2002年1月28日
黒柳「お父さんは辰之助さんで、お爺さんは松録さんで小さいころからお元気で。3代将軍家光をされまして評判よかったでしょ」
尾上≪初めてのことだったので自分でもどうなることかと≫
「初めてのテレビ?」
≪テレビの方の先輩にもいろいろ教わりましていい勉強になりました≫
「津川さんもいましたしいろいろな方がいましたし寄ってたかって」
≪本当にいろいろなことを教えてもらいました≫
「なんといっても家光をおやりになってあなたのやんちゃなとこ我侭(わがまま)なとこ気が短いとこ演技ですよもちろん全部よかった評判よかったと思います」
≪本当にいい勉強をさせてもらいましたし舞台のことしか知りませんから最初スタジオに入る前は心細かったんですが津川さん、西田敏行さんが温かく迎えてくださったんでそんなに肩に力をいれずにできたんでほっとしてます≫
「そしてまた去年ご結婚なさったんですよみなさん(会場拍手)。あの宝塚の娘役のスターの方」
≪いえそんなことはないんですけど(謙遜して)≫
「ご結婚式のときはどんな気持ちで?」
≪舞台とは違った緊張感がありまして一生に一度のことですからわれを忘れてしまいました≫
「三之助といわれてる中であなたが一番早い結婚で」
≪そうですね結婚式にもキクノスケさん新之助さんにも来て貰いましたし染野助さんや同世代の歌舞伎役者の方にも来て貰いましたし本当にうれしかったです≫
「本当にうれしかったでしょう。お母様はお元気だからいいですけどお父様の辰之助さんが生きていらしたらとお思いだったでしょう」
≪そうですねそれは母とも話をしていたんですけど妻のことを父に見せたかったなあと思いますね。何と言ってくれたのかなと≫
「そうですねきっとお気に召してくれたと思いますよ。お父様もお元気な方でねえ歌舞伎ももちろんですけど洋物のシェークスピアなんかもね本当に気風(きっぷ)のいい方で。お父様もなくなった時にお若かったですね」
≪40の若さで亡くなりましたので本当に今考えますと芝居のことをもっと教えてほしかったなあと思います。最近大きい役をさせていただくようになって思います。≫
「そんなにちっちゃくなかったのねお父様が亡くなったときは」
≪12のときです≫
「歌舞伎のこととかねえ」
≪ほとんど父に芝居のことを教えてもらったことが無いのでそれだけは心残りというか残念ですね≫
「でも初舞台のときとかおじいさんの松録さんとかと3人ででてらっしゃる」
≪それはいい思い出がたくさんあります≫
「何歳でしたか」
≪初舞台が5歳のときですから≫
「そして奥様の素子(もとこ)さんはお母様について歌舞伎役者そ生活はどのようにするのかと習ってらっしゃるんですってねえ」
≪婚約してから結婚するまでの間が一年ほどありましたのでその間は一緒には住んでいたんですけどそのころは僕と母と妻とそのころは婚約者だったんですけど3人で住んでいましたのでずっと母について劇場や何かに出入りしてましたのでなんでも話しに聞きますと母も婚約期間が長くて祖父についていろいろ習ったと≫
「だから一緒にも住みお母様と一緒にいると。歌舞伎の奥様といいますけど習うことがいっぱいあるんですってねえ」
≪初日や千秋楽の母や妻やほかの奥様たちを見ていると役者よりもやることがいっぱいあるんじゃないかなと≫
「それにお召し物も着物を着ていないといけないし頭もちゃんと整えないといけないしいろいろあるんだけどあなたはなるべく地味な人が好きなんだって?」
≪そうですね妻の着物を選ぶときにも母と妻が家に呉服屋さんがきてこの反物はどうだと話をしているんですけどそこに僕が帰ってくると”ああそれは派手だから駄目だとか”≫
「かわいくない(笑いながら)」
≪母がそんなに明るい色の着物を着ないのでその色彩感覚で育っているので妻にもその色彩感覚を真似てほしいなと。わりあいゆうことを聞いてくれてるのでありがたいなと≫
「あなたの奥様とお母様があなたに派手なものを着ないでくれといってるぐらいなんですって」
≪着物は僕も地味なものが好きなんですが普段着は派手派手しいものを着ているのでもうちょっと品のいいものを着なさいと2人から怒られてます≫
「そうすると今度”松緑(しょうろく)”をおつぎになるということでお爺様の得意な役なんかもやることになるの」
≪襲名狂言にしても父や祖父が得意としてましたものがずらっと並んでますしこれは大変なことだなと思って。はい≫
「藤間流のお家元でもいらっしゃる」
≪日本舞踊も踊らさせていただいてるんですけど藤間カンエモンというなまえも祖父が死んだときに継がせていただいたんですけど祖父、父、僕と踊りが得意な家系に育ちましたんでもっと踊りの稽古をしなくてはいけないなっと≫
「そうですね踊りが得意な家系といってもねえあなたに来てるとはかぎりませんから」
≪ですからセンスというものがあってもそれは磨かないと輝かないものですから≫
「お爺さんのほうがお父さんの辰之助さんより早くにお亡くなりになってあなたはお爺様と長く一緒にいたと思いますけど祖父の松緑さんがこちらに24年前にこられたときのVTRがあるんですけどそれはコマーシャルのあとで」≪はい≫
~CM~
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1978年1月4日放送
黒柳「機関車のおもちゃがお好きでいらっしゃる」
松緑『ええ私の子供時分なんていいおもちゃないでしょ。そいでね機関車が好きで鉄道博物館が東京駅のガードの下にあったの。学校行きますとね帰りにそこまで行きましてね見てくるのが楽しみなんですよ。でいまになっていいのができたでしょ。それを買って、並べて動かすんじゃないですよ見てりゃいいんですよ。乗るのも好きでアメリカ行ったときも大陸横断しましたし。せがれや何かは走らせてますけどねえ』
「さっき辰之助(今日のゲストの父親)さんがね自分は傷つきやすくてね松緑さんは傷つきやすくないと言っているけどお父様の一言で自分はものすごく傷ついたとおっしゃってましたけど」
『傷つくような玉じゃないですよ』
「だってねえあの方しばらく歌舞伎が嫌になったっておっしゃってましたけど」
『あれはねえ私がランペイやっていた時にねえ子役で出たんですよ。前にランペイをやったときにねえ同い年で今もいますけどショウロクっていうのがいるんですけど。これは”アカドウスズノスケ”やなんかで鳴らした子役なんですけどそれがやったものですからうまいもんですよ。そのあとせがれですよ。あたしにしてみればねえお弟子より上手く遣ってもらいたいじゃないですかあ。文句たらたら言いますよねそれで傷ついたんですよ。でも当人は子供だからそんなにうるさく言われてもねえできやしねえやってことで』
「それでその頃ですよ子供歌舞伎の”対面の五郎”でいい役をおやりになったらどのお父様もよくやったよくやったと言うのに松緑さんだけは”てめえ料簡が悪い”って小突かれたって。それでその料簡っていうのはなんだったんだろうって」
『そんなんじゃないですけど子役の頃の後遺症が残ってたんだと思いますけど。ほかの連中が勇躍して出て行くのに後遺症が残ってイジイジして出て行くので料簡が悪いと』
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≪あのまんまの人でしたからねえ。祖父っていうのは≫
「このときねえ1月4日だったのでお三味線を持ってきてくださって弾いてくださったのでそこのところもちょっと」≪はい≫
~VTR~
≪うちでも三味線を弾くのが好きな祖父だったものですから父も好きだったので2人で引いてましたね≫
「芝居が好きな方だったのでお話がうちでも芝居のことだと思うんですけど」
≪今こう見てて懐かしくなりました。こうやって見てると父と祖父が話しをしているわけじゃないですか。うらやましい親子関係だなっと今ビデオを見ていて思います≫
「そうでしょうねあなたはお父様から小突かれた思いでもないわけですから。わからないですけどお父様はご自分がそうだったからあなたにはそういう風におっしゃらなかったんじゃないですか」
≪あの歌舞伎役者をやれといわれたことは一度も無かったですね。僕自身が父のランペイを見て歌舞伎役者になろうと思ったわけですけど父は父のほうで”お前がやりたくないんだったらやらなくていいよ”とずっと言ってましたね≫
「そ~お」
≪押し付けられたりしたことが無いので父親のあたたかさを感じました≫
「松緑をお次になるということで現在の気持ちは」
≪父が40で亡くなりましたものですからなくなったときも辰之助のままだったので父のなくなった年の40を越えるまでは自分の中でも辰之助でいるんだろうなっていう漠然とした考えがあったものですから松緑襲名という話を最初にいただいたのが25の年だったんですかね≫
「今いくつ?」
≪27にもうすぐになるんですけど。びっくりしましてまだまだということでお断りということではなくて尻込みをしてしまったんですね。その時に尾上菊五郎のお兄さんに相談に行っていかがしたらよろしいでしょうかという話をしたらおじいさんの供養にもなるしお爺さんやお父さんみたいな役者になりたいんだったら松緑をついで気持ちを新たに精進していったらいいんじゃないかと。それでじぶんのなかでも踏ん切りがついたんですけどその時にお付き合いしている今の妻を紹介したんですけど≫
「襲名の時には奥さんもいてちゃんとやってくれるんですと」
≪まあタイミングとしてはよかったかなとおもいますけど≫
「とってもいい話でここでしていただいたんですけど松緑さんと幸四郎さん今の幸四郎さんのお父さんと新之助さんのお祖父さんの団十郎さんが3人とも幸四郎っていう方のお子さんなんですけど幸四郎さんの3兄弟はズルズル後ろへ行くって言われたんです。俳優っていうのは普通”我こそは!!”って前に行くんだけど”いいです”っていって3人とも後ろへ行くんですって。なんだか恥ずかしいって言うかねえ幸四郎さんがおっしゃってましたけど。」
≪3人とも控えめでなかでも祖父が一番おしゃべりだったんですけど≫
「その話を聞いたときに人間的でなんかいいなって」
≪今まったく僕もそんな気持ちなんですけど≫
「4代目?」
≪そうです3代目松緑を父に追贈させていただいたので4代目松緑を襲名させいただきます。祖父や父が得意とした勧進帳ですとか弁慶、蘭平、吉野山。祖父や父が得意だったのをさせていただきます≫
「あなたはお父様は亡くなったけど周りにお兄様やおじさんがいらっしゃるんで力強いですよね」
≪今菊五郎のお兄さんですとか中村吉衛門のおじさんですとか坂東三津五郎のお兄さんですとかが本当にやさしく厳しく教えてくださるので本当にありがたいですね≫
「どうぞみなさん本当にすばらしい俳優さんでいらっしゃるんですけど応援してあげてください」
≪ありがとうございました≫