2003年2月27日
黒柳「徳永英明さんです本当にしばらくでございました
徳永≪今日は
「まぁお元気におなりになって本当によかったですけども約1年8カ月お休みになりましたかね。だけどあなたがベストテンにずっといらしてらしてお会いしていたんだけどもあなたがそのモヤモヤ病というので、そういう病気があったこともみんな知らなかったじゃない。あなたがモヤモヤ病ということで新聞やテレビで出たので同じモヤモヤ病の方たちにとってはよかったですってね。
≪でしょうね。僕もあまりよくはわからないですけどもやっぱり病名ぽくないじゃないですか。だからからかわれたりとかそういう人もたくさんいたようで
「そうか。モヤモヤしてるような感じで。でも本当にあなたがなったときはびっくりしたんだけどもそれよりも私がもっとびっくりしたのは復帰会見というのかこの前なさったときね、あなたはずいぶん変わったんだなって。
≪見えました?
「見えましたよすごく。今日は全体に合わせて帽子がいいということで帽子をかぶってらっしゃるんですけども別に何を隠してらっしゃるわけではないんですけども。髪の毛もほらこう短くなさったじゃない。
≪(帽子を取る)
「ほらかわいくなっている。似合うのねあな短いのが。
≪ああそう
「すぐにかぶちゃった。でも帽子が合っているということで。まあとにかく髪の毛が短くなっただけどもそれはどういうということでもないんだけども手術したわけでもないんだけども。だけでも短くしただけどもでも1番びっくりしたのはあなたが笑っていたのね。あなたが笑いながら記者会見をしていらしたの。私あんなふうにあなたが笑ってらっしゃるところを見たことなかったなと思って。
≪ねえ
「自分でもそう思った?
≪思います。だからなんていうのかなって病気する前というのは歌う姿勢は別としてもしかめ面というかどちらかというと伏し目がちというかでも何か写真を撮るときもで笑えるようになったというのかね。
「そう。今まで自分で笑わないというふうに決めていたわけでもない?
≪決めていたわけではないですけども徳永英明という、歌手徳永英明はこうあるべきではないかというそういう像が自分の中にあって
「何かよろいを着ていたみたいだとおっしゃっていたけども
≪素の自分としては楽屋では面白いのに本番になると何格好つけてるんだみたいなことはスーパーサッカーでも言われたりはしていましたけども。
「ああそうなの。サッカーの番組をやってらしたので。でもその時に笑ってらしたというのが、それと変わったと自分でも思っているってその時に。やっぱり1年8カ月というのはあなたの年齢にしては長いと思いますよね。その闘病生活が。その間にいろいろなことを考えたんだなときっと思っていたんだけどもやっぱりそういうところはありました?
≪あのなんていうのかなみんなが僕の病気に対して深刻になれるんですけどもただ大丈夫ですかとか「ぼくがそんな病気だったら徳永さんみたいに笑顔では会見できません」みたいなことを言われたこともあったんですけども。僕ううなんかは変な話ですけども病気だったりとか例えば会社が倒産するとかに対しては復活すればいいじゃないかみたいなぁそういう変なポジティブなところがあるんですね。逆に誤解を招いたり自分の言っていることが違う解釈をされたときの方がストレスになったりするタイプで前のレコード会社がバンダイというのがつぶれてCD店からバンダイのレコードが全部なくなったんですねCDが。だから歴史が86年から98年までなくなったんですよ1回。
「あなたの曲も全部。
≪それをうちの社長がなくなりますからと深刻に言ってきたんですけどもだったらチャンスジャン。もっといい歌を歌って復刻版をこれは格好がいいとか、変なんですね(笑)
「でも皆が思っていないような大きな事件に対してはとてもポジティブに行けるんだけども
≪小さいのが
「小さいのがどうもそこのところは苦手だったのがきっとその1年8カ月の間にその色々のものがなくなっていろんな鎧とご自分でおっしゃっていたみたいだけどもそれがとれてあのきたんだと思うのね。そのあなたの復帰会見を拝見してて1年8カ月でもあなたのような若い年代の方でもそんな自分を変えることが出来るんだなと思って本当にびっくりしましたよね。あの時あなたの笑顔をを見たときに私はベストテンでほとんど考えたら笑顔って見てないなあとちょっと思ってね。もちろん歌を歌うために来ていただいているからあなたは初めから徳永英明で歌う。ずいぶんいろんな話も聞いたしねあなたが乃木坂のところの喫茶店で働いてアルバイトをやりながらデモテープを作って作ってそれを六本木だっけ?最終的にそれを聞いてもらう。乃木坂から六本木までなんて歩いたら5分もかからないのに長かったというのをとてもよく覚えているんだけどもそういう話の時も、あなた関西弁で話していた?さっきちょっと関西弁みたいなのでてきていたけども
≪思春期が関西なので兵庫県なので
「そういうのも今まで聞いたことなかったので。本当に徳永さんという感じだったんだけどもその復帰会見を拝見していたときにああーーそういうふうな変わり方ってできるんだなっアて。ずいぶん自分の中を見つめる時間だったのかなって思ってね。
≪そうですね。でも三歩進んで二歩下がるのまあそれのなにか、病気したあとの復活するまでに3歩自分が学んで目覚めたりするですけどをすぐに現実に押し戻されて二歩下がってまた三歩進んで2歩下がってまた三歩進んで二歩下がってのその繰り返しにその1年8カ月ぐらい復活までにかかったというのが正直のところです。
「なるほど。結婚なさって今お子さんが2人いらっしゃるんですけども、結婚したときも徳永さんなのであの結婚したことは別に隠しているとかではないんだけども自分のインスピレーションみたいなものがこの結婚によって子供のワイワイしたのによって失われるんじゃないかみたいな考えもどこかにちょっとあったりした
≪うーんやっぱり家庭を持つということは守らなければいけないということだと感じたのでそれまでは自由気ままに本当に何時に寝ようが何時に起きようが何時にご飯を食べようがよかったんですけども子供ができたら守っていかなければいけないという確実に守らなければいけないものなので、それでちょっと自分の自由がなくなるかなというのは当初思いましたね。
「ところがその1年8カ月、それよりもっと病気だということがわかったりして家族と一緒にいなくちゃ本当に一緒にいるというか家族のことも心配であり奥様と一緒にいるというときに随分家族っていいなと
≪何なんですかね。当たり前のことだと思うんですけどもその自分の仕事がらといういったこと優先的に考えてしまうでしょうね。だから素の自分とその歌手徳永英明というのがいつも2ついてそれが一致しないままデビューしてから生きていたという感じがあったような気がしますね。
「だけど奥様がすごい明るい方で太陽のような。
≪というかうちのカミさんもそうですけども自分がそういう気持ちになるとうちの家族もファンの人たちもスタッフもみんな太陽に感じるということが言いたかったですけども
「まあそうの。奥様が太陽みたいだとおっしゃったんですけどうもそういう意味で。だから自分の殻があったので逆に言えばみんなのことも自分の殻の中から見ていたって。人があなたを見る目じゃなくて自分が人を見るときにそういうふうに見ていたかもしれない。
≪そうですね。自分がこう変わったことによって僕のファンの子たちというのは変な話ですけども家が火事になったときに僕の曲を聞いて励まされたとか離婚した時に僕の曲に出会って励まされたとか。よくステージの上でお前たちちょっと暗すぎるよとかという話を僕はしゃれでいうことがあるんですけども。今回その復活してファンの前にトークライブの形式で出ていたときにやっぱりみんな深刻なエネルギーというか深刻にいこうを深刻なんだろうなと思ったんですけども自分がこういう感じに変わった瞬間「ああ客席も全然お花畑じゃない」というような。だから自分が変われば回りがすべて変わっていくし、自分が変わることを自分に許可すればすべてはうまくいくんだというようなそんなこと。
「だから病気になったことはすごく大変なことでしたけどもあなたにとってはもしかするとこれからの音楽生活をやっていく上では楽にもなっただろうしいい曲も作れる環境ができるんじゃないかしらと思うんですけども。だから家族はもしかすると自分の障害にはならないまでも以前の徳永さんから見るとちょっと家族は大変と思っていたものがそうじゃないんだといってとてもいいものなんだと。そうすると子供もすごくなつくだろうし
≪まあ子供はなついていたと思うんですけども何か自分の中でバランスの取り方がやっぱり下手だったというか明日は仕事だからこうしなければいけないとか、さっきも楽屋で話していたんですけども明日仕事だったら寝なければいけないとか思うんじゃないですか。だから寝なければいけないと思うことが不自然であって眠くなければねなければいいジャン。そういう感覚で生活していくことがベターなのかなってまあ当たり前のことなんですけどね。
「でも私本当にあなたと何回もインタビューさせていただいたしほとんど毎日のようにベストテンでお会いしていたんだけどもやっぱりこんなふうにリラックスしたあなたに確かにお会いしなかったように思いますね
≪そうですか(笑)
「でもそんなふうに笑うとか。あなたはもしかしたら笑っていたかもしれないのね。だけでも今のように面から見て笑っているようではなかったのかもしれない。
≪訓練しましたね笑いの訓練を
「あ
≪嘘です嘘です
「冗談も言えるようになったということだけども、でも本当によかったんですがじゃモヤモヤ病というのはどういうものかというのはコマーシャルをはさんでモヤモヤ病についての説明をしていただきます。
≪
黒柳「何か津波というのが日本語だったんだけども今津波というのは外国語になって全部TUNAMIと言われているように
徳永≪へええ
「そうなんですって。そうなんですよ。モヤモヤというのも今や日本の名前なのに外国でもモヤモヤとこの病気に関しては言うんですって
≪そこは詳しくは分からないんですけども外国ではウイリス性なんとか動脈なんとか
「ウイリス動脈閉塞性。
≪うん。というふうに言うのではないかなと思いますけども。ちょっとわからないです。
「でもモヤモヤともいうだそうですけども。だそうですけども、何かの理由で大きな血管が詰まってそのために細い血管が頑張ってそれをカバーしようとして
≪あのね僕もよく本当はわからないです。でいろんな人の考え方があるらしくて中大動脈というのがあってこうでてそこから血管が脳の細胞というか部屋に行っているわけですね。でも僕の場合は左側が閉塞して行って右側がキョウサクしていてを85%までキョウサクをしていて太くなっていっているわけですね。こうキョウサクあって出るからそれがMR TとかMRIで打つとたばこの煙のように映るからモヤモヤ病。
「その細い血管たちがその雲と細いでしょうねきっとそれがカバーしてる奴がモヤモヤ。だいたいからして何で詰まるかというのがわからない。
≪うーんどうなんですかね。僕の場合は何で入院になったかというとレントゲンを撮って血管が左側ぜんぜん映ってないわけですよ。
「普通は写るの
≪うつります。で僕が症状が出ていたのは左側なんです。ということは右脳じゃないですかを右側に血管があるから左側に出るわけです症状が。左側が血管がなくて右側は全然大丈夫なんですよ。だからお医者さんも全然わからなくて
「もともとコンサートをやってらして
≪そうですねふらふら走っていたんですけども、1回ちょっと途中で中座したりとかしてたんですけども何か病院ってに行ったりしても過労だとかしか言われなくて
「まあ脳貧血みたいなものかと思ったりして
≪脳貧血ですね。脳梗塞の前触れみたいな状態だとかいろんなことを言われたんですけども。でもその造血剤というんですか
「造影剤
≪造影剤を脳血管に全部入れてここから注入して。血流はあるんですねたぶんふつうの人たちみたいに
「血の流れは
≪コレステロールもないし、詰まっているところも全然ないし発展としてこう中大動脈があるんですけどもここから違う細い血管がこっちにあるんですよ。でそれがあったから左側完全に網羅していたわけですね。ですからその血流によって右側は全然
「大丈夫だった。
≪右側が85-90%ぐらいのところまで来ていてそれと古い血管が融合していてそれの過渡期というですか変わり目といったところにそういう症状が出たじゃないかというふうにお医者さんは言われていました。だから右側がモヤモヤとして血管があったんですけども。だからそのうちにこの細い血管が網羅するだろうからすぐに大丈夫ですよというふうに
「だけど初めは訳も分からないモヤモヤ病といわれてそれで血管がどうのとか脳がどうのとか言われたときはやっぱり心配だったでしょう?
≪うーん、何というのかな自分の中で大丈夫だという感覚がありました。だから変な話入院したときにコンサートを飛ばしてうちの社長といろんな話をしているときにもうこれは宣伝材料にするしかないみたいな感じで俺は生きるよみたいなことで頑張ったというか過ごしてきたんですけども
「治療法としてはどんなことがあるんですか?
≪治療法はないです。
「ない。
≪ありませんたぶん。子供たちの病気4歳から5歳のモヤモヤ病に関しては
「4歳とか5歳であるの?
≪4歳から5歳が1番多いんですよ。だから僕たちみたいな年齢でなる人はあまりないというか。子供たちといのは本当にモヤモヤ病なんです。モヤモヤとした血管だけで、僕の場合はもともとは血管があったんでしょうけどもいつか閉塞してキョウサクしてこっちの血管と入れ替わっていったというふうに僕は解釈しています。
「人間のからだというの不思議なもので1つだめならこっちというふうに自分でどんどんどんどん勝手に変えていくそうなので他のものがカバーしてくれたんだけども。小さい子供でなるものなんですか。
≪小さい子供の人が80%から90%で大人になってからこの病気になる人というのは見つかる人というのはほとんどが脳出血だったりとかそういうことで死に至ったりとかいう人が多いんですけども。ただ自分の場合はこうか不幸かここにバイパスが生命力でできていましたからですからもしこれがなかったら多分ここにもいないだろうし大丈夫ではなかったかもしれないし
「その体がしびれるとか自覚症状みたいなものはなかったんですか?
≪93年ぐらいから頭痛は何か変に初めて頭痛が出て頻繁にあって。
「ずいぶん前ですよね10年ぐらい前
≪そして3年ぐらい前にこう右手が全然効かなくなったとかあとは1年ぐらい前から左手がしびれて体とかここらへんがマヒというか
「触った時全然感覚がない
≪そんな感じがあったりとか変だなと思って。ゲームのやりすぎかなと最初思ったんですよ。かなりゲームをやっていたので
「寝ないででゲームばっかりやっていた
≪かなりゲームをやっていたので。でもそうじゃなくて
「その時は病院に行かなかったの
≪うん、病気ではないと思っていたので
「普通しびれたりとかして感覚がなくなったりすると心配になって病院に行ったりしない?あなたはあまり行かない方なの?
≪いやいや病院はいっていましたね。何かおやつを食べるように薬を飲んでいましたからね昔は。風邪薬とかねちょっと具合いが悪くなると。でもこの病気にやって退院してある時までは薬を飲んでいましたけどもこういうこと言うとお医者さんに怒られるんですけども今は薬は飲んでないです
「飲まなければいけないの本当は。
≪いやわからないですね。
「でも飲みなさいと言われているの本当は?
≪飲んだ方がいいかもしれないねとは言われていますけども薬を飲むのは僕らの中ですから
「あそうすごいわね。でもあなたは多分大丈夫だろうと思って今はしびれも何もない?
≪うん、まあしびれがあったとしてもねボイストレーニング時にボイストレーニングをすると声を出し過ぎるとしびれたりとかすることがちょっとあるんですね。
「特にあなたは高い声を出したりするからね。
≪でボイストレーニングの先生とかはしびれてきたりとか血液が変わりましたねとか酸素が変わってきましたねとかそういう表現をされるので僕の中でもしびれたりとかそういったことというのは新しい何かが生まれているんだと解釈するようにしてますから。
「でも今度新しい曲をお入れになったんだけどもそういうふうなことはしてもいいと先生はおっしゃっている?
≪わからないです
「あまり相談してないの?
≪というかはじめ先生が徳永さんはバラードだからコンサートやっても大丈夫と言っていてくれていいえ先生それは甘いですよバラードをばかにしてはいけませんよ。ただマニュアルがあってこれはこうだというマニュアルがある。でも人間の体というのはマニュアル通りには行っていない。だから僕はここでこうして座っているし歌うこともできたわけですから病は気からという言葉はちょっとおかしいかもしれないですけども自分の中で大丈夫だという信念を持ち続けることが何かもし行っちゃってもですよその方が幸せかなという気がしますけどね。
黒柳「せっかくハンサムでいらっしゃるんですから帽子もの脱いでいただいたんですけども、こうなるとあなたがあまりにもこの頭がよく似合っているのでも前からこうだったのかと思うんですけども前の徳永さんって徹子の部屋にずっと前ですけども来ていただいたときにはこういう髪の毛をしてらしたんですよね。これあなたですよね13年前のことなんですけどもいらして下さっていてそれは結婚していなくて聞いたらば「結婚は?」と聞いたらば2年間は絶対にしませんと断言してらして結局4年後に本当に結婚なさったんですけども、2年間は本当に結婚しなかったのね。あのそういう構わなくはないのよ人の前に出る人だから。だけどもうこれでいいじゃないかというふうなところもあるかしらね
徳永≪今
「はい
≪何て言うんですかね全然ありますね。
「確かにご自分のことも心配かもしれないけども今は7歳4歳のお子さんが具合が悪くなった時はまだ小さかったわけですものね。
≪でもなんていうのかな放任主義なんですねある種。うちの中は家族全員でもいい意味のバラバラというかだからあまりこう深刻さがないんで。
「それは奥様がそういう方だからだと思うんですけどね。より開放することができると思うんですが、せっかくですので今までのヒット曲ですね輝きながらとか風のエオリア、最後の言い訳そういうものの音楽をちょっと出していただいてまあご存じだと思いますけども徳永さんてこういう音楽を作って歌う方だということをちょっと聞いていただきます。
≪ありがとうございます~音楽~
「この曲の時に涙をあなたがベストテンで出したときに涙を流れたのを覚えています私。どうしたんだろうという何だか分からなかったの自分で
≪あの時なんだろうな歌を歌うこととその歌を歌うことがビジネスになっていることのバランスがちょっと自分の中でとれなかったから無意識に。
「この本当のきれいな透明感のある高い声でお歌いになってらっしゃるんですけども1年8カ月療養なさいまして新しい曲を出しなったのね。今度の曲はなんていう曲だっけ?
≪君を連れてという曲です。
「でも内容としてもいいみたいな内容じゃありません?君を連れてというのは今までとずいぶん違うじゃないだって
≪まあそういう曲もあったんですけどね。
「じゃちょっとコマーシャルを挟みまして新しい声がどうなのかちょっと聞かせていただきますので。君を連れてですって
≪
黒柳「徳永さんの君を連れてでもよかったんですが今日なんとと初のアルバムの発売日。その中の”愛を下さい”というのを聞いた方がいいんじゃないかということになってですね今日がしかもあなたはなにやらお誕生日なんですって
徳永≪そうですね42でございます。
「そうなんですって。まだ42私に言わせてもらえば。ちょっと愛を下さいを聞いてみますね~曲~いい曲ね。あなたこれいつも自分で作って歌ってらっしゃるんですよね。やっぱりそんなにはってあなたは人間が今まで笑ったことのない人が笑ったぐらい音楽も何か変わったことはあるかしら?
≪うんまわりくどく言わなくなりましたね。もういいじゃないか。ある種いい意味でのいい加減さというか。
「いい加減ではないと思いますけども要するに徳永英明なのですというじゃなくても
≪まあその名前も全部出生届の名前に変えたんですね。
「字がね。徳永さんの徳という字1本複雑な1本が入って。英
≪英が割れているんです。
「不思議なんですね皆さんこういう字があったとは思いませんでした。草かんむりじゃないんですよね。
≪これに書き換えてくれと言われていたんでずっと。それで出生届がこれだったのでまぁ今回素になろうという気持ちで。
「じゃあお名前も見たときは分からないんですけどもよく見れば変わっているということですよね。じゃあ今は昔に比べれば晴れ晴れとしているという感じですかね。
≪もう何かどうでもいいというか失うものはないというかまあ自分の生まれたままの命をいただいた状態で生きていければいいかなという。
「モヤモヤ病というのは難病に指定されてるんですってね
≪らしいですね。
「そんなことあなたあんまり気になさっていないと思うんですが。えーとですねこんなところに入っていて大変失礼ですがこれはスタッフからですね。(花束を出す)スタッフがですねあなたのお誕生日もさることながらあなたを支えた奥様にぜひこれを差し上げて下さいということで用意したものだそうですのでお受け取りください。でも本当によかったですお元気で。おめでとうございました。まあお座りくださいいいんですけども本当によかったと思います。これからあなたの曲もますます輝くと思うので。