本日の徹子の部屋ゲストは忌野清志郎さん

2002年4月24日

黒柳「忌野清志郎さん。昔ベストテンにいらして坂本龍一さんとキスなんかしてる」

忌野≪いやあ≫

※忌野清志郎さんが自転車に乗って登場されたことから。サイクリング用のコスチューム着用(番組HP参照)

「あのころはスポーツとは関係ない方でしたよね」

≪全然やってなかたですね≫

「帽子といい何といい全てが流線型ですね。これはなんなんですか?」

※いきなり半パンツをはきだす忌野さん

≪これは会話用の。エチケットっていうんですかね≫

「(自転車に)乗ってらっしゃる時はパンツ無しなんですか?」

≪はい。蒸れちゃうんですね。あと擦れたりしてよくないんですよ≫

「あと靴が。タップの靴みたいに」

※黒柳さんに靴を見せて。靴のそこに鉄板のようなものが張ってあって曲がらない

≪これねえ曲がんないんですよ。≫

「これで(自転車で)鹿児島までいらして1400・・・」

≪1422キロです≫

「すごいでしょお友達と一緒に?」

≪はい≫

「そのお友達はいつからのお友達でしたっけ?」

≪幼稚園から小学校、中学校までの友達で≫

※清志郎さんを含めて5人で鹿児島まで自転車で旅をした。その中の1人が幼馴染で現在”サイクルスポーツ”という自転車雑誌の編集長をしている。

「すごいでしょ。その方が”サイクル・スポーツ”という雑誌の編集長でいらして。その方も一緒に」

≪途中から参加しました≫

「(その旅のメンバーが写った雑誌の表紙が出て)一番左の方が?」

≪武田真治君です≫

「俳優の武田真治さん。みなさんおそろいの服で」

≪これ僕が書いたんですよ(上着に顔が書かれている/HPに写真あり)≫

「誰の顔なんですか?」

≪一応僕の顔なんですよ≫

「その1422キロって何日間ぐらいのものなんですか?」

≪10日間でいきました≫

「わりと早く行きましたね。野宿はしないの?」

≪野宿はしないで≫

「一緒にいらした方はバンドの仲間が」

≪そうですね≫

「元気なお年寄りの話を聞いた?これはなんなんですか?」

≪ええっと東北電力で雪崩の事故がおきてある人が埋まっちゃたんですね。その方(雪崩で雪の中に埋まった人)のお父さんが80いくつの方なんですけどこれはわしが助けにかなあかんということでシャベルをもって雪道を10キロ歩いて助けにいったらしいんですよ。着いて呼びかけたりしたら声が返ってきたんです。小さな穴から。そこを掘って助けちゃったんですよ。≫

「助かったんですか」

≪ええ。それが2年前くらいの暮れ(年末)のニュースなんですけど僕は明日のワイドショーが楽しみだって思ってたんですけど暮れだったんで無かったんです≫

「残念だったわね。それであなたは自分の子供が埋まってたら80になってもいてやらなければいけないなと」

≪うん≫

「お宅のかわいい息子さん私一緒にテレビに出演したんですよ。東京国際フォーラムで一緒に歌うたったりしたんですけどその時に事故にあったときの話をしてくれたんだけどすごくかわいい話なんだけどかわいそうなことで。あの時小学校2,3年?」

≪2年ですね≫

「息子さんは上着を脱いで道(の真ん中)で綺麗にたたんでたんですって。そこは車があまり通らないところでたたんでたらもろに(車に)引かれたみたいね。でもたした事無くて」

≪いや結構たいしたことだったんですけどねえ。手術が5,6時間かかって≫

「でも元々がね道の真ん中で服をたたんでたっていう。子供らしくて綺麗にたたんで帰ろうっていうのがね。自動車の方も道で子供が服をたたんでると思わなかったかのかもしれないけど。でもスタッフの方が私にその事(事故のこと)をあの坊ちゃんが良く話したなって(黒柳さんによくなついて)」

≪そうですね≫

「とても詳しく話してくれてそれでペタンコになっちゃったって言って。竜平君(清志郎さんお息子さんの名前・たっぺい)はその後大きくなっていくつぐらいに?」

≪今は中学2年ぐらいですね。今は小生意気になって反抗期ですね≫

「もう1人娘さんがいてモモヨちゃん。家出CDをつくってらっしゃって」

≪それももう・・・回帰祝いといいまして(CDを渡す。竜平君が事故の怪我が治った記念CD)≫

「竜平君の回帰祝いに。かわいいわねえ。モモヨちゃんが小さかった時妹さんですよね」

≪はい≫

「奥様もみんないなかった時に」

≪2人で留守番してたんですけど。ラジカセを置いて曲を作ってたんですよ。でそろそろできたかなっておもって録音してたら寄ってきましてね騒いでたんですけども≫

「それがCDになってるんですけどねえ子供の声ってかわいいのね」

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曲が流れる

「プリプリベイビー」忌野清志郎

お尻がプリプリ(繰り返す)

おっぱいプリプリ(繰り返す)

子供(モモヨちゃん)の声で「お父さんなんでおっぱいプリプリなの」と入る

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「(会場拍手)なんてかわいいんでしょう。あなたはリズムの中に入れようとしているから。あの子はなんでおっぱいがプリプリなんだろうってことに興味があってお尻がプリプリということには興味が無い。ずっとその疑問をお父さんに聞いててかわいいですね。モモヨちゃんも大きくなりました?」

≪ええ小学校5年ですかね≫

「このCDが残ってよかったですね」

≪ええでも恥ずかしがってますけどねえ。なんで今更CDになってって≫

※清志郎さんの隣に置いてある自転車をさして

「話しがあちこち行きますけど自転車軽いのねヒュッと持てちゃうのね」

≪軽いとラクですね≫

「でも絶対ぐねっとならないぐらい頑丈な」

≪これカーボンなんですよ≫

「これ普通の自転車とどこが大きく違うんですか?」

≪どこが違うんですか(困って・笑)普通のはもっと重いですよね≫

「でも東京~鹿児島1422キロを行かれてどこが一番大変でしたか?」

≪エビノ高原ですかね。宮崎から鹿児島に抜ける山越えなんですけどねえ。霧島越えといって≫

「ああ私たまたまそこから芝居に行って帰ってきたところなんですけど」

≪ああそうなんですか。箱根もすごかったんですけど≫

「箱根はすごいっていいますけどねえ。でも全員が完走できたんですか?」

≪はい≫

「そのときどういうお気持ちでしたか?」

≪いやあうれしかったですね≫

※温泉にサイクリング服を着たままつかるメンバー全員の写真が登場

「これはどうしたんですか?」

≪これはゴールなんですけどそこにわざわざ(温泉を)作ってくれたんですよ。≫

「みんなシャツごと入ってるんですね」

≪そうですねついた瞬間ですね≫

黒柳「ええと”グーアの森”というCDをお出しになったんですがNHKのみんなの歌の1つに選ばれている」

忌野≪はい≫

「その時に(レコーディング中に)モモヨちゃんのお友達が遊びに来てたんですか?」

≪隣に部屋に遊びに来てました≫

「そうしましたらその子達に”全宇宙少年少女合唱団”という名前を付けてですね一緒に歌った。~曲流れる~これお家に録音スタジオがあるからこういうことできるんですよね」

≪そうですね≫

「でもみんなも一生懸命歌ってますよね」

≪そうですね≫

※CDの絵が登場。上に葉っぱがあって下に少年がいる

「絵も描いてらっしゃるんですけど葉っぱはモモヨちゃんが描いてるんだけど環境問題を扱った絵本を出されてるんですけど”ブーアの森”という(題名で出版された)」

※上手に絵を書かれている清志郎さん

≪はい≫

「本当に何をされてるのかわかんないほど(仕事を)やってらっしゃいますのでねえ。絵は一朝一夕にお出来になったんじゃなくてすごいでしょこれ(昔清志郎さんが書かれた漫画などを集めた自作本を出す)これは小学校いくつぐらいの時でしたかね?」

※一朝一夕=わずかな時間。わずかな間~小学館国語大辞典より~

≪小学校4年生ぐらいでしたかね≫

「当時は鳩に関心があったらしくて(本のタイトルが”鳩”)ですねえお母様が大切に取っておいてくれたらしくて中には鳩日記という漫画を描いてたり」

≪あの鳩(当時)飼ってたんですよね。流行ってまして伝書鳩を育てるというのが≫

「”編集部員求む”って書いてありますけどこのとき誰もいなかったんですかね」

≪2、3人いたんですけどねえ≫

「”2月の中ごろロボット図鑑が発行されますって本当に発行したんですかね?」

≪どうでしょうか(笑)≫

「こういう風に昔漫画描いてらして今は絵本を描いてらっしゃるんですけどこれも昨日今日始めたことじゃないんだって。ブーアの森という絵本も出してらしゃるしCDも出してらっしゃる。今戦争反対とか自然を守ろうという歌を出したりしているのはお母様の影響がある」

≪そうですね≫

「今昔の本(さっき紹介された”鳩”)を取って置いてくれたのは育てくれたお母様でお生みになったお母様は・・・」

≪お生みになったお母さんは僕が3つぐらいの時に亡くなっちゃたんですけども。で(僕が)30項半ぐらいになって生きてる時の形見の品が出てきたんですよ。で(そこに)戦争の事に関するいろんなことが書いてありまして≫

黒柳「そのお生みになったお母さんの最初の旦那様が」

忌野≪ええ戦争でレイテ島というところに行って戦死してしまったんですね。その辺のことが俳句みたいに書いてあって≫

「その亡くなったお母様は亡くなったご主人の手紙や写真をきちんとスクラップにされていて(旦那さんが)戦死したという公報がきてもまだ信じられないと言うこともきちっと書いてあって。最初のところにあるんですけど”帰らざる人とは知れど我が心なお待ちわびぬ夢のまにまに”って。気持ちが現れてますねえ。みなさん帰ってくるんじゃないかって皆さん思ってたと思います。またお母様のお話はこれを持ってきていただいて話してください」

≪はい≫

「ここに面白いものがあるんです1969年11月4日の朝日新聞の身の上相談に”ギターにこる子供”ということでお母様が投書なさってるんですね。それに羽仁説子さんと映画監督の羽仁進さんが親子でお答えされてるんですけどもそのお母さんの文章がいいですか”18になる私の子供は小さい頃から寝起きのいい方ではありませんでしたが高三になってからは登校時間になっても起きず遅刻はしょっちゅう月に1回は休んでしまいます。私どもも口がすっぱくなるほどいい、先生からも注意受けましたが一向に直そうとはしません。性格は内向的でハキハキとはしませんがお友達には好かれているようです。高校卒業後は美術大学に入る予定でしたが最近では進学したくはないといいます。友達3人とギターで吹き込んだのをレコードにしたりあちらのホールあちらの放送局とあちこちで出演し時々は受けているそうです。学校を休んだ日は一日中寝ています。どうしても大学に行かないなら高校を出てお勤めをして欲しいと申しますとお勤めはいやだ!ギターのプロのなると申します。私どもには何が何だか分からなくなりました。プロには簡単になれるものでしょうか?どうしたら学校に行かす事ができるんでしょうか?”というのがお母様のご質問だったんですね。これに羽仁さんが丁寧に答えています”私の友達で結局ギターをやっていたけど解散した。で中学の先生になった人もいる。だから若いときの経験は生きていく・・・”とか書いてあるんですけどこれは面白いんでまた出てください。こんなに一杯たのしいことが。ありがとうございました」

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