2002年12月4日
黒柳「智乃花伸哉さんですよくいらしてくださいました。まあ「先生、先生」という声が土俵にかかった方でいらっしゃるんですけども9月の28日に国技館で断髪式がありまして、そして今のような。まだこれにおなりになってまだちょっとですけども
智乃花≪そうですね
「どんな気持ちで?
≪なんかちょっと寂しいですね。
「やっぱり
≪普段ついていましたのでね。あのちょんまげが。ときどきこう触ったときにあれっていうような感じで
「そうですよね。
≪ついてないという感じですけどもね。
「でもまた笑いになったりするときが楽でいいんじゃないですか?
≪そうですね。毎日髪を洗えますんで。
「キっと引っ張られているわけですよね。髪の毛がいつも。あれはやっぱりかゆくなったりするんですか
≪なります。最初は慣れない時、まげを結い始めの時は全体的に引っ張られているですよ。目までつり上がるというか
「だいたいつり上がりますよね。
≪現役時代はもうちょっと厳しい顔をしていたと言われましたけども髪を切ったら目尻が下がったものですからなんだかね情けない顔になったんですよね(笑)
「そうですよ時代物の方っていこうやって引っ張っているから目が上がっているんだ。あれは全部取るとずっと全部下がってくる。お相撲さんもそういうところがあるかもしれませんねぇ(笑)それにしてもを国技館で断髪式ができたということはもう本当に夢のようなんですって
≪そうですね。入門当時は考えてもみなかったですからね本当にあこがれていた夢がかなったといいますか。
「しかも9月28日というのはたまたまなんですかこの日国技館が開いていたからだそうなんですがお父様のご命日だったそうで。
≪そうなんですよ。まあたまたまですけどもね。ちょうど6月、辞めて半年後にだいたい東京場所が1月5月9月にあるんですけどもその東京場所後に引退相撲が行われるんですよ。9月場所が終わってから
「去年の
≪ええ、6月と思っていたんですがちょうどあのW杯もありましたし、まあお客さんが来てもらいたい、来てもらいたかったものですから9月に
「そしたらお父様の
≪そうなんですよ。そしたらたまたま重なって。
「3年前にお父様お亡くなりになって
≪ええ。
「じゃお父様はその晴れ姿をご覧になって。一応晴れ姿というか土俵でお相撲とってらっしゃる姿をご覧になって
≪見てたと思いますけどね。直接会場の方に来たというのは聞いたことはなかったんですよね。生前は。
「そうですかそれはちょっと残念で
≪まあ隠れて見ていたのかもしれないですね。
「ご存じないですか。
≪聞いてないです。
「そうなんですか。でもとにかく学校の先生をしてらして小結まで進むというのは並大抵のことじゃありませんでなんといったって入門なさったときは27歳5というですから。素質、体力そして小結になった年齢が29歳
≪そうですねぇ。29のときに。
「ですから素質、体力共に奇跡に近いと言われて、それで年齢が29歳だったんでそれがすごくて小結におなりになったんですけども。入門なさったとき27歳。ですから2年間であっと言う間にまあを小結におなりになった
≪はい。
「(写真)これはだから今髪の毛がちょっと似ているんですけども全然お入りになったときのですね。
≪ハイでそうです。入門の時の写真になりますけども。
「ですから新弟子になったときが27歳。そうすると普通みんな中学生ぐらいの子供の人がいっぱいいるわけでしょう。新弟子って。そうするともう本当に教え子のような(笑)いを
≪何かちょっとね
「そういう子たちが今度は先輩になってしまう。
≪はい兄弟子ということですよね。
「そうですのねそこのところは別におつらいところはなかったですか?
≪今まではね生徒を見て生徒指導していた立場だったんですけども今度はその兄弟子といわれる逆に生徒の方から指導していただくという(笑)形になりますからね。ちょっと戸惑いましたけどね。
「でもその時は27歳で新弟子でよかったんですけどその次の年というかその年から智乃花さんが入れたときから何か年齢制限が下がったんですってね。
≪年齢の規定ができまして22歳・・・あいや20歳までに入らないといけなくなって。
「21歳ですかね。
≪20歳までに入らないといけない。
「だからあのぎりぎりだったんですよね。
≪そうですね。
「だって27歳で入れた方とですよ20歳ぐらいまでに入らないといけないという方ではずいぶん違いますよね。ですから年齢の高い新弟子検査をお受けになったということではこれはレコードですかね?昔はあったんでしょうかもっと
≪昔はどうですか(笑)なかったんでしょうね。私が初めて、規定がなかったので入れたというところもあるんでしょうけども
「年齢規定がなかったんですか。それはよかったですねまあ初めの志しをそこで通したということになるんですけども。まあ先生でいらして山口県立大津高校の体育の先生をしてらした。それでですからその時は先生ですから結婚もしていらしてお子さんも2歳になっていた。
≪はい
「その時にあの相撲に入ると奥様におっしゃって
≪はい
「そしたら奥さんは何とおっしゃったんですか?
≪いやあの学生時代から私女房を知っていますのでねブランクありまして結構やせていたんですよからだが。20キロほど。
「その前はすごいですよ平成元年にはアマチュアで1番大きい大会チャンピオンが集結する全日本相撲選手権大会で優勝をなさったんですよね。そういうの奥さんは全部見てらっしゃる。その時はもっとパンパンだったんですか。
≪ですけども体がしぼんで。体のことを心配してくれましたね逆に。プロの世界に入ってその体で大丈夫なのというようなことが心配だったみたいで
「奥様はあの頃大学生のときあのもそのころからお知り合いだったんですから先生になるもっと前からお知り合いだったんですから大学生のときは茹でたウインナーみたいにあの張りのある体だったじゃないって本当に大丈夫なのやっていかれるのって奥様がおっしゃったって
≪そうですねその一言でとりあえず3カ月はトレーニングをして頑張ってちょっと元に戻るかどうか確認したいということで
「先生をなさりながらですかそれは?
≪そうです。
「それでトレーニングをしてご覧になったらソーセージに戻ったんですか?
≪いいえソーセージには戻らないですけどもね(笑)ちょっと徐々に徐々にではありますか筋肉の張りもでできたというんで
「でもお相撲のときのいいお相撲をおやりになっているのを見ると奥様としてはじゃいいんじゃないという最終的には
≪まあ私もそのプロの相撲のレベルというのがとても雲の上のレベルですけどもね。本当にうちのカミさんにしてもプロがどれぐらい強いのかというのが知らないですよね。だから本当に夢として
「アマチュアとしてはもしかしたら日本で1番強かったにしてもプロとは全然どのぐらい違うのかというのがあまり
≪ただどこまでそのいけるのか夢を持っていってみようという気持ちになったんですよね
「でも大学は日大に行っていらっしゃったんだそうですけども奥様とは日大の大学生のときにお会いになったそうですけども、あの合コン(笑)今はやりの合コンでお会いになったそうなんですけども。【写真】あのこれは日大相撲部。日大相撲部は本当にたくさんのお相撲さんを出してらっしゃいますよね。輪島、横綱の輪島さんとか荒瀬さん出羽の花さん大野海さん?舞の海さん。舞の海さんもそうですよね
≪私この時3年生なんですよ。4年生のときに入学してきましたのでまだこの時はいないんですよね。
「でも下級生ではいらっしゃるですよね。
≪はい。
「トチツカサさんとかオオノ海さんとかいろんな方がいらっしゃるんですけどもその時の奥様とデートするときのいでたちが。紫色のなんですか?
≪恥ずかしいですけどもその当時はレギュラーにならないとジャージ、紫のジャージだったんですね。
「相撲部で。
≪ええ相撲部で。でレギュラーになったら支給されるんですよ。レギュラーとしてその大会にそのジャージを着て人。でまあそのそれが誇りだったんでそれを1度着てみたいというあこがれがあったんですけども実際着たらですねもうそれが一張羅みたら感じになって(笑)そればっかりを着てたっていう。お気に入りで
「奥様のデートの時もうれしくてあこがれの紫色のジャージ。それに雪駄という格好が1番よかったんで奥様はそういう方とよくデートしていらっしゃったということになるんですが。ですが本当にいいのねということでとにかく何年間は待っててくれと。結局別々に住まなくてはならないことになるんですよねお相撲をはじめになると本当にプロになっていくことになると。
≪そうですねええ。まあ入門したときには
「立浪部屋にお入りになって
≪立浪部屋に入門しましてまあひとりで、ひとりでというかみんなと一緒に生活をしていかなくてはいけないので。まあ別々に生活をしていたんですけども。
「当時2歳の子さんがいらっしゃったんですが。立浪部屋というのは旭豊関が今
≪はい師匠で
「そうですよね。もともとは立浪部屋というのはあのお相撲さんとしては大変すごい方なんですね。
≪そうですねぇ
「羽黒山
≪はい
「私横綱羽黒山って子供のときにメンコをもってましたよ私。横綱羽黒山ってすごかったんですよね。その方のお部屋にまあお入りになりましてだけどそこで離れ離れに暮らさなければならないということがそれはまあ奥様にとっては里に子供を連れて一応帰ると。
≪そうですねぇ実家の方に
「まあとにかく新弟子の検査が受かってそれでまぁとにかくやってみるということになって奥様もそれじゃ。でもあちらの奥様のご両親という方が非常にさばけた方で
≪そうですねぇ割とですねぇ気さくでまあそこまで真剣にとらえない家庭でしたんで、まあ私が夢を持って思い切って入るときにもまあ協力していただいたんですけどもね。
「そうですってね。なるべくならサポートしてあげなさいと娘におっしゃってくださるようなご両親だったそうで。だからよかったともいえますよね。
≪そうですね。
「何だってそんなにね先生でこれでずっと行けると思ったのに(笑)途中からお相撲になるのさ!っていうお家だってあったと思いますけども。でもまあそれでもっていよいよ入ることになってまあそれから大変な10代の人を兄弟子と思ってお稽古が始まるわけですよね。でもまあ夢というものはかなうものだなとつくづくやろうと思えばと思うんですけどもちょっとコマーシャルがございますでこの先はコマーシャルの後で。
≪
黒柳「それでまぁ教えてらした学校、初めは中学であとは高校教えてらしたそうですけども。もとは大津高校の体育の先生、山口県立。校長先生からいってらっしゃい、生徒からはみんな先生いってらっしゃいといわれて初土俵。初めてのその土俵にお上がりなったときはどんな気持ち
智乃花≪う~ん、3月場所で初土俵を踏んだんですけどもまあ皆さん大きかったですからもすごいところに来たなと失敗したなと後悔しましたよね。体だけみたら
「そうなんですか。でも実際やってご覧になると
≪支度部屋に入ったときもからだが大きくて
「皆さんがね。
≪ええ。ですけども入った以上はで一つ一つ階段を上るようにしてやっていくしかないので本当にもう勝たないと上がっていけない世界ですから本当にこう1番1番勝ち星を積み上げていくしかないなと実感じましたね
「ただその時に舞の海さんがあの大学では後輩の舞の海さんが活躍なさっていてああいう体が小さくても、それから若乃花さんもどちらかというと体があまり大きくなかったですよね横綱におなりになったんですけども。そういうことで
≪目標にする力士でしたよね
「そういう方たちがね。さて初土俵の日が終わってお家に電話をかけになりました。赤電話からそしたら奥様の声が
≪そうですねぇ私も勝ち越してほっとしてなんとか勝ち越せたようと連絡をしたんですけどもでちょうどあの私が入門するときに子供が具合いが悪かったんですよね。で病院にちょこちょこ通っていたんですけどもに詳しくは分からなくてちょっと引っ越しとかもいろいろ重なりまして子供が体調を、肺炎だったということで
「そこのところ最近なんですけども奥様がちょっと婦人公論という雑誌に今だから話せるということで書いてらっしゃるんですね。ですからそこをちょっと後でびっくりなさったと思うんですけどもちょっとご紹介してよろしいでしょうか奥様ごめん遊ばせ。”引っ越し準備や連日の取材攻勢が続き私の不注意で息子の風邪をこじらせてしまったんです。生活がいきなり1度にへ180度変わってしまって自分自身も毎日何をしているのか分からない状態でした。息子の熱は1週間も下がらず大きな病院で紹介されたものの教師を辞めたばかりで保険証がなかった。場所中の主人にこちらから連絡を取れない、向こうから電話がきても初めての土俵だから相撲に専念させてあげたい。心配をかけちゃいけないでも保険証を一刻も早く用意してもらいたい。どう切りだそうとなかなか本当のこと話せなかった。息子はとうとう肺炎で入院をすることになってしまいました。今まですべてのことを主人に相談して2人で解決してきたのにそれができなくなってしまった。一気に自分の肩にズシンと重いものがのしかかってきたような気がしました”とこんなふうに書いてらっしゃるんですけどもびっくりなさいましたでしょうその時は後でお聞きになったときは肺炎にまでなっていたというのは
≪そうですね最初は言わなかったんですよ。保険証をとにかくちょうどあの先生のときの保険証は返しましたからで入門したときに協会の保険証があるんですけどもまだ手続き上遅れていましたのでね。ちょうど重ならなかったですよね。
「その奥様も保険証、保険証とおっしゃるのは月給がですねお相撲になった時に60,000円になっちゃったんですって。これはちょっとね思ってもみないぐらいに少しになっちゃうんですね。
≪ただやっぱり保険証保険証というからなんでそれだけにこだわるのかなと思って。まあついつい言葉が詰まって泣き出したものですからね電話の向こうで。で実はコウコウでということで私も何をしているのかなと思いましたよ。自分も落ち込みましたしね
「まあそれがバネになってやらなければと。へんでもまあとにかくお子さまは肺炎はうまく乗り越えて?
≪そうですね。
「それはよかったですね。とてもお元気で。【写真】これは何のときのお写真ですかかわいいの
≪これはちょうど私がアマチュアの全日本選手権をとって、とった年の記念写真で一緒に子供と一緒に撮ったんですけども。ちょうど生まれたときですね。
「ねぇ赤ちゃん、ウンと赤ちゃんですよね。でも子供が赤ちゃんなのに何かうれしいということが分かるんですかね(赤ん坊の顔が笑っている)。うれしくしていますよね。なんか本当に笑っているような感じで。このお子さんもずいぶん大きくおなりですよね。
≪はい。今は全然かわいくないですけどもね(笑)
「今はかわいくない(笑)いくつぐらいおなりになったんですか?
≪もう13歳になりました。
「もう中学生。あっという間ですね。そうなんですか。じゃいろんなアマチュア時代にはいい成績をたくさんとっていらっしゃったんですね。(写真)少し大きくなったころのお坊ちゃんですけども、まあアマチュアとしては本当にナンバーワンというところまでいらっしゃったんですけどもとにかく先生をやることになったんですけども目標がないと。そしたらなんか叔父様という方がすごくお相撲がお好きだったんですって
≪はいアマチュア相撲ではおじさんがやられていたんですよね。
「おじさんもアマチュア相撲
≪そうですで大学まで
「ちょっとお相撲が好きだったけども野球をやったりなんかしてらしたんですけども何かお父様がいらっしゃらなくなって
≪そうなんですよね。家庭の事情がありましてね離れ離れになったんですよ。まあそこでおじさんの所に一緒に居候
「めんどうをみてをもらいになるようになったらおじさんがお相撲がお好きだった。
≪それまで知らなかったんですよお相撲やってるってね。
「そこでまた相撲をやりたいというふうに。
≪無理矢理というか
「そうか初めはそんなではなかったんですか。
≪私も小さかった、子供とき小さかったですけどもね
「からだが
≪おじさんが相撲をやっているということでお前もちょっと体を作るために相撲をやれというような感じで
「その時におじさんが相撲を進めてくれなかったらお父様のこともあったしお母様と離れて暮らすとかいろんなことがあってもしかしたら悪い道に行ったかもしれない
≪今の自分はなかったですね。
「そう
≪それほどやっぱり今まで相撲に対してもね
「じゃあもしかしたら違う道のうーんと悪いというか(笑)不良少年のようになったかもしれないだけどもそこで叔父様がとにかくそれのためにもとにかく相撲やれ相撲やれということで負けて悔しいということで結局高校も相撲部にお入りになるというふうにだんだんになっていって、だけどそこであれですよね先生になったからといって、先生になるときね相撲の方にはいかないで先生におなりになったというのはやはりお体のことでしょうかね大きくないという
≪まあそれもひとつありましたけどもやはりその大学の4年間でもう燃焼しましたね。
「日大に入って、日大の相撲部でですねさっきも申し上げましたように日大はたくさんのお相撲さんを出してらっしゃるんですけども。そこの相撲部でですね全日本学生相撲選手権5連覇というのを達成したその、その5連覇を達成した時にいらっしゃってこれはすごいことなんですってね。
≪そうですね。もう本当に
「(写真)真ん中にいらっしゃるのが今日のお客様ですけども
≪日大は常にこう優勝しないといけないという、まあ強い大学ですけどもそこで必ず優勝しないといけないという立場にあるんですよ。
「その時しかもキャプテン、主将。主将をやってらしたそうです
≪4年のときに主将を任されて戦後初の5連覇というのでずいぶん悩みましたね。私も今年で38になるんですけども、この時ほど真剣に悩んでも負けたらどうしよう死ぬしかないなというぐらいに悩んだことなかったですね。
「だからあの時あんなにうれしそうにしてらっしゃるんですか。ちょっと写真をもう1度。あの写真がとてもうれしそうなんです。やっぱりさっきの前の写真と比べるとやっぱりうれしい。
≪嬉しかったですね。これが1番今まででも1番。このときほどうれしいことはなかったですね。
「すいません。左の人は腕をつっているんですけどもけがをしたんですか?
≪そうですねぇこの大会でちょうどけがをして
「お気の毒でしたね。この方は今お相撲をやってらっしゃるんですか?
≪今高校の先生で相撲部の監督も
「あ!そう今日見てらしたらね生徒さんがこの先生と先生はお友達だったんですよ。
≪まあ副キャプテンだったんですけどもね
「え?
≪彼が副キャプテン。
「そうなんですか。懐かしい写真ですよね。そういうのって
≪
黒柳「で奥様と子供さんと一緒に住めるようになったのはどれぐらいたってから?
智乃花≪えっと11月に新十両になりましても12月にすぐに
「じゃ割とすぐに。じゃよかったですね。お相撲を取りになった中の成績の中で1番いいのはどれかなと私は思ったんですけどもちょっと取り直しはあったんですけども横綱曙さんの1戦がすごかったですよね。
≪まあ記憶にありますね。
「やっぱりあの方は大きいですか?
≪大きかったですね。
「だいたい2メートルぐらいおありですからね。
≪そうですね。私のちょうど目線がちょうどこのミゾのあたりに
「みぞおちのあたりに。岩のようですよね。
≪そうですねぇとにかくあの手も長かったですし。すごい方でしたね。
「でもその時はとり直しがあったんですけどもしかしてあなたが勝ったかもしれないといういうふうに思った人もずいぶん
≪まあ取り直しで負けましたからね(笑)
「まあ取り直しで負けるということはあると思うんですけども倒れこんだときに同体というね同じということなんですかね。だから見ていた人は勝ったんだ曙を、倒したんだって思った方もいらっしゃったようでしたけどもまあそれはやっぱり覚えてらっしゃる
≪覚えていますね。まあ横綱が1人でしたんでひとりで結びの1番というので記憶にありますね。
「でもまあそれにしてもケガが多くて右ひじ剥離骨折、足のじん帯断裂、頚椎も悪くなり腰もずっと悪くなり背筋股関節足首も全部悪くなりという感じで(笑)万全という体制でお出になったときはあまりなかったんですね。
≪あんまりないですね。もう場所ごとにだいたい1カ月半2カ月あるんですけども、15日間場所がありますんでねだいたいそれを1カ月半ぐらいで治療しながら直していかなければいけないで本当に直す時間がなかったですね。
黒柳「いずれにしましても平成での相撲ブームを引っ張ってらしたお一人であることは間違いありません。先生からお相撲さんになったということで先生、先生という声がも本当にああやって響いたんですから。何かそういうことをご本にお書きになったんですって?
智乃花≪そうです。”不屈”という本をですねまあこれは自己満足なんですけどもね(笑)まあひとつの節目としてですね何かちょっと本に1冊の本にまとめたいなと思いまして
「やっぱりやりたい夢が現実のものとなりそしてたくさんの人々に勇気を与えたということでは本当に智乃花さんがなさったことは素晴らしいと思います。ちょっとあの今のお仕事うかがはなかったんですけども今親方でいらして
≪はい、立浪部屋の部屋付き親方として準親方としてですね
「若い人たちを。奥様はどうですか今はほっとしていらっしゃいます?人にん
≪何かとやっぱりバタバタと
「それまたは親方の奥さんですからね。やっぱりそれはそれでお忙しい。
≪何かしらで用事があるみたいですね。
「それにしてもご自分の夢だったお相撲さんに本当に土俵に上がったときのやっぱり喜びは?
≪そうですねまあこれからまた何かその夢を持って頑張っていきたいと思いますけどね。
「そうですね。生徒さんたちも皆そう思ってらっしゃると思いますけども。やっぱりであの先生先生という声が今も忘れられません。ありがとうございました(拍手)
≪いいえいいえ(笑顔)