2006年5月23日
野村さんの七五三の写真が映る(昭和4年)。黒柳さんは写真で見ると裕福そうですねとおっしゃっていたが、家等は空襲で焼けてしまったということです。
野村さんの名前は神田明神でつけてもらったそうで、その後東京薬科大学に進学し卒業。23年前に野村さんが徹子の部屋に出演されたときのVTRが流れる。
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野村さんが女優になりたいとお父さんに言うとお父さんは「自分の顔を鏡で見てそれから5分後にまた話そう」と言われたそうです。妹さんがクスクス笑う中、野村さんは5分間鏡を見てまたお父さんの前に戻りました。再び女優になりたいとお父さんに告げると「しょうがないな」と承諾してもらったそうです。しかしその時代のことで勘当となってしまったそうです。
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東大の演劇部に入部。その時代は部活と言ってもたいしたものはなく演劇しかすることがなかったとおっしゃっていました。東大の演劇部は野村さんが言うに皆下手で、それで俳優座に紹介して入れてもらったということです。
野村さんが太っているせいか深刻な悩みを抱えていても相手にはそうは伝わらないと言うことでした。そのために普通に立っているだけで街で知らない人から『見てるよ!』とか言われて軽く体をポンと叩かれるそうです。それが嫌だということでした。
俳優座では小沢栄太郎さんが口は悪いけれど良くしてくれたそうです。小沢さんが俳優座の座員を前に言うことは『この(演劇に対する)感動を持ち続けていれば2流の俳優にはなれる』と言うことでした。口の悪い小沢さんの愛情表現なのでしょうか。
最近うれしかったことは森光子さんと共に舞台の仕事をしたことだそうで、森さんが文化勲章を受章されたときはすごくうれしかったそうです。森さんは戦前から苦労されて、当時は演劇と言うものが低く見られていた時代でそれが文化勲章をもらったことで市民権を得たような気持ちになったと言うことでした。森さん受賞のニュースが舞台で流れたときに一際喜ぶ野村さん。
いつも明るい野村さんもかつて乳がんを経験したそうで、しかし今は大丈夫で1年に1・2回検査を受けている程度だそうです。くよくよしない、しようと思うけれども(できない)と笑ってらっしゃいました。