本日の徹子の部屋ゲストは高嶋政宏さん

2002年12月24日

黒柳「高嶋政宏さんですお元気でなによりでございますけども

高嶋≪ご無沙汰しています。

「御無沙汰致しております。あのあなたが太っていたというときにちょうど私がマリアカラスをやるので108キロある人をやるだけどももちろん私がやるときは痩せていたんだけども太っていた時で1番困ったのは何ですか?とあなたにうかがったの覚えてらっしゃいます。

≪あのなんでしたっけ。またずれですよね。

「そう。そうなんです。あなたがまたずれとおっしゃったので私考えてもいなかったの。でそうかマリアカラスはドタバタはするのがいやだから痩せることにしたと言っていたけどもまたずれかと思って

≪またずれで転んじゃうんですよ。

「あなたもそうだったんですか。またずれで転んじゃう。転んじゃうお母様がしょっちゅう転んじゃうので心配していた。またずれで転んでいたの。

≪そうなんですよ。うちの母なんかは全然息子が太っていないと標準サイズだと思ってでもなんで転ぶんだろうということでお医者さんに連れていったらこれは太りすぎですというんで。

「そうですってね。その時全然太っていると思っていらっしゃらなくて。これからねぇ今日初めてですけどもテレビ初公開です。太っていたころの写真を、まだですよまだ出さないでねぇ。つまりどんなに食べたらそんなになるかということなんですけども焼き鳥50人前とか食べていたんですって。

≪やきとり50人前ですよね。

「それから。

≪焼き鶏が50人前ですから。

「同じお店にあるの焼き肉も?

≪ええ。いや焼き鳥屋ですからそこは。焼き鳥50人前のほかにご飯とお酒を飲まないじゃないですか小学生だから。

「小学生、ああすごい50人前にご飯を食べて。

≪ご飯と何かスープみたいなもの。で焼き肉だったらたん塩だけで17人前。

「タン塩だけで17人前。じゃあ後ロースだとかなんだとか

≪ロースからカルビからサラダからあの何ですかそういう食べあげた後にビビンバとか。

「ビビンバってものとお野菜がいっぱいのっているご飯のね。

≪そうそうそうそうあとユッケとか。

「よくユッケって生のですか。そしたら全部でもって今だから言えるけども108キロぐらいだったの?

≪108キロですね。110に行っていた時もあったかもしれないですね。

「はからないだけのことでね。

≪恥ずかしいじゃないですかそれをいうのが。

「でもあなたはお背が高いからちょっとでみんなの思っているのとはちょっと違うんだけどもでもお相撲さんぐらいはおありになって。でも本当に相撲部屋から来たのね。

≪九重部屋だったと思いますけども

「本当に。九重部屋からお誘いがあったって弟さんにもあったって話だけども、弟さんも太っていたの?

≪応答等は僕よりもだから僕が108キロですから弟は98ぐらいだったんじゃないですかね。

「まぁその小さかったからね。あの年齢も小さかったので

≪でまあ学校が私立だったので私立のボンは相撲界じゃだめだといわれて

「そうかは私立に行っているような子は根性が

≪根性がないと。

「ないからね。

≪いや根性はあると思いますけども今私立に行っている方もね。私立だからどうこうじゃないですね。

「でもまぁの話がね。でまあお二人とも相撲部屋に呼ばれたんですけどもその時のお写真をですねこの方は絶対に出さないと。だけど部屋に張ってこうなる前ぞと

≪戒めでいたんですね。

「そうですってね。でお母様がここにいらっしゃるにあたって私が見たい見たいとあまり言うもんだからあの借りてこようかなと思ったらあなた家出するといったってお母様がおっしゃったわよ。

≪ああその時はいってたんですけどもねそのころのことも覚えてないですね。

「覚えていない。

≪そういう気にしていたとか。

「今は全然気にしていない

≪全然関係ないです。

「そうです全然関係なくていやという感じで今日は(写真を)お持ちくださったんですって皆さん。あれだけ家出するとお母様ねぇここに来るときにねこの写真をちょっと借りていっていい?といったらだったら家出するそんな写真を見せるんだったら家出するといったのってお母様がだいぶ前ですけどもおっしゃってたの。それがまあ今は出してもいいと。それはもう自信がついたからでしょうね

≪何かそれがネタになるんだったら何か面白いじゃないですか(笑)皆さんに楽しんでもらえるんだったら。

「(笑)ええやんそれでええやん。それではいよいよご待望というから私が待望してたんですけども見せていただきます。あの108キロあったぐらいの相撲部屋からお誘いがあったころのお兄ちゃんのお写真です。じゃあご覧いただきましょうではどうぞ【写真】ああ、これ!

≪これがねぇ

「そんなでもないわねぇでもやっぱりすごい?

≪要するに

「これ小学生!!!ああ中学生。びっくりした中学生か。随分大きい小学生だなと思って。

≪要するに嫌だから写真がないんですよね。1番ひどいときは。

「でもやっぱりあなたねこの方村田さんという俳優さんタケヒロさんという俳優さんに似ている。にてない?村田さんに悪いかもしれないけども。

≪そうですね村田さんでも結構しまってますよ。すごく。

「あの方しまっているけども顔がちょっとそんな感じがしません?でおなかのを変なんかはダブらせているけどもあれはわざとああいうふうにしているのかしら(洋服をダブダブにしている)クシャクシャにして。

≪いや恥ずかしいのでたるませて

「そうですよねたるませているから中身がお相撲やさんみたいになっている。

≪おなかが出ているので手が前に出ちゃうんですよね。

「ああそうなの。お父様よりも背が高いということ。だいたいお父様って大きい方ですよね。

≪そうですねこのときで父は180ぐらいですからね。

「そうだからあなた中学生ですから不気味な中学生ね考えてみれば(笑)考えてみればさそう思いません?あなたは中学生で180センチ以上あってですよ体重が108キロあってこうやってたっていると右側にいらっしゃるお母様なんか影が薄くなっちゃうじゃありませんか。

≪そうですそうです。

「で弟さんはああやっているから(中腰でいる)何か体がちょっとわからないけどもね。

≪ちょっとこうおなかを隠すように腰を引いて。

「意識してね。小学生?弟さんはそうすると

≪小学生か中一か

「くっついているのねあなたと年がわりとね。

≪年子で。

「でもあのそんなにびっくりするほどではないけども

≪そうですねぇ写真はこの1枚だけで。

「何かもう1枚あったのよ。でも中学生というのが驚くわね。だから高いし身長の重さも入っていたんじゃないの(次の写真)これ!!これはちょっとおなかが

≪これはもしかしたら小学生ぐらいだったかも

「小学生。やっぱり肥満児といわれても。これはお家で何か(トレーニングをしている)

≪これは必至でやせようとね

「やってはいたのね。確かにね焼き鳥50人前食べたらこうなるかなって。だってこのころて新陳代謝がいいんだから

≪そうなんですよ。

「そんなに普通だったら太らないはずですよね。

≪よせばいいのにシャツをこうズボンのゴムの中に入れちゃって(観客笑)。なにでこうしちゃったかなと思って。

「本当にね。これでこれを出したくない写真だったんじゃないの。きっと。

≪でも懐かしい写真ですねこれ。

「でもやっぱり自分でこれではいけないぞと思って。そこが小学生ですよね。

≪このころは何とも思ってなかったですね。これはまずいぞと思ったのが高校2年ぐらいのときに。もう女にもてたいなと思って。

「意識して。

≪女にもてたい一心で高2の夏休みにNASAが開発したといわれるサウナスーツを。本当に開発したかどうかは知らないですけども。あれを着て夏休み毎日30分走りました。

「で汗をかいて。

≪雨の日も風の日も本当に文字どおり。

「そしたらやっぱりやせる?

≪23キロやせたんですよ。

「それは、じゃ食べ物もいろいろ。

≪食べ物はあのごはんは外で食べてきたとうそをついてでどうしても逃れられないときはあの煮物中心で。でご飯をちょっとにして。

「ええ。そしたら23キロ

≪だから水肥りというか単なる運動不足とかで太っている人はやせますよすぐに。

「まぁそれはね。期間はどのくらいで?

≪期間はねええと1カ月ぐらいだったんじゃないですかね。

「あなた1カ月で23キロやせたらすごいですよ。そうなのってないんじゃないの。やっぱり。

≪ただね動機がまじめな動機だったらダメなんですよ。動機は不純であればあるほど成功します。(観客笑)

「それは女にもてたいという

≪女にもてたいというより具体的に。

「そうかもしれませんね。

≪あの女と付き合いたいとかね。女性だったらねあの人を私のものにするんだというね

「女性はそうですよね。それからあの洋服が着たいとかね。

≪そうですねぇ。

「あのお洋服を着てあの人の前に立ちたいとかね。

≪電信柱ひとつひとつにその人の顔を思い浮かべながら走るわけですよ。

「それはイメージですね。

≪苦しいじゃないですか。太っているから。走って1つ目の電信柱まで行ってん到達したらよしじゃあ次の電信柱まで行ったら次あの子と付きあえるとか自分でね。どんどんどんどん

「それはイメージトレーニングのひとつですよね。

≪イメージトレーニングでほとんど誇大妄想になっていって(笑)

「(笑)異常ですけどもそれは電信柱があったということ自体があれですよね、今電信柱ないでしょう東京にはあまり。

≪ないですね。だったら今だったら次の角までとか

「そうですよね。そういうふうにして。そうでそうやってやればやっぱり痩せるということでしょうね。いわゆるなんでしょうかよく昔の言葉でいえば色気付くというんですかねそういうこと

≪そうですね。

「今色気付くというのもあまり聞きませんけどもね(笑)

≪結構でも何か「このやろう色気付きやがって」というのがありますよね。

「そうそうそうそう。女の人はあまり口に出さない言葉ですよ。それでも一応言ってみたんですけどもそういう年代になるとやっぱりそうしたい。でもそれが過ぎちゃうとはまたどうでもいいやという年代がきちゃうですよね。また

≪どうでもいいやにさしかかったときにあのちょっと危なかったんですよ。

「やっぱり。

≪であるときに今は俳優になった沢田賢也さんという方が当時トレーナーみたいなのをやっていたんですね。で突然ですよその人も失礼なんですけども大学生の俺の腹をつまんで「結構きてますね」って。それが悔しくてそこから今度ウエートトレーニングとか。

「それからシュワルツネッガーみたいな体に持っていったわけですよね。

≪そうですね。

「シュワルツネッガーみたいなことからだすごいやつ写真を見せていただいたことがありましたよね。

≪あれは王様と私の役作りで。

「役作りでシュワルツネッガーですよ。シュワルツネッガーかと思ったもの本当に。王様と私の時は本当に筋肉質の人じゃないとね。

≪でちょっとね王様なのであまりやせているとだめなので。

「だから筋肉質の良い体で強靭でありながら。

≪そうですけどねでもあの時は本当にその時はちょっとね何かに取りつかれたように夜ご飯を食べないですよ。

「それであの気持ち悪くなりません。何かその食べないでいると。

≪低血糖になっちゃって夜震えるんですよ。

「恐い

≪それではって行って冷蔵庫を開けてと冷蔵庫の臭いだけ嗅いで扉を閉めてまたはって帰っていくという。

「それでも低血糖は直ったんですか?

≪そのままねちゃうんですよ倒れるように。

「ほとんど死んでいるみたいになっちゃう。

≪でもねぇその影響がきていますね。

「どういうふうにそれは。

≪やっぱりでビタミン・ミネラルを受け付けなくなりがちな体になったりとか。

「ああそうなの。

≪ですからそのころはねぇ風邪とか全部ひいちゃうんですよ。

「そうですよね抵抗力があまりないからね。そんなことをしているんですからね。

≪苦しかったですね。だから85までは楽なんですよ。100キロ台から。やろうと思えば。85から今度70キロ台にするのが難しいですね。この間王様と私という舞台の時に足の指をおちゃって

「あなたがびっくり

≪舞台のけいこに入る前に。

「出てましたよ新聞に。

≪で別の方の足に負担がかかってはいけないということで食事を減らしたんですよ。やっぱりすぐに75キロくらいになるんですけども終わった後が大変でしたけども舞台中はそんなに食べなくても何とか。でもその後大変でしたね。

「やっぱり

≪免疫力がさがちゃって。風邪はひくは

「栄養失調に近いですからね。何で足をおちゃったんですか?

≪機材に引掛けちゃって。家で自主錬をやってたんですね。

「(笑)王様と私をやっといらっしゃる最中じゃなくて。

≪こう自分の家の音楽の台みたいなのがあるじゃないですか。あそこにひっかけちゃって

「痛かったでしょう。どの指?

≪左足の中指

「どうでもいいけどあなた足何センチあるの?随分大きいわね。

≪27.5なんですけども。

「でもそんなでもないけども靴が大きいのかしら。ずいぶん大きく見えますよね

≪先ながです。

「先長ですね皆さんこの靴ねかなり、足を見たらあまり長いので驚いたんですけども。こうやってみると分からないかもしれないけどもちょっとアレですよね

≪この間足袋屋さんへ行って足袋を作ったらね骨張っていてすごく作りにくいと言われてね

「時代物のときは足袋は作らないとダメですか。

≪結構しわが寄るのが嫌なんですよ。作りにくい足だといわれて

「足袋系の足じゃないですかね。

≪足袋は何かふっくらした足がいいといわれて。

「骨張っていると作りにくい。だからお相撲さんなんかみんな特注でしょう。

≪そうですね。

「ふっくらしているからいいのかもしれない。骨はっていると作りにくい。

≪作りにくい。

「幅やなんかとかは作りにくいのかもしれませんね。

≪だからこうむくんでいた方がいいと言われて。

「(笑)。でもいずれにしても勇気を出して持ってきていただいた写真が見られて私は長年のね夢が何か実現したような気が。

≪そうですか。

「さてお父様なんですけどもこちらに来ていただいてうつ病だったというお話しをなさって下さって、ですっかりもよろしいかと思ったらその後はアレなんですって外国にいらしたら

≪そうなんですよ。あのうつ病というのはここに出させていただいた時期からが長いんですよ。

「ちょっとコマーシャルへいっていいですか。それで続きの話を。【写真】ああこの時お父様ねぇこれはお元気で人の前でも私はうつ病だったと話ができるからということで来て下さってもうそろそろいいんだとおっしゃってたんですけども。その後外国にいらしたときにまた何かあれになって。でも今はねさらに素晴らしい状況になっているんですけども。

≪秘蔵ビデオも。

「秘蔵ビデオそうですよ。あなたもいろいろあるんですね(笑)サービスいいのね

≪いいえいいえ

「秘蔵ビデオお父様の秘蔵ビデオ最近の。

黒柳「それとお父様の高島忠夫さんは3年前にこちらにいらっしゃって実は自分はうつ病だったんですと。でもうつ病というのはどんなに大変なものかって起き上がることも何も出来ないって。でももここにきてそういう話もできるようになったしも笑えるようにもなったからといっておっしゃっていらっしゃったんですが、その後フロリダに

高嶋≪フロリダにまあある番組でいったんですけども。

「番組でご家族で

≪そうなんですよ。まあお医者さんに聞いたらもういった方がいいと。ですからそのお医者さんの見解では行くのはいいだろうといい影響を与えるだろうということだったんですけども。まあああいう病気は病状は小康状態が長く続くんですよ。ただフロリダに行ったことによって新陳代謝、要するに思わず便秘になったりとかそういうことが全部を時差ボケもひどくなりますしね。そのへんで大変な状態になって。

「旅先で

≪そうなんです。

「お母さんもかわいそうでしたね。本人もかわいそうよでもお母さんも大変でしたね。

≪本当に今でこそ言えますけども僕が部屋に入ろうとすると部屋に入らないでという瞬間が何回もありましたからね。

「お母様が。

≪ええ

「お母様が息子にも見せたくないという。

≪見せたくないというような。あの時に何かこうちょっと困ったような複雑な、衝撃ですよねやっぱり

「それはそうですよね。しかも外国でゆっくり楽しくねすればやっと親子4人でテレビにも出られると、ところがですねその後いろいろあったんですけども1番いいのはお父様が1番大好きだったピアノを弾くのが嫌だ。歌を歌うのが嫌だ。人の前に出るのがいやだ。

≪あの病気は今まで好きだったものが全部嫌いになるんですよ。

「そうなんですよ。それがもびっくりしちゃうんですけども。でもそれがだんだん少しずつ家族の協力により出て歌ってもいいかなというので最近のさっきもおっしゃった最新ビデオ。これから皆さんに見ていただきますけども

≪これはねぇ本当の秘密ライブですからだれも知らない。

「家族が出てらっしゃるんですけども本当に家庭用のビデオですからどなたかがおとりになってくださったんで。秘密のビデオ会。秘密というか

≪要するに皆さんの前でショーをできるゲネプロをエンエンとやっているわけですよ。どこをどうしたらいいここをこうしたらいいという。

「今まで4人ではライブとかいろいろやってらしたからそういうふうなことができるような日がくればいいということでお父様のトレーニングのためにお客様には、本当のお客様じゃないですよね。

≪ええ親せきとか

「親せきとか知り合い。そういうところでお父様がでもお父様素晴らしいと思いますちょっといいですか。ご家族もすごいですちょっとビデオご覧いただきます。~VTR。今ピアノを弾いてらっしゃるんですかお父様は

≪こうやってみるとねぇか皆さん普通じゃないのと思うんですけども。ここに来る前はベットでずっと1点を見つめて天井をずっと見つめて

「その日も。

≪ここに来る前は。

「来るまでね。ちょっと前ね

≪ちょっと前までは。

「でも歌ってらっしゃるのね。

≪それでたつのも苦痛だし。

「でもみんなの前でピアノを弾いて歌ってもいいと。

≪そうですよね歌を歌うのもダメピアノを弾くのも嫌だと言っていた。1点を見つめてずっとベットで寝て。暑いのもわからないから真夏に暖房かけて湯たんぽ抱えて電気毛布で

「かなりひどいですよね。

≪その横で母は寝ていたんです。

「お母さんも大変ですね。

≪大変でしたね。

「体の温度差が分からなくなっちゃっうんですね。

≪神経が風邪をひいたようなものなんですかね。

「ずいぶん面白い話をしてらっしゃるんですよね。

≪そうなんです。これは父親のキチ次郎さんがカンニングをするカンペを書いていたら何か復讐なのか恨みがあったのか後バントとおっしゃったという。この後のでパパラオスマンボのお客さんとの掛け合いなんかまさかできるようになるとはという。

「でもずいぶんですよね。

≪ここで掛け合いをしますけどもね。

「本当だすぐにウの時にみんなにマイクを渡すんですよね。

≪リズムがわかるという。全く表情がなかったところからここまで

「だから知らない人はこれを見たら高島忠夫さんがショーやっているの

≪ただショーをやっているのをとってあるという。

~VTR終了~

「この後皆さんお子さまが入ったり奥様が入ったりなんかしたりいろんなショーをおやりになったそうですけども。あれだけご覧になると私もは全部お元気になったんだなとねぇこれが普段の高嶋さんだって思うちゃうんですけども。ここまでいらっしゃるのが

≪もちょうど王様と私大阪公演終わって帰ってきたときにあのソファーに本当の何かこうやせこけた人が横になっているんですよ。

「最近のことじゃないですかわりと。

≪そうなんですよ90年代の本当に最後。で誰なんだろうと思ったらそれが父だったんですね。

黒柳「あれですよね「2人っ子」にお出になったときなんか何も感じなかっただけどもあの前からすでにもう。

高嶋≪多分あの父はねぇサービス精神旺盛だし完璧にこうやってやろうというのがあったんであの後からちょっとおかしくなってきたと母も言っていましたけどね。

「なるほどね。

≪でもあの作品はねぇよかった。

「すごいよかったですね、それに香川京子さんのご夫妻の関係もすごく関西弁だったしお父様も

≪それで本番が始まる前にいろんなネタをやるんでねこう若い俳優さんたちがそれを聞いて笑っちゃってでもベテランはすぐに本番に入れるんですけども若い人たちがそれを引きずってちゃってNGを出したとかね結構聞いてそれ笑ましたけども。

「そうなんですよね。それがだんだん悪くて。それで3年前にこれでいいかなと思ったらあなたもおっしゃったようにまあそこで寝ていたおじさんがどこの人かなと思ったらお父様だった。

≪おじいさんなんですよ。ええ

「お母様も大変だ。でもご本人も大変だったでしょうね。

≪でもやっぱりねぇいまは本当に信じられないくらいにこの間もちょっと秘密のやったんですけども。

「またおやりになったの

≪もうあおられちゃって逆にこっちが。それを抑えるのがだんだん大変になってきたぐらいになっていますけども。

「(写真・高島忠夫さん夫妻が並んで歌っている写真)これお母様とご一緒の。そうなんですかぁじゃあずいぶんあれですよね今年、今年の6月に第1回をおやりになってとにかく人の前に出て何かをやることがとても大事なことだというのがお医者さまの考えでもある。

≪でこの間ちょっとある有楽町の先生からお医者さんから聞いたんですけども発見されたと。今のところ。人のために何かをやってあげること要するに買い物に行ってきてとかちょっと例えば誰かの肩をもんであげてようとかそのたぐいの。その人のために何かをやってあげる。それと後楽器をやっていた人は楽器をやるというと非常にうつ病に効果があると。

「そうなんですかじゃピアノお引きになることはとてもいいこと。

≪そうなんですよ。

「今まで弾きたくなかったものが弾けるようになった。うんと前は好きだったものが嫌いになるうつ病だとするとそれが弾けるようになったのはよかったと。

≪それで好きだったボクシングも見始めて

「まあそういうことまで全部ね。

≪それから大リーグ中継を見て、W杯の時には盛り上がったりなんかして。

「じゃご家族は笑いが戻ってきたのおうちの中には。

≪そうですね結構何か昔のイトウユウノスケさんアレのボケをするんですよ。

「ああそうですか

≪ギャグとかして。

「じゃでも(写真・家族4人で歌っている写真)これは4人でやってらっしゃるところ。こんなことは昔なんでもなくやっていらっしゃったことが

≪もうね最初のライブのリハーサルでも弟が号泣するし

「なんで号泣?

≪要するに久しぶりに歌っているという

「お父様が歌っている。お母様はどうだった?

≪もう泣いちゃってリハーサルにならないんですよ。

黒柳「ですからやっぱり人から頼りされているということが非常に大事なんでお使いに行ってとかお父様に頼んだりしているの。

高嶋≪考えるじゃないですか銀行に振り込みに行ってくれというとじゃあどこの銀行にしようかとか行くには何を使ってとかそういうのがいいんですよね。活性化して。

「なるほどねえ。お母様は肩をもんでとか。

≪ええそれは照れてやってなかったですけどもね。

「まだね。家族4人の今のやっているライブというものは今度逆にいえば永久に続けなくてはいけない。

≪永久にずっと続けてもう本当にゴールというのが俳優も歌手もゴールというものがないじゃないですか。

「そうですね。

≪ですから僕もフと思うんですよね72なんですけども父が。普通の72だったらもしかしたらこれでいいのかもしれない。でもエンターテインメントのねやっていった高島忠夫はやりつづけなければいけない。

「あのマイフェアレディーのヒギンズをおやりになった方なんですから。それでだんだん今はちょっと身内とか関係者だけだけども本当にお客様からお金をとってできるようにだんだんなるようになっていけば

≪そうですね。

「いいわけですよね。それででお父様の生きがいにもなると。ずうっと続けてあのコンサートをどれぐらいまでおやりになるんですかあのコンサートみたいなのを。

≪ええ2カ月に一回とか

「大変ですよねなかなか。

≪もう選曲とかね。こっちの方が大変なんですよ。

「あなたがプロデュースしているから。

≪いやもう父はで長年やっているから最初に病気後初めてピアノを弾いて歌ったときも歌詞が出てくるんですよどんどん

「不思議ね。

≪LongLong~♪とか

「嫌がっていた割にはね。ああそう。そんなお父様のうつ病のことを含めたご本をお兄ちゃんがお書きになりました。お兄ちゃんの本なんですけども高島兄。すごい本ですねこれは。

≪この中にすべて今までの話が詳しく事細かにそれプラス自分の話とかも全部入っていますので

「そうですか皆様に読んでいただければということなんですけども。まあとにかく美輪明宏さんの相手役もおやりになったりとかそのいろんな舞台をたくさんこの頃で本当に舞台での露出も多いですよね

≪そうですねぇつぎは黒と陰で明智小五郎で。

「そうなんですか。

≪来年は7月にはレミゼラブルでジャ経営フェルン

「それもおやりになるの。

≪それも

「大変ですね。

≪うかりありました

「よかった

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