2002年1月29日
黒柳「この前入らした時は第一勧銀をお辞めになって学校に戻るって。東大に。8年ぐらい前だったですけどお戻りになって大学院も出て」
小椋≪そういう時期だったですね≫
「去年の3月に6年がかりで卒業されて」
≪大学院出たっていっても修士課程を終えただけですから。≫
「でも銀行に長くお勤めされてかなりのところまでいかれたじゃないですか」
≪そうですね部長という肩書きでした≫
「でも25年くらいの長い学校生活」
≪企業に入ってから組織人になって四半世紀ですか小学校から学校にいってますよね大学まで終わって銀行時代に向うの大学院にもいかせてもらって≫
「どちらの」
≪シカゴの大学院。いわゆる普通のビジネススクール。だから通算するとこれも四半世紀≫
「お勉強好き?」
≪まあそういうことなんでしょうね≫
「でもそういう最中にガンになって。歌を作ってほしいと看護学校の・・・」
≪ええ前の厚生省さんが始めて大学を作る今の厚生労働省ですか。それが日本看護大学校を作った。≫
「看護婦さんの大学校ができるっていいことですね」
≪今までは専門学校しかなかったんです。看護婦さんも高度なレベルが必要になってきたり、国際的に必要な看護婦さんが必要になってきたり。それでできるのはいいんですけど学歌っていうんですか校歌が必要になってきて≫
「校歌」
≪それでご依頼に見えたのがある国立病院の総長さんと看護婦長さんだったんです。普通は乗り気にならないんですけど総長さんの人柄がすばらしかったり、一緒に見えた婦長さんがすごくきれいな方でそれで安受けあいしてしまったんです。でその総長さんの病院に”あなた50何年も生きて来たんだったら一度は人間ドックやったほうがいいよと”≫
「それまでやってなかった」
≪それまで健康に恵まれた人生だったですからそれが全国64箇所をめぐるコンサートツアーの最後のほうで最後のコンサートの前に2,3日間があったもんですからそれじゃあ遊びがてらと思ってドックに入ったんですよ。そこで見つかって≫
「たいしたこと無いだろうと思ってたら」
≪電話が入ってすぐに帰ってくるようにと。みなさんガンて言うのは大変なもののようで家族のものも知ってても僕にガンといわなかったんですよ。でも病院にいってお医者さんが持ってきた入院何とか書っていうのがあってそこに胃がんって書いてあるんですね≫
「本当に」
≪何の意味も無くて≫
「新しいガン告知だったりして。びっくりしました」
≪やっぱりガンていう響きが重いですから一瞬”死”ていうのが頭に浮かびますね≫
「自覚症状も無かったんですか」
≪何にも無かったですね≫
「お忙しいからストレスかなっと」
≪でも不思議なものですよねそこで素敵な看護婦長さんに出会わなかったら検査も受けなかったでしょうしそれがなかったら1年遅れてたら致命的になったかもしれないし。幸い早期発見で≫
「すぐに手術に」
≪8時間ほどですか。おなかを切り裂いて≫
「でもされてる本人はわからないんでしょ」
≪麻酔されてますからわからないですけど麻酔が取れた後は苦しかったですね。≫
「管とかついてるんですけど妄想とか出ませんでした」
≪夢は見ましたね。眠れない中で見る夢ってのはあまりいい夢じゃないですね。≫
「患者さんによってはねえこの先生と看護婦さんは仲がよくて二人で自分を殺そうと考えてるんじゃないかとか思う人がいるそうですよ」
≪そういうのは無かったですね≫
「でもその看護婦長さんもお見舞いにいらっしゃいました」
≪はい≫
「そういうことが無ければ見てもらうことが無かったですからご縁って不思議ですよね」
≪そうですね必ず見つかるとはかぎらないですけど行ったほうがいいですよね≫
「なるほどねえ。胃なんかを切るとご飯なんかがどっと食べられないんですって」
≪本当にそうですね。こんなにかとおもいました。半年以上経つんですけど本来食べる分の3分の1しか食べられませんね。だから手術前より12,3kg落ちたままです。困っちゃうのがズボンの胴回りとかが全部ぶかぶかですね≫
「戻るとまた」
≪戻ると思うからそのままなんですよ≫
「コンサートもやってらしてるでしょう」
≪1か月分は申し訳ないけど延期していただいて1ヶ月してからははじまちゃってますから私の場合は年間7,80本はやらざるを得ない予定になっちゃってますから≫
「ずいぶんの頻度」
≪あと僕は舞台を作る準備とかありますし≫
「あれですねこうやって小椋さんをみてますと今までで一番ハンサムに思いますね」
≪僕は人生でハンサムと言われたことが1回もありません(会場笑)≫
「今日お見えになられてお顔を拝見してずいぶんハンサムになられたなと」
≪いえいえ≫
「私が言ってるんですから」
≪ありがとうございます。小椋 圭の歌は小椋 圭の顔を見ながら聞くもんじゃないってずっと定評でしたからなるべくテレビとかには出ないように≫
「シクラメンの香りとかみなさんご存知ですけど。いままでで一番ハンサムですよ」
≪ありがとうございます≫「ちょっとコマーシャル」≪はい≫
~CM~
「お母様はお元気な方だったんですってね」
≪あの元気が僕にもほしいですね。数え60で亡くなりましたけど生きてる間は沈んでる顔っていうかうつむいてる顔を見たこと無かったですね。父はいつも影の人でしたね。まじめで謹厳実直な人でしたね≫
「上野の松坂屋の裏」
≪そうですね千葉県から出てきていろんな商売を手がけてきたらしいですけど松坂屋のうらで小さな料理屋、千葉県から出てきたんで”千葉屋”て言う名前の料理屋をやってました。母と一緒になってからは母が商売好き、商売上手ですから大通りにでて料理屋と料亭を≫
「出身は?」
≪コウジ町のあたりですからチャキチャキの江戸っ子ですね。家事とけんかが大好きで本当にけんか好き。見るよりやるほうが好きで(会場笑)しょっちゅう出刃包丁をもっていってましたね。正義感がありましたね≫
「なにか出前にいった女の子のお尻なんかをさわられるとすぐに」
≪母にとっては絶好のチャンスなんですね。けんかの。こっちが正義だというものですから≫
「どういう風にいわれるんですか」
≪いやもうとんでっちゃいますから止めるも止めないもないですから。それで帰ってきて。たんかがすごいですね真似ができないですね江戸っ子のたんかは≫
「そのお母さんのご性格は受け継いでは」
≪あの無鉄砲さというのは半分入ってると思いますけど。店にくるでしょお客さんが、若いサラーリーマンさんなんかはお金取らないんですよえらい人から取ればいいんだからって≫
「おまわりさんからもお金を取らなかった」
≪昔の下町って隣の家が別の家で別のうちじゃないようじゃないですか。我が家には三方から出入り口がありましてそこから町屋の方が自由に入ってきちゃうんですよ。居間に他人さんがいつもいるんですだからプライベートが無い家でした≫
「そういうところでお育ちになられた」
≪お巡りさんなんかは本当はいけないんですけど裏から入ってきて勝手に家でご飯を食べて出て行く≫
「学校の先生なんかには背広を作ってあげちゃう」
≪そうですね若い先生には。偉くなるとサラリーマンでも偉そうな人が大嫌いでした。けんかしてましたよく。領収書を本当の金額より高く書いてくれとかいう部長さんがいたりすると絶対に許さない。なんて汚いやつだとか言って≫
「そんなこと言って」
≪だから全然儲からなかったですよ≫
「それとお勉強するのよしなさいって」
≪一応小学校5年生から僕に家庭教師をつけてくれたりしましたから教育に熱心かなと思いましたけどそれは違いましたね。そういうことしとかなきゃいけないと思ったんじゃないですか。小学校のとき僕本当に落第生だったんですよ。なぜか中学校になったときにいきなり優等生になったんですよ。できるようになると人間バカだから勉強好きになったりするんですよ。そうすると12時過ぎてもノートまとめたりするんですよ。母は乗り込んできて”止めな!!止めな”って言って止めないとひっぱたかれましたからね。≫
「お弁当は作ってくださらないんですってね」
≪そういうことはやるとしても父の役でした。晩年もですね朝ごはんを作るのは父の役なんですよ。晩年は商売も止めて子供たちも継がなかったりしてビル建てて暮らしてましたけど父が朝食を作ってできると”お母さん、できましたよ”って起こしに行くんですよ。これもまた身勝手な母であるときなんか起こしに行くと”今日はいらないよ”とか言ってバリッと着物なんか着て”歌舞伎座行ってくるから。じゃあね”とかいって行くんですよ≫
「ほお」
≪要するに身勝手≫
「(小椋圭さんは)食べ物でお好きなものは何なんですか?」
≪カレーなんですけど≫
「ああそうそう本をお書きになったんですよね」
≪本当は蟹が好きなんですけどそういうことを言うとドンと送ってきたりするんで≫
「お薬も送ってきたりするんですって」
≪カレーライスは送ってこないですからねえ(笑)≫
「でもありがたいですよね」
≪みなさん親切ですね≫