本日の徹子の部屋ゲストは追悼特集さん

2002年12月16日

黒柳「最初は元NHKのアナウンサーの野村泰治さんです。野村さんは東京オリンピックの時の総合司会をなさいました。そして学徒出陣でもいらっしゃいました。戦後はその時に亡くなった友達のことを思うととおっしゃって、ゴルフもその他のお遊びを一切なさらない方でした。そしてその後民放にいらっしゃって”3時に会いましょう”の司会を長くなさいましたけどもお辞めになった後はなくなった戦友のご家族をお慰めするようなこともなさっていらっしゃったようですが。このときは3時に会いましょうをお辞めになってすぐの時。初めてテレビ朝日にいらたというときにおいでくださったものです。ではどうぞご覧ください野村さんです。

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黒柳

野村≪われわれは前から朝の生のをやろうやろうと、40年からスタジオ102が始まったんです。でもその時は小川宏ショーも始まりますしね朝のものすごい戦争だったわけですね。

「なるほどねぇいままでのようなまあニュース原稿を読むのではなしにご自分でおしゃべりになってやるという走り。

≪そうですね。まあNHKの場合政治経済硬い問題が多いものですからあまり自分の意見を言うという余裕はありませんでした。やっぱり一応月曜から土曜までですからね。

「土曜もあったんですか。

≪ええ。それで4時半起きを丸3年みっちりやりました。まあかなり厳しかったことは厳しかったですね。その代わり打てば響くというようなね誘拐人質をとってねこもっている犯人がテレビを見ているんですよ。で私しょうがないからこう言ったとき普段「誰々だ」と呼び捨てするんですけども見ているそうだからはあえて「さん」をつけていますけども「何とかさんはその人質を返してあげなさい」なんてやったのを覚えていますけども。

「それで返してくれましたか?

≪まあ途中で強硬突入みたいにして解決しましたけどもね。

「まぁ生の面白さはね3時で会いましょうももちろん3時に会いましょうも生でしたけどもい日英。私はいつも拝見していて何かの時におっしゃるときなるべくおっしゃらないようにしてらっしゃると思うんですけどもねいつも戦友がどっかにあるじゃないかなというものが痛いぐらいに感じられていたんですけどもそうでしょうか?

≪この時代にあまりそういうことにわずらわっていてはおかしいんですけども、やはり同じ世代のものが覚えていてやらなければあの時の若者というのはあまりにもかわいそうだと思うんですよね。

「そうですね。だいたい戦争中は何歳ぐらい?

≪20歳から21、22歳ぐらいでしょうかね。

「海軍?

≪海軍です。特に私の船が沈められたんですが2,000人乗っていていろいろ説があるんですがとにかく1,000人以上が一瞬のうちに死んでいるんですね。そういう人間の願いとかね想念とかねそういうものがぱっとなくなってしまうのかと思うとものすごく気の毒に思うんですよね。しかもこれはおとり部隊だったんです。九州を過ぎたあたりでちょっと偉い人が「どうもこの船はおとりだぞ。お前も生きて帰れると思うな」とパッと言われたんですよ。

「それはたまらないですね。みんな21、20歳の人たちがお通りに。そしてこの船に2,000人乗っていた「瑞鶴(ずいかく)」という航空母艦だそうですが。これは瞬間前に斜めに傾いているんだそうですねいまの写真。

*野村さんの乗っていた船が沈没直前の写真が登場。

≪そうですね総員退去という命令が出てから初めて海に飛び込むわけですからね。その前に飛び込むとこれは敵前で逃げたことになるんです。

「これはその瞬間に傾いているときにこれは何でやられたんですか?

≪あの魚雷と爆弾がを7つずつ命中しているんです。

「おとりになっていることを知らないでねどっかへこれから自分たちは国のために行くんだゾッとみんなで心を揃えていこうなと言っていた2,000人がほとんど本当はおとりで空がほとんど見えないぐらいの飛行機だったそうですけども。

≪いやすごかったですね。これはもうこんなにまでアメリカ軍の飛行機はあるのかと思うくらい。まさにホウエンダンウンという言葉がありますがね本当に怖かったですね。あまり言わないようにしているんですけどもねやっぱり考えてみるとその時代がわれわれの青春だったでつい仲間が集まりますとねあのときの厳しい話になってしまうんですけどもね。

「そうですね。それととそのとき野村さんたちの年代だと自分たちが守らなければこの日本はだれが守るんだというふうにみんな本当にそう思ってらしたわけでしょう。

≪そうですね。今そういうこと言うとあいつはよっぽど右翼だ、戦争だって言われますけどもやっぱり正直言うとみんな死にたくはないけどもやっぱりやらなければいけないんだという気持ちを持ったのも事実だと思うんですよね。とかくこういう話は勇ましいものになりがちですけども純粋に国のためと思ったのは事実だと思うんですよね。

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黒柳「続いては平凡太郎さんです。テレビが始まったころから本当にご一緒でした。同志というような方でした。そしてとてもハンサムな方でいらっしゃいまして東宝のニューフェースにも受かってどこか風貌が長谷川一夫さんにも似てらっしゃる方でした。とても笑わせて泣かせるお話しの上手な方でした。コマーシャルをはさんでもっと続きますので今ご覧いただきますけどもその後コマーシャルの後も平凡太郎さんです。それではご覧いただきます。

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平≪東宝に入って撮影がずっと順調に行く時代にちょうど金五郎先生が「おいテレビジョンというのができるよ」。それが砧のNHKのつまり試験電波だったんですね。それであのドアをバタンと閉められてひょっとしたらレントゲン撮影と一緒だから命はなくなるかもわからないよ。皆さんこう黄色の手袋をはめてやっていらっしゃった。あれは危険なものを扱う人たちだ。お前も気をつけてなと入ったのいまだに覚えています

「(笑)

≪これはこんなに楽しいものだと思いません恐ろしいものだと思いましたテレビジョンというのは。

「ねえ。今私本番の前にちらっとうかがってまさかと言ったんですけどもいや私はNHKのテレビでご一緒に始めたころはまあ本当に個性が邪魔なのでなんとかあなたの個性はいらないので普通にできませんかと本当にテレビの初期のころは挫折が多くて私はだめだなと思っていたころなんとあなたの師匠の金五楼先生が、さっきうかがったんですよ本番前に私のことをほめてくださったんですってね?

≪ええあのねぇつまりあの方は天才だと。僕はねあなた(黒柳)を見たときにねNHKの化粧室で。お化粧しながらですね原稿を書きながら鏡の向こう側の人の話をちゃんと聞いてですよラーメンを注文できる女性はめったにないと思ったの。

「(笑)

≪金五郎師匠もそう思ったらしいんですよ。それでね黒柳さんは天才です。あの人は天才ですよ。天才が勉強しているんです。人の顔をちらっとみて鈍才はもっと勉強しなければねと言いましたよ。それはいまだに忘れない言葉です。

「本当に(小さな声で)

≪はい。天才も勉強するんですって

「いやそれをあの時にうかがわないでよかったですね。

≪口数が少ないですからめったにいませんでした。

「本当それをうかがっちゃっていたら私は

≪ぽつんとでした

「え?

≪ぽつんとたった一言でした。

「ウワー今日はいい日だな(笑)

≪(笑)

平≪松竹にいらっしゃった突貫小僧という名子役が上海で兵隊にとられちゃったんですよ。子役がいないかなと言ったのがうちのお姉さんが「うちに弟がいるわよ」っとこれも簡単なんですよとってもね。うちの弟がいるわよと言ったので連れていかれた。

黒柳「あなたが?

≪はい。戦争中のことで何か陸軍省だったかが記憶があまりないんですけども

「何か慰問とかそういうことのために?

≪そうですまず慰問なんです。それでねぇどうもお友達だなという子役がずっと20人ぐらい並んでいる。兵隊さんが来たんです。「真ん中からこっちは海軍、真ん中からこちら陸軍達者でな」でそれでおしまいなんです。それが運命の分かれ道なんです。

「あなたどっちなの?

≪つまり僕は海軍の方に行ったんです。こうやったこっち側にいたんです。陸軍で子役になった人たちはほとんど帰ってきませんでした。慰問隊に外地にどんどん行っちゃったんで。まあ音信不通なのか戦死したのかなわからないですね。たまたま(僕は)海軍と言った方にいたんで横須賀海軍集会所からスタートしたんですね。

「まあ日本の国内で。

≪はい国内で。

「シバの経験はなく?

≪全然なく。ありませんでした。突然実は主役なんですよね。恐ろしい社会なんですよこれが。

「それで

≪終戦に近くなりましてね母、やっぱり父親が早く死にましたのでとっても苦しくなったんですね生活をすることに。すぐに終戦になってしまいましたので子供3人を抱えてとってもやっていかれなかったらしいんですよ。たまたま姉が疎開したのが九州でしたのでそこでお前も行くんだよと手を引かれて何かみんなが折り重なっているような終戦後の列車に乗せられて九州に行ったんですね。どうもサーカスだったですね。元は。あとで聞くと80円ぐらいだったいいますけどもつまり姉さんの手を引いてプラットホームの小さな田舎の駅でお前は男の子だから生きておいてくれ姉ちゃんは女の子だから私はそうでもない。お前は達者でなと言われて別れたのが親子の別れ。それからサーカス暮らしなんですよ。だからねつまりその時にねぇプラットホームのオフクロの後ろ姿を見ると俺を捨てたなと思ったんですよ。で大きくなったら絶対に征伐してやると。母親を殺しちゃおうと思ったんです。それで小さな小刀を毎日母のことを思い出しながら研いだ記憶が少し残っています。

「お母様にしてみればそれしか方法がなかった

≪方法がなかった。今考えてみれば母親がどんな気持ちだったかいま痛切にわかりますけどもね

「まあお姉様たちも

≪みんな小さかったですから。僕がテレビに出てから一生懸命稼いだ金をとにかく300万円持って謝りに行こうと。逃げていますから途中で。

「ああ売られたのに逃げたんですか。

≪逃げたんです

「300万円もお金をためて

≪ええいヤノ第2サーカスという団長さんがいらっしゃったので熊本まで訪ねて行ったんですよ。あのとき世話になったからあの時確かに借金があって残っているはずですからと言ったら顔をじっと見て「お前なんか知らん」と言ってくれたんですよ。それでどうしても受け取ってくれないんですよそうすると別れ際にどうもお世話になりましたと出て帰ってくるときにね「オフクロさん元気かい?」をいと言ってくれました。それが唯一です。その母をね東京に帰ったら殺してやろうと思って高円寺の駅に迎えに来てくれた。それが7年間会っていないです。その時にここまで(ズボンのポケット)手が行きましたけども親は殺せるもんじゃありませんよ芝居じゃないんだから。今簡単に殺す時代がきましたけども。私なんて想像できない。

「でもその間中お母さんをずっと恨みに思ってらしたの。

≪そうですねぇでもそれが今の自分の支えになっていると思いますよ。

「でお母様はどうでしたか?あなたとお会いになったとき。

≪大きくなったねと言われましけども俺は1人で大きくなったんじゃないじゃない。俺はオフクロに育ててもらったんじゃない、俺は自分でやってきたんだからとカッとしましたけどもね。それは今自分が父親になったらとんでもない勘違いでした。

「まあそうですか。

≪やっぱりもっと優しくしてあげなければいけなかったですね。今はもう母もおりませんので。とっても残念です

「でもいつもいつも明るいあなたがそういうふうなねそんな少年時代を

≪そんなことをを早めに知ったから今は明るく入れるんじゃないですか。

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「本当に信じられないような過去をお持ちでしたけども明るくお優しい方でした。さて続いては女優の氾文雀さんです。文雀どういうお名前は孔雀のように美しくなるようにという意味でご両親がお日付けてくださったそうでございますけども。サインはVなどで本当に人気でいらっしゃいました。本当にお若い本当にお若い歳でいらっしゃいました。お亡くなりになった時。残念でございますけども氾文雀さんです。

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黒柳「小さいときあなたは本当に蝶よ花よっていなとじゃないですけども。本当におばあさまが目の中に入れても痛くないほど

≪ええ、と本人は言っていましたし回りの人もそれを認めていましたし私もきっとそうなんだろうなと思って育ちましたね。

「お父様がそのバイオリニストのお父様が中国にお帰りになったことがあって1回。その時以来あなたはずっとおばあさまのところに

≪そうなんです知事が中国に帰るということをきっかけにして私はに広島に行くようになりまして。それで母と兄も広島に行きましてねそれでまぁ後に父が帰ってきて全員が広島にすんだという時期があった。

「なそれでまた本当に可愛がられていらしたんですけどもお父様お母様お兄様東京に行っておしまいになって、あなただけがお残りになったことからあなたはある日家出をしようと。

≪はい(笑)

「女の子で家出を(笑)何歳でしたその時?

≪15ですね。

「15。

≪これはであの本当に笑っちゃうんですけどもね何て言いますか電車に乗るときとかなんとかというと当時1等で行くとうちの祖母は1等に乗るというのが普通の感覚でそういう生活をしていたんですね。で15歳のチビが駅で1等の切符でね。それを買って東京までいったんですよ1人で。

「だからそういうのに乗るときは1等だと思ってらしたの。お金はどうなさったんですか?

≪お金はですねえ、祖母のタンスの中にブタの貯金箱がありましてね。もちろんそこにあると知っていまして、それを盗んだんです。祖母はたまたま家になかったものですから。たまたま夏休みででまあお家の人にちょっと父の具合いが悪くなったって今急に電話があったからちょっと行ってくるととりあえずそれだけを言って切符を買って大急ぎで

「1等で。当時だったら広島から新幹線ないころですよね。

≪確か夕方ごろになるんですよね。そして次の朝につくんです。

「それで東京におつきになって。

≪1等に乗ったはいいんですけどもなぜだかはその電車には1等には私1人しか乗ってなかったんですよ(笑)

「恐いわね。

≪それで横浜に着いたとき横浜の友人のその友人の人が迎えに来ていてですからそこで捕まっちゃったんですよ。

「あら、それでどうなさったの?

≪それで一応「あ!」という感じで、でもでてきましたというふうにしまして両親のところに行きましてで何が何でも私は帰らないといって強引に居着いちゃったといいますか

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黒柳「最後は山本夏彦さん作家でいらっしゃいます。まあテレビにお出になるのは非常にあの珍しいことでございます。私の大好きな尊敬する方でいらっしゃいます。まあとてもかわいがってもいただいたんですけども、胃がんで入院なさってたんですけどもペンを握るからと絶対に右手には点滴をしないように断って最後までなさらなかったそうですけどもお亡くなりになる6日前に発売された10月24日が最後になったんですが週刊新潮に写真コラムが23年間連続続いたものでした。どうぞご覧ください。本当に作品と同じように非常にそれ以上に面白い方でいらっしゃいました。

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山本≪僕たちは書いたものの方が本物で残っているものはカスなんですよ。つまりここにいるのはね。今お目にかかっている私はカス何で書いてある方が本当であれは人か鬼かといわれている。

「人か鬼か

≪長いものを短くするのがコラムの仕事ですからできるだけ無駄を省くとまっすぐに届くことがありますでしょう。そうするとやっぱりちょっと恐ろしいような気がするんですね。ですから人か鬼かと思っていたら実はそうではなかったと。カスの方を見て安心なさったんじゃないかと

「(笑)皆さん今日はカスをご覧になって山本さんてお書きになるときは本当に恐い人か鬼かどういう文章をお書きになるんだけども本当は優しい方なんだかなんてちょっと思ったりするとこれはとカスでいらっしゃるんで(笑)恐いの。(笑)。でもあんなに女性ファンがたくさんいらっしゃると今ご紹介しましたけども

≪そうですねこといわいに驚いているんですよ。しかも女の人が読むということはでですからねぇどうして、さっきも申し上げたように女は男の部分で読んでいると見ていたんです。それもそうです。それから男が全部賢いなんていうのは絶対にないんです。人間本来男女なして書いたことがありますけどもありません。フィジカルにいなければ心理的にもないんです。

「肉体的にも精神的にも

≪ないと思います。ですからあってもいいんですけども。しかし怒りんぼでしょう女の人は。

「そうですか?

≪そうですよ。怒りんぼですよ、話し合うなんてできない女に選挙権をいらないというと怒っちゃう

「それは怒りますよ(笑)

≪(笑)あなたはお怒りですか?

「(笑)怒りますよ

≪怒る訳ありませんよ。あんなのいらないですよ。

「選挙権ですか。なんで?

≪選挙権なんていりませんよ。

「何でいらないとお思いですか?女性に。

≪だってあんなもの男と同じを亭主と同じ人に投票するんだったら2倍になっただけでしょう。

「女の人の方が(選挙に)行くんですよ

≪だからね女の人は私はじゃあ亭主なんかと一緒でないと言ったらね組合と一緒に行くんですよ。そうするとそれは2倍になるだけですよ。

「それはいえます。

≪そうするとあなたのおっしゃる世間で言うところの選挙の腐敗ね買収ねそれからわいろねあらゆる選挙違反が2倍になるだけですよ。そうするとねそれじゃあ男だけかというと男にも入らないんですよ。ですからそれをいうとね長くなりますから(笑)

「確かに今おっしゃったように旦那さんと同じ人をしようとかね、ただいけばいいとかもちろんわいろをもらっていくまたは組合といましたか。そういうことで行っている分にはやっぱり悪さが2倍になるだけであるからやっぱり女の人が本当の意味であの目覚めたらもちろん選挙権があって当然いいわけですよね。

≪だからそういうことがなかなか難しいですね。それは女が悪いんじゃなくて男子もそうですよ。ですからそういう点では男女の区別、男にもいらないと言っているんですから何も怒ることはないですよ。

「(笑)それがやはり山本さんの一流のお考えなんですけどもいらないというふうにおっしゃるとそこで怒る人がいる。だけど100人の読者の時はよかったんですが万人、100万人の単位になってくるとやはり皆さんのお怒りは束になってくるから大変(笑)

≪それはひとつはレトリックなんですよ。つまりそういうふうに持ち掛けるわけなんですね。いらないというとねまず「ドレドレこの人変なこと言うから聞いてやろう」という人とね。それだけで怒ってしまう人と2つに分かれるですね。ですからあの怒っちゃう人は読者じゃないんですからそれはもうそこで別れてしまっていいんです。だからこの人不思議なこと言うなという人があのつまり読者になる可能性があったりですね、それからたぶん読者になると思います。

*レトリック:言葉を効果的に使ってい表現する技巧のこと

「今ちょっとコラムということのお話しが出たんですけどもやはりどうしても短くなさりたいというこのコラムという延ばせば延ばせばどんなに長くでも書ける内容をあんなふうに短くしておしまいになるというのは。

≪あれはほとんど義務だと思うんです。今のものの欠点は長すぎることなんです。せいぜい400字でいいんじゃないでしょうか。

「せいぜい400字。

≪そのために格言とか進言とかがあるんです。例えば「ロバは旅をしても馬になって帰ってくるわけではない」僕の大好きなのがあるんです。いいですかロバは旅をしても馬になって帰ってこない、そうすると海外旅行に羽田に行ってそれを書いてプラカードをこしらえてね

「意地悪(笑)

≪(笑)それは僕が言うんじゃないですよ。僕の友達が言うんです(笑)。だってロバは旅をしても馬になって帰ってこないなんてこんないいことないでしょう。つまりねぇあの文化ショックというものを受けるんです。それはひとりでいかなければだめです。1人で行けばどんなショックを受けるかも分からないショックをですねあんな50人も100人もで行ったらね何も受けないんですよ。日本国がそのまま移動しているんですよ。ですからせっかく行ってもねまあ何にもならないこともないんでしょうけども受けるべきものを受けないですよ。

「じゃあもしロバでもねぇ旅をしてね馬になって帰ってきたいというロバがもしいたらどういうふうにすればよろしいですか?

≪まあ僕ならいきませんけどもね。しかし行くんだったらねやっぱり1人でないまでもねせいぜい2人か3人くらいですと得るところがあるんじゃないかと。それとね知識と学問のない人は行ってもしょうがないですよ。

「ああ

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黒柳「どうもありがとうございました。ご覧のようにまあテレビはあまりお好きじゃないとおっしゃっても山本夏彦さんお出になった後今日はとってもリラックスしてあんなふうにしてちょっとしゃべり過ぎたかなとおっしゃったんですけどもとっても出ていただけて嬉しかったしみなさんもきっとご覧になってなんて面白い方だろうって。まあ面白い方というのは失礼かもしれませんけども興味深い方、魅力的な方だろうとお思いになったと思います。今日他に徹子の部屋に出てくださってこの夏以降に亡くなった方々で出ていただけなかった方のほうがずっと多かったんです。本当にどの方にも申し訳なく思っております。どの方も心を込めて話してくださったんですからでもとにかくみなさまのあの目の輝き話してくださったことこと皆様どうぞ覚えていただければというふうに思っております。そして高円宮のりひと親王殿下の追悼は12月26日にいたしますのでまたごらんいただければというふうに思っております。どの方も本当に心込めて話してくださったこと心から感謝申し上げます。そしてご冥福を心からご家族の幸せも願っております。

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