2002年12月11日
黒柳「元ピンクレディーの増田恵子さんです。ケイちゃん。どうも本当おめでとうございました。今度ご結婚なさってホヤホヤ
増田≪そうですねぇもうすぐ半年。
「6月に
≪23日
「6月23日にご結婚なさいました。とてもお会いになったのはずっと昔だそうですけども、そのご主人になった方とは。音響会社の社長さんになってらっしゃる桑木トモジさんという方と。
≪はい。
「すてきな結婚式でねご結婚式の衣装が真っ白ではなかったのね。
≪あの年齢も年齢だということで真っ白もやめて普通はあのちょっとシャンパンがかったベージュなんですけども私がピンクが好きだということでシャンパンピンクみたいな感じで。
「そうなんですか。それでなの。私ピンクレディーだから。だから本当にシロとしか見えないんですけども薄い
≪ピンク。大人のピンクみたいな感じで。それにこうフランスレースというんですかねレースがベージュぽいレースがかかって
「またご主人がとてもハンサムな方で
≪恥ずかしい(笑)
「あので素晴らしい結婚式だったそうですよ。でこのお洋服は何あなたがお考えになったの?
≪私のスタイリストやってくださっている方がデザインして
「本当に心温まる結婚式。【写真】あらこんなに、下はこんなになっているんですか。(ウエディングドレスの裾が長い)
≪そうです。かなり長かったんです。何かこうベールをかぶるのが凄く恥ずかしくてあの仮縫いの時からベールはイヤだと言っていたんですけどもちょっとの時間だったので。
「そうなの。でもこれがあるからちょっとねぇ普通のイブニングとはちょっと違う。
≪そうですね。
「でもご主人も随分リラックスした感じで。写ってらっしゃいますよね。
≪でも緊張していましたよ。結構。
「そうなの。普通のあの今は音響会社の社長さんとご紹介したんですけども実は初めてお会いになったころはあのテレビ局の音声?
≪そうです。あのフリーでやっていて。
「まあテレビの仕事やなんかの音声をやってらっしゃったんですよ皆さん。音声さん。日本中の音声さん頑張りますよ(笑)あのねぇ音声さんってちょっとすいませんこのマイクを胸につけてくださいとかあの人によってはいいですかといってきて線を後ろに回しますねとかマイクロホンを出したいとかああいうお仕事ですよね。
≪そうですね。ちょうどあの番組で地方だったんですけども旅で一緒に行っていて。その時に18年前ですね。
「ねぇ18年前というとやっぱり解散をなさって
≪2年ぐらいしてからですね。
「そうでしょう。だからそのときに気があったからといって結婚してくださいと。あのピンクレディ、今だってすごいと思うんですけどもあの時のピンクレディーのあなたと(笑)てそんなことになるんだってもう男の人にとってはちょっと考えられなかったことでしょうね。
≪ただその旅の番組が初めてマネージャさんがいかないでついてくれている女の子と2人だったんですね。それでスタッフがみんな男の人でしょう。だからすごく心強くてみんなと仲良くなったんです。でそのワイヤレスというですか、それをつけるのが私は初めてだったので慣れてなかったのもありましてで音が入っているのを気付かずに
「あれでここにマイクロホンって付けますよね。それで線があってここに電池みたいなものがあってお尻のところに背負ったりしているんですけどもそれが向こうの方では聞こえている。私も時々忘れちゃうんですけども。
≪切ったりするのも忘れていたので入っているのも知らないでそれでついている女の子とポテ子ちゃんという女の子なんですけども「ポテ子ちゃんあの音声さんすてきね」と言っていたんです
「あなたがそれをおっしゃっていたの
≪それを全部聞かれていて。その時琵琶湖で寒くて3月だったんですけども赤いダウンを着ていて赤いキャップをかぶっていたんですね。それですごくすてきだったんですね。で何日かしているうちにちょっと暖かい日があってその時にちょっとキャップをとったらまあ28-9歳ぐらいだったんです。その時にちょっとここが(こめかみ)ちょっと後ろに行っていたので(笑)でポテ子ちゃんに「ヤダはげているね」とか言っていたんですね。ただのハゲとかいちゃってたんですよ。
「それも入っていたの?
≪それも全部聞こえていて
「うつそれを全部聞いているとは限らないんだけどもやっぱりあなたがおっしゃっていることを聞きたいと思ったのかもしれない
≪いやそんなこともないと思うんですが。たまたま聞こえていて。それで最後の日に打ち上げがあってその時に彼が後ろを通りながら「けいちゃんはげでごめんね」と言われて(観客笑)えー全部聞こえていたのって。
「びっくりしたわね。
≪まあそれからすごく打ち解けてで東京に帰ってきて音を入れたりとかあとスタッフの人と
「そうですね向こうで取ってきたものに後で新たに音を入れたりするとかまたお会いする。じゃあまたという感じで。
≪でみんなでなんとかご飯を食べているうちに1人減り、1人減りで最後に私と彼とご飯を食べに行くようになったという感じなんですけども。
「それであちらのお母様やなんかにはわりと早くにお会いになって。
≪もお付き合いしてすぐのころに彼の家に連れて行っていただいて彼の家族にあったんですね。そしたら彼のお母様がケイちゃんってどういう字を書くの?って本名はどういう時?と聞かれて私は背景の景なんですと言ったらお母様が実は彼の上にお姉ちゃまがいたんですけども生まれてすぐに亡くなった子に景子という名前をつけて私と全く同じ
「あなたの本名と同じだったの。
≪でお母様もすごく感激して娘が帰ってきたみたいといって初めてお会いしたときも手を握って抱きしめられてそれからのずっとお付き合いで。
「それであちらのお兄様もなんとか妹になってほしいと(笑)
≪何かずっと18年間、彼とは1年ちょっと付き合いをしてその当時はあまりにも優しいだけでは物足りなくて別れちゃったんですね。
「いいですかそんなことおっしゃって。
≪いいです。それでまあ半年ぐらいたってから彼が酔っ払って電話をしてくれるようになってそれからはご飯を食べに行ったりとかお互いの悩みを相談したりとかしているうちに本当に昔は付き合っていた彼だけども何かこう親友みたいな感じで10何年ずっと続いたですね。
「すごい。でもあなた物足りないとおっしゃるけどもやっぱり彼もすごく若かったでしょ28、9でしかもあのピンクレディーのケイちゃんをですよ。それはやっぱりご自分が音声さんだったわけでしょうまあもちろん音声さんだって暮らしてはいけると思いますけども。あのケイちゃんにいくら仲がいいとはいっても結婚してくださいとはあなたの方にしてみればいいなと思っておっしゃってくだされば結婚してもよかった感じはあったんですか?あなたは。
≪いいえ私はもう当分結婚をしなくてもいいなというか、あまり結婚願望はなかったんですねその時には。
「だからそういうことがお分かりになったのもあっただろうし、またフリーになって2年目のあのピンクレディー、あの時のピンクレディーの人気はただならないものでしたから
≪当時は自分ではわからなかったんですけども解散して何年もたっていけばいくほどはすごかったんだなというのはわかりましたけども。
「それがすごかったですからね。それからするとあの方にすると、あのかたって存じ上げてないけどもご主人に桑木さん、そんなちょっと切り出せる男の人としてはなかなか切り出せるものじゃない。今だってあれでしょうご結婚なさったってあのピンクレディーのっておっしゃるでしょうご主人に。
≪ああそうかもしれないです。でも彼はあの彼とは18年もずっと一緒にいるので彼の中では私がこういうお仕事をしているということは薄らいでいるみたいなんですね。
「そうなの。
≪で結婚してみたら改めてケイはピンクレディーのケイちゃんだったんだなということを改めて感じるよとは言っていますけども。でもね付き合いをして別れて何年かしてから彼のお母様が何でケイちゃんはうちのトモのところにお嫁に来てくれないのって言われていやでも頼りないんだもん、恋いしているという感じがないんだもんと言っていたんですね。そしたらお母様が今は若いからそうだけどもキットでトモの良さはあなたがもっと大人になったらわかるわよと言われたことがすごくどっかにいつもあったんですね。
「でお母さんはアレなんですね今度のこの6月にあなたが結婚なさったときにお亡くなりになったんですよね。
≪ええ彼のお母様は7年ぐらい前にもうなくなっています。
「ああそうだけどもしかして将来と思っていらっしゃることもあったでしょうね。
≪そうですねあの彼のところに電話をするとお母様が出て30分ぐらいお話しをしてごめんなさいまだトモは帰ってないのよと言って。だからお母様も私の電話を楽しみにしてくれていたみたいで。
「あらそうなの。だからいいお友達だから将来そういうふうになると。でもただお母様が生きていらしたらね娘と同じ名前のケイちゃんだったからどんなにお喜びだったかと思いますけども。
≪何かねちょうど私が生まれるちょうど10年前に亡くなったんですね。ちょうど9月の何日かで私の誕生日とはそんなに変わらない。
「そうするとお母様としては本当に生まれ変わりみたいな感じがしたのかしらねぇ。きっと。で結婚なさってみていかがですか?
≪そうですねあのがある程度の年齢を過ぎてからの結構なので結婚願望もなかったですしなにかバラ色という感じもなかったんですけども、あのお付き合いをしている時よりは本当に結婚してよかったなというふうに思いますね。
「そうですってね。こんなに結婚っていいものだとは思わないというぐらいい
≪何か言葉ではなかなか言えないですけども。なんていうんでしょうかいとおしくてどんどん愛情がわいてきてしまうがという感じですねぇ。
「あら~いいじゃありませんか。ひとつのおのろけというのかもしれませんが
≪すいません(笑)
「私知らないだけども(笑)本当にこんなにねぇそれで魂がひとつになったような感じがあるって
≪そういう感じがします。何か元々初めて会ったときから何かこう同じにおいのする人だったんですね。自分の家族と。なのであまり他人という感じがなくてまた彼もすごく男男した感じではないです。見かけは。とてもやさしくて。なのであの近い感じはあったんですけどもでも結婚してみて本当に手を触れても他の物体にさわっている感じはなくて何か自分の分身というか魂がひとつという感じがしますね。
「じゃ昔は若いときは物足りないという感じがあったかもしれないだけども本当はやさしくて本当に一緒にいらっしゃると気が安まって、本当にまあお大変でしたからねいろんなことがたくさんあって嵐のようなピンクレディーの時代が約5年弱。でしたかね。まあ皆が思っているよりは短かったんですよね。みなさんが思ってらっしゃるよりは。
≪そうですねあのもう4年7カ月ですけども自分としては解散してからの時間とピンクレディーをやっていた時間がやっと同じくらいになったかなと
「そうでしょう。
≪はい
「でも本当は解散をなさってから20年以上
≪22年ぐらい。
「そうなんですよね22年。解散してから22年。わーすごい。
≪21年かな。
「すごいですよね。前にも申し上げたと思いますけどもピンクレディーの人気がどんなにすごいってとにかくすごかったんですけどもあなた方本当にご存じなかったんでしょうけどもグッズというのがすごくて私の姪なんかこんな箱に全部ピンクレディーの消しゴムを持って全部ピンクレディーのいろんな消しゴムですよ。どうするのそれ?と言ったらお嫁に行くときに持っていくのとか言っていたんですけども。そんなぐらい一人ひとりの顔がみんなそう言う風にやってみんながあなたたちをまねしてね。あのたちがやるように全部まねしてそしてベストテンにももちろん毎週毎週出ていただいていたし、本当に寝る時間もなくて前にも何度もお話ししたけどもベストテンに行ったのは覚えているけども私と久米さんにあったのは覚えてらっしゃるないという感じでしたものね。
≪よく覚えてないというか。
「そうそう。でも最近わかったんですよ人間は寝ていないと記憶が定着しないですって。
≪ああそうなんですか。
「睡眠っていうものはもちろん体を休ませるとか必要なことがあるんですけども記憶が定着しないです。だからほとんど寝てない状態で次から次へ仕事をやっていると前のことがちゃんと定着しないうちに次に行っちゃうから
≪なんかで自分がお仕事する歌って踊ることには本当に神経百%行くんですけどもそれ以外の景色とかあった人とかということが頭の中に入っていない感じがするんですね。
「だからインタビューにはちゃんと答えてくださっていたんですけどももその次に行って車の中で着替えるとかねそういうふうな状態だからもう定着しなかったんだと思います。だから久米さんがね大変大変て。ピンクレディーは僕たちに会ったことを覚えてないらしいですよって。つまり忙しいということはそういうことを言うんだねってあんな4年7カ月の間しょっちゅうしょっちゅうをお会いしていてもあまりに忙しさにねもちろん後半の方は覚えてらっしゃるかもしれないけども本当に夢のように過ぎていくというじゃありませんか。
≪でも夢のようではなかったですね。とても現実的でやってもやっても仕事が終わらないいう。
「そういった意味ではねぇ。何歳から始めた。若かったのね。
≪18歳で初めて23歳で解散しました。
「でその後お2人で組んでまた紅白にお出になったりしたんですけども。あのとにかくすごいピンクレディーですからご主人もそのやっぱりピンクレディーのケイちゃんだってね奥さんがねぇって言われちゃうのは
≪そうですねあまり本人はそういうことは言わないですけどもまあそうですね。
「やっぱり今でもカラオケに行けばピンクレディを歌っている人がいるじゃありませんか。みんなでねぇ。そういうことがあるんですからね。でもお幸せでで本当によかったですよね。
≪何かとってもあの彼は本当にあの魂の位の高い人という感じがしても一緒にいると自分の気持ちが洗われるような感じなんですね。はい。
「ずいぶんお幸せね。
≪そうですかね。
「じゃ彼もきっとこの18年間の間にどうなるかわからなくてもやっぱりそういった意味ではいつもちゃんとしようというお気持ちがおありだったでしょうね。ちゃんとしようというのは変ですけども。やっぱりその魂のことを考えてらっしゃる方だったでしょう。今は音響会社の社長さんでいらっしゃるんですけども全国の音声さん何があるか分かりませんよ本当にマイクをつけたらちゃんと聞いていてね、ちゃんとそれにブーブーいったりしないでふざけてちょっとでそんな風に。あなたがたまたまそこであのポテトちゃんじゃなくて
≪ポテ子
「ポテ子ちゃんにあの人すてきでとかね
≪はげているとかただのハゲじゃない。
「そういうのが聞こえているということが私たちすぐに忘れてねも本当にそれをいちいち聞いてらっしゃるとは思えないんですけども何かの時には聞こえちゃうんだっていうこと私たちは心いたしましょう。ちょっとコマーシャルです今日はいろんなお話しです。
≪
黒柳「今はもうお幸せだからいいしもう過ぎたことなんだけどもあの未唯ちゃんとピンクレディーの結成、再結成といいますか紅白でお歌いになったじゃない。
増田≪えっとついこないだですか?
「うーんそのもう少し前かしらお母様が
≪それはついこの間ですね。
「ついこの間のとき。
≪えっと去年おととし。
「実はあの時あなたの身の内にはほんとうはあまりおっしゃってはないようですけども大変なことが起こっていたんですってねぇ。
≪そうなんですちょうど紅白に出る1カ月ほど前に私の母、育ててくれた母。が突然倒れまして結局動脈硬化からくる足の壊死で駆けつけたときにはここまで(腰まで)お茄子みたいに真っ黒になってしまって何か自分が倒れて多分1日ぐらいそのままいたらしくちょうどその年の12月とっても寒くて、寒さと水分不足とまあ栄養不足で結局血のめぐりが悪くてここまで黒くなってしまっていたんですね。でまぁ最悪ここから切らなくてはいけない(腰から)と。とにかく切る場所もわからないので約1カ月ぐらい血管に液を入れてそれで本当に死んでいる場所とまだ大丈夫だろうという場所がはっきりとわかるのでその1カ月間ちょっと見させてくださいと。でもまぁ最悪ここから切りますよという話だったんですね。それが12月の頭ぐらいでした。ちょうど私は12月というと地方のコンサートがありますし紅白のいろんなリハーサルもありましたので、できるだけ静岡の方には帰るようにはしていたんですがなかなかでも泊まっていくということができなくてその間にとにかく私の兄弟姉と兄と特に兄のお嫁さんのお姉さんが私の代わりになって自分の働いている所の隣の大きな病院に入れてくれてそこに毎日通ってお洗濯物をやってくれたりとかもちろん私の母も育ての母の妹になりますけども
「生んでくださったお母様ね。
≪母もあと私の静岡の中学のころからの友達がヘルパーさんをやっていたり銀行にいたりとかでいろんなお仕事をしているのでとにかくケイは仕事をしてと。でこちらはちゃんとみんなでやるからということで本当にみんなで助けてくれたんですけども。でも結局1カ月で切る場所が甲のちょっとしたぐらいですか、でも指を全部切ってしまったんですね。ただその1カ月間とにかく最悪ここからなくなってしまうということが(腰)私の中では本当にとてもつらくて何かしていても5秒ごとに母の足がなくなった姿が思い浮かぶとも本当にどうしようもない状況になってしまってそれを聞いて帰ってくるときには新幹線の中で声を上げて泣いてしまいそうだったのでタオルを口にくわえて我慢して。でこんな思いで静岡から東京の新幹線に乗ったのは生まれて初めてだったと思いながら。でタクシーに乗って家までというんですけどもなかなか声にならなくて運転手さんがどちらまでですか?と言ってでやっと自分の行きたい場所を言ってでもも泣いて泣いて声が出てしまって運転手さんも気を使って下さってラジオすごく大きくしてくれて私はずっと泣いて帰ってきたんですけども。
「大変でしたねですから回りの方もあれでしょう紅白で本当に歌えるのかどうかということで心配だったぐらいですってね。でもご覧になった方はお分かりだと思うけども全然そんなことを感じさせないようにあの時は歌ってらしたんですけどもね。
≪何かやはり母に対しての今までの気持ちとそれから今私がこうしてお仕事できるのもファンの方のおかげだし回りの方のおかげだしという気持ち、ありがとうと気持ちを込めて一生懸命歌おうと思いまして。でもマイクをいたらガタガタとなってしまって。
黒柳「まあそういうつらいことがあってもニコニコしてお歌いになったんですけどもそのお母様はその後
増田≪半年して5月13日母の日になくなってしまいました
「去年の。
≪ちょうど1週間前に来週母の日だからカーネーションを持ってくるねといってその日とっても元気だったんですけどもお医者さまがこれはちょっと変だといってやはり母がなくなる前にちょっと元気になって。で母の日に亡くなりました
「でその育ててくださったと言ったら変なんですけどもまぁあの本当に生んでくださったお母様のお姉様夫婦なのね。
≪そうです。
「その育ててくださったお父様はあなたが小さいときに
≪中学の時に
「もお亡くなりになってらした。だからあなたのデビューはご存じない。でそのよくデビューとかしていろんな大変な時にあなたの支えになってくださった育ててくださったお母様がお亡くなりになってでそのときに皆さんが看病してくださったんですけどもあなたはそれまで生まれてくるのも1人死ぬ時も1人だと思っていたんだけどもやっぱりそうではないんだって。
≪どっかで心を決めて1人というふうに思っていたんですがやはり私は本当に1人ではなかったんだ。本当につらい母が足がなくなるかもしれないという状況なのにすごくつらい状況なのにとても幸せ感を味わっていた何かすごく不思議な半年間でした。
「そうですか。
≪はい。
「まぁお母様残念ですけどもお亡くなりになったんですけどもあなたを生んでくださったお母様はお元気で?
≪元気です。
「ですよね。
≪ですが母も同じような年ですので自分のお姉さんの死をやはり目をそむけるというかあまり見たくなかったんだと思うんですが、そのときに本当のいろいろな母の姿を見ていろいろ私も思うところがありまして何か1度に本当の母と育ててくれた母を亡くしたような寂しさを
「そうですか82でいらっしゃったんですねお母様がね。ですからあなたのご主人のあなたをとってもかわいがってくださった本当の娘のように思ってくださったお母様も亡くしたし、でも生んでくださったお母様がね
≪元気で。
「その生んでくださったお父様がやっぱりお小さいときに
≪私が2歳半の時に交通事故で亡くなったのであの末っ子の私が養女に行ったという
「そうなので。今までその話はあまりうかがっていなかったのでまあきっとお母様がいい方だったのであなた元気にのびのびとお育ちになったんだと思うんですけども
≪そうですね。でもその母がなくなるちょっと前でしたかは静岡の駅にいたら彼から電話がありまして「どこにいるの?」っていま駅だけどもって。「東京駅まで迎えに行こうか?何時につくの」といわれて私は今まで男の人にそういうふうに甘えたことがなくては大丈夫大丈夫1人で帰れるからといっていたんですけどもその時は本当にうれしくてええ迎えに来てくれる
「桑木さん。ご主人になった方が
≪で駐車場にこう立っていてくれて私の姿を見たらふっと背中を向けて前を歩いていったんですね。その姿を見て何かが私の中でその時変わったというか。
「そうね
≪はい。
黒柳「まあ18年前にお会いになった音声さんと結婚なさったんだけどもそこで何か本当に結婚に行く今ね、お母様のことですごく悲しい時に迎えに行ってあげようかという電話が偶然入って東京駅に彼が来ていてくれて先に歩いていく姿を見たときに何かがちょっとあったって
増田≪何か変わった自分の心の中
「それであちらのお兄様がどうするんだよということで(笑)集まって
≪そうですね食事をしようということでご飯を食べていたら突然彼のお姉ちゃまがお前たちどうするんだというんで彼が来年ぐらい結婚しようかと思っているんだと私も知らなかったことを言われてそうなのと思っているうちに彼のお姉ちゃまが来年なんだと。今しろすぐにしろ。そんなこと言っても準備があるしまあそしたら彼のお姉ちゃまが自分の誕生日の前に8月10日前にしてほしいと。6月は幸せになる。6月の大安を見てみよう。6月23日が大安だった。カレンダーがちょうど後ろにあってじゃ23日が決まりだ。彼もえ!と言っているうちに俺をケイの亡くなったお父さんだと思ってしっかりちゃんと正座して言えとか言ってそしたら「あ!今日私のお父さんの命日だ」
「あなたの
≪はいみんなでびっくりして。これはこれは祝いだ祝いだということで(笑)それで決まっちゃたんです
「ああそう。じゃあ彼は来年でもと口にしたときに初めてあなたがそんな気だったんだ。
≪そうなんです
「でもそのときにうれしいという感じはありましたか
≪はい嬉しかったです。
「じゃもあなたの気持ちも決まっていたということですけども。それにしてもお兄様のそういうあと一押しがなければ
≪ひと押しもすごいですね。もう足でけり倒されたという感じで
「お兄様には?
≪はい。
「お兄様はやっぱりあなたのこと妹さんにしたかったでしょうね。でもまあ魂が1つになったようなご家庭だそうで本当にうらやましい。おめでとうございました皆さんよかったですね(拍手)