悪くなってもちょっとでもそうだ今日は看護婦さんを見て笑おうとかそういうような。それでもずいぶんナチュラルキラー細胞というのがそれが出て体をよくしていくんだとお考えをお持ちの先生なんですね。今まで高座は随分たくさんでてらっしゃるけどもそれほど熱心に言われたことはなかったんじゃないですかね。

≪なかったですね。

「皆さん笑ってくださって。

≪泣いて下さって笑ってくださって。その泣き笑いがねぇなんか後押ししてくださって長い長い列島の旅で寂しい道でした。

「でもそれでおしまいになったんじゃなくて伊丹先生は素晴らしい方でその後あなたはこれから落語をやりながらどんどん行ったらどうですかとおっしゃってくださって全部そういうふうに設定してくださったんですって?

≪セッティングしてくださいましてね、伊丹トウダイと呼んでおります。こっちこっち、難破船のような私をこっちこっちこちらへきなさいきなさいと導いてくださる。本当に慈愛に満ちた先生をであった。

「お若い先生ですけども伊丹仁朗先生とおっしゃる。この方が岡山でやった後京都名古屋東京高崎前橋福島仙台函館苫小牧旭川そして札幌と。全部そこでもってそういう方々に落語を聞かせるというものを設定してくださってですから歩いて行くのにも目的があるんですからただ歩くよりはずいぶんよかったかもしれませんね。

≪そして各地で出会うがん患者の皆様方の泣き笑いの顔がまた笑い声がね発電所で私はバッテリみたいのものでした。バッテリがもう切れかけてきたらも発電所によって充電していただいてそしてまた次の街へと行く。

「すばらしいです(拍手)。そしてとうとう完走なさいまして何日かかったんですか?

≪130日。

「3,000キロとおっしゃいましたね。

≪1日30キロ歩きました。

「すごいですねぇとにかく2月に出発なさいまして6月に札幌の

≪北海道庁

「の前で。その時出発するときは本当に小人数の方しか送って下されなかったのに、そこへ行ったときはとってもたくさんの方が

≪たくさんの方がですねぇ私は何か聞いたんです沿道でブワーゆうたはるから「きょう何かマラソンでもあるんですか?」言うたらあなたを待ってたんですよって言うからエー!!。それでゴールの前には伊丹先生が待ってくれてはりまして。

「待っていてくださったんですか

≪うれしくてうれしくてあの伊丹先生はね静岡で1回、金田一で遠い僻地まで点滴を持ってきてくださったですよ。あの薬の点滴の栄養分よりもあの先生の心が身にしみてずいぶん良薬となりました。私はもう伊丹スマイルは最高の薬やと思ってます

「はい、そこまで行っていらっしゃってでまだ手術が終わって全部まだ130日でございます。それからのこの方の生き方が、もちろん伊丹先生にお会いになったことがすごいんですがこれからがますますすごくなるのでちょっとコマーシャルです

黒柳「まあがん克服落語会として各地で落語会をおやりになりつつとうとう完走じゃない

笑福亭≪完歩

「完歩なさいました。目標は達成したんですがそこで孤独感に襲われたんだそうですね。

≪やっぱり祭りのあとの寂しさみたいなアレ!北海道北海道と思いながら歩いていたのにとうとうついてしもた。あれ私こんなどないしよう、これからどないして生きていこう。次の目標は何だろうさびしい気持ちになってましたんですよね。

「でその時になんとなく聞こえてくるのはあいつ有名なった。前から有名でいらっしゃるんですけども歩いて

≪なんかね知らないうちに旅が終わったら何かいろんなドキュメントの番組を作ってくださったりして放送されました。そしたら同業者がですねぇ楽屋スズメというんですがあいつは芸で売れよったんじゃないで。あいつは歩いてただ珍しいからただテレビに出ただけや。言われたんですね。

「がんになったからだとかね(笑)

≪あいつはがんでもうけよったとか。何かそんなこと言われたらチキショウと。よおし本芸で勝負しようと。落語、やっぱり本芸の落語それも最高峰の”ラクダ”といううちの師匠の松鶴の18番やった1番ロングの長い話。

「何10分でしたっけ?

≪正味70分です。90分やったんですけども枕が20分のネタが70分でしたから1時間半。

「1時間半!

≪はい。

「しかもゲストとか何もなくて独演会。お一人で

≪たったひとりで

「しかもラクダという落語をひとつ

≪1席だけ。私は大体ですねぇ提携が嫌いなんですよ。非提携が好きなんで前代未聞というのが好きなんですね。だから1席切り。1席やけどもその1席に命をかけますという”ラクダ”という落語をやりまして。

「ところが途中でさっきおっしゃったようにずっとやってらっしゃると血糖値が下がる。

≪そうなんです。途中で手が震えてセンスを落としてしまったり。

「でもその時ちょうど酔っぱらいの話をしていらっしゃって(笑)よかった

≪そうです。ちょうど幸いようているところやからセンスを落とそうが何をしようが所作にん

「でも自分でもすごく怖かったでしょう?これからやっぱりどうなるだって。

≪そうです。あと25分はあるけどもどうしようと思いながら。頭の中で半分不安な自分が

「そこのところにお茶の中に甘いものを入れておくとかいうわけにはいかなかったんですか?

≪いや入れておきました。入れておきましたので酒を飲む話ですのでたまにそれをぐっと口に含んではアドだましだましですね乗り切りました。

「まあそういうほとんど胃とかがいろんなものがない状態でですから力がはいるのも悪いかもしれませんがでも皆さん笑ってくださいました?

≪後になるほどだんだんだんだんと笑おてくれました。

「よかったですね。そこでそれが終わってとにかくそれを乗り越えたということででこれが2カ月後ですか文化庁の芸術祭の優秀賞受賞なさるといういいことがあって。

≪本当に渾身の力であの今までそんな努力したことなかったんです。初めて一生懸命練習したけいこした落語がラクダでした。

「でも病気にさえならなければもしかしたら今でも飲んだり騒いだりやってらしてね。鍵をジャラジャラ女の人のアパートにね7つも持ってね

≪やってるでしょうね。

「女房を泣かすってね。これだけじゃないんですよし!というのでですね。ちょっとコマーシャルいっていいですか。

≪はいどうぞ

「まだ続きがどんどんあるんですちょっとコマーシャルです

黒柳「では本職の芸で勝負してやるぞということでそしてそ公演”ラクダ”をおやりになってアンコールしてほしいという声もあり、さっきも申しましたようでい文化庁の芸術祭の優秀賞もおとりになってそこで今度前にうまくいかなかったというか英語の落語ニュージーランドで

笑福亭≪そうなんです。1回目ねニュージーランドで落語しましたときに同時通訳をやってくださるんですけども5分僕がしゃべってシーンとしている、5分通訳の人がしゃべたらドーと受ける。次が僕しゃべるシーン、通訳しゃべるドーとを受ける。ちょっと待ってえなぁこれ通訳が受けているんや。私が受けているのとは違うんやと。それやったら自分で英語でやりますわというてしまったのが地獄の始まりで

「とにかくこれを英語でニュージーランドで

≪今度は英語でやったわけです。

「丸暗記

≪丸暗記で呪文を覚えるようなものでねぇ。英語のスペルさえ私は書けない大文字小文字の区別がつかない私がスポーツ・オーディエンス・ゲット・リアリー・エキサイト。サッカーファンズ・オールオーバーザ・ワールド。ゲット・リアリー・エキサイテッド。相撲の話なんですけどもねジャパニーズ・トラディショナルスポーツ・スモウレスラー。前褌を取れというのがゲット・サイド・オブ・ザ・パンツ。

「おもしろかったでしょうね(笑)

≪何かね舌かみそうでしたけどね

「でもマネジャーの方が全部かなでもってこうやってかなをふってくださって笑いました向こうの人?

≪爆笑でした。

「(拍手)よかったですね。

≪日本でやるより受けましたね。

「今ちょっともうちょっとカメラをひいていただけます。この方の爆笑でしたという時足が上がるんですよ。ちょっとよろしいですか。もう1回やっていただいて

≪爆笑でした。

「足があがるのが面白いんですけども。もうとにかく爆笑でまたそこで1つこれ目標を突破したやんと。でも英語で全部をおやりになってそれだけねみんなが笑ってくれるってすごいですね。

≪うれしいですね。それでまたひとつ山を越えると次また寂しい気持ちになって

「これからがすごいですよ。そこで寂しい気持ちになったときによしというので高校生になろうと。高校は行っていらっしゃらなかったの?

≪いってなかったんです。中学を卒業してすぐに松鶴の方へ行ったので

「15じゃそうですよね。

≪だから31年目の受験ですね。奈良県にあります県立タカラ高校という

「それもですね5年後生きている確率が15%という話だったからやることも短いことしかできなかった心配だったしね。

≪半年後ぐらいのことしか目標をたてられなかったんです。でもこの春お陰様で5年生存率の15%を突破させていただきましたのでほんま森羅万象に感謝してよし今度はロングラン、ロングプランで息子が中学3年生ですんで今年私が定時制に入学して実際4年後には息子と一緒に大学受験ができるだと

「はあ!そういうことですよね

≪始めてのロングプランで4年の計画を立てまして。

「その定時制高校にお入りになった?

≪はい。

「じゃ今は高校生

≪今は高校1年生です。

「ところがこれだけじゃないんです。今大学の先生もしてらっしゃるんですよ。高校生でありながら大学の先生をしているって訳わかんないんですけどもちょっとコマーシャルです

黒柳「まあとにかく息子さんと大学受験を一緒にして、じゃあ大学にも行ってご覧になるおつもりなんですね。

笑福亭≪いければいいなと思ってるんですがね。

「そうですね。高校は定時制高校の1年生でいらっしゃるんですけどもところが岡山大学の大学で先生をしてらっしゃる。これはどういうことから?

≪これはで伊丹先生の母校なんですよ。伊丹先生の生きがい療法の授業をしはるわけです。そこにちょっとお手伝いでお話しに行っている間に何か向こうの方からですね非常勤講師としていう手紙をいただいたんです。ええ!私中学しか出てないのに

「国立ですよあちら国立

≪国立岡山大学ですよ。これはあかんわと。もうちょっと努力せなあかんわと思って、今は因数分解ねサイン・コサイン・タンジェント1次方程式で悩んでいるんです。

「そんなこと先生で必要なんですか?

≪必要なんでしょうね。

「医学部保健学科の講師ということでいらっしゃって教えてらっしゃるんですけども。

≪ファイティングスピリットということですね。

「普段は高校生で定時制の高校に行ってらっしゃるんですね。まあそうはおっしゃっても130日終わる気になった後というのは並大抵のお疲れじゃなかったと思います。勉強してても何してもしょっちゅうそういう甘いものがすぐになければ大変な血糖値が下がるようなことを。ただお子さんがねお父ちゃんいいことしたら来世も一緒に生まれたらっていったんですって

≪あのヘビを踏みそうになったんですね車で。ブレーキを踏んだらコツン踏まないでよかったって言うたら下の娘がお父ちゃんええ事としたな、また人間に生まれてこられんな。そうやもっといいことをしたら同じ親子で生まれて来られんねんでって言うたらいっぱいいことをしようと。また同じ親子で生まれたいから。

「ねえ。いいことしてまたいっぱいいいことしてまたお父ちゃんと一緒に来世も生まれるやねって。子供というものはそういうものだと思います。まあお母様がいらっしゃるんですがお母様はどんなに心配なさったことかと思いますが今の元気な姿をご覧になったらそしてあんなふうにいろんなことを体験をご本人もなさいました。もしがんにならなかったら今でも飲めや騒げや?

≪いや私はがんに感謝しております

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