本日の徹子の部屋ゲストは長嶋茂雄さん

2003年1月7日

黒柳「まぁあの昨日はどうも恐れ入りました。あのありがとうございました今日も来ていただいて。昨日の最後のところが要するに嘱望をされてジャイアンツにお入りになった最初の試合が5振。すごいんですよ四打席五三振

長嶋≪四打席して次のゲームにまたひとつしたんですね。でトータルで5三振。

「5三振した。だからすごいんですよ全然だめだったということになるんですよね結果としては。でもそれがむしろよかったんじゃないかというところで。

≪そうですよね。ですからは勝負の世界というのは必ず結果が出てきますしね。そういう点では非常にレギュラーシーズン、オープニングを迎える前の3月の時期で割合僕調子に乗りましてねある程度期待の持てる数字を残したんですね。

「そうですってね。だれもやったことのない記録を。あのひとシーズンの中でホームランというのは普通は7本、それが8本。

≪オープン戦そうだったんですね。

「8本おうちになった

≪当時は

「六大学の時でしょう。

≪22、3の年齢のときであったしね。そういう点では非常に自分としてもちょっと生意気なところがあったんでしょうね。なんだプロのピッチャーというのは大したことないんだなというそういう気持ちがね3月時分は若干あったんですよ。ええ、そういうふうにして自信満々にしていってあの開幕ゲームのオープニングでいてね1年のスタートのあの初日に金田さんにですねきりきり舞いにさせられたんですよ。それでその時に帰りましてねいややっぱりプロという投手はいざ本番になったら違うんだなって、これはいかんという形での自分の反省の中に切り替えましてもう1回原点に戻らないという形でね勝負には勝てないと4月いっぱいは苦悩しながらね非常にこうしたんですが、ようやく5月の半ばですね十二十日前後にようやくその慣れが出てきたんですよね。そこから自分のリズムがようやく少しずつ調子がですね上昇気流に乗ってきたんです。ですから4月は苦労しました。

「でもそのお悩みになるときはずっとお悩みになるタイプでいらっしゃるんですか?それとも寝るときは寝ちゃおうという

≪もちろん休むときは休みますね。

「(笑)

≪それでも眠くないときは一晩中ねませんから。

「本当に!

≪ええ寝ません。はい。ですから今でもそうなんですが眠くないときは無理して寝る必要はない。まあ自然体でね僕は。そういう点では当時からでも眠くないときは起きていればいいじゃないか。眠くなれば休めばいいだろうという。

「でも悩みがあってそれがモンモンとするという感じもお分かり時はおありでしたか?

≪そうでしたね。ですからそういう点ではやっぱり自分の空を切った三振の数、あのときはですねチップが2つでしたかねひとつはネット裏、ひとつは1塁裏の巨人のダックアウトの上にね1つぐらいしか当たらないんですよボールに。あとは全部空振りなんですよね空を切る。ですからそういう点ではバットマンとしてしかも水原監督にですね3番というねそのスターティングラインナップをいただいて

「ああ!3番という背番号で3番でお出になった。だから私混乱したんですね私あの背番号というのはあのその打つ番号が書いてあるんだと思っていたんですね長いこと。それは長嶋さんがそうだったんで

≪そうだったんですよ。背番号3番を千葉さんがね昨年の暮れにお亡くなりになって僕は非常に悲しいだんですがその千葉さんが晩年を迎えたときに次のジャイアンツの中心的役を担うのは俺は君とみたと。俺は君にこの3番を君に譲るからジャイアンツをねこれから守ってくれという形で千葉さん自ら継承していただいたのが僕の3番なんですよ。

「そうでいらしたんですか。

≪それで3番をいただいてキャンプからオープン戦やっていざ勝負になった時に今度は打順が3番なんですよね(笑)

「ねえ。だから私は打順と背中とは合っているものと思っていたんですね。

≪なるほど

「だけどそんななのに何十番というのになっちゃうとあの人はいつ打つ人になるんだろうなとずっと思っていたんですけども

≪(笑)

「それは長嶋さんがそうだったからなんです。やっぱり3番というのは1番いい。

≪そういうことでずっとこう自分で守り通しておったんですがその3番をつけてですねデビュー戦できりきり舞いさせられた。そういう点では非常にいい薬になったんでしょうね。

「ちょっとその前に

≪ちょっと慢心したところがありましたからね。ですからああいう慢心も時には大事なときもありますけども逆に足元を見つめ直すね反省も大事だし。だからそういう引いたり前に出たりいろいろ戦いですからありますけどもやっぱり引くときは引くことも大事じゃないでしょうかね。そしてもう1回スタンバイをしてまた整えてまた前に出るというね

「でもそういう性格のね素直さということだと思うんですけどもそういうのはやっぱりご両親から受け継いでいらっしゃる。

≪まあもちろんそのあるでしょうね。それもあるでしょうけども先程も申したように野球という闘う勝負がねいろいろな手練手札、最高の技術に磨きをかけて最高のレベルの戦いを火花散るわけでしょう。その技術の追求にはすごいね切磋琢磨よりも心血注いでね命がけである程度技術を追求していくわけですよねプロである以上は。ですからそのためにとことんやるんですがそれをばかしでは勝負のバランスからいってちょっと難しいじゃないでしょうかね。それをある程度したらパッとそれを捨て切るというかこう無にするというかそういうものがやっぱり大事じゃないでしょうかね。

「やはりそれの切り返しがとてもお上手だった

≪割合性格が切り返しのできるタイプですからあまりこだわりを引きずりますとね。

「ただあのそういうのがないから一茂さんをどっかに置いてきちゃったというのはあれはどうなさったんですか?

≪一茂まだ幼稚園前でしたからね昔の後楽園球場にね野球にちょっと興味を持ったから

「ああ一茂さんがもった。ジャイアンツの試合だったんですかそのときは?

≪そうでしたね。

「見にいらっしゃった試合

≪そのときね僕は4-0で三振を2つしたのかな。でおまけに守備でトンネルをしましてね最悪の状態だったんですよ。

「(試合に)出てらしたんですかその時に

≪僕ですか?もちろん

「連れて見にいらしたんじゃなくて出てらした。

≪自分の長男にねみたいというからじゃいらっしゃいと。それで見せたんですよ。そうしたらそこで最悪の自分としては最悪のゲームをしてしまったんです。申し訳ないという形でね自分のバランスがねまったくどうしようもないその怒り狂った状態でそれでカッカしながらね一茂をちょっと忘れてきちゃったという(笑い)

「そうお家にお帰りになってドアをあけたら奥さまが「一茂は?」

≪それではっと気がつきましてね(観客笑い)まぁちょうどチームにマネジャーもおりますしねちゃんとフォローしていただいて家に連れて来ていただきましたけども(笑)

「良かったですよね。そういう時どうしてああだったんだろうということで本当にそのことについて

≪もう野球のことだけですよね頭に入るのは。

「そうするとあの反対に奥様はよくやってくださったという気持ちがおありでしょうね?

≪あの家に帰りますとそういう野球の話は極力避けてはいましたけどもね。

「そうでいらっしゃるんですか。

≪ただ本人はテレビで見ているし状態結果というものをすべてわかっているわけでしょう。極力家では今の選手もそうでしょうけども野球の話は極力しないように家ではしております。

「でもそれだけ集中して野球のことだけやってらっしゃるわけでしょうほとんど。

≪ほとんどというか24時間僕は野球のことしか

「そうすると奥様は4人のお子さんもとにかく上手に育ててくださったわけですから

≪そうでしたね

「それは感謝なさる

≪感謝というよりもで家内あっての野球選手であったしそれと選手が終わってからでもね指導者としての役割を担ったあの時間帯もねすべて家内が野球の家のことはすべてキーパーとして完ぺきに近いように守ってくれましたからねそういう点では非常に僕は感謝しております。

「それはあの普段口に出して本当によくやってくれてうれしいなんてことはおっしゃる方ですか?

≪あまり言いません僕は。言葉にしては言わないけどもそれはわかると思うんですよね(笑い)

「(笑)

≪以心伝心で。

「それはそうですけども多少はお示しになることはあるんですか?何かそれじゃものとか、モノというと変ですけどもプレゼントとか。

≪ものというよりもわれわれの世代ですからね気持ちの上では十分に理解してくれていると。それをあえて分かってでも言葉でさらに追い打ちをかけるということもやはりわれわれはまたできないしね

「追い打ちをかけるというか。女の方はやっぱりちょっとは口に出して言っておもらいになるのがうれしいんじゃないでしょうかしら?

≪まあしかしこういうメディアとかそういうマスコミを通じましてねそういうコメントは僕は何十年と言い続けてきていますから。

「そうか奥様はきょうご覧になってそれは口に出していつもおしゃっらなくても

≪も十分理解していただいて。

「それじゃ安心して野球だけに。あの集中力ですけどもああいうふうに瞬間的にあそこのバッターボックスで集中するには何か特別な集中力法というのがある?

≪もちろんタイプによって違うでしょうね選手の。

「長嶋さんの場合は?

≪僕はもう集中力はどうなんでしょうかね

「良い方でいらっしゃるんでしょうね。

≪良し悪しというよりも良くも僕はアニマルというつまり動物的と僕は言われたんですよ若い時分は。

「そうなんですか。

≪あいつはヒョウじゃないかなとか。あるいはライオンですね獅子じゃないかとか大胆細心というんでそういう形容をいただいた時分が昭和30年時代にそういうお誉めの言葉を見出しいただいた記憶が残っているんですがね。ですから動物のように一途にですね集中していく。ですからその時は僕は何もかもまったく何もないんですよね。たまにこう1つ稲妻のようにこう集中していきますから。ですからあとは全く何も見えていないんですよ。ええ、ボールに集中する。

「だからそういうところがやっぱり皆さんが長嶋さんのファンであるところのひとつだと思うんですけね。割と大人になっちゃうといろんなことを考えたりしちゃいますよね。どうしても。

≪そうですね普通の場合は年と共にキャリア、体験を通じますとねだんだんワンステップずつ上がっていくんですがもちろんそれもいいことだと思うんですけどね。いつまでもマイナーじゃいけませんからやっぱりメジャーになるのは当たり前なんですがただそのメージャーだけでは毎年特に若い世代が入ってくる活きのいいピッチャーがくる力のある投手に立ち向かうというときにね何かこのメジャーな気持ちメンタルがですねときに邪魔するときがあるんですよね。だからそれが僕強いから鮮度というかフレッシュな気持ちで

「新人のような

≪いつもこうフレッシュなね子供のような純粋さというかちょっと無理かもわかりませんが、あの球というのは正直なところがあるんですよピッチャーのボールでね。いろんな形でこうテクニック技術からいえば7種類8種類いろんなスライダー・カーブ・チェンジアップといろいろあるんですがそれをきちっととらえるにはやっぱり心でしょう。その心が技に対してそれをも数倍上回ってないとそれはきちっととらえることができないんですよね。そうしますとね気持ちの上ではどうでしょうかねレベルの高さに対してレベルの形で行くよりも逆に逆説的になるかもわかりませんが無垢の気持ちつまり純真さがこれに勝るものはないんですよ。ですから僕はそういう気持ちでいつも打席には入っています。

「わかりました。やっぱりね投げる方もですねそこになにも考えてらっしゃるないことはないと思うんですよ。そういう無心のですね魂そのものがそこにいたらねやっぱりなかなか投げる方も難しいと思いますよね。

≪そういうような気持ちが打席内にピッと前よく言葉の上では気というねものが出ていない、あるいは最近よくいう波動だとかね人に伝える波動の力とかいろいろありますけどもそういう純真さが無心さがね1番こう気の中では強いとされているんですよね。

「そうだと思います。

≪テクニックというよりも、マウンドでねそれが伝わるんですよ。そうするとアウトローの1番厳しいところにスライダーで行こうとしてもその微妙なズレが入ったものが真ん中に入ってそれが捕まるとかねやっぱり技術というのはすごいんですよね。やっぱりその人間の予測の上の上回ったところで火花が散るわけですから。

「でもやっぱり本当の心、魂が1番勝っている。

≪結局そうでしょうね。ですから解説風に言うとこうテクニック技術的なもので言葉としてはやりますけどもわれわれの世代というのは人間と人間の戦いというものはそのセットが非常に売り物という時代があったんですよ。大投手とマンツーマンで。だから人間としての戦いの火花になりますとやっぱりもっともっと心ハートですね磨かなければいけないというそういう教えがずいぶんありましたもので。

「やはり技術がないとということがねもちろんですよね。ちょっとコマーシャルです。

黒柳「ちょっとお話しを飛ばさしていただくんですけども4人兄弟でいらっしゃって末っ子で

長嶋≪そうです。はい。

「でお父様は残念なんですけどもお亡くなりになったんですけどもまあそのときに野球に関して本当にすごい選手になってほしいという気持ちがおありだった

≪そうですね。うちの親父は田舎ではいたんですか母親よりも野球というものを結構理解しておった面がありますからね。ですから高校野球の試合でも息子には内証でこそっと外野の隅でじーっと野球を観戦してね

「ご存じなかったんですか?

≪それは後でね帰ってきてから甲子園を見てきたよとそういうおやじでしたからね。

「うれしかったですかお父様

≪ああいうことを聞くとうれしいですよね。ひとしお何か普通であればベンチに来てねはしゃいで親子のなにか交換会みたいなものがあっても不思議じゃないんですがそれをせずにですね

「ほとんど見にいらっしゃらないといつもおっしゃっているような方だったんですね。

≪そういうタイプがね外野の隅でじっと見ながらそれを観戦しながらね静かに帰ってくるというようなタイプのオヤジでした。

「でもやっぱり心の中では何かなくなる時にお父様がなにかはっきりとおっしゃったんですって。

≪そうなんですねもちょうどたまたま運良くね間に合いましてねって電報いただいて「シゲオチチキトクスグカエレ」というねその電報をいただいて当時のスワウチ監督がも練習中だったんですけどもすぐ帰れといって、半ば強制的に。割合千葉でしたからそれで一目散に汗も吹かないでユニホームからすぐに私服に詰め襟に着替えてようやく間一髪間に合いましてね。ちょうど足元をさすっていながらね着いてすぐね足元をさすったんですが亡くなる瞬間というのは足からすっと血が引いていくんですよね。足が冷えていくんですよずっとひざそして体に行くとまだぬくもりがあるんですよ。そのときにね僕はちょうど間に合ったんですよ。その時にやるからには日本一の選手になれと。

「はっきりとおっしゃったんですか!?

≪はっきりね、やるからには日本一になれというようなことで息を引き取ったんですよね。ですからもうあの光景というのはいまだにもう50年近くになるんですが半世紀近くになるんですがやっぱり親の最後の言葉というのはやっぱりも忘れることのできないし、足の冷えていく手の感触もいまだにあるんですよね。

「覚えてらっしゃる。人間というものはそのお父様の意志の力だと思いますけどももうそんな足の方が冷たくなっていらっしゃってもちゃんと頭ははっきりと見据えていらっしゃったというところがやはりすごいですよね。

≪ええ。

「そうしたらもう絶対にいい選手になろうと思いになったでしょうからね。

≪そうでしたね非常にね。それでまあ誓いを立ててそれからは葬式が終わってからすぐに池袋に帰りましてね

「立教大学

≪帰ってねそれからというものは自分の野球人生はとにかくいかなるどんな試練だろうと当時のマスノウチさんというスパルタの監督さんで大学では有名な監督さんで非常にコウハイの道でね、指導方針が僕に上級生が2人ついてくれたんですよ。バッティングコーチと守備コーチがね。それが上級生の4年生の方3年生の方僕は1年坊主でしょう。それとスワウチさんが上から見ながらつまり長嶋を作るのには桜のいい仲の甲子園にも行っていない無名の選手ではあるけどもこいつはちょっと鍛えたらちょっと面白いなと何かを感じとったんでしょうね。で自分自身は何も分からないんですよ。そしておまかせで無我夢中で毎日指導の中に入っていったんですがその時にスワウチさんは当時今みたいにドラフトがなかったでしょう。君はねメジャーリーグに行けと。君はメジャーリーグに行くんだと。

「その時代に!

≪ですからね指導方針は子をメジャーリーグの指導方針でした。それがいまだにも敬愛しておったヤンキースのですね松井が昨年契約したあのヤンキースですよね。ジョー・ディマジオさんが晩年の時期ですよ1950年の前半ですから。僕はまだ学生時分。そのあれでメジャーリーグに行くために僕は君を指導する。ですからスワウチさんというね荒っぽい指導方針でスパルタをするけども一方ではねえテクニックの指導方法はメジャーリーグなんですよね。ジョーディマジオはこうだろボストンのテッドウィリアムはこうやって腰を切るだろうピッチャーはホワイティはどうだろ。メジャーリーグのサンプルの指導を全部僕に教えるんですよ。

「そうだったんですか。

≪バットスイングが僕はバットマンだからですから俺は君にいずれはプロ野球に勧誘の手が伸びるだろうけども俺の理想は夢は君はメジャーリーグに行きなさい。

「すごい!じゃそこでちょっとコマーシャルにいかせていただいてメジャーリーグ。

黒柳「でも考えてみますと長嶋さんが立教大学の生徒でいらっしゃるまで1年生ぐらいのときにあのメジャーではこうやる、君は必ず大リーグに行くだろうからをいというようなお教えを受けた人って他にあんまりいないんじゃないでしょうか。

長嶋≪でしょうね。スワウチ監督さんが指導方針の中で特にバットスイングでもちろんピッチングホームだとかいうようなものは資料でアメリカからどんどん取り寄せてねあの時代ですよ昭31~32年のころでしょう。

「TVだって始まって日本のテレビが始まって2、3年というところですから。

≪それをフィルムで見せたりスチールのコマドリを見せたりこういうふうにして考えてこういうふうに腰を切るからこうやってバットが最短距離でインパクトを迎える。

「長嶋さんがね皆と違っていたのはそういうところの出発点があったのかもしれませんよね。

≪かも知れませんですね。ですからそういう点ではいつもスワウチさんに感謝を申し上げているんですが非常に指導方針が、指導の手法は荒っぽい指導をしてでがんがやるんですよね。もう倒れるまでやるんです。それでも細かい技術の指導方針は非常にメジャーリーグの科学的なそういう指導を。ですからあの当時は非常に珍しい指導方針だったと思います。

「で実際に野球にジャイアンツにお入りになってわりとすぐに本当にメジャーの大リーグの方からお誘いがあったんだそうですね。

≪ええ、プロに入りまして3年位入りましたですかねプロに入って。それから正式なブルックリンドジャースのオマリーさんというねブルックリンにホームタウンを借りてロスにフランチャイズを変えてその時に日本に単独で親善旅行で今でも昨年も来ていましたけどもその時に若い長嶋をね2年間だけうちに預けなさいということですね最後のお別れの会食の時に当時野球の父ショウリキマツタトウ先生に口頭でいいましてですねショウリキ先生は即答で「今長嶋がいなくなると巨人はバランスが崩れちゃう。それを白紙に戻してくれ」というような話をしてそれから以後ね話は進展しなかった

「でもいらっしゃりたかったですかその時?

≪1週間後に話を聞いたんですよ。

「その時は行きたかった?

≪やっぱりね僕は学生自分がそうだったから行きたかったなぁというそういう気持ちがずいぶんありました。ちょうどプロに入って3、4年のころですよね。

黒柳「どうして楽しい時って後時間がどんどんたつんでしょうか。もっとねずっといて欲しくて、まあ明日というわけにもいきませんのでええと1番最初にちょっとおっしゃりかけたんですけどもヤンキーズ、昔のヤンキースにディマジオさんがいたそこに今度松井さんがいらっしゃる

長嶋≪そうですね。昨年契約をしましてねおそらく本人もやっぱりヤンキースに入りたかったんでしょうね。契約的な意味ではもう少し他のチームという話も伝わっておりますけどもギャラとかそういうものよりもやっぱり夢を貫いたということでしょうね。でもしも長嶋さんが日本のジャイアンツもすごく変わって日本の野球も変わっちゃっていたでしょうけども長嶋さんがあちらにいらっしゃっていたらねどんなことになっていたでしょうね。どうでしょうね。昔の話ですからどうなったかは分かりませんけども。

「面白かったと思いますが。さてアテネオリンピックに向けてですね、あの昨日もちょっと話をうかがったんですけども監督でいらっしゃいますから2004年も来年のことですけども野球全日本の監督でいらっしゃるんですが。これからチームを作りになって11月は今年の11月は

≪アジア予選の試合が始まります。

「その時にですね私たちは考えますのはやはり松井さんもできることならお呼びになってですねイチローさんとかですねえ野茂さんとかですね佐々木さんとかですねそういう方を全部お呼びになって長嶋さんがおやりになるんだったらみんな戻ってきてくれないですかね。

≪まあ一応声はかけて見ますけども

「本当に!

≪ええ、全日本のチームですからね。ただまだメジャーの契約例えばインセンティブ等の中で果たしてその時期にね日本のチームの日の丸をつけて合流できるかどうかというでいろんなハードルがまだあるんですよ。

「じゃあ松井さんはまだ契約をしていらっしゃらないとするとその時だけはお休みをさしてくださいという契約に出来ませんかね?

≪それは話さえすれば合意さえすればOKをいただければまた戻ってですね日の丸をつけて日本国家のためにですね俺は野球人として頑張るというそういうチャンスは広がると思いますけども。

「そうですよね。ぜひそういうふうにしていただいて。

≪そうですねできれば松井秀喜、イチロー君、魔神佐々木君。いるでしょう。

「絶対ですよね。

≪ですからねそういう日本人の素晴らしいプレーヤーがいるわけですから

「もちろん日本の国内にもいらっしゃるんですけども

≪もちろん国内にもいますよ。いますけどね。

「とにかく良いどりみどりですね長嶋さんの(笑)あの集めていただいて。まだ残念ながら野球は日本はいい成績を取ってないんですよね。

≪そうなんですね。なかなかオリンピックに参加しても歴史が浅いし

「そうですよね。

≪ですからそういう点で

「応援しておりますので

≪ベストチームを作って

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