本日の徹子の部屋ゲストは荻原健司さん

2002年12月20日

黒柳「今日のお客様は皆さんがよくご存じの方でいらっしゃいます。スキー選手でいらっしゃいましてノルディック複合でオリンピック金メダルおとりになった方。どうも本当によくいらしてくださいました。

荻原≪よろしくお願いいたします。

「荻原健司さん前にも1度いらしていただいたんですけども。

≪9年前にはい。

「そうでしたよねあのちょうどメダルを取りになったとき。

≪そうですね。

「今年の5月にまあ引退なさって今は割と・・・でも会社には勤めていらっしゃるの

≪はい北野建設という会社に残って引退をしてからもいろんなところから声をかけていただいて例えばです講演とかイベントへの参加というような時間を過ごさせていただいてます。

「そうなんですって。だから今年の冬はもしかすると本当に初めてのんびり

≪そうですね選手のうちというのは大変成績やはり結果を出さなければいけませんので。ようやく改めて純粋な楽しみのスキーができるんじゃないかと。

「そうですよね。小さいときからなんせお父様のことを伺いますけどもお父様本当に一生懸命やってくださったそうなのでまぁ本当にこれから楽しみのスキーがおできになる。今でも教えてもいらっしゃるのでしょう会社で

≪そうですねスキー部のですね副部長という立場をいただいておりまして。今ちょっと種目は違うんですけどもモーグルで上村愛子という女子の選手がいるんですけども彼女たちの

「すごいのねモーグルというのもまたね。

≪そうですね最近人気のスポーツになってきてはいますけども。

「じゃそういう方をお育てになって。

≪そうですねぜひ日本からもますます強い選手が出ていただかないと私も困りますし徹底的に。

「今日は偶然と言いながら荻原健司さんお誕生日でいらっしゃるんですね。

≪そうですねぇ33歳

「まぁおめでとうございます(拍手)。33におなりですか。そうですかで弟さんはまだ来ていただいていないんですけども弟さんはフジテレビの解説をやってらっしゃる。

≪あのニュースを読ませていただいております。

「そうなんですよそんなもんですからその局のことがあるのかまだちょっとおいでいただいていないんですけども。今は間違える人いないですか弟さんと顔。双子でいらっしゃるんでねぇ。

≪そうですねぇ当時は私がオリンピックでメダルを取ったころは弟はよく間違われて嫌な思いをしたそうなんですけども

「いやな思いってどういうの?

≪ええとやはり本人ではないのにサインを書かなければいけなくなったり

「なるほど金メダルおめでとうございますとか言われたりして。

≪ただ最近はですね弟の方がニュースを読ませていただいているせいか私に会うとですね「いつもニュース見てますよ」なんて声を掛けていただいて。

「(写真)こうやって拝見しているとちょっと違うように思いますけども今お写真が出ていますけども。あの別々になるとわからなくなっちゃうのかもしれませんね。

≪そうですねぇやはり2人並べば違いがわかると思いますけども。はい。

「そうですだから今日のお客様は間違いなくお兄様の方ですね。大丈夫ですね(笑)。実は弟さんがいらして私気がつかないでお話しをしてたりして。でもさっき発見したのが横顔拝見していてあの前はこうやってうかがっていいいたからわからなかったけども横から拝見するとあなたずいぶん格好のいい高い鼻してらっしゃるのでびっくりしたんですけども。

≪そうですか(笑)

「あの鼻ぶつけたことない。

≪いやあのありません(笑)。

「ねぇ本当にスーとしてすごいね。あのゲレンデというんですか、ゲレンデのようなお鼻で。あのスキーにちょうどいいようなお鼻だなと思ったんですけども。特にこちらの方から拝見するとねこんな風で。でそういうことなんですけども92年のアルベールビルオリンピックで一躍あなたの名前がねぇ。あれから4回。

≪あれから4回オリンピックを経験しています。

「あれを含めて4回のオリンピックに出ていらして。弟さんは途中の長野からお出になったんですよね。それであのびっくりしたんですけどもあなたの家はお姉様たちがすごいんですねスキーが。

≪ええと姉が3人います。でみんな中学校卒業と同時にスキーをやめたんですけども、長女と3女は全国中学校スキー大会のクロスカントリー走る方ですね。みんな優勝しています。

「そうなんですって。中学校の時に全国スキー大会で優勝ってすごいですよね。一応中学生では全国で1番

≪特に長女は2連覇しております。

「ちょっとごめんなさい(写真)長女はピンクの真ん中のいらっしゃる方

≪はいピンクの

「ちょっとひいていただくとお父様がいらっしゃるんですけども、お父様が非常に厳しく皆さんをお育てになった。お父様自体が選手でいらっしゃったんですね。

≪ええと私の父親はアルペンスキーの選手だったんですね。ですからジャンプ、クロスカントリーの選手ではありませんでした。

「でもアルペンスキーといってもスキーじゃありませんか。

≪そうですね。同じスキーでしたからやはり私たちのスキーに対しては大変理解をやっぱりいただいて。

「なるほどいまの写真もう1度なんですけどもご家族全員がそうするとお母様もなさるの?

≪ええと母親はサンデースキーヤーといいますか。私でも週末は家族でみんなで

「でもお父様が選手でしょうお母様はサンデー日曜スキーヤーで。あとのお姉様3人がピンクの方をはじめとして1人を置いてというかどっちがどっちだか。ちょっとこれわからないわね。(荻原健司さんと次晴さんの区別がつかない)

≪ええとたまに私もどっちかわからなくなるんですけども奥にいるのが私で

「お母様の後ろにいるのがあなたで壇の上に乗っていて。お姉様の隣にいるのが弟さんということになりますか。でお姉さんお姉さんといらっしゃってその右側のジャンパーのお姉様がやっぱり凄い強いお姉様。

≪そうですね彼女も全国中学校で1回優勝しています。

「すごいですよね長女のお姉様2連覇というですからすごいですよね。日本中の中学校で1番強い人2回もおやりになったんですからね。すぐ上のお姉様がアルペンスキー?

≪ええとアルペンスキーはですねえ真ん中の姉なんですね。

「だからそれはすぐ上のお姉様じゃないか。3女がすぐ上ということになるのか。

≪3女がクロスカントリーの選手です。

「だから2女というのはあなたの上の上ということになるんですね。とにかくそういうふうに家中がおやりになるんですからお母様もしょっちゅうハラハラしてらしたと思うんですけども、なんと言ってもあなたの弟さんがおでになってそして最終的には弟さんと争うことになったじゃない。

≪そうですね

「オリンピックのときに。

≪はいオリンピックのときに

「長野

≪はい長野オリンピックのときにジャンプのですねときは弟の方がよかったんですね。で私は弟の背中を追いかけながらクロスカントリーのレースをしていきまして。

「あれもまた不思議なんですよね。そのノルディック複合というのですかあれはジャンプで飛んでその後今度坂あり何ありみたいなところを

≪クロスカントリー

「歩いていくという。実際あそこのVTRを用意いたしましたので弟さんと、飛んでらっしゃる所はあなたなんですけどもその後弟さんとせってらっしゃるところが。でご家族もねぇお母様もお父様もどっちも勝たせたいということでね。

≪そうです

「ちょっと相撲の若貴さんが2人で若乃花貴乃花さんが一緒に組むときがありましたよね。あの時お母様も本当に見ていられなかったと教えましたけどもちょっとねあなたのお母様もそうだったかもしれませんけども。それでは長野冬季オリンピックのノルディック複合のあのVTRでご兄弟がせってらっしゃるところ解説付きでお願いいたします

≪はいわかりました(笑)

「ご覧ください。~VTR~このときやっぱり倒れこむという感じですかね。

≪そうですねぇ苦しかったですね。ただ本当にあの長野オリンピックの直前まで私1年間ずっとその会場である長野の白馬村で春から生活していましてええをもその水であり空気でありいう何でもいいから味方にしたいなと

「あそこのところお歩きになるところは普段から歩いている

≪もう毎日あそこで走っておりました。

「そうですか。じゃあもうずいぶんね。

≪そうですねやっぱりここで1番トレーニングしたのは俺だという気持ちで走りました。

「だからあの時に何位だったか忘れたんだけどもあなたが優勝したような感じがねぇも金メダルかしらとみんなが思っているような感じでしたけどもね。でもそれにしても世界にそこまで世界の人たちと一緒にそこまでいらっしゃるんですから4位におつけになったということも大変な、

≪でもメダルは欲しかったですね。

「そうでしょうねぇ。ひとつあってもいくつあってもあれはいいものだと思いますのでね。でそういうことがありましてあのあなたずいぶん最近立て続けにいいことがいっぱいあって。えっと草津に

≪荻原兄弟の記念のモニュメントというのを作っていただきまして、まあそれをやはり観光客の方たち子供たちに見ていただいて何かこう

「(写真)これがさっきあの2人で

≪後ろに写っているのがそうなんですね。敗群馬県の草津温泉出身地なんで。こちらに飾られることに

「まあおめでとうございます。だからこれみなさんがご覧になってね草津にいらっしゃったら「おーこれは荻原兄弟だ」と思ってね。それから今度は県民栄誉賞。

≪はい群馬県の群馬県民栄誉賞というのいただいて。

「おめでとうございます

≪本当に選手をやめてもいろんな賞をいただいて。

「それからユネスコからごく最近おもらいになった。

≪ええあの国際フェアプレー委員会というのがございましてその方たちが1人ですね私を選んでいただいて、国際フェアプレー賞というのいただくということになりました。

「すごいですね。それはユネスコから。

≪あの1月に今度パリの本部でですね

「まあそうですがよかったですよね(拍手)。でもそんなたくさんの選手の中からあなたを選んでくださった。フェアプレー光栄?

≪いつもそういうつもりで戦ってきたつもりですので大変うれしいです。

「それは嬉しいですね。お父様も大変うれしくていらっしゃる。さあこれからいよいよお父様がなんといいますかねスパルタというか大変。だから今日があると思うんですが。大変なコーチをなさったということですけどもちょっとコマーシャルです。

黒柳「まあ何といってもスキーご一家でしてお姉様3人がそれだけの成績を取った選手でいらっしゃると。弟さんもおやりになって大変だと思ったんですけどもまあとにかく小学校5年生から

荻原≪はい。小学校5年生から本格的にですね

「その前はもうすべっていた。

≪それまでは普通のスキーををやってましてけども本格的にスキーのジャンプをその町のスキー少年団に入って始めました。

「それでジャンプは自分に向いているなという感じはありましたか?

≪そうですねぇ小さなころからアルペンスキーですね言われるゲレンデ

「さっきのお父様がアルペンスキー。アルペンスキーというのはゲレンデを

≪そうですねゲレンデをすべり降りてときにはその旗をくぐり抜けていくという。そういうものは小さいころからやっておりましたので何かもっと後なんというんですかねエキサイティングなというかチャレンジイングなそういうようなところにスキーのジャンプがあったと思うんですね。

「だけどあれですよねあなたがお飛びになるのみんな見てたんですけども揃って行くんですけどもであれは下の方からコーチの人がいま風がいいとかといって合図が一応くるのはくるんですって。

≪はいあの一応コーチの方が今スタートというような形で

「私上の人は自分の呼吸がなんかでやっているのかと思ったんですけどもやはり風の問題

≪そうですねぇスキーのジャンプは特にあの風の向きまたそれで運不運というのがかなり差がありますね。

「そうですね。あなたもさっきそうやって飛んでましたけどもあれはくっつけておくのというのは足の力でやらないとバタバタとこうなっちゃうんじゃないですか?

≪そうですでしっかりと足をまっすぐはっておかないとですねやはりあのスキーに受ける風圧というのがそれなりにありますのでこうバタバタしてしまいますね。

「そうですね。あれきれいにそろっているということはかなり足で押さえつけている

≪しっかりと足をはっている状態ですね。

「そうでしょうね。お父様はアルペンスキーの選手でザッと滑る方だったんですけども。でもいよいよあなたが何かにお出になったのねそして。小さいときに

≪あのそうですねぇいろんな大会たくさん出てきましたし、小学校の大会中学校の大会もたくさんありましたけどもただ1番最初のきっかけというのがですねぇ弟が最初に全国大会に行ってしまって私は群馬県内の予選で通過できなかったんですね。そういうことが最初の原点なのかなと。まあ双子の弟でもありながら弟でありながら先に全国大会にいかれたというのが悔しかったですね。

「そういうことだったんですねだからお父様はとにかくって朝ですか暗いうちに

≪夕方の暗いうちに

「夕方の暗いうちに学校から帰ってきて。

≪私たちが学校から帰ってきましてまだ当時ナイター照明というスキー場に、ナイター照明という設備がなかったころですね。草津温泉で。夕方リフトの営業がスキー場の営業が終わってもですねぇ日が沈むまでのあの薄暗い中でまた私と弟とよくスキーをやってました。父親がそのリフト代わりに車でスキー場の上まで運んでくれて。ですからだれもいないスキー場2人だけで

「あなた方をそこに置いておいてお父様は下に車でおおりになって下の方でこうやってあの見てらっしゃる。

≪そうですねや父親と私たちどっちが早いか父親が車私たちはスキー、どっちが早いか競走だなんてよく言っていましたね。

「でもお父様はスキーのことならばいいんだけど、当時はゲームがだんだん出てきてTVゲームとか。そういうのしたいと思っても

≪やはり友達がなんというんですか家庭内ゲーム機というのを1人2人と買い始めてですね僕たちも欲しいなと思いましたけどもでもそういうある日そういうことを言いましたら「お前らそんなテレビに向かって何するんだ馬鹿野郎」なんて怒られましてね。

「テレビに向かって何するんだ馬鹿野郎(笑)

≪それでシュンとしてからはもう言わなくなりましたけども。

「だめだなと思って。

≪ただ本当にスキーに関してはあの非常に協力的だったですね。やはりああでもスキーをやっていましたし私たち双子で複合競技という2種目やっていましたから相当お金もかかったと思いますけども

「ああそうなんですってね。私気がつかなかったんですけども2つになればまたそれはそれでお金がかかるんですってね。

≪2種目分お金がかかります。

「ジャンプとクロスカントリー

≪ただそういう部分では何も言わずにやはり道具をきちんとそろえてくれました。

「あれはジャンプするときのスキーとクロスカントリーの時のスキーとは違うんですか?

≪ええジャンプのスキーというのは幅が12センチ近くありまして長さが2メートル50センチい。

「すごい重いものですね。

≪思いですね。クロスカントリーの場合はスキーの幅が4センチぐらいですね。

「ええ!12センチとおっしゃいましたね飛ぶときは。クロスカントリーってそんなに

≪約4センチぐらいですね。そして長さが180センチ-90センチくらいです。非常に軽いです。

「なるほどで全然違うものなんですね。でもお父様ってすごいなと思ったのはどなたかが子供のときのあなたのスキーのけいこをしているときの写真貸してくださいという方がいらしたら

≪あのよくお子さんのころの写真があったら貸していただけませんか?なんて言われるんですけどもまあ父親のところにある方が取りに行きましたらその内には健司次晴の子供のころのスキーをやっている写真はないんだよと言ったんですって。まさか何か1枚でもいいから貸してくださいって、うちの親父はいやだから子供がスキーをやっている写真はないんだと言ったんですね。何で何ですかと聞いたらその子供たちがスキーを一生懸命やってるときにカメラを向けている親がどこにいるんだといったそうなんです。

「へえ~。

≪ですから子供たちが一生懸命飛んで走っているときに自分もしっかり目を開いて俺はいつも見てたんだというようなこと言ってたみたいですね。

「私すてきだなと思うんですよ。やっぱりそういうところを記録に取ろうという方もいらっしゃるかもしれないけどもあなたのお父様にしてみれば本当に飛んでいる時にこんなこと(カメラで撮影をすることを)やってはいられないという。自分の目で見てちゃんとそれでまた指導しなければならない立場でもいらっしゃったでしょうから写真を撮っている余裕なんかなかったということなんでね私それとってもいいなと思ってねお父様が。

≪私もある意味そういうふうにして父親が私たちの面倒みてくれたんだなと思って。まあ人生の先輩としてはいい話を聞かせてもらいました。

「そうですよね。それは夕方だったから撮れないのかもしれないんだけども他のところだったら撮ろうと思ったら撮れたかもしれないけどもそんな余裕はなかったというね。一生懸命子供たちがやっているのに。カメラなんかむけられないというのがとてもわかるような気がしますよね。すてきなお父様だなとそんな話でも思うんですけども

黒柳「本当に繰り返すようですけどもオリンピックに出るかもしれない、将来こんなふうになるかもしれないそんなときは子供のときの滑っている写真を1枚ぐらい撮っておいた方がいいかしらと思う親ももちろんいるかもしれないけども運動会やあれだけみんながお父さんたちが写真をとったりビデオを撮ったりしてるん時代ですから。でも真剣に滑っている子供にカメラなんか向けられないといって1枚もお取りにならなかったお父様ねやっぱり。お父様のことすてきだなぁって思うんですけどもお父様はとてもご自分が全日本選手権大会にお出になって

荻原≪アルペン競技で11番が最高成績だそうですね。よく私に自慢しています。

「そうですってね(笑)お父様は11位ということ自慢なさるのでこれは金メダルをオリンピックでもらってるんだけどなとずっと思ったりもなさるけども。あなたはそれに出てらっしゃらないの?

≪それはもうわたしは出ておりません。

「そうなのね。だからそういうこともあると思うんですけども。まあそれにしてもお父様はお元気な方で、山登りなんかをあなたと一緒に行こうということになって

≪ええ私の父親はいま67歳なんですけどもあの私引退してから春に電話がかかってきましてお前もスキー選手辞めたんだから相当暇だろう。俺と一緒に山登り行こうぜという電話がかかってきまして。「ああいいようどこ?」と言ったらキリマンジャロというんです。

「(笑)

≪私もキリマンジャロというのでコーヒーの名前で聞いたことがあるぐらいでどんな山かということはわからなかったんですけどもあの今はインターネットですかああいうもので調べましたらアフリカのタンザニアにあって標高が5,900メートルもあるというんですね。ちょっとびっくりしました。

「昔キリマンジャロの雪という映画があってね古い映画ですけどもね。私たち若いときに見てましてね。キリマンジャロてロマンチックな山があるんだと思って。私もケニアにいきました時にね。あのふもとの方やなんかは寒かったりいろいろしてずいぶん飢えている子供たちがたくさんいる地域なんですよ本当に。

≪あの本当に私も現地へ行きましてケニアのケニア山というところのケニアとタンザニアに行ってきたんですけども。本当にこういう生活をなさっている方たちがいるんだなということ山登りは別にやはりいろいろなその勉強してまいりました。

「でもそれにしてもお父様とそこへいらっしゃいました。まあまさかアフリカのそういうところにあると思わなくて日本の国内だとあなたは思ってらしたでしょうから。でお父様はどんどん行くぞと。そしたらみんなからお父様のこと気を付けてあげてね気を付けてあげてねと

≪そうです家族も親せきもうちの父親はそんな高いところまで行けるのかどうか健司面倒見てくれ頼むぞなんて言われて出かけて行ったんですけどもね。でも私の方が当然体力があるだろうと思って出かけて行ったんですけども途中で私あまりあの山登りはまだ素人なもんですからちょっと装備の不十分さでですね風邪をひいてしまいまして。結局旅行中めんどう見られたのは私だったんですね

「(笑)

≪ただあのおかげさまで2人そろってキリマンジャロの山頂まで行くことができまして

「気持ちよかったでしょう?

≪そうですね。本当に久しぶりに父親との旅行ということもありましたしやはり6,000メートル近い山に登ったのも初めてでしたので。

「そしてお父様はあなたが本当に命がけでやってらして、そしてやっと引退なさったのでそういうところから違う気分で世界を見せてあげたいというところがお父様にはあったんじゃないでしょうかねえ

≪そうですね。わたし自身も何かこう父親との久しぶりの旅行また会話があり、もしかしたら健司も・・・まあ当時はがんばれがんばれでしたけどもまあ健司もよくやったななんて話をしてくれるんだろうなと思ってやっぱりいったんですけどもね毎日毎日山を歩きながら「健司早く家に帰ってきて家の商売を継いでくれよ」と毎日言われていました(笑)

「(笑)お父様何の仕事をしてらっしゃるんですか?

≪あの草津温泉で建築資材販売業あの金物屋さんですね。

「そうなんですか。でもあなたはお勤めはしてらっしゃるんですけども、じゃ俺の仕事をついでくれ(笑)

≪もう毎日毎日ですね。1日6時間7時間8時間歩きぱなしでそれをずっと言われていました。

「面白いお父様ねぇ(笑)

黒柳「荻原健司さんはアルベールビル、リレハンメル、長野そしてソルトレークと4回オリンピックにお出になったんだけどもまだみんなまたね出て下さるんだろうと思ってたんですけども今年の5月に引退なさって皆さんをお聞きになったと思いますけどもその直接引退なさろうというお気持ちは

荻原≪あの92年に初めてメダルをとってからあのやはりこの複合競技というのは当時はまだ皆さん知らなかったものですから何かこう10年やって皆さんに知っていただきたいなぁそういう気持ちがありましてですね。途中長野オリンピック終わった直後に引退しようかなと考えたんですけども

「そうですか。

≪これで辞めたら当時自分に約束した10年というのを果たしてないなと思いまして、続けたんですけども。ようやくその10年がたって何かこうこれで終わったかなというような感じですね。でも本当に悔いは残らず今は晴れ晴れとしたすがすがしい気持ちで引退することができました。

「そうですか。もちろんこれからもスキーはやってらっしゃると思いますけども金メダルを競ったあのころのご自分の気持ちは今どんなふうに思い出しますか

≪そうですねぇただいまではそんなこともあったかなというような感じですね。ただやっぱりこれからというのはまた別のその取り組をしていかなければならないと思いますしそういう経験というのも何かこう発揮していければなと

「そうですね。皆さんにお見せになって、皆さんがワーすてきと日本人ですごいじゃないとみんなが思ったあの気持ちはねあなたからもらったものはすごいと思いますし、考えてみますと世界中たくさん人がいますけども日本人だけでも1億3000万人といわれている中で本当に1等賞になれたというのは。

≪そうですねぇ皆さんのご声援があったからこそですね。

「まあそうですね。でもお父様の会社を継がなければなければならないというのが大変ですね(笑)これからどうしましょうね。

≪もう複雑なで気持ちで。でもこれからも一生懸命頑張って

「お父様いま山を登ってらっしゃるんですって。日本の山はもう登るところないぐらいのぼってらっしゃるんですってね。

≪ですから私が早く帰ってきてとにかく外国の山を登りたいそうですね。

「ああそうですか。また一緒に行きたいと思ってらっしゃる。

≪いきたいと思ってます

「本当にありがとうございましたお元気でまた。どうもありがとうございました

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