本日の徹子の部屋ゲストは倉本聰さん

2002年12月2日

黒柳「まあしばらくでございました

倉本≪ご無沙汰でした

「21年間北の国からを続けになってまあこの間で一応終わったということになっているんですけども、今どんなお気持ちなんでしょうか?みんな同じ質問だと思うんだけども

≪やっぱりねぇ21年間も僕が書いたか実際に書いていたのは23年間なんですよ。その前に2年間準備がありましたから。だから人生の3分の一は過ごしているわけでしょう。だから終わったらこれどういう虚脱感が来るのかというのがものすごく心配ででそれで放送日が終わった翌日から芝居のけいこを入れていたんですよ。

「富良野塾の

≪だからそっちにかかりきりになりましたけどもね。ただそのたちまちお客さんが押し寄せちゃってそのロクゴウというところへ行く道の普段だったら30分で行けるところが5時間かかちゃったりね。かなりの渋滞で。だから否応なくいろんなことに巻き込まれました。

「みんなは田中邦衛さんの役の人はあの家に住んでいると思っている方が多いんですってね。

≪思ってもいないでしょうけども、何かそういうイメージがねどうしてもできるから。

「でも考えてみると21年間本当に世の中いろんなことがあったんだけどもあの俳優さんたちがみんなそのまま何て言うんでしょうねずっと成長していって中にはおやめになった方も俳優をやめた方もいらっしゃるそうですけどもまあ主演級の人は皆さんお元気でね。それも考えてみると。

≪考えてみるとこの20年の間に20年の長いドラマをやったのが非常に意味があったというかよかったという気がするんです。別の20年間でそれをやるよりもちょうど今この20年間でものすごく日本が変わったなあ、急激に変化したでしょう。ですからね描き始めたころに富良野にあってなくなっちゃったもの今はないものというものがいっぱいある。それから同時に当時全くなかったもので今でできたものというものがいっぱいあるわけです。描き始めたころは家にはファクスもなかったし、僕は使わないけどもワープロもパソコンもなかったし。

「いまでもワープロはお使いにならないの?手書きで

≪手書きです。

「まぁすごい

≪使えないんですよ(笑)携帯はもちろんなかったしビデオも、ビデオショップというのももちろんなかったしコンビニもなかったし。

「陽気というか気候

≪気候も変わりましたね。

「何かあれですってねぇ梅雨が北海道は梅雨がないという話だったんですけども。

≪いやありますね。

「あるんですってね。

≪ここ数年は蝦夷梅雨と言っていますけどもね。7月8月結構雨ですね。

「夏はなんか熱くなったりもするんですって。昔は北海道て涼しいというイメージがあったでしょう。

≪あのねぇ湿気が多いですよ。暑いのは暑いのはあまり熱くならなくなったですね。

「湿気があるということ自体がおかしいでしょう。

≪おかしいですね。だから低温多湿という感じ。だから作物の最悪ですね。作物にとっては。

「なるほどで。まあ塾生は作物を作って時々ジャガイモなんかもいただいたりしているんですけども(笑)みんな一生懸命になる。でも捨てなきゃならないぐらい農家の人たちも多いんですって。

≪捨てる?

「そういう野菜なんかを

≪野菜はねだいたいニンジンなんか40%は捨てていますよ。常に。

「どうしてなんでしょう?

≪形が悪いものは流通がとらないから。

「ひどい。本当にそれはひどいわね。

≪本当にひどいですよ。信じられないですよ。

「えー形が悪いから。どうしてなんでしょうね。キュウリなんかは真っすぐにしないと箱の中に収まらないからまっすぐに作っているんだけども本当のキュウリは曲がっているのか、おなすも曲がっているのが本当だというふうに聞きますけども本当にそうなの。

≪もうひどいですよ。

「だから塾生はそういうものを拾ってくるからずいぶん食べ物が安くて済むそうですけども

≪(笑)

「それは本当なの?

≪本当本当です(笑)

「でもすごいでしょう。いろんなものをタマネギなんかもいっぱい捨てられちゃったんですって

≪タマネギは相場制ですから結局相場が上がらないと在庫がたまってしまうんですよ。

「でも一生懸命作った農家の方たちは作っているたちは気の毒ね。

≪そうですね。

「捨てなければならないのはつらいでしょうね

≪だから結局否応なくそれを捨てなくてはしょうがないからシンパの農家さんからねきょうはどこそこの山の裏に捨てるとこっそり電話がかかるとそこに先回りしていって捨てたやつを拾ってきてをそれで冬場に蓄えてやると三食米まで入れて240円でできちゃいますね。

「1人240円で1日塾生は食べている。3食食べているそうですけども。それはいただきもの捨てるのを早めに聞いて。それにしてもを捨てなければならないということ自体がおかしいことで。

≪いやもうねあの僕ごみ処理の話を北の国からで書いたものだからその生ゴミから何からゴミ車というものに乗せて作業をやらしてもらったのね。それでその時にものすごくいろんなことを感じましたよ。あのヤマメというところにその素材ごみの山が廃棄物を処理するところがあるんだけども。そこに行ってたまげちゃったもの3年ぐらい前の家電製品がねんダーと並んでいるのね。

「すてちゃってるのみんなが?

≪もうすてちゃってる。多くは直せば使えるものですよ。それから自転車なんかもで10数台並んでいるしそれから3月とか4月とかの転勤時期になるとこういうソファーからピアノからエレクトーンまで出ますよ。

「だからあの竹下景子さんに作ってあげたお家があるんでしょう?。

≪ええ

「田中邦衛さんが。この家は全部捨てたものでつくった家なんでしょう。

≪そうです実際にそうですねあれは。

「すごいですよ皆さんスタッフの梅崎さんという女性が自分で取ってきたからあまり写真ではないんですけども(写真登場)というふうに彼女は言っているんですけども、その写真があるのでちょっと皆さん黒板五郎さんが作ってあげたお家なんですけども廃物利用で。この廃物利用で作ったお家がそれがなにがなんだかってすごいすてきに見えますよねぇ見たところは。

≪これはでセンターはね捨ててあった自動車のコンテナですね。

「自動車のコンテナ。

≪この四角いところが。それであの手前の窓がこう出ているでしょう。あれはスキー場で捨ててあったゴンドラなんですよ。ゴンドラをタテ割してあそこに作ったんですよ。

「すごい。

≪それで基礎は全部自動車のホイールですね。

「じゃ床の下の方が全部自動車のホイールなんですって。ホイールてタイヤのところのあの

≪金具

「金具ねぇ。あの下の方が見えます

≪窓は全部小さな窓は自動車の捨ててある自動車の窓ですね。だから非常に不思議な形をしているんだけどもそれを組み合わして。

「すごい、すごく面白いお家でとても夢のあるようなお家なんですけどもこれ全部捨ててやるもので作ってあるとは驚きましたね。だから富良野の方たちがすてちゃうものなの?

≪まあ全体ですね。1番右のところは電話ボックスですよ。

「右のドアみたいに見えるところは電話ボックス。電話ボックスってあそこの中2重になっているんですって。

≪そうじゃなくて北海道の家というものは寒いから風防室というものが必ず入り口についている。1回扉を開けて面の空気をから今度はもう1度中に入ってはの寒さが直接入らないようにするんだけどもそのためにはちょうど電話ボックスがよさそうだと思って持ってきた。

「ああそうかそのために電話ボックスは2重にはなっていないだけどもあそこの家のために二重にするために電話ボックスをいらないものを・・・電話ボックスって捨てるんですかね?そんなところに

≪電話ボックスは実はNTTは電話ボックスは全部廃棄するからくれないと言ったんだけども頼み込んでもらってきた。

「じゃあそれはしょうがないのね。でもまあそんな風にずいぶん、ずいぶん富良野も変わってきたんですけども俳優さんたちはそれでもみんな大きくはなったんですけどもジュン君は筋の中では結婚することになって本当の吉岡さんも同じように結婚なさるということに

≪みたいですね

「(笑)。だから不思議ですよねあんなに小さかった子が結婚する、ホタルちゃんが子供産んだなんて本当に

≪本当に蛍が子供を産んだのはちょっとびっくりしましたね。実際にドラマの中で子供がいるという設定を作ったらあの気がついたらいたんですよね。

「そう。

≪気が付いたらいたというか、本当に気がついたらいたんですよ

「本当の蛍ちゃんの女優さんの中島さんがおなかが大きくていらっしゃったので

≪最初は大きくなかったんだけども撮影中にいつの間にかを大きくなったんですね。

「(笑)。

≪あの別にスタッフと関係ない別のところで。

「それはそうですけどもね。でそういうのがうまく、うまくというのも変だけども(笑)

≪あれは後追いです。

「後追い。

≪役者の方の後追いです。

「でもそうやってとにかくあんなに小さかった本当に、本当に小さかったころの彼女たちそれから吉岡君たちが出ると何か涙が出るような気がして。あんな時代があったなと思ってそれをみんながずっと目で見てきたのがすごかったですね。考えてみれば

≪そうですねぇ20年間成長をずっと見てくると自分の家とか隣の家の子供みたいに見えてくるきちゃうということがあるんでしょうね。

「絶対にそうだと思いますよね。それから、その中には俳優をやめてあの結婚、ホタルちゃんのいろいろ

≪ショウキチ

「ショウキチさんは蛍さんのためにいろいろやってくれたじゃない。

≪ええ。彼は子役時代に使っていたというか出てもらっていたんですね。ところがねいつの間にか役者をあきらめちゃったんですね。それであの壁貼りの職人になっちゃったんですね。それでそこの親方が北の国からのたまたまファンだったものだから撮影があるたびに頼み込んで出してもらったんですよ。そのうちにあいつ自身が親方になっちゃったんですよ。人を使う側になっちゃったものだからだんだん出られなくなっちゃってもう嫌だと言い出して、もうできませんという話になって。それでその前の回でホタルと結婚させたのに出られないという話になって(笑)困り果てちゃって。そんなこともいろいろありましたね。

「そうですよね。でも今度結局21年間放送してまたその23年間かかって描いてらしたんですけども終わることになったのは結局フジテレビのいわゆる関係のみんなも定年とかそういうことになってきちゃったんですって。

≪それはありますね。

「それはそうですよね。それは局の中ですからね。だけどまあ今どのぐらいの空想感があるかが終わった後どうなるかとお思いかもしれないけどもやっぱり倉元さんの中にはあのみんながあそこに今も生きているような感じがするじゃないですか?

≪するというか今これだけお客さんも来てくださっていてその人たちに対する責任というのがあるから僕の中では北の国からは続いているですよ。ですから今実際には五郎さんの家にジュンとユイちゃんというのが住んでいるわけですけどもね。もうじき結婚しようとしているしそれでその時にジュンは街へ出てアパートを借りたいと言っている、ごろはその廃棄物でまた家を建てたいと言っているし。

「(笑)

≪今ちょっともめているという状態なんですよ。だからそういう現実の物語というのは常に進行していて来年から再来年ごろにはあそこの廃棄物の家のユキコの家のわきにはジュンの家を建てるつもりですけどもね。

「本当に。じゃ本かなんかにはなさる、何かの形に。

≪いやいやただ立てるというだけで僕はいいと思っているんです。

「そうなの。でもまあそこでどういうことがあったどういうことがあってというのは倉本さんの中にはずっと生きているだからで。毎日の生活が彼らの生活があるんだと思うんですけども。そうすると皆さんはずっと行けば何か新しいことが何かそこに富良野で起こっているというのが見られるわけね。

≪そうですね。だから見たい人は富良野に来てくださいという雰囲気だけは作っていけばいいんじゃないかと。

「でもいま石のお家がちょっと映ったんですけどもあの石というのはどこから持ってきたんじゃなくて畑の?

≪あれはね畑から凍上しますので、冬場は地面が凍って凍上してくるでしょう。毎春石を拾う作業から始まる。本当に畑から出た廃棄物の石なんですね。

「こんなに大きな石

≪こういうその石で家が立たないかと思って僕自身の家もねこれで立ててやろうと思ってカミさんとね戦乱前のユーゴスラビアとか、ポルトガルを見てきて14世紀ぐらいの石積みを勉強するというかかじってきたんですね。そのやり方で家で作ってみたら面白いものができちゃってそれでこの五郎の石の家をつくった。

「なるほどねだからここに本当に五郎さんが住んでいるとお思いの方も遠くから。で近くによれないように今はなっているそうですけども。

≪あのねいたずらされちゃうんですよ。

「いたずら書き

≪もスプレーでこうやられたりするんでそれでね本当はもっと見せて差し上げたいいんだけどもあのいろんな人がいるもんですからね壊されちゃうわ中のものを持っていかれちゃうわ入れられるんですそれでしょうがなくてこういう柵をしたり遠くからしか見せられないという状態なんですね。

「でもまあみんなのものだから遠くでもちゃんとそのままの形で残すということがいいですものね

≪まあしょうがないですね。

「でも富良野に行けばそういうふうにも北の国からの放送は終わっても倉本さんの中でどんどんみんなは生きているわけだからそれでそういうまた拾ったものでつくった家ができたりまた何かができたりするかもしれないから行けば面白いこと見られるかもしれないということですものね

≪そうですね。

「どうしても倉本さんとお目にかかると北の国からのお話しになってしまうんですが、まあご紹介したように脚本家シナリオライターでいらっしゃるのでまだお話したくさんあるんですけどもちょっとコマーシャルです。

≪はい

黒柳「あの北の国からの中にはずいぶん親子の関係がいっぱい出てきたんだけどもやっぱり男親と息子の関係というものがいくつも出てきたのね。そういうのから考えるとあの倉元さんの親子関係のことなんだけども小さい小学校の時に英字ビスケットというのが初めて見た話のお父様のお話しがとってもいいなと思うんだけども

倉本≪ええ、近所の家でね英字ビスケットというのをおやつにもらって

「アルファベットになっているですねビスケットが

≪そうそうそうそうそう。それがすごく欲しくてただその厳しかったからね何か欲しいとかおやつに何があれという家じゃないから。ですからオフクロと駅前のお菓子屋に行ったときにオフクロがあのふっと見たらこのガラスのケースの中に英字ビスケットがあるんですよ。

「あれピンク色とか緑色のお砂糖が裏に塗ってなかった?

≪昔はねそこまでもなかったですね。でお袋が奥に行ってこうふっと見たらいないし店員さんも奥でいないからすっと万引したわけね2つ。

「何と何?

≪AとOというのを万引したわけね

「AとO(笑)

≪それをポケットに突っ込んでバスで帰ってきただけどもお袋が何か気がついて何隠しているんだと言っていきなりポケットから手を出してはがしたわけよ

「うん指を

≪そしたらそこにAとOがあったものだからオフクロは仰天しちゃってもう1度ににぎり直して突っ込んだのね(笑/*倉本さんの開いた手をもう一度にぎり直させてポケットに突っ込ませた)。

「(笑)お母様ね人に見られないようにね。

≪そうそう。家はオフクロも父親もクリスチャンだったんですよ。だからそういうことに関してすごくもちろん厳しかったしでうちに帰っても口をきかないでひとりで自分の部屋にこれどうなるんだろうと思っていたら夕方おやじが帰ってきて何かオフクロとごそごそとやっていて「でよう」と言ってニコニコとやってきて。

「でもしかられると思ったでしょう

≪全然叱らないんですよおやじがね。で一緒にバスに乗って駅まで行ってで菓子屋の前まできてそこのケースの前に立って「これか?」というから「うん」と言ってをその菓子屋の店員さんを呼んでお宅この在庫はどれぐらいありますかといって、そしたらこれぐらいのカマスに2つだったんですよね。(*肩幅ぐらいのサイズ)

「うん

≪それ全部くださいと言って全部買っちゃったの。

「お父様が。

≪うん。全部買えばその中に2つというのが入るという考え方なのかね、それがキリスト教的な考え方であるかは僕は知らないけども

「怖かったでしょうでも(笑)

≪それでそれを担いでまたバスに乗れないからそのまま歩いて(僕は)支えたりしながら家までかえってそれを納戸の中に放りこんだまま全くおとがめなしなのよ。それで一言もないんだけどの僕は机の引き出しの中にも消しゴムのカスなんかに交じってそのAとOというのがあるわけだし食うに食えないわけだからそれでね1年近くそのままあったの。それで戦争が始まって食糧難がきて

「(笑)

≪それでおやつに出るものがなくなったわけよ。そのころになってね納戸からねもカビくさいね湿気た英字ビスケットが毎日これぐらいずつおやつで半年以上で続けたの。だからそのなんていうの執行猶予1年の間に刑が半年きたという感じでねぇ、今から考えてみるとうまい、うまいことをやるもんだと思ってね全然怒られないんだけどもこちらは十分怒られているわけでしょう。あのやっぱりすごいやり方だなと思って感心しましたけどね。

「でもそういうものって作家としては当然だけども直接じゃなくてもやはり作品の中の何かの中にはねきっと違う形で

≪そうですねぇ今回の北の国から、また北の国からですけども(笑)北の国からに戻ってはいけないなけどもあの遺言というタイトルをつけたのも結局うちの親父が最後事業に失敗して借金残して死ぬんですけどもね。あのだから遺産というのがなかったんですけども逆に言うと生きている間に今のその話みたいにいっぱい遺産としてもらっていたような気がするのね。今遺産というと土地だったり家だったりつまり目に見えるものばっかりを遺産といっているけどもそうじゃないもので僕は非常にねぇいっぱい生前贈与されたという気がしてねおやじから。その事今回遺言ということにドラマで描きたかったんですよ。

「なるほどね

黒柳「倉元さんは富良野にお住まいになることになってそのことについては前にも伺いましたけどもそこに富良野塾というものお作りになって塾生を育てて。あの塾生は演劇を

倉本≪そうですね俳優とシナリオライターが。最初は映像をテレビのために始めたんですけどもなかなかあのライターはテレビ用の、テレビ用のというか(笑)テレビのライターをずいぶん育てていますけども

「ああそうですか。そこで塾生はそこでお勉強をしながら昼間は畑のものを作ったり家を全部塾生の家も全部自分たちでね作ったりまた見せていただいたりもしたんですけどもその間にいろいろ芝居もしてらっしゃるんですけどもあそこにすごくいい劇場ができたのはすごいですね。

≪はいおかげさまで。

「あれは富良野の

≪市が立ててくれた

「市が作ったのね。いい劇場ですよね外国みたいにすごい劇場のホールが広がる、ステージが広がるようなの見せていただいたんですよねこの間。とっても良いのでびっくりしたんですけどもそうところがあるから発表の場はあるわけなんですけども。今度20年なんですね来年で富良野塾ができて。

≪そうですね20周年になっちゃいましたね。

「すごいわね

≪だいたい北の国からと連動してあれ影響でそちらで暮らせないかという若い連中がいっぱい来てそこから始まった塾なのでねぇ。

「そうなんですか。だからほとんど北の国からと同じくらいの年数ですね。来年20周年になるので。それで屋根という芝居を今度お書きになったんだけど、倉本さんが、倉本さんが屋根というのをお書きになって最後にね”屋根は星たちに何を語ったか”というのが文章に書いてあってすてきだなと思ったんですけども。

≪屋根これはもうひとつの北の国からといいますかね大正12年から今までの富良野の農家の話なんですけどもね。あの本当にもうひとつの北の国からですね

「でもずいぶん調べになったんですってね。

≪調べました。

「大正からだからずいぶん現在までですか

≪そうですね歌だけでもずいぶん多分あなたなら全部知っていると思うけども初期に出た歌なんて相当

「そこの中で歌われる歌が

≪珍しい歌ができますよ。

「へええ。例えばどんなの?

≪キューピーちゃんなんて知ってる?

「歌?歌は知らない。

≪あの”どんとなみどんときて”

「それは知っている”どんと来てどんと波来て帰る”それでキューピーちゃんの歌なの?

≪そうそうそうそう。

「どうしてキューピーちゃんなどにドンときてどんと波ドンと帰るなの?

≪いやその波に乗ってきたのよキューピーちゃんが。キューピチャンのお国は海の向こう。

「何かさキューピーちゃんてこういうふうに思っていたのよ(*手を上げて広げている)。セルロイドでできていて当時としては。そういう歌が流行っていていっぱい入ってくるですか

≪いっぱい入ってきますね。

「ちょっとコマーシャルをはさんでその話をもうちょっと。で東京でもそれをなさいますのでそれをちょっとコマーシャルです。

黒柳「もうひとつの北の国からといわれている”屋根”という芝居は来年のですねちょっと先なんですけども来年の2月。でもそうこう言っているうちにあっという間に行きますよね。

倉本≪そうですよね

「2月なんて。

≪もお稽古に入っていますから

「もうけいこに入っている。2月21日から3月の2日まで世田谷パブリックシアターで三軒茶屋にあるんですけどもそこでて塾生皆さんがおやりになるんですけどもさっきおっしゃったように大正12年からですね。大変にお調べになったその屋根が見ていたいろんな歴史、あと戦争にもなっていくそして戦後。大変いまからお稽古してらっしゃるそうなのでとても面白いものだろうと思います。ずいぶんお調べになってお書きになったということなので北海道のいろんなこともわかるだろうというふうに思うし。それからニングルの森という。ニングルということに関してはずいぶんでいろいろやってらっしゃるんですけどもこれはもともとアイヌの

≪ええ民話の中から探した言葉。

「そうなんですってでアイヌ語辞典にも出ているですってね。

≪出てます。

「ニンというのは縮む。グルというのは人ということで

≪これぐらいの人間なんですけども目撃談はいっぱい知っているんですけども。

「そうなんですってね本当にニングルっているんですかって。本当にニングルというものを見た人がいるんですよね。富良野にいるんだって。

≪いますね随分あいました。

「どういうニングルというのは性格というかそれを持っいるですか?

≪ニングルというのは要するに人生が長いんですよ。木とだいたい同じなんですよ。

「でも妖精じゃないですよね。

≪妖精じゃないと僕は思いますね。むしろ先住民だと

「れっきとした小さな先住民族。

≪だから木とだいたい成長が同じだという。

「だからはこの本なんかは子供にも読んであげたらいいなと思うような感じがしたんですけどもね。

≪そうですねぇ子供に親が読んであげられる童話みたいなものを書いてみようと思って書いてみたんですけどもね。

「でも本当に見た人がいるんだってニングル。

≪いますようちの塾生でもいますよ

「本当に!!倉本さんは見てないの?

≪僕は見てない。

「それは冬でもいつでも?

≪僕は見ていない

「季節に関係なく

≪もちろんそうそうそうそう。

「雪の時とかそういうときじゃなくてもいつでも。面白い。でもそこの後ろの(徹子の部屋の後ろ)アタリさんのお人形とそちらでニングルのやつも撮影しましたよね

≪しましたね。

「そういうのでも不思議なものがいるんですって。菊池寛賞もおめでとうございました

≪はい

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