2006年12月18日
黒柳「みなさんから相談は昔からされていたんでしょう。
天海@でも相談する方というのはだいたい決まっているんですよね。自分の中では。それをどうして欲しいとか考え方をちょっと整理してほしいという形で相談されることが多かったですね
「でも共演して年上だと思う人が相談しにくるんですって
@どう思う?いいんじゃないですかねて。
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「面白いのは一緒に飲みたい上司にこれでは女性の3位になっていてね。男性の3位には星野仙一さんですよ。あとはお酒を飲みにあるんですか
@私に飲まないんですよね。飲まないというかはのめないわけではないんですけども進んで飲まない方ですね。
「でも飲む会出れば
@盛り上がりますね。飲む人以上に盛り上がっています。
「そういうわけで役柄もあるけれどもたくさんの人から思われると、理想の女性と思われる
@理想なのかな?でもありがたいことですよね
「本当にね。それからコマーシャルとかたくさんやっていらっしゃいますけどもいろんなタイプの女性を演じていらっしゃいますので
@そうですねいろんな役をやらせていただいてありがたいですね楽しいですし。
「昔は男役でいらしたんですからね。今ならしというのも。もちろん男にもなって時代劇では。光源氏をやって。なんといっても私はあの連弾が好きですね。あれであなたは吹っ切れたところがあるじゃないですか
@それまではねわりときちっとした役が多かったんですね。外見的にもビシーとしているのでなんというんだろう堅い感じの女性が多かったですね。あれで竹中さんが私にああいう役をふってくださって私の面白い部分を見ていただけるようになりました。それでずいぶん印象が変わってきたように思います本当に竹中さんありがとうございます。
「ハンドバックを振り回して。とでも面白かったんですが。去年ですか越路吹雪さん。
@そうですか題字まで書いてくださって
「あれどうしてもとおっしゃって岩谷トキコさんがね。私は字が上手ではないですと言ったんですけども。越路吹雪さんのドラマのタイトルを書かせていただいたんですけども
@あと洋服と靴と貸してくださって。
「これちょうど首のところでコートと中身と越路さんからいただいたものをたくさん持っていたのであった方が個人じいさんに良いかなと思って。
@ここのシーンは越路さんが自分は一生歌い続けていきたいというまっすぐに伝えるシーンだったんです。それで1番大事なシーンで使うということになって。
「あああそうですか。
@このコートとジャケットとスカーフと。
「ベルベットな模様がはめ込んである。
@すごくすてきな深い緑の。ちょっと座ってしまったりするとベルベットの生地が折れてしまうんじゃないかと思って。座らないようにして。も大事に大事にして
「とてもどういうわけだからかわいがってくださって共演も多かったので舞台の共演が多かったので。この写真はこの徹子の部屋に来てくださったときですね。徹子の部屋が始まった年に当時52歳に。
@越路さんのときだけ場所が変わってるんですね(徹子の部屋の向かって左側に越路さんが座っている)
「自分の顔ではないということで場所を変わってほしいということで。これはでご一緒のテレビをときもそうでしたけども左側でないと、いいんだけども。左側越路吹雪右側は本名に戻ってしまうんですって。いつも(2枚目の写真)これも左側に座りたいとおっしゃって。これは亡くなる2年前なんですね。亡くなったのは56歳ですから。だから人間というのは本当に一寸先は闇だなと悲しくなってしまんですけども。
@楽しく家で話しているみたいに。すごいすてきでした。
「あなたを拝見していてとても似ていてすてきだなと思ったんだけども。越路さんはシャンソンの女王といわれるんだけれども家ではお茶漬けを食べていて本当に優しいお姉さんみたいな温かい人だったんですよね。そういうところも出ていてでも歌が好きというところとかね。
@何かね、岩谷先生にお目にかかったんですありがとうございましたお世話になりましたと。ものすごく反省するところもいっぱいあったし自分では実はこういう感じだったんですという話をしたらそれが越路吹雪なのよとおっしゃったんですよ。すごく不安だったし私もここができなかったと自分で思っているんだけどもそういう風におっしゃってくださって。越路さんもずっとそうだったと。不安で不安でね。
「だから岩谷さんが越路さんがステージに出るときに背中にトラという文字を書いて押し出した。やめてしまおうとかもう出ることはできないとか、出てしまえばいいんだけども出るまでが面白い方でした。ピョンピョンゲームみたいなのをやったでしょう。そういう時の私が負けるでしょう100円とかそれくらいなんですよ。おかげをかけてはいけないのは分かっているんですけどもでもそれの取り立てがすごく厳しくて、あの100円はどうしたとすぐ言われるので。そういうのとか。洋服とかいただいても私がすてきにして来ているとそれ私があげたの?聞かれてそうですと答えると返してと。あげるんじゃなかったとしょっちゅういろんなものくださいましたけどもかわいい方でした。
@かんざしのような髪留めを全種類持っていらっしゃって
「当時珍しいんですけども今はいっぱいあるんですかスワロフスキーみたいなどれがいいと言われて、私ピンクがいいというと上げると。これを見たら私は全部買わないわけにはいかないんですよ。岩谷時子さんはいろいろ言うけども買ってしまうのよ。
@本当にかわいらしい方ですね。
「らい落なところもあったしでもなんといっても旦那様のことが大好きで旦那様も本当にすぐになくなりましたよねあと追うように。越路さんが生きてらっしゃるときと同じように暮らしてらっしゃいましたからね。ちょっと大変ねといったら大変だとおっしゃっていましたけども。でもそういう方というのが大先輩ができて。
@本当にいろいろ思うところもありました。ちょっと自分で考えることの転機になったような気がしますね。それまでは宝塚の触れないでいたんですけども自分自身。何かとても大事なものだったのであまりさわれないところがあったんですけどもこれでちょっと楽になったような気がします。
「宝塚もいい思い出
@はい。
「でも少しでも役立ててよかった。
@本当に香水の残り香がついていて
「そうでしょうあれは私がつけたんじゃないですよ。
@そうなんですか。本当はきちんとクリーニングに出してと思ったんですけども
「いただいたままずっとそのまま取ってあったんですよ。香水のにおいがしてね。
@香水のすてきな匂いがしていてこれはこのまま返した方がいいんじゃないかと。
「越路さんが亡くなったときに近くの方に形見分けみたいなことでいただいたんですけども。寝るときにつけていたクリームをいただいたんですよ。そこに指の跡がついていてそれを見るたびに悲しくてねでも冷蔵庫にずっと入れておいてね。美川さんがすごいファンだということで美川さんにもちょっとあげたりもしたんですけども。みんな少しでも持っていたいということで。まぁすばらしい方でした。
@本当ですねありがたいと思いました。
「でもあなたは拝見していると孤高の人というかどういうふうに育ちになったか分からないと思っていたら何か寺内貫太郎みたいなところですだったんですってね。
@そうです。
「東京の上野ですって。
@そうです家族仲良くてね。
「ちょっとコマーシャルはさんでいいですか。天海さんという方は宝塚ですてきな男性をやっていらっしゃったりしていたのであれかと思いましたら寺内勘太郎一家のような家で
お育ちになってお父様がどういう方で
@父は建築業を営んでおりまして母が昔は美容師だったんです。家が美容院だったんですね。だから両方とも共働きであまりかまってもらった記憶がない
「お父さんは非常に理論的で
@そうです。きちんと常識的であとは何と言うんですかねきちんとしている理路整然といいますし
「お母様は
@母親はわりと大人になってからわかったんですけども昔はすごく怒られたので怖かったんですけども大人になってみてちょっとやっぱりキリキリとしていたんだなと仕事と両方で
「お母様はかけずり回っているような方でしたので。
@今は仕事をやめてしまったので随分と楽天的というかすごく人生を楽しんでいますね
「私はね家族がねこんなに血液型というものは気にしない方ですけども同じ家族でこんなにばらばらというのがあるのかしらね。お父様はA型。
@母がB型。兄がO型私がO型弟がAB。全部いるんです。
「わからないけどもバラバラなんですって。
@最後の最後にまとまるんですけども
「あなたがまとめ役なんですって。お母様が仕事をしていて家にいないので自分の身の回りのことをやってくれないということに関して
@すごく反抗ましたね。まだ私中学2年生から高校2年生まで4年間反抗期です
「すごいですね。どのぐらい反抗するの?
@口をきかない。
「かわいくない(笑)宝塚いらっしゃる前ですよねぇを
@直前までですよね。何かを言われても別にとか。ふ~んとか言っている。今思うと本当に私が母親だったらひっぱたいてやろうかと思うぐらい嫌な子供でしたね。
「でもおかあさまは叩いたりしなかった
@なかったですけどもでも兄に怒られました。お前いいかげんにしろよと言われて。兄がいうぐらいだからかなりひどかったと。でも今こうやって行っている間になんとかしろと。ボソっと言われて余計にちょっと怖くて。でも別に何が。宝塚に行ってしまったんですけどもそのとき宝塚に行く相談をするのにいろいろあったを下げたりして親に。2年間の授業料も出していただくし
「お金のことがあるの
@そうなんです。よろしくお願いしますといって。そこからですね宝塚に言って手紙をくれるんです両親が。母がで1週間に1通。父が1カ月に1通くれたんです。
「すごいですね
@それを見て何だいい人じゃみたいな感じになって。その予科生という宝塚音楽学校の1年目はとてもきついんです。親からくる手紙を同期生たちと読みあったりするんですよ。たとえば仲の良い同期生と遊んだりしているとじゃあだれだれさんによろしくねと。そういう風に書いてくるとそれをその子に読み上げて上げる。
「多少ホームシックもあったりして
@そうなんですよ。ちょっとは心を入れ替えてきちんと接していこうと思うんですけども4年間もそんなことをやっていたから急に仲良くはできなくてちょっと会うたびにいやなことを言ってしまって反省してそれの繰り返しでしたね。
「でもお手紙だから普段よりはちょっと何か返事が書けたんですって
@かけましたかけました。いっぱいあのちょっと高いもの例えばセーターが欲しかったから買おうと思って仕送りしてものてますから。自分の自由になるお金ですけども色の色を考えなくては行けないじゃないですか。そのセーターが欲しくて売り場をうろうろして2回も3回も見に行ってセーターを買ってしまったと反省のように手紙を書いたら。それを見た父親が母親にお前ちゃんとお金を送ってやっているのかといってそれぐらいのセーターを買うのにこんなにうろうろしてと。そんな話をあとから聞きましたけども。
「でも本当に幸せの中ではそば育ちになったんですよね。宝塚に出るようになって時々お母様が来て下さってご飯を作ってくれた。
@あの仕事を辞めたら本格的に公演のときに1週間ずつ来てくれたりして。
「お母様は心の中ではあなたと一緒にいられないということを非常に残念に思っていた。
@B型で楽天的なものですからそんなそぶりを一切見せなくて、徐々に徐々にいうんですよね。私以前にも本を出したんですけどもその時の本にいろいろ書いていて母親だけ読んでいないというんですよ。父も兄もみんな読んでいるというのに。なんで読ま内の言ったらだいたい何が書いてあるか分かっているから読みたくないと。その子供のときのこととかが書いてあったりして。
「その通りだったんですか?
@母がそんなに後悔しているとは思わなかったんですよ。
「あなたと一緒にいられなかったことをね。
@でもそうだったから割と自立心旺盛に曲がったことをせずに今になってはすごく感謝していますけども。
「その間のことを謝ったり反省したりすることをお伝えできたのはよかったですよね
@そうですよね。割と30代後半になってもうすぐ40になってしまうんですけどもやっとそのころの両親のことがわかるようになったというかすごくきつかったんだろうな大変だったんだろうなということがわかるし、今となって今思うことをちゃんと伝えようと思うようになりました。あの時はありがとうとか。
「素直にちょっと慣れるというか。
@今は一緒に旅行に行きます
「いい親子の関係に。それはいいですよね。あともうちょっとで40。でも若いのね。
@でも楽しく明るくたくましい40代になろうと思って。
「豊かなの老後を希望している。
@今でもです。
「豊かな老後をどう言うのと言えばかはパワフルなおばあさんになりたいとおっしゃっていましたけども。いいですかコマーシャルに入ってその後に。
@はい
「でもそういう愛情いっぱいパワフルな家庭の中で育ってご自分の家庭を持とうという気持ちはどうですか?
@あるんですけどもチャンスがなくて。やはり自分の両親尊敬しているし、うちの家族が理想なのでできたらいいなと思うんですけども。
「結婚しないという気持ちではない
@ないんですけども
「40になるとどうですかね
@難しいんですか
「いやそうじゃなくて。40だからもういいかなと思ってしまうかもしれない。
@いえ全然そうではないです
「じゃい方がいれば結婚したい
@家庭は持ってみたいですけどね
「そういうお気持ちがある。そしてとにかくパワフルなおばあさんになる
@目指します。
「それでですね今マグロという。すごいですよね私びっくりしました。とにかくマグロの1本釣りに命をかけた渡哲也さん。本もののマグロを釣らしたいので小林専務が青森の方まで。CGとかを使わないで本当のマグロを身にキングがあるそうですね。に約220キロのマグロを本当におつりになったそうですね
@そうです。
「5,000,000円から10,000,000円するものですね。死んでない奴生きているやつ。あそこの漁業組合の漁師さんが80人。船がいっぱいいて渡りさんは本当に釣ったんですよね。
@そうです。
~ドラママグロのメイキング映像再生~
「組合長さんが渡りさんのことを漁師として本当に100点満点のうち80点ぐらい本当に迫力があったとおっしゃったんですね。
@すごい。
「小林専務はいくらでもいいから生きたマグロを。何百万円でもとにかく買うからといってこの作ったやつは440万円。取引価格の220キロのマグロを見つけたということで。でもすごくない220キロのものを
@最初から渡りさんはそのマグロを釣るために入れたんですけども後半ですよほんとぎりぎりの最後の最後につれたんですよ。本当に145キロとかは釣れるんですけども200キロ以上のはなかなか釣れなくて。
「マグロの一本釣りに命をかけた男と家族の話であなたは娘。
@長女をやらせていただきました。
「随分大きい娘が渡りさんにはいるんですね(笑)
@そういう設定なので。
「松阪ケイコさんがお母さん。若いお母さん。そういうことででもすごかったんですよね。
@1度ばらばらになってしまった家族が再生していくかという話
「家族の話なんですね。今1番必要な家族の話ですね。とにかくマグロ一本釣りする瞬間のためにお茶の間の皆さんに本当の映像をお届けしたいという小林専務ののぞみで。初めは140キロぐらいのものが釣れたんですけども
@それでもすごく大きかったのにそれではだめだということで。
「そうやって最終的には220キロというのがお正月早々家族で見ていただけて
@見ていただけますね。その家族というものをもう1度考えていただけるというか。家族というくくりになってしまっているのに心がバラバラになってしまっていて。どうやって再生していくのかその中にはいっぱいこうなことがあってそこから。も迫力がありましたよ渡りさん対峙すると目に吸い込まれそうなんですよ。
「一緒にお出になってよかったんですってね。
@すごくありがたかったし。また高橋さんが本当の漁師さんのようで克典さんだけがおうま弁を使ってくださっているんですけども。
「組合長さんが小林桂樹さんだったり漁師さんが高橋克典さんだったり、弁護士さんが神田昌樹さんだったりそのほかにもたくさん出てらっしゃるんですけども。
@すごい豪華ですよ。どうぞご家族で見ていただきたいですね。
「でも渡りさんとご一緒になってうれしかったでしょう。
@本当にすてきな方で。またぜひと思っています。
「理想の上司がんばってください
@ありがとうございました