本日の徹子の部屋ゲストは松島とも子さん

2002年2月26日

黒柳「あなたずいぶん胸の豊かな方なんですね今拝見したら(会場笑)」

松島≪すみません≫

「すみませんて何をおっしゃる。元々そうなの」

≪あったの(会場笑)今まで出さなかったの≫

「そう。もっとだせば良いのに」

≪みなさん目が大きい目が大きいってここばっかしみて下を見ないから≫

「ちょっとあけてくださる。もうちょっとクローズアップしなければ駄目じゃない(会場笑)」

≪どうも≫

「新発見でございましたわ。ライオンにかまれた記念日が2月6日ですって」

≪違うの。ヒョウにかまれた日が2月7日で。≫

「今でもかまれた瞬間の恐さっていうのは思い出すことはある」

≪ええ。ガリガリって自分の首の骨が砕けた音っていうのはよみがえってきます。テレビなんかでヒョウが出てきますとそのときの恐さがよみがえってきます。目と目が合ったんですね夜中で懐中電灯の光の中にヒョウがうずくまってたんですね。フェンスに囲まれたテントの中に寝てたんですけど知らない間にそれを乗り越えてきたんです。動向がキュッとしまって”危ない”って後ろに逃げたんですけど間に合わなくて体当たりを≫

「あなたを案内してくれた人のことをヒョウが好きで」

≪そうです≫

「その前にもライオンにかまれてたんですよね。同じ時なんですよね」

≪10日後ぐらいでしょうか≫

「お元気な方なんですね。普通ライオンにかまれたらこのへんでってあの時取材だったんですよね帰りますよ。そのアダムソンさんが”野性のエルザ”をお書きになった旦那さんがあなたのことをお書きになったんですって」

≪ライオンにかまれても戻ってきてこの子はいったいどういう子だって。≫

「そういうことがあったんですけど今は後遺症も無く」

≪寒いときや冷房があたると体が動かなくなりますね≫

「思い出としては嫌ですよね。まあそういう武勇談をお持ちの方なんですけど車椅子の方のダンスのパートナーをしてらっしゃる。いつ頃からやってらっしゃるの」

≪98年の1月の後半にナガサワシュンイチ君て言う見ず知らずの方からお手紙をいただきまして僕は障害者だけど車椅子のダンスの第一回世界選手権にぜひ出場したい。僕にはパートナーがいないんでとも子さんぜひパートナーになってくださいと言われて私はバレエは3歳のときから習っててたんですけど車イスダンスというのは見たことも聞いた事も無かったので住所が上尾って書いてあったので埼玉県にいきました。お母様が2階から転がり落ちるように降りてきて”とも子ちゃん”っておっしゃって”小さいときからあなたの大ファンでシュンのパートナーになってください”て言われて私はお母様に弱いものですから何だか分からないうちに”はい”といってしまって。≫

「第1回日本選手権で優勝されてその後も第一回アジア・太平洋選手権でも優勝されて・・・第一回というのは始まって最初のっていうことですか」

≪そうです。第一回世界選手権っていうのは世界から集まってもらわないと出来ないくらい日本では少なくてオランダでは王女様が熱心でやられたということからオランダの人が多かったんですが≫

「今拝見しているとシュンイチさんは手を動かすことが出来るのかしら」

≪そうですねオートバイに乗ってて前の車に突っ込んでアスファルトに叩きつけられて胸から下はマヒしているんですけど手はOKなんです≫

「これ大変なんですってあなたは40キロぐらいの体重で向うの方は車椅子も合わせて80キロぐらいあるんですって」

≪そうですね動かそうと思うと車イスって自分で車輪を動かそうと思うと動いてくれるんですけどモダンの場合はダブルフォルドっていって手を一瞬たりともはなしてはいけない≫

「車イスを彼が動かすことが出来ないんですって」

≪出来ない。おもいんですね最初の頃は砂袋をズリズリって踊っているというより引越しの手伝いに行ったって感じで≫

「でもどんなにか楽しいことと思うのね踊れたら」

≪そうですね講習に行ったら若い車椅子の男の子だったんですけど手を握ったら看護婦さんやお医者さんに手を握ってもらったことはあったんだけど注射なんか痛いとき以外で手を握ってもらったことは久しぶりって≫

「あらそう」

≪そうおっしゃってくださってそういうこともあるんだなって≫

「ナガサワシュンイチ君がお手紙を下さったことから始まったんだけどなんであなたとダンスをやろうと思ったのかしら」

≪お母様が私が小さいときからバレエをやっていたというのをご存知だったということとライオンにかまれてもあなたはくじけないで勇気のある人ですと。本当に一生懸命やってたんですけど体の不自由な人と会うときはこういうことを言っちゃいけないとかずいぶん気をつけてるんですけどシュンちゃんと夜中とか朝とか稽古していたときに私はスタジオ中駆けずり回っているのにあの人は車イスに座って汗もおかきにならないんで私は頭にきたんですねでおもわず”シュンちゃんあなたは本当は立てるんでしょ立ってよ!”っていっちゃたんです。言ってからしまったこのカップルは駄目になるなって思ったんですけどシュンちゃんがにやっと笑って”とも子さんばれました本当は夜中の2時過ぎになると立って歩くんですよ”って言ってくれたんです。それから心のバリアが無くなってシュンちゃんの車イスがスカートのように自由に動いてくれるようになったんですけど。≫

「よかったですよねチームが駄目にならないでね」

≪今まで黒柳さんが優勝したって言ってくださったんですけどやるの大変なんですよ。最初の頃は思っても見ない優勝でしたけど一回優勝しちゃうとしなくてはいけないみたいな気がしてアダミツテイ君≫

「2人目が」

≪ナサセイジ君こう優勝させてきて。私優勝させてきてっていう感じがあって”ほら優勝させたじゃないの”って言う気分があったんですね。優勝して車イスの方にみなさんがどうでしたって聞きますよね優勝してうれしかったって言う人は1人もいなかった”楽しかった”って。僕昔自分の足で歩いているときのことを思い出したと。誰もね私にありがとうとかね優勝できたのあなたのおかげとか無くてとにかく楽しかった≫

「いっしょにやってるということなんでしょ」

≪そう言っていただけるということがなんてうれしいことかと。私奥さんにもならなかったしお母さんにもならなかったから自分のことばっかし考えて生きてきたんですけど車イスダンスというのはまず最初に相手のことを考えるんですね。今までは私が美しく踊れるようにお上手に踊れるように考えてたんですけど始めてからまず相手っていう様に考えられるようになって早く始めてたら私いい人になったんじゃないかって≫

「その最初にお手紙を下さったシュンイチ君はしばらく入院することになったんですって」

≪優勝したときに本当に彼うれしかったらしくてあちこちに講演会に行ったりご自分でそら飛んだりいろんなことなさってたんですけどある日お電話をいただいて”シュンがすごく具合が悪い”と。あんなに健康だったのに高熱が出て手術を何回もして≫

「最近踊れるようになったの」

≪はい。ずっとねえかれは選手権を見にきてたの。私が2番目3番目のパートナーと踊るのを見てどんなに悔しかったんだろうなって思うんですよ。私もシュンちゃんが”Shall We Dance”っていってくれるのを待ってたんですけどこの間4年ぶりにおどったんですけどうれしかった≫

「22歳のときにバイク事故で今36歳?」≪ぐらいだと思います≫

「まだこれからもずっと続けようと」

≪はい今年の11月に協議会にチャレンジしようと≫

「松島とも子さんはお元気な方でゴルバチョフさんにお会いになって。2回お会いになった」

≪4年前にあったんですけど口から心臓がでるぐらい緊張してむこうから立ってきてくださって私のホッペにチュチュとキスをしてくださったので私もいいと思ってチュチュとキスをしてもいいと思ってしたんですよそしたら口紅がついて拭いてあげたんですよ。≫

「その時に奥さんのライサさんがいらしてライサさんにゴルバチョフさんといていつの時が誇らしいと思いますかってあなたが聞いたら」

≪彼が失脚したとき彼を一番誇りに思いましたって。いつもと変わらない彼を本当の彼を私は初めて知りましたって≫

「殺されるかもしれないときで」

≪彼はまったく変わらなかったと≫

「2回目にお会いになったときはライサさんがいらしゃらなくて」

≪なにか一回り小さくなったような≫

「2回目にお会いになったときはいつでしたか?」

≪去年の9月13日。テロの次の次の日に会ってあの時のライサさんが失脚したとき誇りに思ったっていったこと覚えているっていったらもちろんだと。そして泣かれて。≫

「でもあなたもよく何回も」

≪あれはねえレストランを≫

「ゴルバチョフ財団がやってるらしいですよ」

≪レストランの名前が”大統領(プレジデント)”っていうらしいですよ。おいしゅうございました≫

「芸能生活50年ますますお元気で」

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