2003年3月5日
黒柳「大沢逸美さんです。よくいらしてくださいました。今女優さんとしてもだいぶ活躍でいらっしゃるんですけども正しくはホリプロのタレントスカウトキャラバンで優勝なさったということで。
大沢≪第7回です私は。第1回が榊原郁恵さん。
「それでこの方とても背が高いことで有名なんですけども前の優勝者が堀チエミさん。
≪はいそうです
「あの方がおめでとうございますを言いに前の優勝者としてあなたにおっしゃってくださった写真があります。あなたこれですもの背が高いといったってすごいですよね。
≪どっちが優勝を今年したか分からないという。
「あなたこの時まだとてもお若いのよね。
≪高校2年生で16歳なんです。すごく落ち着いた顔してますよね。歴代でオーディションで優勝してなかなかったのは私だけです。
「だけどこれ堀さんという方がかわいいという。ちょっとひいていただきますか。
≪そんなに比べて。保護者みたいですよね。
「堀チエミさんの方が先輩なのにかかわらずもちろんあなたが若々しいでしょう。だけどもなんとなく大人ぽいというかね。泣かなかったのはお一人ということなんですけどもその瞬間のテレビのビデオがございますのでちょっと皆様にもこれはめったにないんですけども
≪私も見たことない。
「ご覧になってもない。あなたのお母様も写っています。高島忠夫さんが司会をしてらしてその瞬間なんですけども~VTR~
≪初めて見ました受賞の瞬間は。
「でもあなた今涙いっぱいで今は。でもホント泣きそうだけどもう我慢なさったの?
≪ちゃんと歌はなくてはということが先になってしまってなく所の騒ぎではなかったんですけども。
「でもちょっと違うんだけどもどことなく山口百恵さんと似てらっしゃるところがあるような感じがしたんですよね。あの瞬間はどんなだったんですか。あなたの名前が呼ばれた時って。
≪あのなんて言うんですかね私の名前が呼ばれるうのが当たり前なんじゃないかなという気がしたんですよ。それはすごく自信とかというのではなく呼ばれるものだというふうに思っていたので何かびっくりしていないですよね。で瞬間をスポットライトが来ますから
「あなたの心の中にはこれで就職が決まったと。
≪やっと決まったという。
「タレントになるのがうれしいとかではなくては就職が決まったという感じで。就職が決まったらあなたには目的があってお父様とお母様には家を作ってあげるんだっていうのがあったんですって
≪そうなんです。ずっと夢で家を建ててあげることというのはずっとありまして。ですから早く就職したかったです。
「これで名前が呼ばれてこれで決まり。それでどんどんやるんだという感じがあったからうれしいなと思っている余裕がなかったのかもしれない。
≪あの瞬間からスタートなんですねきっと。
「それとあなたは友達のうちに行ったらお内の中に階段があったので驚いた。
≪そうなんですというのはずっとアパート暮らしだったので外に階段はあるんですけども家の中に階段はなかったので
「友達の家に行ったら家の中に階段があったわけね。でもあの時のあなたをご覧になったホリプロの方たちは何か喜怒哀楽がないねと
≪そうなんです。だからうれしくても笑わないし泣かないし若いんだからもうちょっと感情表現をしなさいと。
「でも女優さんにおなりになってあなたが今やってらっしゃるいろんな役を拝見していると全部拝見しているわけじゃないんですけども時々拝見しているとわりと冷静なクールな役みたいなのが多いですね。
≪多いです。どっちかというときつい女の人の役みたいなのが多いですね。
「それの関係もあると思いますよね。
≪そうですねデビューがボーイッシュなイメージというか男の子ぽい。その延長でずっとどっちかというとかわいいかわいいというよりはいつも顔がぐっと済ましているという。
「あなたはこの時に自分が呼ばれると思ったとおっしゃっていたけども実はこのホリプロのキャラバンはこれは初めてではなかったんですって
≪そうです。これはあの3度目の正直で優勝したんです。
「そうなんですって。他にこんな方はいらっしゃるんですかね私知らないんですけども
≪あまりないと思いますよ。
「いつも1回目2回目はいいところまで行くんですよね。最終まで行くの?
≪そうなんですね初めて受けたときが中学3年生だったんですけどもこのとき北海道の地区予選で最終まで残ったんです。生まれて初めて受けたオーディションで最終まで残ってしまって何を勘違いしたのか私やっぱり向いているんだこの世界に。だからあきらめず次の、結局本戦には漏れたんですが次の年も北海道予選のいいところまで最後までいって。ま代表にはなれなかったんですけども予選のいいところまでいって。最後に高校2年生のときに。
「だから今度は大丈夫かもしれないというのがちょっとあった。それでいよいよ高校2年生で高三まではいらっしゃったんですかお内には
≪いやすぐです。このオーディションが8月だったんですけども1カ月後の9月の終わりには札幌-東京に上京してきました。
「(写真)でも高校2年生ぐらいには見えないというか、かわいいんだけども大人ぽいというか背が高いからかしら。
≪あとを髪型も私癖毛なんですけども髪型がああいう髪型だというせいもあります
「後友達の方は左のお友達の方はお別れという感じがあってあなたはニッコリしてさあやるぞと。あいいうその時にお父様とお母様がくださった手紙。あなたはそれをとても大切にしてらしてかを飛行機の中でお読みになったお手紙があるんですよ。それをちょっとその時にお読みになったんですけども20年前
≪ずっと箱の中に入れたままだったんですね。
「お父さんとお母さんが高校2年生でわが娘を送るときどんなお気持ちなのかということをちょっとご紹介させていただきます。きっとあなたが喜ぶと思いになったんでしょうお母様がとてもかわいい便せんにを書いてくださったんですけどもいいですか読ませていただいて。「逸美を16年間育てられたことはすべての神様仏様に感謝しています。そして逸美どうもありがとう。お父さんとお母さんの手もとからシンデレラのようなお空に向かって立つことは夢のようです。かわいいわが子を育てるのに夢中で気を逸見には重すぎることもあったでしょう。重いことでも乗り越えて生きることのできる逸見なので安心しています。全国の人々にかわいがられる大スターになるには大変苦労もあるでしょうけどもの苦労と思わず感謝の気持ちでがんばって大きくなるんだよ。逸見の生まれた日が23日で今日からはホリプロの方々がご両親になってくださるんだから新たな気持ちで出発してください。寝相が悪いのとよく歯を磨くこと塩水でよくうがいをすることをお父さんとお母さん山菜をもって東京に新婚旅行に行きます。」こういうお手紙いいお手紙ですよね。何かお父様とお母様は新婚旅行に行きますというぐらいいつも仲の良いお二人だったんですって。
≪そうですね。年をとっていくほどに仲が良くなったような。2人きりの生活というのが続きましたしね。
「あなたは一人っ子なんですってね。
≪そうです。ですから私が家を出た形になりますから
「だから本当は寂しい…寂しいのに決まっているのにそうやって送り出した。あなたは昔から歌手になりたかったということがあったのと。とにかくそこにあなたが就職してお父様とお母様にお家を立ててあげなければならないと。それはどのくらいでおうちはどうしました。
≪家はですねまあ立てることはできなかったんですけども買いました。
「そうなんですか。
≪その買う前にですね両親が札幌にいるものですからその両親はずっと2人で相変わらずアパートの生活をしていまして私が二十三、二十四の時に借家なんですけども大きな家の中に階段があるおうちを
「じゃ夢は
≪まだ実現ではないですけどもちょっと近付いたかなって。
「そこがお父様はそこには長くお住みにはならなかった
≪そうですね。引っ越しして約1年もその家にいないまでに病気になってしまって
「そうですってね。お父様がそんなに早く悪くなるなんて考えてもいない。じゃあ随分お父様があなたがいなくなってすぐに病気におなりになったら
≪そうですね本当に見ていただいておわかりだと思うんですけど健康そのものなんですよ。あ本当に風もあまり聞かない人で。くれとかに帰りますよね里帰りしてでいつも空港に父が車で迎えに来てくれるんですけどもその年もいつもその空港のところにいたんですけども私が探さなかったですよ。お父さんきていないのかな?パっとみたらもう一回りも二回りも小さくなった父がそこにいて腰を曲げて手を振っていたんですよ。お父さんどうしたの何て言ったらちょっと風邪をで長く引いているんだって。
「でもそのぐらいのことだと思っていらした。
≪そうなんです。それが年末の話だったんですけどもあまりにもちょっと具合いが悪そうなので私がまだ札幌にいられる間に開けて1月の3日ですか病院に連れていってそこで実は風邪ではなかったと。
「お父様がなくなるのにどのぐらい?
≪それから3カ月で。あのその時はいきなり私も母が実は入院していたんですね。でその母が入院している病院に連れていって診てもらってでちょっと腫瘍が見えますということだったんですね。場所がすい臓ということもあってかなり発見したときにはちょっと
「ずいぶんお父様としては痛いときもあったんでしょうね。
≪我慢してとにかくあのごはんをちゃんと食べてなかったみたいです。男1人ですから。それと仕事の無理ががたたって
「お父様がお亡くなりになったとき何歳
≪父が55です。
「それでお若いときは分からないかもしれないけどもご自分がだんだん少しでもお父様の年に近づくと55なんて思いになるでしょう。
≪そうですね自分が今どんどん近づいて行きますでしょう。するとまだまだ若い。もちろん病気のときの父というのはどんどんどんどん年老いていくんですけども年齢からするとまだまだ若いですよね。
「周りの55歳の方のこと見ていたらであんなに若くて。それでお父様が亡くなったのは13年ぐらい前のことなんですけども。それでそこでお母様がということになるんです。普段あなたは拝見していると本当に元気そうで何か強そうだなという感じがあるんですけども確かにあなたも強くならなければならないことがまあ本当に私もびっくりしたんですけどもやはり精神的に強くないとやっていけなかったんだなと思うんでね。まぁ高校2年生で東京に出てらしてその芸能界の中だけにいらっしゃるのが大変ではなくて、お父さんもお母さんは一人っ子でいらっしゃってね家族が3人だったのにそれが減ってしまうということの辛さというものが間あったんだなと思ってちょっとコマーシャルですけどもそのへんのことお母様のことをうかがわせていただきます。
≪
黒柳「でお父様がお亡くなりになったのでお母様が東京に来る。3人の家族だったのにお父様がいなくなったので。あなたもお仕事がお忙しくなって東京に来てをもらいになったんだと思うんだけとも。そこでお母様が病気におなりになるんですけどもこんなにたくさんの病気が人間が1人の人間がかかれるものかと思うぐらいの病気の数ですよね。
大沢≪あの確かに私が札幌にもまだいる当時から糖尿病とリューマチというのは患っていたんですけどもそれでも本当に東京に来てからはひっきりなしにいろんなところが
「先のあなたの優勝なさったホリプロのタレントスカウトキャラバンの時お母様はとてもお元気そうで。
≪そうですね割とふくよかな感じで。
「でもあなたのお書きになったご本の中でお母様の病気になってこんなにたくさんと思ったんですけどもちょっと紹介させていただきますと。糖尿病性ジュンショウ、白内障、リューマチ性関節炎、心因セイハンノウ、視力極度低下、右大腿骨骨折、左ビザ人工関節、そして顔面神経痛、右目水晶体摘出。こんなことって本当にお優しいあんなに可愛らしいお母様にどうしてこんなに降りかかるだろうとお思いだったでしょうね。
≪小さな体なんですね私と本当に頭ひとつぐらい違う感じで小さいですね。
「それでもお母様元気にしてらしたと思います。でも次々次々お母様とお父様もいなくなったし本当にあれでしょうねあの寂しいというか。でもあなたがいらっしゃったから
≪そうですね。あのもともと私は子供のころから母としょっちゅうけんかをしているんですね。相性が悪いんですよ。で父とはどちらも仲がいいんですけどだから父の取り合いですね。
「ライバルみたいに。
≪ライバルだったんです。でそれで結局一緒に暮らすようになってから口げんかは相変わらず続くんですけども当初1年間ぐらいはぎこちない生活だったんですけどもしばらく離れていたので
「世田谷の方にいらっしゃって。
≪はいそうです。であの間もなくですね母も東京に来るようになってから2年ぐらいしてからですかね念願のお家を
「とうとう立てたの
≪立てはしなかったんですけども
「買ったの。お母様も喜びだったでしょう
≪とにかく母のために1日でも早く家は実現させたいというのはあったし。それまでも借りているお宅だったのであの好きなように母がを家の中とかをさわれないんですね。
「買ったおうちだったら何でもできますものね。でもおかあさまの体がだんだん悪くなってさっきの中にもありましたけどもリューマチなんていたいんでしょうね
≪毎日母の「痛い」という声で目が覚めるんです。
「かわいそうね。それはおかあさまだって若かったわけですからね。でも今お写真がありましたけどもお母さんは植物や何かを植えたりするのが
≪先程でたのはうちのボタンなんですけども。ちょうどこちらが道路になっているのでみなさん見ていってくださって、だから母はわざと見せるように作ったんでしょうね。
「だからお母様は本当にご近所の方とかと仲良くもしてらしたんですけどさっきだんだん目を摘出ということもありましたけどもどんどん目が悪くなって見えなくなっていらっしゃったんですって。それでも何かお菓子の箱とかに何か思いついたものを書いておきになったのね。
≪そうなんです。これは以前から私も見ていたんですけども、というのは母とけんかしますとその私に対することが話にならないので紙に書いて私の部屋が2階なものですから階段の途中においてあるんですよ。そういうことをやっているのを知っていましたがそれが母が亡くなってから大量に出てきまして
「そうなんですこういうふうにこれがお菓子の箱なんですって。仲良く写真なんかもうつったりはしているんですよ。河口湖に行ったときの写真ですなんてね。
≪日記のように書いてあるんですけども。
「夕方ですなんて書いてあって。書いてあるときはとっても良いことなのね、だから本当はお母様も口に出しては言えないようなことは全部そこに書いておきになったんでしょうね。
≪本当に照れるような私をその自分の娘ですけどもほめたりとかその感謝しているとか逸美ありがとうというような言葉は実際その会話としては成り立ってはいないんですけども。こういう書かれたものがたくさん出てきまして。
「だからもちろんケンカしている時だって仲はいいんだけどもお母様亡くなってから本当にありがとうとか本当にそうなんですね読ませていただいたんですけどもそういうのご覧になったらばびっくりなさったでしょう
≪そうです。えーーって。もちろん口げんかはありますけども憎しみ合っているわけではないので仲がいいからこそなんでしょうけどもでも「ありがとう」とかまさか母が私に対して。
「そうですよねこれも逸美ありがとうと書いてありますよね。
≪本当にこれが1つ2つではなく
「しかもこの時目が悪かったといういことで痛いリューマチもあっただろうしいろんなことがあったんだけどもやっぱり書かないではいられないお母様の気持ちだったんでしょうね。
≪そうですね。あと書くことによって自分をきっと奮い立たせるようなみたいなところもあったのではないかと思います。
黒柳「お父様とお母様がうんと仲良くてそのお父様をとりっこするためにあなたとお母様が仲が悪かったぐらいだそうなんですけども、ボーイフレンド見たいな方をお連れになるともうお母様は評判が悪いんですって。
大沢≪そうなんです。そうたくさん連れて行ったわけではないんですけども誰として認めてくれた人はいないですね。何をあの男って帰ってから。ダメって。ですからそれまでは私には早く結婚しなさいとか早く子供をとか言っておいて実際わたし的には真剣におつきあいしている人ですから母に合わせるんですけどもお許しを1度もいただいたことないですね。
「だめなの
≪私1度母にはいったんですけども「お母さんは私にやきもちを焼いているんじゃない?」私にというか彼に。娘を取られるという。そんなことないというんですけども
「でも全部だめだった?
≪全部ダメでした。
「でもあなたは本当に親孝行だと思うのは例えば名古屋で芝居をしていてお母様がだんだん東京のおうちにいらっしゃったりするとおひとりでいらっしゃるから自動車で名古屋の芝居が終わってから電車がないですからお帰りになって。それでお風呂に入れて
≪そうなんです。本当はいけないことなんですよね。舞台をやってらっしゃる方ですと本当に実は内緒で。朝の新幹線じゃ怖いしもちろん車も何があるかわからないんですけどもでもそこだけちょっと古ソリと。あ
「お風呂にお母様を入れただけでまた車に乗って名古屋に帰るというようなそういう生活とかあとは仕事をしていらっしゃってお母様からいきなり「救急車救急車」とだけ入って切れちゃうような時もあったり。
≪これから舞台に出なきゃという時に電話が。もう何を言っているかとわからないですね。言葉にならないけいれんをちょっと起こしていたものですから母が。「きゅ・・きゅ・・・」と言っているんですけども救急車を呼びたいけども多分呼べないだろうというので私の方から救急センターに電話をして
「近所の方にお願いしたりいろんな方に
≪そのとき私は名古屋ですから。あとはお願いします。
「あなたにしては残念ながらお母様はお亡くなりになったんですけどもまあやれるだけのことはやったという
≪はい。勿論まだまだやってあげたいことはたくさんあるのは正直。
「本当のこと言うとこんなお話しを伺うのはとてもつらいのはお母様が亡くなってからまだ1年たっていないのね。
≪経ってないです
「それを押し隠してまあこういうお仕事を皆さんニコニコしてやらなければならないのはお辛いうことだと思うけども。まあ仕事があるから逆に救われる。少しはいいかもしれないけどね。だからあなたお一人になっちゃったんですてね。
≪そうなんです。そこを1番自分で恐れていてもちろんお友達ですとか回りにその応援してくれる方もいますけども、その身内という意味では1人になってしまって私やっていけるのかなと1番不安だったんですけども確かに母が亡くなってしばらくしてからすごく落ち込みがひどかったんですけども何とか今ここまで
黒柳「まあ今をお話があったようにお母様が亡くなってからまだ1年にもならないんだけれどもしょっちゅうけんかしてらっしゃった。お母さんは本当はあなたにありがとうと感謝してらっしゃる。お母さんが亡くなるときに遺言のようなものを書いてあったんですって
大沢≪そうです。それも後に出てきたんですけども
「それもあとで。
≪そうです
「全部後なの。じゃお母様は元気なときは絶対に見せまいとどこかにしまって。それにはありがとう。お父さんと逸美に人間の幸せをたくさんいただき心から感謝して今は最高の幸せです。そして改めて逸美の素晴らしい明るい家庭と仕事とお付き合いするお人との人生であることお守りいたします。というふうにあったのでその時はおかあさま前は全然どの方も気にいらなかったのよ。これから先のあなたの人生の男の人は自分で見つけて。
≪そうなんです。だから今までは多分両親に支えられてきたのでこれからは自分の足で歩きなさいと。そういうふうに母は。
「まあご両親はきっと見守って今日も見てくださると思います。
≪もう多分喜んでいます。
「ですからすてきなく方にお会いすると思いますけども。「お母さんごめんね」という本を大沢逸美さん書いてらっしゃいます。まお辛いお話こんなにお若いのにと思いますけども本当にあなたの人生だと思います。がんばってください
≪ありがとうございます
「頑張ってください