2002年12月19日
黒柳「まあしばらくでございました宅麻伸さん今日のお客様です。まあ俳優さんで、さっきもご紹介しましたように課長島耕作をええがねぇ大ヒットで島耕作といえばこの方ということになったんですけども初めてこちらにおいでいただいた時ねわりと20代でお可愛らしいかったですね。割とというのは17年ぶりにおいでいただいたということになるんですけども。何かで本番中にね私があなたの顔を見てはねぇ「かわいい」って失礼だわねえ。男の方に。【写真】こんな感じだったんですよ
宅麻≪まぁ可愛い。
「可愛いでしょう(笑)何かでかわいいって何回も私が連発してだそうですけども。17年前の宅麻伸さんです。ほらかわいいでしょ。
≪もうただ単に照れていますねぇ。
「そうねえこの時トークなんて今伺っていたら何か遠くも本当に初めてといっていいくらいだったんですって。
≪はい。やったことないですね。
「そうですってね。あれから随分大人におなりになったと思います。まご結婚なさったこともあると思いますけども。もちろん賀来千賀子さんの旦那さんでいらっしゃる。この前賀来さんこちらにいらっしゃってね宅麻さんは子供の食べるようなものが好きなんだっておっしゃってましたよ。カレーとかハンバーグとがコロッケとかそういうの。
≪同じですね今でも。
「いまでも同じ
≪好きですよやっぱり。
「そう。何かで子供みたいなものが好きなのっていってらしたけども。
≪さっきはコロッケパンを食べたばっかりですね。
「(笑)コロッケパン。やっぱりねぇ。もうご結婚なさってどれくらいかしら?
≪え、9年
「もうそんなになるんですか。そうそうそうそうそう賀来さんねってこちらに来てくださったときに1月にご結婚なさってその12月に出て下さったの。だからやっぱりほぼ1年たってあなたのお話しをこちらでしてくださって、その時にカレーとかハンバーグとかコロッケとかは子供の好きなものだ。少しは食べ物の好みが大人っぽくなったのかと思ったんですけども
≪いや基本的にはロケなんか行ったときはカレーとかそういうものが1番いいですね。
「でもあなた岡山のご出身でしょう。
≪岡山です
「お魚とかは召し上がらないの?
≪いやあの釣るばっかりででほとんど食べなかったですね。
「釣るばっかりで。変わってるわね(笑)
≪もやっぱり肉食ですね。
「やっぱりねぇそのために背が伸びて大きいのかもしれないけども。まあ普通瀬戸内海とかあの辺だとみんなお魚とか
≪豊富なんですけどもね
「釣りが好きなの?
≪釣るのは好きだったんです。
「まあ小さいときの子供の時は、お魚は今は少しは食べるですか?
≪あの体がそういうことを欲してきたのか、(笑)寂しい話ですけども。何か
「だんだん年とともに
≪食べるようになりました。
「魚を食べるようになった。でもアレですねあなた今ご結婚なさって9年近くになるというのにずいぶんをはじめのころご結婚をなさってすぐ離婚だ離婚だってずいぶんはありませんでした?
≪はいはい。
「何なんでしょうねぇ
≪なんでしょうね。ネタがなかったじゃないですか。
「そんな感じ。じゃ本人たちにとっては何だろうという感じ、それともおかしいねって
≪かわいそうにだったですね。うちのがちょっと買い物に行ってもなんだかんだ言われるし
「そういうことが
≪ちょっとひどいなって思ってましたね。
「そうでしたよね。そんなことないだろうとみんな思いつつもあまりしょっちゅうしょっちゅう出るとね何かあるのかなと思ったりしましたけど今はもう全然
≪全然平気です。
「(笑)みんなが飽きたんだろうとおっしゃってましたけども。やっぱり飽きたみたいん、つまり話したり書いたりする人が
≪そうでしょうね。無理やり作るのもやっぱり限界があるだろうし
「それとをご結婚なさってもう9年もねうまくいっていればそれはまあ
≪まあ楽しんでいます。それはそれで。
「そういう話が出たらね。うまくいかないんじゃないかとかいったら2人で面白いねぇとか言ったりして。
≪そうですね。
「でもアレなんですってね賀来さんてねどうしてもシャキとしてらっしゃる方じゃない。
≪そうですね体育会系ですね。やっぱり。
「あの方体育会系
≪もう体育会系です。
「お顔はきれいだからそんな風には思いませんけども体育会系。
≪はい。
「じゃ暮らしていくときいいでしょうなんか。
≪さっぱりしていますね。
「ねぇでもアレなんですってあなた自身はわりと子供のときから無口だったりして。こう静かな女の人がいいかなと思ったらあの方はパキパキしていて
≪じゃないと家の中でどっちも黙っていたらね静かすぎますものね。
「でもこの間カニを食べていたら彼女静かだったんで
≪あの(笑)よくしゃべるものでねカニを食べているときはやっぱり静かなんですよね。お前カニを食べていろよいつも(笑)
「(笑)あのカニは人を無口にするわねと賀来さんがとおっしゃったんですって。お前はいつもカニを食べてようとかおっしゃったりするんですけども、まあそんな風に逆に自分が無口だったらそばにそういう人が代わりに言ってくれる人がいたらずいぶん気が楽じゃないですか。
≪でもおかげさまというかずいぶんしゃべるようになりました僕も
「そうでしょう悪いけどもう17年前に比べたらずいぶんをお話しになるなと思って。
≪もう17年前分ぐらいしゃべっているんじゃないかと。
「ああそうですか。でもそれだけ自分の気持ちがやっぱりコミュニケーションとれていいじゃないですかね。
≪そうですね
「お話しできた方が。でもいろんなご活躍があるんですか私たまげちゃってよそのテレビ局の仕事だったんですけどもあなた東京からロンドンまでタクシーに乗っていらっしゃったというドキュメンタリー
≪やりました2年前ですけども。
「皆さん。私はそれで中継ぎ中継ぎでそこのタクシーをつかまえていくのかと思ったら東京から同じタクシーに乗っていったんですよね。
≪ずっと同じタクシーで。
「これは驚きました。しかも親子の人が乗っていて
≪もう両方ともプロのタクシードライバーで
「じゃ親子2代のタクシードライバー。
≪はいそうです。
「何か公募なさった。でその方のに乗っていったんですって。すごい長かったんだろうなロンドンまで
≪3カ月弱かかりましたね。
「3カ月ですよタクシーに乗っていたら皆さん。それで3ヶ月でもその時に3カ月間こんなことやっているのって暇
≪日本1暇な俳優だなと思って。誰も心配しないんだもん。
「わらちゃいますよねでもこれ20,000キロ。
≪20,000弱ですね。
「20,000弱。でもそれをタクシーでいこうというんだからすごいでしょう。だいたいいうと東京から出ていったんですか?それは
≪そうですねぇそれから神戸まで走りまして後フェリーで中国の天津の方に参りまして中国を出るだけで1カ月近く
「大きな国ですからね。寝るところはどうしたんですか?
≪中国はで割かし民家を借りたりテントで寝たりとか
「そういう交渉とかも全部して。
≪そうです。
「何か24時間走りっぱなしの時もあったんですって親子は運転手さんの方は交代して。
≪道がちょっとおかしくなったりして遠回りしなければいけかったんですよ。それで朝日が出るときに出発してこれで夕日で終わりかなと思ったら延々走って次の日の朝日を見ました。
「でもよく途中で迷ったりしませんでしたね。運転手さんたちは。
≪迷いはなかったんですけども行き止まりとかね
「そこの地図みたいなものをもらってそこでそれを見ながら行くわけ?
≪一応行ったんですけども。
「すごいですね。想像しただけでもすごいんですけどもそれで今度カザフスタン、モンゴルの方
≪モンゴルというか中国を出て
「カザフスタンから今度ロシアの中
≪ロシアは割と通過だったんですけども。ゴルちゃんと会えなかったんですよ
「ああ(笑)私がファンのゴルバチョフさんにお会いになれなかったこと言ってらっしゃるんですけども。はいそれでゴルバチョフさんに会えなかったんですけどもずっと行ってそれからウクライナを、それからヨーロッパに出て。まあロシアもヨーロッパですけども後オーストリア、チェコ、ドイツ、スイス、フランスそしてロンドン。3カ月の旅何が1番大変でしたか?
≪やっぱり中国の食べ物ですかねぇ同じような脂分濃いもの多いですからね。あと国境近くで羊ばっかりなんですよ。
「あれはそこの国のタクシーじゃなくてよその国のタクシーが走っていいものなんですかね。
≪まあ営業するわけじゃないですからね
「ただ通りにいけるだけだから構わないのかもまああなたをの車だと思えば。まあそれは構わないでしょうかねぇ。そこを通るには。まあ内戦しているとかそういうところは通らないようにしてね。
≪なるべくはね
「通らないようにしていらっしゃっただと思いますけども。結構大変なことで親子喧嘩というがあったんですって(笑)
≪ありましたね。
「そうなんですって(笑)
≪まあ仲が良い証拠だと思いますけども。
「まあそうでしょうね。でもその親子がやってくださった、親子じゃなければなかなかね。
≪いや今考えるとあの親子じゃなかったらできなかったかもしれない。
「でもその親子も勇気がありますよね。頼まれていくら公募でもですよ東京からロンドンまでタクシーでいこうということ自体がね
≪いや感服しますよそれは。
「そうですよね普通の車で行くのも大変ですけどもタクシーと言ったらあのカチャカチャンってメーターなんてものはアレですよね。
≪特別に作ったんです。
「あ!そのためのメータを作って。
≪いくらになるのかって。
「いくらぐらいになったんですか?
≪700万までいかなかった。でもそれは普通のタクシーは待っている間も上がっていくじゃないですかでもさすがにそれはなかったんですね。それやったらもっと
「もっとになっちゃう。でもそれはお金を取らないでいていただいて寝たりのところは取らないでいただいて。でもうすごいですよねぇどんな飛行機で行くよりもなにで行くよりもやっぱりタクシーでいいくら高い、当たり前ですよねでもねぇ。でもそうやって車でどこまでもいけれるというのが冒険というかやってみたいことのひとつだったでしょうかね。その後を気候がほら。雨がとか。
≪あのやっぱり砂漠ですか。細かいあのホコリというか砂というかね
「それと豪雨にもあったんですって。
≪豪雨はなかったです
「なかったそれはよかった。ではのパンクなんかは
≪ありましたねぇ。あと砂あらしとか
「砂あらしのとき中国なんかに行ったらすごかったでしょう
≪敦煌がちょっとひどかったですね。
「敦煌。あんなところもずっと
≪行きました。
「運転手さんたちは好むと好まざるとと変わらずにいすごい観光しましたね。
≪いやあくまでもだから営業というかね僕はどうしてやりたかったかというと東京有楽町でタクシーを捕まえて「すいませんロンドンまで行って下さい」とそれを言いたかったんですよね。
「それは面白いですものね。それで入っていって
≪そう。断ればいいのにね
「でも一応公募ではいって。食べ物やなんかはいっぱいに詰め込んではある程度。
≪いやいや向こうのものを
「全部現地で
≪はい。
「じゃ神戸からまではフェリーで向こうにいらして天津から現地調達
≪そうですねそうです。
「お水やなんかは大変でしたでしょうね。
≪やっぱり買って飲むしかないですよね。
「まあそうでしょうね。でもミネラルウオーターかえますからね。お水のないところは。アフリカなんかに行くとそういうのがないですからね。売ってないですからねやっぱり。いいそれは大変ですけども。でもそうやって、面白い経験?
≪今考えれば面白いですよね。
「奥様心配してらしたでしょう?
≪あのねぇ最後ロンドンで黙って迎えに来てたんですよ。
「じゃその前にどっかでお電話とかで話をしたりとか
≪電話でしていて全く言わないんですよね。まあ何かねくるんじゃないかと思ってかまをかけたりいろいろしたんですけどもちょうど大阪で仕事がやっていた時に彼女がレギュラーをやるもんで明日からこれだからといって大阪に行くからといってじゃあロンドンにはこれないなと思っていたらいたんですよ(笑)いたものだから困りましたねどういうリアクションをしていいか。
「ロンドンについたらば後ろからだれかが
≪これです
「目隠しをしたんですって。
≪でも肌触りといいますか手触りといいますか
「すぐにお分かりになった
≪わかりました。
「びっくりしたでしょう奥様がこんな目隠しをしてそこに奥様がいらしたら。
≪やられたなと思いましたね。
「でも彼女喜んだでしょう何事もなく。
≪そうですねぇ。
「だって何があるかは分からないじゃないですか。谷底に落ちるとかいろんな知らないところに行くんですから。その夜も走ったりね。
≪そうですね。まあ治安的には全然大丈夫だったですけどもね。
「でもやっぱりどっか行き止まりのところで持って何かがけ崩れがあったりとか、運が悪ければ谷底に落ちるとかいろんなことあるじゃありませんかねぇ。だって運転手さんが詳しい人であればいいですよ、現地の人じゃないでしょう。日本から行った人なんですから(笑)すごいですよねぇ考えたらね。
≪そうやって考えたらあの2人のおかげで行けたなと。
「でもそれもすごいですけどもやっぱり3カ月というのがやっぱり何よりすごいと思いますよ。1年のうち4分の1はタクシーの中にいたわけでしょうあなた。
≪そうですねぇ(笑)その年は。
「すごいですよね。タクシーの中で寝ていたこともあるの?
≪1回や2回はあったかな。
「でもその程度。次はいろんなところご覧になったりもできたはねぇ。
≪だから帰ってテレビを見ているとああここへ行ったここへ行ったというのがよくあるんですよね。
「当たり前だけどもテレビの人が取っているのか。それはそうですよね(笑)テレビの人は撮影しているわけそこの景色が何かを。違う車に乗って。
≪だからチェコのプラハなんかは1番気に入った街なんですけども
「そうですかきれいな街ですよね。
≪それが何か今年でしたっけゴオクかなにかでやられたりして
「そうですよそうですよ大変でしたねぇ動物園の動物がね。ようなふうにやったりして。じゃあ随分いい。それからドキュメンタリーをわりと好きになっちゃったんですって。
≪好きじゃないんですけどもまた行くことになりましたけどもね。
「どこに行くの?今度は
≪今度は来年1月にアラスカに行ってきます。
「へえーずいぶんまた違いますねぇいらっしゃるところが。
≪寒いところは初めてなんですよ。僕はアフリカとか暑いところばっかり行っているんですけども。
「アラスカあって零下どのくらいなんですかね。
≪2、30度という話なんですけども。オーロラを見れるというそれだけで(笑)
「でもお仕事でもそういうのできるのっていいじゃありませんか。
≪そうですね
「めったなことじゃできないですからね。まあでもいろいろあるんですけどもどうして俳優になったかというあたりなんかも宅麻さんこの前うかがっていないですけども結構面白いことがいろいろあるようなんでちょっとをうかがわしていただきますちょっとコマーシャルがあるんでコマーシャルに行かせていただきます
≪はい。
黒柳「まあ人の人生とは本当にわからないものなんですけどもあなたが俳優におなりになったというのも面白いことだなと思うんだけども。あなたは岡山のご出身で
宅麻≪はい。
「すぐに三井造船に
≪勤めていました。
「高校をお出になってお勤めになってらしたの。ただあまりいい社員じゃなかった
≪ああ、まぁあの年休というのは1年に取れる休みがあるんですけども2カ月でなくなるようなタイプだったですね。(笑)
「なるほどね(笑)それでおまけに19歳ぐらいのころなんだけどもこのままじゃ嫌だなという感じもあったんですってどこかに。
≪ありましたね。何かあるんじゃないかなと漠然としてでしかなかったんですけども思った時期がありました。
「だけどその漠然とですねいやだなあもうちょっと何かと思ったときに会社の
≪職場の先輩が「宅麻お前の今のままじゃダメだぞ」ということで(笑)でもだめと言われてもどうするの、じゃ役者にでもなったらといわれたんですよ。
「そうですよこの一言ですよ。じゃなろうかと思ったんですってね。すぐに。
≪それがあたりだったんですね。自分にとって
「なんでその方がやっぱりあなたがかわいいからとかと思ったんでしょうかね。何でそういうふうに思われたんでしょうかね。
≪いやで全然聞いていないからわからないですけどもそれはもう神の声みたいに聞こえて。
「そうですよね。だってその方がたまたまいい加減だったかもしれないけどもまあ俳優にでもなればとでもそれがなかったら全然違う職業をもし彼が言っていたらまあそうだなとそっちへ行ったかもしれない。
≪その可能性が高いですね。
「ねぇわからない19歳のときに。ましてや俳優なんてどうやっていいのかわからないですから。でもそう言われたからじゃそうしようかなと思ってあなたもうすごいんですけどもんじゃ上京だとすぐに決めたんですって。
≪俳優=東京というのがありまして(笑)
「すごいですね(笑)それでもって大阪とは思わなかったのね。
≪寄り道してはいかんなと思って。
「東京へ行こうと思って。でもその頃お母様がなくなったのが
≪まあそれもあったですよね。
「だからちょっとどっかへ行ってみたいというのが、そこを離れたいという気持ちがあったのかもしれませんよね。でもお父様は三井造船にもお勤めでもいらしたこともあったそうですけども。それで東京にいらっしゃったんですけどもどうして俳優になっていいのかわからない
≪全然わからないです。
「どうして暮らしていっていいのかもわからない。
≪うん
「19歳で。それであなたびっくりしたんですけども住み込みのキャバレーのボーイさんとかもやっていらっしゃったんですって。
≪1番最初はもう寝るところがなかったからそれでやりました。
「池袋の方の。どんなでしたその時は。
≪いやなに客を相手というかでそれまでは鉄板と戯れていましたから
「造船会社でね。
≪それがまさかビールもってこい、なんとかといわれてましてや「いらっしゃいませ」なんていう言葉も恥ずかしくって言えないときでしたからね。まあ面くらいましたね最初は。
「あのお客様は男ばっかり?
≪いやもう男ばっかりですね。
「でも働いているお姉さんたちはいたわけでしょう。
≪いましたね。
「じゃあそのお姉さんたちを見だってドキドキしません?
≪なんていう世界なんだと思いましたよ。そんなドレスというかねぇ派手な(笑)
「それは19歳の男の子が造船所に勤めていて鉄板と一緒にこうやっていたのがいきなりのお客様もそうですけどもお姉さんたちがみんな派手なお姉さんがいっぱいいて
≪化粧のにおいはプンプンするしね。どうしたもんかなと思いましたけども。
「岡山弁というのは別になかったですかその時は。
≪ありましたありました。
「(笑)
≪ですから役者になりたいといってもやっぱりそういう方言とかでそういうのを笑われたりとか
「なるほど。でもその時にお姉さんにうちへ遊びにいらっしゃいよとかそういうのは言われたりしなかったの?
≪まあ何とかこう泳ぎながら
「なんとか泳ぎながら(笑)そしたらまたこの方運のいいことに何かあなたいつもご飯を食べに行って(いた)食堂。食堂の人に
≪そうなんですよ。それで毎日行って話をよくするようになって宅麻何をしに来たの?という話になっていや僕は役者になりたいんだけども道がというからどうしていういいのかわからないという話をしたら、あの私がアマチシゲルさんを知っているから
「すごいですよその食堂の人がアマチシゲルさんを知っているからと言って当時ええんアマチシゲルさんは大変でしたからね
≪それで”え!”というんでするもの事務所に連れていってもらって
「アマチシゲルさんの事務所に。そこでいいですと言ったの?
≪そう預かってもらいましてね。
「で初めてアマチシゲルさんにお会いになってテレビなんかで見てらしたでしょうアマチシゲルさん。懐かしいですよね本当に残念でしたね早くお亡くなりになって。テレビで見てらした方を目の前に見てどうでしたか。
≪いやラーメンを食ってたんですよね。
「この方が。
≪でもねアマチさん僕が東京から出るときに役者というのをやってまあ”非常のライセンス”とかもやっていて。僕はアマチシゲルに会うというのが頭の中にあったんです。
「本当に!!
≪だからあまりびっくりしなかったです。
「すごいですよね考えたら。もう何か1本の線がそこにずっとあったように。
≪だからそれが普通に感じちゃったものでアマチシゲルさんやっぱり会ったというような感じで。
「不思議でしたね。やっぱりどこかに俳優にでもなればと言われた時にじゃあなろうかなと思うときには非常のライセンスが何か分からないけどもアマチシゲルさんの世界と何か自分がつながっているものがあったのかもしれませんよね。
≪やっぱり好きだったからかもしれませんよね。
「それにしてもそこのプロダクションなんかになかなか行かれないじゃない普通。
≪だからその東京に、役者になればから道が何か運が本当によかったと思いますけども。
「ねぇその食堂のそのいい食堂でもなかったかもしれないのにそこのおじさんがたまたま知ってらしたなんてね。なんてうまくいって。それでずっとトントン拍子に。
≪いや最初はやっぱり勉強しなければいけないということなので預けられたりしたんですけども。演技を勉強する。やっぱり食う方が忙しかったものでね
「アルバイト?
≪はい。だからあまりいかなかったですね。
「俳優で食べるよりは違うアルバイトがやっぱり
≪日々の暮らしの方が大事だったですね(笑)。
「大変でしたよね19の男の子が1人で東京に出てきてここまで来るのはそれは並大抵の。今はスカウトとかいろいろあるんじゃありませんか。でも当時はね自分でやらなければいけないし。
≪そうですね。
「何が何だか全然ね。でもよくあれですねここまでいらっしゃいましたよね(笑)
≪いや本当に運だけできていますよ。
「大人になってね。だからあのいらしたときに19歳・・・いや19歳じゃない29歳ですかここまで17年ぶりにいらしたときに私がかわいいかわいいといったときは本当に「あ~」って一息ついてようやく芸能界にため息をついているような感じでしたかね。
≪僕はだから本当にうわ~僕みたいなやつがトーク番組に出て何をしゃべるんだという時期でしたからね。
「あの時はねぇ。
≪20代は。
「だから私があらかわいい、あらかわいいと何回もかわいいを連発して失礼いたしましたけどもまあ29歳とはあまり思わないぐらいにもっと若い方だと思ったんですけども。もう1回写真をちょっとおめにかけますけども本当にあのこんな感じでいらっしゃいましたけども、やっぱり今見ると緊張が見えますねぇ顔に。その日の緊張じゃないのよ。生きていく上での緊張みたいなものがやはりおでこやなんかに見られますよねぇ。今の方が穏やかな感じというか。
≪そうですか。
「何かそんな感じがしますよね。やはりあの時はまだどうしようかなと
≪いやそれが多かったですね。
黒柳「面白い趣味をお持ちで喫茶店めぐり。
宅麻≪めぐりというか好きですね喫茶店。
「喫茶店でお茶何かを飲みながらどうしているのがいいの、考えているの?
≪とりあえず外が見えるところじゃないとだめなんですよ。
「外が見たい、
≪何か落ち着くんですよね。台本を覚えたりするのも割勘し喫茶店だし、何となく黒柳さんとテリトリーが似ているところがありまして(笑)
「そうですね。私もインタビューを受けているときも喫茶店でいつも私いつもカフェグレコというんですけども乃木坂のところにあるあそことてもご主人が理解がある方なものですからあそこで高倉健さんがいらっしゃるということを聞いたのでねぇいつかお会いするかなと思って行くんだけども1回もお会いしたことはない
≪正直言ってぼくもなんですよ(笑)
「おんなじ(笑)私もねおかしいですけども高倉健さんがあそこがお好きだと聞いたからいらっしゃらないのかなと思って行くんですけどを1度もお会いしたことないんですけどもね。
≪僕もです実は。
「そうなんですか。でもアレですよねそう言ってで喫茶店みたいなところを歩くといってもこの頃喫茶店も減ってきてるんですってねぇ東京って。東京はまだあるかもしれないですけども地方なんかは特に何かほら外国系のコーヒー飲むところがいっぱいできてきて
≪落ち着かないですね。
「ああ。なるほどね
≪喫茶店て陣地みたいなところありますけども僕にとって。
「なるほど。1杯のコーヒーから~♪って昔歌がっあたんですけどもねえ喫茶店の歌で。今はカカカカハハハって忙しいでしょう。やっぱりゆっくり悪いけどもそのお店の人にはねコーヒーでもとってもケーキぐらいとっても後ゆっくりお話ししたり外みたり本を読んだり。私もセリフなんかを覚えたり原稿を書くのに1番喫茶店が好きです。
≪そうですか。
「うん。前はよくそうしていたんですよ。このごろ忙しくて表に行けなくて家の中でこんなになって書いているんですけどもね。さて下にゴジラがあるんですけどもちょっとコマーシャルをはさみましてゴジラの敵、この方の敵ゴジラをやっつける方なんですけどもちょっとコマーシャルです。
≪
黒柳「実はなんと18年ぶりにゴジラの映画にお出になる。すごいですねぇ18年ぶりっていうのもね。
宅麻≪復活ゴジラだったんですけども18年前。
「その時すでに。あの小林桂樹さん、田中健さん、沢口靖子さんをああいう方たちとご一緒におやりになる。たくさんゴジラって作っているのでね。それで今度あなたはすごいんですってでメカゴジラというのを
≪これを開発する博士の1人なんですけども。
「研究者。開発する人なんですね。妻に先立たれて子持ちの中年のナンパ男ってどういう性格をして(笑)
≪(笑)
「でもこういうものを作るのが好きなの。
≪まあ田中さんみたいなもの(笑)いやいやそんなことない。
「田中健さんのケイナとどっちどっち。これはゴジラをやっつける最終的には、まあそれは映画を見ていただかないとわからないですけども。
≪まあそれはなかなかいい作品を
「何かあれですよねこれは1954年から始まったというのが最初ですからずいぶん長いですよね。約50年。
≪そうですね。
「そうですよねそれから中尾彬さんなんて初めはゴジラと戦う自衛隊の隊長だったのが今
≪出世しました。
「総理大臣で。やっぱり俳優もその間ずっと年をとっていくとだんだんそうなるのかもしれないですけども。でもアレですよねこういうをゴジラっていうものアメリカでもすごくあの評判がよくてね向こうでも作ったりとかいろいろしているそうですけども、久しぶりにお出になってどうでした?
≪いやも技術も変わったしねすごいですね今は。出ている僕が言っちゃいけないのかもしれないけども。
「びっくりしちゃう。
≪びっくりしましたね。
「でも今いっていたゴジラがこの大きさで、ああメカゴジラが歩いてきてアイボみたいに歩いてきて自分の家でおかえりなさいなんて言ったらいい気持ち悪いとか言って(笑)たけども。
≪気持ち悪いですね。機嫌が悪いとミサイルが出てきたりしてね。
「でもすごいですよね考えてみるとあなたが開発なさったことになっているこのメカゴジラの体というものはやっぱりずいぶんうまくできていますけどもすごいですよね、今あれですよね上映中なんですよね東宝系で。ゴジラもひさしぶりならあなたも映画は久しぶりだそうですので。
≪ええ、もう久しぶりばっかりですが今日は。
「(笑)本当私のところも久しぶりでしたものね。でもよかったは元気でなによりで楽しいお話しを。でも本当にお元気そうででも最近は犯人を追いかける刑事やなんかはあまり追っかけなくなったんですって?
≪いや今年は来年はおっかけます。
「追っかける。お願いしますどうも(笑)