本日の徹子の部屋ゲストはヨネスケさん

2002年3月20日

※:日本テレビ「ルックルックこんにちは」で”隣の晩御飯”というコーナーを担当。

黒柳「”隣の晩御飯”をやってらしたんですけど16年間で2404件のお家からロケでお届けしたということで。でも初めの頃はアポイント(何月何日に行きますよという約束)を取った方がいいということでお取になってた」

ヨネスケ≪一回目だけなんですよ。一回目はねえ新宿のトヤマヘという所の団地に行きまして70歳ぐらいのご夫婦のところにあらかじめ行くよと言ってたんですが「こんばんは~」って入っていったら「いらっしゃいませ」って三つ指つかれちゃいましてね、中に入ってみたらウナギがあって寿司があってステーキがあるんです(会場笑)。それでご主人がネクタイして座って待ってたんです(黒柳・会場笑)。どう見てもやらせだなって言うことで止めて突然入るからといって。ただ瓢箪から駒でそれが面白くてずーと続いちゃったんです≫

「断られた家もあったそうですけど。田園調布はすごかったそうですよ」

≪36件全部断られましてね。インターホンをならして「隣の晩御飯です」って言うと「あら結構です。ごめんあそばせ」って。ひさしぶりですね”ごめんあそばせ”って聞いたのはってスタッフと言ってたんですけど≫

「山の手の方は別に悪意があるわけじゃないんですけど「お見せするものは本当にないんですよね。ごめんあそばせ」ってなっちゃうんですね。山の手はダメでしたか」

≪やっぱり下町とかね地方に行くと選挙区でいうと1区ですかね県庁所在地は意外と回らないんですよ。ミニ東京ですから。そこから少し離れたところに行って酒屋さんとか米屋さんとかにいってこの辺りで面白い奥さんいませんかってリサーチするんですよ≫

※:回らない=つながっていかない

「田園調布で36件断られたときも途中で嫌になりませんでしたね」

≪セキュリティーの車がまわってました。怪しいやつがいるということで。でもしなきゃいけないということでピンポンピンポンをしてましたらしゃもじを持っていた手が震えてきましてね(笑)≫

※:ヨネスケさんは大きなしゃもじ(1mぐらい)をもっていた

「すごいですね16年間やっていると外からこの家はやってくれそう、やってくれなさそうって外から分かるんですって?」

≪本当にねえ家並みでね生活観のあるところか。息をしているところかしていないところかで分かるんですよ猫が寝てたり、三輪車が置いてあったりここは息してるなって≫

「息してるところは大体OKなの?」

≪そこはOKなんですよ。行ったところで同じダメって言われても奥さんが「ダメ、ダメ、ダメ(強い口調で)」は絶対ダメです。でも「ダメです。ダメです」って言うところは十中八、九はOKなんです≫

「それは16年間おやりになったんですからわかりますよね」

≪お寿司屋さんなんかでも10年握ったら一人前っていうじゃないですか僕はよその家に入って16年ですからよその家に入るのはプロじゃないかって自分で自負してるんです≫

「ようするに今晩何を召し上がってるんですかっていうのをね」

≪あらかじめ言っておくとどうしてもいいものを作っておくじゃないですか。それとテレビを見ている人は自分のうちと比べるじゃないですかそれを見て奥さん方も今晩の晩御飯を決めるっていうのもあるんです≫

「大体何時ごろにいらっしゃるんですか?」

≪これはねえ漁業と農家は違うんですよ。漁業の人は大体一定なんですよ夕方の5~6時。農業をやっている方は夏は大体日が暮れるまでやってますから(農作業)7時から7時半。それをかぎ分けながら行かなきゃいけないんですよ≫

「この前おっしゃいましたよね支度している時じゃなくて食べてる時がいいんですよね。」

≪ですから女性からすると下着をのぞかれてるみたいで嫌だと思うんですよ。この方は料理が上手いか下手かっていうのは台所見りゃ分かりますからね。≫

「ぐちゃぐちゃにして出してる人と出すそばから片付けていく人とねえ。でもまさかみんな来るとは思ってないですからねえ」

≪本当に突然来るんだなって入って分かるみたいですよ。そんなこといってもあらかじめ知らせてくるんだろうと思ってたみたいですけど突然行きますから。台所が散らかっている家の奥さんは料理は好きじゃないですね。料理に好きな奥様は片付けながら料理を作って冷蔵庫を開けるとどこに何があるか分かってる方は料理が好きですね≫

「その中で感激した家っていうのはありますか?」

≪家に上がったときにですね小学校3,4年の男の子が座ってたんです。下半身が麻痺してたんですね。でも「どうぞ、どうぞ撮って下さい」って言うんです。なぜかと言うとこの子はテレビが友達なんですと自分が写るということは大変なことですから撮って下さいと≫

「お母さんがですか?」

≪お母さんが。本当に感激しましたね。≫

「窓際のトットちゃんで私の一番の親友の男の子はポリオ(小児麻痺)だったんですけど生まれて初めてアメリカにはテレビというものがあってそれでお相撲でも何でも見られるんだよって教えてくれたのはその子だったんですよ。その子にしてみたらテレビでいろんなものが見れたらどんなにいいだろうって思ったんでしょうね。テレビが来る前になくなったんですけどその子がテレビが友達っていうのはすごく分かりますね」

≪結構隠したりするんですけど「どうぞ、どうぞ」って入れてくれてねこのお母さんの教育ってどんなに素晴らしいんだろうって思いました。≫

「その晩御飯はどんな感じだったんですか?」

≪普通の晩御飯だったんですけどその子がものすごく素直な子でね全然暗さが無いんですね≫

「よかったですね」

≪人生の縮図みたいなものを晩御飯でみられるという。あと浦安に行ったおばあちゃんは元気なおばあちゃんは元気なおばあちゃんだったんですけどそれが3ヵ月後ぐらいに亡くなって手紙が着たんですね「亡くなってしまったんですが今も元気な頃のビデオ見てみんなで涙してます」とかね。そういうのあるとやっててよかったなあって≫

「だけどご自分の家にいかれたときほど驚いたことがなかった」

※:ヨネスケさんの家で”隣の晩御飯”のロケをした。ヨネスケさん以外の家族には内緒

≪僕がいないときはどんなものを食べてるのかと思いましてね寄席に行くよと言っておいてどこかに隠れてたんですよ。でパッと行ったら向うは鍵閉めちゃったんですよ。でも僕は自分の家のかぎ持ってますから(会場笑)自分であけて入っていって≫

「それも3日前ぐらいにお金を渡しておいたんですって」

※:いいものを食べておいてほしいという気持ちを持って/恥をかかないために?

≪ええ、そうなんですけど行ったら今までで最低でしたね”けんちんうどん”でした。≫

「それも昨日の残り物みたいなものを」

≪でも大体主婦の方ってご主人が帰ってこないとなるとあるもので食べちゃうんですね≫

「今のお家はお父さんいないからいいもの食べようって(会場笑)。でもお宅はお父さんいないからあるもので食べちゃおうってずいぶん涙ぐましくてよかったですね」

≪あっけらかんとしてましたね≫

「でもお金渡してあったからもっといいもの食べてたと思ってたんですって」

≪でも逆にいうと僕がいない間にうまい物食ってると一人だけのけ者にされてるようでそういうもの食べてくれててホッとしましたけどねえ≫

「本当に人生の縮図っていいましたけどそうですね」

≪(※:コーナーが始まった頃の話)番組審議会というのがあるじゃないですか「あんな人の家に行って晩御飯なんか見るのはプライバシーの侵害」とかいろいろ言われましたけどそれがですねえ10年ぐらい経ちましたら嵐山孝三郎さんが東京新聞に載せてくれましてね”隣の晩御飯は文化である”と。やってることはちっとも変わんないんですけどねえそういう風にいわれたときはうれしかったですねえ≫

黒柳「16年間”となりの晩御飯”をやってこれたのも自分の親探しをしている部分もあった」

ヨネスケ≪父親探しというか家庭探しというものだったんですよ。僕は本名が”小野五六”っていうんですよ。これは親父が56歳のときの子供だったんですよ≫

「本当に」

≪僕は私生児なんですよ。籍には入ってない≫

※:私生児:夫婦の関係にない男女の間に生まれた子の総称~小学館国語大辞典より~

「ああ、お父様がはっきりしない。それはご存じなかった」

≪これは高校の入学のときに願書を出しますねえそのときにはじめて分かったんですよ。父親は亡くなったものだって兄弟に言われてたんですよ。家は4人兄弟で姉さん2人の兄貴が1人なんですけど4人とも(父親が)違うんですよ。全部私生児なんですよ。兄貴と僕は親父は一緒なんですけどね≫

「お姉さまと歳は離れてる?の」

≪ええ一番上の姉さんとは23はなれてるんです。ですから父親って言うのはどういうものかって反面鏡がないんですよ≫

「じゃあご自分のお子さんがいらっしゃるわけでしょ。お子さんに対してどうすればいいのかっていうのが」

≪これが全然。どこで怒っていいのか褒めていいのか手を上げていいのか全然わからないんですよ≫

「伊丹十三さんも小さい頃お父様が結核で寝てらして近くにいけなかったので子供が出来たときにどうやって教育していいのか分からないって。お母様は忙しく仕事してらしたから」

≪母親は行商をしてましたから家にいなくて一番上の長女がポリオですからどっこも勤めにいけないから母親代わりになってくれて。この姉さんに読み書きそろばんみたいなのを叩き込まれたんですよ。≫

「お姉さまは父親が違っているというのは」

≪一言も言わなかったです。だから僕は兄弟に恵まれましたね一言もいわなかったですから親父は死んだものだと思って育ちましたからあれを小学校とかの多感な頃に聞いてたらぐれたんじゃないかって。だから願書の時の戸籍謄本みて知ったんですよ。薄々は分かってましたけどねよく黙っていてくれたなって感謝してますけどねえ≫

「お母様は大変な時でもあなたのことをとても愛してくだすってたんですって」

≪本当にいつ寝てるのかなって思ってましたね。帰ってきちゃあ針仕事をして今度僕が目がさめるとまな板でトントントンって音が聞こえてきたりしてそして僕が帰ってくると父親がいませんから父親の代わりをしてくれるんですよ相撲なんかとってくれたりして≫

「お母様が」

≪ええ。それで小学校5年生ぐらいになると僕は体が大きいものですから投げ飛ばしてねえ柱で頭をゴンと打ったりして「ああ、これはもうやっちゃいけないな」って≫

「相撲の相手をしてくれるお母さんて少ないと思いますねえ」

≪母親が父親代わりをしてくれたり姉さんが母親代わりをしてくれたり本当にねえ僕は家族愛に恵まれましたね≫

「本当にありがたいことでしたね」

≪僕らは子供ながらに母親が大変だって後姿見てましたからたまにお袋がおもちゃや何んか買ってあげるよって言われても本当はこっちの高い方が欲しいいんですけど安い方を買ってもらったりして。お袋に苦しい思いをさせちゃいけないって。だから僕はサラリーマンじゃ出世できないなって思ったから落語家か板前で腕一本で勝負できるところでそっちを選んだんですけどねえ≫

黒柳「ヨネスケさんにはこういう話は一切うかがわなかったんですけど」

ヨネスケ≪お袋が元気だったものですから元気なうちは抑えておいてやろうかなって。最近結構シングルマザーなんて流行っているじゃないですか僕は大反対ですね。その方は愛した人を生むからOKなんですが子供はねえやっぱりいろいろありますよ。父兄参観日の時とかねえ父親がいなかったりするとねえ≫

「お父さんの絵を書きなさいって学校から言われたこともあるんですって」

≪小学校の時にお父さんの絵を描けって言われてもいませんから母親が行商している絵を描いたんです≫

※:行商=店舖を構えないで、自ら商品を携えて売り歩くこと ~小学館国語大辞典より~

「ええ。それはお母様はお喜びになって?」

≪喜こびましたけどねえ子ども自身はねえ「あ!あ!」と思うんですよね。だから僕はシングルマザーは反対ですね≫

「お母さんが気がついてないほど子供は気がついているってこと」

≪子供は気がついてますよね≫

「でもお父さんてどんな人とも聞かなかったしどんな顔とも聞かなかったしお母様も最後まで何にも言わなかった」

≪母親のお通夜の時に親戚の連中がとうとうお前のお袋は男の名前言わずに死んでったなって言われてねえ僕はかっこいいお袋だなって思いましたよ≫

「一人にだけ言っておこうとかねえ」

≪だから亡くなった昼は脇で添い寝しましたよ。ええずいぶん苦労かけましたからねこの世界に入っちゃったものですから≫

「お母様を楽にさせてあげるのはみんなが笑ってくれるからこういう世界がいいって途中から落語の世界にお決めになったんですって」

≪小学校の卒業文集みたら大きくなったら”キンゴロウ”のようになるんだって書いてましたね≫

「そうですか”キンゴロウ”さん当時はすごかったですからねえ」

≪スターでしたから。そのころから落語の世界に入ろうと決めていたんですねえ≫

「で米丸さんの内弟子にお入りになった」

≪34年ですか≫

黒柳「いずれにしてもお父様が56の時の子供で小野五六ということなんですけどこれはどなたがお付けになって?」

ヨネスケ≪これも聞けなかったんですが今になってみると愛せる名前ですね。一回だけ聞いたことがあるんですけど親父ってどんな顔って聞いたら「お前が寝てる時の顔そっくりだよ」って、寝てるから見えないんですけどねえ≫

「人様から可愛がられるようになれって」

≪小さい頃からいわれてました「人様に可愛がられろよ可愛がられろよ」って。自分の経験じゃないですか≫

「すごくかわいいんですけど落語家になろうと思って千葉の市長さんの前で落語やってみたんですって」

≪ええまだ高校生の時ですけどそれで”オノミツル”さんのところに紹介してもらって内の師匠に話してもらって≫

「そうなんですか」

≪僕は田舎もんですからいきなり行っても弟子は無理だと思って紹介で言ったんです≫

「ラジオとかテレビで米丸さんがいいなって」

≪ああいう雰囲気のかたですから≫

「私もデビューした時ずいぶん一緒に仕事しましたけどテレビやラジオに出てましたものね。」

≪優しい師匠でしたからねえ。あの師匠じゃなかったら僕は続かなかったかもしれませんねえ≫

「それからいろんなことがあって真打にもなるしでもお母さん養ってあげようと思ってたけどずいぶんお母さんから仕送りもらってたって」

≪ええ毎月5千円づつもらってましたね。でも親不孝させるのが長生きさせる秘訣かもしれませんねえ≫

「頼られるのは必要かもしれませんねえ」

≪せがれのためにって93まで生きたのかもしれませんねえ≫

「そうするとご自分のお子さん3人いらっしゃるんですがいい家庭を作っていこうと思ってます?」

≪それは思いますけどねえ中々上手くいきませんねえ≫

「そういうバックグラウンドがあって16年間続いたんだと思いますねえ。ありがとうございました」

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