本日の徹子の部屋ゲストは真屋順子・高津住男さん

2003年1月28日

黒柳「女優の真屋順子さんと俳優でご主人の高津住男さんにおいでいただきました。真屋さんが所属なさっている劇団のキカンシャの代表でもいらっしゃるんですが。お二人でおいでいただいたのはなんとびっくりしたことに2年ちょっと前に2000年の12月に脳出血でそれで半身不随におなりになった

真屋@はい今も左手と左足がマヒしております。

「でもよく口が大丈夫だったわね。

@口が残ったんですよ(笑い)

「よかったですよね。

@だから徹子さんのお弟子さんに入ろうかな。修行し直さなければ。(笑)

「でもあのそれから倒れになってリハビリとか病院にいらっしゃってという期間もあってテレビは2度目ということで。前NHKにこの間おでになったのを拝見したんですがその時にびっくりしたのね。まあそうだったんだわと思ったんだけども。お仕事している最中だったんですってね。

@そうなんです。静岡でね静岡の浜岡というところでね町の市の音楽会があったんです。素人さんたちの。その最中。舞台の上ではなかったんですがちょっと外れて下手に入ったときに。

「でもその時に手がだんだん冷たくなってきた。

@そうなんです。

「悪くなった方の手が?

@そうです左手。特に左足がね冷たくて何か自分の足じゃないみたいに冷たくてね。ここに氷の塊を抱えている。これは何なんだろうと思って生まれて初めての経験だったので。でこっち左手が全然わからないですよねどこにあるのか。

「あらもうそんなになっていたんですか

@そうなんですね。たぶん舞台の上で切れたんだと思いますこちらがね(頭)。

「でもまあ口は大丈夫だったでしょう。

@口は達者だったから、だから救急車の中でひとりでしゃべっていました(笑)。

「何かあれですってね健康保険の証書をはどこにありますとか、本名はとかおっしゃったんですってね。

@私の芸名が真屋順子ですのでね、救急車の方がちゃんと分からないといけないので。私は芸名と本名は別々なんですよ。わかっておりますなんて言われて。

「ご主人は、そのお仕事で元気にいらっしゃった奥様が病院に入ったら突然。もそのときは意識不明だったんですか?

高津:そうです。

「連絡があったときは。

:あのびっくりしましてみました。あの自分の中でこの人を本当に愛したことがあったのかなと思って。ぐっと我慢したんですけども。

「そんなに悪かったんですね。

:そうですね。生きた僕の方が生きた気持ちはしませんでした。

「それは5日間ぐらい?

:そうです

「静岡の方の病院で?

@はい。

「じゃあその時にいらっしゃるまでの間新幹線に乗っていらしてもねそれは気が気ではなかったでしょうね。

:そうですね。あのいろんな喧嘩したこととかいろんなことを思い出しました。

「病院の先生も大丈夫ですからと初めはおっしゃらなかったんですって

:僕の方が最初はあわてていましたから言っても仕方がないと思ったのかもしれません。でも命は取り留めたという言葉を聞いたときに僕の方がふわっとなりそうになって。

「まぁ命を取り留めたということぐらいでたいしたことないですよとかそういうことは全然なくて

:はい。

「でご本人には全然?

@5日近く意識不明だったみたいですね。できづいたら主人がベットのそばにいて、何なんだろうと思ったんですよ。寝返りをうとうとしたら全然左の方にいかないんですよ。いうことを聞かないの。寝返りっておきたらウワーとなるでしょう。それができなくてこれはいったい何が起きたんだろうと思って。

「その時は左半身不随

@全然効かなくなって。自分の意志の通りにならない。で目がさめてしばらくして先生と高津がこれは脳内出血だということ聞きまして

「まあそれからずっとリハビリが続いて2年ちょっと前の出来事だそうですけどもそれからずいぶん長い期間だったと思いますけども。まあその間大変だったでしょうねきっと

@でも皆さんが大変ね大変ねえとおっしゃるほど自分はそんなに大変だとは。

「でもご主人の方は今まで真屋さんがやってらしたご飯のこととか、そういう家事おやりにならなくてはいけなくなったので

:もうとんちんかんで何をやっていいかわからなかったです。

「見当もつかないでしょうね。

:トイレを掃除しましたらピタッとハネが上がったり、油ものと何かを一緒にしてはいけないとかいろんなことがありました。

「息子さんがいらっしゃるんですよね。

:はい。食事は全部彼が最初はやっていました。

「そうですってね。その息子さんが20何歳ぐらい?

@いえもう40

「40!

:まだ独身です。

@今年41になるんじゃないでしょうか。

「結婚なさった時にすでにその息子さんもいらして。

@6歳でおりましたから。

「だから6歳で、あなたが結婚の里時には6歳だったんだけどもうずいぶん長く結婚してらっしゃるんだわね。

@そうですね30年近く30何年にかになります。

「息子さん何歳でしたっけ?

@41もうすぐ8月で。

「結婚しないから家にいらっしゃるわけ。よかったですよね。男の人が2人いれば随分力強いですね。

@そうですね力仕事もできてやれますしね。

「そのお坊ちゃんがご飯のことをやってくださる。でもあなただんだんこう左手で、左手で結構押さえたりなんかしないといえのことってできないんですよね。

@そうです。まな板の上で左手で押さえて切ります。それができないからつるつる滑ってしまうんですよね。でもいろんな方から下から釘を打ってもらったりそこにじゃがいもとかニンジンとかを突っ込んでやればいいよと教えていただいてやったりもしているんですけども。

「皮をむくのも片手で向かなければいけないとか随分いろんなこと。

@でもやろうと思えば1本の手だけでできますね人間て。何かがだめだと思えば一生懸命頭が工夫してくれるんですね。体もそれに付随して動くオートするでしょう。そういう意味では楽しい、楽しいというかどうしたらそういうことができるか一方の手だけでできるかということいろいろ試行錯誤しながらやっているんです。

「それにしても58歳もうじきお誕生日という所の前だったんですよね。

@そうですねはい。

「ずっと私お若い方だと思っていて何歳だって考えたことなかったのにあなたが半身不随とうかがったときにあんなにお若い方でもなるんだなと思ったぐらいだから。

@若くはないですよ。だからこういう病気になる年齢に近いというかね。

「でも欽ちゃんのどこまでやるのでも10年おやりになったんですよね。

@そうです。

「だからメダカの兄弟や何かのお母さんをやってらしたわけなんですけども。じゃなにか前から何かそういうことがあったんですか例えば血圧が高いとか?

@あんまりそういうことは意識しないし、健康診断もときどきやっていたんですが健康診断ぐらいでは引っかからないですね血管が切れるというのはね。だからみなさん本当に健康診断を丁寧に特に40歳以降からはきちんとMRIでをを。そういう検査をなさった方がいいと思いますよ。

「でも自覚は全然なく?

@ただ階段の上り下りがちょっとしんどくてハーハーと言っていたんですよねぇ。だからたぶん血圧が上がっていたのかもしれません。

「でもねあまりそんなにどこが悪いという自覚もなくお仕事で行ってらしたわけですからねえ。それがいきなりそういうことにおなりになって。

@でも本当に人生て何が起こるか分からない

「特にあなたはご健康そのものみたいな方でしたからね。

@でもしょっちゅうあっちが痛いこっちが痛い、胃の調子が悪いとか頭痛がするとかしょっちゅうぐじぐじぐじ言ってましたよ。

「やっぱりどこかが悪かったのかもしれないわねもしかすると

@そうですね。でも悪くてもあまりそれをいい引きずらない性格。それが今度の場合はもう少し気にした方がよかったのかなと思いますけども。

「でもご主人が本当に意識不明のあなたをご覧になったときにこの人を本当に愛したことがあるんだろうかとお思いになることはそういうことでもなければあまりお考えにならなかったこと。

:全くそういうことは考えたこともありませんでした。

「後からお聞きになってどうでした?

@遅かった(笑)気付くのが遅かった。まそれはありがたいお話しですけども。罰当たりな発言ですけどもね。

「そうですよね。あなたはその前にお母様の具合いが悪い、それと一緒の舞台「出雲の阿国」をやってらして。

@その年は本当に忙しかった。

「忙しかったのね。

@何かをやるときは自分の睡眠時間を削って何かをやらないと、ほとんど睡眠がとれていなかったみたいですよ。何カ月間は。

「しかもお母様のご病気が悪いというような心痛があったわけですよね。芝居が大変というような。だからいつも芝居をやってらしてもお母さんものことを考える方がちょっとアレだったんですって多かった。

@そうですね。でも母の介護を多く置くか、お芝居の方をを多く置くかというとお芝居の方で、地方にもいかなければいけないし。健康を気遣わなければいけなかったんですけどもただ与えられたことを一生懸命やるということが続いていたものですからね。半年ぐらいはそういう生活で。

「でも話は違いますけども欽ちゃんなんてびっくりしたでしょうねあなたがそんなになったって。

@びっくりしたいみたいです。というか私が電話したんです。退院してからしばらくして。「どうした?お母さんどうした?どうした」電話の向こうで。頭の血管が切れちゃってというと「頭の血管が切れた、ええ~嘘だ」と言うから本当なのよ。頭の血管が切れてそんなにしゃべれるというからだってしゃべってるでしょといってね。

「でも今どうやって移動は何?

@あの車イスとつえ。ゆっくりと杖で歩けますから。

「あれでしょうリハビリも歩くのもリハビリでご主人と一緒になんか歩いてらっしゃるお写真をちょっと拝見したんですけども。じゃご主人がいらっしゃるのはずいぶんよかったですよね。

@そうですねはい。

「丈夫そうなご主人なので。

@丈夫そうといわれても(笑)

「階段なんて大変でしょうねやっぱりね。

@それがね家はね本当に狭くてね天に近いように作ったものですから。しょうちゅう上り下りしなければ自分の部屋に入れないんですよ。だからエレベーターもないしねいやが応でも歩かなければ自分の力で歩かなければいけない。最初のころはうちの息子が私をおんぶして階段の上り下りをしたんですよ。それを3階まで階段があるものですから

「まあ大変ですよね。

@ですからのリハビリのお休みの日は一生懸命階段を上り下りして鍛えております。階段の上り下りはすごいプロになりました。それほど歩いています。

「それはやっぱりつえを。

@手すりをつけてもらいまして。うちの劇団のメンバーが手すりをつけてくれて。どこでも手すりどんなところにも手すり。

「それはそうですよね手すりがあればねつかまっていれば安心ですものね。

@手すりがあればどこへでも行きます。

「なるほどね。確かに手すりというものは安全、その手すりが切れているのはイヤですけどもずっときれていないの願いますけども。こういうふうにいっていて突然切れちゃうとね

@だからリハビリの先生がね道を歩いていても全部手すりがあるわけではないからあまりこんどは手すりに頼るということはやめてくださいと最近おっしゃるようになった。

「私も駅でここまで手すりが来ていてそこから手すりがなかったときにあるんだと思って上から下まで落ちた人の話を聞いたので私手すりがないと恐いんだわと思って。そういうのがあるならあるでしてくれないとね。危ないですよね。

@でも今は先が4つに分かれている安全性の高いつえを使っているんです。でもリハビリでは1本の杖を今使っています。

「でもその4つに分かれているなんて【写真】こういうのね。そういうのがあるんですか今。なるほどね。

@ですから外出するときはこの安全性の高いものでリハビリ室では1本の杖でやっています。

「洋服を着たり脱いだりというのは自分でおできになる?

@時間がかかりますけどね。まず不自由な方からそでを通して肩まできちんと合わせておいてそれから首回りを被りましてそれからぐっと片手ですごく朝起きて30分ぐらい洗面所に行くまでに30分ぐらいかかりますけどね。護送具をつけていますでしょう今。

「それはおみ足のちょっと見せて。ばんそうこうみたいな。ばんそうこうじゃなくてここのところね。

@これはね何ですかマジックテープ。これも障害者用の靴を

「そうなの

@主人が探してきてくれて。

「この横に車みたいなものがついているんですけどもそれはやっぱり足がちゃんと固定するようになっている。

@そうですねこれはあのL字型だけだったりすると今度曲がったりする時に今度は足に抵抗があるのでこれがバネになっていて動くとちょっとゆるんだり開いたり。

「そういうものが今あるんですか。

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黒柳「それにしても病院で意識が目覚めたころみんながカイトウするカイトウすると聞こえたんですって

真屋@あのそのそれはたぶんいつごろかちょっとわからないですけども多分病院に静岡の病院で救急車を降りて検査室に入る前後じゃないか。カイトウする?カイトウしなくてもいいでしょう。わからないでしょうが私も救急車の中で意識が遠のいていて。何をカイトウするんだろう。冷蔵庫から何を出してくるんだろう

「冷凍をどうやって解凍するんだろう。

@その解凍だと思ったらどうもどうもどうもここは病院みたいだ。その2人の声が男の方の声だったんですよね。どうも先生らしいのでということは私は病院かな?病院らしいとはっきりわからないですよ。カイトウしますか?いやカイトウはいいでしょう。そのときに何を料理するんだろうと。カイトウというのがね開く頭。私は病院にいるみたいだけどもう頭が変になっちゃったんだと思ってどうしましょうというときにまたわからなくなっちゃって。そういう面白いキャッチの仕方をしたんですね。

「なるほどね。

@人間って意識がなくなっても結構おもしろい方に自分がとらえちゃったというかね。そういうことは頭を開かなくてもいいんだと思っているうちにまたわからなくなっちゃったんですよね。

「でもそれにしても意識不明から戻って病院に2カ月ぐらいはいらっしゃいました?

@向こうの病院と合わせて2カ月くらい。

「それから後リハビリに入るんですけども、何かどうしてもデパートにいらっしゃりたくてデパートにいらしたんですって。

@住んでいるところが板橋なんですけども。池袋のデパートにときどき元気なころに行っていたんですよ。ひとりでね。退院したときにどうしてもデパートで買い物をしたくて、春だし2月の末だと思うんだけども

「お倒れになったころがクリスマスのころだったですものね。

@もうすぐ春も来るし靴下もかわいらしいピンクとかブルーとか黄色とかそういう靴下を履いてみたいなと思ってねただデパートに連れて行ってもらったんです。

「デパートに車いすでいらっしゃったら、女の人が後ろから回ってきて

@そうなんですよ。普段は見られていますでしょう。職業ですからね。見られるのは平気だったんですが、あんなにも見られたというのは

「しかも車椅子に乗ってらした。

@そうなんです。前に回ってきて上から下までずーっと見られたんですよ。その時に車いすで外に出ていくということがねわたし自身の中で抵抗があったのですがなにしろ新しい空気を吸いたいということでまあエイヤと出ていったんですね。そして息子と主人と。そしてデパートの地下で何かおいしいものでも

「デパ地下

@そうそう。何かぐるぐる回っている最中だったんですよ。

「そうするとその人が顔を見たのは

@上から下まで見て

「へえ~真屋順子さんて今こんなふうだわって思われたようにあなたは思った。

@そうです。それとやっぱりねぇこういう障害を持ってしまうと舐めるようにというかグッとみてその目線がとっても悲しくなっちゃったの。

「実はそれが後になってみると負けないぞという気持ちにバネになったんですってね。

@そうですねその視線がですね視線というか目線がですね。私にとって逆の意味で頑張らなければとそういう意味で差別というかね。こんな体になっちゃってアーアというかね。そういうことがとても一瞥されたというかね。

「まあ有名である人の宿命かもしれないんですけども。そういう目線をはねのけなければという気持ちにそれがなければ

@あの時にデパートにいかなければそういうこともなかったかもしれないけども逆にそういう風に見られたことで私まだ頑張れるんだと、生きているからこんな目に会うんだ。目に会うというのはおかしいですけどもね。ちょっと傷つきましたね。

「でもちょっとそれはね

黒柳「まあデパ地下に初めていらっしゃって車いすでそういうふうに前に回られてみられてその人の目線が痛くて帰りの車の中でふさぎ込んだけどもやらなければというふうなバネになったのはよかったんですけども。今しゃべってらっしゃるから始めからしゃべるのは大丈夫かと思ったら、はじめちょっとご主人リハビリが

高津:いはいそうですね。あのリハビリ師の方が和田氏が言う通りに行ってくれとおっしゃったんですね。と”今日は雨が降るかもしれないから傘を持っていこう”、”今日は雨が降るかもしれないから傘を持っていこう”と言うんです。女優なんだからそんなの100行だろうと200行だろうと大丈夫だろうと思ったら5行ぐらいのものが言えなくなったんです。僕はぎょっとしてその時も後ろの方にクラクラときましたけども。

「ああそう。でもそれから早くしゃべる方は回復

:しました。

「それは脳と続いていることだったので初めねなれなかったことがあったんでしょうね。でもご主人は真屋さんのおなかのくくり方といいますかね、ものの考え方とてもすごく胸を打たれるものがあった

:はい。すごいと思いました。まず自分の連れ合いのことをすごいというのは変なんですがあのやっぱり覚悟するときは本当に覚悟する度合いが幅が広くて、回りがですね息子と2人で頭ということ言うと「(声が詰まる)」と思ったり腕と言うとやめたりしたんですが。でも本人は本当におなかの下でおへその下でぐっと覚悟をしていて私はこうなったんだ。だから頑張ろうということになったみたいですね。

「じゃあ随分ご生活を一緒にして助けたりしても割合やりやすかったかもしれませんねそういうことを気を使わなくても。

:そうですね。本当にそれは思います。

「でもご主人に対しては明るくやろうとかそういう風にはなさいました?

真屋@わざとはしませんけども私は大体根明(ネアカ)みたいで、私明るくしようと思いませんけどもみんなに明るい明るいといわれるんだけど私明るいですか?

:いやいや、それは明るいですけども。前はねあそこにあったのは何だっけ?なんていうのが何でもなかったんですけどもそれがその事故があってからははそこにあるのは何だっけ?と言われるとぎょっとするというか回りがそうなんですよ。

「そうですよそうですよね。

:だから明るいというか何だと思うから。ここにあるじゃないのというような話にはなりました。

「それはずいぶん違いますよね。

@あとみんなが明るいですねと言うんですよ。こんな大病の最中なのにどうして明るいの?どうしてか私もそんなそんなに明るい?と皆に聞くんですけども(笑)もなるようになるわという感じで。

「それがご主人のおっしゃるおなかのくくり方なんでしょうねきっとね。

@今こうなってしまったのも私、元気なころも私だったらひっくるめて病気になったから自分を嫌になるじゃなくてね病気になった自分をもっともっと試してみたいというか何ができるかこの体で何ができるか試してみたいというのはこれ初めて言うんですけどもここでこの場所で初めて言うんですけども、あの心の中で思ってたみたいですね無意識で。

黒柳「あのご自分で今何ができるだろうと思ってその試してみるというような生命力がご自分の中であるのでみんなに明るいと言われてるんじゃないかということで。

真屋@でもそれは1人ではできなくて病院の先生だったり看護婦さんだったり家族だったり劇団のメンバーだったり近所の方の声のかけ方「頑張ってるわね」とか言ってくださるその言葉とかだからその言葉の持つきらきら輝く言葉の本当の意味。私今まで役者やっていてね言葉の持つ本当の深い意味をでちゃんと考えて芝居やっていただろうか、ドラマをやっていただろうか。こういう対談でもね徹子さんの前で自分が自信を持ってね自分の言葉で言葉の持つきらきら輝く宝石みたいなそういうものちゃんと意識していたのだろうかと思ったら何かそういう意識が足りなかったような気がして病気が教えてくれてお話することのを大変さそういうものをとても病気が教えてくれているんですね。

「でも車いすにお乗りになってお芝居、あの再演したかった出雲の阿国をまたなさるんだそうですけどもあさってですね1月30日と1月31日しあさって三十三十一日と初めて女優の仕事としてお戻りになる。

@そうですね。

「わけですよね2年ちょっとです。下北沢の北沢タウンホールというところで出雲の阿国をなさる。ご主人はどうですか車いすでもやるという

:大丈夫だと信じています。

「そうですよね。セリフいっぱいあるんでしょう?

@あります。1日1日セリフが増えていくんですよ。だからもう怖くて。

「でもこの素晴らしい精神の持ち方で何とでもありがとうございました

@:ありがとうございました

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