本日の徹子の部屋ゲストは余(よ)貴美子さん

2002年4月18日

黒柳「余(よ)貴美子さんです。どうもしばらくでございました。なんと言っても気になるのが靴なんですけどお洋服は白と黒のズボンなんですけど靴がキラキラキラ(※靴の止めひも。足の甲の部分に大きな宝石のようなものが3つ付いている)って。足小さいでしょ?」

≪でも23ぐらいです。≫

「あちらから歩いてらっしゃったら足元が光ってて「ああこういうのもあるんだな」って。それで飲み物が余さんのご推薦だそうですけどなんというものですか?」

≪ウコンなんですけど。沖縄でお酒とわって飲んだりして肝臓にいいといわれています。≫

「ちょっと飲んでみます。(飲んで)私こういうの好きなんですけどものすごく苦いみたいな。よくこんなの飲めますねえって沖縄の人が言うぐらいニガウリって苦いですよね」

≪はい。≫

「おいしいです。お酒とわって飲む。あなたは三線(さんしん)教室にいくと朝までみんなと飲むんですって」

≪あちこち新宿にあるお店を回ったりして。≫

「三線(さんしん)を習ってらっしゃる。三味線みたいなものですよね」

≪はい≫

「それを習ってらっしゃる生徒さんと終わると沖縄料理を食べに行く」

≪そうですね。沖縄料理のお店で習っているのですが終わると違う沖縄料理の店に行って三線をだして弾いて。≫

「この前ニュースステーションを拝見してましたら久米さんが”最後の晩餐(※NSの1コーナー。死ぬ前に何を食べたいか久米さんが聞く)”で最後の瞬間に何を食べたいですかと聞いたらあなたは「おむすび」と。それはどういうことですか?」

≪はい。心から本当においしいと思ったのはおむすびが多くて握ったおむすびがすごい好きで、塩おむすびとか≫

「あなたのお家には中国の方が多くてお母様は日本の方なんですけどお弁当がいつもすごかったんですって?」

※余さんのお父さんは中国人。お母さんは日本人

≪そうですね豪華だったんですけどおしゃれじゃなかったんですけど海老とかお肉とか入ってたんですけど色合いがおしゃれじゃなくて他の友達がお母さんに卵焼きを焼いてもらっていたりとかが羨ましかったんですけどね≫

「全体が茶色ぽい感じで。クラスメートのかたといまでもお会いになるとあなたの家は中華料理屋さんだったと今でも思っている?」

≪中華料理屋だったろうと言われるんですけどそんなことはないんですけど(笑)。≫

「だからこそおむすびがいいって言う感じだったの?」

≪あの劇団の時にお金が無かった時などや他のところに食べに行った時に他所の方が握ってくださるとすごくうれしいし、本当においしいと思ってたんですよ。やっぱり最後に食べるのはおにぎりかなっと思って≫

「何も入ってなくてもいいの?」

≪本当においしいと思います≫

「今私も旅してるんですけど昼の部と夜の部の間に現地の方がいろいろなものをもってきてくださるんですね。煮たお野菜とかおにぎりとか。裏方さんとか私たちも食べるんですけどすごくおいしいですね。親切もその中に入ってるんですかね」

≪そうですね。あとみんなが家を中華料理屋だと思ったのは夏休みの教材で学校で糸瓜(ヘチマ)を作るというのがあったんですね。でせっかく育ててたのに母が豚の肉と炒めて食べてしまったりとか(笑)。宿題出せなかったんですね(笑)。そういうこともありまして小さい頃のお友達はみんな勘違いしてたんだと思います≫

「ヘチマも食べるんですか?」

≪沖縄ではヘチマは”ナーベラ”っていうんですけどみなさん食してますけど。≫

※ニガウリはゴーヤ

「昔から沖縄は中国と関係が深いんですけど沖縄のものを中国の方が召し上がることが多い?」

≪そうですね≫

「でもあれなんですって余さんは中国国籍でいらっしゃって」

≪はい≫

「お父様は中国の方で」

≪母親は日本人≫

「”ちゅらさん”の時はキャリアウーマンをなさいまして本当に大評判だったんですけどああいうキャリアウーマンの役は珍しい?」

※ちゅらさん:NHKの朝の連続ドラマ

≪そうでもないんですがNHKの朝ドラが初めてでちょっと10年前ぐらいのキャリアウーマンで(スーツに)パットが入っていて髪もストレートで見たいな時代だったんですけど今のキャリアウーマンとは違って楽しかったです≫

「前は舞台が多くていらっしゃったんですけどその舞台を離れて今はフリーの立場に?」

≪はいプロダクションにはいりまして≫

「でもあの時は楽しかったんじゃないですかねみなさん。三線も弾いてらっしゃいましたし。堺正章さんも弾いてらっしゃいましたし」

≪弾いてらしゃいました。≫

「あなたはあの中(ドラマ”ちゅらさん”の中で)で弾く事はあった?」

≪”実は私三線を習ってるんです”という脚本をいただきまして突然そういう本になりまして(笑)≫

※最初はそういう設定じゃなかったが三線を習っているという設定になった

「でもうれしかったでしょ?」

≪はい。≫

「でもお着物着て三線弾いてらっしゃる写真(番組HPに掲載)ありましたけどとってもよくお似合いで。あれは単独で演奏するということがあるんですか?」

※その写真登場

≪これは証明用の写真だと思うんですけど。でも舞台では弾かないです。飲んでる時に弾くぐらいで(笑)≫

「でも本当に沖縄の方って飲んでる時に三線出してきて歌ったり弾いたりすごいんですってねえ」

≪民謡を口ずさんで歌ってるっていうのがすごいですよね。日本の民謡も習ってるんですけど普段お茶碗洗っている時には口ずさまないですよね。もっと(日本の民謡を)歌えたらいいなと思ってやってるんですけどねえ≫

「沖縄には珍しいものがあって屋根の上にこういうお守りがあるでしょ」

≪はい≫

「シーサーっていう。初めて沖縄に行った時に(タクシーに乗って)高速からバーといったらお粒の雨が降って来たんです。こうしてみてたら猫だと(※シーサーのことを)思ったんですよ。いろんな形をしてて「あら~沖縄の猫って雨すきなんですか?」って運転手さんに言ったら「いや別に好きじゃないですよ」って言ったので「でもあんなとこにも」って言ったら「あれは猫じゃないんです。シーサーっていうお守りで屋根の上にあるんです」って。でも小さくて猫みたいに見えるの。沖縄にもときどきいらっしゃる?」

≪あまり行かないのですがたまたま沖縄の仕事が多くて≫

「でも”ちゃらさん”やってらしたから沖縄の人は親しくしてくださるんじゃないですか?」

≪ちょっと人気者になりました(笑)≫

「さっきも話したように余さんは中国の方であなたの家族は全部中国の方でお母様だけが日本人で嫁いでこられた」

≪日本人で初婚ですから大変だったと思います。お料理も覚えないといけないし家は華僑だったのでたくさんの父方の親戚と一緒に住んでまして多い時は10人以上になってまして表札もいろんな表札がかかってるんですね≫

※華僑=中国人の海外居留民。華は中国人。僑は仮住居の意。~小学館国語大辞典より~

「結婚しても苗字は変わらない?」

≪母が大塚で父が余なんで。別に帰化はしてないのですが都合上適当な日本名を掲げてたりしてたんで≫

「私今日拝見したの。あなたのお父様のお母様あなたのおばあ様の写真を見たんですけど(※余さんのお祖母さんの写真登場)これが本当の中国服だと思うんですけど私びっくりしたんですけど靴がすごいしゃれてる靴。靴下が黒いなんだけどラメがはいってるような」

≪そうですね≫

「あなたは中国服をお召しになることはあったんですか?」

≪私は無かったですね。みなさん結婚式の時とかしか日本の着物と一緒で中国服は着ないんですね。≫

「あなたお召しになったらすごい素敵だと思いますけど」

≪ありがとうございます≫

黒柳「お父様は明治大学の空手部の部長?」

≪そうです。≫

「強かったのね」

≪今でも(明治大学に)写真が貼ってあるそうです。≫

「主将ですよね。でお母様は踊りを日本舞踊を」

≪踊りを結婚前にやってまして父は空手をやってまして演舞会の時に知り合って結婚したみたいなんですけど≫

「でも演舞場を借りて踊るというのは本格的ですね。でも空手の人と踊りの人はいっしょに何かやることはあるんですか?」

≪あの理屈ですと腰の入れ方が一緒だということで踊りと空手を一緒にしたみたいですね≫

「腰の入れ方が同じ」

≪(笑)≫

「なるほどね。それでご結婚になった」

≪そうみたいです≫

「お母さんはお元気な方で焼き鳥屋さんを」

≪横浜駅の近くでやってたんですけど2年前に43年間やってたんですけど閉めてしまいまして(※余さんのお母さんが焼き鳥を焼いている写真が登場。ハチマキにはっぴ姿)これはお祭りの時なのでこういう格好をしているのですがいつもはこういう格好ではありません。≫

「みんなは余さんのお母さんだと知らないでここの店にいらしてたの。ずいぶんいろんな方がいらしたでしょうね」

≪そうですね≫

「じゃあみなさん「焼き鳥屋のおばさん~」とか言ってあそこで召し上がった方は余さんのお母さんだったと。今はもう無いそうですから探しても無いですけど。お父様はお亡くなりになったんですってねえ」

≪そうですね51で≫

「何か手術した時に輸血ミスで」

≪そうですね肝硬変になって≫

※車に寄りかかる余さんのお父さんの写真が登場

「おしゃれなお父様。こういうの好きだったのかしら」

≪昔の写真を見ますと結構おしゃれな格好してますよね。祖父などは利己主義だったのですかね自分の写真には自分のとこだけ赤い丸を付けてるんですね。新聞でも”中国”とか出てくると赤い花丸が付いていてヨーロッパとか出てくるとバツがつけられたりしててどういう思想の持ち主だったか不安なんですけどねえ(笑)。ほとんどの写真が家族で写っていても自分だけ赤い丸で囲ってあって≫

「でも中国の方が全部そうするわけではないですよね。おじいさまが」

≪はい≫

「でもそういうテレビとかに持って来る時はいいですね。どの方かすぐに分かりますから」

≪そうですね(笑)≫

「でもお父様が早くにお亡くなりになったらお母様は寂しかったのねえ」

≪大変だったと思います。うち家族全員働いてましたので相談する相手も無く大変だったと思います≫

「結局亡くなったら1人。あなたは妹さんがいる?」

≪はい妹がいます≫

「でもお元気なお母様今も踊りを教えてらっしゃるんですか?」

≪まあ踊りの仲間とは。生徒は取って無いんですけど≫

「お母様は43年間焼き鳥屋さんをやってあなたを育ててくださったんだと思いますけど。あなたは新劇の舞台だったからなかなか収入も無かったでしょうから」

≪そうですね≫

「テレビなんかに出てお母さんも安心されてるんじゃないでしょうか?」

≪経済的には「お金頂戴って」言わなくても済みますから(笑)≫

「舞台やってると本当に収入は無いですよね」

≪そうですねなかなか事情は変わりませんねえ。私が20年前くらいに始めた時からお友達に伺っても全然事情が変わってないと。システムも変わってませんし≫

黒柳「今度舞台でおいらんを」

※おいらん=遊女~小学館国語大辞典より~

≪遊女を。品川の遊郭が舞台なので吉原よりはちょっと格が下で。明治座で≫

「(共演者は)風間杜夫さんとか平田満さんとか鎌田行進曲のときのコンビですよね」

≪”居残り佐平次”。明治座らしくないポスターかもしれませんけど(笑)≫

「これはあれなんですかね頭は本式の大きいのを?」

≪いえ、あの素足ですし遊女ですのでズルズル・・髪も≫

「前におやりになったことはあります?」

≪いえ初めてです≫

「そういう方にきてもらって立ち振る舞いを教えてもらった?」

≪はいそれもありますし花柳先生に所作指導なんかをしてもらってジタバタお稽古している最中です≫

「私吉原にあった本当の”松葉屋”とおっしゃったかしら本当のおいらんのやつを徹子の部屋が始まった頃全部格好させていただいたんです。頭だけで何十キロって本当に重いんですよ。それでこのくらいの下駄(長下駄)はいて歩くの。あっちからこっちへ行かなくてはいけなかたったので着物まくってダダダっと走っていったらおかみさんが「あら~~~~初めて見ました」って。あんなの履いて走っている人初めて見ましたって(笑)。頭も小さかったら体重と同じぐらいの重さなのねえ」

≪そういう格好をしてみたいですねえ≫

「首も動かせないんですよ。寝る時はどうしてたんでしょうね。」

≪そんあにおいらんほど派手ではないんですがケンカしたりするシーンもありますから≫

「(公演は)何月でしたっけ?」

≪5月です≫

「それと落語家の小さんさんのお孫さんのカロクさんもおでになるんですよね」≪はい≫

黒柳「お持ちいただいたウコンがすっかり気に入って私はこんなに飲んでしまったんですけどすごくおいしい」

≪はい体にいいですからね≫

「前は脇役も多かったんですけどこの頃は主役もやるようになってでも主役をやると視聴率とかが気になるんですって?」

≪そうですね責任を感じてしまいますね≫

「あれですね普段積極的に話される事はおありになるの?」

≪ないですね(笑)≫

「みんなが話されるのを聞いてるというのが多いの」

≪そうですね≫

「自分からこれだったら積極的に話せるというのはありますか?」

≪あまりないですね≫

「そうすると世の中の森羅万象のなかで面白いことがあってこれを誰かに言いたいなっていうことはあります?」

※森羅万象=宇宙間に存在するいっさいの物事~小学館国語大辞典より~

≪心にしまっておくことが多いですかね(笑)≫

「それが何かの形になって外に出るんですかね?」

≪出ればいいですね。希望します≫

「子供の時から?」

≪そうですね比較的静かにしてました≫

「まったく正反対の人にお目にかかりましたわ。今度は心の内を(笑顔で)」

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