2002年1月23日
黒柳「モンゴルの草原で落馬して背骨を折って背骨がやられると足がねえ神経がやられて動かなくなるかもしれない。それで奥様は何歳若いんでしたっけ」
松崎≪23歳です≫
「23歳若い奥様と子供が小さい」
≪3歳と1つ≫
「でも運がいいって言うことが重なってあなたの場合はねえ看護婦さんが」
≪モンゴルに日本人の看護婦さんが勉強にいらしていてその方がずっと僕を看病してくださってて、15分間おきにレポートを書いて向こうでは十分な治療ができないので帰ったらこれを持っていきなさいと。≫
「全部日本語でやってくださったのが運が良かった。もう1人通訳の方が日本にいらした方が」
≪そうなんです。そういう面では不自由をするというよりは皆さんの愛情で助けられたというかやった時はいっちゃったと思いましたけど。≫
「自分では死んだんだと」
≪遠くからスタッフの声が聞こえてくるまでは死ぬって言うのはこういうことなんだと。≫
「私たちは草原手言うとやわらかいと思うけど」
≪完全に乾燥しているところでかなり硬いですね。くるぶしぐらいまでしか草が育ちませんので遠くから見ていると砂漠という感じですね。≫
「落ちた時に死んでないとわかりましたねその時におしっこを」
≪おしっこをしなさいといわれて≫
「あなたがしなさいと」
≪はい、迷信みたいなものですかね。でも僕がする前に馬がザーと滝みたいなのをしてました≫
「馬が!あなたを落としたということで」
≪きっとそうなんでしょうね。僕は1cmも動けなかったですから≫
「息もできなかった」
≪背中を打ちましたんで吐くだけの息って言うか吸えないんです。ただ人間て面白いのが1分間だけアドレナリンが本当に興奮状態で一回だけ立ったんです≫
「一回だけ」
≪はい。その後は40日間横たわった生活です≫
「みなさんお遊びでいったんじゃないんです。仕事で行ったんですけど私も行くのが夢でね。関空から行くと近いんで」
≪そうですね3時間弱でつきます。≫
「私もあなたが落ちて駄目かなって」
≪いやいやいや。星を見るだけで肉眼で人工衛星が確認できるんですよ。そのぐらいすばらしいところです≫
「そもそも番組はモンゴルで生活をするということで」
≪生活もありますしギターを持って向こうには馬頭琴ていう楽器があるんです。これと一緒にセッションしようということです≫
「一緒に音楽をやろうということもあったんですけど前から馬には乗ってらしたんですか」
≪そうですねニュージーランドで銃担いでいくぐらいですから。ただねえ大陸の馬のすごさって言うか≫
「でも番組の収録が終わって」
≪そうですね最後に馬に乗る松崎のイメージカットを撮ろうかということで夜8時ごろに向こうは白夜で明るいんですけどその時にモンゴルの方が、お父さんが一生懸命蔵を作ってくれたんですよ。でその鞍を馬に乗せて撮りたいということで付けてすぐに乗っちゃたんですよ。そこで鞍が馬に合うか合わないかという事は馬が判断するんでそこまで考えてなかったんで≫
「おじさんは乗らなかったんですか」
≪ええ。で少し乗ってバーと暴走しましたから。≫
「テレビで撮れないくらい」
≪ええ。前に沢があってこれは落ちちゃうなと思って手綱を引けば止まるのが普通なんですけど引いても引いても駄目。馬がお辞儀をしてお辞儀をしてお辞儀をした時にゴムデッポウの様にバーンと40キロぐらいのスピードでそのまま落ちちゃった≫
「落とそうという気が合った」
≪ありましたね。で日本に帰りなさいということになったんですけどモンゴルから関空は北京経由というのが多いんですけど直行を待つまでには3日間ということで≫
「まあ。ゆすれるのが痛い」
≪まあ皆さんの補助の部分っていうんですか通路に寝てきました≫
「ドアのところにストレッチャがはいらなかった」
≪向こうのストレッチャはでかいですから下ろされたときはまた激痛で。でスチュワーデスさんが来てここには寝かせられないということでエアーポケットに入ったら天井まで飛ばされますから≫
「駄目だと」
≪パオロットも来て飛ぶ飛ばない飛ぶ飛ばないと。まあそのところに寝てきましたけどあれの4時間ていうのは地獄じみてましたけど≫
「まあそこまでが地獄みたいなものですけど。3日間そこで待って。痛み止めぐらいは出たんですか」
≪モルヒネが2本ぐらいですか。通路に寝てますから見れる範囲は限られてるんですよだから僕がうっというとみんなの顔が僕の目の前に≫
「お客様の」
≪はい。≫
「でもあれなんですってねえ向こうから奥様にたいしたこと無いよっておっしゃったんですけど」
≪やっぱり1日目は手も足も動きましたんでちょっと事故を起こしたけどたいしたこと無いよって電話をしたんですけどまあ実際的には1cmも動かなかったんで次の日も電話したら息子に替わる。息子に代わったときに”パパ大丈夫”っていう言葉を聞いた時にバチッと切れましたね。泣いて泣いて涙が止まらなくなっちゃって。じぶんがどこが折れたかもわからないんで不安だったし、早く検査受けたい。子供に会いたい≫
「あなたの場合は11・12月はディナーショーがあるんでキングといわれてる方ですから」
≪会社のほうはそれを考えたでしょうけど自分はこれは復帰できるのかなって。少しでも動けたらいいんですけど動けない状態で悶々としている3日間はつらかったですね。≫
「でもどなたかが関空に着く前にあと何分ですよって言ってくれた」
≪あれはうれしかったですね。やっと検査が受けられるということで。検査を受けた時にこれは後遺症は無いだろうと。大丈夫だと。それを聞いた時にこれは神様がくれた休日だと思うしかないとプラス志向に考えて家族を呼んで今までしたことない朝から晩まで一緒の生活をしてみようかなと≫
「お忙しかったから」
≪初めてそういう生活をしながらいいなっていう感覚ですかね≫
「東京の病院にいらしたでしょ全部でどれぐらい」
≪40日間ですかね。向こうで20日間は寝たきりで10日目でやっと起き上がれてそれでこっち来てまず歩行器を始めたんですけど早く始めすぎてお医者さんから駄目っていわれたんですけどこういう性格ですからねえ。でも医者が言うには早い復帰ですと≫
「でも声は関係なかったんですけど出してみたりしたでしょ」
≪出しました。病院の屋上に出て腹筋に近い部分ですからそこをよけて発声する方法を覚えていまはくっついて大丈夫です≫
「暮れのあれも全部おできになたんですか」
≪完璧です≫
「でも奇跡とおっしゃいましたけど奇跡なんですよね」
≪そうですね不幸中の幸いということで。1cmむこうにいったら半身不随とかになってたと思います≫
「馬もあなたのことを落としたけど手心を加えて落としたということですか」
≪そうですね≫
「でもくやしいのはそういう馬でもあちらの方は乗っちゃうんですって」
≪どんどん乗りますよ。こんないい馬を何で落ちたのっていう感じで≫
~CM後~
「モンゴルであちらの看護婦さんが書いてくださったものが良かったんですって」
≪日本に帰ってきて大阪の先生にみせたらこれはすばらしい看護婦さんだと。24時間体制で自分を診てくれて状態を書いて、スタッフから薬から全部集めて自分の体に合うものを全部やってくれて≫
「向こうに薬が無いので」
≪尿瓶まで作ってくれたんですよ。1リットルのペットボトルを切ってそこにある代用品で一番使いやすいというか。もうねえ彼女がいてくれなかったら自分は1つのことでも不自由してたということがわかりました≫
「そういうときはねえ」
≪それと日本に帰ってきて日本のケアのすばらしさを感じました。≫
「向こうのは入んなくても日本のストレッチャははいる」
≪こんなですもの。スッと。それと寝たままでお風呂に入れたり様々な自分が健康な時には経験しないことを病院の中でまざまざと経験したものですからレポートしたくなるぐらいあのすばらしい寝たままでは入れて病院てこういうものが必要なんだなって感じました≫
「普通になっちゃってるんですけどねえあちらではまだまだそうなってない国が多い。でもそういう看護婦さんに会えたということは運が良かったですね」
≪強い。もう一度行ってお礼を言ってもう一回味わって来たいと思います≫
「馬におしっこ引っ掛けられて不愉快だではねえ。あなたもねえ。馬頭琴の人ともあえたのもねえ」
≪セッションも考えてます。向こうに行って感じるのは我々は物に動かされてて、やっぱり物っていうのは人間が動かすものだってすごく感じさせられますね≫
「電気でも音楽でもずいぶんあれしてますもの。そうですか」
~CM~
「あなたが仲良くしている柴としおさん、田中健さん、西田敏行さんたちがお見舞いに行きたいと言ったらあなたはずいぶんお断りになったんですって」
≪でもみんな来ましたけどねえ≫
「だいぶ痛くなってからかしら」
≪はい。寝てるとこ見られるのが得意じゃなくてね元気な時に会いたいといったらみんなきました≫
「大阪で芝居に出てたらあなたと柴さんと田中健さんが来てくれて」
≪ポンコツ車のレディ≫
「本当に仲いいんだなって思いました」
≪売れない頃からの友だちってなにか気心知れてていいですよね≫
「ありがとうございました。でも2002年は本当についてるなって」
≪馬年ですから。いいんじゃないですか。馬には負けませんよ≫
「そうですよね。じゃあまた」