本日の徹子の部屋ゲストは倉島厚さん

2002年12月3日

黒柳「よくいらしてくださいました。倉島厚さんです。NHKのテレビでこう踊るような格好で体操のような格好で

倉島≪西高東低なんて言ってね

「そうですそうです。とてもお元気な天気予報をなさる方で。あれはお天気体操とも呼ばれてそうですけども。そのころのお写真をちょっと皆さん懐かしく思いでしょう。つい先ごろまでなんですけどもそうそうこんなふうに。それから後ろ向きになって天気情報をおやりになった方としても初めてだそうですね。

≪市長さんにおしりを見せたのが初めてだったんです。

「大体になるだけ後ろ見せないようにおやりになるのがこういう天気予報の方なんですけども、こんなふうにとてもはっきりとお天気体操とも呼ばれていたそうですけどもそれでしかもお若いときからではなく60歳になって

≪鹿児島気象台長を最後に60歳で定年退職しまして翌日からNHKに解説員として出たんですけども。

「気象庁にお勤めということですよね。すごい長い気象生活。でも60歳からテレビにお出になってあれだけ元気におやりになるんだから私ずいぶん、その前から少しずつやられていたそうですけどもそれにしてもずいぶんすっとお入りになったんですね。それは。

≪なんかだから定年退職という気がしなかったですね。人生のこの転換点をすっと通りぬけていったような。

「普通定年になって60歳から新しいこと始めるってっていうと大変でそう思いそうですけどもそれは長年やってらっしゃることなのでそんなに大変なことではなかったのかもしれませんね。

≪そうですね。

「そこはすっとうまくいってですね大変人気のキャスター。それからいわゆる気象キャスターというもの走りといってもいいでしょうかしらね。草分け。

≪前からあったんですけども新しい形を作ったといわれています。

「そうですねそういうふうに言われている方でもいらっしゃるんです。それでもお若いときはずいぶんいろんなことをなさって特攻隊員のところ、特攻隊んですよ皆さん。突っ込んで敵の船や何かに突っ込むところに行って。

≪あの学校、気象大学校と呼ばれているんですけどもそれを卒業してそして海軍の技術士官の試験を受けましてそれで浜名湖でも持ってすごい訓練を受けて、これはもうものすごかったですけども半年。それから海軍技術省員になってそしたらも乗る船がないですよ連合艦隊全滅ですから。であの内地の航空隊を回ったりしてたんです。内地の航空隊では特攻隊員の訓練をしてたんですね。ですから駆逐艦をおきましですねそこへ後突っ込んでいくですよ。

「おけいこするんですか!

≪稽古けいこ。そしたら乗っている方は恐いんですってね。本当にぶつかりゃしないかと思って。そして本当に突っ込んでしまった人もいるんですよ。

「おけいこのときに。

≪そうするとね仲間の特攻隊員がお葬式に参加するわけですよね。そうするとねグシャとつぶれた遺体を見ましてねぇ俺たちもあんなふうになるのかなって言っているところで私は天気予報の仕事をしていた。

「1番直接天気に関係ありますからね。でも今おっしゃっていたことは私初めてそれをうかがったんですけども特攻隊の人たちはこういう風に話を聞いていてぶつかるんだと思っていたんですけども、本当にそこに船を浮かべてそれでぶつかる角度がこれぐらいでそれから生きて戻ってきて本当の時はぶつかるんだぞと。

≪そうそうそう。

「だけど本当にお稽古の時にぶつかった人がいて亡くなった人を見ると俺たちもああいうふうになるんだ。まあおつらい。同じくらいの年代の人ですからね。

≪全く同年代。

「でもまあそういうことがあったんですけどもいろいろあったんですけども、まだこれから伺うことはいろいろ大変なことなんでご兄弟が人数が多くて

≪10人兄弟の9番目。

「昔10人なんて兄弟がいたんですね。

≪いたんですよ。10番目が私の弟が生まれたときに1番上の兄が肩をもんでねお父さんもう止めてくれって言われたらしいんですよねぇ

「同じ年になっちゃう。

≪私も若干屈辱感を感じましてその話を聞いた時はねぇ。俺もその上の方(上の兄弟)から見ると世に出なくてもいいと、そういうふうになりますよ。

「1番上のお兄様の子供と、ですから弟と自分の子供が同じ年になっちゃうわけですよねお兄様にとってみれば。

≪そうそうそうそう。

「でもそういうことがあったんですけどもさっきおっしゃったように気象庁の大学、今は気象大学というんですか

≪大学校というです。

「気象大学校そこにお入りなりましてあそこはアレだったんですね全部向こうでくださるんですよね。

≪そうなんですよだから行ったみたいな感じで。月給をくれて全寮制で勉強させてくれるんですよ。

「そうだったんですってね。でもその時にいろんなことがあってすごい憂うつなこともいっぱいあって心配症だったりしてお父様が紙にこう、あれすごいと思うんですよお父様という方が。

≪あの私は父の50歳のときの子供ですから

「50歳それはずいぶん遅いですね。45歳とか聞きますけども。

≪17歳のころ今では私はあの時はうつ病だったと思うんですけども、当時でいうと脳神経衰弱。であの家の9番目の子供は少しおかしいよって近所の人がいったらしいんですよ。その時に65、6でで人生のテイカンを感じているで父親がでちょっと来いと言ってね。どういうことなんだというから私は気になって気になっていろんなことが気になって怖くて仕方がないといったんですよ。そしたら父親が紙を1枚持っておいで。紙を持ってきて線をさっと引きましてねお前の心配事を時間順に言えというんですよ。と時間順にいうと今からいうとお恥ずかしいみたいなものでね、弱虫のもんだから来週の軍事教練が強い。それから中間試験があって学期末試験があってずっと時間順に書いていって1番最後に恐いものは徹子さんはご存じないけども徴兵検査。

「それは5年後ぐらいに来るだったんですってその時は。5年後の徴兵検査が恐いと。

≪それで今の父親が言うにはこう書いたら心配ごとは縦に並んだな。今のお前は心配事を横に並べて来週の軍事教練から5年後の徴兵検査までおどおどおどおどしているいるのだけだ。だからグサと並べてしっかりやったけど。

*********************

(縦に並べる)

軍事教練

中間試験

学期末試験

徴兵検査

(横に並べる)

軍事教練・中間試験・学期末試験・徴兵検査

*********************

「だから要するに横に並べているから心配なんであって、縦に並べてだんだんだんだんいまひとつ乗り越えていけばいいんだからと。

≪それでお前が敗れてもしかたがないじゃないかと。

「ああそうか横に書いちゃうからだいたい心配になっちゃうんだけども、私たちもそうですよねいろんなことが起こると全部1時にウワーときちゃうように思うんですけども時間的にすれば少しずつずれていることってあるんですよね。ですからそういうふうにお父様に教わったんですけどもそのときちょっと心配症だったんで。それから社会人におなりになって結婚なさったりなんかして奥様が夜泣きとおっしゃったんですって(笑)

≪そうそうそう。時々ね縦に並べられなくなっちゃってねそれであの恐い恐い恐い。気になったりなんかしてね眠れなくなることがありました。

「それは天気予報というのは特にそうなんですってね。当たらなかったらどうしようという。

≪だけどね天気予報についていうとねも当たらなかったことを考えていたらくよくよしていたら生きていられないですよ。

「まあそうですよね。

≪振りむけば満身創痍。だからいつも前を見ろという。だから英語でねぇ予報官のことをフォア・キャスターというんですよ。

「あれはそういうこと言うんですか。前を見る人ということ。

≪ところがねぇアフターキャスターをする奴がいるんですよ。あのね失敗をしたりするとそこに来てねこの天気図だったらこうくるのが普通だけどなとかねあの結果がわかっているからいう男がいるんですよ。ですかねそういう男はアフターキャスターで評論家だって。

「昔は当たらないと言われちゃって当たらないのはなんとかだの代名詞になったみたいな。

≪あの辞書でも今でもねぇ天気予報というのは正確な定義のほかにね”天気予報みたいに当たらない評論”という書いてあるのがありますよ。

「そうなんですか。そんなこと言ってちゃってるんですか。今は昔に比べればいろんな機械ができたので

≪昔は当たらないのの代名詞。だから明治のころねぇ兵隊さんのポケットに弾よけのまじないがあったんですよ。開けてみると天気予報と書いてあったんですって。

「ひどい

≪これを連れて行くと当たらないと言うんですよ。でもそれは良くない、天気予報はたまには当たるって。

「そうかたまには当たる。だからたまには当たるのがよくないと。でもそういう風にね当たらないようにというんで天気予報と書いていた人がいるぐらい。でもそういうのも60歳を過ぎてからはやってで人気のキャスターにおなりになっていらしたんですが、実は奥様をなくしになった。

≪そうなんですよね。妻は本当に尽くしてくれた妻がなくなりまして

「5年半前のことなんですけども。

≪あの病院に入ってそしたらあの主治医がね倉島さん死ぬのは日・週の単位で考えてくださいと言われたんです。ガクときましてね、私はその前にね喉頭がんをやっているんですよ。その時もガクっときたんですけども自分のことでね

「でもおしゃべりになれるのがすごいですよね。喉頭がんをおやりになって。

≪うんなおりましたけどね。

「運よくすっと取れたそうですけども。

≪だからあのその時に非常に落ち込んだ経験があるものだからねそれを聞いたらね私がまず精神神経科に飛び込みました。

「奥様のことで。

≪ことで。そしたらもううつ病だと言われました。

「奥様があとどれぐらいだというときに奥様のことを考えるよりも自分が奥様がいなくなったらどうしようということが心配。

≪心配。で妻をまた十分に送るためにねということででだったんですけどもね。ただねまだ時間あります?

「はい大丈夫ですよ。

≪時間になったらおっしゃってください。

「もちろん申し上げます。もうちょっとでコマーシャルに行きますけどもまだ大丈夫です。

≪あのねぇ老人でねうつ病になったら3つの妄想を持つと書いてあるんですよ。ひとつはねお金がなくなるかもしれない。お金の心配。もうひとつはね自分は大病をしているんじゃないか

「病気の心配

≪もうひとつはねぇ私は罪を犯したんではないか。3つの妄想があるんですよ。罪悪感。で私はそのね3つ目の罪悪感。妻を十分に送ってやらなかったんじゃないかという、これ自分のことばっかり心配して妻の世話をしなかった

「奥様のことも心配なんだけども、死んだときにそんなはずはないと自分が先のはずだったのにどうしようということが心配になったと。そういう人も多いと思いますけどもね。

≪ででそれですっかりうつ病になっちゃいましたねそしたらまたどんどんどんどんやせていく。

「でも奥様はその時ご自分の病気がそんなに悪いと思っていらっしゃらないでしょう

≪そうそうそうそう。

「それなのにどんどんどんどんやせていらっしゃったですか。

≪結局ねぇ妻はねぇあれでしたよその後こう見てたんでしょうね。最後にねほら貴方お父さんからこういう教訓を受けているでしょう。私が死んだら心配ごとを縦に並べてしっかり生きていってくれ。それから再婚してもいいわよなんて言ってね本当にで死ぬまでねぇ私の面倒みてくれた。だから私ますます罪深く感じちゃって。

「なるほどね。そうか。すごい奥様ですねそこまででね。

≪いい妻だったですね。

「しかも心残りだったでしょうねそういう。ご主人を残して。お子さんがいらっしゃらないですよね。

≪そうそうそうそう

「だからそのとても心配。自分のことしてくれるんだけどもこの人自分のことがいなくなったらどうしようとお分かりになったんですね。

≪わかちゃったんですね。

「ですから心配ごとを縦に書くのよお父様から教わったことて。それから再婚してもいいのよって。でも偉いのね奥様って若かったのねまだ68歳。亡くなったときね。

≪そうですね。早すぎましたよね。

「68歳といったら平均年齢よりもずっと下ですから女の人なんか特に。

≪それで徹子さんはおそらくうつ病になったことはないと思いますけどもこれはやっぱり辛いですよ。

「ではちょっとここでコマーシャルでいいですか。うつ病に今なってらっしゃる方もいらっしゃるのにねこういうふうにおっしゃりたいことはうつ病は治るんだということで今日おいでいただいたお話しなんですけども。ちょっとその話をコマーシャルがございますコマーシャルです

黒柳

倉島≪徹子さんねさっきちょっと言い忘れちゃったんだけどもね心配ごとを縦に並べる。そうすると心配事がひとつになる。あれそれを笑福亭鶴瓶さんに話したらいいこと教えてくれましたよ。先生けんかするときも同じですよ敵は1人に絞ると。あとで敵になることが分かっていてもねそれは後ろの方に回していて縦に並べちゃえと。

「なるほど。なんでもで結局全部縦にする。すごいですねやはり男の子らしい感想ですけども。

≪そのうつ病の話なんですけども

「ちょっとその前にあの奥様はすごいいい奥様だとさっきおしゃいましたよね。でその1番うつ病の中の罪悪感とおっしゃったけども奥様は本当にそんなに悪いと思っていらっしゃらなくてあの亡くなったのはタンカン細胞ガンだったんですけども。最後の方でご自分が奥様がいなくなったらどうしようと心配ばっかりだったことが奥様が随分やってくださったことがあって、モルヒネ投与の時に

≪あのほら入院するときに書いてもらったですよ余計な延命作業をしてくれるなとか、私も書いてあるんですよ妻はなかなか書かなかったんだけどもね。あの入院するときに書いてくれたんですよ。

「それをご自分で旦那様がお書きになったですか?

≪いや私の文章は前からあったんだけども妻がなかったんだけども妻が自分で書いたんですよ。それででモルヒネだんだん痛くなってモルヒネにしてもらったんですよね。そしたらきょうは楽になったわというときから言っていましたから。そしてだんだん強くなっていてね最後はも意識がなくなってきちゃってねだから死ぬときは本当に「光・光・光」と言っていましたけどね。であと意識が通じないですよ。

「でもその時にお医者さまがこれ以上モルヒネをすると会話がだんだんできなくなりますけどもとおっしゃってたんですけども

≪言ったんだよね。それを私あまり深刻に考えていなくてそれでも増量していただけませんか。そうしましょうかということでそしたら意思が通じなくなりました。

「痛くなければいい、かわいそうだから委託してあげない方がいいと思ってお優しい気持ちだったんだけども、その代わり会話ができなくなりますよということから意思のあれができなくなった。というようなことも罪悪感につながっていくということもちょっとご紹介しようと思ったんですけども。

≪はい。

「それで病院に入って24日間で

≪そうなんですよ

「それも早いですよね。そんなにお悪かったなんでね

≪ですからもっと違う道があったんではなかろうかというような後悔がでどんどんどんどん押し寄せてきましたね鬱状態になっちゃった。

「どうしてもっと妻のことを慰めるとかもっとこうしてあげればよかったこうしてあげればよかったっていうことばっかりお子さまがいらっしゃらないということもさっき申し上げましたけども。結局1人にもなっちゃうし

≪だからの自分を責める性格の人が鬱になりやすいんですよね。鬱になりますとねもういろんな興味は失う、テレビは見ないどんどんやせていく。自分ばかりを責めていくというそんな感じになっちゃいますよね。

「さっきおっしゃりましたね老人になって鬱になるのはあのお金の心配、病気じゃないかということで心配、それで罪悪感とおっしゃりました自分を責めていく

≪私の場合は罪悪感。

「それですごいのはも自殺しようと何回もお思いになったんですって?

≪結局であの痩せてもうだいたい着物が着れなくなりましてねお手伝いの人に靴下なんかを抜いてもらったりして、できなくなってしまった

「そういうふうにもいわゆるエネルギーが全くない。

≪全くなくなっちゃって。そしてあの何かその要するに遺産の整理なんかしてね遺言書を書き直したらね俺はもうこれで死ねるなと思ってね。それでねいろんなことを考えたんですよ。そしたらでお手伝いの人が今は言いますけども窓開けてね景色を見ているかと思ったらずっと下を見ているですって。変だなと思うけど私はここ飛び降りたらどうなるだろうと思って。それから首つりというのは割合角度がいいんですよ死ぬ角度が。だけどね縄は見つかったけどもするところがないですよ。それからこういうあのベランダみたいなところに縛り付けて向こうにボッと飛び降りるとねぇぐっと行っちゃうなと。だけどね格好悪いなと思いましてね。外から見ると。そんなことが気になったりなんかして。結局14階の屋上へ行けば1番いいんですよ。そこへ写真機を持って通いました。

「なんで写真機をお持ちになって

≪あのほら”もしもし”といわれても(*屋上にひとりで行くと自殺するじゃないかと他人から思われてしまうのでカメラを持っていくと風景を撮るとカムフラージュできる)

「写真を写すんですよといえばいいから。そういうことお考えになるんですよね。

≪それで結局で

「随分ヘリのところまで

≪ヘリまで。今は乗れませんね怖くてね。

「そんな高いところにね。

≪あのそこから飛び降りるときもねあの14階でもね2階以降で出ているところがあってそこに部屋があるんですよ。でぱりみたいのが。そこにあの廣瀬久美子さんってあのアナウンサーって知ってる?あのNHKのあの人が住んでいたですよね。だから広瀬久美子さんの上に飛び降りたんじゃこれはまずいなと思ってちょっとこっちへ移して飛び降りようと思って。

「でも本当に決行の日はいつにしようとずいぶんそれをお考えになったりして何回も何回も。でもお手伝いに来て下さった方もひもはないだろうかと探したりなんかしてしょっちゅうそんなことしていてだんだんお分かりになってきたと思いますよね。

≪そうですね。でもある時にからばったりとそれがなくなりましてね。だからうつ病というのはなったら入院するのが鉄則なんですって。鉄則なんだけどもでところがそのなかなかで決心ができなかったけどもそのお手伝いの人がね結局入院させてくれたんですよ。

「何が何でも。何が何でも入院なさったのがよかった。

≪よかったですね。うつ病でも自殺を考えるようになったら入院。

「前からうつ病は分かっていた。お薬は飲んでらしたんですか?

≪飲んでました。ただそのそういう苦しみはねぇ、もう間もなく時間ですね

「じゃあコマーシャルに行くですね。申し訳ありませんねNHKを出てらっしゃるからほらコマーシャルとかなかったから長いことNHKに出てらっしゃるからコマーシャルはないですけども

≪コマーシャルの後にまだあるの?

「ありますあります大丈夫ですよ。じゃちょっとコマーシャルへいきましょうね。私いつもコマーシャルを無視してすぐにお話は右がちゃうんですけどもちょっとコマーシャルに行かせていただきます。

黒柳

倉島≪あのねぇ徹子さんねrうつ病になってに入院しているからいろいろ勉強したんですけども日本人の統計ではで一生に1度はねぇうつ病になるという人が7人に1人なんですって。

「そうなんですか。

≪男は10人にひとりで女は5人に1人ですから女性の方がうつ病になりやすいみたいですね。

「そうなんですか。

≪年をとってきて1人にの残されたときは女性の方が強いんだけども。それでそのただでうつ病というのはでこころの病、心の風、頭の風と言われているんだけども結局頭の中でねぇ神経の伝達機能が悪くなる。だからそこにいい薬があるんですって。だから必ず治る。その薬がいろんなあの副作用なんかがあってでちょっとねけいれんしちゃうんですよ。

「少しよくなったからもういいんじゃないかと思ったり勝手に決めて飲まなくなったりする人がありますけども年にそういうのがやっぱりよくない。病院に入ったら寝ているのに揺り動かして、それでまたそこで

≪眠り薬。導眠薬。それでちゃんと看護婦さんはね全部飲むのをじっと見ていて確認していくんですよ。それがよかったですね。それでねぇ病院に入ったらねそれこそね失禁というんですか大便なんかで廊下中を汚しちゃったりしてね1日にね4回も5回も下着を変えたりなんかしてその時に非常に惨めな感じでしたけどもね。これでどん底だと思いました。もうこれ以上は悪くならないとそんな感じになりましたね。で全部おまかせ。

「そういう風に病院に入ってお任せしてどん底でも何でもいいやと思って

≪そうそうこんこんと眠り続けました。それでなりましたね。だからそこまでいかなくちゃ。本当に。

「でもまぁいっちゃったらですねとにかく治るんだ。今日のようにお元気にご自分がでこんなふうだったって。それから亡くなった奥様のことをあのああいうふうにこういうふうにしてあげればよかったと自分を責めたりやっぱりなるだけしないように。

≪反省しない方がいいですね。結局ねここまでやれたあって自分には器量、器の量があって私は私なりの器量で精いっぱいやったんだとそういうふうに思うようになりました。

「なるほどでそこで反省したりなんかするといけない。でもまあ私は反省を母の胎内に忘れてきたといわれているんですが(笑)やっぱりその反省しないといけないですけども多少は。でも反省ばっかりしすぎるのもよくないと。そういうことですよねもう1回コマーシャルがございますので

黒柳「さて文芸シュンジュンで伴りょの死という特集をするということでお書きになってお出しになったんですって

倉島≪締め切りの最後にねぇ。そうするとヒライユミエさんの選で700か800集まった中で30。その中に私の選んでくださってその時に妻の、やはり心の整理をしようと思って。

「それがやっぱりよかった。それでやまない雨はないというつまり絶対にこういう病気は治るんだからということで私読ましていただきましたけども本当にあのうつ病でうつうつとしてらっしゃる方それからご家族の方もあの絶対に治るとおっしゃってると、そういうご性格だったわけでしょう昔からそういう心配性な子供のときからね。でもそういう性格なんだから仕方がないんだけども

≪そうなんですよ。やまない雨はない。それから妻の死、うつ病それからというね副題で書いたんですよね。であのそういうふうに絞って書きましたからうつ病になった方うつ病はこういうもんだということをねうつ病ではない回りの人がね理解するのにも

「そうですよねあの人は変だというんではなくて病気になっているですから。そうなんですって鬱は脳内の神経伝達物質が減少することそれが原因で神経のネットワークが正常につながらなくなる情報の伝達がスムーズにいかなくなるですから薬物療法が脳内物質の異常を正常に戻すために必要なんだからちゃんと飲めばこのようにお元気になるというようなことを本に全部書いてらっしゃいます。もちろん奥様のこともいろいろございます。止まない雨はないです。本当にありがとうございますお元気でよかったです。

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