本日の徹子の部屋ゲストは木原光知子さん

2003年1月17日

黒柳「まぁどうもこの間はお世話になりました。

木原≪去年のあのウーマンズスイムでね黒柳さんがピストルをうっていただいて

「スターターというんですかね

≪その後本当にパッとお衣装を脱がれて水着になって、10年ぶりですってポカンとうかれたのは

「そうですねしばらくはあのもうちょっと前かもしれませんね。ベストテンでやって以来ずっとやっていない。とにかくその詳しくお話しをしますとですね。あ!こちらは元水泳オリンピック選手でいらっしゃいましてですね今はスイミングアドバイザーをやってらっしゃる。それからスイミングウーマンズフェスティバルというの凄く一生懸命やっていらっしゃって。

≪そうですね今年で7年目になるんですけども、6回目の時に黒柳さんに来ていただいて。

「その前が吉永小百合さんがおやりになったというのをなにかで写っていて吉永さんがバタフライもおできになるしと思っていたら私にそのバンとやるの

≪スターターね。

「それであのものはついでだからそこで水中ヨガも後でねやりましょうかといって、水中ヨガというものは私はヨガはできないんですけどもドコモ動かさないで小包状態になって水の中に浮いているというものなんですけどもベストテンでちょっとやったときにだれでもできると思っていたのね私はあれって。あなたもご覧になったときにどこかに浮きを隠しているんだろうと初めは思いになった

≪どこかでこのあたりに何か浮きがあるんじゃないかなと思ってあとでお聞きしたらまったく何もなしでね。

「何もなかった。水着だといかにもこんなのでやるのも何なので、あなたいいのを作ってあげますからといって

≪イアンソープが今着ているような全部体を覆うようなものがありますから、それで黒柳さんは細いですから一応でデサントさんのSとMをお送りしたんですよ。

「はじめにねそれはちょっと形が違うものだったのよ。

≪そしたらねぇそのテープを1時間エンエンとね「私ねSを入ったんですけどもこれはくるぶし迄しか入りませんの。」それを延々とテレビに収めて。

「それがいかに入らなかったかというのをまず最初に入らなかったこと手紙に書こうとファクスに書こうと思ったら書ききれないからテープの方がいいと思ってテープに入れたんですよ。そうしたらびっくりしたんですよSを入れようと思ったら初めの足が入らないの。こんな事でどうすると思ってまとにかくSじゃない方のMだかLだか。そこに切れ目が入っていてうーんと履くのにすごい力がいるの。

≪そうそう私でさえも30パーツぐらい筋肉のいろいろなところにカッティングをされてるんですよ。あれをきるだけでも顔が変わるの。

「夜で仕事から帰ってきてやろうと思ったら全然上がらないの。とにかく全力でやったんですけどもちょっといいですか皆さん立ちますよ。私。全力でやったんですけども私のこの辺(ひざ)までしかこないの。これが。こんなに間が空いているから見たときにすごい変な格好なの。それはともかくそれは一生懸命あげたんですけども。そうしたら上がでこういうふうになっていてこちらは出ているものなんですね。それをぐーんとやって手を入れて入ったなと思ったらここからここまでがTバックみたいになっちゃってどんと胸が出てしまう。これで出るわけにはいかないと思って(笑い)どうなっているんだか全然。広げても広げても全部前にきちゃうのね。

≪だから今の選手というのは本当にあの立派な体を逆3の体をあれの中にキッチっとおさめるんですね。

「そんなことで本当にすごいですよ。

≪もう着るだけで大変ですよ。

「だからあれだけで何なのかしら全部精力を使い果たした感じで。Tバックみたいになって、こんなところまでしか上がらないという格好で鏡を見て。これでは人様の前に出られないと思ってそれであなたに

≪特別にまたね黒柳さん流に作ったんですよ。

「それで今度イアンソープ状のものを作っていただいて。スターターをするときはまた波からのイブニングがありましたから。イブニングを着て出る人も珍しいですが(笑)

≪そうそう。それを脱いだからみんなその横浜のプールでウワーとわきましたよね。

「それでやったですうそれのVTRをちょっと持ってきていただいて

≪ちょっと持ってきましたのでご覧になってください。

「そこの私もねあの上から撮ったという。申し上げておきますけどもインドの方が水中ヨガを私は10年研究してやりましたというおじさんは本当にヨガができるからこういう状態で(あぐらを組んだ状態)それで水の中に入っていたんですけども、私は自分でヨガができないから足が引っ掛からないですよ。だから手で小包になってこんななってこのままでも浮くんですけども、10何年やっていなかったのでどうかなと思ったんですけども

≪うきましたね。本当にご覧くださいどんなに浮いたかというの、簡単なようでこれはできないんですよ。

「なんでだかね。とりあえず見ていただいて。~VTR~ありがとうございました。

≪水泳ファンの方がねもまたね徹子さんのファンになったと。普通だいたいね女優さんがでまずあんなにね1万人以上の方ですよそういう中でであの今のね水着にまずなられない。恥ずかしい恥ずかしい全部隠すんですよね。それをブワッと脱ぎプリがよかったでしょう。ましてあんなに足をこうしていヨガ風にして浮かんであれからねみんなサブプールにいってやった。みんなぶくぶくと沈んでいるんですよ。

「本当にベストテンの時ねプールでやったら今週の第1位はサザンオールスターズなんてやっていたらみんなができると思ったら日本中からねできないんですけどどうしてでしょう?というのが来たのね。

≪まずねこういうのにならないですよ水平に。

「人間が

≪それで足を持っていこうと思ったら体が9の字型になるの。その9文字形にならないんですよ徹子さんは。このままで足を持ってくる。

「ちょっとお尻は下がっていますけどね。

≪あのぐらいの下がり方じゃないんですよほとんどの人は9の字型になる。よっぽど股関節が軟らかいか

「股関節はそれほど柔らかくないですよ。普通の人と同じくらい。

≪柔らかいですよ。それでその横にする部分で浮力が余計につくようになっているんです。まずあの姿勢ができないんです。

「なるほど。

≪その姿勢がすーっと受けて背中がまっすぐになるというまず不可能なんです。

「それでこれ1時間でも2時間でも浮いていられてしゃべっていられる。たいがい息を止めているとできるけども息を吐いているとみな沈んじゃうとおっしゃる。

≪それでずっとしゃべりになったでしょう。・・・。よくプールで。浮きながらしゃべられた方も私の水泳歴で初めてでございました。

「そうかもしれない(笑)。本当に楽しく、でもね10何年ベストテンの時に最後やっていてから10何年ずっとやってなかったのでその間に体質でも変わってねできないなと思って全然やっていませんでしたから。心配だったんですよね。

≪花を添えていただいてどうもありがとうございました。

「いえども私も本当に久しぶりにやらせていただいてねあれいいビデオいただけたらいい記念に。こういうの出来ますって。あれを作っていただいたらよかったですよねイアンソープさんみたいな黒いやつ。ちょっとあれはきるのが大変ですけどもそんなに始めのほど大変じゃないですよね。

≪だんだん水着というのは変わってきたんですね。

「そうですよね。本当にそうですよ。さっきの水中ヨガみたいなものはね木原さんみたいなああいう水着でやるとねまたを広げるのはちょっと私もみっともないなと思ったら、これだったら全然大丈夫だし、しかも水の中で黒いのだからよくわかりましたよね足がどうなってるかとか。ありがとうございました。

≪いやこちらこそ

「でも何であれ水泳を好きになってくれて水に親しんでくれたらあなたもうれしいいっていう方でしょうからね。

≪そうですね。ウーマンズスイム・フェスティバルというのはあの10年前から私の夢だったんですけどもね女子柔道があって女子マラソンがある。水泳って女子がなかったわっていうところから始まったんですよね。それで女性の方がたくさんスイミングクラブに通よわれているんですけどもあのなかなか自分でチャレンジして試合に出るというのはなさらないんですよ。あの旦那さんだとか子供さんにはチャレンジさせるんですけども自分はこう口ばっかりで。

「オリンピックに出るわけじゃないんだから。

≪それでねそうなんですよそれで私たち女性もチャレンジしましょうよと。それでそれをやるんだったらで楽しくてなんて言うんですかねこうストップウオッチをする役員の人たちもおしゃれで

「あなたの水着ね。あれはあなたがお考えになった水着です。お母様も着てらっしゃる写真があるんですけどもあの本当にどんな年代の方もお召しになってもすごいすてきな水着で。

≪そうですねですから洋ナシ風とかリンゴ風とかスタンダードとか3つ分かれましてね。どこを切ってもリンゴ風のような人もOKと。

「そうなのこれ(写真)真ん中が木原さんなんですけども右から2番目があなたのお母さん。

≪そうなんです。83です。

「83のお母様

≪アヤコさん

「綾子さんも泳ぎになるんですって。

≪こっちが違うんですよ私ですね。右が母ですね。

「真ん中の方はおかあさまとは思いませんねあなたの顔ですから。

≪そうですね。

「右側がおかあさま。83歳でいらっしゃる。そして皆さんいろんな同じ年代の方とかいろいろいらっしゃるんですけどもこの水着を着て本当に健康そうでいいんですよね女の人は何歳でも。

≪水泳というのは本当にね水でどんどんどんどんいやされていくんですね。ブルーのね水の音を聞くだけで、それからブルーのあのきれいなプールの匂いを嗅ぐだけで。それから水の中に入っただけでね嫌なことってどんどんどんどん忘れていかれるんですね。ですからああいう大会を皆さんがで約3,000人あまりの方が毎年失礼ですけども1,000人あまりお断りするんですよ。

「そんなに。出場したいという方で。

≪全国からね

「小さい子供から本当にお年を召した方まで90何歳までいらっしゃるとおっしゃいましたよね。年代別に。

≪マスターズですから18歳から5歳刻みでずっと。

「小さい子供もいましたよね。

≪あれはねファミリーリレーと言って

「ファミリーリレーだったの。

≪ファミリーでやるひとつのプログラムもあるんですね。

「その年代によって何歳何歳で本当にスピードもかもしれないけどもとにかくを泳ぎつけばいいというね。

≪そうです50メートルのプールを自分の時間でゆっくりと泳ぐれる。その時間は貸し切っているんですから。だれも邪魔をしないんですから。きょう50メートルを泳げましたという人でもいいんです。だから競争じゃないんですよ。ゆっくりとご自分のペースで泳いで下さいよといったらね1番初めにね初参加の方はハー(ホッと)するんですね。

「みんなでスピードだと思うしすごい人ばっかりくるんだろうなと思うちゃうからね。

≪もちろん私みたいにオリンピック出ている人も出るんですよ。そうすると選手のときに私を負かしてない人がよし今だったら負かせるとおもってくるんですよ。

「そうか今だったら木原さんよりもすごいかもしれないと。

≪そうするとね言っていることと反対なんですよ。私は皆さんにゆっくりと、自分の番になったらガットやってますからね。

「そう。今あなたすごい成績はいいほう?

≪クロールはちょっと負けるんですねときどき。バックはやっぱり勝ちますけどね。

「バックってコレですよね。あれでスピード出すのってどうやるのかしら?私もバックで今までこの間教えていただいてあのなんていうの平泳ぎまあこれが全然私は前に進まないの。何か私が違うんだろうとおっしゃったらね手は前に行くように足は後ろに行くようにやっていたんですね私は。だから全然進まないで同じところでずっとやっていたからもうこれはあきらめてやめてバックにしようと思ったんですけども。あれはどうしたら早くいかれますバックは?

≪いやバックはね徹子さんの顔がいいですからそのままずっと上にむかれてあのままでいいです。

「ずっといいですかわかりました。じゃあ今度何歳というのに出させていただこうかしら私も。

≪どうぞ。

「お願いいたします。あなたのお母さんはお元気な方で、私が素敵と思ったのはあなたの家は岡山でしょう。お母様も岡山にいらっしゃる。あなたが岡山よりも向こうのほうからいらっしゃって新幹線で岡山を通るときにすごい勢いでお母様が駅までいらっしゃってあなたにお弁当を渡したりするときがある。

≪渡すんです

「そんなことって考えられます皆さん。娘が岡山を通るからってそうなの会いたかったわねで終わるのに

≪お弁当作ってそれからプールのコーチやプールの皆さんにと言って50個ぐらい稲荷寿司をこのあいだなんかパット持ってくるんですよ。

「駅で停車してる間にそこから積み込む。

≪そうそう積み込むんです。でいってらっしゃいねって。

「この方お弁当を食べてらっしゃる駅弁かと思ったらそうじゃなくて、お母様の弁当を食べてらっしゃる。可愛い写真でねお母様はいくつになっても手作りのお弁当とお思いになるでしょうね。

≪これがでエネルギーですね私にとっての。

「やっぱりおいしい

≪感謝ですね。元気さも私の方がいただいて。

「(写真)これお母様がお作りになった美味しそうなお弁当。でもおかあさまは1人で乗りになるときはあのちょっと見てハンサムな人の隣にお座りになるんですってねおにぎりを持って。

≪必ずねグリーン車で行きなさいと。東京から来るのに大変なんだからお母さんねグリーン車で行きなさいといったら。私はグリーン車は嫌いじゃといって。どうして?といったら私が選べない。必ずだれかが座っているから立派な方が座っていたら話も面白くねえというの。どうして?といったらそれは自由車だったら誰があそこにハンサムな男の人がいたらそこに行けばいいんだと。

「そうなんですってね隣が空いていたら自由車なんだから。

≪あなたはどこから来られたの?どこ行くの?といってその若い人と話をするのが1番いい。

「そうなんですっておまけに必ずおにぎりを持参。

≪はい。

「いかが?といってね。

≪そうそう召し上がりませんかといって「いやいやいや」というんですけどもその時にちょっとあなたの名前を使わしてもらうというんですよ。

「木原

≪木原光知子って知ってますか?知ってますよと言って驚いて顔をしたらまだあなたは売れているというです。いえ知りませんといったらねもうだめだねと言うんです。

「だからおにぎりみたいなたべるものですから相手の人も知らない人がいきなりいうからいやいやと言うけども木原光知子さんのお母様がくださるんだから

≪これは毒は入っていませんよという意味でね。

「すごいでしょうみなさん。83歳で自由席に座って自分が選ぶ。それでグリーン車だったら自分が選べないですから。座るところ決まっていますから。自分で選ぶというのがですね私やっぱりね83になったらね人に押されたりなんかしないで自分で探さないでとにかくゆっくり座ろうと思うのが普通ですよ。それをねいえいえ私が選ばして頂戴といってこうやって見てなるだけハンサムな人の方に(笑)これは私は見習わなくちゃと思いましたよ。

≪でもそれは嫌がりますよ向こうは隣の方はね(笑)

「静かに行こうと思ってるのに(笑)

≪それでもよかったらどんどんどんどんいろんなものをあげるんですよ飴をあげたり。テレホンカードをあげたり迷惑ですよその人も寝ようかと思ったのに変なおばさんが来てペチャクチャと来てしゃべるわけですからね。

「でもそれだけお元気なのはすごい。まだとってもお母様お元気なんですけどもまだそのほかにもお話はあるちょっとコマーシャルです

黒柳「大変お美しい木原光知子さんのお母様は詩吟の先生でもある。ただ厳しいから生徒がどんどん辞めていく。そうなの?

木原≪(笑)どんどん辞めては行かないですけどもねやっぱりね何か習いごとをして1つのことをやり遂げるというのは徹底的にやらなければいけないという主義なんです。だから厳しいんですよ。そうすると生徒さんがあの木原先生別に私はオリンピックに出るわけじゃないからと言われるとすごい哀しいですね。

「それはそうね

≪そうするとやっぱりこの考えさせてくださいと言って逃げていくんですようちの母がね。これは若い時ですうちの母が50過ぎてから先生になったときにねもう腹が立ってね、だいたい今の若い人はと言うんですけども人を教えるというのはなかなか大変なことなんだからほめてほめてやってあげないといけないのよといったらあんたもよ沈む人浮かぶようにするのは大変だねと言いながら教えることの難しさをやっぱり学んだみたいですね。

「てもそこですごいのはお母さんはじゃあ私は教わってみよう人に。そうしたらどんな気持ちがするかというので教わりにいらしたんですって絵かなんか

≪それで習字を習ったり絵手紙をいれたりするのを習いに行きましたがやっぱりいっぺんには上手にならないとだからその我慢をするというのを私は学んだわ。でも続けることがやっぱりステキなことだとわかったみたいです。

「だけども教えるときにはどうすればいいかという忍耐もちょっとは勉強になった。

≪ですからね80代の方というのは違いますね記録がね。詩吟の師範をとって上師範というのをとったんですよ。2000人いる流派がありましてコクフ流というのがありましてその2000人の中に15人おられるんですけども16番目に83歳にして上師範とったんです。

「すごいですね。

≪ですからあなたに1番になりなさいなりなさいと言っていた母親がボケとしていてはいけないので私もその上をチャレンジすると言って

「で一応習って見る立場でもってどんなのかというの味わってみる絵で持って絵手紙であなたのところにずいぶんめきめき絵手紙が届く。

≪1番初めがね無花果なのか何なのかわからないですね。あのこれはトなのかイチジクなのか何か分からない。このあたりからだんだんわかるようになってくるんですね。

「それでしたがカレンダーになっているもので上に描けるようになっているものもあるらしく。それでこれなんかは本当にかわいいんですよねスイカを食べていてだんだん。それからひまわりは後ろからは人生も見える。それでアレですよねこちらにお手紙があなたに。

≪しっかりと人生観を書いてきてくれていますね。

「でもすごいお元気なお母様ね。でもね。こういうものしょっちゅうあなたに。あなたも毎日朝お母様にお電話をなさるんですって。

≪そうですねずっと中学校から水泳をやって離れていましたからね。親は離れている子供をやっぱり思うじゃないですか。元気でやっているのかなどうしているのかなと思うんだったらお母さん元気よお母さん生きてる?生きてるよ。といってねそれでお互いにスケジュールを言い合いこするんですよ。そしたら向こうのスケジュールの方がびっしりと詰まっている。

「(笑)

黒柳「83歳のお母さんはお元気なら88歳のお父様はまた元気。

木原≪元気です。あずっとウチの両親は生まれたときから木原家にもらわれてきて父は小学校4年生のときにもらわれてきて、それからうちの父はずっと母の家来です。

「あのねこちらは笑っちゃうんですけども大変な材木商を営んでらっしゃるところにお母様が小さい時に養女にいらっしゃってそこの家の赤ちゃんみたいに。それで10歳くらいの時ですかねお父様後からいらした。家来とおっしゃったの。お母さんはそこの家の子供のように。

≪そうです偉いんですよいまだに偉い。

「だからお父様は後からいらしたのですね。まあ養子にいらしたんですけどもそれでご結婚になったんですよね。

≪いまだにハイと聞いていますよ。お父さんこれやってあれやってこれやってあれやってといってね。お前は何するの?といったら私はもうそこで詩吟をうったり。外様です

「おかあさまはね。

≪お弁当もやってくれるのは父なんです。味付けは母なんですけどね。

「じゃうまくいってますねそこのところは。でボーリングや何かはご両親そろっていらっしゃって

≪1度も私は勝ったことないです両親に。

「そんなにすごいの。

≪すごい

「でも88歳のお父様にあなたが勝てないというのもすごいですね。でも仲の良いご両親で素敵の父様でいらっしゃって男性的な方で。でもそれでもあれですよねお母様がこうしてらっしゃるとはいとおっしゃるところがすごい。

≪すごいですかわいいですよ。2人の会話を聞いているとおもしろいですよ。あれお父さん金魚は?餓死した。とかね。お父さん鳥は?逃げたとかね。この間買ったでしょう?いや死んだとか蚊取り線香ずっとやっているうちにねもなくなっていたりとかね。倒れる動物もね必死ですよ命がけ。もう本当にのんびりしてますよ田舎ですからね。

「いいわ(笑)

黒柳「あなたがお元気なところはそういうご両親の支え、それといつもご両親がお元気ということがやはり仕事にあなたが専念できるところなんでしょうねきっとねぇ。

木原≪そうですねやっぱりうれしいですね。両親が健康であるということは。いつまでたっても拍手を送ってくれるじゃないですか。

「娘が120%いいと思ってらっしゃるから。でもその代わり私なんかもそうだったんですけどもなかなか結婚しないんですよね。居心地がよくて。

≪徹子さんが目標です。

「(笑)まあひとりでも何とかやっていかれますから。あなたも大丈夫ですよ。あでもあなたもこれだけお仕事をされていると結婚したくてもなかなかできないですよね。

≪そうですね。でも水泳のおかげです。こうやって元気でお仕事できるというのは。

「考えたらね。元オリンピックの水泳の選手でいらっしゃるんですから。それからずいぶん長いですものね。

≪そうですね会社をつくって20年。水泳選手やめて34年。

「そうですよね。こうやって写真を見ていると郷ヒロミさんに顔が似てるのね。

≪そうですか

「そういうふうに見えるの。わたし郷ヒロミさんかと思いました。でもこんな子が日本の皆さんの水泳を本当に引っ張っていってらっしゃる方になるんですから。でもあなたこのごろ健康に気をつけていらして豪華なみそ汁を朝食べるんですって。

≪あの食べますね。

「どんなもの豪華みそ汁って?

≪具がたくさん入っているんですようちは。だから残り物があったらそれを全部具に入れて。それでい七味唐辛子を入れていただきますね。

「それが1番いろんなものが食べられるですよね。やはり元気の源。

≪後333歩ジャンプするんです。

「ただ飛ぶの?

≪そう。3時になったら333、ミミ3で終わりましょうって全員さすんですうちは。

「飛ぶだけ?

≪そう飛ぶだけ

「それでも随分いいですかね。

≪いいですよ

「なるほどね。私もヒンズースクワットというのジャイアント馬場さんに言われてやっているんですけども今度それもやってみよう。

≪軽く飛ぶんですよ

「ありがとうございました。

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