本日の徹子の部屋ゲストは川渕三郎さん

2002年12月26日

黒柳「高円宮憲仁親王殿下が47歳という若さでお亡くなりになったことは皆さんよくご存じでいらっしゃると思います。スポーツを愛し芸術に親しみそして何よりもご家族を大事にしてらっしゃいましたお若い殿下の死は本当にみんなの国民の悲しさを誘ったんですけども。なかでも今日のお客様が日本サッカー協会会長でいらっしゃいます川渕三郎キャプテンにおいでいただいたんですけども。あのサッカー界の太陽をなくしたようだとインタビューでおっしゃってそしてそのときに涙を浮かべてになっていらっしゃったのがより一層みんなの悲しみを誘ったんですけども。本当にサッカー界の太陽を亡くしてしまったようなと

川淵≪そうですね。もその穴をどう埋めたらいいのかということがありましたけどもやはり殿下のご遺志を受けて日本サッカー界に世界に向けて前進していくことがわれわれのやるべきことだということでまあ気持ちを切り替えて今一生懸命やっています。

「まあそうですか宮様日本サッカー協会の名誉総裁でいらっしゃって

≪ええ、僕たちの誇りだったんですよね。外国の要人の方が来られる時も本当に流ちょうな英語でスペイン語も使われますしね。

「そうでしたんですってね。

≪だから本当に格好いいというかそういう方が僕らの上におられるというのが僕らの自慢のタネだったんですよ。だからその喪失感というのはちょっと言葉では表現できないですね。

「そうですね。それからあのW杯の開会式にご出席ということであの戦後初の韓国に皇族として公式訪問なさった方でもいらっしゃったので。

≪殿下ご自身の強い意志がそこにあったんですね。でその時開会式の時に君が代があのソウルスタジアムで演奏されましてねそして大型画面に日の丸が写ってその日の丸にぐオーバーラップして殿下と妃殿下の姿がアップで写されたときにはで本当に胸がなんというかじんときましたね。

「ねえ。何か思い出のカフスボタン。

≪ええ、きょうこれしてきているんですけども。殿下がデザインされたカフスボタンなんですね。殿下はサッカーのこういった関係のものを

「これはサッカーのボールなんですね。

≪ボールなんですね。でいろんなものを世界に珍しいサッカーのものをお集めになったり。妃殿下もイヤリングだとかネックレスたとかブローチに世界の珍しいそういうサッカーのものをかたどったブローチというのですかそういうものを身につけておられますしね。

「でもあの間お亡くなりになったときもあんなにたくさんのサッカーとかスポーツをやってらっしゃるお姿普段そんなにいっぱい放送されてなかったので私びっくりしたんですけども。私あんなにたくさん残っているんだと。

≪そうですねぇ。9月に国民体育大会が高知県でありましてねぇ。そのときにいつも地元のサッカー協会と日本サッカー協会のチームそれは高円宮イレブンというような名前でキャプテンで殿下がおられて、そしていつも試合をするんですよ。

「ええ

≪で今年は特にですね素晴らしいゴールを2点もきめにられましてね。僕らの胸の中に残っているんですけども。いつになく鮮やかな点を決められましてねそれでみんな大喜びしたんですよ。いつもはなんとか殿下に点を入れてもらおう入れてもらおうとするけどもなかなかうまくいかないということがあるじゃないですか。そういった場面を演出されたというようなことがあって、後の写真なんかも殿下は本当に楽しそうなお顔で写っていましたね。

「今申し上げても何か川淵さんの目の中に涙がいっぱいたまっているのがとてもあのお辛いお立場でお気持ちでいらっしゃるんだろうと思うんですけども。まあ韓国にいらっしゃった時も近くで遠い国だった韓国が近くて遠くない国に変わりまして。そして本当に近い国になるのはそう先のことではないでしょうという素晴らしいスピーチをなさったとうかがっていますけども。

≪まぁ本当に日韓親善のために自分が役立つんだという思いがそこにあって1番初めに日韓共同開催が決まったときわれわれサッカー関係者は落ち込んでいたんですよ。共同開催になるということで単独でやりたかったから。ところが殿下はやはりこの日韓共同開催が両国の関係その改善のためにで大きなきっかけになるというそういう確信を持ってすごく喜んでおられたのがとても印象的でしたしそのことまあ韓国訪問ということで表現されたんだと思いますね。

「まぁこちらにおいでいただいたのが36歳でいらっしゃった時だから約10年前。

≪そうですね。

「でございますけども。本当に若くていらっしゃるんですけども親しみやすい宮様と皆様に呼ばれていらっしゃった殿下のとても魅力的な話なんですけどもどうぞご一緒にごらんいただければと思います。では追悼とさせて頂きますのでご覧ください。

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黒柳「お母様のひざの上でお~い中村君(笑)お~い中村君がお好きだったということで。それはどこから聞こえてきたんお~い中村君だったんでしょうか?

高円宮憲仁親王殿下≪僕も覚えていないんですよ記憶にはないんだけども。うちの母が話をしてくれたことにはそのまだひとつになるかならないかの時にお~い中村君が凄くヒットしてでそれをテレビでやっているのをひざの上で聞いているとね、その足でちゃんと歌に合わせて正確なリズムをとっていたと。それをうちの母がもしかしてこの子は音楽がわかるのかしらということでちょっと驚いたんだそうですよね。

「じゃあ小さいときから音楽はお好きだったような兆候がすでにあった

≪ですからうちの母もそれできっと私が音楽が非常に好きだというふうに思って。だからかなり小さいときからあの蓄音機とね当時は78回転でしたけどもレコードは動揺はもちろん主でしたけどもね。そういうのを買ってもらってでほとんど毎日家聞いていたのはよく覚えていますね。

「あの高円宮さまにおなりになってご結婚をあそばしてねお嬢様プリンセス3人おうちにいらっしゃって皆さん一緒に住んでらっしゃるんでしょう。それはもう当然みたいだけども昔は今ちょっと思ったんだけどもお母様のひざに抱かれてとおっしゃったんだけどもそういうことはよくあることでしたか?

≪うちはあの全員兄弟みな親もとで育ちましたのでね。全く普通の家庭と同じようにまあ一家だんらんというような場もありましたし

「そういうふうにお母様が抱いてくださったとかそういうふうなことが

≪そうですね。

「じゃあ普通のお家のようにあった。

≪そうですね。

「それはでもお幸せでしたね。そういうふうにお母様がもしかして音楽の才能が、才能というかそういうことを感じるとてもいい感覚があるんじゃないかと例えばお思いになったとしたら。

≪そういう意味では普通の家庭と全く同じにうちの母が編み物をやってあのセーターとか作ってもらったりとかしてましたしね。で兄たちのほどいて今度は自分の弟たちのができたりなんかするわけですよね。

「そう。じゃ上のお下がりでもうもう1回編み直してお母様に編み直してもらったもののお下がりみたいな。

≪そういう意味ではお下がりしかきたことがないんじゃないかと(笑)

「1番下でねいらっしゃるので

黒柳「スポーツが得意なのかと思ったら、お小さい時ってあまりスポーツがお好きじゃなかった

高円宮≪嫌いだったんですよね。ちょっと少し太っていましてね。で駆けっこも遅かったものですから自分にはそういう運動神経がないもんだと思っていましてね。で中学ぐらいまではそう思ってまして。

「でもお姉様がヤスコ様、すごくおみ足が早そうねえ。

≪そうですね。大学の時もずっとバスケット部で一生懸命やってたものですから。

「今あの近衛様にお嫁ぎになって。というか近衛さまでいらっしゃるんですけども

≪ですからそういう全然兄弟を持っていましたので自分はそういう才能があまりないのかなと思って。で高校に入って陸上ホッケー部に入りましてね。それで結構毎日もちろん走ったりとかいろいろ筋力トレーニングをやったりしてするとみるみる体育の時間に走らされたりするときに早くなってくるんですよね。だから結局それまで何もやってなかったっけから遅かったわけだけども。ですからそのうちにはクラス対抗のリレーの選手になるぐらい早くなったのでね。

「ご自分でもうれしくていらしたでしょう。

≪トレーニングはもちろんきつかったですけどもやるとどんどん速くなるし丈夫になるし、でそれからですね本当に自分に対して自信みたいなものができたのは。やればできるというふうに思ったし。あの運動能力もけしてないことはないというふうに思ったしそれから非常にあの僕の人生にとっては大きかったと思いますけどもね。そういうその何か気持ちの切り替えみたいなものが運動によってできたような気がします。

「やっぱりそのやればできるというふうに思いになった、ご自分でやれば必ず何かむくわれてできるようになるのだということを発見なさったということはずいぶん大きいことだったでしょうね。

≪うん。こういう家庭に育ったから自分では気がつかなかったけども当然過保護に育っていたと思うし、やはり引っ込み思案というかまあそれは性格的なものもあるんでしょうけども引っ込み思案なところがありましたのでね。で臆病でみたいなところが。

「あの1・2・3・4・5人ご兄弟の1番下で

≪ええ

「1番下でいらっしゃるということも

≪まあでですからもちろんかわいがられたけどもその分甘やかされたというところで。ですからあまり自分からどんどんやっていくというタイプではそれまではなかったし。まあ今でもそうではあるかどうかは分かりませんけどもね。

「今は拝見していると積極的な方という印象が皆様の中にあるんじゃないかしらと思うんだけども

≪そうですかしらね。できるだけあの少なくとも自分から積極的に出ていくかどうかは別としてくるものは拒まず(笑)ということででやっているんですけどもね。

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黒柳「あのスポーツが苦手でとおっしゃっていらっしゃってけども

川淵≪ええまったく思わなかったですね。だから何もやってなかったからだとおっしゃってましたけども今は本当に運動神経が抜群という感じでね47歳にしてはよく動かれるなと思っていましたから。そういう意味ではいろんなことにトライするのが好きな殿下でしたよね。

「私もあのびっくりしたんですけどもチェロお引きになってらっしゃるのがあの亡くなった後でも放送されてましたけどもご覧になった方もあると思いますけども。私殿下がチェロをお引きになるというのをあまり知らなくてあのいつごろからやってらっしゃるのかしらと思ったら40近くなってからをはじめになったというのでね。なんでも

≪何でも好奇心が旺盛ですよね。1999年だと思うんですけども南米のパラグアイでねアソシオンというところで南米サッカー協会の表彰が行われたんですよ叙勲されて。その時に僕はスペイン語しゃべれるというのあまり知らなかったんですよね。原稿なしでねお礼のあいさつをスペイン語で言われてまた別の席で何かお祝いのギターを送られたんですよ。何か由緒正しいギターだったんでしょうね。そしたらねぇそのギターをねぇバランバランと曲をひかれたんでこれまたびっくりしました。

「あちらの方もびくりなさったでしょう。

≪僕もびっくりしましたけども。こういうのがねぼくらにとっては本当の格好の良い殿下。

「そうですね。

≪ぼくらのなんというか誇りというね。だからそういうときは本当に僕らが鼻高々してどうするんだというところがありますけども

「国際親善という言葉も今使われている中では本当に素晴らしい交流をなさったという方

≪そうですね。ただそのパラグアイに着いたときもね真夜中につかれましてね妃殿下と。そうすると朝5時に起きるといわれるんですよ。5時に起きて何をするのかというとバードウオッチにいかれるというのでね。いや僕なんか全然いきませんでしたけどもね。寝てましたから。だからそういうのではタフで本当にこう好奇心おう盛な殿下でしたね。

「それがまた妃殿下も同じように

≪本当にそれを楽しんでおられてね。仲のいい両殿下でしたからね。仲睦まじいというのはああいうことを言うのかというぐらい。

「本当にお亡くなりになった後でもたくさんあのお二人の映像がうつったときにいつもニコニコしてお二人でお話しをしていらっしゃってね本当に仲良くていらしてつくづく思ったんですけどもまあそういうこともまたみんなが残念だと思うことのひとつでもあるんですけどもまたいろんなお話しご家族のお話しもしてくださっておりますちょっとコマーシャルがございますのでコマーシャルです。

黒柳「お~い中村君は別として

高円宮≪(笑)

「クラシック音楽はいつごろからお好きでした?

≪クラシックは本当に小さいころまだ小学校上がる前から聞き初めましてね

「ご自分で多くのバンドもお作りになってらしたことも

≪中学生のころはバンドを組んだりもしてたんですけども。

「何かミュージカルをやるとかということも前おっしゃっていましたけども

≪あの僕の友達がでちょっとやっていましてね。僕はそれには結局は加わらなかったんだけれども。1番僕が初等科から中学ぐらいのときいうのがフォークが1番はやってきた時代だったものですからね。まあそれにまみれて冗談で友達2人とフォークソングのバンドを組んで文化祭なんかに出て歌ったりもしたんですけども。

「そういう時代もおありでいらした。それでまぁだんだんバレーですとかいろいろ音楽そして芝居というふうにご覧になるようになって今は劇評バレーとかの劇評ですか。私たちは劇評というふうに申し上げてそういうものをお書きになってらっしゃると申しあげると批評というふうにではお書きにはなっていらっしゃらない。

≪結局あの批評というのは褒めもするけども当然けなすというのかねいけないところはいけないというふうにはっきり言わないと批評にはならないわけですけども私の書くものというのは立場上ここがいけないということであまり正面切っては言ってはいけない立場にいるものですから、ですからそうではなくて私は私の書くものとか言ったりするものは感想文だと批評文ではなくて感想文だといつも言っているのですけども。ですから悪いところをなにか指摘するようなことはしなくて、その逆に何がよかったのか他と比べて何がいいかと。とてもよかったんだけどもまだもうちょっとその努力が足りないかもしれないからここをもうちょっと一歩進めてやってみてもいいんじゃないかと。ある意味ではで評価を与えてあげるのと同時に応援してあげるという気持ちが僕は強いですけども。まぁあのできるだけ良いものはいいものとして世間が認めるべきだと思いますし、それのを何らかの小さな助ける力になればいいなと思っているんですけどもね。

「国際交流基金にお勤めで、国際交流基金ではどういうお仕事?

≪国際交流基金はあのまあ海外との文化交流をいろいろやっていますけども私のいるのは総務課というところなのでいわば官房のセクションですので具体的なこれという行事よりはむしろ全体的の取りまとめ役みたいなそういうことをよくやっていますけども。

「文化講演の

≪お世話になりまして。

「いえとんでもございません。そんなこともやっていろんなところで講師をなさったり、ずいぶん私もびっくりしたんですけども交渉をなさったりのほかに当然ですけども文化交流をお頼みになった、文化交流ではないや文化講演会それをお頼みになったりとの相手の方が講演をなさるときはそこまでついていらっしゃるとかいろいろ全部まあ当然ですけどもそういうことも全部。

≪ええ、企画からカバン持ちとかもやりましたし

「カバン持ちも。

≪カバン持ちもね。ほんとうは持たなかったんですけども(笑)。

「でも一応かばん持ちという形で講演をお頼みになった方のところについていらっしゃった。そういうこと全部

≪ええええ。今はそれを離れましてね。同じ課は同じなんですけど今具体的にやっていることは毎年10月に国際交流基金賞と奨励賞というものが賞を差し上げていましてね。で長年にわたって国際的な文化交流に尽くした方世界中の方ですけどもを対象にそれを選んでですねそういう賞を差し上げているわけですけどもそれの事務をやっています。

「ずいぶんお忙しい毎日。

≪う~んまあ一応毎日朝から夕方まで行っていますのでね。

「ご公務のほか

≪ないときに

黒柳「もうご結婚あそばして何年?

高円宮≪えーと昭和54年ですから

「じゃあもう・・・

≪嘘だ嘘だ59年ですね。84年です。

「そうですねちょっとそこのところ昭和が途中であれになっていますからだいたい7年ぐらい前になりますかね。もう上のプリンセスは

≪今5つですけども。

「3人お嬢様だとまあ三姉妹ですけども、じゃ妃殿下は大忙しずっとこの何年間は5、6年は大忙し。

≪そうですね。ひとりいても大変ですけども3人いますとねてがかかりますし。まぁあの一般の家庭とはそういう意味では違ってそのうちは手はないことはないですけどもね、ですからいろんな用事がありますので家を空けることも多いしそうすると看護婦や保母に頼んで後を頼んで出かけるわけですからそういう意味ではみなさんよりはずいぶん恵まれているとは思うけどもまぁその中で家にいて子供と一緒にいられる時間はまあできるだけ多くしようと思うとなかなか大変なことですよね。

「そうですよね。だからその大変な部分はやっておもらいになっても逆に妃殿下は妃殿下のご公務がおありになるのでお会いになりたいとかこんなふうに子供に子供にこんなことをしたいとかお思いになって逆にそれがおできになれないということはお忙しくてあるかもしれませんね。

≪そうですね。でも可能な限り子供は教育は重要ですのでねですからなどもちろん公務は欠席するわけにはいきませんのでそちらを最優先にいたしますけどもそうでもないときは比較的プライベートな用事なんかですといままでは夫婦で出席していたものもは私だけ独りでということも最近は多くなってきましたけども

「あなたはたくさんのワーワーするご兄弟の中でお育ちになったから今お嬢様3人いらっしゃってワーワーというものも

≪まあこんなにうるさいとは思ってもみなかったんですけどもね(笑)

「すごい?

≪うん。やっぱりすごいですね。

「今小さいお嬢様たちでもみんなお口が皆さんアレでしょうちゃんと

≪女性の方がやっぱり口は達者みたいですね。ですから乱暴はしないからいろんなものを壊したりとかねそういうようなことはそれでもまあわりとしますけども

「それでもするの(笑)

≪うん。やはり口は達者ですからちょっと父親がたじたじとなっているところもよくあります。(笑)

「3人お嬢様3人で。1番上が5歳

≪5歳で2番目がもうすぐ3歳。1番下が9カ月。

「そうね。だから1番下のお嬢ちゃんはないたり笑ったりということ。

≪1番下は割とをおとなしいんですよね。

「おとなしい。

≪うん

「どのお嬢さんが1番活発?

≪そうですねぇ2番目が1番あのはなかなかいうひょうきん者なんですよねぇ(笑)。

「これから3歳におなりになるというような妃殿下プリンセス。

≪2番目がわりと活発化かな。

「ああそう。じゃ妃殿下はそういう何か子供たちにしたいようなことと同時に子供たちの育っていく段階をずっとご覧になりたいでしょうね。いつも一緒にいらしてねぇ。

≪そうですね。で特に結婚してしまったらばそれ以降はねしてやることもできなくなりますからね。結婚するまでにできるだけのことをとやってあげたいしもちろんその

「でもだいぶ先でしょう。結婚するのは(笑)

≪まあね。

「おっしゃるけども。1番上のご長女が今5歳でいらっしゃるでしょう。それあと10年以上は多分確実にあるわけだから。

≪ええただわれわれの公務とかそういうことが忙しくなることはあってもだんだん少なくなることはないですのでね。いまたとえば1週間のうちでたとえそうですねぇよる3日間一緒にいてあげられるとすればね5年後だったらまあ2日できるかできないかでしょうし、そういうことを考えるとまあ大丈夫だということには必ずしもいかないように思うし。

「じゃあ今のうちにという

≪それと最初に教え込んでしまえばというのもあると思うんですけども。

「まあねそれもおありだと思いますけども。

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黒柳「本当にあのいろんなことをお話ししていただいてうれしかったんですけども何かお昼ご飯はほとんどおうちにお帰りになって召し上がっていらっしゃった

川淵≪そのようですね。割合近くだったですよね。

「特にお嬢様が小さくていらっしゃる時はでなるべく。もうすでにあんなにお小さいのにご結婚のことも考えてらっしゃる

≪本当ですね。びっくりしますね。本当に家族思いの殿下ですね。

「あの川淵さんのことは名前をお呼びになるときに

≪ブチさんと言っていただいてね、何かすごく親しみを持って呼んでいただいたのでぼくらも皇室という感じじゃなくて何かまあ兄貴分ではないんですけども何か特別の人という感じでね。でも気軽にあの接しさせていただいたんでそういう意味では変に緊張することもあまりなかったですね。

「あの高円宮杯全日本ユース選手権というのがあってこれはアンダー15歳18歳とあるそうですけども。これはずっと宮様のお名前を残して

≪これはずっと継続して未来永劫にやっていきたいと思っております。

「まぁ本当にねぇご家族を愛して皆さん本当にすごくお嬢様方も幸せだったと思いますけどもご冥福をそしてありがとうございました

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