本日の徹子の部屋ゲストは井筒和幸さん

2002年12月13日

黒柳「映画監督でいらっしゃいますよくいらしてくださいました。それでも本当に”のど自慢”ですとか”岸和田愚連隊””ガキ帝国”というような映画を撮ってらっしゃるんですがこのごろなんだかとてもテレビにしょっちゅうお出になってらっしゃって、さっきも申し上げたんですけどもカラスが泣かない日はあっても井筒監督がテレビにお出にならない日はないんじゃないかと言ってたんですけども奈良のご出身。

井筒≪はい。そうなんです。

「いろんなことをなんですかね映画についてお話ししてらっしゃるのをテレビで拝見していると歯に衣を着せぬと言いますかないと本当のことをどんどんおっしゃったりするんですが。

≪僕はでも評論家やないですから、あのなんか1番目の客みたいなことをねこう普通にいっているつもりなんですけどもね。評論家さんと言うのは評論家さんでいらっしゃるじゃないですか。そういう人とは僕は違うしまぁメーカーでもあることはあるんだけどもまあ専門的なことは言ってもわからないし

「まぁメーカーというのは映画監督でいらっしゃるので映画を作ってらっしゃるということでもあるんですけども。でもそれにしても最近その映画を作ってらっしゃるにしてもテレビにしょっちゅういろんなものにお出になってらっしゃますよね。急激にお出になったのには訳が何かあるんですか?

≪わけはないですけどもね(笑)何かテレビの人たちが僕を引っ張り出すと何かおかしなこと言うんじゃないかなとか思ってはるんじゃありませんかね。僕自身は何の意識もないですね。

「特にこのテレビにでて何かしてやるぞ見たいのことは全然

≪全然ないですね。

「お嬢様がいらっしゃって。とってもかわいいお嬢様。11歳

≪11歳ですね。

「11歳のお嬢様が

≪5年生です

「そのお嬢様があれですかこれだけお父様がテレビにお出になると何か感想(写真)まぁ可愛いのこれお父様とお嬢さん。

≪恥ずかしい(笑)写真やな

「やっぱりこれお父さんじゃないとこういう格好はちょっとねくわえたばこで。でもやっぱり11歳というとこんなに体が大きい

≪そうなんですよ。大きくてねクラスでも1番大きいですよ。これ去年の写真なんですよ。

「お父様あれですね手をつないでいないといられないというようなかわいがりよう。

≪最愛の女ですから。

「そんな感じよね。ちょうどね。本当にいい案配のお背えもなんとなく全体もなんとなくねかわいい。でもそのお嬢様はアレですかテレビをご覧になってなんとかって感想おっしゃったりする

≪あまり言わないですけどねでもパパねあんなきついことをあんまり言わないででとかねあるいいわねすごいおかしかったとか端的にはいいますけども。

「まぁとりたてて

≪とりたてて恥ずかしいからやめてとか私が学校へ行ったらいろいろ言われるのいやだとかそういうことは全然言わないですね。

「じゃあ逆に私の好きな誰かと一緒に出てとかそうなのはないですか?

≪そんなのはしょうちゅういってますよ。だって去年なんかモーニング娘と出るんだったらすぐにもらってきてとかサインをもらってきてとか。

「そういうことはあるでしょうね。

≪しょっちゅう言ってますよ。

「そういうことはあったりするんですけども。お出になるのはテレビ面白いですか?

≪そうですねぇまぁ似たような業界ですからね僕も昔はでも黒柳さんなんかご存じだと思いますけども山本ガジロウ先生が最初にお出になっていたじゃありませんか。

「そうそう話の泉とか何かそういう私の秘密ですかねああいうものでしょうかね。

≪今の人山本ガジロウさんと言ってもわからないけども黒沢明さんのお師匠さんといいますか。

「映画監督でねいい映画をたくさん。

≪大監督ですね。

「とても知的な方で。

≪だから映画監督いうものはテレビに出てですね何か面白いこといろいろいうのが昔からのことだと僕は普通に思っているんですけどもね。

「なるほどねそれとってもウイットのある方で山本ガジロウさんて。それでいろんなことに対して博学でいらしたのでクイズ番組なんかにでそういうふうにして出てらしたということがあったんだと。

≪ああいうものは僕も小さいころから見てましたのでだから僕が映画監督でもテレビに出て何かバカなこともやれば、今のその政治がどうやとかコメントを言うのは表現者の1人やし昔から諸先輩がそれこそ大島監督をはじめ

「そうですね大島渚さんもずいぶん出てらっしゃいますものね。

≪まあ普通に思いますけどね。

「この井筒というお名前なんですけども筒井さんという方は比較的いらっしゃるんですけども井筒というのは私が知っているのは井筒部屋ですとかお相撲の。寺尾さんのいらっしゃるところですよね。井筒という名前には訳があるんですって?。遠くはっせば

≪はっせば。あの戦国時代ぐらいになるでしょうかね家の奈良の実家の庭の中に井戸があるんですよ。そこがねそういう昔から伊勢物語でいう”筒井筒ゆずつにかけし”というあの。また井戸があるところ筒井筒というふうに言います。その井戸が当時の戦国大名たちがよくそこでお茶会をしたと。

「良い水が出た。

≪まあそうなんでしょうね。そこでお茶会をしてそしていまだにあるんですよここに井戸があったんだと今は埋まっていてもう今は何もないんですけども

「井戸は何もないんですか。

≪お正月になるとでしめ飾りをしたりでその横には昔の鉄条網のつもりなのかなあのサイカチというカチの木が。難しい字なんですけどもね僕も

「とげとげがある

≪トゲトゲがあるそうそうそう。あれをこう植わっているんですよね。

「柊みたいな感じなんですかね。

≪そうなんですよ。結局井戸の回りだから子供が近づくと危ないからみたいな。

「まあそういうことで。

≪だから昔からねそういうところが僕の家の家の庭にあるんでそれで屋号がついた。

「そこのところを井筒というんですか。

≪そうなんですよ。井筒と。それのまあ井戸の番人だったんでしょうね。多分番人さんだったと思いますけども(笑)。

「分かりませんけども。

≪戦国時代の黄金の指の堺屋太一さんの黄金の指なんかにはそこで茶会をしたなんていうシーンが確か出てくるみたいな

「番人の家では良い方たちが

≪番人さんのアレでしょう多分子倅ですよ僕は。

「その子倅学校というものについてそういう方だからいろいろ少年の出るような映画を撮りになったりもできる一般の人の映画をたくさんおとりになると思うんですけどもあの何といったって奈良県で1、2を争うすごい進学校にまずお入りになった。

≪(笑)そんなもたいそうに言われると。

「でも一応。

≪進学校でしたけども。

「でもこれに入った人は上にいい大学へ入るということが決まっているような。ところがそこにお入りになって

≪あの68年ですかねなんか世の中が価値が変わりかけようとしている激動の時だったと思いますけども。僕も普通に入って僕は学校の先生になろうと思っていたんですよ。

「ああそうなんですか。

≪そうなんですよ。南の方の吉野とか大台が原とか戸塚村とか分校に配属されて何か1年生から6年生まで合わせると10人ぐらいしかいないんやみたいなそういう学校で何かのんびりとやりたかったんですよ。

「ええ

≪いろんなことを子供たちに教えてやりながら。てなことを思っていたんですがねでも何かそれはそうとしてと思って学校に行っているうちに何かね世の中のことがすごく気になりだして、それとやっぱり映画が好きだった。

「お父様と一緒にご覧になった最初に映画をご覧になってこんなものが世の中にあるんだと。でもずいぶん小さいときなんですよね。

≪小さいときですね。おやじは難波の方に大阪の難波の方にサラリーマンで勤めていましたからまあ家は半分農家でしたからのど兼業農家ですよね。勤めていましたからあの終わるとお勤めが終わると呼び出されましてね難波まで出てこいといわれて近鉄で行って

「小学校6年生ぐらいでも。

≪そうそうそう。それでいろんな戦争映画をでいっぱい。あまり楽しいホームドラマとかそんなものは全然見せられないですよ。

「お父様はそういうものがお好きだったのね。

≪好きだったんでしょうね。多分軍国少年だったんでしょう。ちょうど終戦、兵隊にとられてすぐに終戦でしたからそういう世代ですから。

「なるほどね少し挫折したものもあったりして。

≪あったりしてと思うんですけども。それで血湧き肉踊るまあそういうものが好きだったのかな。それで僕も無理矢理何か無理矢理というか男だからついてこいと言っててな感じでよく見せられたですね。

「でもすごいのは小学校6年生のときに”バルジ大作戦”というナチと連合軍の

≪ドイツ軍と連合軍の最後のヨーロッパの戦い。最後の戦い

「それはいわゆるどんどんバンバンやるというような映画だけではなしに非常に頭脳的な人たちがそこに出てきて

≪両方とも。戦争というものはこういうことやと。

「そうなんですって。ヘンリーホンダも出て

≪アメリカ軍の将校が情報将校がヘンリーホンダ。ロバート・ライアンも出てましたね。オールスターキャストでしたね

「オールスターキャストですね

≪それとドイツ軍の方はロバート・ショー。あの上手でサメに挑んでいっておれが死止めてやると言ってやられちゃう。

「有名な

≪有名な人ですね。あのロバート・ショーがえずドイツの機甲部隊の将校で。それを見ているとぼくらはアメリカのそのなんというですかアメリカの戦争もの娯楽テレビドラマドラマ。コンバットだとかそういうもので育ってアメリカ軍の話ばっかり見させられて勝つんだという話を見てきていたのにその映画はドイツ軍の機甲部隊の隊長が主人公なんですよ。だからそれが僕びっくりしまして

「ちゃんと人間として描かれている。

≪それで今まで敵だと思っていた、ちゃんと主人公なんですよね。この人がこの自分の最後の機甲部隊を若い兵隊たちと一緒に最後の戦線をまあ突き進んでいくか。そこで何か感動させたんですよ。僕小学校6年生ですから。ものすごい鳥肌が立ちましてね。だからどうだろう何か今までの見てきた子供だましなものじゃない子供なのに(笑)

「今までのは子供だましだったなとこれは

≪これは違うと。でやっぱりそれで決して戦争というものは楽しいことじゃないんだ。悲惨なことで何も残らないんだと。もう本当に何も残らない無や空が残っているだけだと。僕そういうことを何かねブワーと思ったんですよ。

「6年生で。

≪それでねもうこういうものを作る仕事をしようと。

「もうそこで。だからその進学校にいらっしゃりながらもう大学にはいかない就職もしないと決めちゃってこういうものを作る人になるとご両親におっしゃったら。お父様が包丁を持ってこいと(笑)すごいですよねお父様も。

≪持ってこいと言ってうちのおふくろに(笑)ですね怒鳴っていましたよ。半分泣きながら。だからまあ普通に上の師範にでも行って教育大学に行ってですねと思っていたんでしょうね。でも僕がやっぱり何かそういう映画を作りたいと。その映画を作るというものは大人にもわからないですし僕にも分かりませんでしたね。親なんてそんなのわかるはずがない。

「でもまぁこういうのも何か作る人になりたいという気持ちがどっかに芽生えて。そこに寺山修司さんの”家出をしよう”

≪当時”家出の進め”なんていう本があったんですよね。

「ありましたありました。

≪あれなんかね(笑)今あの本を再販すると面白いと思うんだけども

「家出しなければということですぐに家出なさったんですよね。すぐさま。それなのに家出なのに友達がずいぶん駅に送りにきたんですってね(笑)

≪壮行会なんか開かれましてね。それで頑張って行ってこいよと。頑張ってて俺何をしに行くのかよくわからなかったんですけども自分でも。

「でもまぁ寺山修治さんの

≪何かね東京の渋谷に行けば寺山さんがいるだろうと。あそこに劇団があるだろうと。まあ何かしたかったんですよ。

「そうねえ。自分の巣から温かい巣から出てとにかく何かをやってみようと。

≪なにかこう田舎のぬるい世界から行きたかったんですよ。それも若いうちに行きたいと。

「血が騒いだんですね。

≪血が騒いでですね大学受験のための勉強なんかどうでもいいんだと。Y=Xの2乗なんかどうでもいいんだと。

「生きた勉強をするんや

≪生きた勉強をするんやと。いてもたってもいれないようななんというんですかでハシカ・・・子供か。ごっつい腫れ物ですね。

「そう。だから腫れ物にはいくら軟膏をつけても治らない。腫れるだけ腫らさしておくしかないという感じで渋谷に。でもすごいんですよ渋谷に行けば寺山修司さんがいると思うところがすごいんですけども。

≪いるわけない(笑)

「皆さんそうなんですってよ。西田敏行さんは上野についたら石原裕次郎さんがいるだろう

≪(笑)

「だからみんなそうなんですよね。

≪同じ、同じ考え方ですね西田さんと(笑)

「まあそれで家出をなさったところまででちょっとコマーシャルがございますので。

黒柳「そうです書を捨てて街に出よう。家でのすすめ。

井筒≪そういい言葉ですよね。書を捨てて街に出よう

「あそれで寺山修二さんの所の劇団までたどり着いて。

≪たどりついたんですよ。何かあの渋谷の恵比寿の方向に行ったところにどこかにあったんですよね。

「ありました。あの辺に天井桟敷。

≪あの狭い間口でトントンとし本当にこう玄関先に立って。で中に劇団員の人たちが出てきて「どうしたの?ぼく」といってあのきたんですなんて言って(笑い)

「(笑)

≪「お入り」とか言われて。

「そうなんですか。

≪どこから来たの?とか言われて。いやちょっと来たくてきたんですよ。そういう会話がねなにか通じたんですよ

「いいなと思いなったでしょう

≪ドキドキしましたよ。なんていういい自由の地だみたいな(笑)

「そう家出してきているのにすぐにわかってくれてると思っていらしたらば。お父様がそこにいきなり。これはすごいですよね。それは友達が口を割ったと後から分かった。

≪わかったんですね。まあうちのクラスの仲間たちが壮行会を開いてくれたものがですねやっぱり何かこれは言わなければしょうがないなと思ったんでしょうね。うちの親に言われてそれで

「家出したでって

≪はい。だから夕方ですかねぇ僕は朝に門口をたたいて行ってそれで夕方でしたね

「そこに(天井桟敷)をいらしたんですか。ずっと

≪何かいたり出たり入ったりしてたんですよ。その内にねぇ夕方になって夕方になって今日泊まるところどうしようかなとか思っているうちにがふっと見たらねおやじとそれと学校の僕の担任の森崎先生が

「え!!

≪いるんですよ。

「先生まで。びっくりなさったでしょう。

≪びっくりしましたよ。なんでいるのみたいな。(笑)

「でも家出した少年を迎えに来るお父さんがいらっしゃったということはやっぱりお幸せはお幸せですよね。そんなに早く。

≪そうですね。まあほっとかれるとどうなったのかなって逆に思ったりもしますけども。何かやっぱり僕のお父さんはすごく心配しいだし、何やかんやいうていてもすごく愛してくれていたんですよね。

「でも面白いですよね。そのへんがねぇ。どうせ理解してくれへんのやと思いながらも迎えに来てもらうと愛されているのやとちょっと思ったりしている。

≪(笑)都合のいい子供ですけども。

「でも連れ戻されてだけど連れ戻されたらばお父様は何かそれからの対応がちょっと変わったんですって

≪そうですねぇ割とガミガミ言わなくなって開放的にはなってもらいましたけどね。

「まあ大学の試験なんかも受けるとはあまりおっしゃらなくなった。

≪うんまぁんおっしゃらなくなりましたね。

「おっしゃらなくなりました(笑)

≪もうええわみたいな。お前はお前で自分で考えてやっていけよみたいなそういう顔はしてましたけども。でも心の中はいやこいついつからこの腫れ物がひいてほしいなとと、こいつの頭の中には何が詰まっているのかなとか多分そういうことを懸念していたんでしょうね。それを僕は見てとれましたね。

「ご兄弟はいらしたんですか?

≪妹が。

「じゃあ男の子は1人。じゃあお母様もそれはね

≪いいそうですねぇうちのお母さんも相当悲しんでいましたね。どうするんやと。働くことをまず考えないと普通上の学校に行かないとすれば働くものだと。

黒柳「家でプラプラしていて今おっしゃったんですけども初代なんですって?

井筒≪プー太郎(笑)

「初代プー太郎みたいな

≪僕はプー太郎というのをわざとね外に出さないようなエッセーを自分で書いていましてね日記風の。プー太郎て何かイヤじゃないですかだからね風太郎と書きましてね。そんな気分でいた。

「でもアルバイトで遺跡を掘るそういうアルバイトがあったとで。やっぱり奈良だからだですかねぇ。

≪そうですね奈良というか僕は大阪でやってたんですけどもね。大阪の教育委員会のアルバイトをしていたんですけども。

「でもあまりいいところはやらしてもらえない。こんなブラシでやるところはないもっと掘るところ

≪もうガーと。それで慣れてきたらこうして(シャベルなどを使って土を掘り起こす作業からブラシで土を取り除く細かな作業に移っていった)

「発掘のそういう仕事

≪小さなメンコが出たことがありましたね

「なんでできたメンコですか?

≪土うーんですね。素焼きですね。あのおはじきですねブラシでこうやってバケツでこうやったら顔なんですよ。それでこれは何ですかと教育委員会の人たちに聞いたらこれは顔なんだよめんこというんだよ。ああそうかこれは昔の遊び道具か子供の。こういうことか面子というものは。それが怒った顔もあればね笑っている顔もあるんですよ。

「顔の面なんですね。

≪面子(めんつ)と書いて面子。それを僕初めて教えてもらったんですよ。なるほどと思って。

「アルバイトをするものですね。

≪するものですね。全然何かやるものですね。

「それから後着ぐるみに入ってウルトラマンの。(笑)すごい。

≪これはうちのお母さんも知らないですけども(笑)うちの母親も多分いまだに知らないんじゃないかな。

「そんなこと申し上げてよくなかったかしら。

≪今見ててそうかなと思っているかも。あの掃除機のコマーシャルに

「それでウルトラマンの着ぐるみを着ているですか?

≪何か着ぐるみを着せられましたね。すごいラバーのね。もう息が苦しくなるような。それがコマーシャルで何か大阪で先輩のアルバイト手伝いました。

「でもそういうことをしながらでも監督になるぞというような夢はなくならなかったんですか?

≪なくならなかったですね。何かいつか自分で作るんだと思っていましたから。

「それでまた孤独ですよね。やっぱり1人で食べていかなければならないし大変なんで。でもこの孤独と向き合わないとやっぱりダメなんだぞっとご自分で思った。

≪孤独という言葉がいいじゃないですか。いいじゃないですかと押しつけたらよくないですね。あの好きですね僕は孤独という言葉が。だから今は青春時代の真っ盛りだからこそ孤独があんねんやと。あるいは絶望があるんだと。孤独や絶望というのは必ず力になるんだと。そういうのをなにか小説とか映画を見たりしてこう何かそういう言葉をねぇ教えられたりすると本当にそうなんだなと。やっぱり映画というのはいろいろ教えてくれることなんやなと。そんなん思いましたね。

「そおなさりながらだんだん映画の道にお入りになっていくわけなんですけども。

黒柳「でまあお名前が監督が出たのは29歳のときガキ帝国でそれから岸和田愚連隊そして最近ではのど自慢といろいろ作ってらっしゃるんですけども何かこう徹子の部屋に出て下さるということで何か何となくそのへんのお掃除をなさったらお母様からのお手紙が出てきて

井筒≪でてきたんです(笑)

「お母様はお元気でいらっしゃるんですが。

≪元気なんですけどもね。

「4年前のお手紙になんです。ですけど読ましていただいていいですかお母様の。つまり母親というものはこんなに大きくなった子供に対してもこんなお手紙を。

≪僕きょう50なんですよ。

「まぁおめでとうございます。(拍手)じゃあちょうどよかったですね。いいですか。和幸へ新年あけましておめでとうございます元気ですか。今年はみんなの顔が見えなかったのでちょっと寂しいでした。仕事と順調にいっていますか頑張ってください。お餅少しですか送ります。みんなでめし上がるほどありませんが分けて食べてください。くれぐれも体に気をつけてカゼをひかないように良い作品ができますよう祈っています。スタッフの皆さんにもよろしく。東京にも少々おもちを送りました。ではまた母より。おもち冷蔵庫に入れた方が良いですよ。ビニールに入れて。と書いてあります

≪(笑)

「これはまた他のところにお贈りになって東京にも送った。でもこういうお母様が1月

≪本当はこれにポチ袋に小遣いが入っていました。

「お年玉!

≪え1万円入っていました。

「ありがたいですね。ずいぶん大きくなった和幸さんへと書いて何かいつもお年玉をくださるお母様なんですって。ポチ袋に。ありがたい大事な。でもお母様こういうふうにお手紙大事に実は取ってらっしゃるんですよ。でも本当にありがたいですよね。お父様どうなさいましたそれで。

≪実は去年亡くなったんですよね。

「そうですか。

≪ちょっと。

「でも映画をお作りになった息子を

≪そうですねまあ安心して死んでくれだと思いますけどもね。

「今何か映画を撮ってらっしゃるんですって。

≪今でたけなわで”ゲロッパ”というタイトルとね

「何か秘密裏にとっていらっしゃるんですって

≪いいえ西田敏行さんと一緒に。

「西田さんとそうなんですか。面白そうですか。

≪じゃ上野駅に来たときの話を聞いてみます

「(笑)そうですよ。上野駅についたら石原裕次郎さんがいるんと思い込んで上京してらしたというふうに。そうなんですか。

≪まああの頑張りたいと思いますけども。

「そうです今日も初めのところ何でまたいらしていただいて続きの今までの。

≪はい。またぜひ呼んでいただいて

「ありがとうございました

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